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山科本願寺!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)09時45分11秒
返信・引用
  京都市山科区のお城。

石山本願寺に移転する前、山科区に総構えを持った本願寺の寺内町が存在していた。

遺構の多くは失われているのだが、現在でも部分的に、遺構が残されている。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyotoyamasina01.htm
 
 

情報ありがとうございます。

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月21日(金)00時01分45秒
返信・引用
  あんけんさん、はじめまして。情報ありがとうございます。

中里4丁目の方形館の件、私も良く一紋龍史進さんの城逢人のホームページは拝見するのですが、見落としていました。雰囲気がある場所のようなので一度下宿強清水遺跡と併せて現地を確認したいと考えています。(住宅地が気掛かりですが・・)在地土豪の屋敷と推察されておられますが、やはり滝の城との関連も気になります。

東久留米市の川岸遺跡、私も気になって東京都遺跡地図情報ネットワークを調べてみましたら城館が外されていました。ちなみに東久留米市のホームページでは平成27年調査で「近世の館の可能性」となっていました。ちなみに私が先日閲覧したホームページはこの東京都遺跡地図情報ネットワークの古い?版であったようです。(最新版では練馬区の栗山・右馬頭屋敷も城館が外されていました、又、調布市下石原遺跡も気になります。)

一つ、この東京都遺跡遺跡情報ネットワークを見ていて気になったのですが、中世、近世の遺構で「溝」が検出され城館となっている遺跡があるのですが、この「溝」は空堀という事なのでしょうか?
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月20日(木)04時59分40秒
返信・引用
  > No.5650[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。機会があれば調べてみようと思います。

 

(無題)

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 9月17日(月)21時42分38秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
中里4丁目の方ですが市史には掲載されてるようです。東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスでは方形土塁遺構が清瀬市№47遺跡として登録されてて鎧、太刀金具、弓が出土となってます。
現在民家となってるため画像はありませんが、廃城をゆくにも執筆されてる一紋龍史進さんの城逢人で11年前に調べられてます。
http://www.geocities.jp/sisin9monryu/tokyo.kitatama.html

二番目の下宿強清水遺跡は中世の溝が出た事以外基本先土器~縄文時代の遺跡として扱われてるみたいですね。特に発掘報告書が出てるかもわかりませんでした。

東久留米市の川岸遺跡は80×120mの集落・城館とされてましたが、先の東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスでは縄文中期以前の遺構と近世の井戸とだけ書かれてます。図書館でこの報告書があれば詳しく判るかもしれません。
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA7103498X

>狸屋様
他所のサイト事ですから繰り返したくはありませんが、天守の向きと大手前の堀を同一方向に揃えて小天守を大手側に張り出すのは狸屋様の仰る「向きがおかしい」ので誤りだと思います。
 

Re: 返信ありがとうございます。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月15日(土)04時33分13秒
返信・引用 編集済
  > No.5648[元記事へ]

かつさんへのお返事です。

ネットでの情報でしたか。すると、発見されたのはかなり最近のことなのかもしれませんね。宅地開発などにより発見されたのでしょうか。いずれにせよ都内なので、すぐに破壊されてしまいそうですね。

近世に限らず、水堀を巡らせた城館というものは、かなりの数あったようですが、近年ではヤブ蚊の発生源となってしまうので、近所から嫌われて水を抜いたり埋めてしまった例が多いですね。われわれの環郭からすると「もったいない」となってしまうところですが、地元の人にとっては、ヤブ蚊のいない生活の方が大事なのでしょう。

・・・ニュースを見てたら「今週末は3連休ですね」と嬉しそうに言っていたが、土日も仕事だ~♪
 

返信ありがとうございます。

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月14日(金)23時54分28秒
返信・引用
  余湖さん

返信ありがとうございます。今回、この3城館の情報はヤフーの検索エンジンで「東久留米市の遺跡」、「清瀬市の遺跡」と検索すると出て来たホームページで見つけたもので「トップに戻る」をクリックしても「アクセスできません」となってしまいどこの団体のホームページかはっきりしないのです。ちなみに清瀬市中里の遺跡については遺跡概要の所にはっきりと「城館」となっていました。東久留米と清瀬市旭が丘については城館?となっていました。もしかしたら近年、宅地開発や再開発に伴う発掘調査で検出された遺構なのかも知れません。

ちなみに今回、この3城館を見つけたきっかけはこの地域で数少ない城館伝承の地元の「保谷館」の事を調べていて見つけました。ここも東伏見稲荷神社境内で遺構が無いので伝承の域を出ないのですが、隣接の地域が国指定史跡の「下野谷遺跡」を含む一大遺跡エリアで中世の遺構も発掘されていて、かつ、城館を設地するにはむしろこちらの方が理想的でありますので、もしかしたらまだ未知の城館の発見を期待したい所であります。

又、庄屋屋敷の件もありがとうございます。よく確かに土塁や水堀を備えた元庄屋、名主屋敷は城郭さながらですね。中世に城館を構えた小豪族が地元に帰農し、そのままの形態を維持しながら現在も子孫の方が住んでいる、、特に水堀のメンテナンスは大変だろうな、というのはあるのですが、そんなお屋敷はなんだか素敵だと思います。
 

Re: 清瀬市と東久留米市の遺跡について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月14日(金)05時00分38秒
返信・引用 編集済
  > No.5645[元記事へ]

かつさんへのお返事です。

はじめまして。

東京都の城館については、東京都教育委員会の編集した『東京都の中世城館』という本を頼りにしているのですが、清瀬市も東久留米市も登録された城館はない、となっているので、詳細は分かりません。

