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布袋岡城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年12月21日(木)21時06分11秒
返信・引用
  余湖さんの縄張り図を見て、鹿沼市(旧都賀町)深沢にある布袋岡城に行ってきました。
規模が大きく、素晴らしい山城ですね。シイタケ栽培をしている東側の畑から、城門で入るようになっていますから、その上にも大きな曲輪が階段状に作られていますので、地方豪族の山城ではなく、北条氏の手が入っていたのではないでしょうか。この山城はお勧めです。
写真1 本丸、奥の瘤から詰め丸へ行けます。
写真2 本丸東下の腰曲輪の南虎口から大きく建て掘りが下り、これを通路として二の丸に繋いでいます。大兵力の移動がスムースであったと思われます。
写真3 本丸東城壁を見上げています。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 
 

Re: 伊奈氏屋敷跡

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月18日(月)04時37分47秒
返信・引用
  > No.5310[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

初めまして! 情報ありがとうございます。

伊奈氏屋敷ですか、10数年前に訪れたきりですので、なんだか懐かしいです。

私が訪れた時には、所有者の方が遺跡指定に反発していたのか、立ち入り禁止の立て札があちこちに立っていて、気分的に訪れにくい城址でしたが、和解が成立したようで何よりです。

発掘調査が行われていたとは知りませんでしたが、できれば行ってみたかったなと感じました。土日も仕事が入ることが多いので、なかなか出かけられないのですが・・・・。

伊奈氏陣屋では確か畝堀も発見されていると思うので、陣屋以前の城郭構造物がどのようなものであったのか、興味が惹かれるところです。

それではまたです。


 

伊奈氏屋敷跡

 投稿者:あんけん  投稿日:2017年12月17日(日)17時15分51秒
返信・引用
  はじめまして、いつも城跡訪問時に参考にさせて頂いており、大変参考になってます。

昨日伊奈氏陣屋で二の丸の現地説明会がありましたので行き、その後の周回ツアーも参加しました。同日開催の蓮田市新井堀の内遺跡とハシゴの方も多くいた様です。

住民の方々との和解もなったのか、史跡指定反対の看板はもうありません。また散策路を倉屋敷北部の掘底に設けて見学もし易くなっており、来年2月にも再度散策路整備予定だそうです。

案内板と石碑の背後が二の丸ですが、後ろの盛り土は近年トラックで運び込まれた土と地元の方が仰ってましたが、今回の発掘でそれが証明され曲輪の真ん中は平らな場所だった事が判ったそうです。ただ場所が南端過ぎるのか陣屋を築いた時代の地面が浅く、その下に旧城郭であった痕跡は見つかっておりません。
1郭と2郭との間の切り通しの通路ですが右の土塁の更に右、東側に掘跡があるので曲がり角を挟んで堀が繋がり、ここが陣屋前の城郭時の虎口と通路であったのではないでしょうか。

表門は絵図で東側だった事が判明してるため標柱は抜かれ、新しい解説板だけがあります。ツアーでは旧表門跡も周りました。

頭殿神社のある曲輪は城内側に土塁が残っており、また陣屋跡との間の折れのある空堀の規模から、もしかしたら搦手の詰めの丸的な場所かもしれないとの事でした。

長文で失礼しました。
 

Re: 鴨沢要害!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月12日(火)04時34分49秒
返信・引用
  > No.5308[元記事へ]

yamaさんへのお返事です。

茨城大学では、たいした話はしていません。自己紹介程度のものでした。

北条早雲は近年では井原市出身であるという説が根付いてきているようですね。昔はただの素浪人と言われていましたが、足利幕府に仕えた有力氏族の伊勢氏の出身で、名称も伊勢盛時とか伊勢宗瑞とか呼ばれることの方が多いようです。

神奈川には、彼の築いた城郭というのがいくつか残されています。鴨沢要害は、その1つになるわけですが、いかにも陣城といった程度の普請で、それほどちゃんとした城郭ではないです。

それではまたです。

 

Re: 鴨沢要害!

 投稿者:yama  投稿日:2017年12月10日(日)18時01分42秒
返信・引用
  > No.5301[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

茨城大学のセミナーに、聞き手ではなく、話し手として参加されたのですね。
すごいですね。日頃の研究と訪城の成果ですね。

北条早雲の話があったので、また食いついてしまいます。
先日、津山森家の改易された森衆利の墓を紹介しましたが、この墓がある井原市は
北条早雲の出身地という説が有力です。名は伊勢盛時、室町幕府の足利氏の有力家臣の伊勢氏の一族です。・・・私も知りませんでした。学生の時に習ったときは出自不明の浪人だったのですが、そのころよりも研究がすすんでいるようです。さらに本人は「北条」を名乗ってないとか。
井原市も「北条早雲」をアピールしているようですが、まだあまり知られてないみたいです。

ついでに井原市のことを紹介すると
・津山藩改易のあと、先代藩主が存命だったので、2万石で森家としては存続、西江原藩。そのあと、赤穂藩に移り、西江原は御三卿一橋家の領地になった。
・那須の与一が、源平合戦の功で井原市あたりの荘園をもらったので、那須の与一の墓もあるとか。

けっこう売りにできる観光資源があるみたいですが、宣伝が上手でないようです。

かくいう私も森衆利の墓はたどりつけましたが、ほかの史跡はどこかわからずじまいでした。


> 神奈川県中井町のお城。
>
> 伊勢宗瑞(北条早雲)が相模進出を意図して築いた城で、いかにも陣城的な雰囲気を感じさせる城郭である。
>
> しかし、早雲の城とは言え、世間からはすっかり忘れ去られているようで、城内には案内板も何もなく、ほぼヤブ状態である。
>
> http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/nakaimati01.htm

http://mahoroba.city.ibara.okayama.jp/detail_j.php?offset=27&rows=83&whstr=&taisho=jin&whstr3=&nameJ=&key_wJ=&mokujiJ=&ageJ=&pageJ=

 

Re: 兵庫中部の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月10日(日)08時04分24秒
返信・引用
  > No.5306[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

兵庫に行かれましたか。私も先月行ったばかりです。タイムリーですね。

岩男城の石垣は見事でしたね。ただ、主要部の狭さにはびっくりしました。天守台があり瓦まで散乱しているから、ちゃんと天守もあった城だと思うのに、あれでは物見の砦レベルの狭さです。3000石程度の領主だとあんなものなのでしょうか。それでもあれほど石垣を詰めるというのも意外です。石垣はおっしゃるように、山麓へも見せるためのものでしょうね。

秀吉本陣は、国指定史跡だけあってそこそこ整備されており案内もしっかりしていますが、遺構はそれほど大規模なものではなかったですね。ただ、三木城の側の斜面は急崖になっており、自然地形にかなり頼ったものだったのだろうと思いました。

他の付城は回りませんでしたか? 付城群は、比較的近場にたくさんあって、しかも道路から数分で到達できるものがけっこうあるので、短時間でたくさん回ることも可能です。とくに高木大塚城は、平城ながら非常によく残っていて、お勧めです。

法界寺上付城もなかなか技巧的です。

野間城、長水城、篠の丸城、山崎城は、行ったことがありません。また機会があれば、この情報を基に訪れてみたいものです。

それではまたです。

 

兵庫中部の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年12月 9日(土)14時57分51秒
返信・引用
  先日兵庫に行ってきました。見て来たのは岩屋城、野間城、三木平井山の上付け城、長水城、篠の丸城、山崎城などです。ただ、最近寄る年波か山登りのスピードが落ちたせいか、それぞれ結構時間がかかり、中道子城と龍野鶏籠山城には行けませんでした。

