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諏訪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時16分53秒
返信・引用 編集済
  兵庫県朝来市のお城。

先の朝日城と同様、規模のわりには妙に技巧的な城郭である。竪堀と横堀を組み合わせたルートなど、なかなか見どころが多い。

城主に関する伝承などが一切存在しないことからして、こちらもまた明智軍による陣城の可能性が高いと思われる。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/asagosi01.htm
 
 

朝日城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時14分40秒
返信・引用
  これも丹波市のお城。黒井城のすぐ正面にある。

もとは地元領主の居城であったようだが、それにしては妙に技巧的で、明智勢によって改修された陣城の可能性が高い。

ただ、北側半分が削られてしまっているのが残念である。

 http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm#asahi
 

岩尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時12分55秒
返信・引用
  これも丹波市のお城。

比高250mもの高い山上に、総石垣造りの城郭が存在しているというのもすごい。

本丸には天守台があり、河原が散布している。つまり本当に天守があったというわけである。

総石垣造りとはいえ、面積自体は非常に狭隘で、アンバランスな印象を受ける城郭である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm#iwao
 

柏原陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時11分6秒
返信・引用
  兵庫県丹波市のお城。

織田信包3万6千石、後には織田信雄の子孫の陣屋である。いずれにしても織田氏による陣屋であり、パンフレットには「織田の城下町」と銘打たれている。現地では織田の城下町であることに誇りを持っているようだ。

陣屋とは言え、現存する長屋門、御殿、太鼓櫓など、あちこちに見どころがあり、お勧めの城址である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm
 

Re: 北上、江刺の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)04時44分26秒
返信・引用 編集済
  > No.5266[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

お久しぶりです。

東北方面に行ってこられましたか? 私も今年は東北に何度か行く機会がありました。教えていただいた尻八城など、なかなか良かったです。

小柳川城、なかなか変わった造りですよね。上の方はヤブでしたが、整備されればかなりきちんとした城址公園になるだろうと思います。

岩崎城の模擬天守、撤去されていましたか。模擬天守好きの私にとってはとても残念なことですが、建築基準におそらく合っていなさそうな建物だったので、これは仕方のないところなのでしょうね。

古い時代劇を今見ると、なかなかすごいなあと思うことがあります。私は昔の大河で『樅の木は残った』を大人になってから見て、初めて「こんなすごい話だったのか!」と感動しました。演技も重厚で、今の役者では無理だよなあなどと思います。

先日は播磨・但馬の城を回ってきました。八上城に続いて、この後しばらくは播磨・但馬「の城の紹介が続きます。ただ、今週は土日共に仕事なので、少しずつしか更新できません。

それではまたです。
 

北上、江刺の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月11日(土)22時13分52秒
返信・引用
  ご無沙汰しています。

先週の連休を利用して盛岡から江刺、北上界隈の城を見てきました。余湖図のお世話にもなりました。ありがとうございました。

因みに・・・・

小梁川館
余湖さんのお勧めに従い行ってきました。中々面白い縄張ですね。因みに本丸から塩釜神社辺りまで樹木が伐採されています。本丸脇は工事用車両が入れるよう道が開鑿され、キャタピラーの跡も残っていました。かなり大掛かりな作業のようでした。公園化でもされるのでしょうか?それとも一寸した開発なのでしょうか?いずれにせよ樹木が無くなり遺構はよく分ります。

岩崎城
天守風公民館は破却済で本丸はフリーパスで入れます。


処で、話し代わりますが、最近BSで再放送されている大忠臣蔵にはまっています。三船敏郎以下豪華キャスト。今ならとても考えられない贅沢な布陣。興味深かったのは、場面に使われる城の数々。赤穂城は当然として、定番の姫路城、彦根城に並び名古屋城も使われています。東南隅櫓から本丸一の門の石垣上が撮影場所になっていました。本丸御殿が完工すれば、また名古屋城も時代劇で使われるようになるかもしれません。


それではまた。
 

大山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時06分36秒
返信・引用
  これも篠山市のお城。

現在は1郭の堀が残る程度であるが、かつては7つもの郭を連続配置された、なかなか大きな城郭であったようだ。

ほぼ平城なので、八上城を歩いた後に訪れる城としてはとても足腰にやさしい城だ。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm#ooyama
 

大渕館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時04分13秒
返信・引用
  これも篠山市のお城。

小規模ではあるが、土塁や堀が見事に残っておりなかなか素晴らしい。県指定の史跡である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm#oobuti
 

八上城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時02分58秒
返信・引用
  兵庫県篠山市のお城。

明智光秀に攻め落とされた波多野氏の居城として有名である。歴史上著名だということもあって、以前から来てみたかった!

遺構もすばらしいのだが、山麓を覆っていた霧が山に登るとともに薄れていき、山上が晴れているのに、山麓が雲海に覆われているという情景はなかなか感動的なものである。

雲海は竹田城の専売特許ではないのだ!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm
 

高岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時34分38秒
返信・引用
  高岡城という名前の城も各地にあるが、これは鈴鹿市のお城。

神戸氏に属した城で、永禄10年と11年に、2度にわたって織田軍の攻撃を跳ね返した城郭である。そのため信長は神戸氏との和睦を余儀なくされる。

といった感じで、歴史上知られた城なのであるが、あまり城郭らしい遺構には恵まれていない。台地の要害性だけが際立った城郭である。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/suzukasi.htm#takaoka
 

城山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時32分18秒
返信・引用
  これも津市のお城。宮山城のすぐ近くにある。

やはり土塁や堀が残されているが、その規模は小さく、急造された匂いがプンプンする。

宮山城と同様、羽柴軍による陣城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#siroyama
 

宮山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時30分7秒
返信・引用
  これも津市のお城。敏田神社のすぐ背後にある。

