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西方院山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)05時02分14秒
返信・引用
  奈良市のお城。

応仁の乱の際の騒乱で、陣城として使用された城である。

神社の背後に馬出を備えた単郭の城が残されている。二重堀は今でもきれいな様子を見ることができる。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm#saihouin
 
 

古市城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)05時00分11秒
返信・引用
  奈良市のお城。

有力な国人衆であった古市氏の居城である。

こちらは小学校と市街地化で、遺構らしきものはほぼ見られないが、かつては城の周囲に環濠集落と2つの出城を配置していた。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm#huruiti
 

多聞山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)04時58分51秒
返信・引用
  奈良市のお城。

松永弾正の居城としてあまりにも有名な城である。
中学校になっているので、遺構はないと言われていたが、それなりに残ってはいるし、雰囲気もある。

中学校に許可をもらって探索しましょう。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi02.htm
 

丹生城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)04時02分15秒
返信・引用 編集済
  これも奈良市のお城。

丹生氏の居城であり、地元でも「城山」と呼ばれており城として認知されているのだが、遺構はたいしたものではなく、整備もされていない。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#niu
 

石打城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)04時01分23秒
返信・引用 編集済
  これも奈良市のお城。稲垣氏城とも呼ぶ。

奈良市ではあるが、比較的伊賀から近いところにあり、形態からすると完全に伊賀の城である。奈良の城としては珍しい形態であり、そのせいか、県指定の史跡となっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#isiuti
 

上狭川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)04時00分11秒
返信・引用
  これも奈良市のお城。。

佐川氏の一族福岡氏の居城である。単郭の城ではあるが、南側に二重枡形を配置し、かなり厳重な虎口を有しているのが珍しい。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#kamisagawa
 

柳生古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)03時58分59秒
返信・引用
  これも奈良市のお城。

柳生城の古城ということになっているが、戦国期の山城と言われても遜色のないお城である。
柳生の里の北の入口を守る出城として、戦国期にも使用されていたのではないだろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#kojou
 

柳生城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)03時57分39秒
返信・引用
  これも奈良市のお城。

柳生氏の戦国期の居城である。遺構はそれなりに見どころはあるのだが、近くの有料駐車場が1かい600円というのが高い!高すぎる!

この城1つを見るために600円も払うのは、どうにも納得ができない。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm#yagyuu
 

柳生陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月19日(日)03時55分43秒
返信・引用
  奈良市のお城。
柳生氏1万石の陣屋である。

柳生と言えば昔、「春の坂道」っていう大河ドラマがあった。タイトルは忘れたが、柳生十兵衛が主人公のドラマもあった。ってなわけで、なんとなく行ってみたくなる場所なのである。

陣屋の礎石が残されていて、建物の配置が分かるようになっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/narasi01.htm
 

大塩城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月18日(土)04時04分21秒
返信・引用
  これも山添村のお城。

急峻な土手に囲まれているが、尾根基部の民家の所からならば、比高5mほど登れば城内に入ることができる。

こちらも規模は小さいが、重厚に張り巡らされた土塁が見どころである。

ちゃんと民家の方に声をかけてから城内に入りましょう。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamazoemura.htm#oojio
 

毛原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月18日(土)04時02分45秒
返信・引用
  これも山添村のお城。

それほど大規模ではないが、二重の堀切の間に縦に堀が入り、堀の十字構造が見られるという珍しいお城である。

山道は付けられているのだが、夏場では半分はヤブであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamazoemura.htm#kehara
 

三ヶ谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月18日(土)04時00分53秒
返信・引用
  奈良県山添村のお城。
小さいながらも、復元物見櫓が建てられたり、立派な城址碑があったりと、地元では愛されたお城のようである。

ただ、入口が分かりにくい。どこから入ったらいいのか分からず、右往左往してしまったのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamazoemura.htm
 

Re: お久しぶりです。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月15日(水)04時35分34秒
返信・引用 編集済
  > No.5582[元記事へ]