岩屋城は石垣が立派で、城域自体はそれ程広くないけれど、石塁と重層建築物で勢威を見せ付ける狙いがあったのでしょう。

それに対し野間城にも石垣があるのですが、こちらは土留め、石積です。前者が織豊系、後者が在地系といったところでしょうか。その辺りの違いは興味深いものがあります。

余湖さんも行かれた、三木平井山の上付け城は黄昏迫る中、駆け足で回りました。周回コースから外れた最高所までは間に合わず、暗闇迫る中途中で戻りました。おまけに三木市内は交通量が多いのに道が狭かったり踏切があって車の流れが悪く他の付け城や三木城には行けませんでした。

翌日行った長水城は、本丸の高石垣がウリの城ですが、正直なところ石の加工度が高く、反織豊勢力の持ち城で落城、その後入封した木下氏が山崎城を築きこの一帯を治めたことを考えると、城ではなく寺と民家が出来た時のものではないかと思います。解説板では積み直していると記していますが、そもそも城があったときには無かったではないでしょうか。
加えて、尾根上の一部郭には民家を通らないといけないのですが、ご不在のようでしかもネットで通れないようになっていたので断念しました。登りが結構きつかったことと相俟って、消化不良のモヤモヤを抱えて降りてきました。

一方、その次に行った篠の丸城は横堀や畝状阻塞、方形居館風な縄張の主郭など随所に見るべきものがありました。でも、丁度この頃は城のある山で紅葉祭りが催され、駐車場は満車。とめる場所を探すのに苦慮しました(こういうとき、軽自動車は割りと隙間を見つけてとめられるので重宝します)。嫌な予感がしたのです、「紅葉祭り臨時駐車場はこちら」みたいな立て看を見たとき。
麓の山崎城ですが、今回他にも大名陣屋(三草、小野、安志)に行ったのですが、碑等があるばかりで、唯一紙屋門の辺りに藩政時代の雰囲気が出ていました。

いよいよ師走。今月は週末忘年会が続き、夜行バスでの遠出が出来ません。年明けまた関西を中心に回ろうかと思っています。その節は余湖さんの図面も参考にさせていただきます。

少し早いですが、良いお年をお迎え下さい。
 

土曜アカデミー終了!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月 2日(土)23時35分45秒
返信・引用
  茨城大学でのセミナーに参加しました。

私は本来出席できない予定だったので、たいしてお話をすることはできませんでしたが、それでもとても楽しい1日を過ごすことができました。

ヤブレンジャーの仲間たちが集まったのも久しぶりです。

高橋先生をはじめとする茨城大学の皆さん、そしてヤブレンジャーの仲間たち、ありがとうございました!
 

茨城の城のセミナー!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月 1日(金)22時03分13秒
返信・引用
  明日、茨城大学で、茨城の城についてのセミナーがあります。

私も行ってみようかと思っています。

http://www.lib.ibaraki.ac.jp/news/index.php?id=202
 

Re: ついてなかった鎌倉

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月30日(木)04時22分53秒
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  > No.5302[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

それは残念でしたね。それにしても観光地である鎌倉で、日曜が休館日であるとは、まったく意外です。だいたいそのような施設は月曜休館が多いものと認識していましたが、鎌倉では違うのですね。

昨今はさまざまな施設でライフワークバランスが取りざたされているので、近年に何らかの変革があったのかもしれません。

鎌倉の城址の情報、ありがとうございます。

鎌倉の城址は私はまったく分かりません。神奈川は市街地化が進んでおり、城址が立入不可になっているところが少なくありませんね。なかなか難しいところです。

それではまたです。

 

ついてなかった鎌倉

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月29日(水)23時40分34秒
返信・引用
  先週の祝日、幻の寺、永福寺の発掘成果の展示が、鎌倉市教委が運営する歴史文化交流館であったので行ってきました。平等院、無量光院と並ぶ比翼の浄土建築の遺跡で、予てより注目していました。
でも何と休館。

よく確かめずに行った私が悪いのは重々承知しているのですが、歴史文化財の観光で成り立っている鎌倉市で、公的展示施設が日祭日休みとは努々思わず、がっくり。
オマケに少し離れた金沢街道沿いの永福寺跡の野外展示公園も閉まっていました。何でも大雨注意報でたので休園とのこと。ただこの日の天気予報では午前のみ雨で午後は晴れでした。事実、私が赴いた昼頃、お天道様が顔を出してすっかり小春日和。

わざわざ来たのに、すっかり鎌倉が嫌いになりました。

それでも、時間が空いたので杉本城と住吉城に行ってきました。

杉本城は鎌倉の地形図を見ると東からの侵入を阻む絶好のロケーションにあり、誰が見ても城を造りたくなる場所です。残念ながら杉本寺の境内までしか行けませんが、雰囲気は十分味わえました。後でネットの地図などを見ると、裏の二階堂方面から階段道が城の北直直下まで来ている様です。でも、私有地で入れないのかもしれません。

住吉城は、海沿いの小坪道を扼する絶好のポジション。ただ此処も山上はマンション等が建っており立ち入り不可。でも、この付近は余りに急崖で頂は物見にこそなっても、東からの侵入者に即応することは無理。寧ろ正覚寺やその背後の住吉神社辺りのひな壇に兵が屯していたと思います。住吉神社背後に現存する隧道が、鎌倉~戦国時代まで遡れる代物だとこの問題はクリアになりますが、流石に違うでしょう。

鎌倉市の観光地らしからぬ運営で、城を見に行く時間が出来たとは皮肉な話です。
 

鴨沢要害!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月26日(日)08時49分20秒
返信・引用
  神奈川県中井町のお城。

伊勢宗瑞(北条早雲)が相模進出を意図して築いた城で、いかにも陣城的な雰囲気を感じさせる城郭である。

しかし、早雲の城とは言え、世間からはすっかり忘れ去られているようで、城内には案内板も何もなく、ほぼヤブ状態である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/nakaimati01.htm
 

足柄山城塞群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月26日(日)06時36分38秒
返信・引用
  箱根周辺のお城。

浜居場城など、足柄峠周辺の尾根道に点在する砦群を歩いてみた。

遺構的にはどれもたいしたことはないのであるが、浜居場城には城掟が残されているので、一度は来てみたかったのである。

現在、ハイキングコースが付けられているのだが、基本的にハイキングコースは城内を通らないようになっているので、砦を訪れたい人は要注意である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/minamiasigarasi.htm#asigara
 

Re: 三日月陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月25日(土)07時06分52秒
返信・引用
  > No.5297[元記事へ]

yamaさんへのお返事です。

津山藩改易に関する情報、ありがとうございます。森家も由緒ある大名ですから、細々とでも存続していた一族がいたというのはうれしいことですね。

『斬り抜ける』はあくまでもフィクションですので、実際の改易話とはまったく関係がありませんが、とても懐かしかったので書いてみたという次第です。

それではまたです。


 

Re: 三日月陣屋!