小規模ながら、折れを伴った土塁や堀が廻らされている。

天正12年に北畠氏の戸木城を攻撃した際の、羽柴軍による陣城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#miyayama
 

家所城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時28分45秒
返信・引用
  これも津市のお城。

安濃城、伊勢上野城と同様、長野氏一族の居城である。敬福寺の背後にあり、主郭周囲には充実した遺構が見られる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#iedoko
 

伊勢上野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時26分41秒
返信・引用
  これも津市のお城。伊賀上の城というのは有名だが、伊勢上野城というのもあるとは知らなかった。

安濃城とは対照的に、織田信長との和睦交渉を進めた分部氏の居城である。分部氏は戦国期をうまく乗り切り、幕末まで大名として存続している。

公園となっている部分の他に、台地先端部にも出城のような構造物が残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#ueno
 

安濃城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時23分59秒
返信・引用
  これも津市のお城。『信長公記』で名前だけは知っていたが、じっさいに訪れたのは初めてである。信長の伊勢侵攻に徹底的に抵抗した城である。

主郭は阿由田神社になっており、車で境内まで訪れることができる。

主郭周囲はよく残されているが、それ以外の部分の遺構はあまり明瞭ではない。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#anou
 

津城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時21分8秒
返信・引用
  三重県を代表する城郭である。

以前訪れた際にはカメラを持たずに写真撮影していなかったので、今回はスマホで何枚か撮影してきた。

市街地なのに雨のせいか、ほとんど人がいなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm
 

五箇篠山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時19分44秒
返信・引用
  三重県多気城のお城。津市周辺の町村の多くは平成の大合併で津市に組み込まれたのだが、多気町だけはなぜか独立している。

それにしても「多気」という地名には心惹かれる、常陸でも下野でも多気城というのは実に見どころのある山城であった。

五箇篠山城は南北朝時代からの山城である。多気城ほどではないが、遊歩道も設置されており、まずまずの見どころはあった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/takemati01.htm
 

霧山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時15分9秒
返信・引用
  これも津市のお城。北畠館の詰の城のさらに奥にある。

今回一番来てみたかったお城である。天気予報ではずっと雨模様なので、やめようかとも思ったのであるが、しっかりとした山道が付けられており、傘を差しながらでも十分に歩くことができた。来てよかった!

城はそれほど大規模ではないが、実に雰囲気がある。雨が降っているために霧が出てきて、文字通り霧山城状態となっていた。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi02.htm#kiriyama
 

北畠氏館・詰の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時12分56秒
返信・引用
  三重県津市のお城。

伊勢国守北畠氏の居館である。それにしても北畠氏はこんな山の中に住んでいたのかと思う。現在は津市となっている旧三杉町であるが、津の市街地からは40kmほどの山の中である。ここまで来る間の道はかなりの山道であった。

何といっても庭園が見どころであった。その上の詰の城までも、すぐに登ることができる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi02.htm
 

古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時10分3秒
返信・引用
  これも亀山氏のお城。

古城と書き「ふるしろ」と読むらしい。

峯城の近くにあるが、峯城の古城ではなく、峯城攻撃の際に構築された陣城ではなかったかと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kameyamasi.htm#kojou
 

峯城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時08分54秒
返信・引用
  三重県亀山市のお城。

城内には天守台や枡形など、見どころのある遺構が残されている。

天守台からは石垣や瓦も検出されているようで、実際に天守があったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kameyamasi.htm#mine
 

i市場城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時06分48秒
返信・引用
  保々西城の1.5km南東にあり、保々西城同様、朝倉氏の居城である。地元では朝倉城と呼ばれており、現地の案内板や城址碑にはすべて朝倉城とあった。

構造は保々西城とよく似ているが、屋敷地の遺構はかなり失われてしまっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/yokkaitisi.htm#asakura
 

保々西城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時58分56秒
返信・引用
  三重県四日市市のお城。保々西というのは変わった名称である。

北伊勢には、主郭周辺に屋敷地を配置した城郭がかなりあるのだが、その屋敷地までもが良好に残されているという点では、非常に貴重な遺構であり、北伊勢を代表する城郭と言っていいと思う。

公園になっているので駐車場やトイレも完備。旧状の裏から道がしっかりと付けられている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/yokkaitisi.htm#hobonisi
 

田光城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時56分9秒
返信・引用
  同じく菰野町のお城。

「田光」と書いて「たびか」と読むのが珍しい。なんとなく「スピカ」などといった名前と共通性を感じてしまい、先未来的な印象を受けてしまう。

城内には天守台や井戸、石積みなどもあり、なかなか充実した遺構を見ることもできる。そばに公会堂があるため、トイレや駐車場も完備している。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/komonomati01.htm#tabika
 

菰野陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時53分48秒
返信・引用
  三重県菰野町のお城。

もともとは中世城郭であったが、近世に入り陣屋として整備され、幕末まで存続した。幕末には幕府の権威が落ちたのを幸い、天守に代わる隅櫓を建造したりしている。

小学校の敷地となっているため、遺構の残存状況はそれほど良くはない。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/komonomati01.htm
 

治田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時51分56秒
返信・引用
  こちらもいなべ市のお城。

先の2城とは異なり、普通の山城といった趣の城郭である。しかし、山城としての要素は一通り備えている。

道がないのでテキトーによじ登っていくしかないのだが、この山にはヒルがけっこういるので注意! 長靴をはいていたから吸われずに済んだのだが、油断していればヒルにやられてしまう。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm#hatta
 

大井田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時49分49秒
返信・引用
  おなじくいなべ市のお城。「おおいだ」ではなく「おいだ」と読む。

台地先端部に主郭を持ち、そこから多数の屋敷地を配置している。主郭のみ梅林公園となっているが、あとは広いヤブである。

南側の台地にも遺構を残している。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm#oida
 

田辺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時47分53秒
返信・引用
  田辺城という名称の城は各地にあるが、これは三重県いなべ市のお城である。

