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Re: クソページ

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月17日(火)05時19分59秒
返信・引用
  > No.5474[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

おっしゃるとおり、自分でちゃんと歩いて調べてみればいいのになあと思います。人が調べたものを使うにしても、引用元を明記してあれば、マナーには反せずに済むと思うのに、世の中には常識の分からない人がけっこういます。人が描いたものを自分の作品として紹介しているという神経が理解できません。

引用元さえ明記してあれば自由に使っていいと、あれだけはっきりと書いているのに、それでも無視するというのはどういう神経なのでしょう。まともな常識のある社会人ならば、やらないことのはずです。

最近、『日本の天守閣』といった名前の本を本屋で見かけたのですが、その本はいわゆる城の天守だけではなく、模擬天守などもしっかりと紹介しているという豪華な本でした。

しかし、どうみても、これ、私が何十年もかかって収集した情報を使って構成しているように見えます。別に情報料を取ろうとは思いませんが、一言「下記のホームページを参考にしました」と書いておくのがマナーだと思います。その手の本は、参考文献はきちんと挙げているのですが、ホームページの情報などは使って無視してもかまわないと思っているのでしょう。そういう意味では、出版社であっても、そういう認識のないところもあるということです。

もっとも、多くの出版社は、そのようなコンプライアンスを守ってくれているのですが。

 
 

Re: クソページ

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 4月16日(月)23時40分39秒
返信・引用
  > No.5471[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

もう既に対応されてるみたいですが、他のページも見てみたら、複数の知っててお邪魔してるブログ等からも画像を使ってるのが判ったので、報告しておきました。地元の話でも足を運んで調べたりしないのでしょうかね・・・。
 

Re: 興津城鳥瞰図について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月15日(日)17時41分2秒
返信・引用
  > No.5472[元記事へ]

岡田信之さんへのお返事です。

了解しました。私のページの鳥瞰図等は、出典が「余湖くんのホームページ」であることさえ明記してあればご使用は自由です。よろしければご活用ください。

鳥瞰図は、ページに掲載しているものでよろしければそのままお使いください。もっと大きいサイズのものが入用でしたら、ご相談ください。

 

興津城鳥瞰図について

 投稿者:岡田信之  投稿日:2018年 4月15日(日)13時52分44秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。以前資料の利用許可のお願いをしました勝浦市のNPO法人GANAZO理事長の岡田信之です。
おかげさまで少しずつですが整備が進んでおります。子どもたちの冒険遊び場として第2郭を利用したいと考えておりまして,そちらの整備が中心になっております。

以前ご連絡したときに,鳥瞰図等のデータのご提供をいただけるというお話があったかと思います。差し支えなかったら,データのご提供をいただけますでしょうか?

興津城の解説図として活用させていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~OKACHAN/okitsujo-p/okitsujo-p.html

 

クソページ

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月15日(日)10時49分1秒
返信・引用 編集済
  > No.5470[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

お知らせくださいまして、ありがとうございます。

もちろん、このような使用は認めておりませんし、連絡も受けておりません。
このようなクソページを見るたびに、本当に悲しくなってしまいます。
見ると、れっきとした会社法人が運営しているホームページのようですが、無断使用のみならず無断改変も行っております。

もともと、引用元さえ明記してあれば快くお貸ししているものなのに、この使い方は完全に喧嘩を売っているとしか思えません。
これからこの会社に連絡してみようと思いますが、誠意のない対応をするようであれば、法的な対応を取らせていただこうかと考えています。少額訴訟でも60万円までは請求できますから、このようなクソページをつくる会社に法的コンプライアンスを理解させるために何らかのアクションを起こす必要があろうかと思います。


 

「松戸にあった城」

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 4月15日(日)09時28分38秒
返信・引用
  先日(4月11日)松戸の聖徳大学の「戦国時代を読む『応仁記』の世界」という
体験講座に参加してきました。講師の清水眞澄先生は、プリントとプロジェクター
を使って講義されていました。
そのプロジェクターで一般個人のHPの「松戸にあった城」
http://www7b.biglobe.ne.jp/toho-corporation/linkmatsudo-matsudonoshiro.html
というページを表示しながら松戸の城を説明していたんですが、その中で明らかに余湖さんの
鳥瞰図が使われていました。余湖さんが承知されているなら問題ありませんが、HPの中では
余湖さんの名前が出てこなかったようなので気になりました。
 

Re: 見つけた城郭について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 8日(日)07時23分14秒
返信・引用
  > No.5468[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

50stormさん、こんにちは。いつも精力的な活動、感服してます。

50stormさんのおかげで、遺跡地図にも載っていない新規城郭を見ることができました。初原城だけは、城とは思えませんでしたが、城以外の遺構としてみれば、ある意味、中世城郭よりも興味深いです。

それにしても川崎さんってすごい人ですね。そんな古い時代に、よくマイナーな城跡なんかを調べられたものです。せっかく川崎さんが調べてくれたのに、『茨城県遺跡地図』にも掲載されていないっていうのは、茨城県の手抜きなような気がします。

これからもよろしくお願いします。



 

見つけた城郭について

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 4月 7日(土)11時11分52秒
返信・引用
  余湖さんご無沙汰しています。

早速いろいろな城郭に行かれありがとうございます。

これらの城郭については、戦前から戦後にかけて茨城県北部を中心に城郭を歩いた川崎春二が残した資料を基に調査しています。

なかには、城かどうか現在となっては怪しいものもありますが、再発見の城郭として取り上げています。

これからも新規の城があるかもしれませんので、その際はまた報告させていただきます。
 

Re: 初原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 3日(火)04時25分40秒
返信・引用
  > No.5466[元記事へ]

あおれんじゃあさんへのお返事です。

お久しぶりです。これについては、城とは言い難いですね。では何なのかというと、おっしゃる通り悩ましいものです。

「土室」というのがあるのですね。言われてみれば、その上に小屋掛けすることが可能なようです。しかし、何のために・・・。不思議な遺構ですね。

 

Re: 初原城!