如月比叡さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。今年は本当に暑いですね。ご自愛ください。私はこの暑さの中、狂気のように城めぐりをしてきましたので、そのうちアップしたいと思います。

わざわざご連絡いただきありがとうございます。私の鳥瞰図は、出典さえ明記してあればご使用は自由ですので、ご利用ください。ご丁寧にお知らせいただいて感謝します。

私が許せないのは、人の作品を自分の作品のように使用しているケースです。人の描いたものを自分の作成したもののように使うことを恥ずかしいことと思わないのか、とても不思議です。どういう精神構造をしているのだろうかと思ってしまいます。

特に近江の人にそういう人が多くて、近江人に対する私の信用はがた落ちです。近江のとある市町村が出しているパンフレットでも、出典なしの無断使用をしているものがあったりします。見る人が見れば、私の鳥瞰図だとすぐに分かるものなのに・・・。しかも近江人は、連絡してもなしのつぶてです。近江に、人のものを自分のものとして使用していいというような共同意識でもあるのでしょうか。

それではまたです。
 

お久しぶりです。

 投稿者:如月比叡  投稿日:2018年 8月14日(火)18時57分51秒
返信・引用
  だいぶご無沙汰してしまっています。この、猛暑の日々いかがお過ごしでしょうか?
(HanCockと言った方が良いのかな?)
また、お願いがございましてここにお邪魔させていただきました。
1両日中に私のブログにて埼玉児玉にあります武州八幡山城(雉岡城)の日記を上げたいと思います。
そこで、余湖さんのページの城郭鳥瞰図を使用させていただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
(以前、小諸の時と同じように対応しますのでよろしくお願いします。)
とり急ぎ、ご連絡いたします。

http://blog.livedoor.jp/f100hancock/

 

Re: 千葉城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月 6日(月)04時35分3秒
返信・引用 編集済
  > No.5580[元記事へ]

斧鷹さんへのお返事です。

セッテエにはいろんな説がありますが、おっしゃるように、「セッテエ」が接待の転である可能性が一番高いと思われます。
 

Re: 千葉城

 投稿者:斧鷹  投稿日:2018年 8月 5日(日)14時45分30秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。

> 阿笠さんへのお返事です。
>
> 猪鼻城については、市街地化が進んでいるため、旧態については分からないことが多いです。かなり大きな城郭であったと仮定するならその可能性もあるでしょう。
>
> セッテエについても意味が分かっていません。いろいろと想像してみる余地はあるかと思います。
>
セッテエ山郭は陶磁器の出土から家臣や客をもてなす為の郭といわれています。(接待→セッテエとなったといわれています。)

高い土塁は城主の権威付けの為だと思います。
 

曽根城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時36分21秒
返信・引用
  三重県尾鷲市のお城。

山全体が城山公園となっており、散策路も整備されている。ツツジがたくさん植えられているので、ツツジの季節には山全体がきれいになっていそうである。

しかし、登城道の階段がなかなかきつい。斜面を直登するように登るので、登城時間はかからないのだが、夏場では卒倒しそうになるほどきつかったのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/owasesi01.htm
 

鬼ヶ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時34分21秒
返信・引用
  鬼ヶ城という名称の城は各地にあるが、これは三重県熊野市の城郭である。

予想に反して公園としてよく整備されていた。というのも、ここは世界遺産熊野古道の最終地点であったからのようで、立派な観光地である。ビジターセンターや広い駐車場が設置されているのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kumanosi01.htm
 

京城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時32分33秒
返信・引用
  三重県紀宝町のお城。

新宮城主であった堀内氏善が築いた城である。田舎にあるのに京城(みやこじょう)と名乗っているのが珍しい。

城内を散策できるよう案内板が設置されているのだが、けっこうなヤブ状態である。

http://yogokun.my.coocan.jp/mie/kihoumati.htm
 

Re: 尾附城の北東に未登録の山城を発見

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月24日(火)04時13分42秒
返信・引用
  > No.5575[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは、お久しぶりです。

