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城好きな眼鏡小僧さんへ

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 2月 4日(日)09時06分3秒
返信・引用
  お世話になっております。
50stormです。藤井城の件、今度一緒に探しませんか?
貴殿の予定だと土日休日がメインになるかなと思います。3月くらいに一緒に探しましょう。

なお、2月11日ツアーを考えています。一緒に行きませんか?
 
 

(無題)

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 2月 3日(土)16時40分57秒
返信・引用 編集済
  ありがとうございます。
もし見つけたときには
この掲示板に位置画像付きで
書き込ませていただきます。
 

Re: 水戸市の御局屋敷について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月30日(火)04時46分23秒
返信・引用
  > No.5348[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

御贔屓にしていただいて、ありがとうございます。

御局屋敷についてですが、『城郭体系』の一覧には掲載されているものの、『茨城県遺跡地図』では見つけることができず、場所の特定ができずにいる物件です。『遺跡地図』にも漏れはありますから、実際には何か残っているのに未掲載というケースもあり得ます。

「堀ノ内」地名が残っているとのことですので、堀ノ内の地名があり、遺構らしきものがあるとすれば、ほぼ間違いないのではないかと思います。


 

水戸市の御局屋敷について

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 1月29日(月)19時12分50秒
返信・引用 編集済
  ご無沙汰しています。
12月2日はありがとうございました。
いつもお城へ行ったり調査するときに
このサイトを使用させていただいています。
そういえば、水戸市のページを見たときに明確な位置が書いてなかったのですが、
藤井町に有ると言われている御局屋敷はまだ見つかっていないのですか?
どうもそれに近い地形を見つけたのですが…。
 

Re: 泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:比企下総  投稿日:2018年 1月28日(日)12時35分50秒
返信・引用
  > No.5346[元記事へ]

ご回答いただきまして、ありがとうございます。
そうでしたか。しかし個人では無く
まさか自治体がこのような事をしてしまうとは信じられません。
とても残念です。
 

Re: 泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月28日(日)07時44分36秒
返信・引用
  > No.5345[元記事へ]

比企下総さんへのお返事です。

お久しぶりです。『図説茨城』ご愛読いただきありがとうございます。

また、泉頭城について、お知らせいただいてありがとうございます。
さっそく、ネットで現在の案内板を探してみてみました。

みたところ、私の鳥瞰図とほぼ同じといっていいものですね。私が描いたものではないので、私の図をそのまま下敷きにして描いたもののように見えます。
しかし、特に「使わせてください」などとは言われておりません。

私の図は出典さえ明記してあればご使用は自由とうたっていますし、参考にしていただいても全くかまわないのですが、一言「余湖くんのホームページを参考にした」と書いていただければうれしかったです。

出典を明記してあれば自由に使っても構わないと言っているのに、あえて自分のオリジナルのようにしている人が時々いて、とても悲しくなってしまいます。



 

泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:比企下総  投稿日:2018年 1月27日(土)09時17分53秒
返信・引用
  ご無沙汰しております、比企下総と申します
(2度目の書き込みで失礼いたします)。
ホームページ、及び茨城の城郭、続・茨城の城郭、いつも参考にさせていただいてます。

ところで、Twitterのフォロワーさんに、
静岡県泉頭城の案内板の鳥瞰図が
余湖さんのものと酷似していると教えて頂きました。
こちらは、余湖さんご本人が書かれたものなのでしょうか?
 

Re: 諏訪山北の要害

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月18日(木)05時03分38秒
返信・引用
  > No.5342[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

諏訪山北城の情報、ありがとうございます。横尾さんの情報を読んでみて、ますます行ってみたくなりました。

現在、城めぐりのシーズン真っただ中とはいえ、仕事の方が忙しく、今の所、まったく城めぐりに出る時間が取れません。

時間が取れたら、ぜひとも行ってみたいです。

重ねての情報、ありがとうございました。

 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月18日(木)05時01分58秒
返信・引用
  > No.5341[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

水戸城の復元計画、面白そうですね。なにしろ茨城でもっとも有名な城郭だと思うので、完成した暁には茨城を象徴する城址になる可能性がありますね。

栃木の宇都宮城も、かつてはほとんど湮滅状態にあったのが、復元されてなかなか立派になっており、市民の憩いの場となっています。あんな感じになったらいいなと思っております。

櫓台の礎石がなかったというのが不思議です。取り払われてしまっていたということなのでしょうが、土塁の上に復元する櫓というのはなかなか難しそうですね。

重ねての情報、ありがとうございます。

 

諏訪山北の要害

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月17日(水)22時14分37秒
返信・引用
  諏訪山城の北尾根に「栃木県の中世城郭」との菅臨さんが、新発見の山城があるとの情報をお知らせしましたが、実際、私も登って見てきました。縄張りの中に大岩を利用した本丸には感動しました。これほどの山城が未登録であるのは残念に思い、鹿沼市文化財課に連絡いたしましたところ回答が来ました。
「本市では、諏訪山城跡をはじめ、城館跡を「周知の埋蔵文化財包蔵地」として、文化財保護法に基づき保護しております。
ご指摘の諏訪山城跡の北尾根の遺構につきましては、当方でも平成29年4月に踏査を行い、その存在を確認しましたが、「周知の埋蔵文化財包蔵地」への追加登録は未了であります。現在、資料を整え、追加登録の準備を行っているところであり、早急に登録し、文化財保護法に基づく保護策を講じたいと考えております。
城館跡の保存整備は、ご指摘のとおり史跡として指定することが重要です。
史跡指定は、「土地所有者による同意・申請⇒教育委員会へ諮問⇒文化財保護審議会の調査・答申⇒教育委員会が指定・告示」の手続きが必要となります。諏訪山城跡につきましては、現時点では、土地所有者からの同意や申請をいただいておらず、史跡として指定する予定はありません。」以上です。(北の要害は私のブログで北諏訪山城として報告いたしております。)

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

(無題)

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 1月17日(水)19時49分21秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
こちらにお金の使い方や完成後の隅櫓への新設動線予定等詳しく載ってます。動線の片方が御三階跡の傍を通るのは何かの伏線かとも勘ぐってしまいたくなります。(よくよく考えたら駅前ですし、隅櫓で注目を浴びれば・・?)
http://www.city.mito.lg.jp/001373/001374/0/rekisi/kihonkeikakuwosakuteisimasita_d/fil/ootemontouseibikihonkeika.pdf
未だ基礎も完成してませんが、大手櫓門自体は国体前の完成を目指してるので、恐らく木材の加工等は他所で着々と進んでるものでしょう。先の一枚目の画像の様にちょうど門の幅で30㎝くらい道路建設のために削られ、礎石は残っておらず、白線で表した旧跡地も推定であるそうですが四つ角が判明したので、今後工事は急ピッチで進むことと思われます。

また二の丸の北の入口、南の入口もそれぞれ近場に復興されてますが、規模は小さくなってます。また二中の横の彰考館跡には小規模ながら二の丸展示館も建てられ、各学校の出入り口や塀も城郭風にする等、たしかに観光客を強く意識してる感はありますね。

最後に展示されてた鯱瓦の画像です。
 

Re: 水戸城大手門脇瓦塀

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月17日(水)04時38分22秒
返信・引用
  > No.5339[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

水戸城がこんなことになっているとは知りませんでした。お城ブームのおりから、水戸城も観光資源にと思っているのでしょうか。

何しろ近世城郭ですから、発掘すれば遺物も遺構もいろいろと検出されそうですね。

隅櫓まで復活とは、驚きです。完成した暁にはぜひ訪れてみたいです。

情報、ありがとうございました。

 