北伊勢には主郭周囲に屋敷地を配置した城郭がいくつもあるが、そうした城郭との最初の遭遇となった。

デジカメを忘れてしまったのでスマホで撮影したのだが、バッテリーの持ちがよくないために、いつもより写真撮影ができなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm
 

Re: コアな山城へようこそ

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)20時52分1秒
返信・引用
  > No.5242[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

らんまる殿、こんばんは。、書き込みありがとうございます。

信濃も、訪問するのが、だんだんマイナーな城館になってきました。これというのも宮坂氏のん本があるからですが、まだまだ未踏の城が多く、信濃の城は奥が深いです。

らんまる殿は相変わらず、普通の人が訪れないような険しい山城を散策されているようですが、十分にお気を付けください。

おっしゃる通り、今年は雨が多いので、本当に城巡りには難儀しますね。実は先週の土日は遠征してきたのですが、終始雨に悩まされ続けました。

今年の信州は大雪ですか? すると年末や3月頃の城攻めは厳しいですかね。

それではまたです。
 

コアな山城へようこそ

 投稿者:らんまる  投稿日:2017年10月21日(土)08時13分10秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。

信濃はまだまだ落葉にもならず、藪が多くさぞかし難儀の訪城かと思われました・・(汗)
今年はカメムシが大発生しているので、この冬は大雪なるのでは?という里人の言い伝えがあります。その上、雨も例年になく多く秘境の山奥の城を残すのみの小生にとっては、休日の雨は恨めしい限りです(笑)

先日、梓川の水殿ダムの対岸の栃沢にあるという前人未到の「殿様小屋」を目指しましたが、藪に阻まれ来月に持越しとなりました。もはや山城探訪というよりは「特攻野郎Aチーム」状態(爆)遭難してお国に迷惑を掛けないようにと心掛けてはおりますが・・・。

では、またのレポート楽しみにしておりまするw
 

須立之城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時54分10秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。

集落からかなり奥に入り込んでいったところにある。犀川に臨む比高220mの山稜上である。

手前まで車で行くことも可能なのであるが、どうにもヤブが多くて、この時期ではまだちゃんと探索はできない。

この城の主郭にある看板、字がかすれて読めないなあと思ったのだが、よく見ると昭和54年に設置されたものであった。昭和54年と言えばまだ高校生だったころである。よくぞまあ、そんな古い看板がまだ立っているものだと思うと感慨深かったりする。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#sudate
 

石川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時31分48秒
返信・引用
  長野市のお城。

聖川に突き出した半島状台地に築かれている。縁部にはたくさんの石垣が見られるのだが、どこまでが遺構なのかよく分からない。

主要部は竹やぶに覆われてしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#isikawa
 

萩野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時30分12秒
返信・引用
  長野市のお城。

標高1200mもある地蔵峠から南に突き出した尾根上に築かれている。地蔵峠には駐車場があり、そこから派生するトレッキングコースの案内板も立てられている。

そのうちから萩野城コースを選んで歩いていけば城内に到達する。

このコース以外にも、陣場平コースを選んでいけば、葭雰神社物見、朝日城、小野平城なども訪れることができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi05.htm
 

小松原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時28分13秒
返信・引用
  長野市のお城。あまり知られていない歴史未詳の城であるが、主郭周囲を巡る横堀など、しっかりとした遺構が残されている。

天照寺の背後の比高170mもある山稜上に築かれている。宮坂氏が、この城を発見するまでの苦労話が『信濃の山城と館』のコラムに掲載されていて、宮坂氏の苦労をしのびながらの登城であった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#komatubara
 

吉窪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時25分51秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。

小田切氏の詰めの城である。しかし、周辺の道が狭いので、途中、運転していて不安になって今う。

大規模城郭とは言えないが、導入路はかなり技巧的であり、石垣もあちこちに積まれている。なかなか見どころのある城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm
 

竹の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時23分50秒
返信・引用
  これも須坂市のお城。

井上城の支城というべき城で、北東側に向かい合う山稜に築かれている。

尾根基部の方に乗越峠があり、かつての街道を押さえていた。この峠まで行ってしまえば、城まではすぐである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/susakasi01.htm#take
 

井上城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時22分27秒
返信・引用
  長野県須坂市のお城。地元豪族井上氏の詰めの城である。

大城・小城の2つの城域に分かれているのみならず、山麓近くには十九塙城もある。さらに山麓には井上氏関連の城館等の史跡があり、併せて回ってみるとよいだろう。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/susakasi01.htm
 

春山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時21分2秒
返信・引用
  長野市のお城。地元では「1に春山、2に尼巌、3に鞍骨」と伝えられ、尼巌城、鞍骨城をさしおいて、もっとも要害な山城であったと伝えられている。こんな山、本当は登りたくないのだが、そういう城では行ってみないわけにはいかないではないか。

蓮台寺から太郎山トレッキングコースを使って登っていく。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#haruyama
 

寺尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時18分41秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。金井山城と尾根続きの部分が接続している。

下に愛宕社があり、そこから登っていけばすぐに城内である。南北に長い山稜を連郭式に配置した山城で、主郭には城主の墓が置かれていた。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#terao
 

金井山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時17分1秒
返信・引用
  長野市のお城。尼巌山の下方の比高130mの山稜に築かれている。側面部が岩肌むき出しの堅固な山である。

山を登るのが嫌いなので、鳥居峠からアクセスした。するとすぐに城内に到達した。岩を利用した大規模な堀切など見どころが多い。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#kanai
 

竹山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時15分15秒
返信・引用
  長野市のお城。松代城のすぐ南側にある。

この山を象山という。佐久間象山は松代藩出身の蘭学者である。彼が象山なんていう号を付けたのは、代わった趣味の持ち主であったからだと思っていたのだが、実際はそういうわけではなかったらしい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#takeyama
 