情報ありがとうございます。ところで、尾附城は、上野村ではなく神流町ですね。斜面の鋭い城郭だったのが印象に残っています。あの急斜面の上に洗濯機が捨ててあったのですが、どうして運んだものなのか・・・・。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kannamati.htm#oduku

あの北側にも城跡があったのですね。確かに何かありそうな雰囲気はありましたが、宮坂さんも見落とした城郭というものが、まだまだあることに驚きです。

それではまたです。
 

尾附城の北東に未登録の山城を発見

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 7月23日(月)23時25分56秒
返信・引用
  上州上野村にある尾附城は知られている山城ですが、たまたま地元の御婦人と話になり。「実は北の山にも山城があります。」との情報を得て、実際に登ってみたところ、単曲輪ですがりっぱな山城がありました。谷を隔てて、尾附城と連携した山城です。上州の山城研究の先駆者、山崎氏もこの遺構には気づかれなかったようです。
写真1 尾附城の俯瞰図(宮坂武男氏の俯瞰図を上野村教育委員会が引用された図)
写真2 生活改善センターの駐車場から北に見える山が城山です。
写真3 尾附北城(仮に)の本丸

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

越路城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時32分58秒
返信・引用
  和歌山県新宮市のお城。

かつての越路峠のすぐ脇に築かれており、峠を監視するための城郭であったと思われる。

1郭の土塁や虎口には石垣が積まれており、なかなかしっかりと構成された城郭のように思われるのだが、郭同士の比高差がかなりあり、連携の取りにくい構造となっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/singuusi02.htm
 

石倉山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時31分1秒
返信・引用
  これも那智勝浦町のお城。

比高40mの山稜上に、多数の郭を造成した山城である。

津波避難用の階段で簡単に登れるらしいが、その入り口が分からず、けっこう苦労してしまった。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm#isikura
 

勝山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時29分44秒
返信・引用
  これも那智勝浦町のお城。

この辺りでは拠点的な城郭であったようだ。重厚な土塁や堀切、石組みの本格的な井戸など、それなりに遺構は残されているのだが、整備されておらずヤブなうえに、案内板も何もなく、忘れ去られた城址となっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm#katuyama
 

下里城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時28分13秒
返信・引用
  これも那智勝浦町のお城。

削平がきちんとしておらず、現在では住機によって破壊されているようにも見えるが、もともと変わった構造の城であったようだ。

山上に池があるのが珍しい。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm#simosato
 

御社森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時27分7秒
返信・引用
  和歌山県那智勝浦町のお城。

大規模ではないがコンパクトによくまとまっている。山頂に神社があるため、参道が整備されており、わりとすぐに登れる山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/natikatuuramati01.htm
 

佐部城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時26分3秒
返信・引用
  これも串本町のお城。

急峻な斜面上に、わりあい広く土塁を伴った本丸がある。登城道の途中のいくつかには出城もある。

尾根から本丸までは岩場をよじ登って行くが、それだけに山上からの景色はよい。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm#sabe
 

虎城山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時23分44秒
返信・引用 編集済
  これも串本町のお城。

割合単純な構造であり、大規模な遺構も見られないが、地元の豪族高川原氏の居城であった。高川原氏は後に浅野氏に仕え、広島に転封となった。

虎城とものものしい名称になっているが、これは要するに「古城」の当て字である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm#kojou
 

和深浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時22分39秒
返信・引用
  これも串本町のお城。

虎松山城の城主村上氏の平素の居館である。

規模はそれほど大きくないが、幅広の堀切や、主郭周囲の鉢巻き石垣などは見どころとなっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm#wabuka
 

虎松山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月23日(月)21時21分33秒
返信・引用
  和歌山県串本町のお城。

和深の山中に残された城郭である。案内板も登城道もないが、城内は見通しがよく、深い堀切に高い土塁、畝状竪堀に、堀切と垂直に郭内部に形成された畝状阻塁などを見ることができる。

見事である!

