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田光城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時56分9秒
返信・引用
  同じく菰野町のお城。

「田光」と書いて「たびか」と読むのが珍しい。なんとなく「スピカ」などといった名前と共通性を感じてしまい、先未来的な印象を受けてしまう。

城内には天守台や井戸、石積みなどもあり、なかなか充実した遺構を見ることもできる。そばに公会堂があるため、トイレや駐車場も完備している。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/komonomati01.htm#tabika
 
 

菰野陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時53分48秒
返信・引用
  三重県菰野町のお城。

もともとは中世城郭であったが、近世に入り陣屋として整備され、幕末まで存続した。幕末には幕府の権威が落ちたのを幸い、天守に代わる隅櫓を建造したりしている。

小学校の敷地となっているため、遺構の残存状況はそれほど良くはない。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/komonomati01.htm
 

治田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時51分56秒
返信・引用
  こちらもいなべ市のお城。

先の2城とは異なり、普通の山城といった趣の城郭である。しかし、山城としての要素は一通り備えている。

道がないのでテキトーによじ登っていくしかないのだが、この山にはヒルがけっこういるので注意! 長靴をはいていたから吸われずに済んだのだが、油断していればヒルにやられてしまう。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm#hatta
 

大井田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時49分49秒
返信・引用
  おなじくいなべ市のお城。「おおいだ」ではなく「おいだ」と読む。

台地先端部に主郭を持ち、そこから多数の屋敷地を配置している。主郭のみ梅林公園となっているが、あとは広いヤブである。

南側の台地にも遺構を残している。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm#oida
 

田辺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時47分53秒
返信・引用
  田辺城という名称の城は各地にあるが、これは三重県いなべ市のお城である。

北伊勢には主郭周囲に屋敷地を配置した城郭がいくつもあるが、そうした城郭との最初の遭遇となった。

デジカメを忘れてしまったのでスマホで撮影したのだが、バッテリーの持ちがよくないために、いつもより写真撮影ができなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/inabesi01.htm
 

Re: コアな山城へようこそ

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)20時52分1秒
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  > No.5242[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

らんまる殿、こんばんは。、書き込みありがとうございます。

信濃も、訪問するのが、だんだんマイナーな城館になってきました。これというのも宮坂氏のん本があるからですが、まだまだ未踏の城が多く、信濃の城は奥が深いです。

らんまる殿は相変わらず、普通の人が訪れないような険しい山城を散策されているようですが、十分にお気を付けください。

おっしゃる通り、今年は雨が多いので、本当に城巡りには難儀しますね。実は先週の土日は遠征してきたのですが、終始雨に悩まされ続けました。

今年の信州は大雪ですか? すると年末や3月頃の城攻めは厳しいですかね。

それではまたです。
 

コアな山城へようこそ

 投稿者:らんまる  投稿日:2017年10月21日(土)08時13分10秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。

信濃はまだまだ落葉にもならず、藪が多くさぞかし難儀の訪城かと思われました・・(汗)
今年はカメムシが大発生しているので、この冬は大雪なるのでは?という里人の言い伝えがあります。その上、雨も例年になく多く秘境の山奥の城を残すのみの小生にとっては、休日の雨は恨めしい限りです(笑)

先日、梓川の水殿ダムの対岸の栃沢にあるという前人未到の「殿様小屋」を目指しましたが、藪に阻まれ来月に持越しとなりました。もはや山城探訪というよりは「特攻野郎Aチーム」状態(爆)遭難してお国に迷惑を掛けないようにと心掛けてはおりますが・・・。

では、またのレポート楽しみにしておりまするw
 

須立之城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時54分10秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。

集落からかなり奥に入り込んでいったところにある。犀川に臨む比高220mの山稜上である。

手前まで車で行くことも可能なのであるが、どうにもヤブが多くて、この時期ではまだちゃんと探索はできない。

この城の主郭にある看板、字がかすれて読めないなあと思ったのだが、よく見ると昭和54年に設置されたものであった。昭和54年と言えばまだ高校生だったころである。よくぞまあ、そんな古い看板がまだ立っているものだと思うと感慨深かったりする。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#sudate
 

石川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時31分48秒
返信・引用
  長野市のお城。

聖川に突き出した半島状台地に築かれている。縁部にはたくさんの石垣が見られるのだが、どこまでが遺構なのかよく分からない。

主要部は竹やぶに覆われてしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#isikawa
 

萩野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時30分12秒
返信・引用
  長野市のお城。

標高1200mもある地蔵峠から南に突き出した尾根上に築かれている。地蔵峠には駐車場があり、そこから派生するトレッキングコースの案内板も立てられている。

そのうちから萩野城コースを選んで歩いていけば城内に到達する。

このコース以外にも、陣場平コースを選んでいけば、葭雰神社物見、朝日城、小野平城なども訪れることができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi05.htm
 

小松原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時28分13秒
返信・引用
  長野市のお城。あまり知られていない歴史未詳の城であるが、主郭周囲を巡る横堀など、しっかりとした遺構が残されている。

天照寺の背後の比高170mもある山稜上に築かれている。宮坂氏が、この城を発見するまでの苦労話が『信濃の山城と館』のコラムに掲載されていて、宮坂氏の苦労をしのびながらの登城であった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm#komatubara
 

吉窪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時25分51秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。

小田切氏の詰めの城である。しかし、周辺の道が狭いので、途中、運転していて不安になって今う。

大規模城郭とは言えないが、導入路はかなり技巧的であり、石垣もあちこちに積まれている。なかなか見どころのある城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi06.htm
 