Re: 町付城のこと

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月25日(月)05時15分55秒
返信・引用 編集済
  > No.5229[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

大子町は本当に面積の広い町ですが、もともとはこれほどたくさんの村があったのですね。驚きです。

初めて知りました。
 

町付城のこと

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 9月22日(金)09時51分12秒
返信・引用
  余湖さん。おはようございます。
前回は荒蒔城の情報をありがとうございました。

先日『図説茨城の城郭』をながめているときのこと。
「町付城」の地図で妙な既視感があったので、
気になって現地に行ってみたところ、
家内の老親が疲れた顔で畑を耕していました。
「虎口」に近いの4廓付近の畑でした。
そういえば30年近く前に一度だけ
飼料用トウモロコシの種まきと収穫と手伝ったことがありました。
我が家から30キロ位の場所です。大子町は広いですね。

この頃、大子町の歴史を調べる機会があったので、
城跡の調査の参考になればと思い、以下に添付します。

保内郷1町8か村(古くは下野国の依上保と呼ばれた)
《大子村》(後に旧大子町となる):大子村、浅川村、上岡村、山田村
《黒沢村》:上野宮村、上郷村、町付村、中郷村、北吉沢村
《依上村》:下金沢村、上金沢村、芦野倉村、塙村、相川村、田野沢村
《佐原村》(依上村から分離):初原村、槇野地村、左貫村
《宮川村》:矢田村、川山村、冥賀村、下野宮村、高田村
《袋田村》:袋田村、下津原村、久野瀬村、南田気村、北田気村、池田村
《生瀬村》:小生瀬村、高柴村、内大野村、外大野村、大生瀬村
《上小川村》: 栃原村、大沢村、頃藤村
《下小川村》:西金村、盛金村、久隆村、家和楽村
 (下小川村は西金村の一部、盛金村の一部が大子町へ、他は旧山方町と合併)
《諸富野村》:北富田村、諸沢村、西野内村
 (諸富野村は北富田村の一部が大子町へ、他は旧山方町と合併)

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

余湖さんへ

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月21日(木)22時48分29秒
返信・引用
  ありがとうございます。
写真比較に使わせていただきます。

余湖さんの訪問が10数年前、ということは、東日本大震災の影響なのかもしれません。

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 写真使わせてください

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月21日(木)22時09分42秒
返信・引用
  > No.5225[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

写真の使用、了解しました。なるほど以前のものと比較すれば、崩落の度合い等が分かりそうですね。

私が長沼城を訪れたのは、もう10数年前です。なんだか懐かしいです。

それではまたです。
 

比較写真

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月20日(水)23時06分20秒
返信・引用
  余湖さんの写真はリンクで。
http://yogokun.my.coocan.jp/hukusima/naganumask06.JPG

私が撮影したのはこれ

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

写真使わせてください

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月20日(水)23時00分34秒
返信・引用
  >余湖さんへ
今、福島県須賀川市の長沼城の記事を書いているのですが、余湖さんの本丸神社裏の石垣の写真と今(といっても半年前)の状況で比較してみるとけっこう劣化しているので、比較写真として使わせてもらいたいのですが、いいですか?

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 鉢形城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月19日(火)22時11分53秒
返信・引用
  > No.5223[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

確かに荒川に臨むあの断崖はすごいです。


三代王神社は城域外だと思います。
 

鉢形城

 投稿者:阿笠  投稿日:2017年 9月16日(土)10時32分6秒
返信・引用
  凄いですね。荒川の方から見ると、まさに難攻不落ですよね。あと、馬加城の近くに三代王神社というものがあり、そこも城の一部ではないかと思います。  

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月16日(土)04時26分13秒
返信・引用 編集済
  > No.5221[元記事へ]

横尾 さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。またまた新城発見ですか、すごいですね。このお城はまだ訪れたことがないのですが、川中島関連の城には興味があるので、いずれ行ってみたいです。

岐阜の山城の件、五郎さんにも相談してみます。昨年訪れた山城はいずれも、見ごたえがありましたね。特に前田砦には圧倒されました。

よさそうなところがありましたら、調べてみてください。

それではまたです。

さて、この土日はお仕事だ! 頑張ろう!
 

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:横尾   投稿日:2017年 9月15日(金)20時28分33秒
返信・引用
  > No.5187[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。


>
> ところで、横尾さん、まだ先の話なのですが、今年の山城の日も連休になるので、どこか一泊で遠出してみたいと思っています。もしリクエストなどありましたら教えてください。
>
昨年の岐阜の山城はどれも見ごたえありました。まだまだ大規模な山城がありそうなので、今年もまた岐阜へ出かけませんか。候補の城は調べてみます。

ところで松本市(旧四賀村)にある鷹巣根城(刈谷原城)へ最近登ったのですが、宮坂氏の縄張り図に乗っていない南尾根(これはなかなかの縄張りです。)を発見し、松本市教育委員会にこの旨を報告したところ、調査してみますという回答をいただきました。

写真1 本丸南下の腰曲輪から南西尾根(宮坂氏が描いています。)とこの曲輪から南尾根にもう一つ縄張りされています。
写真2 南尾根堀切
写真3 大きな曲輪を空堀で受けていますが、壕によって西への通路になっています。

ご存じの通り、刈谷原城は第一次川中島の合戦で刈谷原城、青柳城、麻績城、更埴と行軍のルートになっていた山城です。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

おすすめ城本

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月10日(日)05時34分57秒
返信・引用 編集済
  『中世城郭の縄張と空間』(松岡進・吉川弘文館)という本を図書館で見かけ、借りて読んでみた。

中世城郭の縄張をどう収斂させていくか、ということについて、葛藤しながらも、未来志向に論を展開させようとした画期的な本であるといえる。

おそらく多くの城マニアは、縄張論を個々のパーツ論として理解はしながらも、それが発掘成果や史料とどう整合させ、トータル的な構造論として捉えられるのかという点についてまでは思考が及んでいないと思う。