水戸城大手門脇瓦塀

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 1月17日(水)00時14分35秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
水戸城大手門と二の丸隅櫓、塀の復元が進んでますが(櫓門自体の竣工は来年度前半だそうです)、門南側でも瓦塀が2カ所見つかって、16日と17日の午後から現地見学&説明会があり、以降は見られなくなるとの事で無理して行って来ました。
塀は櫓門の前後に2カ所設けられ、その規模はそれぞれ基部で幅2mを超え、高さは推定5mだそうで、瓦と粘土質の土で積み上げられてますが、火災の痕跡が無い事から明和の大火の後の復興時のものではないかとの事でした。また櫓門の横は排水のための石組みの水路も発見されてます。
また古写真には見えない鯱瓦の一部も出ており、復元門にも装備される事が確定しました。

現状枡形は通行止めで、北側土塁上にそれを超える仮設通路が出来ておりこちらは当分の間見学し易くなってます。
 

山城ガイド!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月15日(月)21時24分9秒
返信・引用
  学研から山城ガイドという本が出版されました。

私も何城か執筆しています。

よろしかったらご覧になってみてください。




 

Re: 謹賀新年

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 7日(日)18時53分32秒
返信・引用
  > No.5336[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

明けましておめでとうございます。昨年は多忙なわりには、かなり各地の城を訪れることができました。できれば今年も行きたいものです。

山陰ですか、いいですねえ。しかし、関東地方からだとかなり遠いです。

それではまた!
 

謹賀新年

 投稿者:みよさん  投稿日:2018年 1月 7日(日)18時29分53秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます!

昨年はお仕事との両立の中、ものすごい勢いでの更新、驚きの気持ちで拝見しておりました。いつか山陰にお越しくださること、楽しみにしております。
今年も、充実したお城めぐり&更新をお祈りいたします。

 

Re: 謹賀新年

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 6日(土)08時35分24秒
返信・引用
  > No.5333[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

明けましておめでとうございます。こちらこそ、本年もよろしくお願いします。

昨年はいろいろとお世話になりました。2月の件もよろしくお願いします。

 

Re: 諏訪山北城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 6日(土)08時34分17秒
返信・引用
  > No.5331[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。諏訪山城の北にも城郭があるということは以前に聞いていたので宇sが、まだ訪れていません。機会があったら行ってみたいと思います。

 

謹賀新年

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 1月 5日(金)21時25分28秒
返信・引用
  余湖さん。あけましておめでとうございます。

今年も何卒よろしくお願いします。
 

訂正

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 5日(金)20時28分13秒
返信・引用
  「栃木県の中世城郭」というサイトです。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

諏訪山北城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 5日(金)20時23分42秒
返信・引用
  「栃木県の中世の城郭」というサイトで諏訪山城の北尾根に新発見の山城があると報告されています。この規模は諏訪山城に匹敵するほどの山城です。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 大塚城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 3日(水)06時49分44秒
返信・引用
  > No.5329[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

大塚城ですか、懐かしいですね。私が訪れたのはもう10年以上前になります。夏の暑いときだったので、ヤブがまだしんどかった記憶があります。

北側に9つも曲輪がありましたか。さすがにそこまで行ってみませんでした。今度訪れることがありましたら、確認してみたいと思います。

このところ、栃木によくいらっしゃっているようですね。栃木にもなかなか面白い城がいくつもあります。

それではまたです。
 

大塚城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 2日(火)20時51分23秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
諏訪山城へ行ってきました。規模が大きく、なかなかの山城で満足できました。最高部に北側の壁があり、本丸はその城壁の南側でしょうか?
 大塚城は余湖さんの俯瞰図を参考にして回りましたが、北尾根は曲輪が九つもあり、大きな堀切も二か所ありました。大塚城は一時期、佐野氏が治めており、これを皆川氏が攻めています。皆川氏を意識するのであれば、南側を堅固にしなくてはと思いますが実際は北を意識しています。。
 写真1北尾根の第一大堀切  写真2このような曲輪が九つ、北側にはみんな土塁 写真3 第二大堀切

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)22時54分13秒
返信・引用
  > No.5326[元記事へ]

Pさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。昨年はお疲れさまでした。今年はまた何か、一緒にできることがあるといいですね。

P殿も、私同様、休日を仕事にとられることが多いようですので、まずは体調に気を付けてお過ごしください。なかなか城めぐりをする時間が取れないのはつらいですが、お互い頑張りましょう。

また、機会があればぜひご一緒しましょうね。


 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)22時52分3秒
返信・引用
  > No.5325[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。昨年は本当にいろいろとお世話になりました。2冊の本が刊行できたのは日詰さんの尽力がかなり大きかったと思っています。

例のもの、確かに受け取りました。受け取るのはだいぶ気が進まなかったのですが、その分の埋め合わせはいずれしたいと思っています。

それでは、本年もよろしくお願いいたします。
 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 1日(月)21時56分35秒
返信・引用
  > No.5324[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろとお世話になりました。

今年もよろしくお願いします。




> このページをみてくださっているみなさん、あけましておめでとうございます。
> 本年もよろしくお願いいたします。
>
> 思えばこのページを始めて22年目になります。知らないうちに、ずいぶん長く続けてきたものです。
>
> 最近はtwitterやインスタなどが主流のようで「いまだにホームページやってんの?」と言われることもあり、自分は古いのかなあと思うこともあるこの頃です。でも、情報を探すにはホームページが一番使いやすいと思っています。
>
> そんなわけで、まだしばらくはこのホームページを続けていきたいと思っているところです。
>
>
 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:ひづめ  投稿日:2018年 1月 1日(月)14時42分29秒
返信・引用
  > No.5324[元記事へ]

食いすぎには注意して元気で続けてください。
とにかく余湖さんのページは(控えめに言っても)お城ファンの宝ですから。
今年もよろしくお願いします。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)09時13分9秒
返信・引用
  このページをみてくださっているみなさん、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

思えばこのページを始めて22年目になります。知らないうちに、ずいぶん長く続けてきたものです。

最近はtwitterやインスタなどが主流のようで「いまだにホームページやってんの?」と言われることもあり、自分は古いのかなあと思うこともあるこの頃です。でも、情報を探すにはホームページが一番使いやすいと思っています。

そんなわけで、まだしばらくはこのホームページを続けていきたいと思っているところです。

 

阿伎留城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時44分15秒
返信・引用
  これもあきる野市のお城だが、やはりただの神社のようだ。伊奈城よりはそれらしい雰囲気があることはあるのだが・・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm#akiru

さて、これが今年最後の更新である。今年は思いのほか、城巡りができた。このところまとまった休みがとりにくいのだが、来年はどうなるかな?
 

