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田辺(舞鶴)、宮津についての戯言

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 3月18日(日)10時40分36秒
返信・引用
  田辺城(京極期)には本丸に御殿ならびに天守はなかったとされています。
しかし次の疑問点から、あったと考えてしまいます。
1)近隣の福知山は7万石でありながら天守があり、細川氏、ならびに京極氏は
  12万石なので、天守がないというのが無理ではないか。
2)御殿等を拡大建設するために本丸を拡充したと考えるのが、妥当ではないか。
そこで、図面から考察すると、京極期の本丸の形状は、豊臣期大坂城に似ているように
感じます。つまり細川期本丸―大坂城奥御殿、拡充部本丸―大坂城表御殿を
意識していたのではないかということです。では牧野氏の頃にはあった
二の丸御殿というと本丸の位置関係から内堀の外にあるが、福井や今治の例から
「山里丸御殿」して藩主の私的な場所としてあったのではないかと思うのです

では、では本丸御殿、天守がいつ無くなったと言えば、宮津城建設時でしょう。
田辺城から櫓門を移した話もあるので、本丸御殿も移したと考えるのが妥当だと
思われます。

ところで、宮津城ができたのは元和以降のこともあり、天守がないと言われていますが
1818年に書かれた「丹州宮津城絵図」には、本丸の中心に、
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/maiduru/zoomify/mai30_70/mai30_70.html
19世紀中ごろに書かれた岡田春燈斉:「従成相山眺望 天橋立之図 日本三景之一」に
三重の櫓が描いています。
https://ja.ukiyo-e.org/image/ritsumei/mai30_25

ただし天守として公式的なものかというと本丸御殿の想像図が「思いつくまま」という方の
blogの「宮津城本丸御座敷御殿 完成」にありますが、注目してほしいのは、明石城の本丸御殿や、
高山陣屋の御三階と同様の構造の御殿から飛び出した望楼部です。
元和偃武以降で、田辺城からの移設天守の建設すら難しかったため、このような建て方を
したのではないでしょうか
 
 

Re: 高内館(宮田館)@茨城県那珂市

 投稿者:砂菱潜之  投稿日:2018年 3月17日(土)05時46分30秒
返信・引用
  > No.5407[元記事へ]

余湖先生、返信ありがとうございました。

訂正と追記です。

今日・土曜日ではなく、明日・日曜日の誤りです。
お詫びして訂正いたします。

現地は地下水位が高く、泥濘状態の地点も多いため、
履き物には留意してお出掛けください。

http://www.city.naka.lg.jp/page/page004224.html

 

Re: 高内館(宮田館)@茨城県那珂市

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月15日(木)04時37分16秒
返信・引用
  > No.5407[元記事へ]

砂菱潜之さんへのお返事です。

初めまして。高内館の発掘報告会のお知らせ、ありがとうございます。

高内館が発掘調査されているという情報は伺っていましたが、いよいよ報告会が開催されるのですね。これまでの調査だと、恒久的な城館ではなく、陣城ではないかと想定されているようで、なかなか興味深いところですね。

25日は私は別用があって残念ながら行くことができないのですが、関心のある方は破壊される前にぜひ訪れてみたらいかがでしょうか。

それにしても、那珂市にある貴重な平城の跡が、また1つ破壊されてしまうのかと思うと、残念な限りです。

 

高内館(宮田館)@茨城県那珂市

 投稿者:砂菱潜之  投稿日:2018年 3月14日(水)21時12分46秒
返信・引用
  夜分に失礼します。初めて投稿します。

既に御承知の方も多いでしょうけど、
現在、発掘調査をしている、宮田掃除助館跡の
現地説明会が、今週の土曜日に開催されます。

中世末期に構築されたと想定される、
比高5mの、土塁と水濠の屈曲部が見所です。
この館址の、最も特徴的かつ保存状態の良い遺構の部分が、
道路開発に伴って破壊され、今年度一杯で湮滅してしまいます。
往時の面影を肉眼で確認しうる、最後の機会となります。
興味のある方は奮って御参加ください。

http://www.city.naka.lg.jp/page/page004224.html

 

Re: 高沢右衛門尉

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月13日(火)07時41分36秒
返信・引用
  > No.5402[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

高沢氏のことについては私は残念ながらわかりません。

あの椎の木、あれで300年ほどなのですね。一見してもっと古いものかと思ってしまいました。

それはともかく、打墨城から宗教施設のような印象を受けるというのは私も同感です。もともと信仰の山だったというような気がします。

それではまたです。

 

Re: 移転先

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月13日(火)07時38分48秒
返信・引用 編集済
  > No.5401[元記事へ]

栃木県の中世城郭さんへのお返事です。

引っ越しって、かなり精神的にも体力的にも疲れますよね。お疲れさまです。

滑川ですか、自然環境が豊かなところですね。のんびり過ごすにはよさそうです。

幸いにも、といっては何ですが、埼玉は栃木の隣の県ですから、あまり遠方にならなかったのは、不幸中の幸いともいえるでしょうか(^^)

『栃木の城郭』の件、了解しました。watanabeさんの都合を待って動き出すようにと思っておりますので、時期が来たら、ぜひ教えてください。

それではまたです!

 

樹木

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月13日(火)05時48分29秒
返信・引用
  通りすがりさんへ

コメントありがとうございます。樹木については全くわらかないので
助かりました。
 

Re: 高沢右衛門尉

 投稿者:通りすがりでした  投稿日:2018年 3月13日(火)01時33分40秒
返信・引用
  安房国さんへのお返事です。

お写真の樹木はシイノキ(スダジイ)ですね。宗教施設との関連は分かりませんが、千葉県ではごく一般的に自生している樹木です。
樹齢は、お写真からの判断では300年未満といったところでしょうか。

樹木が好きなものでついコメントしてしまいました。突然申し訳ありませんでした。
 

高沢右衛門尉

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月12日(月)20時35分33秒
返信・引用
  余湖さんへ

余湖さんもこの記事を読まれていたんですね。この記事には「鹿野岡城主 高沢右衛門尉」
とあります。里見家臣団にも名前は見当たらないようですが余湖さんは御存知でしょうか?
電話帳に記載されている市内の高沢姓(正確には高澤)は3軒しかないので、昨日電話して
みました。3軒中2軒が御在宅でした。しかし、記載されていた男性の名前の方は既に
両名ともに亡くなられていて高齢と思われる奥様が出られました。この亡くなられていた
男性二人は兄弟とのことでした。しかし、両奥様とも城主の先祖がいたという話は聞いたことが
ないとおっしゃっていました。
もう一人の高澤さんは女性名で登録されてますが姻戚関係ではないそうです。

この城は私も余湖さんが言われるようにかなり古い時代のものだと思います。
私は城郭の形状で年代を推測はできませんが、写真のような古大木がピーク部
にあるのは不自然のように思います。樹齢はわかりませんが葉の形から榊の木
のようなので、戦国期より以前に神社などの宗教的施設があったのかなぁと
思いました。
 

移転先

 投稿者:栃木県の中世城郭  投稿日:2018年 3月12日(月)19時11分26秒
返信・引用
  余湖さん、こんにちわ。
私、埼玉県の滑川町、月の輪というところに引っ越します。
自然がいっぱいのクソ田舎の新興住宅地です。
ちょっと楽しみ。
落ち着いたら、栃木本の出版の件、よろしく御願いします。
絶対、やりたいです。
 

Re: 打墨城(鹿野岡城)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月12日(月)04時19分25秒
返信・引用 編集済
  > No.5399[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