 投稿者:yama  投稿日:2017年11月23日(木)23時49分42秒
返信・引用
  > No.5284[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

こんにちは。いつも創作活動に精力的な方と感服しております。

津山藩改易という言葉を聞いて、「斬り抜ける」は知らなかったのですが、改易された本人の
森衆利を思い出しました。墓は岡山県井原市にあります。

井原市のサイトでは関衆利となっています。関家は森家の一族のようです。
津山藩森家改易後も森2家、関1家が小大名として幕末まで残ったようです。

http://mahoroba.city.ibara.okayama.jp/detail_j.php?offset=27&rows=83&whstr=&taisho=jin&whstr3=&nameJ=&key_wJ=&mokujiJ=&ageJ=&pageJ=

 

Re: 雨引山城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月22日(水)04時21分23秒
返信・引用 編集済
  > No.5295[元記事へ]

栃木県の中世城郭さんへのお返事です。

こちらこそ、ご無沙汰しております。

情報ありがとうございます。

雨引山に城郭遺構があるとの情報はだいぶ以前に聞いていたのですが、なかなか行けずにいました。やはりちゃんと城郭が存在していたのですね!
雨引山については遺跡地図にも記載されておらず、まったく未知の城郭扱いなんですよね。

横堀がしっかりと廻らされているなど、なかなかしっかりと造られているように見えます。私も機会があれば行ってみたいです。

栃木も茨城も、このところ、すっかりご無沙汰しているのですが、そのうちまたでかけてみたいものです。

それではまたです。

 

雨引山城

 投稿者:栃木県の中世城郭  投稿日:2017年11月21日(火)19時55分21秒
返信・引用 編集済
  ご無沙汰しております。栃木県の中世城郭です。
本日、真壁城と真壁城の移築城門・黒門を見に行こうと、久しぶりに茨城へ女房と出かけました。
黒門の移築先、雨引観音様の場所をPCで確認していると、観音様の裏山の雨引山が城跡っぽいという、山登りブロガーの記事にぶち当たりました。
本日、期待もせず登ってみたところ、これがとてもりっぱな城跡でした。
山頂で出会った地元のご老人もご存知なく、地元の伝承等は無いようです。
すでにご存知かもしれませんが、茨城の城郭1,2や城郭大系にも掲載されていないので、恥ずかしながら一応投稿してみました。
縄張り図道具の持ち合わせもなく、記憶イメージで書いた図面も載せておきます。
 

Re: 三江線と安芸高田の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月21日(火)04時25分11秒
返信・引用 編集済
  > No.5293[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

広島のお城の情報、ありがとうございます。広島については、まだ実際に訪れている城の数はあまり多くなく、そのうち行ってみたいと思っていますので、参考になります。

それにしても、廃線まじかのローカル線がそれほど混んでいたとは驚きですね。普段からそんな風に乗ってくれる人がいれば廃線にはならないのでしょうが・・・・。

兵庫のお城、なかなか良かったです。やはりお勧めは八木城ですね。八木城にしても、八上城にしても、中道子山城にしても、朝のうちは雲海が出ており、早朝に登れば、城から雲海を見下ろすことができそうです。竹田城に行かなくても、但馬辺りでは雲海は当たり前のように見られるのですね。

改修後、初めて訪れた姫路城もよかったのですが、駐車場に入るのに30分待ち、天守に入るのには1時間待ちで、かなり混んでいました。団体ツアーで訪れている人たちは、ガイドに「天守に行くとバスに戻る時間に間に合いませんよ」とアナウンスされてしまう混雑ぶりです。姫路城をメインに回るツアーなのでしょうが、これでは姫路城まで来た意味がありませんね。

それではまたです。
 

三江線と安芸高田の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月21日(火)00時41分2秒
返信・引用
  先日、島根県と広島県に行って来ました。島根県は来春廃止が決まっている三江線に乗ること、広島県は安芸高田の城を巡ることが目的でした。

三江線、私みたいなモノ好きが休日は押し掛けると思いわざわざ平日休みを取っていったのに、何と超満員、乗車率200%。私みたいなモノ好きの単独行に加え、グループ客、敬老会に婦人会、ナントカ健康会などの団体客。とどめは旅行会社のバスツアーの一部に体験乗車が組み込まれていた。

全く目論見が外れました。

それでも、かの天空の城ならぬ天空の駅、宇都井駅で夕方下車、周囲を散策し2時間後の終電(といっても19時台)で広島方面に向かいました。流石に夜の電車に団体客はなく、モノ好きの単独行5人のみでした。ただ、平日19時台の鉄道に通勤通学客が皆無とは、三江線自体周辺住民のインフラとしては機能していない訳で、廃線も止むを得ないのかもしれません。

安芸高田の城は、五龍城、猿掛城、青山城に行きました。郡山城は昔行ったことがあるので今回はパスです。

五龍城は石積や二重堀切など見所が多く、人間の手が入り藪化しておらず歩きやすい城です。人頭大の石がかなり散乱していたので、往時は石垣が相当施されていたことでしょう。廃城を行く2でも紹介されていましたが、郡山城に次ぐ見所の多い城だと思います。

猿掛城は元就幼少期の城ということで、規模自体はそれ程大きくないものの有名ですよね。出丸~物見丸まで遺構が良く残り楽しめました。ただ、主郭から南の大堀切、物見丸に行こうとすると、色々な資料で紹介されている主郭から南東に下りる道は無くなっています。ただ、見下すと数メートル下には道らしきものが見えたので、何とか草木を掴み掴みしながら下りました。大堀切の先の畝状阻塞も必見です。

青山城は陣城ながら中心部は結構手が込んでいて、尼子勢の本気度が覗えます。ただ、城に行く道は未整備です。今回は、北東から尾根上を進みました。台地の北東突端脇に墓地に上がる舗装道があり30mほど上がると右に大日堂という仏堂に上がる階段が出てきます。そこを上がり仏堂正面右手約40m先が城の尾根の北東端です。そこを稜線に沿って登りました。5mも上がると杣道らしきものが残っていて、若干低木の枝が気になりますが藪化しておらず、遺構をよく見ることが出来ました。

それにしても「安芸高田お城発見」(安芸高田市歴史民俗博物館刊)は中々良く出来ていてこの地域の城を見る場合、必携の書だと思います。

来週は兵庫の城に行きます。少し時期がずれていれば、城跡でばったり、なんてこともあったかもしれませんね。早速余湖さんの図も参考にさせていただきます。

それではまた。
 

淡河城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時30分9秒
返信・引用
  神戸市北区のお城。

三木城攻城戦に関連して、淡河城も包囲され、いくつかの付城が築かれたという。

現在は主郭のみが残され、復元された櫓がそびえている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/koubesi01.htm
 

その他の付城群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時10分25秒
返信・引用
  法界寺付城の周囲には他にも国指定史跡の小規模な付城が何カ所も残っており、短時間でざっと見て回ることが可能である。

中でも高木大塚城は、市街地の真ん中にあり、折れを伴った複雑な土塁が見どころとなっており、おすすめである。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#ootuka
 

法界寺上ノ山付城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時08分52秒
返信・引用
  三木城付城群の1つ。数ある付城の中でも最も技巧的と言われているものである。

こちらも登城口の案内板のところにパンフレットが置いてあってとても親切である。しかし、土塁の規模などはそれほど大きなものではない。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#houkaiji
 

伝竹中半兵衛陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時06分57秒
返信・引用
  秀吉本陣のすぐ北側にあり、竹中半兵衛陣と伝承されているものらしい。しかし、実際には竹中半兵衛の陣などではない。

一番近くに接近できるルートは現在立入禁止となっているので、訪問には注意が必要である。

竹中半兵衛は実際にはたいした人物でなかったという説もあるが、そんなことはないと思う。そのことについても考えてみた。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#takenaka
 