どなたかご存知の方らいらっしゃいましたら、情報お願いします。

また、近世の遺構=陣屋とは限らないと思います。庄屋屋敷の跡といったものも、城郭遺構を残す場合があると思います。



 

間違えてしましました。

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月13日(木)23時18分40秒
返信・引用
  下の書き込み途中で申し訳ありません。

清瀬市の遺跡ですが、1.2ともに滝の城に関連した城館と見て良いのでしょうか?2は清戸番に関連した城館と見る事はできますが、1は下宿内山遺跡から関越道を挟んでちょうど反対側あたるので関連性が気になります。

3.東久留米市川岸遺跡、浅間町2丁目、井戸検出、遺跡の概要に近世の館?とありました。位置は黒目川と落合川の分岐点の南側になります。このような近世の館と言いますと陣屋という事になるのでしょうか?

ちなみに今回見たのは東京都の遺跡一覧のホームページでした。一度現地を確認したいと思っているのですが、もしこれらの遺跡御存知の方いらっしゃいましたら教えて頂けると幸いです。
 

清瀬市と東久留米市の遺跡について

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月13日(木)23時05分3秒
返信・引用
  初めて投稿させて頂きます。城郭不毛の多摩地区北部在住の者ですが、最近、近隣の市で発掘調査の結果何か所かで城館の遺構が検出されているようです。そのうち気になる三か所についてお伺いしたいとおもいます。

1.清瀬市中里4丁目、方形土塁検出、位置的には所沢市の滝の城の南西台地辺縁部になります。
2.清瀬市旭が丘6丁目、井戸検出、遺跡の形態は城館?とあり、位置的には余湖さんの滝の城のページにあるした「下宿内山遺跡」に南西隣接したJR貨物新座ターミナル地内になります。

 

Re: 獅子ヶ城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月12日(水)04時21分55秒
返信・引用 編集済
  > No.5643[元記事へ]

y.kobaさんへのお返事です。

初めまして、佐高のOBですか、今も佐渡にお住まいなのですね。私はほとんど帰省しなくなりましたが、たまに無性に望郷の念がこみあげてくることがあります。

中国地方まで車で行かれたのですか? 運転がなかなか大変だったでしょう? 私は遠方に行く際にはLCCを利用することが多いです。九州や四国など、時期によっては片道5000円ほどで行けるので重宝しています。

それではまたです。

 

獅子ヶ城

 投稿者:y.koba  投稿日:2018年 9月11日(火)09時22分50秒
返信・引用
  獅子ヶ城の検索にヒットし、余湖さんのサイトにお邪魔しています。
私も、佐渡高校OBです。観光は神社仏閣が中心ですが、余湖さんほどではありませんが・・・。
今年は6月に、姫路城・岡山城・広島城・岩国城と山陽・山陰地方を回ってきました。
佐渡から中国地方まで車で行くのはかなり遠かったけれど、楽しい旅でした。
来年は、四国を回ろうと思っています。
 

米子城

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 9月10日(月)07時46分7秒
返信・引用
  あんけん様

大手側から見ると小天守が大天守より迫って見えるのはあながち
間違いないと思えます。

35°25'30.9"N 133°19'30.0"E

多くの書籍で見られる米子城の縄張り図は、鳥取県立博物館にある
「伯耆国米子平図」が元になっていると考えられます。



 

Re: 米子城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 6日(木)04時10分36秒
返信・引用
  > No.5640[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

鳥瞰図は、近世の古図に基づいて作成したものだと思うのですが、それが実際の地形とずれがあったのかと思われます。

そのうち気が向いたら(というかちゃんとした図面が手に入ったら)描き直してみたいと思います。
 

Re: 米子城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 9月 5日(水)17時25分31秒
返信・引用
  > No.5633[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

こんにちは、あんけんです。
狸屋さんが疑問に感じられてるのは大手前の堀が東西を向いてるからではないでしょうか?構成としては自分もほぼ正しいと思ってますが、方角表示の北が右ではなくやや右下を指すとベターなのでしょうね。自分の持ってる古めの資料でも古絵図のまま大手が北向きになってるものがありますが、実際は北東を向いてると思います。ここの様に縄張りの作りが場所によって斜めってる城は作図が難しいですね。

他所の例を持ち出すのは良くないと思いますが、CGで再現されてる方で小天守が大天守よりも大手門側に出ちゃってたりしますが、山裾部で都合がついてまとまっちゃってしまったのでしょう。

ところで昨年発見された新しい天守の古写真の続報が全く出て来ないのが大変気になってます。テレビでも扱ってたのでガセ画像ではないと思うのですが・・・。
 

Re: 三浦半島城巡り

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 5日(水)04時08分33秒
返信・引用
  > No.5638[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

三浦半島ですか、なんだかとても懐かしいです。というのも、私が初めて千葉城郭研究会の行事に参加したのが、三浦半島で行われた合宿の時だったからです。もうかれこれ20年近くも前のことになるでしょうか。

夏場はヤブがきついですから、ヤブには入りたくはないですが、遺構を見ていると、ついつい入ってしまうことがありますよね。いたし方ありません。

まだまだ暑さが続きますので、あまり無理をされないようにお城巡りを続けてください。

それではまたです。
 

三浦半島城巡り

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 9月 4日(火)18時26分7秒
返信・引用
  御無沙汰しています。余湖図6千城愈々ですね。随分「余湖図」と余湖さんの訪問記にはお世話になりました。

さて、先日三浦半島に行ってきました。金沢文庫の企画展がメインで、ついでに三浦半島の見残した城を回りました。京浜急行のワンデーパスは中々使いでがあります。

夏ですから藪こぎは無し。公園化した城か、標柱のみの城を中心に、それ以外は望見に止めようと思ったのですが、いざ目の前にすると登って確認したくなります。もうこれは「性(さが)」でしょう。
余湖さんも、城を見れば描きたくなり、記録に残したくなる。これもやはり「性」では無いですか?