打墨城のこの新聞記事、私も読みました。この城は昔県で行われた悉皆調査から漏れていて、打墨城の存在を知ったのは数年前でした。記事では、新発見の城とあったように思いますが、それよりも前に、小高春雄さんの『安房の城』で紹介されており、私もそれによって知りました。

素朴で簡素な山城で、かなり古い時代の城郭なのかなと感じました。遺構的にはそれほど凄いものはありませんでしたが、安房富士と呼ばれるだけあって景色はとってもよかったです。

それではまたです。

 

打墨城(鹿野岡城)

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月11日(日)19時17分24秒
返信・引用
  こんにちは。本日、市内の打墨城跡(県、市の教育委員会は鹿岡城跡と命名したようです)
へ行ってきました。余湖さんが行かれたのはもう20年ほど前だとは思いますが、城跡と
わかっていてもすぐに埋蔵文化財に指定されるものではないんですね。

新聞記事では、「まず案内掲示板などを設置したい」と書かれていますが、その掲示板は
1年以上経った今も設置されておらず、資料館の方に聞いてもは今のところ設置の予定は
ないようです。その代わりってわけでもないでしょうが、鴨川富士としての登山口の
説明看板があり、比較的なだらかな道で鳥瞰図の右上の部分に繋がる道へでることが
できました。

まだまだ、城の遺構を識別できるレベルではないので余湖さんの鳥瞰図と睨めっこしながら
勉強していきたいと思います。
ではまた。
 

丹後田辺城天守台

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 3月10日(土)07時40分18秒
返信・引用
  ある方の説に従えば、織田期の天守は「立体的御殿」であり、越前大野のように
今の天守の概念では異形のものがあったというので、多様な試みの中の一つでは
なかったと思うところはあります。
 

Re: 丹後田辺城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 8日(木)04時35分41秒
返信・引用
  > No.5396[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 細川氏時代の21m×31m大きさを持ち、本丸から離れ天守台だけが堀の中に忽然と浮かぶ姿は
> 大溝城の天守と類似性を感じ、織田期の天守の在り方を模索する時代を象徴するようで

田辺城の天守がそのようなものであったとは知りませんでした。高松城の天守のようなものだったのでしょうか。

 

丹後田辺城

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 3月 6日(火)20時22分56秒
返信・引用
  細川氏時代の21m×31m大きさを持ち、本丸から離れ天守台だけが堀の中に忽然と浮かぶ姿は
大溝城の天守と類似性を感じ、織田期の天守の在り方を模索する時代を象徴するようで
もうちょっと調査や、注目されても良いかなと思うんですね。
また京極期に拡張された本丸が、鍵状の形態はなのは当初からの計画なのか、本丸の拡張が
未完成のままなのか、色々と想像を掻き立てるものがあります。
 

Re: 新たな発見、高館東城(仮)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 6日(火)04時17分55秒
返信・引用
  > No.5394[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

東側にも遺構がありましたか。高舘城は、奥が深いですね。

 

新たな発見、高館東城(仮)

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 3月 5日(月)17時18分39秒
返信・引用
  高館南城の土塁の発見をお知らせしましたが、実は第二駐車場からの帰路、林道右手に土塁を見つけ、周囲を歩いて見たところ、高館城の東側丘陵地にも山城があるのを見つけました。これは私のブログ高館東城として記事にしています。また大田原市文化財課に調査の依頼ために連絡いたしました。

写真1 林道から登ってゆくと大きな曲輪があり、西には土塁が構築されています。
写真2 東尾根の南側を守る土塁
写真3 東尾根の先端にある詰め丸

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 山之城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 5日(月)07時14分41秒
返信・引用
  > No.5392[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

そうですね。考えてみればヤマビルはたいしたことないですね。確かに気持ちは悪いですが、痛くもかゆくもないし、クマやハチと違って、命にかかわることはないですからね。

山の城に行かれましたか。20年ほども前に一度行っただけなので、なんだか懐かしいですね。あの顔の形をした祠はそういうことだったんですね。知りませんでした。情報、ありがとうございます。

 

山之城

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月 4日(日)19時39分20秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。

ヤマビル、スズメバチ、イノシシ遭遇経験ありますが、考えるとヤマビルが一番マシ
かもしれませんね。

猟師・・・そういえば2006年に勝浦でサカキを採りに山へ入ったおばあさんが
サル駆除のハンターにサルと間違えられて撃たれて亡くなったのを思い出しました。
目立つ色の服装で入ったほうがよさそうですね。

先日、余湖鳥瞰図を参考に近くの山ノ城へ行ってきました。
祠の中のアヤシイ顔ですが、鴨川市教育委員会が出している「鴨川の石造物百選」
33ページによれば、宝暦9年7月に石尊神社へ奉納された天狗面のようです。
雨乞い神事と関係あるみたいです。
画像も参考までにアップしておきます。知っていたらすいません。では!

 

Re: 高館南城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 4日(日)12時40分25秒
返信・引用
  > No.5389[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは、相変わらず活発にお城廻りをしているようですね。

高館南城というのは、もしかして佐久山館のことでしょうか? それとも、他にも城郭遺構があるのでしょうか?

http://yogoazusa.my.coocan.jp/takadatekr.htm#sakuyama

佐久山館は遺構規模はかなり大きかったのですが、造作があまりにもざっくりとしていて、臨時的築城という雰囲気を感じました。

それではまたです。
 

Re: はじめまして

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 4日(日)12時37分57秒
返信・引用
  > No.5388[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

初めまして! 私のページを参考にしてくださっているようで、ありがとうございます。
安房ではおっしゃるようにヤマビルに気を付けなければならないですね。私も室戸城では吸い付かれそうになりました。
その他にもイノシシやスズメバチ、ダニなど、山歩きには注意が必要です。キョンもいるようですが、キョンくらいなら、可愛いだけで害はなさそうですね。実は一番怖いのは猟師だったりして、私は安房の某山城で、猟銃を向けられて脅されたことがありました。

少しずつ書き溜めてきた余湖図も、5700城を数えるようになっています。これを本にしたいというお話があれば、乗ってもいいと思っているのですが、商業ベースでは採算が取れないでしょうね。でも、昨年出た『廃城をゆく5 戦国の城を極める』では、収録したすべの城に私の鳥瞰図を採用してくれました。

まあ、中にはずいぶんテキトーに描いたものもありますので、少しずつ改定していきたいとは思っているのですが、なかなかそこまで進みません。

それではまたです!
 