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kusimotomati01.htm
 

神田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時54分36秒
返信・引用
  和歌山県すさみ町のお城。

畝城竪堀や三重堀切、横堀など、いずれも遺構規模が大きくて見どころのある城郭である。

城主は関東からやって来た宇都宮氏である。ここの宇都宮氏は織田信長に恨みを抱いており、本願寺に従って、徹底的に織田氏と交戦した人物であった。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/susamimati01.htm
 

安宅大野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時36分24秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

比高20mほどで、春日神社の背後の山稜が城址となっている。

規模は大きくないが、構造はしっかりとしている。ヤブが少なく見通したよいのがうれしいところである。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamatiw.htm#oono
 

土井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時35分25秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

天徳寺の背後の比高80mほどの山稜に築かれている。

山の斜面に何段にも掘られた横堀や、何度も折れる登城道、尾根続きの5重堀切など、なかなか技巧的ね山城である。地方の一領主の居城であったにしてはかなり特徴的な山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamatiw.htm#doi
 

安宅中山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)21時33分38秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

比高30mほどで大規模ではないが、二段に巡らされた横堀など、なかなか重厚な遺構を見ることができる。ヤブが多いのが残念な点である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamatiw.htm#nakayama
 

馬谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)20時48分21秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

それほど大規模な山城ではないが、大堀切や畝状竪堀群など、けっこう見どころはある。現在は山の下を紀勢自動車道のトンネルが通っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamati02.htm#umatani
 

祇園山本陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)20時47分12秒
返信・引用
  これも白浜町のお城。

その名称の通り、陣城として構築された城であるという。その割に構造はしっかりとしている。

山上に八坂神社の赤い鳥居が見えているので、どの山かはすぐに分かる。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamati02.htm#gion
 

堅田要害城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)20時45分52秒
返信・引用
  和歌山県白浜町のお城。JR白浜駅のすぐ裏手にそびえている山に築かれている。

大規模ではないが、しっかりと土塁がめぐらされた主郭の東側には枡形状の空間、南側には堀切もある。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/sirahamamati02.htm
 

衣笠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)18時26分24秒
返信・引用
  和歌山県田辺市のお城。

衣笠城と言えば三浦氏の本拠地を思い出してしまうのだが、飯盛山と同様、衣笠のような形状をした山はみな衣笠山と呼ばれるのであろう。

それほど大規模ではないが、山頂近くまで車道が付いているので、気軽に訪れることのできる山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/tanabesi02.htm
 

平須賀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)17時26分15秒
返信・引用
  これもみなべ町のお城。高田土居城の詰の城である。

急峻である上に、あちこちに岩肌が向きだした天然の要害である。山上には多数の郭や堀切などが造成されているが、発掘で木が切られた後、放置されてしまったようで、城内には人の背丈ほどの草が繁茂して、探索できない状態になっていた。

よさそうな山城であるのに残念だ。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/minabemati01.htm#heisuga
 

高田土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)17時24分22秒
返信・引用
  和歌山県みなべ町のお城。

平城であり、高速のインターがそばで建設されたこともあり、かなり破壊が進んでいる。航空写真ではそれでも1郭の形状をはっきりと確認できるのであるが、草が繁茂していてよく分からなくなってしまっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/minabemati01.htm
 

藤波城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)15時43分57秒
返信・引用
  和歌山県有田川町のお城。

平野部に残る平城である。周囲は宅地化が進んでいるので、城址はミカン畑となっていたせいか、北側の堀がよく残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/aritagawamati01.htm
 

岩室城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)15時27分18秒
返信・引用
  和歌山県有田市のお城。

比高250mもある高所の山城であるが、幸いなことに山頂近くまで車道が付けられ駐車場も設置されているので、安心して上がっていける。

山頂は眺望はよいが、草ぼうぼうの箇所が多く、夏場の探索はかなりきついのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/aritasi01.htm
 

和佐山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)14時45分46秒
返信・引用
  和歌山市のお城。