秀吉本陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時04分44秒
返信・引用
  三木城付城郡のつ。三木城自体は現在では遺構をあまりよく残していないが、周囲には60カ所にも及ぶ付城と土塁群が残されており、一部は国指定の史跡となっている。

その中でも代表的なのが秀吉本陣である。案内板や駐車場、散策ルートも示したパンフレットなどもあり、とても親切である。三木城に訪れたら、ぜひ付城群も訪れてみたい。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm
 

中道子山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月16日(木)04時38分13秒
返信・引用
  兵庫県加古川市のお城。

中道子とは変わった名称だが、かつてここに中道寺という寺院があったことにちなんだ名前である。

中腹まで舗装された車道が付けられており、終点には駐車場もあるのだが、輪留めがしてあって車で行けなくなっている。そのため車道を延々と歩かなければならないのがつらい。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kakogawasi01.htm
 

三日月陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時42分40秒
返信・引用
  兵庫県佐用町のお城。

津山藩改易の後に、森氏が1万石を拝領して築いた陣屋である。正面の門や櫓がよく残されており、なかなか雰囲気がよい。しかし、復元されているのはこれだけで、裏に回ってみるとなんだか張りぼてみたいだ。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kouduki.htm#mikaduki

ところで、津山藩改易という言葉を聞いて、かつての名作時代劇「斬り抜ける」を思い出してしまった。

「斬り抜ける」を知っている人は以下の動画を見て、懐かしい思いになりましょう!

https://www.youtube.com/watch?v=wgfs8gyMZiU

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2984541
 

山崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時38分33秒
返信・引用
  兵庫県宍粟市のお城。

池田氏6万石の居城だけあって、それなりの規模の城郭であったようだ。

埋門周囲の石垣が素晴らしく良く残っている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sisousi.htm#yamazaki
 

福本陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時37分18秒
返信・引用
  兵庫県神河町のお城。

池田氏1万石の陣屋である。建造物は残っていないが、庭園が残っており、この雰囲気がなかなか良い!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kamikawamati01.htm
 

朝倉城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時37分25秒
返信・引用
  これも養父市のお城。

朝倉氏と言えば越前の戦国大名として有名であるが、そのルーツは但馬国にあった。

但馬八鹿町朝倉が、朝倉氏発祥の地である。ということで、この朝倉城に立ち寄ってみた。

城は極めて小規模で、なんともかわいらしいお城なのであった。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm#asakura
 

八木土の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時35分50秒
返信・引用
  八木城からさらに比高80mほど登ったところにある。

以前は、八木城の古城と言われていたようであるが、かなりしっかりと造り込まれており、現在では八木城と同時に存在し、詰めの城として意識されていた城郭であったと言われているようである。

八木城に訪れたら、ぜひこちらにも立ち寄ってみよう!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm#tuti
 

八木城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時34分27秒
返信・引用
  兵庫県養父市のお城。

比高220mの山稜上に高石垣を築いた見事な遺構を見ることができる。登るのには多少の時間を要するが、登ってみれば雄大な遺構に感動できる山城である。

そして、この城でも雲海を見ることができるのであった!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm
 

Re: 柏原陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時31分12秒
返信・引用
  > No.5276[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

そうですね。資料館でいただいたパンフレットを見ると、後期柏原藩によって築かれた、といった書き方をしているので、前期柏原藩の陣屋は、もっと別の場所にあったということなのかもしれません。

ただ、その場所については、パンフレットには記されていませんでしたが。
 

Re: 秩父地方の城館についての誤り

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時27分24秒
返信・引用 編集済
  > No.5275[元記事へ]

デューク鷹さんへのお返事です。

> 突然で失礼いたしますね?①吉田の秩父氏館跡ですが、ここは、戦国時代の館せきで、畠山氏の先祖の秩父氏負ったのは、椋神社の現在は民有地になっている。川にかこまれたところで、居館は別名鶴が窪城ともいわれたという記事に誠に適しているところですよ。②秩父市久那どうそうかんは江戸時代の名主の屋敷ですよ。秩父市蒔田の郷代官の分家ですから。本家の系図に久那に遣わしたとの気述があります.

すみません。ご指摘はありがたいのですが、同を言っているのか内容が理解できません。文意がよく読み取れないのです。

後でよく調べてみたいと思います。
 

Re: 柏原陣屋!

 投稿者:狸屋  投稿日:2017年11月13日(月)20時52分1秒
返信・引用
  > No.5268[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

20数年前に行ったときに、どこで見たか忘れましたが、前期柏原藩(織田信包系)の居館の場所は
不明だが、柏原高校あたりではないかという本をみたことがあります。

普段は居館部に治世をしながら、神社として再建されたていたとはいえ、旧八幡山城やその稜線上を
取り込み、詰めの城とするのは。ある意味然るべき方法であるように思われ、今のような御殿ではなく
城郭としての機能があったではないかと感じるところがあります。

豊臣包囲網として、篠山城の前線基地のあったのではないか、それ故に豊臣氏滅亡後、さらに
世嗣断絶で、さっさと廃城にし、同じ場所に再建を許さなかったのではないかと思います。




 

秩父地方の城館についての誤り

 投稿者:デューク鷹  投稿日:2017年11月13日(月)06時10分49秒
返信・引用
  突然で失礼いたしますね?①吉田の秩父氏館跡ですが、ここは、戦国時代の館せきで、畠山氏の先祖の秩父氏負ったのは、椋神社の現在は民有地になっている。川にかこまれたところで、居館は別名鶴が窪城ともいわれたという記事に誠に適しているところですよ。②秩父市久那どうそうかんは江戸時代の名主の屋敷ですよ。秩父市蒔田の郷代官の分家ですから。本家の系図に久那に遣わしたとの気述があります.  

水上陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)22時38分20秒
返信・引用
  同じく豊岡市のお城。

こちらも出石藩から分地されたもので石高は1000石である。

北側に隣接する中学校が流しているスカボローフェアが、いやというほど耳についてしまう。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/toyookasi01.htm#minakami
 

倉見陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)22時37分1秒
返信・引用
  兵庫県豊岡市のお城。

出石藩から分地された小出氏2000石の陣屋である。

小規模ではあるが、石垣がしっかりと残されており、奥の高台には妙見神社が祭られている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/toyookasi01.htm
 

糸井陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時18分17秒
返信・引用
  これも朝来市のお城。

豊岡藩から分地した京極氏2000石の陣屋である。

石高は少ないが、石垣がよく残り、現存門もそのまま残っている。復元された白壁が目立っている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/asagosi01.htm#itoi
 

諏訪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時16分53秒
返信・引用 編集済
  兵庫県朝来市のお城。

先の朝日城と同様、規模のわりには妙に技巧的な城郭である。竪堀と横堀を組み合わせたルートなど、なかなか見どころが多い。

城主に関する伝承などが一切存在しないことからして、こちらもまた明智軍による陣城の可能性が高いと思われる。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/asagosi01.htm
 

朝日城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時14分40秒
返信・引用
  これも丹波市のお城。黒井城のすぐ正面にある。

もとは地元領主の居城であったようだが、それにしては妙に技巧的で、明智勢によって改修された陣城の可能性が高い。

ただ、北側半分が削られてしまっているのが残念である。

 http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm#asahi
 

岩尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時12分55秒
返信・引用
  これも丹波市のお城。

比高250mもの高い山上に、総石垣造りの城郭が存在しているというのもすごい。

本丸には天守台があり、河原が散布している。つまり本当に天守があったというわけである。

総石垣造りとはいえ、面積自体は非常に狭隘で、アンバランスな印象を受ける城郭である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm#iwao
 