 投稿者:あおれんじゃあ  投稿日:2018年 4月 2日(月)22時22分32秒
返信・引用
  > No.5462[元記事へ]

ご無沙汰です。
小生もここ行きましたが、悩ましい物件です。
城かどうか判断できません。
地元にも城としての伝承はないようです。
植林による改変のようにも思えます。

例の穴ぽこ、あれは悩ましいですが、小生はあれは「土室(むろ)」というやつじゃないかと思います。斜面に造られるというし、屋根をかけ、土を載せればOKです。入口部もありますし。
でも近世のものじゃないかな?
ここと上郷古館がそっくりです。
ここも穴ぽこが斜面部にボコボコあります。
 

丸亀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時47分3秒
返信・引用 編集済
  高松空港へ戻る途中、思ったより時間があったので、久しぶりに丸亀城に拠ってみることにした。この城は、日本でも最も石垣のカッコイイ城郭であると思っている。

丸亀城は4回目の訪問であったが、今回は桜がきれいに咲き誇っており、いい写真が撮れたので、写真を追加しておいた。

天守もかつては公開日が限られていたのが、現在では年中無休で公開しているようで、4度目にして初めて内部に入ってみることができた。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/sikoku/marugame.htm
 

宮田城出城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時44分32秒
返信・引用 編集済
  茨城県小美玉市のお城。

宮田城に出城があるとはこれまで知らなかったのであるが、『続図説茨城の城郭』に掲載されているのを見て、行ってみなければと思っていた。

単郭ながらきちんとした城郭であった。主郭内部に巨大な枡形を形成するなど、この辺りの城郭でまず見ることのできない遺構がある。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/ogawaiba.htm#dejou
 

北塩子湯殿山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時42分16秒
返信・引用
  茨城県常陸大宮市のお城。

これまた『遺跡地図』に掲載されておらず、50storm殿のページによって知ったものである。

小規模ながらも、一応ちゃんとした城郭であった。虎口もきちんと造られている。

この城の尾根のさらに奥に東金砂神社が祭られていたのが意外であった。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/hitatioomiyasi04.htm#yudono
 

初原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時40分16秒
返信・引用
  これも大子町のお城。

初原川に臨む台地に築かれている。こちらも『遺跡地図』に載っておらず、50storm殿のページによって知った。

他では見られないような特徴的な遺構が見られるのであるが・・・これは果たして城なのであろうか。人口構造物であるには違いないのだが、どうも城とするには違和感を感じる。

http://yogokun.my.coocan.jp/ibaraki/daigomatiaz03.htm#hatuhara
 

佐貫竜蓋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時38分1秒
返信・引用
  茨城県大子町のお城。

これまた『遺跡地図』に掲載されておらず、全く知らなかったのだが、50storm殿のページで知ったものである。地元で竜蓋と呼ばれているものらしい。

規模は小さく、遺構もささやかなものであるが、一応ちゃんとした山城である。

臨時的築城によるものだと思う。

http://yogokun.my.coocan.jp/ibaraki/daigomatiaz03.htm
 

藤井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時35分30秒
返信・引用
  茨城県水戸市のお城。

『茨城県遺跡地図』にも掲載されていない幻の城であったが、アオ殿やP殿のページを見てその存在を知り、さっそく訪れてみることにした。

知られていないわりには遺構はしっかりとしており、なかなか見どころがある。

位置からして、那珂西城に対する付け城といった性格のものではなかろうか。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/mito.htm#hujii
 

野田土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 1日(日)15時38分18秒
返信・引用
  これも南国市のお城。

長宗我部一族の野田氏の居館。かなり破壊されているが、詰の北側土塁が残り、そこにやはり八幡神社が祭られ、城址碑も建てられている。

戦国期、野田氏は宿毛地方を与えられ、宿毛に移っていったため、野田城は廃城となった。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi03.htm#noda
 

田村土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 1日(日)15時36分28秒
返信・引用 編集済
  これも南国市のお城。千屋城のすぐ近くで、高知龍馬空港のすぐ北側である。

室町時代に土佐守護代とな多細川氏の居館。遺構の多くは失われているようだが、詰の東側の土塁は重厚で、その上に八幡神社が祭られている。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi03.htm#tamura
 

千屋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 1日(日)15時34分57秒
返信・引用
  高知県南国市のお城。

平城ではあるが、現在もその形状を確認することは可能である。土塁も部分的に残る。

当地の豪族千屋氏の居館であった。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi03.htm#senya
 

須崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時56分17秒
返信・引用
  これも須崎市のお城。

須崎市にある須崎城なので、かなり大きな山城かと想像していたが、ささやかな規模のものであった。それでも遺構はそれなりにしっかりしている。

地図に載っている城山ではなく、その背後の別の尾根に遺構があるので間違えないようにしよう。
http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/susakisi02.htm#susaki
 

岡本城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時54分58秒
返信・引用
  高知県須崎市のお城。

ものすごく険しそうな山にあるので、登るときから戦々恐々。それでも主郭に神社があるため参道が付けられている。ただし、私は途中で道を見失ってしまった・・・。

畝状竪堀など、遺構はそれなりに充実しており、苦労して登る甲斐はある。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/susakisi02.htm
 

姫野々城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時53分27秒
返信・引用
  高知県津野町のお城。

よく整備された遊歩道が付けられていて散策しやすい。トイレや駐車場も設置されている。ただし、この遊歩道によっていくつかの遺構は破壊されてしまったようだ。

多数の堀切や畝状竪堀を見ることができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/tunomati01.htm
 

Re: 万々城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時51分38秒
返信・引用
  > No.5452[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

万々城の下にご子孫の方がお住まいでしたか。万々城に吉松氏が移ってきたという話の根拠がよく分からなかったものですから、半信半疑だったのですが、ご子孫がそこにお住まいになっているということからすると、信ぴょう性は高そうですね。

田辺城の天守のことはよく分かりません。

 

Re: 万々城!

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 3月31日(土)07時54分13秒
返信・引用
  > No.5445[元記事へ]

城の下に、吉松氏の子孫の方の住居があります。
大学の後輩でしたが、そこのお母様に城の案内をしてもらったことがあり
先祖は、源頼朝の弟で、平治の乱で土佐に流されて、源頼朝が挙兵をしたとき
平家の軍に追われて逃げるときに、五徳を頭にかぶって切られること防いだので
家紋にしたとか、城内の祠は八幡さんとか、長曾我部氏から輿入れがあったとか
そんな話を聞いたことがあります。
後輩は怒涛のごとくの行動力がありましが、血のなせるわざかと
改めて感心した記憶があります

ところで、丹後田辺城の京極氏時代に関してですが、100m前後四方の本丸に
西南隅の天守台、土橋で延長された本丸拡張部の事を書いたと思います。
若狭小浜城も、比較的稜線が単純な単純な西の丸は酒井氏でしょうが、
折れが多数入った三の丸や二の丸、さらに本丸-二の丸の構造が
似ているのではないかと思っていました。
そもそも隣接した支配地域、築城者が兄弟であることから、築城プランを
交換しあっていた可能性はあるんじゃないかと考えています。
 

吉良城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時56分7秒
返信・引用
  高知市のお城。鋭い4重堀切が迎えてくれる。堀切にかけられた竹の束の橋が古くなっていてちょっと怖い。

吉良というと三河吉良氏を思い出してしまうのだが、こちらは同じ減じでも、源希義の子孫にあたる一族であるという。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/sikoku/koutisi2.htm#kira
 