伊奈城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時42分7秒
返信・引用
  これもあきる野市のお城。

伊奈城と呼ばれているが、ここを城郭としている理由がよく分からない。ただの神社ではないだろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm#ina
 

法林寺館

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時41分4秒
返信・引用
  東京都あきる野市のお城。

法林寺の北東部に土塁がしっかりと残っており、城郭遺構ではないかと言われている。
寺院が武装化した際の名残なのであろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm
 

廿里砦

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時39分51秒
返信・引用
  これも八王子市のお城。廿里と書いて「ととり」と読む。

しかし、遺構らしきものはない。ただの神社の敷地なのではないだろうか。永禄12年に武田方を迎え撃った「戸取の山に拠点を構え」とある砦のことだというが、「ととりの砦」が本当にこの山であるという根拠がよく分からない。それが出てくるのも『関八州古戦録」だけなので、宛てになる話なのかどうかも不明。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi04.htm#totori
 

中山勘解由屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時36分20秒
返信・引用
  東京都八王子市のお城。

滝山城の近くにある。北条氏照家臣の中山勘解由の屋敷跡である。遺構らしきものはほとんどないが、館的な雰囲気は残っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi04.htm
 

ラストアイドル

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月30日(土)06時47分41秒
返信・引用 編集済
  という番組をテレビ朝日でやっている。たまたまテレビを付けていて何回か見たのだが、これがけっこう感動する番組なのである。

5000人の候補者の中から選ばれたグループのメンバー7人。それに対して毎週挑戦者が登場してきて、メンバーの誰かとパフォーマンスで勝負し、メンバーが負ければ、その場でメンバーの入れ替わりが行われるという前代未聞のシステム。最終的にメンバーとして生き残った7人がラストアイドルとして「バンドワゴン」という曲でデビューできる、といった内容である。

私が注目するようになったのは、暫定センターだった間島和奏という子を見てから。それほどかわいくないし、顔がでかくてあごが出ていたりして、どうしてこんな子がセンターに選ばれているのだろうと最初は疑問に思っていた。

しかし、挑戦者との戦いを続けている中で、この子には妙に惹き付けらる魅力があることを知った。間島が歌った後はみんな笑顔になっている(歌は下手だけど)。そしてこの子を応援したくなってしまう。こういう宝石の原石みたいな子を選抜するプロの目ってすごいな、と思った。そしてこの子は最後までメンバーとして勝ち残るに違いない、と思っていた。

ところがその間島ですらも挑戦者に敗れて、メンバーから去っていってしまう。間島が去っていった時、他のメンバーたちは納得できていない様子で「これって本当に現実なの?」とささやきあっていた。自分も「間島をクビにするのか!」と愕然したものだが、代わりに入ってきた阿部は、アイドルの資質が十分にある子であり、チャート的には間島を上回っていた。でも、間島には他の子たちにはない、飛び抜けた何かがある。

結局、結成当初から最後まで負けずに生き残ったのは吉崎と安田の2人だけだった。しかし、これは理解できる気がする。吉崎のビジュアルに挑むのは無謀にもほどがあると思うし、一見しっかりとした顔立ちをしているのに天然ボケな安田のキャラは、グループに欠かせない存在なのだろう。
ちなみに吉崎綾はこんな子
https://www.youtube.com/watch?v=Egc4Ps551A4

長月が去っていった回は、ネットが大炎上する事態となった。そりゃそうだ。どう見ても長月の方がアイドルらしい子であったし、この回で挑戦者を撰んだ以外の審査員はみんな長月を選択していた。「この決定には大反対だ」と発言している審査員もいた。

結局、負けて去っていった人たちもセカンドグループとして結成されるという救済措置が取られることになったのだが、これまたうまい戦略である。だって、負けて去っていった人をこそ、人は応援したくなるものなのである。いなくなって初めてその人の魅力に気づくってこともあるだろう。間島にはまってしまったのも、彼女が去っていってしまったからだと思う。

番組のダイジェスト版はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=p_x_4RQVF0o

デビュー曲のバンドワゴンってこんな曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=az4tehn1uaU


ちなみに、このグループ、来年はもしかするとAKBや乃木坂を越えて注目されるグループになる可能性がある。

っていうのも、ラストアイドルと4つのセカンドグループを来年は5人のプロデューサーがそれぞれプロデュースし勝負するということになっているのだが、その5人というのが、小室哲哉、つんく、指原莉乃、織田哲郎、秋元康という豪華な顔ぶれなのである。これまでのアイドル史を彩ってきた人たちが、それぞれをどんなグループに育てていくのであろう。

派生グループの中で私が注目しているのは、もちろん「someday somewhere」である。だって、間島和奏を見たいんだもん!
「何度転んでも立ち上がる」「挫折するほど強くなれる」っていう彼女たちの心情を表現した歌詞もいいし、足の不自由な間島をみんながいたわるような振付もいい。
https://www.youtube.com/watch?v=AVpOngV5YUo

来年も目が離せない番組だ。昔のアサヤンを思い出す。そういえば、モーニング娘ももともとはオーディションで敗れた子たちを集めたグループだったよなあ。

それにしても、間島和奏がセンターで歌うバンドワゴンが忘れられない。間島和奏がこのグループのセンターであってほしかった。

 

小野路城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時17分22秒
返信・引用
  これも町田市のお城。この辺りの城郭としては、もっともよく遺構が残されているといえるであろう。

ハイキングコースとなっており、あちこちから登城道持ちけられており散策しやすい。城域はかなり広大なのだが、それぞれの遺構規模は小さく、やはり臨時的築城の要素が強いものである。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm
 

小野路関屋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時15分50秒
返信・引用
  これも町田市のお城。

布田道と呼ばれる旧道の上に、二重堀を持った城郭が残されている。と言っても遺構らしきものは北側の二重堀切だけであり、きわめて簡素な城郭である。小野路城と関連誌が城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm#sekiya
 

成瀬城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時14分17秒
返信・引用
  東京都町田市のお城。

周辺は宅地化が激しいが、それでも主郭部分が城址公園として残されている。遺構らしきものはまったく見られないが、完全湮滅ではなく公園化されているだけでもありがたいというべきなのかもしれない。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm#naruse
 

天神山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月27日(水)20時42分38秒
返信・引用
  東京都三鷹市のお城。

深大寺場以外に三鷹周辺にこのような城址公園があるとは知らなかった。

都会に残る中世城郭であるが、割合よく保存されている。ただし、削平は甘く加工度も低く、いかにも陣城といった雰囲気を感じさせる。

北条氏と扇谷上杉氏との深大寺場をめぐる攻防戦に関連して取り立てられた陣城であったと推定される。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/mitakasi01.htm
 

Re: 布袋岡城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月22日(金)23時09分24秒
返信・引用 編集済
  > No.5312[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは、ご無沙汰しております。

布袋岡城に行って来られましたか。東側に城門ができているとは意外です。私が訪れた時にはそのようなものはなかったような記憶があります。城跡として認識が深まり、これから整備されていくのでしょうか。

おっしゃる通り、布袋岡城はかなり規模の大きな城郭で、面積も遺構もなかなかのもので、一見して大勢力の駐屯を意識したものだという印象を受けます。同時に陣城のような感じもします。

近くの諏訪山城ともども、皆川氏と宇都宮氏との対峙によって築かれた陣城の1つであると思われます。もちろん背後には北条氏も絡んでいたことでしょう。今度はぜひ諏訪山城にも行ってみてください。

それではまたです。

 

布袋岡城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年12月21日(木)21時06分11秒
返信・引用
  余湖さんの縄張り図を見て、鹿沼市(旧都賀町)深沢にある布袋岡城に行ってきました。
規模が大きく、素晴らしい山城ですね。シイタケ栽培をしている東側の畑から、城門で入るようになっていますから、その上にも大きな曲輪が階段状に作られていますので、地方豪族の山城ではなく、北条氏の手が入っていたのではないでしょうか。この山城はお勧めです。
写真1 本丸、奥の瘤から詰め丸へ行けます。
写真2 本丸東下の腰曲輪の南虎口から大きく建て掘りが下り、これを通路として二の丸に繋いでいます。大兵力の移動がスムースであったと思われます。
写真3 本丸東城壁を見上げています。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 伊奈氏屋敷跡

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月18日(月)04時37分47秒
返信・引用
  > No.5310[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