竹の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時23分50秒
返信・引用
  これも須坂市のお城。

井上城の支城というべき城で、北東側に向かい合う山稜に築かれている。

尾根基部の方に乗越峠があり、かつての街道を押さえていた。この峠まで行ってしまえば、城まではすぐである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/susakasi01.htm#take
 

井上城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時22分27秒
返信・引用
  長野県須坂市のお城。地元豪族井上氏の詰めの城である。

大城・小城の2つの城域に分かれているのみならず、山麓近くには十九塙城もある。さらに山麓には井上氏関連の城館等の史跡があり、併せて回ってみるとよいだろう。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/susakasi01.htm
 

春山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時21分2秒
返信・引用
  長野市のお城。地元では「1に春山、2に尼巌、3に鞍骨」と伝えられ、尼巌城、鞍骨城をさしおいて、もっとも要害な山城であったと伝えられている。こんな山、本当は登りたくないのだが、そういう城では行ってみないわけにはいかないではないか。

蓮台寺から太郎山トレッキングコースを使って登っていく。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#haruyama
 

寺尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時18分41秒
返信・引用 編集済
  長野市のお城。金井山城と尾根続きの部分が接続している。

下に愛宕社があり、そこから登っていけばすぐに城内である。南北に長い山稜を連郭式に配置した山城で、主郭には城主の墓が置かれていた。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#terao
 

金井山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時17分1秒
返信・引用
  長野市のお城。尼巌山の下方の比高130mの山稜に築かれている。側面部が岩肌むき出しの堅固な山である。

山を登るのが嫌いなので、鳥居峠からアクセスした。するとすぐに城内に到達した。岩を利用した大規模な堀切など見どころが多い。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#kanai
 

竹山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月 1日(日)08時15分15秒
返信・引用
  長野市のお城。松代城のすぐ南側にある。

この山を象山という。佐久間象山は松代藩出身の蘭学者である。彼が象山なんていう号を付けたのは、代わった趣味の持ち主であったからだと思っていたのだが、実際はそういうわけではなかったらしい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#takeyama
 

Re: 町付城のこと

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月25日(月)05時15分55秒
返信・引用 編集済
  > No.5229[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

大子町は本当に面積の広い町ですが、もともとはこれほどたくさんの村があったのですね。驚きです。

初めて知りました。
 

町付城のこと

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 9月22日(金)09時51分12秒
返信・引用
  余湖さん。おはようございます。
前回は荒蒔城の情報をありがとうございました。

先日『図説茨城の城郭』をながめているときのこと。
「町付城」の地図で妙な既視感があったので、
気になって現地に行ってみたところ、
家内の老親が疲れた顔で畑を耕していました。
「虎口」に近いの4廓付近の畑でした。
そういえば30年近く前に一度だけ
飼料用トウモロコシの種まきと収穫と手伝ったことがありました。
我が家から30キロ位の場所です。大子町は広いですね。

この頃、大子町の歴史を調べる機会があったので、
城跡の調査の参考になればと思い、以下に添付します。

保内郷1町8か村(古くは下野国の依上保と呼ばれた)
《大子村》(後に旧大子町となる):大子村、浅川村、上岡村、山田村
《黒沢村》:上野宮村、上郷村、町付村、中郷村、北吉沢村
《依上村》:下金沢村、上金沢村、芦野倉村、塙村、相川村、田野沢村
《佐原村》(依上村から分離):初原村、槇野地村、左貫村
《宮川村》:矢田村、川山村、冥賀村、下野宮村、高田村
《袋田村》:袋田村、下津原村、久野瀬村、南田気村、北田気村、池田村
《生瀬村》:小生瀬村、高柴村、内大野村、外大野村、大生瀬村
《上小川村》: 栃原村、大沢村、頃藤村
《下小川村》:西金村、盛金村、久隆村、家和楽村
 (下小川村は西金村の一部、盛金村の一部が大子町へ、他は旧山方町と合併)
《諸富野村》:北富田村、諸沢村、西野内村
 (諸富野村は北富田村の一部が大子町へ、他は旧山方町と合併)

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

余湖さんへ

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月21日(木)22時48分29秒
返信・引用
  ありがとうございます。
写真比較に使わせていただきます。

余湖さんの訪問が10数年前、ということは、東日本大震災の影響なのかもしれません。

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 写真使わせてください

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月21日(木)22時09分42秒
返信・引用
  > No.5225[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

写真の使用、了解しました。なるほど以前のものと比較すれば、崩落の度合い等が分かりそうですね。

私が長沼城を訪れたのは、もう10数年前です。なんだか懐かしいです。

それではまたです。
 

比較写真

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月20日(水)23時06分20秒
返信・引用
  余湖さんの写真はリンクで。
http://yogokun.my.coocan.jp/hukusima/naganumask06.JPG

私が撮影したのはこれ

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

写真使わせてください

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 9月20日(水)23時00分34秒
返信・引用
  >余湖さんへ
今、福島県須賀川市の長沼城の記事を書いているのですが、余湖さんの本丸神社裏の石垣の写真と今(といっても半年前)の状況で比較してみるとけっこう劣化しているので、比較写真として使わせてもらいたいのですが、いいですか?