恵美城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時54分29秒
返信・引用
  高知市のお城。

朝倉城、神田南城と近い位置にある。

こちらにも八幡神社が祭られているが、城内ではなく山麓部である。

恵美城保存会の方が付けてくれた登城道の案内があるのだが、道は途中でなくなってしまう。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi04.htm#emi
 

神田南城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時53分8秒
返信・引用
  高知市のお城。

市街地のそばにそびえる独立山にあり、山頂には八幡神社が祭られている。

地図にも登城口の案内が載っているのだが、実際にはかなり分かりにくく迷ってしまったのであった。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi04.htm#kouda
 

行川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時51分42秒
返信・引用
  高知市のお城。

行川中学校の正面にそびえる山が城址である。ハイキングコースがあるらしいのだが、入口が分からず、尾根の上まで林道を走り、尾根を降ってアクセスした。

遺構はまずまず見どころがある。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi04.htm#namekawa
 

長畝城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時49分43秒
返信・引用
  高知市のお城。

かなり深い山の中にあるが、城ヶ森として整備されているので、すぐ真下まで車道が付いており駐車場もある。

簡単にアクセスできる山城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi04.htm#nagaune
 

神之森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時48分10秒
返信・引用
  高知市のお城。

高くて目立つ山なので、遠くからでもどこが城址かすぐに分かる。山城のわりに郭面積が広く、規模の大きな城である。

城址付近はミカン畑になっているので、農家の方の迷惑にならないよう、マナーを守って見学しましょう。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi04.htm#kounomori
 

万々城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時44分51秒
返信・引用
  高知市のお城。

熊野三所神社のすぐ脇にあり、すぐにアクセスできる。

詰の段の背後の堀切は大きいが、城内は基本的にヤブ状態である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi04.htm#mama
 

潮江城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)05時43分37秒
返信・引用
  高知市のお城。

高知市街を見下ろす筆山公園が城址である。一般的な公園なので遺構はあまり残っていないのではないかと想像していたのだが、実際にはよく残っていた。

ここから高知城がよく見えている。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi04.htm
 

井口城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月30日(金)19時52分49秒
返信・引用
  これも高知市のお城。

市街地にあるため湮滅してもおかしくないところだが、かろうじて主要部の一部は残っている。

しかし、あちこち削られているうえに、ヤブである・・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi03.htm#iguti
 

秦泉寺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月30日(金)19時49分13秒
返信・引用
  これも高知市のお城。

比高80mだが、中腹を通る県道からだと比高30mほどで、すぐに訪れられる。

北側には4重堀切があるが、最大のものは深さ10mほどで尾根を完全に分断している。横堀の大きさもでかい。遺構規模の大きさに圧倒される。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi03.htm#jinzenji
 

久礼野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月30日(金)19時46分40秒
返信・引用
  土佐には久礼、久礼野、久礼田など、久礼の付く地名が多いが、どういう意味なのだろう。

久礼野はかなり山奥の隠れ里のようなところで、集落を見下ろす比高20mの山稜に築かれている。

遺構はなかなかなのだが、城内は倒竹地獄でまともに歩けない・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi03.htm#kureno
 

布師田金山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月30日(金)19時40分52秒
返信・引用
  これも高知市のお城。

布師田ふれあい広場のすぐ背後にあり、遊歩道が整備されている。

主要部には二段の横堀に二重堀切をクロスさせて技巧的な遺構が見られる。

さらに奥に進んだ所にも出城があるなど、いろいろと見どころが多い。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi03.htm#nunosida
 

大津城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月30日(金)19時32分14秒
返信・引用
  高知県高知市のお城。

天竺城とも呼ばれる。主要部に神社が祭られているため参道はしっかりしているが、それ以外はヤブである。

堀切と横堀の大きさに圧倒される。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/koutisi03.htm
 

岩村土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)23時05分11秒
返信・引用
  これも南国市のお城。

かなり破壊されてはいるが、それでも北西側や北東側の土塁と、その外側の水堀跡らしきものがよく残されている。

南北朝時代に落城した城なので、かなり古い時代の城址である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi03.htm 
 

吉田土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)22時57分29秒
返信・引用
  これも南国市のお城。

南国市の平野部には、土居を巡らせた城館が多数築かれていたが、その中でも代表的なものである。

そもそも「土居」というのは土佐でいう「城」のことを示しているので、本来は「吉田土居」という言い方だけでいいのではないかと思われる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi02.htm#yosida
 

小野古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)22時55分13秒
返信・引用
  これも南国市のお城。

小野神社が祭られている独立山が城址である。詰の段や腰曲輪の遺構がよく残されている。

南北朝時代に活用された城郭であり、戦国期にはすでにただの神社となっていた。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi02.htm#ono
 

岡豊城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)22時53分51秒
返信・引用
  これも南国市のお城。

この城はすでに訪問済みであったが、本丸に期間限定で物見櫓が建てられているというので、それを見るためにわざわざやってきた。桜が満開とあって、人がいっぱいであった。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/sikoku/nangokusi.htm
 

亀岩城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)22時52分37秒
返信・引用
  これも南国市のお城。坂本城とすぐ南に向かい合う位置にある。

規模は似たようなものだが、坂本状よりは技巧的な感じがする。位置から考えて、坂本城と関連し合った城郭であったと考えられる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi02.htm#kameiwa
 

坂本城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)22時51分14秒
返信・引用
  これも南国市のお城。

単純な構造の山城だが、アクセスしやすく、またヤブもすっかり切り払われていて訪れやすい。

それよりも興味深いのは、この城に残る伝承である。明智光秀の家臣光春の子が、土佐に逃れてきて築いた城であるという。坂本城という名称は、近江坂本城にちなんだものだというのである。

さらにここの城主の一族の子孫が坂本龍馬なのであるという。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi02.htm#sakamoto
 

久礼田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)22時44分20秒
返信・引用
  高知県南国市のお城。

ゴルフ場に敷地内にあるが、破壊されることなく、公園として整備されている。

ヤブのない大規模な横堀は見ているだけで城郭ファンの心を揺さぶるものである。お手軽に素晴らしい遺構を見ることのできる山城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi02.htm
 

Re: 下郷要害城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月29日(木)22時42分50秒
返信・引用
  > No.5430[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

下郷要害城には新城と古城とがありますが、林道で破壊されているのは新城の方ですね。

しかし、奥の方に半円形の土塁が巡らされた郭があるのは、古城の方だったような記憶があります。

 

下郷要害城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 3月29日(木)18時56分23秒
返信・引用
  先日、栃木県那珂川町にある下郷要害城へ登ってきました。ところが伐採用の林道が作られて二の丸・三の丸が侵入されて破壊されています。
 一方、新しい曲輪を発見し教育委員会へ問い合わせようと思っています。
写真1 二の丸から本丸城壁を見ています。二の丸の城壁の下に林道が作られています。
写真2 二の丸から三の丸へ林道が貫いています。
写真3 本丸の北大堀切の上に円形の奥に土塁を構築した大きな曲輪があり、新しく見つけました。(他のサイトで掲載しているブログはありません。)