初めまして! 情報ありがとうございます。

伊奈氏屋敷ですか、10数年前に訪れたきりですので、なんだか懐かしいです。

私が訪れた時には、所有者の方が遺跡指定に反発していたのか、立ち入り禁止の立て札があちこちに立っていて、気分的に訪れにくい城址でしたが、和解が成立したようで何よりです。

発掘調査が行われていたとは知りませんでしたが、できれば行ってみたかったなと感じました。土日も仕事が入ることが多いので、なかなか出かけられないのですが・・・・。

伊奈氏陣屋では確か畝堀も発見されていると思うので、陣屋以前の城郭構造物がどのようなものであったのか、興味が惹かれるところです。

それではまたです。


 

伊奈氏屋敷跡

 投稿者:あんけん  投稿日:2017年12月17日(日)17時15分51秒
返信・引用
  はじめまして、いつも城跡訪問時に参考にさせて頂いており、大変参考になってます。

昨日伊奈氏陣屋で二の丸の現地説明会がありましたので行き、その後の周回ツアーも参加しました。同日開催の蓮田市新井堀の内遺跡とハシゴの方も多くいた様です。

住民の方々との和解もなったのか、史跡指定反対の看板はもうありません。また散策路を倉屋敷北部の掘底に設けて見学もし易くなっており、来年2月にも再度散策路整備予定だそうです。

案内板と石碑の背後が二の丸ですが、後ろの盛り土は近年トラックで運び込まれた土と地元の方が仰ってましたが、今回の発掘でそれが証明され曲輪の真ん中は平らな場所だった事が判ったそうです。ただ場所が南端過ぎるのか陣屋を築いた時代の地面が浅く、その下に旧城郭であった痕跡は見つかっておりません。
1郭と2郭との間の切り通しの通路ですが右の土塁の更に右、東側に掘跡があるので曲がり角を挟んで堀が繋がり、ここが陣屋前の城郭時の虎口と通路であったのではないでしょうか。

表門は絵図で東側だった事が判明してるため標柱は抜かれ、新しい解説板だけがあります。ツアーでは旧表門跡も周りました。

頭殿神社のある曲輪は城内側に土塁が残っており、また陣屋跡との間の折れのある空堀の規模から、もしかしたら搦手の詰めの丸的な場所かもしれないとの事でした。

長文で失礼しました。
 

Re: 鴨沢要害!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月12日(火)04時34分49秒
返信・引用
  > No.5308[元記事へ]

yamaさんへのお返事です。

茨城大学では、たいした話はしていません。自己紹介程度のものでした。

北条早雲は近年では井原市出身であるという説が根付いてきているようですね。昔はただの素浪人と言われていましたが、足利幕府に仕えた有力氏族の伊勢氏の出身で、名称も伊勢盛時とか伊勢宗瑞とか呼ばれることの方が多いようです。

神奈川には、彼の築いた城郭というのがいくつか残されています。鴨沢要害は、その1つになるわけですが、いかにも陣城といった程度の普請で、それほどちゃんとした城郭ではないです。

それではまたです。

 

Re: 鴨沢要害!

 投稿者:yama  投稿日:2017年12月10日(日)18時01分42秒
返信・引用
  > No.5301[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

茨城大学のセミナーに、聞き手ではなく、話し手として参加されたのですね。
すごいですね。日頃の研究と訪城の成果ですね。

北条早雲の話があったので、また食いついてしまいます。
先日、津山森家の改易された森衆利の墓を紹介しましたが、この墓がある井原市は
北条早雲の出身地という説が有力です。名は伊勢盛時、室町幕府の足利氏の有力家臣の伊勢氏の一族です。・・・私も知りませんでした。学生の時に習ったときは出自不明の浪人だったのですが、そのころよりも研究がすすんでいるようです。さらに本人は「北条」を名乗ってないとか。
井原市も「北条早雲」をアピールしているようですが、まだあまり知られてないみたいです。

ついでに井原市のことを紹介すると
・津山藩改易のあと、先代藩主が存命だったので、2万石で森家としては存続、西江原藩。そのあと、赤穂藩に移り、西江原は御三卿一橋家の領地になった。
・那須の与一が、源平合戦の功で井原市あたりの荘園をもらったので、那須の与一の墓もあるとか。

けっこう売りにできる観光資源があるみたいですが、宣伝が上手でないようです。

かくいう私も森衆利の墓はたどりつけましたが、ほかの史跡はどこかわからずじまいでした。


> 神奈川県中井町のお城。
>
> 伊勢宗瑞(北条早雲)が相模進出を意図して築いた城で、いかにも陣城的な雰囲気を感じさせる城郭である。
>
> しかし、早雲の城とは言え、世間からはすっかり忘れ去られているようで、城内には案内板も何もなく、ほぼヤブ状態である。
>
> http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/nakaimati01.htm

http://mahoroba.city.ibara.okayama.jp/detail_j.php?offset=27&rows=83&whstr=&taisho=jin&whstr3=&nameJ=&key_wJ=&mokujiJ=&ageJ=&pageJ=

 

Re: 兵庫中部の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月10日(日)08時04分24秒
返信・引用
  > No.5306[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

兵庫に行かれましたか。私も先月行ったばかりです。タイムリーですね。

岩男城の石垣は見事でしたね。ただ、主要部の狭さにはびっくりしました。天守台があり瓦まで散乱しているから、ちゃんと天守もあった城だと思うのに、あれでは物見の砦レベルの狭さです。3000石程度の領主だとあんなものなのでしょうか。それでもあれほど石垣を詰めるというのも意外です。石垣はおっしゃるように、山麓へも見せるためのものでしょうね。

秀吉本陣は、国指定史跡だけあってそこそこ整備されており案内もしっかりしていますが、遺構はそれほど大規模なものではなかったですね。ただ、三木城の側の斜面は急崖になっており、自然地形にかなり頼ったものだったのだろうと思いました。

他の付城は回りませんでしたか? 付城群は、比較的近場にたくさんあって、しかも道路から数分で到達できるものがけっこうあるので、短時間でたくさん回ることも可能です。とくに高木大塚城は、平城ながら非常によく残っていて、お勧めです。

法界寺上付城もなかなか技巧的です。

野間城、長水城、篠の丸城、山崎城は、行ったことがありません。また機会があれば、この情報を基に訪れてみたいものです。

それではまたです。

 

兵庫中部の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年12月 9日(土)14時57分51秒
返信・引用
  先日兵庫に行ってきました。見て来たのは岩屋城、野間城、三木平井山の上付け城、長水城、篠の丸城、山崎城などです。ただ、最近寄る年波か山登りのスピードが落ちたせいか、それぞれ結構時間がかかり、中道子城と龍野鶏籠山城には行けませんでした。

岩屋城は石垣が立派で、城域自体はそれ程広くないけれど、石塁と重層建築物で勢威を見せ付ける狙いがあったのでしょう。

それに対し野間城にも石垣があるのですが、こちらは土留め、石積です。前者が織豊系、後者が在地系といったところでしょうか。その辺りの違いは興味深いものがあります。

余湖さんも行かれた、三木平井山の上付け城は黄昏迫る中、駆け足で回りました。周回コースから外れた最高所までは間に合わず、暗闇迫る中途中で戻りました。おまけに三木市内は交通量が多いのに道が狭かったり踏切があって車の流れが悪く他の付け城や三木城には行けませんでした。

翌日行った長水城は、本丸の高石垣がウリの城ですが、正直なところ石の加工度が高く、反織豊勢力の持ち城で落城、その後入封した木下氏が山崎城を築きこの一帯を治めたことを考えると、城ではなく寺と民家が出来た時のものではないかと思います。解説板では積み直していると記していますが、そもそも城があったときには無かったではないでしょうか。
加えて、尾根上の一部郭には民家を通らないといけないのですが、ご不在のようでしかもネットで通れないようになっていたので断念しました。登りが結構きつかったことと相俟って、消化不良のモヤモヤを抱えて降りてきました。