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 鉢形城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月19日(火)22時11分53秒
返信・引用
  > No.5223[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

確かに荒川に臨むあの断崖はすごいです。


三代王神社は城域外だと思います。
 

鉢形城

 投稿者:阿笠  投稿日:2017年 9月16日(土)10時32分6秒
返信・引用
  凄いですね。荒川の方から見ると、まさに難攻不落ですよね。あと、馬加城の近くに三代王神社というものがあり、そこも城の一部ではないかと思います。  

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月16日(土)04時26分13秒
返信・引用 編集済
  > No.5221[元記事へ]

横尾 さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。またまた新城発見ですか、すごいですね。このお城はまだ訪れたことがないのですが、川中島関連の城には興味があるので、いずれ行ってみたいです。

岐阜の山城の件、五郎さんにも相談してみます。昨年訪れた山城はいずれも、見ごたえがありましたね。特に前田砦には圧倒されました。

よさそうなところがありましたら、調べてみてください。

それではまたです。

さて、この土日はお仕事だ! 頑張ろう!
 

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:横尾   投稿日:2017年 9月15日(金)20時28分33秒
返信・引用
  > No.5187[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。


>
> ところで、横尾さん、まだ先の話なのですが、今年の山城の日も連休になるので、どこか一泊で遠出してみたいと思っています。もしリクエストなどありましたら教えてください。
>
昨年の岐阜の山城はどれも見ごたえありました。まだまだ大規模な山城がありそうなので、今年もまた岐阜へ出かけませんか。候補の城は調べてみます。

ところで松本市(旧四賀村)にある鷹巣根城(刈谷原城)へ最近登ったのですが、宮坂氏の縄張り図に乗っていない南尾根(これはなかなかの縄張りです。)を発見し、松本市教育委員会にこの旨を報告したところ、調査してみますという回答をいただきました。

写真1 本丸南下の腰曲輪から南西尾根(宮坂氏が描いています。)とこの曲輪から南尾根にもう一つ縄張りされています。
写真2 南尾根堀切
写真3 大きな曲輪を空堀で受けていますが、壕によって西への通路になっています。

ご存じの通り、刈谷原城は第一次川中島の合戦で刈谷原城、青柳城、麻績城、更埴と行軍のルートになっていた山城です。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

おすすめ城本

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月10日(日)05時34分57秒
返信・引用 編集済
  『中世城郭の縄張と空間』(松岡進・吉川弘文館)という本を図書館で見かけ、借りて読んでみた。

中世城郭の縄張をどう収斂させていくか、ということについて、葛藤しながらも、未来志向に論を展開させようとした画期的な本であるといえる。

おそらく多くの城マニアは、縄張論を個々のパーツ論として理解はしながらも、それが発掘成果や史料とどう整合させ、トータル的な構造論として捉えられるのかという点についてまでは思考が及んでいないと思う。

発掘学者や歴史学者の批判にどう向き合っていくべきかは、中世城郭の構造論の根本に立ち戻って丁寧に見ていかなければならない問題なのだろう。

今まで城関連の本を読んでいて「?」と感じることが少なくなかった。おそらく縄張論者の文章は主観が勝りすぎているからだと思う。しかし、この著者の文章はとても素直に頭に入ってくる。論旨が冷静で客観的だからであり、著者が非常にクレバーな人間であるということがよく分かる。

それにしても縄張の編年化は、やはり困難なものなのだと思う。城が築かれる際の条件には地理的地形的な側面や、築くために使用できる時間の長短、築城主体者の財力、環境などによって大きく左右される。それらすべてを特定の権力の影響や地域的特性に収斂させていくことが、果たして可能なのか。

近世城郭視点から遡って城の構造を把握しようとする意識からいつになったら脱却できるのか、すでに染みついた先入観からはばたくのは、口で言えるほど簡単なことではない。
 

美和地域山城ツアー

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 8日(金)20時27分18秒
返信・引用
  平成29年度常陸大宮市文化財集中曝涼関連行事として、10月22日(日)に、茨城城郭会(常総戦隊ヤブレンジャー)が案内する高部城等のツアーがあります。

詳しくは以下のページをどうぞ。

http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/page/page002712.html
 

茨城大学土曜アカデミー

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 7日(木)20時27分37秒
返信・引用 編集済
  まだ先の話ですが、12月2日に茨城城郭研究会の参加するイベントがありますので紹介いたします。

ただ、このラインナップを見ると、茨城城郭会は、おまけ的な感じのようです。

https://www.dropbox.com/s/j0bmk4m48stiz1i/%E5%9C%9F%E6%9B%9C%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88.pdf?dl=0

 

Re: 黒沢村について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 2日(土)04時30分17秒
返信・引用 編集済
  > No.5216[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。黒沢村のことはまったく知りませんでした。『城郭体系』には、「大子町黒沢」という地名にある城郭がいくつか掲載されており、現在の地番で黒沢が存在していないので、どういうことなのかなと思っていました。大子町もかなり面積の大きな町ですが、そのように市町村合併を繰り返していたんですね。

大子町ではさっそく『続図説茨城の城郭』を入れてくださいましたか。ありがとうございます。今回は、大子町の城址もいくつも取り上げられており、なにかと参考になるのではないかと思います。

荒蒔城は、集落の一番北側の家の所から尾根続きに歩いていけば、距離はありますが、城の北側に到達します。また、一番下の民家の所から谷津を通って入っていくこともできたかと思います。

気を付けていってらっしゃいませ。
 

黒沢村について

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 9月 1日(金)16時58分3秒
返信・引用
  こんにちは。
横スレでごめんなさい。
黒沢村は町付、上郷、上野宮、中郷、北吉沢の5つの村が合併して誕生しました。
やがて、大子町と他の7つの村と合併して現在の大子町となっています。
今年の冬に荒蒔城(館山)に散策に行く予定です。