柏原陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時11分6秒
返信・引用
  兵庫県丹波市のお城。

織田信包3万6千石、後には織田信雄の子孫の陣屋である。いずれにしても織田氏による陣屋であり、パンフレットには「織田の城下町」と銘打たれている。現地では織田の城下町であることに誇りを持っているようだ。

陣屋とは言え、現存する長屋門、御殿、太鼓櫓など、あちこちに見どころがあり、お勧めの城址である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm
 

Re: 北上、江刺の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)04時44分26秒
返信・引用 編集済
  > No.5266[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

お久しぶりです。

東北方面に行ってこられましたか? 私も今年は東北に何度か行く機会がありました。教えていただいた尻八城など、なかなか良かったです。

小柳川城、なかなか変わった造りですよね。上の方はヤブでしたが、整備されればかなりきちんとした城址公園になるだろうと思います。

岩崎城の模擬天守、撤去されていましたか。模擬天守好きの私にとってはとても残念なことですが、建築基準におそらく合っていなさそうな建物だったので、これは仕方のないところなのでしょうね。

古い時代劇を今見ると、なかなかすごいなあと思うことがあります。私は昔の大河で『樅の木は残った』を大人になってから見て、初めて「こんなすごい話だったのか!」と感動しました。演技も重厚で、今の役者では無理だよなあなどと思います。

先日は播磨・但馬の城を回ってきました。八上城に続いて、この後しばらくは播磨・但馬「の城の紹介が続きます。ただ、今週は土日共に仕事なので、少しずつしか更新できません。

それではまたです。
 

北上、江刺の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月11日(土)22時13分52秒
返信・引用
  ご無沙汰しています。

先週の連休を利用して盛岡から江刺、北上界隈の城を見てきました。余湖図のお世話にもなりました。ありがとうございました。

因みに・・・・

小梁川館
余湖さんのお勧めに従い行ってきました。中々面白い縄張ですね。因みに本丸から塩釜神社辺りまで樹木が伐採されています。本丸脇は工事用車両が入れるよう道が開鑿され、キャタピラーの跡も残っていました。かなり大掛かりな作業のようでした。公園化でもされるのでしょうか?それとも一寸した開発なのでしょうか?いずれにせよ樹木が無くなり遺構はよく分ります。

岩崎城
天守風公民館は破却済で本丸はフリーパスで入れます。


処で、話し代わりますが、最近BSで再放送されている大忠臣蔵にはまっています。三船敏郎以下豪華キャスト。今ならとても考えられない贅沢な布陣。興味深かったのは、場面に使われる城の数々。赤穂城は当然として、定番の姫路城、彦根城に並び名古屋城も使われています。東南隅櫓から本丸一の門の石垣上が撮影場所になっていました。本丸御殿が完工すれば、また名古屋城も時代劇で使われるようになるかもしれません。


それではまた。
 

大山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時06分36秒
返信・引用
  これも篠山市のお城。

現在は1郭の堀が残る程度であるが、かつては7つもの郭を連続配置された、なかなか大きな城郭であったようだ。

ほぼ平城なので、八上城を歩いた後に訪れる城としてはとても足腰にやさしい城だ。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm#ooyama
 

大渕館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時04分13秒
返信・引用
  これも篠山市のお城。

小規模ではあるが、土塁や堀が見事に残っておりなかなか素晴らしい。県指定の史跡である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm#oobuti
 

八上城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時02分58秒
返信・引用
  兵庫県篠山市のお城。

明智光秀に攻め落とされた波多野氏の居城として有名である。歴史上著名だということもあって、以前から来てみたかった!

遺構もすばらしいのだが、山麓を覆っていた霧が山に登るとともに薄れていき、山上が晴れているのに、山麓が雲海に覆われているという情景はなかなか感動的なものである。

雲海は竹田城の専売特許ではないのだ!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm
 

高岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時34分38秒
返信・引用
  高岡城という名前の城も各地にあるが、これは鈴鹿市のお城。

神戸氏に属した城で、永禄10年と11年に、2度にわたって織田軍の攻撃を跳ね返した城郭である。そのため信長は神戸氏との和睦を余儀なくされる。

といった感じで、歴史上知られた城なのであるが、あまり城郭らしい遺構には恵まれていない。台地の要害性だけが際立った城郭である。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/suzukasi.htm#takaoka
 

城山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時32分18秒
返信・引用
  これも津市のお城。宮山城のすぐ近くにある。

やはり土塁や堀が残されているが、その規模は小さく、急造された匂いがプンプンする。

宮山城と同様、羽柴軍による陣城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#siroyama
 

宮山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時30分7秒
返信・引用
  これも津市のお城。敏田神社のすぐ背後にある。

小規模ながら、折れを伴った土塁や堀が廻らされている。

天正12年に北畠氏の戸木城を攻撃した際の、羽柴軍による陣城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#miyayama
 

家所城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時28分45秒
返信・引用
  これも津市のお城。

安濃城、伊勢上野城と同様、長野氏一族の居城である。敬福寺の背後にあり、主郭周囲には充実した遺構が見られる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#iedoko
 

伊勢上野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時26分41秒
返信・引用
  これも津市のお城。伊賀上の城というのは有名だが、伊勢上野城というのもあるとは知らなかった。

安濃城とは対照的に、織田信長との和睦交渉を進めた分部氏の居城である。分部氏は戦国期をうまく乗り切り、幕末まで大名として存続している。

公園となっている部分の他に、台地先端部にも出城のような構造物が残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#ueno
 

安濃城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時23分59秒
返信・引用
  これも津市のお城。『信長公記』で名前だけは知っていたが、じっさいに訪れたのは初めてである。信長の伊勢侵攻に徹底的に抵抗した城である。

主郭は阿由田神社になっており、車で境内まで訪れることができる。

主郭周囲はよく残されているが、それ以外の部分の遺構はあまり明瞭ではない。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#anou
 

津城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時21分8秒
返信・引用
  三重県を代表する城郭である。

以前訪れた際にはカメラを持たずに写真撮影していなかったので、今回はスマホで何枚か撮影してきた。

市街地なのに雨のせいか、ほとんど人がいなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm
 

五箇篠山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時19分44秒
返信・引用
  三重県多気城のお城。津市周辺の町村の多くは平成の大合併で津市に組み込まれたのだが、多気町だけはなぜか独立している。

それにしても「多気」という地名には心惹かれる、常陸でも下野でも多気城というのは実に見どころのある山城であった。

五箇篠山城は南北朝時代からの山城である。多気城ほどではないが、遊歩道も設置されており、まずまずの見どころはあった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/takemati01.htm
 

霧山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時15分9秒
返信・引用
  これも津市のお城。北畠館の詰の城のさらに奥にある。

今回一番来てみたかったお城である。天気予報ではずっと雨模様なので、やめようかとも思ったのであるが、しっかりとした山道が付けられており、傘を差しながらでも十分に歩くことができた。来てよかった!