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: ラストアイドル

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月28日(水)21時40分24秒
返信・引用 編集済
  > No.5428[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

全敗したサムサムですが、これからまたドラマを演じてくれるのではないかと期待しています。

「Again&Again」は名曲ですよね。ラストアイドルグループの曲の中でも出色なのではないでしょうか。メッセージ性が強くて、とても励まされる曲です。

今回の5人のプロデューサーの作った曲よりも、秋元康がプロデュースした1曲目の方が、どのグループも一番良かったように思います。

今回の企画、最後は秋元康への忖度が働いて「シュークリームロケッツ」の優勝になるかと思いますが(good tearsの表題曲はさすがにないでしょう)、1人の審査員が決めるというシステムはやはりどうかなと思ってしまいました。

ところで、私は高知の城を少し回ってきたので、下の楠目城に続いて、これから少しずつ紹介していきたいと思います。
 

ラストアイドル

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月28日(水)21時32分22秒
返信・引用
  余湖さんの掲示板で知ったアイドル番組ですが
サムサムはやっぱり人気投票通り一番良かった
と思います。
「Again&Again」、「この恋はトランジット」など
楽曲が好きです。
 

楠目城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月28日(水)20時31分7秒
返信・引用
  高知県香美市のお城。

土佐を代表する戦国期城郭の1つである。規模の雄大さ、横堀の長大さ、しっかりとした虎口など、非常に見どころの多い城郭である。お勧め!

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/kamisi01.htm
 

サムサムに感動!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月27日(火)08時09分33秒
返信・引用 編集済
  昨年からずっと見ていたラストアイドル。

今年になってから、小室哲哉、指原莉乃、秋元康、つんく♂、織田哲郎の5人が、それぞれのユニットをプロデュースし、4月に発売されるCDの表題曲をかけて、各ユニットの総当たり戦が行われていた。私が応援していたのはもちろんサムサムである。

ところが、サムサムは1勝もすることができず、予選敗退してしまった。審査員の得票は2/4、4/3、2/4、3/4と、常に半数以上であったにも関わらず、いつも審査する一人がサムサムではない方を選ぶという不運さの結果である。

天はどうして、サムサムにこんな試練を与えてしまうのか。サムサムが負けてしまったこの番組に興味を失い、もう見るのをやめてしまっていた。

ところが、ネットのニュースを見てみたら、5つのユニットの中で、人気投票で断トツの1位になったのがサムサムであったことを知った。1勝もできなかったサムサムだけど、ファンが最も応援していたのもサムサムであったのである。うれしかった!

私もサムサムを応援しているよ!

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803250000501.html
 

Re: ありがとうございます。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月26日(月)19時58分36秒
返信・引用
  > No.5423[元記事へ]

遠藤さんへのお返事です。

> 復旧ありがとうございます。葛ヶ崎城、今度訪れようと思います。それにしても不思議な話ですねぇ…

本当に不思議な話です。またリンク切れなどがありましたら、お知らせください。すぐに修正したいと思います。私のホームページは量が多いうえに、容量が足りなくなると様々なサーバーに継ぎ足してやっているので、自分でも管理しきれない部分があります。

葛ヶ崎城は、登り口が分からず、私もまだ上まで行っていません。気を付けて登ってみてください。

 

Re: 安中市の蔵人城のこと。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月26日(月)19時56分41秒
返信・引用
  > No.5422[元記事へ]

ジャンさんへのお返事です。

蔵人城ですか。ゴルフ場の中に碑があるという情報は得ていたのですが、無断立ち入りもできないので、内部は確認せずにいました。

ゴルフ場になっていない縁部には腰曲輪が残されているということだったので、下からアクセスしてみたのですが、よく分かりませんでした。

 

ありがとうございます。

 投稿者:遠藤  投稿日:2018年 3月24日(土)22時13分0秒
返信・引用
  復旧ありがとうございます。葛ヶ崎城、今度訪れようと思います。それにしても不思議な話ですねぇ…  

安中市の蔵人城のこと。

 投稿者:ジャン  投稿日:2018年 3月24日(土)11時32分17秒
返信・引用
  安中市のロズベイカントリークラブコース内に解説板があった蔵人城ですが。
クラブ閉鎖後、大規模な太陽光発電工事で土煙、土くれと化していました。
破壊されたのはゴルフ場だけで、本当の城域は破壊されていないようです。
http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/2018-03-24

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/

 

Re: 開けないのですが・・・

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月23日(金)21時04分27秒
返信・引用
  > No.5419[元記事へ]

遠藤さんへのお返事です。

ご指摘ありがとうございます。復旧したので、現在は見られるようになっています。

ところが、見られなくなっていた理由は奇々怪々です。

くだんのページは女房のサーバーに置かせてもらっていたのですが、そこにあった何百城ものデータが、きれいさっぱり削除されていました。バックアップからすぐに再生したのですが、不思議なのは、女房は誰にもサーバーのFTPアドレスやパスワードは教えていないというのです。

それが本当なら、誰にもアドレスやパスワードを教えていないにもかかわらず、何者かによって、そのサーバーにあったデータがすべて削除されていたということになります。

そういうことってあるのでしょうか? 今とても不可解な気持ちでいます。

 

開けないのですが・・・

 投稿者:遠藤  投稿日:2018年 3月23日(金)17時53分53秒
返信・引用
  はじめまして。いつも余湖さんの図を参考にさせていただいています。私は方向音痴なので、とても助かります。
さて、今回はページの不具合があり書き込んだのですが、千葉県鴨川市の葛ヶ崎城のページが開けません。こちらの不具合でしょうか?直せるのであれば、修正をお願いします。
 

Re: 田辺(舞鶴)、宮津についての戯言

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月19日(月)04時37分47秒
返信・引用
  > No.5410[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

考察、面白いですね。勉強になります。

 

諸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月18日(日)20時27分18秒
返信・引用
  これも上野村のお城。

山頂ではなく、北側下の鞍部に築かれるという異形の城である。堀切や二重土塁などもあるのだが、いずれも規模は小さく、想像よりもパッとしない城郭であった。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/uenomura.htm#moro
 

千石墻の砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月18日(日)20時26分20秒
返信・引用
  群馬県上野村のお城。

神流川に臨む岩山の上に築かれている。その特徴的な山容こそが「千石墻」という名称の元になったものだと思われる。

途中、神流川のせせらぎ遊歩道を歩いていくのだが、川の流れを見ながら歩いて行くのはなかなか気分がよいものである。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/uenomura.htm
 

尾附城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月18日(日)20時24分28秒
返信・引用
  これも神流町のお城。