因みに藪こぎしたのは、浦賀城、沼浜城、太和田城。それに幼少期読んだ「神奈川の城」所収の鐙摺城、和田館等。本当は三崎城と新井城を再訪するつもりでしたが、藪こぎで時間切れ。又の機会にします。

それではまた。6千城までまずは御自愛の程、願いあげます。
 

Re: お久しぶりです

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 3日(月)03時48分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5636[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

いつもご覧いただいてありがとうございます。
6000城というのは生涯の目標として挙げていた数字なのですが、そのために、いろんな意味でこれまでかなり無茶をしてきたと思います。
城めぐりを楽しむというよりは、ノルマを達成するということの方が目的になってしまっていたというのが現実でした。

記念すべき6000城目をどこの城にするかは、だいたい目星を付けております。

6000城達成以降は、今よりも多少のんびりと城めぐりを楽しむ方向で行きたいなと思っています。ただし、行ってみたい城はまだまだたくさんあるので、実際どうなるのかは、そうなってみないと分かりませんが・・・。

実際にはあまり変わらないかも!?

それではまたです。
 

お久しぶりです

 投稿者:みよさん  投稿日:2018年 9月 2日(日)22時10分10秒
返信・引用
  お元気でご活躍の様子、何よりです。

6000城、毎月10城としても1年で120、50年かかりますね。背景が空色で、各地の模擬天守を紹介されていた頃から、まだ20年余りでしょうか。掲示板をのぞくたびに、ものすごい勢いで更新されているのを驚嘆しながら拝見しております。

私は方向音痴ですし遺構を見ても気づかないことも多いので、「余湖図」を見て、ああ、そうかと勉強させていただいてきたので、このホームページは大切な存在です。

余湖さんの「のんびり」がどのようなものなのかに興味も湧きますし、6000城達成を応援しながらご報告を楽しみにしております。



 

Re: まさに修験者の荒行

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 1日(土)11時04分21秒
返信・引用
  > No.5634[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

こちらこそ、ご無沙汰しております。らんまる殿にはいつも励ましていただいて、ありがとうございます。

これだけホームページを運営していると、たまに「なんでこのようなことをやっているのか」疑問に感じて、むなしくなってしまうことがあります。人から褒められることなどほとんどないし、膨大なエネルギーを無駄使いしてしまったような気分になってしまうのです。そういう時に、ちょっとしたお言葉をいただけると、再び気持ちが高揚してきたりします。

6000城の目標は近いうちには達成できると思いますが、それから後は、ノルマにとらわれず、のんびりと城めぐりを楽しみたいと思っています。思えば、それが本来の城めぐりであったはずで、本来の姿にやっと戻れるかなと思うのです。

宮坂さんの本を全部持っているので、長野はこれからもちょくちょくお邪魔したいと思っております。

らんまる殿も、けっこう危険な山城を回っておられるようですが、事故に遭わないよう気を付けて城めぐりを続けてください。

それではまたです。
 

まさに修験者の荒行

 投稿者:らんまる  投稿日:2018年 8月31日(金)22時38分13秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。

6,000訪城ですか・・・そのレベルまで突き詰めるともはや苦行を乗り越えて悟りが開けるレベルで、地域密着型の小生など想像を絶する世界ですね。
しかも現役世代で仕事を持ちながら全国区行脚。さすがです、ギネス記録申請すれば認定でしょう。

「仕事優先なので、定年後に城巡りします」とかよく耳にします。

寿命なんて神のみぞ知るので、明日の命はわからない。運よく定年まで勤めたとしても、その時に足腰が丈夫であるとは限らないし、闘病生活を強いられて城巡りなど出来ないかもしれない。


余湖さんの6,000訪城は強い意志に裏付けされた奇跡だと思います。蓄積されたHPの記事と余湖図のおかげで小生を含めた全国の城好きがどのくらい助けられたか。感謝申し上げます。

小生は宮坂武男氏の「図解山城探訪」をデジタル化する事を目的に約1,200ぐらいの城址を探訪していますが、なかなかブログへの掲載は腰が引けてしまって滞りがちです。

6,000で一区切りしたら、是非とも「生き急ぐ」のをやめてくださいネ。
まだまだ我ら中世城郭ヲタクのアイドルでいてもらわないと困りますから・・・(笑)

http://ranmaru99.blog83.fc2.com/

 

Re: 米子城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月29日(水)04時27分12秒
返信・引用
  > No.5632[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

そうですか。
 

米子城

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 8月28日(火)11時58分57秒
返信・引用
  内堀が北西から南東にむかって約45度の角度。
天守の三段の石垣の一番下の部分と、小天守の石垣を結ぶ線が
内堀にほぼ平行なので、小天守は旧市街地から正面に見える
形になります。

http://tomomori-kogyo.co.jp/yonago-jyo/yonago-gotoukogyo-CG.htm
 

Re: 雑談

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月28日(火)04時32分46秒
返信・引用 編集済
  > No.5630[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

米子城の本丸の向きが違っていますか? 航空写真で確認してみましたが、合っていると思うのですが。
 

雑談

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 8月27日(月)21時17分38秒
返信・引用
  余湖様