「続茨城の城郭」は大子町図書館に依頼して前巻と共に棚に入れて頂きました。

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

Re: 茨城県大子町の荒蒔氏館について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 9月 1日(金)04時47分51秒
返信・引用
  > No.5214[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。なるほど、町付のことを昔は黒沢村と言っていたのですね。

『城郭体系』には、町付城のことは「獅子城」として掲載されていますので、となると、荒蒔氏館というのは、荒蒔城のことと解釈するのがよさそうですね。

荒蒔ではなく、黒沢にある荒蒔城ってどういうことなのかと思っていたのです。あとで、荒蒔氏館のことは削除しておきます。

『茨城の城郭』、購入いただいてありがとうございます。続編が出たところで、茨城はかなりマニアックな城郭まで、一般的な書籍で図面付きで紹介できている県になったと思います。

入野城の歴史についても、これまでほとんど言及されることはなかったと思いますが、あのように解釈してみました。想像の範疇ですが、蓋然性は高いものと思っています。

それではまた、何か情報がありましたら、よろしくお願いします。

 

茨城県大子町の荒蒔氏館について

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2017年 8月31日(木)17時48分59秒
返信・引用
  茨城県大子町にある荒蒔氏館の位置についてなのですが、
黒沢と言う地名は大字「町付」のことではないでしょうか。
昔、町付地区周辺一帯は黒沢村というくくりだったそうです。
だから、荒蒔氏館というのは町付地区にある荒蒔城もしくは町付城の
ことではないでしょうか。

あくまで推測です。間違っていたらごめんなさい。

「茨城の城郭」買ってみました!
呼んでみたこところとても面白かったです。
家の近くにある入野城(城里町上入野)の記事が分かりやすくて
大変参考になりました。
ありがとうございます!
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月30日(水)04時15分30秒
返信・引用
  > No.5212[元記事へ]

利右衛門さんへのお返事です。

村境でしたか。江戸などの都市においても、要所要所に木戸をおいて、夜中の人々の通行の制限を行うということは一般的に行われていましたから、地方の村においても同じようなことが行われていたということは蓋然性のあることだと思います。

そうすると、この戸内というのは、「村境に置いてあった木戸の中」を示す言葉かと思われます。番所程度のものはあったのかもしれませんね。

いずれにせよ、地名から当時の状況を読み解いていくというのは、歴史的状況を探るための1つのアクセスポイントだと思います。ぜひ、頑張って調べてみてください。

それではまたです。
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:利右衛門  投稿日:2017年 8月29日(火)22時25分7秒
返信・引用
  > No.5211[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

江戸時代、村境になっているところが戸内になっています。ただ、この村境、以前は戸内よりもっと手前にあったとかで、以前の村境辺りに、村境にありがちな、五本松という地名もあります。戸内が境となっている村境、藩境にもなっており、太平の世、江戸時代においても領地争いが行われておりました。それで領地境が変化していったのだと思います。
戸内の隣の字名に、滝はおろか、川もないところに小滝という地名があり、これは伝播地名であり、小滝という領主がいたと考えています。これは古文書上との関連を兼ね合わせてのことですが。ただ、おしむらくは小滝を名乗っておらず、おそらく本姓に復していると推測しています。
いずれにせよ、地域民との伝承との兼ね合いをみて掘り下げていこうと思います。
打ち捨てられた、兵どもの夢の跡をこの世にとどめようという管理人様の活動、いつも拝見しており平伏しております。管理人様の後塵を拝しつつ、解明に努めてまいりたいと思います。
 

Re: 戸内という地名について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月29日(火)04時47分7秒
返信・引用 編集済
  > No.5210[元記事へ]

利右衛門さんへのお返事です。

「戸内」は城郭関連地名の1つです。「戸」は城下集落の入口にあった木戸を指すことが多いので、城下集落(宿)の入口付近に残っている地名です。
「堀ノ内」「楯の内」「柵の内」などと似たようなものです。

もっとも、城がなくても集落の入口に木戸を設置する場合もあるでしょうから、100パーセントというわけではありません。

また、「殿内」の転の場合の場合もあるでしょう。その場合は、地元の有力者が住んでいたことを示している場合があります。

いずれにせよ、他の地名と合わせて考察してみれば、城館の存在を推定できる可能性があろうかと思われます。
 

戸内という地名について

 投稿者:利右衛門  投稿日:2017年 8月28日(月)20時09分25秒
返信・引用
  管理人様、お久しぶりです。地元に戸内という地名がありまして、「とのうち」と読みます。とのうちは戸野口「とのぐち」の転であり、集落の入り口だという解釈があったり、殿ノ内「とのうち」に通じ、武士の居館があったという解釈もあります。管理人様は上記の解釈についていかが思われますか・  

川辺堀之内城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時35分14秒
返信・引用
  これも日野市のお城。

わずかながらも遺構を残している。とはいえ、わざわざ遠くから見に来るほどのものではない。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hinosi.htm#kawabe
 

百草城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時33分22秒
返信・引用
  東京都日野市のお城。

京王百草園となっているので、これを訪ねていけばよい。ところが、この日、すでに閉園時間になってしまっていたために、城址の半分ほどしか見学できなかった。

上総にありがちな尾根式城館のようなタイプのお城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hinosi.htm#mogusa
 

網代城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時32分3秒
返信・引用
  東京都あきる野市のお城。