高館南城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 3月 3日(土)20時46分43秒
返信・引用
  大田原市にある高舘城には南側に大規模な山城があるのは御存じと思いますが、先日、高舘南城(仮に)を徹底的に見てきました。前回訪れたときは本丸周辺のみでしたが、今回は主郭部の南下を見てきました。そこで、南西曲輪と南側を守る土塁、南曲輪と南から西側を守る土塁、主郭部の城壁に沿って50mもの高土塁があるのを見つけてきました。高舘城とあらたに増設されたと思われる高館南城は研究の余地があると思います。
写真1 南西曲輪
写真2 南土塁
写真3 主郭部城壁の南下土塁

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

はじめまして

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月 2日(金)22時55分23秒
返信・引用
  初めて書き込みします。安房国こと久保寺と申します。最近、お城に興味を持ち始め
このサイトを発見しました。そして余湖鳥瞰図ファンになった一人です。

自分の住んでいる地域にこんなにも知らなかった戦国時代の城があったことを
知って余湖鳥瞰図と一緒にお城巡りを始めました。

前にも書かれた方がいたようですが、この鳥瞰図が出版化される予定はないので
しょうか? 電子媒体が意外とあてにならないことに今更ながら気づきました。
大げさではなく、後世のためにも紙媒体で残して欲しいなぁと思います。

1冊に100図をまとめたとしても57巻を超えますね。そして、まだまだ増えそうですね。
自分もとりあえず自宅のある安房国の廃城をヤマビルに気を付けながら
余湖鳥瞰図を片手に巡ろうと思います。

 

Re: 駿府公園

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 3月 1日(木)23時39分40秒
返信・引用
  > No.5386[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

>>狸屋様
情報ありがとうございます。なるほど、坤櫓の手前でしたら再建にもちょっと邪魔でしたと思います。自分の遠い記憶では背後が森っぽかったのですが、今の公園にはそんな場所ありませんのでちょっと???でした。
 

駿府公園

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 2月28日(水)20時06分9秒
返信・引用
  >>あんけん様

20年蔵前に坤櫓の前の広場あたりに静岡市立の児童会館があった記憶があり
SLはそこに隣接してあった記憶があります。鉄道のレイアウトとか
大阪万博から引き取られたロボットもあった気がするんですねえ。
なんせ20年以上前のことなので不確かなんですが。
 

Re: 駿府城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月26日(月)22時19分4秒
返信・引用
  > No.5384[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。
発掘域以外でも、内堀の二の丸側に石を並べてくれてるので何となく縄張りは覗えるようになってました。昔はどこかにSLがあったと記憶してましたが・・・。

二代目天守は御存じの通り天守台内側に建ち、天守曲輪を形成してましたが、現在残ってる部分が下から約1/4で礎石も残っておらず、直に建ってたか、さらに小さな台を設けて建ってたのかは不明のようです。リップサービスでもないとは思いますが、竣工直前に焼失した初代天守は天守台いっぱいの巨大天守で、急いで再建するために二代目は床面積で縮小した可能性もあるかもという話でした。

北側の石垣は炎上時に傷んだ様子がよく判り、割れた石が多数そのままになっており、堀の中からは焦げた木材も出てて、展示されてました。天守台復元もそれらの石の強度等を見ないと方針を決められないそうです。南側の堀も発掘は進んでて、現状清水御門跡から家康公像へまっすぐ進めなくなってます。ですが透明の囲い板から小天守台西の堀が目の前に見学できます。

31年度からは中をもっと掘り下げて今川時代の遺構を探るそうです。
 

Re: 駿府城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月26日(月)04時48分24秒
返信・引用
  > No.5383[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

駿府城の本丸の発掘、進んでいるのですね。以前訪れた際には、本丸はまったく痕跡すらもなかったでしたから、かなり旧状が解明されそうですね。


> 昨年度発掘の天守台西面に続き、北面も発掘され、3方の隅が出たことで、天守台のサイズは約68m×約61mと判明しました。

これはまた、でかいですね。これまで日本最大と言われてきた江戸城天守ですら、20間四方程度と言われていますから、それをしのぐ、文字通り最大の天守だったわけですね。

駿府城の天守は7層あったという説もありますから、確かに日本最大であったのかもしれません。

 

駿府城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月24日(土)22時32分46秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
本年度の発掘が終わり、本日現場見学会が催されました。
昨年度発掘の天守台西面に続き、北面も発掘され、3方の隅が出たことで、天守台のサイズは約68m×約61mと判明しました。陸軍による破壊が酷かったため、内部もしっかり調査され、栗石を仕切るための川原石列が約4間ごとに検出されてます。また駿府城御本丸御天主台跡之図に書かれてる位置より石組みの井戸が検出されました。
 

同心円状石垣

 投稿者:田中 秀昭  投稿日:2018年 2月23日(金)12時58分8秒
返信・引用
  余湖様のおっしゃる通り、完全に合致する石垣はないような気がします。
私も縄張りと石垣を中心に、全国の様々な300城余りの城を見ましたが、思い当たる節がありません。江戸城には百回以上行っていますが、なんとなく石室と富士見多聞櫓の辺りに違和感を感じていました(具体的に説明できません)。
本丸富士見櫓の近くで、蓮池濠のこの石垣のある反対側には西ノ丸のお局門と屋敷。
白河小峰城半同心円の鷹の目の様に、敵を威嚇する目的ではありません。

しかも、真ん中が窪んでいるというのは、裏込め石がなく、すぐに土塁ではないか?

一昨年の「乾通り一般公開」の時に見つけて、ずっと調べていましたが思い当たりません。
様々なサイトに問い合わせたり、国会図書館・日本公文書館にも通っています。
近々公文書館に行く予定ですので、範囲を広げて探してみます。
もし他の城で似たような石垣が見つかれば、参考になりますのでご一報頂ければ、幸いです。
これからも余湖さんの全国の城の縄張り図を参考にさせて頂きます。
日本のお城、奥が深いですよね。
 

Re: この石垣と同じ石垣を捜索中

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月23日(金)04時31分38秒
返信・引用
  > No.5380[元記事へ]

田中 秀昭さんへのお返事です。

石垣だけでは、確実にどこかというのは、難しいですね。何かヒントはないのでしょうか? あるいはどういう経緯でこの石垣の所在を調べることになったとか。

丸く円を描くような石積み方法は、まさに白河小峰城のものと一致しますが、小峰城の石垣は、もっと隙間のない積み方であったと思います。さらに、小峰城の場合は、こんなに周囲に樹木は茂っていないので違うと思われます。

雰囲気的には松山城の石垣に似ているような気がしますが、あくまでも印象的なものですので、はっきりとしたことは分かりません。


 

この石垣と同じ石垣を捜索中

 投稿者:田中 秀昭  投稿日:2018年 2月21日(水)21時47分14秒
返信・引用
  余湖様へ
初めまして、不束ながらお城のご案内を少しだけ始めております。
いつも余湖さんの縄張り図を見ながら、お城の構造を勉強しております。
出来栄えや収録されている、お城の数には、ただただ圧倒されております。
これからも、お城のご案内に出掛ける前には、必ず参考にさせて頂きますので
どうぞ宜しくお願い致します(コピペは行っておりません)。
さて、添付写真のような石垣を、何処かで見た記憶はございませんでしょうか?
(江戸城蓮池濠、松の大廊下の辺りで富士見多聞から20mほど富士見櫓寄り)
比較的に似ているのが「白河小峰城の鷹の目積み」になるかと思いますが
明らかに違います。
ご教示願えれば、幸いです。

https://www.facebook.com/hideaki.tanaka.1420

 

Re: 竜貝城・奥野城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月20日(火)21時30分25秒
返信・引用 編集済
  > No.5376[元記事へ]

近江兄弟さんへのお返事です。
こんばんは、あんけんと申します。
> これはびっくりしました。どこで調べられました?
昨年歴史民俗資料館のスタンプラリーに釣られて赴き、稲敷の遺跡分布図を入手してました。
> 地元では長者屋敷というのは聞いたことがないですが、
残念ながら分布図によると調査後隠滅とあるので、報告書を読みたいものですが、いせきぴあという県内の資料・報告書を一括に収集してる施設に稲敷市の資料は全く来ておらず、また市としても遺跡の詳細は防犯の理由で情報公開しない方針のようです。
> 文がよく読み取れなくて恐縮ですが、奥野城は実在が判明しているのですか?正直自分も伝説の類だと思っていたのですが……。
公式にはこちらは城館跡とはされてません。ですが両方の話がごっちゃになりそうなのでその伝承の場所を挙げただけでした。
竜貝の地ですが、龍ヶ崎との市境に近く東西に並ぶ城跡の空白地域ではありますが、城跡はどこなのでしょうね。
 

Re: 奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時45分32秒
返信・引用
  いばらきデジタルマップを見る限り、平地の城館ではなくかつて存在していた古墳を利用していたとも考えられます。  

連コメ申し訳ないです

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時35分33秒
返信・引用
  いばらきデジタルマップ確認しました。けっこう色んな遺跡があるものですね。

長者屋敷跡は下根本になるので竜貝城とは違うかなあ、という感想ですがどうなんでしょうね。
市史・町史を見ればなにかわかるかもしれませんが大合併などあったのでどうなっているか……
昔のことで記憶があやふやですが「新利根町史」は主要な寺院を触れた程度の内容のうす~いものだったような気がします。
 

Re: 竜貝城・奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時23分59秒
返信・引用
  これはびっくりしました。どこで調べられました?