あと退職まで何年になりましたでしょうか?
多分私の方が若いと思いますが、ひょいひょい先を進まれていたので
体力や気力は感心していましたが、あまりご無理をせぬように。

※退職後でかまいませんから、米子城の本丸の向きがおかしいので
ご訂正のほどをお願いいたします。
 

余湖図6000城まで・・・・

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月27日(月)14時02分12秒
返信・引用 編集済
  これまで何十年もかけて描き続けてきた余湖図であるが、現在5940城を越えている。
自分としては、生涯での余湖図作成は6000城を目標と決めていたので、そろそろ終盤に近付いてきていることを感じる。自分の体力・気力から見て、7000城を目指すのはもう無理だと思う。

この調子では、今年中に6000城は達成できそうである。これは私にとっては非常に大きなことである。何でかというと・・・・6000城を越えたら、もうむやみな城めぐりはせずに、のんびりと楽しみながら城歩きすることができるようになるのではないかと思っているのである。

思えば、自分の城めぐりは、趣味的な楽しみというよりは、荒行苦行に近いものである。
城めぐりをする日は、早朝早くから暗くなるまで(時には暗くなってからも)かなり早いペースでひたすら城を探査し続けている。これを荒行と呼ばずして何と呼ぼう。自分で自分をいじめているのと一緒で、体力的に限界になるまで歩き続けている。

城めぐりを終えて帰宅してからもかなり精神的に疲れる作業が待っている。おそらく普通にお城巡りをしている人は、帰宅したら、写真を整理して「こんな城を回ったなあ」と思い出して懐かしむくらいなのではないだろうか。

私の場合、写真の整理は当然として、回った城すべてについて余湖図を描き、記事を書いてホームページを更新している。それもかなりの速度である。これも実はけっこうつらい。

「余湖図1枚描くのにどのくらいかかるのですか?」と時折聞かれる。複雑な城であるか単純な城であるかによって作成時間は全然違ってくるのであるが、平均すると1枚20~30分ほどで完成する。これも相当の速さではないだろうか。

しかし、そういう城めぐりにはほとほと疲れてしまったというのが事実である。

6000城を達成したら、後はのんびりと楽しみながら城めぐりをするようになりたいものだと思っている。

6000城目はどこのお城になるのであろうか・・・・。できれば、6000城記念にふさわしい城になることを期待している。

 

廃城をゆく6発売!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月24日(金)04時25分24秒
返信・引用 編集済
  『石垣の城を極める! 廃城をゆく6』が発売されました。
今回は石垣がテーマとなっています。
よろしかったらご覧になってください。
 

赤埴下城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時54分38秒
返信・引用
  これも宇陀市のお城。

赤羽氏の城郭である。単純だが分かりやすい山城だ。

赤羽氏の城としては上城の方が本城であったと思われるが、今回は訪れやすい下城だけの訪問となった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/udasi02.htm
 

五津城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時52分10秒
返信・引用
  奈良県宇陀市のお城。

山稜先端部に主郭を置き、その周囲に二重の横堀を巡らせ、その横堀が南側の両端に竪堀となって落ちて行って城域を形成しているという変わった形状の城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/udasi02.htm
 

芝村陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時26分13秒
返信・引用
  これも桜井市のお城。

織田有楽斎の4男長政が1万石を分地されて芝村範を成立させたのちに築いた陣屋である。

その名も織田小学校が陣屋の中心部で、石垣が残されている。また外堀の一部も残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/sakuraisi01.htm#sibamura
 

赤尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時24分42秒
返信・引用
  これも桜井市のお城。

南北朝時代に築かれ、戦国期には松永弾正の陣城として使用された城である。

二重堀切や二重横堀、鋭い城塁など、一通り見どころのある遺構がそろっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/sakuraisi01.htm#akao
 

谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時23分19秒
返信・引用
  奈良県桜井市のお城。

若桜神社が城址で、神社周辺に堀や土塁がよく残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/sakuraisi01.htm
 

藤森環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時38分49秒
返信・引用
  奈良県大和高田市のお城。

これも堀がよく残されている環濠集落である。堀は直線的ではなく、あちこちに折れが見られ、いかにも城塁のような形状を見せている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamatotakadasi.htm
 

若槻環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時33分47秒
返信・引用
  これも大和郡山市のお城。

こちらの環濠はかなり埋められてしまっており、水路になってしまっている部分が多いが、史料にはよく登場する環濠らしく、案内板も設置されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamatokooriyamasi02.htm#wakatuki
 

稗田環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時32分45秒
返信・引用
  奈良県大和郡山市のお城。

奈良の環濠集落の中でも、最も堀の残りがよい環濠集落である。水量が豊富な水堀が周囲を巡っており、そばを歩いていると、涼し気な気分になるのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamatokooriyamasi02.htm
 

新庄城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時14分17秒
返信・引用
  奈良県葛城市のお城。

屋敷山古墳を利用した城で、城というよりは桑山藩1万Ⅵ千石の陣屋であった。

なぜか立ち入り禁止になっていて、登ることはできなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/katuragisi02.htm
 

貝吹山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)14時54分58秒
返信・引用
  奈良県高取町のお城。

奈良を代表する山城の1つであり、多数の郭を造成した城である。城へはハイキングコースが通じているが、夏場では周辺部の探索は難しい。

越智氏・筒井氏・松永氏らが三つ巴で何度も攻防戦を繰り広げた城郭である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/takatorimati.htm#kaibukiyama
 

高安城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時57分8秒
返信・引用
  これも平群町のお城であるが、大阪府八尾市との境界に当たるので、大阪の城であるともいえる。