比高160mの山にあるが、ハイキングコースが通っており、すぐに登れるようになっている。

しかし、あまりぱっとした遺構はない。古いタイプの山城であったろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi.htm#ajiro
 

出羽山砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時30分48秒
返信・引用
  東京都八王子市のお城。

出羽山公園として整備されているが、あまり城郭らしい明瞭な遺構は備えていない。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi03.htm#dewa
 

小松城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時29分52秒
返信・引用
  これも相模原市のお城。

寺院の背後にあり、多数の堀切で区画された連郭式の山城である。

こちらも神奈川の戦国城郭としては、まともな遺構を残している方である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/sagamiharasi01.htm#komatu
 

上の山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時28分42秒
返信・引用
  これも相模原市のお城。

本格的な千石城郭が少ない神奈川県にあって、めずらしく技巧的な山城である。

あまり有名ではなく、歴史も不明だが、ぜひ訪れてみるべきお城である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/sagamiharasi01.htm#ue
 

伏馬田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時27分14秒
返信・引用
  相模原市のお城。

戦国期の山城である。地元の人に愛されているらしく、あちこちに案内板があり、登山道もハイキングコースとして整備されている。

しかし、遺構はたいしたことはない。

それよりも、おそらくこの山であろうと思うが、足首を7カ所ほどもヒルに吸われてしまった。

神奈川の山を歩く際は、ヒルに要注意である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/sagamiharasi01.htm
 

田代城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時24分47秒
返信・引用
  これも愛川町のお城。

細野城とすぐ向かい合った丘陵にある。谷戸式城館であったようで、主要部は中学校の敷地となっている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/aikawamati.htm#tasiro
 

細野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時22分58秒
返信・引用
  これも愛川町のお城。

津久井衆の一人、内藤氏の居城と言われている。

こちらも単郭ながら、まあまあ遺構を残している。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/aikawamati.htm#hosono
 

小沢城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時21分20秒
返信・引用
  神奈川県愛川町のお城。

長尾景春の乱で、長尾方の武将が籠城して耐え抜いた城。

単郭ではあるが、わりと守りやすい城郭であったようだ。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/aikawamati.htm
 

厚木城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時19分39秒
返信・引用
  神奈川県厚木市のお城。

神社の境内になっており、平城ながら堀の跡がかろうじて残されている。

都会にある城としては、わりとよく残っている方であろう。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/atugisi.htm#atugi
 

丸山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時14分9秒
返信・引用
  神奈川県伊勢原市のお城。

丸山城址公園となっており、やっと城址としてまともに認識されている城に遭遇した。

整備された公園となっているので散策は楽ちんである。

戦国期の城と言われているようだが、構造は単純なものである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/iseharasi02.htm
 

鐙摺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時12分39秒
返信・引用
  神奈川県葉山町のお城。

海に面した独立丘であるが、城としては小さすぎ、現地での呼び方も旗立山である。

伊東祐親が処刑された場所でもある。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/hayamamati.htm
 

佐原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時11分0秒
返信・引用
  これも横須賀市のお城。

三浦義明の弟、佐原義連の居城とされているところである。

やはり、それらしい遺構がないうえに、立ち入り制限されている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm#nuta
 

怒田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時09分29秒
返信・引用
  これも横須賀市のお城。

同じく衣笠城の支城で、こちらは発掘の成果から、13世紀の城という報告もされている。

公園となっているのだが、県指定史跡吉井貝塚としての位置づけがメインであり、貝塚の案内がたくさん立てられている。

「堀のせいで貝塚の一部が破壊されている」など、どちらかというと中世城郭は迷惑な存在であるかのような書きぶりである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm#nuta
 

大矢部城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時06分37秒
返信・引用
  これも横須賀市のお城。

衣笠城の至近距離にあり、衣笠城の支城と言われている。こちらも、ほとんどまともな遺構がないが、鎌倉時代の城であるから、こんなものだろうと理解。

市営霊園の中にあり、駐車場から登城道が付いている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm#ooyabe
 

衣笠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月27日(日)06時04分41秒
返信・引用 編集済
  神奈川県横須賀市のお城。

三浦氏の本拠地で、三浦一族滅亡の城としてよく知られている。

城らしい遺構がないので、本当に城なのかどうか、疑問の声がよく聞こえてくるが、戦国時代の雄大な遺構を持った城と比較してしまうからである。

鎌倉時代初期の城としては、こんなものなのではないだろうか。むしろ、鎌倉時代の山城の恰好なサンプルとすべきものではないかと思う。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/yokosukasi01.htm
 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)21時22分34秒
返信・引用
  > No.5190[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

> 余湖図5555城は、通過おめでとうございます、かな。

ありがとうございます。そうして励ましてくださる人がいたので、なんとか投げ出さずにここまでやってこれたのかなあと思います。

このところ、またやっとぼちぼち活動できるようになってきました。『続図説』がこの時点で開始だったら、もっと皆さんのお力になれたのになあと思いますが、それはそれでいい本ができたので良かったと思います。

「12月2日は休むよ」と今から宣言しているので、おそらく12月2日は参加できると思います。

ずっと質よりも量優先でやってきていますが、おっしゃる通り、私の図はどこに引用されても見る人が見れば分かると思います。でもそれを自分の作品のように使用している人が相変わらずいたります。

このところ体力・気力共に次第に衰えてきているなあということも感じます。私のホームページも、次第に晩年に近づいているのは間違いありません。

でもまあ、まだしばらくは頑張ってみたいと思っています。

それではまたです。
 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)21時15分48秒
返信・引用
  > No.5189[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