地元では長者屋敷というのは聞いたことがないですが、別府という地名は確かにあります(あの辺りは小字の区分が細かくてどこがどこまでなのか曖昧なところがありますが……)

文がよく読み取れなくて恐縮ですが、奥野城は実在が判明しているのですか?正直自分も伝説の類だと思っていたのですが……。

しかし別府曽根遺跡も竜貝遺跡もはじめて知りました。あまり近辺の人も知らないのではないかと思います。そもそも神明神社自体、あのあたりを頻繁に通る自分も存在を知りませんでした……貴重な情報感謝します。
 

竜貝城・奥野城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月20日(火)07時05分23秒
返信・引用 編集済
  おはようございます、あんけんです。
ちょっと割り込み失礼して、昨夜それぞれの場所を調べてみました。
竜貝城の可能性のある「小字竜貝」が神向寺城の西約1kmの
35°55'22.2"N 140°15'11.4"E
周辺から北西方向の台地上で、、称蓮社寝釈迦堂があり、いばらきデジタルまっぷには「竜貝遺跡」という複合遺跡としてポイントされてます。ただ中世は竜貝遺跡の時代には入ってません。この東350mくらいの神明神社周辺は長者屋敷跡という城館跡としてポイントされてます。すぐ西の別府台遺跡からは中世の遺物が出てるようです。
その城主の奥方の館跡がその南の水田の中にあり、下別府曽根遺跡とされる細長い住宅地の北西隅にある写真の塚が
35°55'01.6"N 140°14'57.1"E
で、周囲は微高地で明治迅速図だと周りは畑なのに、ここだけ「草」と表記されてます。

長者屋敷跡と竜貝城が同一かは判りませんが・・・。
 

Re: 奥野城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月20日(火)04時10分9秒
返信・引用
  > No.5373[元記事へ]

近江兄弟さんへのお返事です。

たびたびの情報、ありがとうございます。

写真からではどの場所かは分からないのですが、写真を見る限りでは、山ではなく、平地の城館であったということでよいのですね?

 

奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月19日(月)18時18分10秒
返信・引用
  送れてはいましたね。
これでわかるかは微妙ですが……
 

Re: 奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月19日(月)18時15分27秒
返信・引用
  小字「竜貝」は、現在阿弥陀寺寝釈迦堂のあたりから流通経済大学フットボールフィールドあたりまでのごく狭い範囲です(役場に行けば詳細な区分わかると思いますが……)。
私は城についてはまったく素人なので遺構などはわかりませんが、山の上ですので可能性は大いにあると思います。寝釈迦堂との関係は不明です。

座標わからなかったとのこと、残念です。スクリーンショットを送りたいのですが容量不足らしく送れないようで……いちおう試してみてはいます。

Googleearthのストリートビューでいちおう見られる道なので探せるっちゃ探せるかもしれません。祠がある田んぼが近くにないので……
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月19日(月)05時00分7秒
返信・引用
  > No.5369[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

東松山市の高坂館でしたか。あそこは古墳を利用した中世城館であったかと思われる場所ですね。


 

Re: 奥野城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月19日(月)04時59分25秒
返信・引用
  > No.5368[元記事へ]

近江兄弟さんへのお返事です。

稲敷市の城館の情報、ありがとうございます。この城については、把握していないのですが、「龍貝」といった地名が残っていることからすると、城館が存在した可能性はかなり高いと思われます。ただし、耕作化によって消滅してしまっているのではないかと思われます。

googlemapの検索でこの位置情報を入れてみたのですが、場所は特定できませんでした。後でよく調べて、戦後直後の航空写真でも見てみたいと思います。

 

(無題)

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月18日(日)22時08分54秒
返信・引用
  すみません、東松山市の高坂館跡でした。余湖さんが図では4基古墳として描かれてる、
一番上が1号墳
その南の城山稲荷は土塁
右端の古墳Cが2号墳
下の古墳Bが5号墳
で、前回最初の画像が古墳Bの東の堀の部分で、残りが高済寺の西側での土塁と堀でした。南北朝以前は発掘現場の様な堀で構え、戦国期に西側のような防御になったと推定されてます。
当日配布資料には過去の発掘図も合わせたものが載ってて、余湖さんのイラストの様に折れの有る堀のラインが推定されてます。
 

奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月18日(日)18時26分20秒
返信・引用
  ずっと前、稲敷市上根本にある竜貝城についてお話した者です。
竜貝城のことはなにもわかっていないようです(いちおうあの辺の小字を竜貝といいます)が、地元の古老によると竜貝城城主の奥方の館が近くにあったようで、通称を奥野城と言ったようだという話をしました。

奥野城のあったあたりは田んぼとなっているのですが、数十年前?に神主を呼んで慰霊を行った際には神主いわく「霊がいっぱい出てきた」と言っていたようなので、戦で奥方も殺されてしまったのかもしれません(もっとも古老の意見としては「もっともらしいことを言えばいいと思ってる」とのことでしたが)。

奥野城とされる場所には祠がたっていますが、どうやら慰霊の際に建てたもののようなので特に遺構はないと思います。というか城ではなくただの館だったのでしょう。

GoogleMAPは詳しくないのですが、座標を貼れば理解できますでしょうか?いちおう記しておきます。

35.9168653、140.2494052
 

Re: 高坂館

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時15分4秒
返信・引用
  > No.5363[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

この古墳がどこにあるのか分からないのですが、お話からすると、古代の集落跡のようですね。古代の集落と言っても、土塁や堀、虎口などがあるものもありますから、一種の城郭と言っていいものだと思います。機会があれば、ちょっと立ち寄ってみたいものです。



 

Re: 山崎陣屋

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時13分5秒
返信・引用
  > No.5362[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

山崎陣屋のことはよく分からないのですが、基本的に車で回っているので、バスを使うことはないと思います。

関西地方に行った際には訪れてみたいと思います。
 

Re: 新地城(蓑首城)について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時08分10秒
返信・引用
  > No.5361[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

新地城が整備されているのですね。3.11の大震災以降、福島には訪れていないので、なんだかとても懐かしい気分です。

新地城は以前も割合綺麗に整備されていましたが、一部はヤブのままでした。さらに見やすくなっているとはうれしい限りです。近くまで立ち寄る機会があったら、ぜひ訪れてみたいと思います。

 

Re: 雨引山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時06分10秒
返信・引用
  > No.5360[元記事へ]

くりやさんへのお返事です。

こちらこそ、先日はありがとうございました。watanabeさんもくりやさんも、想像していた通り図が緻密で素晴らしかったです。

ぜひ、またご一緒させていただきたいと思いますので、その説はよろしくお願いいたします。

 