高安山の山頂に築かれた城であるが、城の真下まで車で行けるので、意外とアクセスが楽ちんな山城である。遺構もそれなりに充実しており、見どころがある。

松永弾正の信貴山城の出城として使用された城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/hegurimati.htm#takayasu
 

下垣内城・西宮城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時55分35秒
返信・引用
  奈良県平群町のお城。

2つの城が並立して存在していたのだが、公園化されているために、いずれも遺構が失われてしまっている。

それよりも、ここの城主の島氏の子孫が島左近である。島左近の先祖の城というだけで、訪れてみる価値があるように思ってしまうのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/hegurimati.htm#simokaito
 

柳本陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時26分26秒
返信・引用
  天理市のお城。

織田有楽斎の所領が大和にあるとは知らなかった。ここは織田有楽斎の5男尚長が起こした1万石の陣屋である。

現在、遺構らしきものはほとんどないが、近所の民家に城門が移築されているらしい。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/tenrisi02.htm
 

福住中定城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時25分15秒
返信・引用
  これも天理市のお城。

単郭ながら、内枡形と馬出を組み合わせるなど、かなり技巧的な山城である。周囲を巡る横堀や鋭い城塁など、かなりしっかりと造られた城郭である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/tenrisi02.htm
 

豊田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)12時59分10秒
返信・引用
  奈良県天理市のお城。

『戦国の城を極める! 廃城をゆく5』に取り上げられていたので、訪れてみたのであるが、とにかくヤブがひどくて道もわかりにくい。初心者は迷子になってしまいそうな山城である。

『廃城』がどうしてこのような難易度の高い城を取り上げたのか、理解に苦しむのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nara/tenrisi.htm#toyoda
 

栄山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)12時17分43秒
返信・引用
  これも五條市のお城。

比高100m以上の山稜に築かれているが、城址が緑地公園となっており、車でアクセスできるので実に楽チンな山城である。

しかし、たいした遺構は残っていない。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/gojousi01.htm#sakae
 

今井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)12時16分30秒
返信・引用
  これも五條市のお城。

単郭だが、南北に水堀を残しており、入口には立派な城址碑も建てられており、城址であることはすぐに分かる。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/gojousi01.htm#imai
 

五條代官所!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)12時15分17秒
返信・引用 編集済
  奈良県五條市のお城。

昔、司馬遼太郎の『五条陣屋』という小説を読んでから、機会があれば来てみたいと思っていた。天誅組の乱の舞台である。

長大な長屋門や石垣など、かなり城郭的な雰囲気を感じさせる遺構が残っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/gojousi01.htm
 

五条野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)09時46分49秒
返信・引用
  奈良県橿原市のお城。

八咫烏神社が五条野氏の居館であったと推定されている。

しかし、神社周囲の土塁は、どちらかというと、城郭類似遺構のように思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/asukamura02.htm#gojou
 

野口植山城・吹山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)09時45分15秒
返信・引用 編集済
  これも明日香村のお城。

隣接した地域に2つの小さな城郭が存在している。

いずれも陣城かと目されているものである。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/asukamura02.htm#noguti
 

平田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)09時44分3秒
返信・引用
  これも明日香村のお城。

城址に否定されているが、遺構からだけのことであり、伝承等はない。

本当に城址なのかどうか疑問もある。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/asukamura02.htm#hirata
 

雷ギヲン城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)09時33分26秒
返信・引用
  これも明日香村のお城。

小規模ながら、堀切・横堀を備えた陣城である。比高8mほどだから、簡単に訪れることができる。

近くに雷城もあるのだが、場所を間違えてしまった・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/asukamura02.htm#
 

飛鳥城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)08時47分40秒
返信・引用
  これも明日香村のお城。

明日香村にある飛鳥城ということで、いかにも由来がありそうな気がするのだが、こちらも歴史等は未詳である。

削り残しの土塁を使った横堀はまずまずの規模である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/asukamura.htm#asuka
 

岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)08時46分30秒
返信・引用
  奈良県明日香村のお城。

明日香村って、高校時代の修学旅行で散策した場所である。懐かしい!

岡城は単郭の城郭だが、尾根を断ち切る堀切が鋭く大きく、なかなかの見ごたえがある。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/asukamura.htm#oka
 

上窪田環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)08時26分49秒
返信・引用
  奈良市安堵町のお城。

奈良によくみられる環濠集落ということになっているが、どちらかというと、豪族の居館といった趣である。

重要文化財中氏住宅になっているが、多聞城の城門も残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/andomati01.htm
 

超昇寺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)07時35分2秒
返信・引用
  奈良市のお城。

市街地にある平城であるが、その規模はなかなか大きい。筒井勢や松永勢らによって何度も取り合いが行われているという枢要の地である。

しかし、城内のヤブがひどく、意外に探索難易度は高い。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi03.htm#tyoushouji
 

大和田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)07時33分30秒
返信・引用
  奈良市のお城。

単郭でありながら、重厚な土塁や横堀など、一通りの意匠を見ることができる。車から降りて1分で城内に入れるというアクセスの良さもなかなかである。

それにしても、ここは小和田氏の居城であり、読み方も「おおわだ」ではなく「小和田」である。小和田城と称するべきもののように感じる。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi03.htm#owada
 

宝来城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)07時31分34秒
返信・引用
  奈良市のお城。

安康天皇陵が城址となっている。天皇陵であるから、内部立ち入りはできない。

宮内庁で発掘調査が行われた際には、古墳に関する遺物は出土せず、中世の生活遺物や瓦などが発掘されているとのことで、もはや古墳ではなく完全に城址である。

ところで、現在天皇陵として呼ばれているもののほとんどは、江戸時代に蒲生君平が勝手に想定してものであり、本当にその天皇の陵墓であるのかどうかは確定されているものではない。あくまでも参考地である。