一方、その次に行った篠の丸城は横堀や畝状阻塞、方形居館風な縄張の主郭など随所に見るべきものがありました。でも、丁度この頃は城のある山で紅葉祭りが催され、駐車場は満車。とめる場所を探すのに苦慮しました(こういうとき、軽自動車は割りと隙間を見つけてとめられるので重宝します)。嫌な予感がしたのです、「紅葉祭り臨時駐車場はこちら」みたいな立て看を見たとき。
麓の山崎城ですが、今回他にも大名陣屋(三草、小野、安志)に行ったのですが、碑等があるばかりで、唯一紙屋門の辺りに藩政時代の雰囲気が出ていました。

いよいよ師走。今月は週末忘年会が続き、夜行バスでの遠出が出来ません。年明けまた関西を中心に回ろうかと思っています。その節は余湖さんの図面も参考にさせていただきます。

少し早いですが、良いお年をお迎え下さい。
 

土曜アカデミー終了!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月 2日(土)23時35分45秒
返信・引用
  茨城大学でのセミナーに参加しました。

私は本来出席できない予定だったので、たいしてお話をすることはできませんでしたが、それでもとても楽しい1日を過ごすことができました。

ヤブレンジャーの仲間たちが集まったのも久しぶりです。

高橋先生をはじめとする茨城大学の皆さん、そしてヤブレンジャーの仲間たち、ありがとうございました!
 

茨城の城のセミナー!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月 1日(金)22時03分13秒
返信・引用
  明日、茨城大学で、茨城の城についてのセミナーがあります。

私も行ってみようかと思っています。

http://www.lib.ibaraki.ac.jp/news/index.php?id=202
 

Re: ついてなかった鎌倉

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月30日(木)04時22分53秒
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  > No.5302[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

それは残念でしたね。それにしても観光地である鎌倉で、日曜が休館日であるとは、まったく意外です。だいたいそのような施設は月曜休館が多いものと認識していましたが、鎌倉では違うのですね。

昨今はさまざまな施設でライフワークバランスが取りざたされているので、近年に何らかの変革があったのかもしれません。

鎌倉の城址の情報、ありがとうございます。

鎌倉の城址は私はまったく分かりません。神奈川は市街地化が進んでおり、城址が立入不可になっているところが少なくありませんね。なかなか難しいところです。

それではまたです。

 

ついてなかった鎌倉

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月29日(水)23時40分34秒
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  先週の祝日、幻の寺、永福寺の発掘成果の展示が、鎌倉市教委が運営する歴史文化交流館であったので行ってきました。平等院、無量光院と並ぶ比翼の浄土建築の遺跡で、予てより注目していました。
でも何と休館。

よく確かめずに行った私が悪いのは重々承知しているのですが、歴史文化財の観光で成り立っている鎌倉市で、公的展示施設が日祭日休みとは努々思わず、がっくり。
オマケに少し離れた金沢街道沿いの永福寺跡の野外展示公園も閉まっていました。何でも大雨注意報でたので休園とのこと。ただこの日の天気予報では午前のみ雨で午後は晴れでした。事実、私が赴いた昼頃、お天道様が顔を出してすっかり小春日和。

わざわざ来たのに、すっかり鎌倉が嫌いになりました。

それでも、時間が空いたので杉本城と住吉城に行ってきました。

杉本城は鎌倉の地形図を見ると東からの侵入を阻む絶好のロケーションにあり、誰が見ても城を造りたくなる場所です。残念ながら杉本寺の境内までしか行けませんが、雰囲気は十分味わえました。後でネットの地図などを見ると、裏の二階堂方面から階段道が城の北直直下まで来ている様です。でも、私有地で入れないのかもしれません。

住吉城は、海沿いの小坪道を扼する絶好のポジション。ただ此処も山上はマンション等が建っており立ち入り不可。でも、この付近は余りに急崖で頂は物見にこそなっても、東からの侵入者に即応することは無理。寧ろ正覚寺やその背後の住吉神社辺りのひな壇に兵が屯していたと思います。住吉神社背後に現存する隧道が、鎌倉~戦国時代まで遡れる代物だとこの問題はクリアになりますが、流石に違うでしょう。

鎌倉市の観光地らしからぬ運営で、城を見に行く時間が出来たとは皮肉な話です。
 

鴨沢要害!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月26日(日)08時49分20秒
返信・引用
  神奈川県中井町のお城。

伊勢宗瑞(北条早雲)が相模進出を意図して築いた城で、いかにも陣城的な雰囲気を感じさせる城郭である。

しかし、早雲の城とは言え、世間からはすっかり忘れ去られているようで、城内には案内板も何もなく、ほぼヤブ状態である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/nakaimati01.htm
 

足柄山城塞群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月26日(日)06時36分38秒
返信・引用
  箱根周辺のお城。

浜居場城など、足柄峠周辺の尾根道に点在する砦群を歩いてみた。

遺構的にはどれもたいしたことはないのであるが、浜居場城には城掟が残されているので、一度は来てみたかったのである。

現在、ハイキングコースが付けられているのだが、基本的にハイキングコースは城内を通らないようになっているので、砦を訪れたい人は要注意である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/minamiasigarasi.htm#asigara
 

Re: 三日月陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月25日(土)07時06分52秒
返信・引用
  > No.5297[元記事へ]

yamaさんへのお返事です。

津山藩改易に関する情報、ありがとうございます。森家も由緒ある大名ですから、細々とでも存続していた一族がいたというのはうれしいことですね。

『斬り抜ける』はあくまでもフィクションですので、実際の改易話とはまったく関係がありませんが、とても懐かしかったので書いてみたという次第です。

それではまたです。


 

Re: 三日月陣屋!

 投稿者:yama  投稿日:2017年11月23日(木)23時49分42秒
返信・引用
  > No.5284[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

こんにちは。いつも創作活動に精力的な方と感服しております。

津山藩改易という言葉を聞いて、「斬り抜ける」は知らなかったのですが、改易された本人の
森衆利を思い出しました。墓は岡山県井原市にあります。

井原市のサイトでは関衆利となっています。関家は森家の一族のようです。
津山藩森家改易後も森2家、関1家が小大名として幕末まで残ったようです。

http://mahoroba.city.ibara.okayama.jp/detail_j.php?offset=27&rows=83&whstr=&taisho=jin&whstr3=&nameJ=&key_wJ=&mokujiJ=&ageJ=&pageJ=

 

Re: 雨引山城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月22日(水)04時21分23秒
返信・引用 編集済
  > No.5295[元記事へ]

栃木県の中世城郭さんへのお返事です。

こちらこそ、ご無沙汰しております。

情報ありがとうございます。

雨引山に城郭遺構があるとの情報はだいぶ以前に聞いていたのですが、なかなか行けずにいました。やはりちゃんと城郭が存在していたのですね!
雨引山については遺跡地図にも記載されておらず、まったく未知の城郭扱いなんですよね。

横堀がしっかりと廻らされているなど、なかなかしっかりと造られているように見えます。私も機会があれば行ってみたいです。

栃木も茨城も、このところ、すっかりご無沙汰しているのですが、そのうちまたでかけてみたいものです。

それではまたです。

 