南側は神流川の断崖絶壁、北側は尾附の集落といった立地である。集落からの比高は50mほどと、たいしたことはないのだが、斜面は急峻で滑りやすく、なかなか上りにくい山である。

山頂には神社が祭られていて、石を並べた階段もあるのだが、これがまた、昇り降りが難しい階段なのであった。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kannamati.htm#oduku
 

旗ヶ城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月18日(日)20時21分31秒
返信・引用
  これも神流町のお城。

比高360mもある山上に築かれており、とても登りたくないところであるが、城址に鉄塔が建てられているためか、鉄塔まで林道が付けられている。従って簡単に訪れることができるのであるが、林道はけっこう荒れているので、運転していて不安になる。

城らしい遺構は堀切1本だけである。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kannamati.htm#hata
 

小平城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月18日(日)20時19分32秒
返信・引用
  これも神流町のお城。

神流川を望む比高90mの独立山に築かれている。1郭こそは狭いが、横堀から腰曲輪に上がり、さらにテラス状の郭に進んで1郭に接続するといった登城路が残されている。

南側には堀切も2本残っている。西側の神流川に臨む斜面は断崖絶壁の要害である。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kannamati.htm#kodaira
 

黒田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月18日(日)20時17分18秒
返信・引用
  神流の集落を望む産量先端部に築かれている。

比高90mほどであるが、城址に祭られている神社まで車で行くことができるので、非常に楽ちんな山城である。しかし、この道路によって遺構はかなり破壊されてしまっているようだ。

この地域の拠点城郭にしては、わりと小規模な城である。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kannamati.htm#kuroda
 

桐ノ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月18日(日)20時15分42秒
返信・引用
  群馬県神流町のお城。

標高1040mと非常に高い山に築かれており、普通ならとても登る気にはなれないのであるが、幸いなことに、城と同じ標高まで車で行くことが可能である。それでは、ということで行ってみた。

智稲佐砦であるが、堀切や腰曲輪、竪堀といった意匠がコンパクトにまとまっている。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kannamati.htm
 

田辺(舞鶴)、宮津についての戯言

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 3月18日(日)10時40分36秒
返信・引用
  田辺城(京極期)には本丸に御殿ならびに天守はなかったとされています。
しかし次の疑問点から、あったと考えてしまいます。
1)近隣の福知山は7万石でありながら天守があり、細川氏、ならびに京極氏は
  12万石なので、天守がないというのが無理ではないか。
2)御殿等を拡大建設するために本丸を拡充したと考えるのが、妥当ではないか。
そこで、図面から考察すると、京極期の本丸の形状は、豊臣期大坂城に似ているように
感じます。つまり細川期本丸―大坂城奥御殿、拡充部本丸―大坂城表御殿を
意識していたのではないかということです。では牧野氏の頃にはあった
二の丸御殿というと本丸の位置関係から内堀の外にあるが、福井や今治の例から
「山里丸御殿」して藩主の私的な場所としてあったのではないかと思うのです

では、では本丸御殿、天守がいつ無くなったと言えば、宮津城建設時でしょう。
田辺城から櫓門を移した話もあるので、本丸御殿も移したと考えるのが妥当だと
思われます。

ところで、宮津城ができたのは元和以降のこともあり、天守がないと言われていますが
1818年に書かれた「丹州宮津城絵図」には、本丸の中心に、
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/maiduru/zoomify/mai30_70/mai30_70.html
19世紀中ごろに書かれた岡田春燈斉:「従成相山眺望 天橋立之図 日本三景之一」に
三重の櫓が描いています。
https://ja.ukiyo-e.org/image/ritsumei/mai30_25

ただし天守として公式的なものかというと本丸御殿の想像図が「思いつくまま」という方の
blogの「宮津城本丸御座敷御殿 完成」にありますが、注目してほしいのは、明石城の本丸御殿や、
高山陣屋の御三階と同様の構造の御殿から飛び出した望楼部です。
元和偃武以降で、田辺城からの移設天守の建設すら難しかったため、このような建て方を
したのではないでしょうか
 

Re: 高内館(宮田館)@茨城県那珂市

 投稿者:砂菱潜之  投稿日:2018年 3月17日(土)05時46分30秒
返信・引用
  > No.5407[元記事へ]

余湖先生、返信ありがとうございました。

訂正と追記です。

今日・土曜日ではなく、明日・日曜日の誤りです。
お詫びして訂正いたします。

現地は地下水位が高く、泥濘状態の地点も多いため、
履き物には留意してお出掛けください。

http://www.city.naka.lg.jp/page/page004224.html

 

Re: 高内館(宮田館)@茨城県那珂市

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月15日(木)04時37分16秒
返信・引用
  > No.5407[元記事へ]

砂菱潜之さんへのお返事です。

初めまして。高内館の発掘報告会のお知らせ、ありがとうございます。

高内館が発掘調査されているという情報は伺っていましたが、いよいよ報告会が開催されるのですね。これまでの調査だと、恒久的な城館ではなく、陣城ではないかと想定されているようで、なかなか興味深いところですね。

25日は私は別用があって残念ながら行くことができないのですが、関心のある方は破壊される前にぜひ訪れてみたらいかがでしょうか。

それにしても、那珂市にある貴重な平城の跡が、また1つ破壊されてしまうのかと思うと、残念な限りです。

 

高内館(宮田館)@茨城県那珂市

 投稿者:砂菱潜之  投稿日:2018年 3月14日(水)21時12分46秒
返信・引用
  夜分に失礼します。初めて投稿します。

既に御承知の方も多いでしょうけど、
現在、発掘調査をしている、宮田掃除助館跡の
現地説明会が、今週の土曜日に開催されます。

中世末期に構築されたと想定される、
比高5mの、土塁と水濠の屈曲部が見所です。
この館址の、最も特徴的かつ保存状態の良い遺構の部分が、
道路開発に伴って破壊され、今年度一杯で湮滅してしまいます。
往時の面影を肉眼で確認しうる、最後の機会となります。
興味のある方は奮って御参加ください。

http://www.city.naka.lg.jp/page/page004224.html

 

Re: 高沢右衛門尉

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月13日(火)07時41分36秒
返信・引用
  > No.5402[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

高沢氏のことについては私は残念ながらわかりません。

あの椎の木、あれで300年ほどなのですね。一見してもっと古いものかと思ってしまいました。

それはともかく、打墨城から宗教施設のような印象を受けるというのは私も同感です。もともと信仰の山だったというような気がします。

それではまたです。

 

Re: 移転先

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月13日(火)07時38分48秒
返信・引用 編集済
  > No.5401[元記事へ]

栃木県の中世城郭さんへのお返事です。

引っ越しって、かなり精神的にも体力的にも疲れますよね。お疲れさまです。

滑川ですか、自然環境が豊かなところですね。のんびり過ごすにはよさそうです。

幸いにも、といっては何ですが、埼玉は栃木の隣の県ですから、あまり遠方にならなかったのは、不幸中の幸いともいえるでしょうか(^^)

『栃木の城郭』の件、了解しました。watanabeさんの都合を待って動き出すようにと思っておりますので、時期が来たら、ぜひ教えてください。

それではまたです!