高坂館

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月17日(土)23時56分31秒
返信・引用 編集済
  こんばんは、あんけんです。
またまた発掘ネタで済みません、と言っても現地説明会には自分も行けなかったのですが。

古墳C(高坂2号墳)の南で複合遺跡の発掘があり、古墳跡等に混ざって東西方向の堀跡が出てます。ただ場所が限定されてて虎口跡は見つかってないそうです。当日は他に西の間もなく消滅させる円墳や高済寺、更に東側の水路も周って説明があったそうで、そのためかどうかは不明ですが寺の西側の堀も土塁も奇麗になってました。加賀爪氏歴代の墓所は古墳改造のようですが、城山稲荷の場所は古墳ではなかったようで、稲荷そのものも土塁上から境内側に移設されてます。ストリートビューで見て頂くと分かりますが、山門も周りが開けてめちゃくちゃ浮いて見えてしまいます。
 

山崎陣屋

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 2月14日(水)23時29分52秒
返信・引用
  東京方面から公共交通機関で行くには、JR三ノ宮駅下の神姫バス山崎行きが至極便利。
絵図等が展示したあると図書館は、日曜開館が原則でも休日と重なる場合閉館。

城もさりとても因幡街道と美作街道との分岐点になっている商店街があと十年も
すれば更地になる可能性もあります。
 

新地城(蓑首城)について

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2018年 2月13日(火)20時44分4秒
返信・引用
  いつも困るたびに鳥瞰図をお借りさせてもらってありがとうございます。
で、今回は新地城の紹介でお借りしたのですが、新地城の北側の堀の杉林ががっつりと伐採されていたのでご連絡しました。

何のための伐採かは不明ですが、西館~北屋形~東館の北側の堀が見やすくなっていました。

以上です。
写真掲載URL=http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-974.html

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 雨引山城!

 投稿者:くりや  投稿日:2018年 2月13日(火)13時22分28秒
返信・引用
  > No.5355[元記事へ]

一昨日はいろいろとありがとうござました。
皆様とお会いでき楽しい一日を過ごすことができました。
茨城県については、歴史背景や地理関係が不案内で皆様から多くのことを学ばせていただきました。
機会がありましたらまたよろしくお願いいたします。
 

Re: 2.11城ツアー

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月12日(月)20時48分54秒
返信・引用
  > No.5357[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

昨日はお疲れさまでした!

その若さで山城めぐりを始めているとは、実に将来楽しみですね。この調子なら数十年後には、茨城の城郭のオーソリティになっているかもしれませんね。

昨日は途中で帰ってしまいすみませんでした。西明寺城にも行かれたのですね。あそこも栃木の山城でもベストの部類ですので、結構楽しめたのではないでしょうか。

学校ともども、趣味の方も、これからもまた頑張ってください。
 

Re: RE;雨引山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月12日(月)20時46分38秒
返信・引用
  > No.5356[元記事へ]

栃木県の中世城郭さんへのお返事です。

昨日はこちらこそ、ありがとうございました! watanabeさんには、一度お目にかかりたいと思っていましたので、大変、うれしかったです。

予想通り、生で見た渡辺さんの図は、かなりの迫力がありました。図の精緻さではまったくかなわないなあと思いました。

ホームページの件、まったくもって同感です。本を出すからホームページ閉鎖しろなんて言われたら、私だって100パーセント断ります。言っていることが意味わからないというか、頭悪いとしか思われません。『図説 茨城』では、むしろ「ホームページで宣伝してください」と言われていましたから。

この間お話ししたプロジェクト、ぜひ私たちも協力させていただきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いします!

 

2.11城ツアー

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 2月12日(月)19時06分17秒
返信・引用
  こんばんは。
昨日は、お城ツアーに誘ってくださって
ありがとうございました。
雨引山の頂上のお城の遺構が
かっこよかったです!
また、西明寺城の食い違い虎口の形
凄く気に入りました。
どの城もまた行きたいです。
 

RE;雨引山城!

 投稿者:栃木県の中世城郭  投稿日:2018年 2月12日(月)19時00分46秒
返信・引用
  昨日はお世話になりました。MASAKIです。
あら!もうアップされたんですね。はやっつ!
そのスピーディさと正確さに圧倒されます。
これだけ書かれちゃうと、2時間も早駆けした私たちはなんだったろう、と思ってしまいます。

昨日は、今まで電脳上でしか会話してない皆さんに直接お会いでき、本当に良かったです。
また、余湖さんやウモさんに、私のホームページ閉鎖事件の件で共感頂き、涙が出そうになりました(マジです)。
やっぱり、ホームページを運営している人でないと、この激しい怒りと痛みはわかって頂けませんよね。
そういう意味では、本当に貴重な一日となりました。
これを機に、今後共よろしくお願いします。
 

雨引山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月11日(日)22時06分44秒
返信・引用
  雨引山に城があるという話を聞いて、久しぶりのオフ会に参加してきた。山城を登るのは久しぶりだったのだが、意外と立派な城であり、まずまず満足である。

ここで栃木の皆さんとも出会うことができた。以前から一度お目にかかりたいと思っていた皆さんである。今日はありがとうございました!

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/sakuragawasi02.htm
 

Re: はじめまして

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月11日(日)22時05分6秒
返信・引用
  > No.5353[元記事へ]

むぎさんへのお返事です。

初めまして。城ブームなのか、日本100名城を回っているという方が増えているようですが、メジャーな城を回り切ってしまうと、自然と中世城郭に目が向いてくるようですね。中世城郭は身近なところにたくさんあるので、頑張って回ってみてください。

逆井城のページを拝見しましたが、物見櫓の中に立ち入れるようになっているのですね。東日本大震災の後、しばらくは安全上の理由から立ち入れなくなっていたのですが、または入れるようになったのは喜ばしい限りです。

それではまたです。

 

はじめまして

 投稿者:むぎ  投稿日:2018年 2月10日(土)05時47分56秒
返信・引用
  はじめまして。
「むぎの城さんぽ」というブログを書いている者です。
最初は日本百名城を巡っていたのですが山城の魅力にとりつかれてしまい
それ以来こちらを参考に私でも行ける山城かどうか判断材料にさせていただいてます。
また、山で迷子にならないよう鳥瞰図も参考にさせていただいています。
これからも画像や鳥瞰図を参考に山城攻めをしていきたいと思っています。
宜しくお願い致します。

http://blog.goo.ne.jp/mugiide

 

Re: 城好きな眼鏡小僧さんへ

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 2月 5日(月)18時34分53秒
返信・引用
  > No.5351[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。
2月の城ツアー行きます!
藤井城についてですが、
3月25日あたりがあいているのですが
どうでしょうか。
部活の予定が出ていないので
なんともいえないのですが…。
よろしくお願いします。
 

城好きな眼鏡小僧さんへ

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 2月 4日(日)09時06分3秒
返信・引用
  お世話になっております。
50stormです。藤井城の件、今度一緒に探しませんか?
貴殿の予定だと土日休日がメインになるかなと思います。3月くらいに一緒に探しましょう。

なお、2月11日ツアーを考えています。一緒に行きませんか?
 