発掘学者や歴史学者の批判にどう向き合っていくべきかは、中世城郭の構造論の根本に立ち戻って丁寧に見ていかなければならない問題なのだろう。

今まで城関連の本を読んでいて「?」と感じることが少なくなかった。おそらく縄張論者の文章は主観が勝りすぎているからだと思う。しかし、この著者の文章はとても素直に頭に入ってくる。論旨が冷静で客観的だからであり、著者が非常にクレバーな人間であるということがよく分かる。

それにしても縄張の編年化は、やはり困難なものなのだと思う。城が築かれる際の条件には地理的地形的な側面や、築くために使用できる時間の長短、築城主体者の財力、環境などによって大きく左右される。それらすべてを特定の権力の影響や地域的特性に収斂させていくことが、果たして可能なのか。

近世城郭視点から遡って城の構造を把握しようとする意識からいつになったら脱却できるのか、すでに染みついた先入観からはばたくのは、口で言えるほど簡単なことではない。
 

美和地域山城ツアー

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 8日(金)20時27分18秒
返信・引用
  平成29年度常陸大宮市文化財集中曝涼関連行事として、10月22日(日)に、茨城城郭会(常総戦隊ヤブレンジャー)が案内する高部城等のツアーがあります。

詳しくは以下のページをどうぞ。

http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/page/page002712.html
 

茨城大学土曜アカデミー

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 7日(木)20時27分37秒
返信・引用 編集済
  まだ先の話ですが、12月2日に茨城城郭研究会の参加するイベントがありますので紹介いたします。

ただ、このラインナップを見ると、茨城城郭会は、おまけ的な感じのようです。

https://www.dropbox.com/s/j0bmk4m48stiz1i/%E5%9C%9F%E6%9B%9C%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88.pdf?dl=0

 

Re: 黒沢村について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 2日(土)04時30分17秒
返信・引用 編集済
  > No.5216[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。黒沢村のことはまったく知りませんでした。『城郭体系』には、「大子町黒沢」という地名にある城郭がいくつか掲載されており、現在の地番で黒沢が存在していないので、どういうことなのかなと思っていました。大子町もかなり面積の大きな町ですが、そのように市町村合併を繰り返していたんですね。

大子町ではさっそく『続図説茨城の城郭』を入れてくださいましたか。ありがとうございます。今回は、大子町の城址もいくつも取り上げられており、なにかと参考になるのではないかと思います。

荒蒔城は、集落の一番北側の家の所から尾根続きに歩いていけば、距離はありますが、城の北側に到達します。また、一番下の民家の所から谷津を通って入っていくこともできたかと思います。

気を付けていってらっしゃいませ。
 

黒沢村について

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 9月 1日(金)16時58分3秒
返信・引用
  こんにちは。
横スレでごめんなさい。
黒沢村は町付、上郷、上野宮、中郷、北吉沢の5つの村が合併して誕生しました。
やがて、大子町と他の7つの村と合併して現在の大子町となっています。
今年の冬に荒蒔城(館山)に散策に行く予定です。

「続茨城の城郭」は大子町図書館に依頼して前巻と共に棚に入れて頂きました。

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

Re: 茨城県大子町の荒蒔氏館について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 1日(金)04時47分51秒
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  > No.5214[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。なるほど、町付のことを昔は黒沢村と言っていたのですね。

『城郭体系』には、町付城のことは「獅子城」として掲載されていますので、となると、荒蒔氏館というのは、荒蒔城のことと解釈するのがよさそうですね。

荒蒔ではなく、黒沢にある荒蒔城ってどういうことなのかと思っていたのです。あとで、荒蒔氏館のことは削除しておきます。

『茨城の城郭』、購入いただいてありがとうございます。続編が出たところで、茨城はかなりマニアックな城郭まで、一般的な書籍で図面付きで紹介できている県になったと思います。

入野城の歴史についても、これまでほとんど言及されることはなかったと思いますが、あのように解釈してみました。想像の範疇ですが、蓋然性は高いものと思っています。

それではまた、何か情報がありましたら、よろしくお願いします。

 

茨城県大子町の荒蒔氏館について

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2017年 8月31日(木)17時48分59秒
返信・引用
  茨城県大子町にある荒蒔氏館の位置についてなのですが、
黒沢と言う地名は大字「町付」のことではないでしょうか。
昔、町付地区周辺一帯は黒沢村というくくりだったそうです。
だから、荒蒔氏館というのは町付地区にある荒蒔城もしくは町付城の
ことではないでしょうか。

あくまで推測です。間違っていたらごめんなさい。

「茨城の城郭」買ってみました!
呼んでみたこところとても面白かったです。
家の近くにある入野城(城里町上入野)の記事が分かりやすくて
大変参考になりました。
ありがとうございます!
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月30日(水)04時15分30秒
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  > No.5212[元記事へ]

利右衛門さんへのお返事です。

村境でしたか。江戸などの都市においても、要所要所に木戸をおいて、夜中の人々の通行の制限を行うということは一般的に行われていましたから、地方の村においても同じようなことが行われていたということは蓋然性のあることだと思います。

そうすると、この戸内というのは、「村境に置いてあった木戸の中」を示す言葉かと思われます。番所程度のものはあったのかもしれませんね。

いずれにせよ、地名から当時の状況を読み解いていくというのは、歴史的状況を探るための1つのアクセスポイントだと思います。ぜひ、頑張って調べてみてください。

それではまたです。
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:利右衛門  投稿日:2017年 8月29日(火)22時25分7秒
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  > No.5211[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