 

樹木

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月13日(火)05時48分29秒
返信・引用
  通りすがりさんへ

コメントありがとうございます。樹木については全くわらかないので
助かりました。
 

Re: 高沢右衛門尉

 投稿者:通りすがりでした  投稿日:2018年 3月13日(火)01時33分40秒
返信・引用
  安房国さんへのお返事です。

お写真の樹木はシイノキ(スダジイ)ですね。宗教施設との関連は分かりませんが、千葉県ではごく一般的に自生している樹木です。
樹齢は、お写真からの判断では300年未満といったところでしょうか。

樹木が好きなものでついコメントしてしまいました。突然申し訳ありませんでした。
 

高沢右衛門尉

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月12日(月)20時35分33秒
返信・引用
  余湖さんへ

余湖さんもこの記事を読まれていたんですね。この記事には「鹿野岡城主 高沢右衛門尉」
とあります。里見家臣団にも名前は見当たらないようですが余湖さんは御存知でしょうか?
電話帳に記載されている市内の高沢姓(正確には高澤)は3軒しかないので、昨日電話して
みました。3軒中2軒が御在宅でした。しかし、記載されていた男性の名前の方は既に
両名ともに亡くなられていて高齢と思われる奥様が出られました。この亡くなられていた
男性二人は兄弟とのことでした。しかし、両奥様とも城主の先祖がいたという話は聞いたことが
ないとおっしゃっていました。
もう一人の高澤さんは女性名で登録されてますが姻戚関係ではないそうです。

この城は私も余湖さんが言われるようにかなり古い時代のものだと思います。
私は城郭の形状で年代を推測はできませんが、写真のような古大木がピーク部
にあるのは不自然のように思います。樹齢はわかりませんが葉の形から榊の木
のようなので、戦国期より以前に神社などの宗教的施設があったのかなぁと
思いました。
 

移転先

 投稿者:栃木県の中世城郭  投稿日:2018年 3月12日(月)19時11分26秒
返信・引用
  余湖さん、こんにちわ。
私、埼玉県の滑川町、月の輪というところに引っ越します。
自然がいっぱいのクソ田舎の新興住宅地です。
ちょっと楽しみ。
落ち着いたら、栃木本の出版の件、よろしく御願いします。
絶対、やりたいです。
 

Re: 打墨城(鹿野岡城)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月12日(月)04時19分25秒
返信・引用 編集済
  > No.5399[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

打墨城のこの新聞記事、私も読みました。この城は昔県で行われた悉皆調査から漏れていて、打墨城の存在を知ったのは数年前でした。記事では、新発見の城とあったように思いますが、それよりも前に、小高春雄さんの『安房の城』で紹介されており、私もそれによって知りました。

素朴で簡素な山城で、かなり古い時代の城郭なのかなと感じました。遺構的にはそれほど凄いものはありませんでしたが、安房富士と呼ばれるだけあって景色はとってもよかったです。

それではまたです。

 

打墨城(鹿野岡城)

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月11日(日)19時17分24秒
返信・引用
  こんにちは。本日、市内の打墨城跡(県、市の教育委員会は鹿岡城跡と命名したようです)
へ行ってきました。余湖さんが行かれたのはもう20年ほど前だとは思いますが、城跡と
わかっていてもすぐに埋蔵文化財に指定されるものではないんですね。

新聞記事では、「まず案内掲示板などを設置したい」と書かれていますが、その掲示板は
1年以上経った今も設置されておらず、資料館の方に聞いてもは今のところ設置の予定は
ないようです。その代わりってわけでもないでしょうが、鴨川富士としての登山口の
説明看板があり、比較的なだらかな道で鳥瞰図の右上の部分に繋がる道へでることが
できました。

まだまだ、城の遺構を識別できるレベルではないので余湖さんの鳥瞰図と睨めっこしながら
勉強していきたいと思います。
ではまた。
 

丹後田辺城天守台

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 3月10日(土)07時40分18秒
返信・引用
  ある方の説に従えば、織田期の天守は「立体的御殿」であり、越前大野のように
今の天守の概念では異形のものがあったというので、多様な試みの中の一つでは
なかったと思うところはあります。
 

Re: 丹後田辺城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 8日(木)04時35分41秒
返信・引用
  > No.5396[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 細川氏時代の21m×31m大きさを持ち、本丸から離れ天守台だけが堀の中に忽然と浮かぶ姿は
> 大溝城の天守と類似性を感じ、織田期の天守の在り方を模索する時代を象徴するようで

田辺城の天守がそのようなものであったとは知りませんでした。高松城の天守のようなものだったのでしょうか。

 

丹後田辺城

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 3月 6日(火)20時22分56秒
返信・引用
  細川氏時代の21m×31m大きさを持ち、本丸から離れ天守台だけが堀の中に忽然と浮かぶ姿は
大溝城の天守と類似性を感じ、織田期の天守の在り方を模索する時代を象徴するようで
もうちょっと調査や、注目されても良いかなと思うんですね。
また京極期に拡張された本丸が、鍵状の形態はなのは当初からの計画なのか、本丸の拡張が
未完成のままなのか、色々と想像を掻き立てるものがあります。
 

Re: 新たな発見、高館東城(仮)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 6日(火)04時17分55秒
返信・引用
  > No.5394[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

東側にも遺構がありましたか。高舘城は、奥が深いですね。

 

新たな発見、高館東城(仮)

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 3月 5日(月)17時18分39秒
返信・引用
  高館南城の土塁の発見をお知らせしましたが、実は第二駐車場からの帰路、林道右手に土塁を見つけ、周囲を歩いて見たところ、高館城の東側丘陵地にも山城があるのを見つけました。これは私のブログ高館東城として記事にしています。また大田原市文化財課に調査の依頼ために連絡いたしました。

写真1 林道から登ってゆくと大きな曲輪があり、西には土塁が構築されています。
写真2 東尾根の南側を守る土塁
写真3 東尾根の先端にある詰め丸

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 山之城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 5日(月)07時14分41秒
返信・引用
  > No.5392[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

そうですね。考えてみればヤマビルはたいしたことないですね。確かに気持ちは悪いですが、痛くもかゆくもないし、クマやハチと違って、命にかかわることはないですからね。

山の城に行かれましたか。20年ほども前に一度行っただけなので、なんだか懐かしいですね。あの顔の形をした祠はそういうことだったんですね。知りませんでした。情報、ありがとうございます。

 

山之城

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月 4日(日)19時39分20秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。

ヤマビル、スズメバチ、イノシシ遭遇経験ありますが、考えるとヤマビルが一番マシ
かもしれませんね。

猟師・・・そういえば2006年に勝浦でサカキを採りに山へ入ったおばあさんが
サル駆除のハンターにサルと間違えられて撃たれて亡くなったのを思い出しました。
目立つ色の服装で入ったほうがよさそうですね。

先日、余湖鳥瞰図を参考に近くの山ノ城へ行ってきました。
祠の中のアヤシイ顔ですが、鴨川市教育委員会が出している「鴨川の石造物百選」
33ページによれば、宝暦9年7月に石尊神社へ奉納された天狗面のようです。
雨乞い神事と関係あるみたいです。
画像も参考までにアップしておきます。知っていたらすいません。では!