(無題)

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 2月 3日(土)16時40分57秒
返信・引用 編集済
  ありがとうございます。
もし見つけたときには
この掲示板に位置画像付きで
書き込ませていただきます。
 

Re: 水戸市の御局屋敷について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月30日(火)04時46分23秒
返信・引用
  > No.5348[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

御贔屓にしていただいて、ありがとうございます。

御局屋敷についてですが、『城郭体系』の一覧には掲載されているものの、『茨城県遺跡地図』では見つけることができず、場所の特定ができずにいる物件です。『遺跡地図』にも漏れはありますから、実際には何か残っているのに未掲載というケースもあり得ます。

「堀ノ内」地名が残っているとのことですので、堀ノ内の地名があり、遺構らしきものがあるとすれば、ほぼ間違いないのではないかと思います。


 

水戸市の御局屋敷について

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 1月29日(月)19時12分50秒
返信・引用 編集済
  ご無沙汰しています。
12月2日はありがとうございました。
いつもお城へ行ったり調査するときに
このサイトを使用させていただいています。
そういえば、水戸市のページを見たときに明確な位置が書いてなかったのですが、
藤井町に有ると言われている御局屋敷はまだ見つかっていないのですか?
どうもそれに近い地形を見つけたのですが…。
 

Re: 泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:比企下総  投稿日:2018年 1月28日(日)12時35分50秒
返信・引用
  > No.5346[元記事へ]

ご回答いただきまして、ありがとうございます。
そうでしたか。しかし個人では無く
まさか自治体がこのような事をしてしまうとは信じられません。
とても残念です。
 

Re: 泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月28日(日)07時44分36秒
返信・引用
  > No.5345[元記事へ]

比企下総さんへのお返事です。

お久しぶりです。『図説茨城』ご愛読いただきありがとうございます。

また、泉頭城について、お知らせいただいてありがとうございます。
さっそく、ネットで現在の案内板を探してみてみました。

みたところ、私の鳥瞰図とほぼ同じといっていいものですね。私が描いたものではないので、私の図をそのまま下敷きにして描いたもののように見えます。
しかし、特に「使わせてください」などとは言われておりません。

私の図は出典さえ明記してあればご使用は自由とうたっていますし、参考にしていただいても全くかまわないのですが、一言「余湖くんのホームページを参考にした」と書いていただければうれしかったです。

出典を明記してあれば自由に使っても構わないと言っているのに、あえて自分のオリジナルのようにしている人が時々いて、とても悲しくなってしまいます。



 

泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:比企下総  投稿日:2018年 1月27日(土)09時17分53秒
返信・引用
  ご無沙汰しております、比企下総と申します
(2度目の書き込みで失礼いたします)。
ホームページ、及び茨城の城郭、続・茨城の城郭、いつも参考にさせていただいてます。

ところで、Twitterのフォロワーさんに、
静岡県泉頭城の案内板の鳥瞰図が
余湖さんのものと酷似していると教えて頂きました。
こちらは、余湖さんご本人が書かれたものなのでしょうか?
 

Re: 諏訪山北の要害

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月18日(木)05時03分38秒
返信・引用
  > No.5342[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

諏訪山北城の情報、ありがとうございます。横尾さんの情報を読んでみて、ますます行ってみたくなりました。

現在、城めぐりのシーズン真っただ中とはいえ、仕事の方が忙しく、今の所、まったく城めぐりに出る時間が取れません。

時間が取れたら、ぜひとも行ってみたいです。

重ねての情報、ありがとうございました。

 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月18日(木)05時01分58秒
返信・引用
  > No.5341[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

水戸城の復元計画、面白そうですね。なにしろ茨城でもっとも有名な城郭だと思うので、完成した暁には茨城を象徴する城址になる可能性がありますね。

栃木の宇都宮城も、かつてはほとんど湮滅状態にあったのが、復元されてなかなか立派になっており、市民の憩いの場となっています。あんな感じになったらいいなと思っております。

櫓台の礎石がなかったというのが不思議です。取り払われてしまっていたということなのでしょうが、土塁の上に復元する櫓というのはなかなか難しそうですね。

重ねての情報、ありがとうございます。

 

諏訪山北の要害

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月17日(水)22時14分37秒
返信・引用
  諏訪山城の北尾根に「栃木県の中世城郭」との菅臨さんが、新発見の山城があるとの情報をお知らせしましたが、実際、私も登って見てきました。縄張りの中に大岩を利用した本丸には感動しました。これほどの山城が未登録であるのは残念に思い、鹿沼市文化財課に連絡いたしましたところ回答が来ました。
「本市では、諏訪山城跡をはじめ、城館跡を「周知の埋蔵文化財包蔵地」として、文化財保護法に基づき保護しております。
ご指摘の諏訪山城跡の北尾根の遺構につきましては、当方でも平成29年4月に踏査を行い、その存在を確認しましたが、「周知の埋蔵文化財包蔵地」への追加登録は未了であります。現在、資料を整え、追加登録の準備を行っているところであり、早急に登録し、文化財保護法に基づく保護策を講じたいと考えております。
城館跡の保存整備は、ご指摘のとおり史跡として指定することが重要です。
史跡指定は、「土地所有者による同意・申請⇒教育委員会へ諮問⇒文化財保護審議会の調査・答申⇒教育委員会が指定・告示」の手続きが必要となります。諏訪山城跡につきましては、現時点では、土地所有者からの同意や申請をいただいておらず、史跡として指定する予定はありません。」以上です。(北の要害は私のブログで北諏訪山城として報告いたしております。)

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

(無題)

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 1月17日(水)19時49分21秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
こちらにお金の使い方や完成後の隅櫓への新設動線予定等詳しく載ってます。動線の片方が御三階跡の傍を通るのは何かの伏線かとも勘ぐってしまいたくなります。(よくよく考えたら駅前ですし、隅櫓で注目を浴びれば・・?)
http://www.city.mito.lg.jp/001373/001374/0/rekisi/kihonkeikakuwosakuteisimasita_d/fil/ootemontouseibikihonkeika.pdf
未だ基礎も完成してませんが、大手櫓門自体は国体前の完成を目指してるので、恐らく木材の加工等は他所で着々と進んでるものでしょう。先の一枚目の画像の様にちょうど門の幅で30㎝くらい道路建設のために削られ、礎石は残っておらず、白線で表した旧跡地も推定であるそうですが四つ角が判明したので、今後工事は急ピッチで進むことと思われます。

また二の丸の北の入口、南の入口もそれぞれ近場に復興されてますが、規模は小さくなってます。また二中の横の彰考館跡には小規模ながら二の丸展示館も建てられ、各学校の出入り口や塀も城郭風にする等、たしかに観光客を強く意識してる感はありますね。

最後に展示されてた鯱瓦の画像です。
 

Re: 水戸城大手門脇瓦塀

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月17日(水)04時38分22秒
返信・引用
  > No.5339[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

水戸城がこんなことになっているとは知りませんでした。お城ブームのおりから、水戸城も観光資源にと思っているのでしょうか。

何しろ近世城郭ですから、発掘すれば遺物も遺構もいろいろと検出されそうですね。

隅櫓まで復活とは、驚きです。完成した暁にはぜひ訪れてみたいです。

情報、ありがとうございました。

 

水戸城大手門脇瓦塀

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 1月17日(水)00時14分35秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
水戸城大手門と二の丸隅櫓、塀の復元が進んでますが(櫓門自体の竣工は来年度前半だそうです)、門南側でも瓦塀が2カ所見つかって、16日と17日の午後から現地見学&説明会があり、以降は見られなくなるとの事で無理して行って来ました。
塀は櫓門の前後に2カ所設けられ、その規模はそれぞれ基部で幅2mを超え、高さは推定5mだそうで、瓦と粘土質の土で積み上げられてますが、火災の痕跡が無い事から明和の大火の後の復興時のものではないかとの事でした。また櫓門の横は排水のための石組みの水路も発見されてます。
また古写真には見えない鯱瓦の一部も出ており、復元門にも装備される事が確定しました。

現状枡形は通行止めで、北側土塁上にそれを超える仮設通路が出来ておりこちらは当分の間見学し易くなってます。
 

山城ガイド!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月15日(月)21時24分9秒
返信・引用
  学研から山城ガイドという本が出版されました。

私も何城か執筆しています。

よろしかったらご覧になってみてください。




 

Re: 謹賀新年

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 7日(日)18時53分32秒
返信・引用
  > No.5336[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

明けましておめでとうございます。昨年は多忙なわりには、かなり各地の城を訪れることができました。できれば今年も行きたいものです。

山陰ですか、いいですねえ。しかし、関東地方からだとかなり遠いです。

それではまた!
 