ここも安康天皇陵というよりは、城址と言った方がふさわしいものようである。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi03.htm#hourai
 

平清水城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)07時27分59秒
返信・引用
  奈良市のお城。

平清水氏の居城。単郭ではあるが、東側の横堀は大きく、見ていてほれぼれとするほどのものである。でも、全体はヤブの中にある。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi03.htm#hirasimizukita
 

貝那木山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)07時26分55秒
返信・引用
  奈良市のお城。

都祁地域最大勢力であった多田氏の詰の城である。

急峻な山に築かれているが、上の方まで車で行けるから、意外と簡単に訪れることのできる山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi03.htm
 

今市城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)05時04分47秒
返信・引用 編集済
  奈良市のお城。

市街地化のため、遺構らしきものはなくなってしまっているが、かつては筒井氏と越智氏とが何度も攻防を繰り返した決戦の地であった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm#imaiti
 

窪之庄城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)05時03分44秒
返信・引用
  奈良市のお城。

国人窪城氏の居城。かつては環濠と一体化した城であった。

堀の大きは埋められているが、東殿、西殿の堀と土塁はよく残っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm#kubonoshou
 

西方院山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)05時02分14秒
返信・引用
  奈良市のお城。

応仁の乱の際の騒乱で、陣城として使用された城である。

神社の背後に馬出を備えた単郭の城が残されている。二重堀は今でもきれいな様子を見ることができる。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm#saihouin
 

古市城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)05時00分11秒
返信・引用
  奈良市のお城。

有力な国人衆であった古市氏の居城である。

こちらは小学校と市街地化で、遺構らしきものはほぼ見られないが、かつては城の周囲に環濠集落と2つの出城を配置していた。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm#huruiti
 

多聞山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)04時58分51秒
返信・引用
  奈良市のお城。

松永弾正の居城としてあまりにも有名な城である。
中学校になっているので、遺構はないと言われていたが、それなりに残ってはいるし、雰囲気もある。

中学校に許可をもらって探索しましょう。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm
 

丹生城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)04時02分15秒
返信・引用 編集済
  これも奈良市のお城。

丹生氏の居城であり、地元でも「城山」と呼ばれており城として認知されているのだが、遺構はたいしたものではなく、整備もされていない。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#niu
 

石打城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)04時01分23秒
返信・引用 編集済
  これも奈良市のお城。稲垣氏城とも呼ぶ。

奈良市ではあるが、比較的伊賀から近いところにあり、形態からすると完全に伊賀の城である。奈良の城としては珍しい形態であり、そのせいか、県指定の史跡となっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#isiuti
 

上狭川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)04時00分11秒
返信・引用
  これも奈良市のお城。。

佐川氏の一族福岡氏の居城である。単郭の城ではあるが、南側に二重枡形を配置し、かなり厳重な虎口を有しているのが珍しい。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#kamisagawa
 

柳生古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)03時58分59秒
返信・引用
  これも奈良市のお城。

柳生城の古城ということになっているが、戦国期の山城と言われても遜色のないお城である。
柳生の里の北の入口を守る出城として、戦国期にも使用されていたのではないだろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#kojou
 

柳生城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)03時57分39秒
返信・引用
  これも奈良市のお城。

柳生氏の戦国期の居城である。遺構はそれなりに見どころはあるのだが、近くの有料駐車場が1かい600円というのが高い!高すぎる!

この城1つを見るために600円も払うのは、どうにも納得ができない。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#yagyuu
 

柳生陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)03時55分43秒
返信・引用
  奈良市のお城。
柳生氏1万石の陣屋である。

柳生と言えば昔、「春の坂道」っていう大河ドラマがあった。タイトルは忘れたが、柳生十兵衛が主人公のドラマもあった。ってなわけで、なんとなく行ってみたくなる場所なのである。

陣屋の礎石が残されていて、建物の配置が分かるようになっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm
 

大塩城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月18日(土)04時04分21秒
返信・引用
  これも山添村のお城。

急峻な土手に囲まれているが、尾根基部の民家の所からならば、比高5mほど登れば城内に入ることができる。

こちらも規模は小さいが、重厚に張り巡らされた土塁が見どころである。

ちゃんと民家の方に声をかけてから城内に入りましょう。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamazoemura.htm#oojio
 

毛原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月18日(土)04時02分45秒
返信・引用
  これも山添村のお城。

それほど大規模ではないが、二重の堀切の間に縦に堀が入り、堀の十字構造が見られるという珍しいお城である。

山道は付けられているのだが、夏場では半分はヤブであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamazoemura.htm#kehara
 

三ヶ谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月18日(土)04時00分53秒
返信・引用
  奈良県山添村のお城。
小さいながらも、復元物見櫓が建てられたり、立派な城址碑があったりと、地元では愛されたお城のようである。

ただ、入口が分かりにくい。どこから入ったらいいのか分からず、右往左往してしまったのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamazoemura.htm
 

Re: お久しぶりです。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月15日(水)04時35分34秒
返信・引用 編集済
  > No.5582[元記事へ]

如月比叡さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。今年は本当に暑いですね。ご自愛ください。私はこの暑さの中、狂気のように城めぐりをしてきましたので、そのうちアップしたいと思います。