江戸時代、村境になっているところが戸内になっています。ただ、この村境、以前は戸内よりもっと手前にあったとかで、以前の村境辺りに、村境にありがちな、五本松という地名もあります。戸内が境となっている村境、藩境にもなっており、太平の世、江戸時代においても領地争いが行われておりました。それで領地境が変化していったのだと思います。
戸内の隣の字名に、滝はおろか、川もないところに小滝という地名があり、これは伝播地名であり、小滝という領主がいたと考えています。これは古文書上との関連を兼ね合わせてのことですが。ただ、おしむらくは小滝を名乗っておらず、おそらく本姓に復していると推測しています。
いずれにせよ、地域民との伝承との兼ね合いをみて掘り下げていこうと思います。
打ち捨てられた、兵どもの夢の跡をこの世にとどめようという管理人様の活動、いつも拝見しており平伏しております。管理人様の後塵を拝しつつ、解明に努めてまいりたいと思います。
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月29日(火)04時47分7秒
返信・引用 編集済
  > No.5210[元記事へ]

利右衛門さんへのお返事です。

「戸内」は城郭関連地名の1つです。「戸」は城下集落の入口にあった木戸を指すことが多いので、城下集落(宿)の入口付近に残っている地名です。
「堀ノ内」「楯の内」「柵の内」などと似たようなものです。

もっとも、城がなくても集落の入口に木戸を設置する場合もあるでしょうから、100パーセントというわけではありません。

また、「殿内」の転の場合の場合もあるでしょう。その場合は、地元の有力者が住んでいたことを示している場合があります。

いずれにせよ、他の地名と合わせて考察してみれば、城館の存在を推定できる可能性があろうかと思われます。
 

戸内という地名について

 投稿者:利右衛門  投稿日:2017年 8月28日(月)20時09分25秒
返信・引用
  管理人様、お久しぶりです。地元に戸内という地名がありまして、「とのうち」と読みます。とのうちは戸野口「とのぐち」の転であり、集落の入り口だという解釈があったり、殿ノ内「とのうち」に通じ、武士の居館があったという解釈もあります。管理人様は上記の解釈についていかが思われますか・  

川辺堀之内城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時35分14秒
返信・引用
  これも日野市のお城。

わずかながらも遺構を残している。とはいえ、わざわざ遠くから見に来るほどのものではない。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hinosi.htm#kawabe
 

百草城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時33分22秒
返信・引用
  東京都日野市のお城。

京王百草園となっているので、これを訪ねていけばよい。ところが、この日、すでに閉園時間になってしまっていたために、城址の半分ほどしか見学できなかった。

上総にありがちな尾根式城館のようなタイプのお城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hinosi.htm#mogusa
 

網代城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時32分3秒
返信・引用
  東京都あきる野市のお城。

比高160mの山にあるが、ハイキングコースが通っており、すぐに登れるようになっている。

しかし、あまりぱっとした遺構はない。古いタイプの山城であったろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi.htm#ajiro
 

出羽山砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時30分48秒
返信・引用
  東京都八王子市のお城。

出羽山公園として整備されているが、あまり城郭らしい明瞭な遺構は備えていない。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi03.htm#dewa
 

小松城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時29分52秒
返信・引用
  これも相模原市のお城。

寺院の背後にあり、多数の堀切で区画された連郭式の山城である。

こちらも神奈川の戦国城郭としては、まともな遺構を残している方である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/sagamiharasi01.htm#komatu
 

上の山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時28分42秒
返信・引用
  これも相模原市のお城。

本格的な千石城郭が少ない神奈川県にあって、めずらしく技巧的な山城である。

あまり有名ではなく、歴史も不明だが、ぜひ訪れてみるべきお城である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/sagamiharasi01.htm#ue
 

伏馬田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時27分14秒
返信・引用
  相模原市のお城。

戦国期の山城である。地元の人に愛されているらしく、あちこちに案内板があり、登山道もハイキングコースとして整備されている。

しかし、遺構はたいしたことはない。

それよりも、おそらくこの山であろうと思うが、足首を7カ所ほどもヒルに吸われてしまった。

神奈川の山を歩く際は、ヒルに要注意である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/sagamiharasi01.htm
 

田代城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時24分47秒
返信・引用
  これも愛川町のお城。

細野城とすぐ向かい合った丘陵にある。谷戸式城館であったようで、主要部は中学校の敷地となっている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/aikawamati.htm#tasiro
 

細野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時22分58秒
返信・引用
  これも愛川町のお城。

津久井衆の一人、内藤氏の居城と言われている。

こちらも単郭ながら、まあまあ遺構を残している。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/aikawamati.htm#hosono
 

小沢城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時21分20秒
返信・引用
  神奈川県愛川町のお城。

長尾景春の乱で、長尾方の武将が籠城して耐え抜いた城。

単郭ではあるが、わりと守りやすい城郭であったようだ。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/aikawamati.htm
 

厚木城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時19分39秒
返信・引用
  神奈川県厚木市のお城。

神社の境内になっており、平城ながら堀の跡がかろうじて残されている。

都会にある城としては、わりとよく残っている方であろう。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/atugisi.htm#atugi
 

丸山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時14分9秒
返信・引用
  神奈川県伊勢原市のお城。

丸山城址公園となっており、やっと城址としてまともに認識されている城に遭遇した。

整備された公園となっているので散策は楽ちんである。

戦国期の城と言われているようだが、構造は単純なものである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/iseharasi02.htm
 

鐙摺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時12分39秒
返信・引用
  神奈川県葉山町のお城。

海に面した独立丘であるが、城としては小さすぎ、現地での呼び方も旗立山である。

伊東祐親が処刑された場所でもある。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/hayamamati.htm
 

佐原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時11分0秒
返信・引用
  これも横須賀市のお城。

三浦義明の弟、佐原義連の居城とされているところである。

やはり、それらしい遺構がないうえに、立ち入り制限されている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm#nuta
 

怒田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時09分29秒
返信・引用
  これも横須賀市のお城。