雨引山城

 投稿者:栃木県の中世城郭  投稿日:2017年11月21日(火)19時55分21秒
返信・引用 編集済
  ご無沙汰しております。栃木県の中世城郭です。
本日、真壁城と真壁城の移築城門・黒門を見に行こうと、久しぶりに茨城へ女房と出かけました。
黒門の移築先、雨引観音様の場所をPCで確認していると、観音様の裏山の雨引山が城跡っぽいという、山登りブロガーの記事にぶち当たりました。
本日、期待もせず登ってみたところ、これがとてもりっぱな城跡でした。
山頂で出会った地元のご老人もご存知なく、地元の伝承等は無いようです。
すでにご存知かもしれませんが、茨城の城郭1,2や城郭大系にも掲載されていないので、恥ずかしながら一応投稿してみました。
縄張り図道具の持ち合わせもなく、記憶イメージで書いた図面も載せておきます。
 

Re: 三江線と安芸高田の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月21日(火)04時25分11秒
返信・引用 編集済
  > No.5293[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

広島のお城の情報、ありがとうございます。広島については、まだ実際に訪れている城の数はあまり多くなく、そのうち行ってみたいと思っていますので、参考になります。

それにしても、廃線まじかのローカル線がそれほど混んでいたとは驚きですね。普段からそんな風に乗ってくれる人がいれば廃線にはならないのでしょうが・・・・。

兵庫のお城、なかなか良かったです。やはりお勧めは八木城ですね。八木城にしても、八上城にしても、中道子山城にしても、朝のうちは雲海が出ており、早朝に登れば、城から雲海を見下ろすことができそうです。竹田城に行かなくても、但馬辺りでは雲海は当たり前のように見られるのですね。

改修後、初めて訪れた姫路城もよかったのですが、駐車場に入るのに30分待ち、天守に入るのには1時間待ちで、かなり混んでいました。団体ツアーで訪れている人たちは、ガイドに「天守に行くとバスに戻る時間に間に合いませんよ」とアナウンスされてしまう混雑ぶりです。姫路城をメインに回るツアーなのでしょうが、これでは姫路城まで来た意味がありませんね。

それではまたです。
 

三江線と安芸高田の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月21日(火)00時41分2秒
返信・引用
  先日、島根県と広島県に行って来ました。島根県は来春廃止が決まっている三江線に乗ること、広島県は安芸高田の城を巡ることが目的でした。

三江線、私みたいなモノ好きが休日は押し掛けると思いわざわざ平日休みを取っていったのに、何と超満員、乗車率200%。私みたいなモノ好きの単独行に加え、グループ客、敬老会に婦人会、ナントカ健康会などの団体客。とどめは旅行会社のバスツアーの一部に体験乗車が組み込まれていた。

全く目論見が外れました。

それでも、かの天空の城ならぬ天空の駅、宇都井駅で夕方下車、周囲を散策し2時間後の終電(といっても19時台)で広島方面に向かいました。流石に夜の電車に団体客はなく、モノ好きの単独行5人のみでした。ただ、平日19時台の鉄道に通勤通学客が皆無とは、三江線自体周辺住民のインフラとしては機能していない訳で、廃線も止むを得ないのかもしれません。

安芸高田の城は、五龍城、猿掛城、青山城に行きました。郡山城は昔行ったことがあるので今回はパスです。

五龍城は石積や二重堀切など見所が多く、人間の手が入り藪化しておらず歩きやすい城です。人頭大の石がかなり散乱していたので、往時は石垣が相当施されていたことでしょう。廃城を行く2でも紹介されていましたが、郡山城に次ぐ見所の多い城だと思います。

猿掛城は元就幼少期の城ということで、規模自体はそれ程大きくないものの有名ですよね。出丸~物見丸まで遺構が良く残り楽しめました。ただ、主郭から南の大堀切、物見丸に行こうとすると、色々な資料で紹介されている主郭から南東に下りる道は無くなっています。ただ、見下すと数メートル下には道らしきものが見えたので、何とか草木を掴み掴みしながら下りました。大堀切の先の畝状阻塞も必見です。

青山城は陣城ながら中心部は結構手が込んでいて、尼子勢の本気度が覗えます。ただ、城に行く道は未整備です。今回は、北東から尾根上を進みました。台地の北東突端脇に墓地に上がる舗装道があり30mほど上がると右に大日堂という仏堂に上がる階段が出てきます。そこを上がり仏堂正面右手約40m先が城の尾根の北東端です。そこを稜線に沿って登りました。5mも上がると杣道らしきものが残っていて、若干低木の枝が気になりますが藪化しておらず、遺構をよく見ることが出来ました。

それにしても「安芸高田お城発見」(安芸高田市歴史民俗博物館刊)は中々良く出来ていてこの地域の城を見る場合、必携の書だと思います。

来週は兵庫の城に行きます。少し時期がずれていれば、城跡でばったり、なんてこともあったかもしれませんね。早速余湖さんの図も参考にさせていただきます。

それではまた。
 

淡河城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時30分9秒
返信・引用
  神戸市北区のお城。

三木城攻城戦に関連して、淡河城も包囲され、いくつかの付城が築かれたという。

現在は主郭のみが残され、復元された櫓がそびえている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/koubesi01.htm
 

その他の付城群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時10分25秒
返信・引用
  法界寺付城の周囲には他にも国指定史跡の小規模な付城が何カ所も残っており、短時間でざっと見て回ることが可能である。

中でも高木大塚城は、市街地の真ん中にあり、折れを伴った複雑な土塁が見どころとなっており、おすすめである。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#ootuka
 

法界寺上ノ山付城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時08分52秒
返信・引用
  三木城付城群の1つ。数ある付城の中でも最も技巧的と言われているものである。

こちらも登城口の案内板のところにパンフレットが置いてあってとても親切である。しかし、土塁の規模などはそれほど大きなものではない。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#houkaiji
 

伝竹中半兵衛陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時06分57秒
返信・引用
  秀吉本陣のすぐ北側にあり、竹中半兵衛陣と伝承されているものらしい。しかし、実際には竹中半兵衛の陣などではない。

一番近くに接近できるルートは現在立入禁止となっているので、訪問には注意が必要である。

竹中半兵衛は実際にはたいした人物でなかったという説もあるが、そんなことはないと思う。そのことについても考えてみた。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#takenaka
 

秀吉本陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時04分44秒
返信・引用
  三木城付城郡のつ。三木城自体は現在では遺構をあまりよく残していないが、周囲には60カ所にも及ぶ付城と土塁群が残されており、一部は国指定の史跡となっている。

その中でも代表的なのが秀吉本陣である。案内板や駐車場、散策ルートも示したパンフレットなどもあり、とても親切である。三木城に訪れたら、ぜひ付城群も訪れてみたい。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm
 

中道子山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月16日(木)04時38分13秒
返信・引用
  兵庫県加古川市のお城。

中道子とは変わった名称だが、かつてここに中道寺という寺院があったことにちなんだ名前である。

中腹まで舗装された車道が付けられており、終点には駐車場もあるのだが、輪留めがしてあって車で行けなくなっている。そのため車道を延々と歩かなければならないのがつらい。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kakogawasi01.htm
 

三日月陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時42分40秒
返信・引用
  兵庫県佐用町のお城。

津山藩改易の後に、森氏が1万石を拝領して築いた陣屋である。正面の門や櫓がよく残されており、なかなか雰囲気がよい。しかし、復元されているのはこれだけで、裏に回ってみるとなんだか張りぼてみたいだ。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kouduki.htm#mikaduki

ところで、津山藩改易という言葉を聞いて、かつての名作時代劇「斬り抜ける」を思い出してしまった。

「斬り抜ける」を知っている人は以下の動画を見て、懐かしい思いになりましょう!