長政殿、こんばんは。長政殿に言われて尻八館に行ってみたくなってしまい、矢も楯もたまらず、青森まで700キロを走ってきました。

例の展示、東京でも開催されるのですね。時間があれば行ってみたいです。

>
>   5555城ですか。ついこの間3000城を超えたかと思ったのですが、相変わらずの精力ぶり感服する限りです。こうなったら10,000城目指すしかないですね。
>  廃城を行く5も楽しみにしています。
>

10000城は無理でしょうね。私にそれだけの時間が残されているとは思いません。それでももう少しは地道にやっていきたいなと思っています。

まあ6000城くらいは確実にいくでしょうね。6000城目はどこの城になるのかなあ。

「相変わらずの」というよりは、ここ何年間か、あまりお城には行けなかったのが、このところやっと余裕が出てきた、といったところです。

とはいえ、今は土曜も仕事になることが多いので、昔のようには出かけられませんね。

それではまたです。
 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:ひづめ  投稿日:2017年 8月20日(日)16時51分11秒
返信・引用
  > No.5180[元記事へ]

余湖図5555城は、通過おめでとうございます、かな。

> それにしても、我ながら5555城もよく描いたよなあ、と思う。ここまで来るのに20年かかっている。最初に始めたころにはこんなに描くなんて思ってもいなかった。

わずか20年で、とも感じます。そしてその全部を訪問しているわけですから、それも凄い数字です。もう一つ素晴らしいのは、余湖図はどこで見ても見紛うことなく余湖図であることです。怪しい引用をされても絵自体が「余湖図だよ~!」と主張していますよね。

> 5000城以上も城の図を描いてみんなに公開している人って他にいないだろう。そういう意味では非常に奇特なことをしていると言ってもいいかもしれない。

そういう奇妙なことをやり続けてくれる人のおかげで、私たちのお城ライフも豊かになります。感謝です。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

Re: 余湖図5555城目!

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 8月20日(日)10時32分56秒
返信・引用
  > No.5180[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> 描きも描いたりといったところか。
> 余湖図5555城目のキリバンは青森市の尻八館である。長政殿に勧められてから、何とか行ってみたいと思っていた。青森の山城では1番と言っていいと思われる。



  5555城ですか。ついこの間3000城を超えたかと思ったのですが、相変わらずの精力ぶり感服する限りです。こうなったら10,000城目指すしかないですね。
 廃城を行く5も楽しみにしています。

 さて、先日の江戸始図。やはり、というか当然というか、いよいよ東京に来ます。今朝の朝刊に広告が出ていました。名古屋の徳川美術館での展覧期間が短かったので、江戸東京博辺りでやるのかと思いきや、日比谷図書文化館で9/19から。しかもタダ。松江市と千代田区の共催みたいですが、太っ腹な事です。詳しくは日比谷図書文化館のHPに出ているようです。

 松江市は半世紀前にこれまで「極秘諸国城図」の寄贈を受けていたのにずっと書庫に眠らせていたそうです。「真田丸」のドラマを契機にこの図面集が注目され、鑑定を依頼された千田先生が「江戸始図」を見つけ、それを更に徳川美術館の先生に見てもらい、1607年頃の図面ということが判明したそうです。千田先生は本も書いています(「江戸始図でわかった「江戸城」の真実、宝島社新書、共著)し、今回講演会も行うそうです。


 松江市は城の天守が国宝になったことと相俟って、鼻息荒いと言うか観光強化を図っているみたいです。いずれにせよ、新所見を元に江戸城の研究が進むことは良いことです。

 それではまた。
 

戦国の城を極める!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)04時30分24秒
返信・引用
  イカロス出版から『廃城をゆく』シリーズの第5弾が8月28日に発売されます。
今回はメインタイトルが『戦国の城を極める!』となっています。

今回からすべての城に縄張図と鳥瞰図が掲載されており、やっと城郭マニアが満足できるような内容になっていると思います。

それにしても、中世城郭のシリーズが第5弾まで出るとは、意外です。
こうした城郭に興味を持つ人が増えたんでしょうねえ。


 

Re: 雑誌社から協力依頼

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月20日(日)04時23分39秒
返信・引用
  > No.5186[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。

雑誌への写真掲載、おめでとうございます!

それにしてもこういう雑誌が出る時代になったんですね。車で行ける山城とは、実に面白いところに着眼したものだと思います。

本屋さんで見かけたら、ぜひ手に取ってみたいと思います。

ところで、横尾さん、まだ先の話なのですが、今年の山城の日も連休になるので、どこか一泊で遠出してみたいと思っています。もしリクエストなどありましたら教えてください。

それではまたです。
 

雑誌社から協力依頼

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 8月19日(土)21時52分58秒
返信・引用
  ある雑誌社から「山城さんぽ」という雑誌の発行のために、私のブログの紹介している、写真を使用したいとの連絡があり了承致しました。長年、ブログを続けてきて雑誌社の目に留まったようで、うれしく思っております。「山城さんぽ」が店頭に並びましたら、購入して頂けたらと思います。好評であれば続編が出るかもしれません。
 山城めぐりでは麻績古城、麻績新城、青柳城、安坂城を紹介いたしております。
写真1 雑誌になる予定の表紙
写真2 青柳城
写真3 青柳城南城壁の石垣

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

日ノ沢舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時53分25秒
返信・引用 編集済
  これも田子町のお城。