最初ヶ峰と対抗した北朝方の山城であったという。張り出しを持った櫓台の周囲に石垣が見られるなど、けっこう技巧的な山城である。

比高230mもある山城であるが、かなり上の方まで車で登ることができたので、思ったほど大変ではなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/wakayamasi.htm#wasayama
 

最初ヶ峰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時49分26秒
返信・引用
  これも紀の川市のお城。

何が最初にあった場所なのかよく分からないが、南北朝時代に合戦が行われた舞台であるという。つまり陣城であるというわけだ。

車道が山頂真下まで付いているので、意外と簡単にアクセスできる山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm#saisho
 

猿岡山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時48分11秒
返信・引用
  これも紀の川市のお城。

かの有名な粉河寺のすぐ東南にある。粉河寺を訪れたついでに立ち寄ってみるのもよいだろう。

公園化によってかなり遺構は破壊されていると思われるが、それでも藤堂高虎が築いた城であることを思えば、一見の価値はある。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm#saruoka
 

飯盛山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時46分47秒
返信・引用
  飯盛山城という名称の山城は全国各地にあるが、これは紀の川市の飯盛山城。今城山城からさらに細い山道を奥に進んでいった先にある。たいした遺構もなく、細い山道を延々と走らなければならないので、本来ならこんな山城、行きたくはないのであるが、ここには見事な模擬天守が存在している。

それが今回ここをターゲットにした大きな理由である。それにしてもこのような山の中になぜに立派な模擬天守を建てたものなのか。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm#iimori
 

今城山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時44分24秒
返信・引用
  和歌山県紀の川市のお城。山深いところにあり、狭い林道を通っていく。

高野山勢力の城ということで、皮張城と構造は似ているが、規模はだいぶ大きい。しかし、それほど防御力がなさそうなのは共通している。

あちこちに石垣を使用していたようだ。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm
 

皮張東城・西城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)08時35分21秒
返信・引用
  和歌山県かつらぎ町のお城。

比高140mほどの山稜に築かれているが、山頂近くまで車道が付けられているので、楽にアクセスできる。

尾根状に東城・西城と2つの城郭が構築されている。高野山勢力の城ということであるが、遺構規模は小さく、防御力はあまりなかったであろう。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/katuragimati01.htm
 

岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)08時12分16秒
返信・引用
  和歌山県九度山町のお城。

紀の川の段丘上に築かれた城郭であるが、畑となっておりよく分からなくなってしまっている。この城の辺りは小説『紀の川』の舞台となったところであるという。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kudoyamamati01.htm
 

銭坂城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)07時57分25秒
返信・引用
  これも橋本市のお城。

山田川の南側の段丘上に築かれている。かつては相応の規模の城郭であったと思われるが、現状ではわずかに土塁と堀が見られるのみである。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/hasimotosi02.htm#zenisaka
 

長藪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)07時56分8秒
返信・引用 編集済
  これも橋本市のお城。

広大な尾根上に展開する城域の広い山城であり、西の城、東の城、出城などにより構成されている。

尾根までは山道も続いているが、城内はヤブのひどいところもあり、夏場では探索しづらい。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/hasimotosi02.htm
 

岩倉城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)07時54分29秒
返信・引用
  和歌山県橋本市のお城。

比高40mほどの尾根に築かれた単郭の城である。

尾根上に公園があり、アクセスしやすく見えるのだが、城まではけっこうなヤブを通過しなければならない。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/hasimotosi02.htm#iwakura
 

Re: 今年も暑い暑い夏の日

 投稿者:ひづめ  投稿日:2018年 7月 9日(月)11時12分40秒
返信・引用
  > No.5542[元記事へ]

>私が1人で茨城県内を回っていたころは「こんなにバカなことをしているのは自分くらいなのではないか」と思っていたものでしたが、今ではみなさん、それ以上の活躍をしていますね。

 その不安感とも違う、落ち着きのなさというか、そういう感覚は最先端を行く人だけが感じることのできるものだと思います。いまや、余湖さんの足跡を多くの人が辿っています。