わざわざご連絡いただきありがとうございます。私の鳥瞰図は、出典さえ明記してあればご使用は自由ですので、ご利用ください。ご丁寧にお知らせいただいて感謝します。

私が許せないのは、人の作品を自分の作品のように使用しているケースです。人の描いたものを自分の作成したもののように使うことを恥ずかしいことと思わないのか、とても不思議です。どういう精神構造をしているのだろうかと思ってしまいます。

特に近江の人にそういう人が多くて、近江人に対する私の信用はがた落ちです。近江のとある市町村が出しているパンフレットでも、出典なしの無断使用をしているものがあったりします。見る人が見れば、私の鳥瞰図だとすぐに分かるものなのに・・・。しかも近江人は、連絡してもなしのつぶてです。近江に、人のものを自分のものとして使用していいというような共同意識でもあるのでしょうか。

それではまたです。
 

お久しぶりです。

 投稿者:如月比叡  投稿日:2018年 8月14日(火)18時57分51秒
返信・引用
  だいぶご無沙汰してしまっています。この、猛暑の日々いかがお過ごしでしょうか?
(HanCockと言った方が良いのかな?)
また、お願いがございましてここにお邪魔させていただきました。
1両日中に私のブログにて埼玉児玉にあります武州八幡山城(雉岡城)の日記を上げたいと思います。
そこで、余湖さんのページの城郭鳥瞰図を使用させていただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
(以前、小諸の時と同じように対応しますのでよろしくお願いします。)
とり急ぎ、ご連絡いたします。

http://blog.livedoor.jp/f100hancock/

 

Re: 千葉城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月 6日(月)04時35分3秒
返信・引用 編集済
  > No.5580[元記事へ]

斧鷹さんへのお返事です。

セッテエにはいろんな説がありますが、おっしゃるように、「セッテエ」が接待の転である可能性が一番高いと思われます。
 

Re: 千葉城

 投稿者:斧鷹  投稿日:2018年 8月 5日(日)14時45分30秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。

> 阿笠さんへのお返事です。
>
> 猪鼻城については、市街地化が進んでいるため、旧態については分からないことが多いです。かなり大きな城郭であったと仮定するならその可能性もあるでしょう。
>
> セッテエについても意味が分かっていません。いろいろと想像してみる余地はあるかと思います。
>
セッテエ山郭は陶磁器の出土から家臣や客をもてなす為の郭といわれています。(接待→セッテエとなったといわれています。)

高い土塁は城主の権威付けの為だと思います。
 

曽根城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時36分21秒
返信・引用
  三重県尾鷲市のお城。

山全体が城山公園となっており、散策路も整備されている。ツツジがたくさん植えられているので、ツツジの季節には山全体がきれいになっていそうである。

しかし、登城道の階段がなかなかきつい。斜面を直登するように登るので、登城時間はかからないのだが、夏場では卒倒しそうになるほどきつかったのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/owasesi01.htm
 

鬼ヶ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時34分21秒
返信・引用
  鬼ヶ城という名称の城は各地にあるが、これは三重県熊野市の城郭である。

予想に反して公園としてよく整備されていた。というのも、ここは世界遺産熊野古道の最終地点であったからのようで、立派な観光地である。ビジターセンターや広い駐車場が設置されているのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kumanosi01.htm
 

京城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時32分33秒
返信・引用
  三重県紀宝町のお城。

新宮城主であった堀内氏善が築いた城である。田舎にあるのに京城(みやこじょう)と名乗っているのが珍しい。

城内を散策できるよう案内板が設置されているのだが、けっこうなヤブ状態である。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kihoumati.htm
 

Re: 尾附城の北東に未登録の山城を発見

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時13分42秒
返信・引用
  > No.5575[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは、お久しぶりです。

情報ありがとうございます。ところで、尾附城は、上野村ではなく神流町ですね。斜面の鋭い城郭だったのが印象に残っています。あの急斜面の上に洗濯機が捨ててあったのですが、どうして運んだものなのか・・・・。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kannamati.htm#oduku

あの北側にも城跡があったのですね。確かに何かありそうな雰囲気はありましたが、宮坂さんも見落とした城郭というものが、まだまだあることに驚きです。

それではまたです。
 

尾附城の北東に未登録の山城を発見

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 7月23日(月)23時25分56秒
返信・引用
  上州上野村にある尾附城は知られている山城ですが、たまたま地元の御婦人と話になり。「実は北の山にも山城があります。」との情報を得て、実際に登ってみたところ、単曲輪ですがりっぱな山城がありました。谷を隔てて、尾附城と連携した山城です。上州の山城研究の先駆者、山崎氏もこの遺構には気づかれなかったようです。
写真1 尾附城の俯瞰図(宮坂武男氏の俯瞰図を上野村教育委員会が引用された図)
写真2 生活改善センターの駐車場から北に見える山が城山です。
写真3 尾附北城(仮に)の本丸

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

越路城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時32分58秒
返信・引用
  和歌山県新宮市のお城。

かつての越路峠のすぐ脇に築かれており、峠を監視するための城郭であったと思われる。

1郭の土塁や虎口には石垣が積まれており、なかなかしっかりと構成された城郭のように思われるのだが、郭同士の比高差がかなりあり、連携の取りにくい構造となっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/singuusi02.htm
 

石倉山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時31分1秒
返信・引用
  これも那智勝浦町のお城。

比高40mの山稜上に、多数の郭を造成した山城である。

津波避難用の階段で簡単に登れるらしいが、その入り口が分からず、けっこう苦労してしまった。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm#isikura
 

勝山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時29分44秒
返信・引用
  これも那智勝浦町のお城。

この辺りでは拠点的な城郭であったようだ。重厚な土塁や堀切、石組みの本格的な井戸など、それなりに遺構は残されているのだが、整備されておらずヤブなうえに、案内板も何もなく、忘れ去られた城址となっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm#katuyama
 