南部家臣日ノ沢氏の居城である。

広大な台地の先端部を利用した単郭の城であるが、こちらも周囲を巡る堀の大きさに圧倒される。これだけの堀を掘るのにどれだけの手間がかかったことだろうか。気が遠くなりそうである。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm#hinosawa
 

田子舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時51分43秒
返信・引用
  これも田子町のお城。

南部家臣佐々木氏の居城であるが、後には南部氏の隠居城として使用された。

戦国期から近世にかけて活躍した南部信直・利直の親子は、ともにここで生まれたという。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm#tatuko
 

原館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時50分2秒
返信・引用
  これも田子町のお城。

南部家臣原氏の居城である。こちらも単郭で、石亀舘のように広大ではないが、主郭周囲の堀切の大きさに圧倒される。種里城に匹敵する巨大さである。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm#hara
 

石亀舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時48分53秒
返信・引用
  青森県田子町のお城・

南部家臣石亀氏の居城。

単郭ではあるがけっこう広く、わずかに残る堀切跡がかつての威容を想像させる。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/tatukomati01.htm
 

高屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時47分28秒
返信・引用
  これも青森市のお城。

国史跡となっているが、古代の集落跡のようである。吉野ケ里遺跡のように、堀の内側が低くなっているのが古代の城の特徴なのだろうか。

現在整備中であり、あと1,2年たってから訪れた方がよいと思う。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/aomorisi01.htm#taka
 

余湖図5555城目!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時45分59秒
返信・引用
  描きも描いたりといったところか。
余湖図5555城目のキリバンは青森市の尻八館である。長政殿に勧められてから、何とか行ってみたいと思っていた。青森の山城では1番と言っていいと思われる。

それにしても、我ながら5555城もよく描いたよなあ、と思う。ここまで来るのに20年かかっている。最初に始めたころにはこんなに描くなんて思ってもいなかった。

5000城以上も城の図を描いてみんなに公開している人って他にいないだろう。そういう意味では非常に奇特なことをしていると言ってもいいかもしれない。

あとどれくらい描くことになるのだろうか・・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/aomorisi01.htm
 

泉山館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時41分56秒
返信・引用
  青森県三戸町のお城。

間口側の河岸段丘上に築かれている。北側と腰曲輪、南側を二重堀切によって分断しているが、珠海ロードが主郭を突っ切っており、これによって分断されてしまっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/sannnohemati02.htm
 

比良ヶ崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時40分16秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

当地に入部した南部氏が最初に築いた城郭であるという。

かつて中学校の敷地となって遺構はあまりないが、それなりの雰囲気はある。周辺に支城群もある。

南部町はこれまで紹介した以外にもいくつもの城館を訪れたが、あとのものには見るべき遺構はなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati02.htm#hira
 

聖寿寺館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時37分33秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

南部氏初期の拠点城郭であり、国指定史跡となっている。

そのため近年、案内所まで設置されておりなかなか親切である。

城内もこれから整備が進んでいきそうな予感がする。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati02.htm#sei
 

相内館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時35分53秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

遺構はそれほどパッとしないが、鎌倉時代に当地域に入部した南部氏が初めて入城した城で、ここで地元の豪族たちと主従の契りを結んだという。

一夜堀とも呼ばれているが、堀がどこにあるのかは分からなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati02.htm
 

上名久井館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時34分2秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

下名久井館が大規模な城館だったので、こちらも期待したのだが、こちらはあまりぱっとしなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#kami
 

下名久井館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時33分3秒
返信・引用 編集済
  これも南部町のお城。

多数の郭から成り立っており、城下集落も取り込んだ大規模なお城であった。多数の城跡を残す南部町でも最大のものである。

郭ごとに〇〇館と書かれた標柱が立てられているのがうれしい。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#simo
 

古館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時31分7秒
返信・引用
  これも南部町のお城。福田舘に移る前の城館であったと言われる。

小規模で厳島神社の境内になっているが、二重堀がきちんと残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#hurutate
 

福田舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時26分34秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

瑞泉寺の境内となっている。遺構はだいぶ破壊されてしまっているが、西側の二重堀は現在でも残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#hukuda
 

苫米地舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時25分28秒
返信・引用
  これも南部町のお城。やはり九戸政実の乱の際、攻撃された城である。しかし、この城で九戸勢を撃退した。

公園となっていてきれいに整備されて訪れやすい。北側には幅広の水堀も残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#tomabeti
 

高橋舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時24分2秒
返信・引用
  これも南部町のお城。

九戸政実の乱の際、九戸勢に攻められた城である。

南北に細長い城域を堀切によって区画している。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm#takahasi
 

法師ヶ岡舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時22分42秒
返信・引用
  青森県南部町のお城。

南部家臣の城であるが、西側に巡らされた三重堀が見どころである。雨でなければ奥の方までは行って行けたのになあ。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/nanbumati01.htm
 

伝法寺羽立舘

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時21分18秒
返信・引用
  これも十和田市のお城。

台地上ではなく、台地の間に挟まれた低地という変わった位置取りをしている。

かなり広大な城郭であったようだが、土取りが行われてしまい、ほぼ隠滅状態である。しかし航空写真を見てみると、かつての城域を復元することが可能である。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/towadasi01.htm#hadati
 

伝法寺館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時19分25秒
返信・引用
  これも十和田市のお城。

九戸政実の乱の際、南部方に立って九戸勢と戦ったお城。

1郭は国道に分割しているが、2郭との間の二重堀切は残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/towadasi01.htm#denpouji
 

芦名沢舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時17分55秒
返信・引用
  これも十和田市のお城。沢田舘と近い位置にある。

深い沢を利用した崖端城郭である。遺構はそこそこ残されているのだが、雨がひどくてあまり探索ができない・・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/towadasi01.htm#asinazawa

 

沢田舘!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時16分50秒
返信・引用 編集済
  青森県十和田市のお城。

「単郭の城館かあ」と思って、たいして期待もせずに訪れたのだが、実際には素晴らしい遺構が出迎えてくれる。これだけでかい二重堀にはめったにお目にかかれない。必見!