謹賀新年

 投稿者:みよさん  投稿日:2018年 1月 7日(日)18時29分53秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます!

昨年はお仕事との両立の中、ものすごい勢いでの更新、驚きの気持ちで拝見しておりました。いつか山陰にお越しくださること、楽しみにしております。
今年も、充実したお城めぐり&更新をお祈りいたします。

 

Re: 謹賀新年

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 6日(土)08時35分24秒
返信・引用
  > No.5333[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

明けましておめでとうございます。こちらこそ、本年もよろしくお願いします。

昨年はいろいろとお世話になりました。2月の件もよろしくお願いします。

 

Re: 諏訪山北城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 6日(土)08時34分17秒
返信・引用
  > No.5331[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。諏訪山城の北にも城郭があるということは以前に聞いていたので宇sが、まだ訪れていません。機会があったら行ってみたいと思います。

 

謹賀新年

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 1月 5日(金)21時25分28秒
返信・引用
  余湖さん。あけましておめでとうございます。

今年も何卒よろしくお願いします。
 

訂正

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 5日(金)20時28分13秒
返信・引用
  「栃木県の中世城郭」というサイトです。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

諏訪山北城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 5日(金)20時23分42秒
返信・引用
  「栃木県の中世の城郭」というサイトで諏訪山城の北尾根に新発見の山城があると報告されています。この規模は諏訪山城に匹敵するほどの山城です。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 大塚城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 3日(水)06時49分44秒
返信・引用
  > No.5329[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

大塚城ですか、懐かしいですね。私が訪れたのはもう10年以上前になります。夏の暑いときだったので、ヤブがまだしんどかった記憶があります。

北側に9つも曲輪がありましたか。さすがにそこまで行ってみませんでした。今度訪れることがありましたら、確認してみたいと思います。

このところ、栃木によくいらっしゃっているようですね。栃木にもなかなか面白い城がいくつもあります。

それではまたです。
 

大塚城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 2日(火)20時51分23秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
諏訪山城へ行ってきました。規模が大きく、なかなかの山城で満足できました。最高部に北側の壁があり、本丸はその城壁の南側でしょうか?
 大塚城は余湖さんの俯瞰図を参考にして回りましたが、北尾根は曲輪が九つもあり、大きな堀切も二か所ありました。大塚城は一時期、佐野氏が治めており、これを皆川氏が攻めています。皆川氏を意識するのであれば、南側を堅固にしなくてはと思いますが実際は北を意識しています。。
 写真1北尾根の第一大堀切  写真2このような曲輪が九つ、北側にはみんな土塁 写真3 第二大堀切

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)22時54分13秒
返信・引用
  > No.5326[元記事へ]

Pさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。昨年はお疲れさまでした。今年はまた何か、一緒にできることがあるといいですね。

P殿も、私同様、休日を仕事にとられることが多いようですので、まずは体調に気を付けてお過ごしください。なかなか城めぐりをする時間が取れないのはつらいですが、お互い頑張りましょう。

また、機会があればぜひご一緒しましょうね。


 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)22時52分3秒
返信・引用
  > No.5325[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。昨年は本当にいろいろとお世話になりました。2冊の本が刊行できたのは日詰さんの尽力がかなり大きかったと思っています。

例のもの、確かに受け取りました。受け取るのはだいぶ気が進まなかったのですが、その分の埋め合わせはいずれしたいと思っています。

それでは、本年もよろしくお願いいたします。
 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 1日(月)21時56分35秒
返信・引用
  > No.5324[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろとお世話になりました。

今年もよろしくお願いします。




> このページをみてくださっているみなさん、あけましておめでとうございます。
> 本年もよろしくお願いいたします。
>
> 思えばこのページを始めて22年目になります。知らないうちに、ずいぶん長く続けてきたものです。
>
> 最近はtwitterやインスタなどが主流のようで「いまだにホームページやってんの?」と言われることもあり、自分は古いのかなあと思うこともあるこの頃です。でも、情報を探すにはホームページが一番使いやすいと思っています。
>
> そんなわけで、まだしばらくはこのホームページを続けていきたいと思っているところです。
>
>
 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:ひづめ  投稿日:2018年 1月 1日(月)14時42分29秒
返信・引用
  > No.5324[元記事へ]

食いすぎには注意して元気で続けてください。
とにかく余湖さんのページは(控えめに言っても)お城ファンの宝ですから。
今年もよろしくお願いします。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)09時13分9秒
返信・引用
  このページをみてくださっているみなさん、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

思えばこのページを始めて22年目になります。知らないうちに、ずいぶん長く続けてきたものです。

最近はtwitterやインスタなどが主流のようで「いまだにホームページやってんの?」と言われることもあり、自分は古いのかなあと思うこともあるこの頃です。でも、情報を探すにはホームページが一番使いやすいと思っています。

そんなわけで、まだしばらくはこのホームページを続けていきたいと思っているところです。

 

阿伎留城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時44分15秒
返信・引用
  これもあきる野市のお城だが、やはりただの神社のようだ。伊奈城よりはそれらしい雰囲気があることはあるのだが・・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm#akiru

さて、これが今年最後の更新である。今年は思いのほか、城巡りができた。このところまとまった休みがとりにくいのだが、来年はどうなるかな?
 

伊奈城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時42分7秒
返信・引用
  これもあきる野市のお城。

伊奈城と呼ばれているが、ここを城郭としている理由がよく分からない。ただの神社ではないだろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm#ina
 

法林寺館

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時41分4秒
返信・引用
  東京都あきる野市のお城。

法林寺の北東部に土塁がしっかりと残っており、城郭遺構ではないかと言われている。
寺院が武装化した際の名残なのであろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm
 

廿里砦

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時39分51秒
返信・引用
  これも八王子市のお城。廿里と書いて「ととり」と読む。

しかし、遺構らしきものはない。ただの神社の敷地なのではないだろうか。永禄12年に武田方を迎え撃った「戸取の山に拠点を構え」とある砦のことだというが、「ととりの砦」が本当にこの山であるという根拠がよく分からない。それが出てくるのも『関八州古戦録」だけなので、宛てになる話なのかどうかも不明。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi04.htm#totori
 

中山勘解由屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時36分20秒
返信・引用
  東京都八王子市のお城。

滝山城の近くにある。北条氏照家臣の中山勘解由の屋敷跡である。遺構らしきものはほとんどないが、館的な雰囲気は残っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi04.htm
 

ラストアイドル

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月30日(土)06時47分41秒
返信・引用 編集済
  という番組をテレビ朝日でやっている。たまたまテレビを付けていて何回か見たのだが、これがけっこう感動する番組なのである。