城はそれほど大規模ではないが、実に雰囲気がある。雨が降っているために霧が出てきて、文字通り霧山城状態となっていた。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi02.htm#kiriyama
 

北畠氏館・詰の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時12分56秒
返信・引用
  三重県津市のお城。

伊勢国守北畠氏の居館である。それにしても北畠氏はこんな山の中に住んでいたのかと思う。現在は津市となっている旧三杉町であるが、津の市街地からは40kmほどの山の中である。ここまで来る間の道はかなりの山道であった。

何といっても庭園が見どころであった。その上の詰の城までも、すぐに登ることができる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi02.htm
 

古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時10分3秒
返信・引用
  これも亀山氏のお城。

古城と書き「ふるしろ」と読むらしい。

峯城の近くにあるが、峯城の古城ではなく、峯城攻撃の際に構築された陣城ではなかったかと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kameyamasi.htm#kojou
 

峯城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時08分54秒
返信・引用
  三重県亀山市のお城。

城内には天守台や枡形など、見どころのある遺構が残されている。

天守台からは石垣や瓦も検出されているようで、実際に天守があったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kameyamasi.htm#mine
 

i市場城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時06分48秒
返信・引用
  保々西城の1.5km南東にあり、保々西城同様、朝倉氏の居城である。地元では朝倉城と呼ばれており、現地の案内板や城址碑にはすべて朝倉城とあった。

構造は保々西城とよく似ているが、屋敷地の遺構はかなり失われてしまっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/yokkaitisi.htm#asakura
 

保々西城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時58分56秒
返信・引用
  三重県四日市市のお城。保々西というのは変わった名称である。

北伊勢には、主郭周辺に屋敷地を配置した城郭がかなりあるのだが、その屋敷地までもが良好に残されているという点では、非常に貴重な遺構であり、北伊勢を代表する城郭と言っていいと思う。

公園になっているので駐車場やトイレも完備。旧状の裏から道がしっかりと付けられている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/yokkaitisi.htm#hobonisi
 

田光城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時56分9秒
返信・引用
  同じく菰野町のお城。

「田光」と書いて「たびか」と読むのが珍しい。なんとなく「スピカ」などといった名前と共通性を感じてしまい、先未来的な印象を受けてしまう。

城内には天守台や井戸、石積みなどもあり、なかなか充実した遺構を見ることもできる。そばに公会堂があるため、トイレや駐車場も完備している。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/komonomati01.htm#tabika
 

菰野陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時53分48秒
返信・引用
  三重県菰野町のお城。

もともとは中世城郭であったが、近世に入り陣屋として整備され、幕末まで存続した。幕末には幕府の権威が落ちたのを幸い、天守に代わる隅櫓を建造したりしている。

小学校の敷地となっているため、遺構の残存状況はそれほど良くはない。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/komonomati01.htm
 

治田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時51分56秒
返信・引用
  こちらもいなべ市のお城。

先の2城とは異なり、普通の山城といった趣の城郭である。しかし、山城としての要素は一通り備えている。

道がないのでテキトーによじ登っていくしかないのだが、この山にはヒルがけっこういるので注意! 長靴をはいていたから吸われずに済んだのだが、油断していればヒルにやられてしまう。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm#hatta
 

大井田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時49分49秒
返信・引用
  おなじくいなべ市のお城。「おおいだ」ではなく「おいだ」と読む。

台地先端部に主郭を持ち、そこから多数の屋敷地を配置している。主郭のみ梅林公園となっているが、あとは広いヤブである。

南側の台地にも遺構を残している。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm#oida
 

田辺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時47分53秒
返信・引用
  田辺城という名称の城は各地にあるが、これは三重県いなべ市のお城である。

北伊勢には主郭周囲に屋敷地を配置した城郭がいくつもあるが、そうした城郭との最初の遭遇となった。

デジカメを忘れてしまったのでスマホで撮影したのだが、バッテリーの持ちがよくないために、いつもより写真撮影ができなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm
 

Re: コアな山城へようこそ

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)20時52分1秒
返信・引用
  > No.5242[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

らんまる殿、こんばんは。、書き込みありがとうございます。

信濃も、訪問するのが、だんだんマイナーな城館になってきました。これというのも宮坂氏のん本があるからですが、まだまだ未踏の城が多く、信濃の城は奥が深いです。

らんまる殿は相変わらず、普通の人が訪れないような険しい山城を散策されているようですが、十分にお気を付けください。

おっしゃる通り、今年は雨が多いので、本当に城巡りには難儀しますね。実は先週の土日は遠征してきたのですが、終始雨に悩まされ続けました。

今年の信州は大雪ですか? すると年末や3月頃の城攻めは厳しいですかね。

それではまたです。
 

コアな山城へようこそ

 投稿者:らんまる  投稿日:2017年10月21日(土)08時13分10秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。

信濃はまだまだ落葉にもならず、藪が多くさぞかし難儀の訪城かと思われました・・(汗)
今年はカメムシが大発生しているので、この冬は大雪なるのでは?という里人の言い伝えがあります。その上、雨も例年になく多く秘境の山奥の城を残すのみの小生にとっては、休日の雨は恨めしい限りです(笑)

先日、梓川の水殿ダムの対岸の栃沢にあるという前人未到の「殿様小屋」を目指しましたが、藪に阻まれ来月に持越しとなりました。もはや山城探訪というよりは「特攻野郎Aチーム」状態(爆)遭難してお国に迷惑を掛けないようにと心掛けてはおりますが・・・。

では、またのレポート楽しみにしておりまするw
 

須立之城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時54分10秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。

集落からかなり奥に入り込んでいったところにある。犀川に臨む比高220mの山稜上である。

手前まで車で行くことも可能なのであるが、どうにもヤブが多くて、この時期ではまだちゃんと探索はできない。

この城の主郭にある看板、字がかすれて読めないなあと思ったのだが、よく見ると昭和54年に設置されたものであった。昭和54年と言えばまだ高校生だったころである。よくぞまあ、そんな古い看板がまだ立っているものだと思うと感慨深かったりする。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#sudate
 

石川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時31分48秒
返信・引用
  長野市のお城。

聖川に突き出した半島状台地に築かれている。縁部にはたくさんの石垣が見られるのだが、どこまでが遺構なのかよく分からない。

主要部は竹やぶに覆われてしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#isikawa
 

萩野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時30分12秒
返信・引用
  長野市のお城。

標高1200mもある地蔵峠から南に突き出した尾根上に築かれている。地蔵峠には駐車場があり、そこから派生するトレッキングコースの案内板も立てられている。

そのうちから萩野城コースを選んで歩いていけば城内に到達する。

このコース以外にも、陣場平コースを選んでいけば、葭雰神社物見、朝日城、小野平城なども訪れることができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi05.htm
 

小松原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時28分13秒
返信・引用
  長野市のお城。あまり知られていない歴史未詳の城であるが、主郭周囲を巡る横堀など、しっかりとした遺構が残されている。

天照寺の背後の比高170mもある山稜上に築かれている。宮坂氏が、この城を発見するまでの苦労話が『信濃の山城と館』のコラムに掲載されていて、宮坂氏の苦労をしのびながらの登城であった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#komatubara
 

吉窪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時25分51秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。

小田切氏の詰めの城である。しかし、周辺の道が狭いので、途中、運転していて不安になって今う。

大規模城郭とは言えないが、導入路はかなり技巧的であり、石垣もあちこちに積まれている。なかなか見どころのある城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm
 

竹の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時23分50秒
返信・引用
  これも須坂市のお城。

井上城の支城というべき城で、北東側に向かい合う山稜に築かれている。

尾根基部の方に乗越峠があり、かつての街道を押さえていた。この峠まで行ってしまえば、城まではすぐである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/susakasi01.htm#take
 

井上城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時22分27秒
返信・引用
  長野県須坂市のお城。地元豪族井上氏の詰めの城である。

大城・小城の2つの城域に分かれているのみならず、山麓近くには十九塙城もある。さらに山麓には井上氏関連の城館等の史跡があり、併せて回ってみるとよいだろう。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/susakasi01.htm
 