 

Re: 高館南城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 4日(日)12時40分25秒
返信・引用
  > No.5389[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは、相変わらず活発にお城廻りをしているようですね。

高館南城というのは、もしかして佐久山館のことでしょうか? それとも、他にも城郭遺構があるのでしょうか?

http://yogoazusa.my.coocan.jp/takadatekr.htm#sakuyama

佐久山館は遺構規模はかなり大きかったのですが、造作があまりにもざっくりとしていて、臨時的築城という雰囲気を感じました。

それではまたです。
 

Re: はじめまして

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月 4日(日)12時37分57秒
返信・引用
  > No.5388[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

初めまして! 私のページを参考にしてくださっているようで、ありがとうございます。
安房ではおっしゃるようにヤマビルに気を付けなければならないですね。私も室戸城では吸い付かれそうになりました。
その他にもイノシシやスズメバチ、ダニなど、山歩きには注意が必要です。キョンもいるようですが、キョンくらいなら、可愛いだけで害はなさそうですね。実は一番怖いのは猟師だったりして、私は安房の某山城で、猟銃を向けられて脅されたことがありました。

少しずつ書き溜めてきた余湖図も、5700城を数えるようになっています。これを本にしたいというお話があれば、乗ってもいいと思っているのですが、商業ベースでは採算が取れないでしょうね。でも、昨年出た『廃城をゆく5 戦国の城を極める』では、収録したすべの城に私の鳥瞰図を採用してくれました。

まあ、中にはずいぶんテキトーに描いたものもありますので、少しずつ改定していきたいとは思っているのですが、なかなかそこまで進みません。

それではまたです!
 

高館南城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 3月 3日(土)20時46分43秒
返信・引用
  大田原市にある高舘城には南側に大規模な山城があるのは御存じと思いますが、先日、高舘南城(仮に)を徹底的に見てきました。前回訪れたときは本丸周辺のみでしたが、今回は主郭部の南下を見てきました。そこで、南西曲輪と南側を守る土塁、南曲輪と南から西側を守る土塁、主郭部の城壁に沿って50mもの高土塁があるのを見つけてきました。高舘城とあらたに増設されたと思われる高館南城は研究の余地があると思います。
写真1 南西曲輪
写真2 南土塁
写真3 主郭部城壁の南下土塁

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

はじめまして

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 3月 2日(金)22時55分23秒
返信・引用
  初めて書き込みします。安房国こと久保寺と申します。最近、お城に興味を持ち始め
このサイトを発見しました。そして余湖鳥瞰図ファンになった一人です。

自分の住んでいる地域にこんなにも知らなかった戦国時代の城があったことを
知って余湖鳥瞰図と一緒にお城巡りを始めました。

前にも書かれた方がいたようですが、この鳥瞰図が出版化される予定はないので
しょうか? 電子媒体が意外とあてにならないことに今更ながら気づきました。
大げさではなく、後世のためにも紙媒体で残して欲しいなぁと思います。

1冊に100図をまとめたとしても57巻を超えますね。そして、まだまだ増えそうですね。
自分もとりあえず自宅のある安房国の廃城をヤマビルに気を付けながら
余湖鳥瞰図を片手に巡ろうと思います。

 

Re: 駿府公園

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 3月 1日(木)23時39分40秒
返信・引用
  > No.5386[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

>>狸屋様
情報ありがとうございます。なるほど、坤櫓の手前でしたら再建にもちょっと邪魔でしたと思います。自分の遠い記憶では背後が森っぽかったのですが、今の公園にはそんな場所ありませんのでちょっと???でした。
 

駿府公園

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 2月28日(水)20時06分9秒
返信・引用
  >>あんけん様

20年蔵前に坤櫓の前の広場あたりに静岡市立の児童会館があった記憶があり
SLはそこに隣接してあった記憶があります。鉄道のレイアウトとか
大阪万博から引き取られたロボットもあった気がするんですねえ。
なんせ20年以上前のことなので不確かなんですが。
 

Re: 駿府城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月26日(月)22時19分4秒
返信・引用
  > No.5384[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。
発掘域以外でも、内堀の二の丸側に石を並べてくれてるので何となく縄張りは覗えるようになってました。昔はどこかにSLがあったと記憶してましたが・・・。

二代目天守は御存じの通り天守台内側に建ち、天守曲輪を形成してましたが、現在残ってる部分が下から約1/4で礎石も残っておらず、直に建ってたか、さらに小さな台を設けて建ってたのかは不明のようです。リップサービスでもないとは思いますが、竣工直前に焼失した初代天守は天守台いっぱいの巨大天守で、急いで再建するために二代目は床面積で縮小した可能性もあるかもという話でした。

北側の石垣は炎上時に傷んだ様子がよく判り、割れた石が多数そのままになっており、堀の中からは焦げた木材も出てて、展示されてました。天守台復元もそれらの石の強度等を見ないと方針を決められないそうです。南側の堀も発掘は進んでて、現状清水御門跡から家康公像へまっすぐ進めなくなってます。ですが透明の囲い板から小天守台西の堀が目の前に見学できます。

31年度からは中をもっと掘り下げて今川時代の遺構を探るそうです。
 

Re: 駿府城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月26日(月)04時48分24秒
返信・引用
  > No.5383[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

駿府城の本丸の発掘、進んでいるのですね。以前訪れた際には、本丸はまったく痕跡すらもなかったでしたから、かなり旧状が解明されそうですね。


> 昨年度発掘の天守台西面に続き、北面も発掘され、3方の隅が出たことで、天守台のサイズは約68m×約61mと判明しました。

これはまた、でかいですね。これまで日本最大と言われてきた江戸城天守ですら、20間四方程度と言われていますから、それをしのぐ、文字通り最大の天守だったわけですね。

駿府城の天守は7層あったという説もありますから、確かに日本最大であったのかもしれません。

 