5000人の候補者の中から選ばれたグループのメンバー7人。それに対して毎週挑戦者が登場してきて、メンバーの誰かとパフォーマンスで勝負し、メンバーが負ければ、その場でメンバーの入れ替わりが行われるという前代未聞のシステム。最終的にメンバーとして生き残った7人がラストアイドルとして「バンドワゴン」という曲でデビューできる、といった内容である。

私が注目するようになったのは、暫定センターだった間島和奏という子を見てから。それほどかわいくないし、顔がでかくてあごが出ていたりして、どうしてこんな子がセンターに選ばれているのだろうと最初は疑問に思っていた。

しかし、挑戦者との戦いを続けている中で、この子には妙に惹き付けらる魅力があることを知った。間島が歌った後はみんな笑顔になっている(歌は下手だけど)。そしてこの子を応援したくなってしまう。こういう宝石の原石みたいな子を選抜するプロの目ってすごいな、と思った。そしてこの子は最後までメンバーとして勝ち残るに違いない、と思っていた。

ところがその間島ですらも挑戦者に敗れて、メンバーから去っていってしまう。間島が去っていった時、他のメンバーたちは納得できていない様子で「これって本当に現実なの?」とささやきあっていた。自分も「間島をクビにするのか!」と愕然したものだが、代わりに入ってきた阿部は、アイドルの資質が十分にある子であり、チャート的には間島を上回っていた。でも、間島には他の子たちにはない、飛び抜けた何かがある。

結局、結成当初から最後まで負けずに生き残ったのは吉崎と安田の2人だけだった。しかし、これは理解できる気がする。吉崎のビジュアルに挑むのは無謀にもほどがあると思うし、一見しっかりとした顔立ちをしているのに天然ボケな安田のキャラは、グループに欠かせない存在なのだろう。
ちなみに吉崎綾はこんな子
https://www.youtube.com/watch?v=Egc4Ps551A4

長月が去っていった回は、ネットが大炎上する事態となった。そりゃそうだ。どう見ても長月の方がアイドルらしい子であったし、この回で挑戦者を撰んだ以外の審査員はみんな長月を選択していた。「この決定には大反対だ」と発言している審査員もいた。

結局、負けて去っていった人たちもセカンドグループとして結成されるという救済措置が取られることになったのだが、これまたうまい戦略である。だって、負けて去っていった人をこそ、人は応援したくなるものなのである。いなくなって初めてその人の魅力に気づくってこともあるだろう。間島にはまってしまったのも、彼女が去っていってしまったからだと思う。

番組のダイジェスト版はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=p_x_4RQVF0o

デビュー曲のバンドワゴンってこんな曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=az4tehn1uaU


ちなみに、このグループ、来年はもしかするとAKBや乃木坂を越えて注目されるグループになる可能性がある。

っていうのも、ラストアイドルと4つのセカンドグループを来年は5人のプロデューサーがそれぞれプロデュースし勝負するということになっているのだが、その5人というのが、小室哲哉、つんく、指原莉乃、織田哲郎、秋元康という豪華な顔ぶれなのである。これまでのアイドル史を彩ってきた人たちが、それぞれをどんなグループに育てていくのであろう。

派生グループの中で私が注目しているのは、もちろん「someday somewhere」である。だって、間島和奏を見たいんだもん!
「何度転んでも立ち上がる」「挫折するほど強くなれる」っていう彼女たちの心情を表現した歌詞もいいし、足の不自由な間島をみんながいたわるような振付もいい。
https://www.youtube.com/watch?v=AVpOngV5YUo

来年も目が離せない番組だ。昔のアサヤンを思い出す。そういえば、モーニング娘ももともとはオーディションで敗れた子たちを集めたグループだったよなあ。

それにしても、間島和奏がセンターで歌うバンドワゴンが忘れられない。間島和奏がこのグループのセンターであってほしかった。

 

小野路城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時17分22秒
返信・引用
  これも町田市のお城。この辺りの城郭としては、もっともよく遺構が残されているといえるであろう。

ハイキングコースとなっており、あちこちから登城道持ちけられており散策しやすい。城域はかなり広大なのだが、それぞれの遺構規模は小さく、やはり臨時的築城の要素が強いものである。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm
 

小野路関屋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時15分50秒
返信・引用
  これも町田市のお城。

布田道と呼ばれる旧道の上に、二重堀を持った城郭が残されている。と言っても遺構らしきものは北側の二重堀切だけであり、きわめて簡素な城郭である。小野路城と関連誌が城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm#sekiya
 

成瀬城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時14分17秒
返信・引用
  東京都町田市のお城。

周辺は宅地化が激しいが、それでも主郭部分が城址公園として残されている。遺構らしきものはまったく見られないが、完全湮滅ではなく公園化されているだけでもありがたいというべきなのかもしれない。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm#naruse
 

天神山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月27日(水)20時42分38秒
返信・引用
  東京都三鷹市のお城。

深大寺場以外に三鷹周辺にこのような城址公園があるとは知らなかった。

都会に残る中世城郭であるが、割合よく保存されている。ただし、削平は甘く加工度も低く、いかにも陣城といった雰囲気を感じさせる。

北条氏と扇谷上杉氏との深大寺場をめぐる攻防戦に関連して取り立てられた陣城であったと推定される。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/mitakasi01.htm
 

Re: 布袋岡城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月22日(金)23時09分24秒
返信・引用 編集済
  > No.5312[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは、ご無沙汰しております。

布袋岡城に行って来られましたか。東側に城門ができているとは意外です。私が訪れた時にはそのようなものはなかったような記憶があります。城跡として認識が深まり、これから整備されていくのでしょうか。

おっしゃる通り、布袋岡城はかなり規模の大きな城郭で、面積も遺構もなかなかのもので、一見して大勢力の駐屯を意識したものだという印象を受けます。同時に陣城のような感じもします。

近くの諏訪山城ともども、皆川氏と宇都宮氏との対峙によって築かれた陣城の1つであると思われます。もちろん背後には北条氏も絡んでいたことでしょう。今度はぜひ諏訪山城にも行ってみてください。

それではまたです。

 

布袋岡城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年12月21日(木)21時06分11秒
返信・引用
  余湖さんの縄張り図を見て、鹿沼市(旧都賀町)深沢にある布袋岡城に行ってきました。
規模が大きく、素晴らしい山城ですね。シイタケ栽培をしている東側の畑から、城門で入るようになっていますから、その上にも大きな曲輪が階段状に作られていますので、地方豪族の山城ではなく、北条氏の手が入っていたのではないでしょうか。この山城はお勧めです。
写真1 本丸、奥の瘤から詰め丸へ行けます。
写真2 本丸東下の腰曲輪の南虎口から大きく建て掘りが下り、これを通路として二の丸に繋いでいます。大兵力の移動がスムースであったと思われます。
写真3 本丸東城壁を見上げています。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 伊奈氏屋敷跡

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月18日(月)04時37分47秒
返信・引用
  > No.5310[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

初めまして! 情報ありがとうございます。

伊奈氏屋敷ですか、10数年前に訪れたきりですので、なんだか懐かしいです。

私が訪れた時には、所有者の方が遺跡指定に反発していたのか、立ち入り禁止の立て札があちこちに立っていて、気分的に訪れにくい城址でしたが、和解が成立したようで何よりです。

発掘調査が行われていたとは知りませんでしたが、できれば行ってみたかったなと感じました。土日も仕事が入ることが多いので、なかなか出かけられないのですが・・・・。

伊奈氏陣屋では確か畝堀も発見されていると思うので、陣屋以前の城郭構造物がどのようなものであったのか、興味が惹かれるところです。

それではまたです。


 

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