https://www.youtube.com/watch?v=wgfs8gyMZiU

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2984541
 

山崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時38分33秒
返信・引用
  兵庫県宍粟市のお城。

池田氏6万石の居城だけあって、それなりの規模の城郭であったようだ。

埋門周囲の石垣が素晴らしく良く残っている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sisousi.htm#yamazaki
 

福本陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時37分18秒
返信・引用
  兵庫県神河町のお城。

池田氏1万石の陣屋である。建造物は残っていないが、庭園が残っており、この雰囲気がなかなか良い!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kamikawamati01.htm
 

朝倉城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時37分25秒
返信・引用
  これも養父市のお城。

朝倉氏と言えば越前の戦国大名として有名であるが、そのルーツは但馬国にあった。

但馬八鹿町朝倉が、朝倉氏発祥の地である。ということで、この朝倉城に立ち寄ってみた。

城は極めて小規模で、なんともかわいらしいお城なのであった。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm#asakura
 

八木土の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時35分50秒
返信・引用
  八木城からさらに比高80mほど登ったところにある。

以前は、八木城の古城と言われていたようであるが、かなりしっかりと造り込まれており、現在では八木城と同時に存在し、詰めの城として意識されていた城郭であったと言われているようである。

八木城に訪れたら、ぜひこちらにも立ち寄ってみよう!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm#tuti
 

八木城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時34分27秒
返信・引用
  兵庫県養父市のお城。

比高220mの山稜上に高石垣を築いた見事な遺構を見ることができる。登るのには多少の時間を要するが、登ってみれば雄大な遺構に感動できる山城である。

そして、この城でも雲海を見ることができるのであった!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm
 

Re: 柏原陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時31分12秒
返信・引用
  > No.5276[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

そうですね。資料館でいただいたパンフレットを見ると、後期柏原藩によって築かれた、といった書き方をしているので、前期柏原藩の陣屋は、もっと別の場所にあったということなのかもしれません。

ただ、その場所については、パンフレットには記されていませんでしたが。
 

Re: 秩父地方の城館についての誤り

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時27分24秒
返信・引用 編集済
  > No.5275[元記事へ]

デューク鷹さんへのお返事です。

> 突然で失礼いたしますね?①吉田の秩父氏館跡ですが、ここは、戦国時代の館せきで、畠山氏の先祖の秩父氏負ったのは、椋神社の現在は民有地になっている。川にかこまれたところで、居館は別名鶴が窪城ともいわれたという記事に誠に適しているところですよ。②秩父市久那どうそうかんは江戸時代の名主の屋敷ですよ。秩父市蒔田の郷代官の分家ですから。本家の系図に久那に遣わしたとの気述があります.

すみません。ご指摘はありがたいのですが、同を言っているのか内容が理解できません。文意がよく読み取れないのです。

後でよく調べてみたいと思います。
 

Re: 柏原陣屋!

 投稿者:狸屋  投稿日:2017年11月13日(月)20時52分1秒
返信・引用
  > No.5268[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

20数年前に行ったときに、どこで見たか忘れましたが、前期柏原藩(織田信包系)の居館の場所は
不明だが、柏原高校あたりではないかという本をみたことがあります。

普段は居館部に治世をしながら、神社として再建されたていたとはいえ、旧八幡山城やその稜線上を
取り込み、詰めの城とするのは。ある意味然るべき方法であるように思われ、今のような御殿ではなく
城郭としての機能があったではないかと感じるところがあります。

豊臣包囲網として、篠山城の前線基地のあったのではないか、それ故に豊臣氏滅亡後、さらに
世嗣断絶で、さっさと廃城にし、同じ場所に再建を許さなかったのではないかと思います。




 

秩父地方の城館についての誤り

 投稿者:デューク鷹  投稿日:2017年11月13日(月)06時10分49秒
返信・引用
  突然で失礼いたしますね?①吉田の秩父氏館跡ですが、ここは、戦国時代の館せきで、畠山氏の先祖の秩父氏負ったのは、椋神社の現在は民有地になっている。川にかこまれたところで、居館は別名鶴が窪城ともいわれたという記事に誠に適しているところですよ。②秩父市久那どうそうかんは江戸時代の名主の屋敷ですよ。秩父市蒔田の郷代官の分家ですから。本家の系図に久那に遣わしたとの気述があります.  

水上陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)22時38分20秒
返信・引用
  同じく豊岡市のお城。

こちらも出石藩から分地されたもので石高は1000石である。

北側に隣接する中学校が流しているスカボローフェアが、いやというほど耳についてしまう。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/toyookasi01.htm#minakami
 

倉見陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)22時37分1秒
返信・引用
  兵庫県豊岡市のお城。

出石藩から分地された小出氏2000石の陣屋である。

小規模ではあるが、石垣がしっかりと残されており、奥の高台には妙見神社が祭られている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/toyookasi01.htm
 

糸井陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時18分17秒
返信・引用
  これも朝来市のお城。

豊岡藩から分地した京極氏2000石の陣屋である。

石高は少ないが、石垣がよく残り、現存門もそのまま残っている。復元された白壁が目立っている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/asagosi01.htm#itoi
 

諏訪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時16分53秒
返信・引用 編集済
  兵庫県朝来市のお城。

先の朝日城と同様、規模のわりには妙に技巧的な城郭である。竪堀と横堀を組み合わせたルートなど、なかなか見どころが多い。

城主に関する伝承などが一切存在しないことからして、こちらもまた明智軍による陣城の可能性が高いと思われる。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/asagosi01.htm
 

朝日城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時14分40秒
返信・引用
  これも丹波市のお城。黒井城のすぐ正面にある。

もとは地元領主の居城であったようだが、それにしては妙に技巧的で、明智勢によって改修された陣城の可能性が高い。

ただ、北側半分が削られてしまっているのが残念である。

 http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm#asahi
 

岩尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時12分55秒
返信・引用
  これも丹波市のお城。

比高250mもの高い山上に、総石垣造りの城郭が存在しているというのもすごい。

本丸には天守台があり、河原が散布している。つまり本当に天守があったというわけである。

総石垣造りとはいえ、面積自体は非常に狭隘で、アンバランスな印象を受ける城郭である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm#iwao
 

柏原陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)21時11分6秒
返信・引用
  兵庫県丹波市のお城。

織田信包3万6千石、後には織田信雄の子孫の陣屋である。いずれにしても織田氏による陣屋であり、パンフレットには「織田の城下町」と銘打たれている。現地では織田の城下町であることに誇りを持っているようだ。

陣屋とは言え、現存する長屋門、御殿、太鼓櫓など、あちこちに見どころがあり、お勧めの城址である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/tanbasi01.htm
 

Re: 北上、江刺の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月12日(日)04時44分26秒
返信・引用 編集済
  > No.5266[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

お久しぶりです。

東北方面に行ってこられましたか? 私も今年は東北に何度か行く機会がありました。教えていただいた尻八城など、なかなか良かったです。

小柳川城、なかなか変わった造りですよね。上の方はヤブでしたが、整備されればかなりきちんとした城址公園になるだろうと思います。

岩崎城の模擬天守、撤去されていましたか。模擬天守好きの私にとってはとても残念なことですが、建築基準におそらく合っていなさそうな建物だったので、これは仕方のないところなのでしょうね。

古い時代劇を今見ると、なかなかすごいなあと思うことがあります。私は昔の大河で『樅の木は残った』を大人になってから見て、初めて「こんなすごい話だったのか!」と感動しました。演技も重厚で、今の役者では無理だよなあなどと思います。