>あと数年すれば時間は取れるようになりそうですが、その頃には体力もすっかり衰えてしまっているかも。

 私などは体力が落ちた余湖さんとちょうどいいかも知れません。ああでも、その時には自分の体力も落ちているのか?
 なにはともあれ、元気でサバイバルして、その日を待ちましょう。
 

Re: 今年も暑い暑い夏の日

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月 8日(日)19時28分7秒
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  > No.5541[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。暑いのも暑いですが、西日本では水害で大変なことになっていますね。今年は西日本方面に出張するのは難しいかもしれません。

茨城城郭会も各方面で活躍していますね。今後が楽しみです。私が1人で茨城県内を回っていたころは「こんなにバカなことをしているのは自分くらいなのではないか」と思っていたものでしたが、今ではみなさん、それ以上の活躍をしていますね。

私の方は相変わらず、お城巡りに行ける時間があまり取れません。昔は毎週どこかに出かけていたのですが、今では年に何度も行けていないという状態です。せめてカレンダー通りに休めるようになれば、かなりの時間が取れるのですが、城めぐりに最適な冬場が特に忙しくなってしまうことが多くて悔しい思いをしています。あと数年すれば時間は取れるようになりそうですが、その頃には体力もすっかり衰えてしまっているかも。

ひづめさんも、お元気にお過ごしください。

 

今年も暑い暑い夏の日

 投稿者:ひづめ  投稿日:2018年 7月 8日(日)12時39分39秒
返信・引用
  また今年も、暑い暑い夏のこの日が戻ってきましたね。

昨年の『続・図説 茨城の城郭』刊行以降、いろいろな変化も始まっています。
もう少ししたら余湖さんも動きやすくなるのではないでしょうか。
一番大変だった時期は過ぎつつあり、さすがに20年前の様には戻れないかもしれませんが、またみんなでお城歩きが出来る日も近いのではないかと楽しみにしています。
 

Re: とおりすがりにでも

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月 3日(火)04時20分14秒
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  > No.5539[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。静岡は今、香川元太郎に熱いんですね。香川さんの原画は見てみたい気がします。

興味のある方は行ってみてください。

 

とおりすがりにでも

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 7月 1日(日)22時59分4秒
返信・引用
  藤枝市の郷土博物館では、7月29日まで「駿河田中城と香川元太郎城郭原画展<東日本編>」
近隣の島田博物館は、9月2日まで「島田の城と香川元太郎城郭原画展<西日本編>」を
やってます。諏訪原・田中城のお越しの際に覗いていただければ幸いです。
 

Re: 北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月30日(土)04時08分1秒
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  > No.5537[元記事へ]

おおよしきりさんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。堂坂砦についてはよく分からないということもあり、ブログを拝見したのですが、城なのかどうかよく分かりませんでした。ただ、宮坂さんの本にも堂坂砦は掲載されていませんね。

甲斐北部には天正壬午の乱関係の遺跡が多数存在していると思われますが、すべてがそれに関連付けられるというのもどうかなと感じています。確かに大勢力が伯仲した時期ですから、相応の陣城群が形成されたとは思うのですが、基幹的にはそれほど長期間であったというわけでもなく、なんでもかんでも天正壬午の乱でくくられるべきものなのかなあと思ってしまうのです。

それではまたです。
 

Re: 北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:おおよしきり  投稿日:2018年 6月29日(金)16時18分12秒
返信・引用
  > No.5536[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

ご覧いただきありがとうございます
上蔵原の塁が残ったのは、近年まで中村家当主の方が
上蔵原に住んでおられたせいもあると思います。



私が歩きまわってる山梨峡北地域は、武田家滅亡から天正壬午の乱で、
多くの兵が集結し、その為、急造の砦が多く作られたのだと思います。
一般には知られていないが、これ土塁跡かなぁ・・と思う場所を見ることが多いです。