同じく衣笠城の支城で、こちらは発掘の成果から、13世紀の城という報告もされている。

公園となっているのだが、県指定史跡吉井貝塚としての位置づけがメインであり、貝塚の案内がたくさん立てられている。

「堀のせいで貝塚の一部が破壊されている」など、どちらかというと中世城郭は迷惑な存在であるかのような書きぶりである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm#nuta
 

大矢部城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時06分37秒
返信・引用
  これも横須賀市のお城。

衣笠城の至近距離にあり、衣笠城の支城と言われている。こちらも、ほとんどまともな遺構がないが、鎌倉時代の城であるから、こんなものだろうと理解。

市営霊園の中にあり、駐車場から登城道が付いている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm#ooyabe
 

衣笠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時04分41秒
返信・引用 編集済
  神奈川県横須賀市のお城。

三浦氏の本拠地で、三浦一族滅亡の城としてよく知られている。

城らしい遺構がないので、本当に城なのかどうか、疑問の声がよく聞こえてくるが、戦国時代の雄大な遺構を持った城と比較してしまうからである。

鎌倉時代初期の城としては、こんなものなのではないだろうか。むしろ、鎌倉時代の山城の恰好なサンプルとすべきものではないかと思う。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm
 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)21時22分34秒
返信・引用
  > No.5190[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

> 余湖図5555城は、通過おめでとうございます、かな。

ありがとうございます。そうして励ましてくださる人がいたので、なんとか投げ出さずにここまでやってこれたのかなあと思います。

このところ、またやっとぼちぼち活動できるようになってきました。『続図説』がこの時点で開始だったら、もっと皆さんのお力になれたのになあと思いますが、それはそれでいい本ができたので良かったと思います。

「12月2日は休むよ」と今から宣言しているので、おそらく12月2日は参加できると思います。

ずっと質よりも量優先でやってきていますが、おっしゃる通り、私の図はどこに引用されても見る人が見れば分かると思います。でもそれを自分の作品のように使用している人が相変わらずいたります。

このところ体力・気力共に次第に衰えてきているなあということも感じます。私のホームページも、次第に晩年に近づいているのは間違いありません。

でもまあ、まだしばらくは頑張ってみたいと思っています。

それではまたです。
 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)21時15分48秒
返信・引用
  > No.5189[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

長政殿、こんばんは。長政殿に言われて尻八館に行ってみたくなってしまい、矢も楯もたまらず、青森まで700キロを走ってきました。

例の展示、東京でも開催されるのですね。時間があれば行ってみたいです。

>
>   5555城ですか。ついこの間3000城を超えたかと思ったのですが、相変わらずの精力ぶり感服する限りです。こうなったら10,000城目指すしかないですね。
>  廃城を行く5も楽しみにしています。
>

10000城は無理でしょうね。私にそれだけの時間が残されているとは思いません。それでももう少しは地道にやっていきたいなと思っています。

まあ6000城くらいは確実にいくでしょうね。6000城目はどこの城になるのかなあ。

「相変わらずの」というよりは、ここ何年間か、あまりお城には行けなかったのが、このところやっと余裕が出てきた、といったところです。

とはいえ、今は土曜も仕事になることが多いので、昔のようには出かけられませんね。

それではまたです。
 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:ひづめ  投稿日:2017年 8月20日(日)16時51分11秒
返信・引用
  > No.5180[元記事へ]

余湖図5555城は、通過おめでとうございます、かな。

> それにしても、我ながら5555城もよく描いたよなあ、と思う。ここまで来るのに20年かかっている。最初に始めたころにはこんなに描くなんて思ってもいなかった。

わずか20年で、とも感じます。そしてその全部を訪問しているわけですから、それも凄い数字です。もう一つ素晴らしいのは、余湖図はどこで見ても見紛うことなく余湖図であることです。怪しい引用をされても絵自体が「余湖図だよ~!」と主張していますよね。

> 5000城以上も城の図を描いてみんなに公開している人って他にいないだろう。そういう意味では非常に奇特なことをしていると言ってもいいかもしれない。

そういう奇妙なことをやり続けてくれる人のおかげで、私たちのお城ライフも豊かになります。感謝です。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 8月20日(日)10時32分56秒
返信・引用
  > No.5180[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> 描きも描いたりといったところか。
> 余湖図5555城目のキリバンは青森市の尻八館である。長政殿に勧められてから、何とか行ってみたいと思っていた。青森の山城では1番と言っていいと思われる。



  5555城ですか。ついこの間3000城を超えたかと思ったのですが、相変わらずの精力ぶり感服する限りです。こうなったら10,000城目指すしかないですね。
 廃城を行く5も楽しみにしています。

 さて、先日の江戸始図。やはり、というか当然というか、いよいよ東京に来ます。今朝の朝刊に広告が出ていました。名古屋の徳川美術館での展覧期間が短かったので、江戸東京博辺りでやるのかと思いきや、日比谷図書文化館で9/19から。しかもタダ。松江市と千代田区の共催みたいですが、太っ腹な事です。詳しくは日比谷図書文化館のHPに出ているようです。

 松江市は半世紀前にこれまで「極秘諸国城図」の寄贈を受けていたのにずっと書庫に眠らせていたそうです。「真田丸」のドラマを契機にこの図面集が注目され、鑑定を依頼された千田先生が「江戸始図」を見つけ、それを更に徳川美術館の先生に見てもらい、1607年頃の図面ということが判明したそうです。千田先生は本も書いています(「江戸始図でわかった「江戸城」の真実、宝島社新書、共著)し、今回講演会も行うそうです。


 松江市は城の天守が国宝になったことと相俟って、鼻息荒いと言うか観光強化を図っているみたいです。いずれにせよ、新所見を元に江戸城の研究が進むことは良いことです。

 それではまた。
 

戦国の城を極める!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)04時30分24秒
返信・引用
  イカロス出版から『廃城をゆく』シリーズの第5弾が8月28日に発売されます。
今回はメインタイトルが『戦国の城を極める!』となっています。

今回からすべての城に縄張図と鳥瞰図が掲載されており、やっと城郭マニアが満足できるような内容になっていると思います。

それにしても、中世城郭のシリーズが第5弾まで出るとは、意外です。
こうした城郭に興味を持つ人が増えたんでしょうねえ。


 

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)04時23分39秒
返信・引用
  > No.5186[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。

雑誌への写真掲載、おめでとうございます!