春山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時21分2秒
返信・引用
  長野市のお城。地元では「1に春山、2に尼巌、3に鞍骨」と伝えられ、尼巌城、鞍骨城をさしおいて、もっとも要害な山城であったと伝えられている。こんな山、本当は登りたくないのだが、そういう城では行ってみないわけにはいかないではないか。

蓮台寺から太郎山トレッキングコースを使って登っていく。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#haruyama
 

寺尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時18分41秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。金井山城と尾根続きの部分が接続している。

下に愛宕社があり、そこから登っていけばすぐに城内である。南北に長い山稜を連郭式に配置した山城で、主郭には城主の墓が置かれていた。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#terao
 

金井山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時17分1秒
返信・引用
  長野市のお城。尼巌山の下方の比高130mの山稜に築かれている。側面部が岩肌むき出しの堅固な山である。

山を登るのが嫌いなので、鳥居峠からアクセスした。するとすぐに城内に到達した。岩を利用した大規模な堀切など見どころが多い。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#kanai
 

竹山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時15分15秒
返信・引用
  長野市のお城。松代城のすぐ南側にある。

この山を象山という。佐久間象山は松代藩出身の蘭学者である。彼が象山なんていう号を付けたのは、代わった趣味の持ち主であったからだと思っていたのだが、実際はそういうわけではなかったらしい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#takeyama
 

Re: 町付城のこと

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月25日(月)05時15分55秒
返信・引用 編集済
  > No.5229[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

大子町は本当に面積の広い町ですが、もともとはこれほどたくさんの村があったのですね。驚きです。

初めて知りました。
 

町付城のこと

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 9月22日(金)09時51分12秒
返信・引用
  余湖さん。おはようございます。
前回は荒蒔城の情報をありがとうございました。

先日『図説茨城の城郭』をながめているときのこと。
「町付城」の地図で妙な既視感があったので、
気になって現地に行ってみたところ、
家内の老親が疲れた顔で畑を耕していました。
「虎口」に近いの4廓付近の畑でした。
そういえば30年近く前に一度だけ
飼料用トウモロコシの種まきと収穫と手伝ったことがありました。
我が家から30キロ位の場所です。大子町は広いですね。

この頃、大子町の歴史を調べる機会があったので、
城跡の調査の参考になればと思い、以下に添付します。

保内郷1町8か村(古くは下野国の依上保と呼ばれた)
《大子村》(後に旧大子町となる):大子村、浅川村、上岡村、山田村
《黒沢村》:上野宮村、上郷村、町付村、中郷村、北吉沢村
《依上村》:下金沢村、上金沢村、芦野倉村、塙村、相川村、田野沢村
《佐原村》(依上村から分離):初原村、槇野地村、左貫村
《宮川村》:矢田村、川山村、冥賀村、下野宮村、高田村
《袋田村》:袋田村、下津原村、久野瀬村、南田気村、北田気村、池田村
《生瀬村》:小生瀬村、高柴村、内大野村、外大野村、大生瀬村
《上小川村》: 栃原村、大沢村、頃藤村
《下小川村》:西金村、盛金村、久隆村、家和楽村
 (下小川村は西金村の一部、盛金村の一部が大子町へ、他は旧山方町と合併)
《諸富野村》:北富田村、諸沢村、西野内村
 (諸富野村は北富田村の一部が大子町へ、他は旧山方町と合併)

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

余湖さんへ

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月21日(木)22時48分29秒
返信・引用
  ありがとうございます。
写真比較に使わせていただきます。

余湖さんの訪問が10数年前、ということは、東日本大震災の影響なのかもしれません。

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 写真使わせてください

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月21日(木)22時09分42秒
返信・引用
  > No.5225[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

写真の使用、了解しました。なるほど以前のものと比較すれば、崩落の度合い等が分かりそうですね。

私が長沼城を訪れたのは、もう10数年前です。なんだか懐かしいです。

それではまたです。
 

比較写真

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月20日(水)23時06分20秒
返信・引用
  余湖さんの写真はリンクで。
http://yogokun.my.coocan.jp/hukusima/naganumask06.JPG

私が撮影したのはこれ

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

写真使わせてください

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月20日(水)23時00分34秒
返信・引用
  >余湖さんへ
今、福島県須賀川市の長沼城の記事を書いているのですが、余湖さんの本丸神社裏の石垣の写真と今(といっても半年前)の状況で比較してみるとけっこう劣化しているので、比較写真として使わせてもらいたいのですが、いいですか?

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 鉢形城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月19日(火)22時11分53秒
返信・引用
  > No.5223[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

確かに荒川に臨むあの断崖はすごいです。


三代王神社は城域外だと思います。
 

鉢形城

 投稿者:阿笠  投稿日:2017年 9月16日(土)10時32分6秒
返信・引用
  凄いですね。荒川の方から見ると、まさに難攻不落ですよね。あと、馬加城の近くに三代王神社というものがあり、そこも城の一部ではないかと思います。  

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月16日(土)04時26分13秒
返信・引用 編集済
  > No.5221[元記事へ]

横尾 さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。またまた新城発見ですか、すごいですね。このお城はまだ訪れたことがないのですが、川中島関連の城には興味があるので、いずれ行ってみたいです。

岐阜の山城の件、五郎さんにも相談してみます。昨年訪れた山城はいずれも、見ごたえがありましたね。特に前田砦には圧倒されました。

よさそうなところがありましたら、調べてみてください。

それではまたです。

さて、この土日はお仕事だ! 頑張ろう!
 

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:横尾   投稿日:2017年 9月15日(金)20時28分33秒
返信・引用
  > No.5187[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。


>
> ところで、横尾さん、まだ先の話なのですが、今年の山城の日も連休になるので、どこか一泊で遠出してみたいと思っています。もしリクエストなどありましたら教えてください。
>
昨年の岐阜の山城はどれも見ごたえありました。まだまだ大規模な山城がありそうなので、今年もまた岐阜へ出かけませんか。候補の城は調べてみます。

ところで松本市(旧四賀村)にある鷹巣根城(刈谷原城)へ最近登ったのですが、宮坂氏の縄張り図に乗っていない南尾根(これはなかなかの縄張りです。)を発見し、松本市教育委員会にこの旨を報告したところ、調査してみますという回答をいただきました。

写真1 本丸南下の腰曲輪から南西尾根(宮坂氏が描いています。)とこの曲輪から南尾根にもう一つ縄張りされています。
写真2 南尾根堀切
写真3 大きな曲輪を空堀で受けていますが、壕によって西への通路になっています。

ご存じの通り、刈谷原城は第一次川中島の合戦で刈谷原城、青柳城、麻績城、更埴と行軍のルートになっていた山城です。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

おすすめ城本

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月10日(日)05時34分57秒
返信・引用 編集済
  『中世城郭の縄張と空間』(松岡進・吉川弘文館)という本を図書館で見かけ、借りて読んでみた。

中世城郭の縄張をどう収斂させていくか、ということについて、葛藤しながらも、未来志向に論を展開させようとした画期的な本であるといえる。

おそらく多くの城マニアは、縄張論を個々のパーツ論として理解はしながらも、それが発掘成果や史料とどう整合させ、トータル的な構造論として捉えられるのかという点についてまでは思考が及んでいないと思う。