例えば、大渡烽火台の東の尾根筋にそれらしき物もありますし、
谷戸城の北にある八雲神社の山、大滝神社南の山もそうです。

見易いのは能見城の東、堂坂砦の南にある今は御崎神社の山です
場所から云っても、天正壬午に関係しそうですが、
なにぶん素人ゆえ、これが土塁跡という確信が持てずにおります。

記事を貼りますので、ご教授いただければ幸いです

http://shikispace.blog134.fc2.com/blog-entry-384.html

 

Re: 北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月29日(金)04時13分33秒
返信・引用
  > No.5535[元記事へ]

おおよしきりさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。ブログ拝見しました。

上蔵原の塁に関しては、やはり城郭遺構というよりは、集落あるいは宅地の境界土塁といった感じですね。あの地域にはこうしたものが、けっこうあったのかなと感じています。

それではまたです。

 

北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:おおよしきり  投稿日:2018年 6月28日(木)11時08分46秒
返信・引用
  余湖さん、はじめまして
山梨、峡北地方の寺社建築や古道を調べてブログに書いておりまして、
城館跡を撮影するときにはいつもお世話になっております。

感謝の気持ちといってはなんですが、山梨県北杜市の上蔵原の塁を撮影しましたので、
ご覧になってください。
記事中にあるグーグルマイマップ「山梨峡北地域の古道」には塁の範囲も書きました

http://shikispace.blog134.fc2.com/blog-entry-501.html

 

Re: 水戸城跡

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月24日(日)11時54分59秒
返信・引用
  > No.5533[元記事へ]

砂菱潜之さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。水戸城は完全い市街地化してしまっていますから、こうした発掘調査の報告会には興味津々です。

残念ながら、来週は土日ともに仕事関連で私は行けそうにありませんが、お時間のある方は、行ってみたらいかがでしょうか。
 

水戸城跡

 投稿者:砂菱潜之  投稿日:2018年 6月23日(土)06時54分56秒
返信・引用
  御無沙汰しております。

現在、茨城県教育財団が発掘調査をしている、
水戸城跡の現地説明会が、来月1日に開催されます。

メインの曲輪からは外れた地点で、
近世には附家老の中山備前守が屋敷としていた場所です。
近代には監獄、刑務所となっていたため、
明治以降の攪乱が多く、城跡という雰囲気は少ないですが、
上級武家の居宅跡の調査例は珍しいと思われます。

興味のある方は奮って御参加ください。

http://www.ibaraki-maibun.org/01joho/0100.htm#news20180722

 

Re: 神成城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月23日(土)04時17分46秒
返信・引用
  > No.5530[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

神成城ですか、懐かしいですね。あの時は笹薮だらけという印象でしたが、きれいに整備されたとは嬉しい限りです。機会があれば訪れてみたいものです。
 

Re: 千葉城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月23日(土)04時16分47秒
返信・引用 編集済
  > No.5527[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

猪鼻城については、市街地化が進んでいるため、旧態については分からないことが多いです。かなり大きな城郭であったと仮定するならその可能性もあるでしょう。

セッテエについても意味が分かっていません。いろいろと想像してみる余地はあるかと思います。
 

神成城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 6月22日(金)23時28分26秒
返信・引用
  いつかご一緒した神成城は笹薮だらけでしたが、今日、久しぶりに登ってきましたが、郷土史跡保存会の方々の尽力で、一切の笹薮が消えており、本丸、二の丸、三の丸と見事に復元されています。
写真1が三の丸
写真2が二の丸
写真3が本丸

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

本佐倉

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月22日(金)20時04分30秒
返信・引用
  セッテイ山のことなんですけど、土塁の高さや、大きさから考えて、奴隷か人質を閉じ込めていた場所とは考えられないですか?