それにしてもこういう雑誌が出る時代になったんですね。車で行ける山城とは、実に面白いところに着眼したものだと思います。

本屋さんで見かけたら、ぜひ手に取ってみたいと思います。

ところで、横尾さん、まだ先の話なのですが、今年の山城の日も連休になるので、どこか一泊で遠出してみたいと思っています。もしリクエストなどありましたら教えてください。

それではまたです。
 

雑誌社から協力依頼

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 8月19日(土)21時52分58秒
返信・引用
  ある雑誌社から「山城さんぽ」という雑誌の発行のために、私のブログの紹介している、写真を使用したいとの連絡があり了承致しました。長年、ブログを続けてきて雑誌社の目に留まったようで、うれしく思っております。「山城さんぽ」が店頭に並びましたら、購入して頂けたらと思います。好評であれば続編が出るかもしれません。
 山城めぐりでは麻績古城、麻績新城、青柳城、安坂城を紹介いたしております。
写真1 雑誌になる予定の表紙
写真2 青柳城
写真3 青柳城南城壁の石垣

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

日ノ沢舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時53分25秒
返信・引用 編集済
  これも田子町のお城。

南部家臣日ノ沢氏の居城である。

広大な台地の先端部を利用した単郭の城であるが、こちらも周囲を巡る堀の大きさに圧倒される。これだけの堀を掘るのにどれだけの手間がかかったことだろうか。気が遠くなりそうである。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm#hinosawa
 

田子舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時51分43秒
返信・引用
  これも田子町のお城。

南部家臣佐々木氏の居城であるが、後には南部氏の隠居城として使用された。

戦国期から近世にかけて活躍した南部信直・利直の親子は、ともにここで生まれたという。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm#tatuko
 

原館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時50分2秒
返信・引用
  これも田子町のお城。

南部家臣原氏の居城である。こちらも単郭で、石亀舘のように広大ではないが、主郭周囲の堀切の大きさに圧倒される。種里城に匹敵する巨大さである。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm#hara
 

石亀舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時48分53秒
返信・引用
  青森県田子町のお城・

南部家臣石亀氏の居城。

単郭ではあるがけっこう広く、わずかに残る堀切跡がかつての威容を想像させる。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm
 

高屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時47分28秒
返信・引用
  これも青森市のお城。

国史跡となっているが、古代の集落跡のようである。吉野ケ里遺跡のように、堀の内側が低くなっているのが古代の城の特徴なのだろうか。

現在整備中であり、あと1,2年たってから訪れた方がよいと思う。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/aomorisi01.htm#taka
 

余湖図5555城目!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時45分59秒
返信・引用
  描きも描いたりといったところか。
余湖図5555城目のキリバンは青森市の尻八館である。長政殿に勧められてから、何とか行ってみたいと思っていた。青森の山城では1番と言っていいと思われる。

それにしても、我ながら5555城もよく描いたよなあ、と思う。ここまで来るのに20年かかっている。最初に始めたころにはこんなに描くなんて思ってもいなかった。

5000城以上も城の図を描いてみんなに公開している人って他にいないだろう。そういう意味では非常に奇特なことをしていると言ってもいいかもしれない。

あとどれくらい描くことになるのだろうか・・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/aomorisi01.htm
 

泉山館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時41分56秒
返信・引用
  青森県三戸町のお城。

間口側の河岸段丘上に築かれている。北側と腰曲輪、南側を二重堀切によって分断しているが、珠海ロードが主郭を突っ切っており、これによって分断されてしまっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/sannnohemati02.htm
 

比良ヶ崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時40分16秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

当地に入部した南部氏が最初に築いた城郭であるという。

かつて中学校の敷地となって遺構はあまりないが、それなりの雰囲気はある。周辺に支城群もある。

南部町はこれまで紹介した以外にもいくつもの城館を訪れたが、あとのものには見るべき遺構はなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati02.htm#hira
 

聖寿寺館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時37分33秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

南部氏初期の拠点城郭であり、国指定史跡となっている。

そのため近年、案内所まで設置されておりなかなか親切である。

城内もこれから整備が進んでいきそうな予感がする。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati02.htm#sei
 

相内館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時35分53秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

遺構はそれほどパッとしないが、鎌倉時代に当地域に入部した南部氏が初めて入城した城で、ここで地元の豪族たちと主従の契りを結んだという。

一夜堀とも呼ばれているが、堀がどこにあるのかは分からなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati02.htm
 

上名久井館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時34分2秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

下名久井館が大規模な城館だったので、こちらも期待したのだが、こちらはあまりぱっとしなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#kami
 

下名久井館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時33分3秒
返信・引用 編集済
  これも南部町のお城。

多数の郭から成り立っており、城下集落も取り込んだ大規模なお城であった。多数の城跡を残す南部町でも最大のものである。

郭ごとに〇〇館と書かれた標柱が立てられているのがうれしい。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#simo
 

古館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時31分7秒
返信・引用
  これも南部町のお城。福田舘に移る前の城館であったと言われる。

小規模で厳島神社の境内になっているが、二重堀がきちんと残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#hurutate
 

福田舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時26分34秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

瑞泉寺の境内となっている。遺構はだいぶ破壊されてしまっているが、西側の二重堀は現在でも残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#hukuda
 

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