駿府城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月24日(土)22時32分46秒
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  こんばんは、あんけんです。
本年度の発掘が終わり、本日現場見学会が催されました。
昨年度発掘の天守台西面に続き、北面も発掘され、3方の隅が出たことで、天守台のサイズは約68m×約61mと判明しました。陸軍による破壊が酷かったため、内部もしっかり調査され、栗石を仕切るための川原石列が約4間ごとに検出されてます。また駿府城御本丸御天主台跡之図に書かれてる位置より石組みの井戸が検出されました。
 

同心円状石垣

 投稿者:田中 秀昭  投稿日:2018年 2月23日(金)12時58分8秒
返信・引用
  余湖様のおっしゃる通り、完全に合致する石垣はないような気がします。
私も縄張りと石垣を中心に、全国の様々な300城余りの城を見ましたが、思い当たる節がありません。江戸城には百回以上行っていますが、なんとなく石室と富士見多聞櫓の辺りに違和感を感じていました(具体的に説明できません)。
本丸富士見櫓の近くで、蓮池濠のこの石垣のある反対側には西ノ丸のお局門と屋敷。
白河小峰城半同心円の鷹の目の様に、敵を威嚇する目的ではありません。

しかも、真ん中が窪んでいるというのは、裏込め石がなく、すぐに土塁ではないか?

一昨年の「乾通り一般公開」の時に見つけて、ずっと調べていましたが思い当たりません。
様々なサイトに問い合わせたり、国会図書館・日本公文書館にも通っています。
近々公文書館に行く予定ですので、範囲を広げて探してみます。
もし他の城で似たような石垣が見つかれば、参考になりますのでご一報頂ければ、幸いです。
これからも余湖さんの全国の城の縄張り図を参考にさせて頂きます。
日本のお城、奥が深いですよね。
 

Re: この石垣と同じ石垣を捜索中

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月23日(金)04時31分38秒
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  > No.5380[元記事へ]

田中 秀昭さんへのお返事です。

石垣だけでは、確実にどこかというのは、難しいですね。何かヒントはないのでしょうか? あるいはどういう経緯でこの石垣の所在を調べることになったとか。

丸く円を描くような石積み方法は、まさに白河小峰城のものと一致しますが、小峰城の石垣は、もっと隙間のない積み方であったと思います。さらに、小峰城の場合は、こんなに周囲に樹木は茂っていないので違うと思われます。

雰囲気的には松山城の石垣に似ているような気がしますが、あくまでも印象的なものですので、はっきりとしたことは分かりません。


 

この石垣と同じ石垣を捜索中

 投稿者:田中 秀昭  投稿日:2018年 2月21日(水)21時47分14秒
返信・引用
  余湖様へ
初めまして、不束ながらお城のご案内を少しだけ始めております。
いつも余湖さんの縄張り図を見ながら、お城の構造を勉強しております。
出来栄えや収録されている、お城の数には、ただただ圧倒されております。
これからも、お城のご案内に出掛ける前には、必ず参考にさせて頂きますので
どうぞ宜しくお願い致します(コピペは行っておりません)。
さて、添付写真のような石垣を、何処かで見た記憶はございませんでしょうか?
(江戸城蓮池濠、松の大廊下の辺りで富士見多聞から20mほど富士見櫓寄り)
比較的に似ているのが「白河小峰城の鷹の目積み」になるかと思いますが
明らかに違います。
ご教示願えれば、幸いです。

https://www.facebook.com/hideaki.tanaka.1420

 

Re: 竜貝城・奥野城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月20日(火)21時30分25秒
返信・引用 編集済
  > No.5376[元記事へ]

近江兄弟さんへのお返事です。
こんばんは、あんけんと申します。
> これはびっくりしました。どこで調べられました?
昨年歴史民俗資料館のスタンプラリーに釣られて赴き、稲敷の遺跡分布図を入手してました。
> 地元では長者屋敷というのは聞いたことがないですが、
残念ながら分布図によると調査後隠滅とあるので、報告書を読みたいものですが、いせきぴあという県内の資料・報告書を一括に収集してる施設に稲敷市の資料は全く来ておらず、また市としても遺跡の詳細は防犯の理由で情報公開しない方針のようです。
> 文がよく読み取れなくて恐縮ですが、奥野城は実在が判明しているのですか?正直自分も伝説の類だと思っていたのですが……。
公式にはこちらは城館跡とはされてません。ですが両方の話がごっちゃになりそうなのでその伝承の場所を挙げただけでした。
竜貝の地ですが、龍ヶ崎との市境に近く東西に並ぶ城跡の空白地域ではありますが、城跡はどこなのでしょうね。
 

Re: 奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時45分32秒
返信・引用
  いばらきデジタルマップを見る限り、平地の城館ではなくかつて存在していた古墳を利用していたとも考えられます。  

連コメ申し訳ないです

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時35分33秒
返信・引用
  いばらきデジタルマップ確認しました。けっこう色んな遺跡があるものですね。

長者屋敷跡は下根本になるので竜貝城とは違うかなあ、という感想ですがどうなんでしょうね。
市史・町史を見ればなにかわかるかもしれませんが大合併などあったのでどうなっているか……
昔のことで記憶があやふやですが「新利根町史」は主要な寺院を触れた程度の内容のうす~いものだったような気がします。
 

Re: 竜貝城・奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時23分59秒
返信・引用
  これはびっくりしました。どこで調べられました?

地元では長者屋敷というのは聞いたことがないですが、別府という地名は確かにあります(あの辺りは小字の区分が細かくてどこがどこまでなのか曖昧なところがありますが……)

文がよく読み取れなくて恐縮ですが、奥野城は実在が判明しているのですか?正直自分も伝説の類だと思っていたのですが……。

しかし別府曽根遺跡も竜貝遺跡もはじめて知りました。あまり近辺の人も知らないのではないかと思います。そもそも神明神社自体、あのあたりを頻繁に通る自分も存在を知りませんでした……貴重な情報感謝します。
 

竜貝城・奥野城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月20日(火)07時05分23秒
返信・引用 編集済
  おはようございます、あんけんです。
ちょっと割り込み失礼して、昨夜それぞれの場所を調べてみました。
竜貝城の可能性のある「小字竜貝」が神向寺城の西約1kmの
35°55'22.2"N 140°15'11.4"E
周辺から北西方向の台地上で、、称蓮社寝釈迦堂があり、いばらきデジタルまっぷには「竜貝遺跡」という複合遺跡としてポイントされてます。ただ中世は竜貝遺跡の時代には入ってません。この東350mくらいの神明神社周辺は長者屋敷跡という城館跡としてポイントされてます。すぐ西の別府台遺跡からは中世の遺物が出てるようです。
その城主の奥方の館跡がその南の水田の中にあり、下別府曽根遺跡とされる細長い住宅地の北西隅にある写真の塚が
35°55'01.6"N 140°14'57.1"E
で、周囲は微高地で明治迅速図だと周りは畑なのに、ここだけ「草」と表記されてます。

長者屋敷跡と竜貝城が同一かは判りませんが・・・。
 

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