先日は播磨・但馬の城を回ってきました。八上城に続いて、この後しばらくは播磨・但馬「の城の紹介が続きます。ただ、今週は土日共に仕事なので、少しずつしか更新できません。

それではまたです。
 

北上、江刺の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月11日(土)22時13分52秒
返信・引用
  ご無沙汰しています。

先週の連休を利用して盛岡から江刺、北上界隈の城を見てきました。余湖図のお世話にもなりました。ありがとうございました。

因みに・・・・

小梁川館
余湖さんのお勧めに従い行ってきました。中々面白い縄張ですね。因みに本丸から塩釜神社辺りまで樹木が伐採されています。本丸脇は工事用車両が入れるよう道が開鑿され、キャタピラーの跡も残っていました。かなり大掛かりな作業のようでした。公園化でもされるのでしょうか?それとも一寸した開発なのでしょうか?いずれにせよ樹木が無くなり遺構はよく分ります。

岩崎城
天守風公民館は破却済で本丸はフリーパスで入れます。


処で、話し代わりますが、最近BSで再放送されている大忠臣蔵にはまっています。三船敏郎以下豪華キャスト。今ならとても考えられない贅沢な布陣。興味深かったのは、場面に使われる城の数々。赤穂城は当然として、定番の姫路城、彦根城に並び名古屋城も使われています。東南隅櫓から本丸一の門の石垣上が撮影場所になっていました。本丸御殿が完工すれば、また名古屋城も時代劇で使われるようになるかもしれません。


それではまた。
 

大山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時06分36秒
返信・引用
  これも篠山市のお城。

現在は1郭の堀が残る程度であるが、かつては7つもの郭を連続配置された、なかなか大きな城郭であったようだ。

ほぼ平城なので、八上城を歩いた後に訪れる城としてはとても足腰にやさしい城だ。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm#ooyama
 

大渕館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時04分13秒
返信・引用
  これも篠山市のお城。

小規模ではあるが、土塁や堀が見事に残っておりなかなか素晴らしい。県指定の史跡である。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm#oobuti
 

八上城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月11日(土)22時02分58秒
返信・引用
  兵庫県篠山市のお城。

明智光秀に攻め落とされた波多野氏の居城として有名である。歴史上著名だということもあって、以前から来てみたかった!

遺構もすばらしいのだが、山麓を覆っていた霧が山に登るとともに薄れていき、山上が晴れているのに、山麓が雲海に覆われているという情景はなかなか感動的なものである。

雲海は竹田城の専売特許ではないのだ!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sasayamasi01.htm
 

高岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時34分38秒
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  高岡城という名前の城も各地にあるが、これは鈴鹿市のお城。

神戸氏に属した城で、永禄10年と11年に、2度にわたって織田軍の攻撃を跳ね返した城郭である。そのため信長は神戸氏との和睦を余儀なくされる。

といった感じで、歴史上知られた城なのであるが、あまり城郭らしい遺構には恵まれていない。台地の要害性だけが際立った城郭である。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/suzukasi.htm#takaoka
 

城山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時32分18秒
返信・引用
  これも津市のお城。宮山城のすぐ近くにある。

やはり土塁や堀が残されているが、その規模は小さく、急造された匂いがプンプンする。

宮山城と同様、羽柴軍による陣城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#siroyama
 

宮山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時30分7秒
返信・引用
  これも津市のお城。敏田神社のすぐ背後にある。

小規模ながら、折れを伴った土塁や堀が廻らされている。

天正12年に北畠氏の戸木城を攻撃した際の、羽柴軍による陣城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#miyayama
 

家所城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時28分45秒
返信・引用
  これも津市のお城。

安濃城、伊勢上野城と同様、長野氏一族の居城である。敬福寺の背後にあり、主郭周囲には充実した遺構が見られる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#iedoko
 

伊勢上野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時26分41秒
返信・引用
  これも津市のお城。伊賀上の城というのは有名だが、伊勢上野城というのもあるとは知らなかった。

安濃城とは対照的に、織田信長との和睦交渉を進めた分部氏の居城である。分部氏は戦国期をうまく乗り切り、幕末まで大名として存続している。

公園となっている部分の他に、台地先端部にも出城のような構造物が残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#ueno
 

安濃城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時23分59秒
返信・引用
  これも津市のお城。『信長公記』で名前だけは知っていたが、じっさいに訪れたのは初めてである。信長の伊勢侵攻に徹底的に抵抗した城である。

主郭は阿由田神社になっており、車で境内まで訪れることができる。

主郭周囲はよく残されているが、それ以外の部分の遺構はあまり明瞭ではない。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm#anou
 

津城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時21分8秒
返信・引用
  三重県を代表する城郭である。

以前訪れた際にはカメラを持たずに写真撮影していなかったので、今回はスマホで何枚か撮影してきた。

市街地なのに雨のせいか、ほとんど人がいなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi.htm
 

五箇篠山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時19分44秒
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  三重県多気城のお城。津市周辺の町村の多くは平成の大合併で津市に組み込まれたのだが、多気町だけはなぜか独立している。

それにしても「多気」という地名には心惹かれる、常陸でも下野でも多気城というのは実に見どころのある山城であった。

五箇篠山城は南北朝時代からの山城である。多気城ほどではないが、遊歩道も設置されており、まずまずの見どころはあった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/takemati01.htm
 

霧山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時15分9秒
返信・引用
  これも津市のお城。北畠館の詰の城のさらに奥にある。

今回一番来てみたかったお城である。天気予報ではずっと雨模様なので、やめようかとも思ったのであるが、しっかりとした山道が付けられており、傘を差しながらでも十分に歩くことができた。来てよかった!

城はそれほど大規模ではないが、実に雰囲気がある。雨が降っているために霧が出てきて、文字通り霧山城状態となっていた。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi02.htm#kiriyama
 

北畠氏館・詰の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時12分56秒
返信・引用
  三重県津市のお城。

伊勢国守北畠氏の居館である。それにしても北畠氏はこんな山の中に住んでいたのかと思う。現在は津市となっている旧三杉町であるが、津の市街地からは40kmほどの山の中である。ここまで来る間の道はかなりの山道であった。

何といっても庭園が見どころであった。その上の詰の城までも、すぐに登ることができる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/tusi02.htm
 

古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時10分3秒
返信・引用
  これも亀山氏のお城。

古城と書き「ふるしろ」と読むらしい。

峯城の近くにあるが、峯城の古城ではなく、峯城攻撃の際に構築された陣城ではなかったかと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kameyamasi.htm#kojou
 

峯城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時08分54秒
返信・引用
  三重県亀山市のお城。

城内には天守台や枡形など、見どころのある遺構が残されている。

天守台からは石垣や瓦も検出されているようで、実際に天守があったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kameyamasi.htm#mine
 

i市場城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)22時06分48秒
返信・引用
  保々西城の1.5km南東にあり、保々西城同様、朝倉氏の居城である。地元では朝倉城と呼ばれており、現地の案内板や城址碑にはすべて朝倉城とあった。

構造は保々西城とよく似ているが、屋敷地の遺構はかなり失われてしまっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/yokkaitisi.htm#asakura
 

保々西城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年10月21日(土)21時58分56秒
返信・引用
  三重県四日市市のお城。保々西というのは変わった名称である。

北伊勢には、主郭周辺に屋敷地を配置した城郭がかなりあるのだが、その屋敷地までもが良好に残されているという点では、非常に貴重な遺構であり、北伊勢を代表する城郭と言っていいと思う。

公園になっているので駐車場やトイレも完備。旧状の裏から道がしっかりと付けられている。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/yokkaitisi.htm#hobonisi
 

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