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/towadasi01.htm
 

田舎館城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時14分32秒
返信・引用 編集済
  青森県田舎館のお城。

本来の城はほとんど遺構を残していないが、田舎館役場がすごい! どう見ても立派なお城である。

しかも役場の城門の表札が「田舎館村役場」ではなく「田舎館城」となっている。これでいいのか・・・・。

そして田舎館と言えばなんといっても田んぼアートである。こちらもなかなか素晴らしい出来であった!

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/inakadatemura01.htm
 

舞戸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時12分46秒
返信・引用
  これも鯵ヶ沢村のお城。

細長い台地上を堀切で分割した連郭式の山城である。

台地上は畑となっているが、遺構はそこそこ残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/ajigasawamati01.htm#maito
 

種里城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時11分29秒
返信・引用
  青森県鯵ヶ沢村のお城。

津軽氏発祥の地であり、地元に愛されている。国指定史跡となっていて、光信公の館などが再現されているのはいいのだが、延々流れている音楽の音量が大きすぎる。近所から苦情は来ないのだろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/ajigasawamati01.htm
 

飯詰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時10分0秒
返信・引用
  これも五所川原市のお城。

遺構的にも見どころがあり、なかなか面白い城であるが、入り口がちょっと分かりにくい。

しかし、城内まで入っていくと、模擬天守が出迎えてくれるのがうれしい。

この模擬天守、そのうち廃墟になってしまいそうだ・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/goshogawarasi01.htm#iidume
 

鏡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時08分31秒
返信・引用
  これも五所川原市のお城。

こちらも福島城の支城と目される城であるが、あまり遺構はぱっとしない。

すぐ背後に牧場があって、牛たちが人恋し気に近寄ってきた。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/goshogawarasi01.htm#kagami
 

唐川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時06分42秒
返信・引用
  これも五所川原市のお城。

福島城の背後の山稜に築かれており、詰の城であったと考えられる。

唐川城展望台からは本城部分へは行けず、林道を通ってアクセスすることとなる。

しかし、入り口から入っていったところでハチに追いかけられて、ヤブには進入できなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/goshogawarasi01.htm#karakawa
 

福島城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時04分46秒
返信・引用
  青森県五所川原市のお城。

国指定史跡で広大な城域を誇っている。安東氏の本拠地である。

末端まで見て回るには半日はかかりそう。

内郭部分が見どころで、櫓門が復元されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/goshogawarasi01.htm
 

蓬田城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時03分11秒
返信・引用
  青森県蓬田村の蓬田八幡宮が城址である。

神社の北側に長く堀が残されているが、これだけであり、全体形状は把握できない。

 http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/yomogitamura01.htm
 

黒石陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時01分59秒
返信・引用
  黒石市のお城

津軽藩の支藩である。もともと堀などの構築物を持っていないため、遺構はほとんど存在しないが、蝦夷館との間の堀切だけがよく残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/kuroisisi01.htm
 

大浦城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)21時00分36秒
返信・引用
  弘前市のお城。

津軽統一を成し遂げた津軽為信の居城である。しかし市街地化と中学校になっていて遺構はほぼ消滅。

他の津軽史関係の史跡が国史跡となっているというのに、ここだけは無指定なのが悲しい。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/hirosakisi02.htm#oura
 

湯口茶臼館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)20時58分43秒
返信・引用
  弘前市のお城。

あまり知られていないが、遺構はそこそこよく残されている。山城だが山頂の神社への参道がしっかりしていて訪れやすい。4重堀切もある。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/hirosakisi02.htm#yuguti
 

尾崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)20時57分28秒
返信・引用
  これも平川市のお城。

大光寺城の支城にあたる。こちらも平城であるが、そこそこ遺構は残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/hirakawasi01.htm#ozaki
 

大光寺城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)20時56分23秒
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  青森県平川市のお城。

津軽統一戦で津軽為信に攻め落とされた城。

遺構はほぼ残っていないが、城の図面と現在の航空写真を照らし合わせてみると、旧状は理解できる。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/hirakawasi01.htm
 

乳井古館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)20時53分35秒
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  これも弘前市のお城。茶臼館のすぐそばにある。

こちらも全山リンゴ畑である。遺構はそこそこ残っているのだが、収穫間近のリンゴ畑をあまりうろうろできない。李下に冠を正さず、である。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/hirosakisi02.htm#huru

 

乳井茶臼館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)20時52分9秒
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  これも弘前市のお城。

全山リンゴ畑となっていて道が付いているので簡単に訪れることができる。

山の上から下まで帯曲輪が連続しているが、どこまでが遺構なのかよく分からない。

乳井って変わった名称だが、乳の出ない母親のために乳のような水が出たという伝説があるらしい。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/hirosakisi02.htm#tyausu
 

大仏ヶ鼻城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 8月18日(金)20時50分5秒
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  青森県弘前市のお城。

大仏公園となっていて訪れやすい。何度も抗争が繰り広げられた城である。変形の谷戸式城館のようになっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/aomori/hirosakisi02.htm
 

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