下里城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時28分13秒
返信・引用
  これも那智勝浦町のお城。

削平がきちんとしておらず、現在では住機によって破壊されているようにも見えるが、もともと変わった構造の城であったようだ。

山上に池があるのが珍しい。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm#simosato
 

御社森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時27分7秒
返信・引用
  和歌山県那智勝浦町のお城。

大規模ではないがコンパクトによくまとまっている。山頂に神社があるため、参道が整備されており、わりとすぐに登れる山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm
 

佐部城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時26分3秒
返信・引用
  これも串本町のお城。

急峻な斜面上に、わりあい広く土塁を伴った本丸がある。登城道の途中のいくつかには出城もある。

尾根から本丸までは岩場をよじ登って行くが、それだけに山上からの景色はよい。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm#sabe
 

虎城山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時23分44秒
返信・引用 編集済
  これも串本町のお城。

割合単純な構造であり、大規模な遺構も見られないが、地元の豪族高川原氏の居城であった。高川原氏は後に浅野氏に仕え、広島に転封となった。

虎城とものものしい名称になっているが、これは要するに「古城」の当て字である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm#kojou
 

和深浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時22分39秒
返信・引用
  これも串本町のお城。

虎松山城の城主村上氏の平素の居館である。

規模はそれほど大きくないが、幅広の堀切や、主郭周囲の鉢巻き石垣などは見どころとなっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm#wabuka
 

虎松山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時21分33秒
返信・引用
  和歌山県串本町のお城。

和深の山中に残された城郭である。案内板も登城道もないが、城内は見通しがよく、深い堀切に高い土塁、畝状竪堀に、堀切と垂直に郭内部に形成された畝状阻塁などを見ることができる。

見事である!

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm
 

神田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時54分36秒
返信・引用
  和歌山県すさみ町のお城。

畝城竪堀や三重堀切、横堀など、いずれも遺構規模が大きくて見どころのある城郭である。

城主は関東からやって来た宇都宮氏である。ここの宇都宮氏は織田信長に恨みを抱いており、本願寺に従って、徹底的に織田氏と交戦した人物であった。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/susamimati01.htm
 

安宅大野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時36分24秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

比高20mほどで、春日神社の背後の山稜が城址となっている。

規模は大きくないが、構造はしっかりとしている。ヤブが少なく見通したよいのがうれしいところである。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamatiw.htm#oono
 

土井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時35分25秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

天徳寺の背後の比高80mほどの山稜に築かれている。

山の斜面に何段にも掘られた横堀や、何度も折れる登城道、尾根続きの5重堀切など、なかなか技巧的ね山城である。地方の一領主の居城であったにしてはかなり特徴的な山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamatiw.htm#doi
 

安宅中山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時33分38秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

比高30mほどで大規模ではないが、二段に巡らされた横堀など、なかなか重厚な遺構を見ることができる。ヤブが多いのが残念な点である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamatiw.htm#nakayama
 

馬谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)20時48分21秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

それほど大規模な山城ではないが、大堀切や畝状竪堀群など、けっこう見どころはある。現在は山の下を紀勢自動車道のトンネルが通っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamati02.htm#umatani
 

祇園山本陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)20時47分12秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

その名称の通り、陣城として構築された城であるという。その割に構造はしっかりとしている。

山上に八坂神社の赤い鳥居が見えているので、どの山かはすぐに分かる。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamati02.htm#gion
 

堅田要害城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)20時45分52秒
返信・引用
  和歌山県白浜町のお城。JR白浜駅のすぐ裏手にそびえている山に築かれている。

大規模ではないが、しっかりと土塁がめぐらされた主郭の東側には枡形状の空間、南側には堀切もある。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamati02.htm
 

衣笠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)18時26分24秒
返信・引用
  和歌山県田辺市のお城。

衣笠城と言えば三浦氏の本拠地を思い出してしまうのだが、飯盛山と同様、衣笠のような形状をした山はみな衣笠山と呼ばれるのであろう。

それほど大規模ではないが、山頂近くまで車道が付いているので、気軽に訪れることのできる山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/tanabesi02.htm
 

平須賀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)17時26分15秒
返信・引用
  これもみなべ町のお城。高田土居城の詰の城である。

急峻である上に、あちこちに岩肌が向きだした天然の要害である。山上には多数の郭や堀切などが造成されているが、発掘で木が切られた後、放置されてしまったようで、城内には人の背丈ほどの草が繁茂して、探索できない状態になっていた。

よさそうな山城であるのに残念だ。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/minabemati01.htm#heisuga
 

高田土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)17時24分22秒
返信・引用
  和歌山県みなべ町のお城。

平城であり、高速のインターがそばで建設されたこともあり、かなり破壊が進んでいる。航空写真ではそれでも1郭の形状をはっきりと確認できるのであるが、草が繁茂していてよく分からなくなってしまっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/minabemati01.htm
 

藤波城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)15時43分57秒
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  和歌山県有田川町のお城。

平野部に残る平城である。周囲は宅地化が進んでいるので、城址はミカン畑となっていたせいか、北側の堀がよく残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/aritagawamati01.htm
 

岩室城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)15時27分18秒
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  和歌山県有田市のお城。

比高250mもある高所の山城であるが、幸いなことに山頂近くまで車道が付けられ駐車場も設置されているので、安心して上がっていける。

山頂は眺望はよいが、草ぼうぼうの箇所が多く、夏場の探索はかなりきついのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/aritasi01.htm
 

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