発掘学者や歴史学者の批判にどう向き合っていくべきかは、中世城郭の構造論の根本に立ち戻って丁寧に見ていかなければならない問題なのだろう。

今まで城関連の本を読んでいて「?」と感じることが少なくなかった。おそらく縄張論者の文章は主観が勝りすぎているからだと思う。しかし、この著者の文章はとても素直に頭に入ってくる。論旨が冷静で客観的だからであり、著者が非常にクレバーな人間であるということがよく分かる。

それにしても縄張の編年化は、やはり困難なものなのだと思う。城が築かれる際の条件には地理的地形的な側面や、築くために使用できる時間の長短、築城主体者の財力、環境などによって大きく左右される。それらすべてを特定の権力の影響や地域的特性に収斂させていくことが、果たして可能なのか。

近世城郭視点から遡って城の構造を把握しようとする意識からいつになったら脱却できるのか、すでに染みついた先入観からはばたくのは、口で言えるほど簡単なことではない。
 

美和地域山城ツアー

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 8日(金)20時27分18秒
返信・引用
  平成29年度常陸大宮市文化財集中曝涼関連行事として、10月22日(日)に、茨城城郭会(常総戦隊ヤブレンジャー)が案内する高部城等のツアーがあります。

詳しくは以下のページをどうぞ。

http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/page/page002712.html
 

茨城大学土曜アカデミー

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 7日(木)20時27分37秒
返信・引用 編集済
  まだ先の話ですが、12月2日に茨城城郭研究会の参加するイベントがありますので紹介いたします。

ただ、このラインナップを見ると、茨城城郭会は、おまけ的な感じのようです。

https://www.dropbox.com/s/j0bmk4m48stiz1i/%E5%9C%9F%E6%9B%9C%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88.pdf?dl=0

 

Re: 黒沢村について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 2日(土)04時30分17秒
返信・引用 編集済
  > No.5216[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。黒沢村のことはまったく知りませんでした。『城郭体系』には、「大子町黒沢」という地名にある城郭がいくつか掲載されており、現在の地番で黒沢が存在していないので、どういうことなのかなと思っていました。大子町もかなり面積の大きな町ですが、そのように市町村合併を繰り返していたんですね。

大子町ではさっそく『続図説茨城の城郭』を入れてくださいましたか。ありがとうございます。今回は、大子町の城址もいくつも取り上げられており、なにかと参考になるのではないかと思います。

荒蒔城は、集落の一番北側の家の所から尾根続きに歩いていけば、距離はありますが、城の北側に到達します。また、一番下の民家の所から谷津を通って入っていくこともできたかと思います。

気を付けていってらっしゃいませ。
 

黒沢村について

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 9月 1日(金)16時58分3秒
返信・引用
  こんにちは。
横スレでごめんなさい。
黒沢村は町付、上郷、上野宮、中郷、北吉沢の5つの村が合併して誕生しました。
やがて、大子町と他の7つの村と合併して現在の大子町となっています。
今年の冬に荒蒔城(館山)に散策に行く予定です。

「続茨城の城郭」は大子町図書館に依頼して前巻と共に棚に入れて頂きました。

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

Re: 茨城県大子町の荒蒔氏館について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 1日(金)04時47分51秒
返信・引用
  > No.5214[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。なるほど、町付のことを昔は黒沢村と言っていたのですね。

『城郭体系』には、町付城のことは「獅子城」として掲載されていますので、となると、荒蒔氏館というのは、荒蒔城のことと解釈するのがよさそうですね。

荒蒔ではなく、黒沢にある荒蒔城ってどういうことなのかと思っていたのです。あとで、荒蒔氏館のことは削除しておきます。

『茨城の城郭』、購入いただいてありがとうございます。続編が出たところで、茨城はかなりマニアックな城郭まで、一般的な書籍で図面付きで紹介できている県になったと思います。

入野城の歴史についても、これまでほとんど言及されることはなかったと思いますが、あのように解釈してみました。想像の範疇ですが、蓋然性は高いものと思っています。

それではまた、何か情報がありましたら、よろしくお願いします。

 

茨城県大子町の荒蒔氏館について

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2017年 8月31日(木)17時48分59秒
返信・引用
  茨城県大子町にある荒蒔氏館の位置についてなのですが、
黒沢と言う地名は大字「町付」のことではないでしょうか。
昔、町付地区周辺一帯は黒沢村というくくりだったそうです。
だから、荒蒔氏館というのは町付地区にある荒蒔城もしくは町付城の
ことではないでしょうか。

あくまで推測です。間違っていたらごめんなさい。

「茨城の城郭」買ってみました!
呼んでみたこところとても面白かったです。
家の近くにある入野城(城里町上入野)の記事が分かりやすくて
大変参考になりました。
ありがとうございます!
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月30日(水)04時15分30秒
返信・引用
  > No.5212[元記事へ]

利右衛門さんへのお返事です。

村境でしたか。江戸などの都市においても、要所要所に木戸をおいて、夜中の人々の通行の制限を行うということは一般的に行われていましたから、地方の村においても同じようなことが行われていたということは蓋然性のあることだと思います。

そうすると、この戸内というのは、「村境に置いてあった木戸の中」を示す言葉かと思われます。番所程度のものはあったのかもしれませんね。

いずれにせよ、地名から当時の状況を読み解いていくというのは、歴史的状況を探るための1つのアクセスポイントだと思います。ぜひ、頑張って調べてみてください。

それではまたです。
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:利右衛門  投稿日:2017年 8月29日(火)22時25分7秒
返信・引用
  > No.5211[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

江戸時代、村境になっているところが戸内になっています。ただ、この村境、以前は戸内よりもっと手前にあったとかで、以前の村境辺りに、村境にありがちな、五本松という地名もあります。戸内が境となっている村境、藩境にもなっており、太平の世、江戸時代においても領地争いが行われておりました。それで領地境が変化していったのだと思います。
戸内の隣の字名に、滝はおろか、川もないところに小滝という地名があり、これは伝播地名であり、小滝という領主がいたと考えています。これは古文書上との関連を兼ね合わせてのことですが。ただ、おしむらくは小滝を名乗っておらず、おそらく本姓に復していると推測しています。
いずれにせよ、地域民との伝承との兼ね合いをみて掘り下げていこうと思います。
打ち捨てられた、兵どもの夢の跡をこの世にとどめようという管理人様の活動、いつも拝見しており平伏しております。管理人様の後塵を拝しつつ、解明に努めてまいりたいと思います。
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月29日(火)04時47分7秒
返信・引用 編集済
  > No.5210[元記事へ]

利右衛門さんへのお返事です。

「戸内」は城郭関連地名の1つです。「戸」は城下集落の入口にあった木戸を指すことが多いので、城下集落(宿)の入口付近に残っている地名です。
「堀ノ内」「楯の内」「柵の内」などと似たようなものです。

もっとも、城がなくても集落の入口に木戸を設置する場合もあるでしょうから、100パーセントというわけではありません。

また、「殿内」の転の場合の場合もあるでしょう。その場合は、地元の有力者が住んでいたことを示している場合があります。

いずれにせよ、他の地名と合わせて考察してみれば、城館の存在を推定できる可能性があろうかと思われます。
 

戸内という地名について

 投稿者:利右衛門  投稿日:2017年 8月28日(月)20時09分25秒
返信・引用
  管理人様、お久しぶりです。地元に戸内という地名がありまして、「とのうち」と読みます。とのうちは戸野口「とのぐち」の転であり、集落の入り口だという解釈があったり、殿ノ内「とのうち」に通じ、武士の居館があったという解釈もあります。管理人様は上記の解釈についていかが思われますか・  

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