 

追伸

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月22日(金)19時57分44秒
返信・引用
  追伸です。
確か、近くの川の川沿いに砦跡か何かの公園があった
んですが、一応土手のような物がありました。
 

千葉城

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月22日(金)19時53分29秒
返信・引用
  6回目の千葉城に行ってきたんですが、県立中央図書館や市民会館の方は城址なんでしょうか?
あと、大きな入り口の横に千葉氏の誰かの名前が入った神社かお寺があったような気がするのですが、
館跡というのは考えられないでしょうか。
 

Re: 米子城に関して

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月17日(日)20時12分48秒
返信・引用
  > No.5523[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

米子城の規模と歴史的位置づけからしたら、総構えがあったとしても不思議ではありませんね。
 

Re: 伊予三島

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月17日(日)20時12分17秒
返信・引用
  > No.5522[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

川之江城は公園化されているせいか、確かにあまり明確な遺構は少なかったような気がします。石垣も当時のものもどうかよく分かりませんね。
 

地図のずれについて

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2018年 6月15日(金)22時53分41秒
返信・引用
  >余湖さんへ
確かにそのとおりで、また、信じていた場所が実は違っていた、などということもあると思います。
ただ、気づいて指摘したら秋田県は対応してくれたので、遺跡保存のためにも気づいた人が指摘することに価値がないというように感じています。

責め立てたるつもりではなく、文化遺産を守るのに微力ながら協力していこう、という意味で「ぶつける」(訂正をお願いする、の意味)でやってみたいと思っています。

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-1099.html

 

米子城に関して

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 6月15日(金)21時15分36秒
返信・引用
  最近、古地図を眺めています。

 米子城の外堀は加茂川を流用したように書かれていますが、ちょっと疑問があります。
 比較的古い地図では、寺町と外堀の間にもう一本あります。途中で区切れていますが
その延長線上は、江戸中期に河川変更をした加茂川の変更前の河川跡にあたります。
 また町の東側も川と川を結ぶ堀(今はないです)があるので、総構を構築しようと
していたのではないかと思われます。
 

伊予三島

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月15日(金)19時18分37秒
返信・引用
  松尾城に行って来ました。

ついでに轟城にも行きたかったのですが行けませんでした。
川之江城ってあんまり遺構が無いようなきがしました。
まだ小学生で、余り遠く行けないのもありますが。
 

Re: 情報提供をお願いします

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月15日(金)04時05分19秒
返信・引用
  > No.5520[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

まほろんにはかなりお世話になりましたが、地形図通りの場所に行ってみたのに、何もなかったことが確かにいくつかありました。

パッと思い出すのは棚倉町で1カ所、いわき市で数カ所ありました。

もっとも、地形図に落とす際のミスは、他の都道府県の資料でもあるので、一概にまほろんだけがだめだとは思っていません。

書籍などでも微妙にずれているものがありますね。
 

情報提供をお願いします

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2018年 6月13日(水)21時58分26秒
返信・引用
  まずは余湖さんにすいませんの一言を。
余湖さん、掲示板汚しすいません。

福島県の公式遺跡情報を発信しているはずの、通称「まほろん」の間違い情報が散見されていて、「せっかくいってきたのに、あとでよく確認したら違っていた・・・」という事態があります。
ですが、過去、まほろんに間違いを指摘したメールをしたのですが対応は全くなし。
なので、福島県庁の「県民提案」に書いてみようと思います。

数が少ないと「そのうちに・・・」みたいな対応になりそうなので、【間違い・疑わしい】城館の名称・市町村を私のブログ(リンク先)にコメントいただけると、ある程度数がまとまったらぶつけてみたいと思います。

賛同してくれる方がいれば、情報提供お願いします。

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-1099.html

 

Re: 宮城の城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月 5日(火)04時22分57秒
返信・引用
  > No.5518[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

男の隠れ家の対応はよく分かりません。以前にも何度か鳥瞰図を提供したことはあるのですが、その時は普通に使ってくれていました。とはいえ出典元は明記してあるので、その点では問題はないのかなあと思っています。

ただ、あの表記だと、私が描いたわけではない鳥瞰図が、私が作成したものと受け取られてしまうことになるのですが、それはそれでいいのだろうかと逆に思ってしまったりします。

宮城に行かれましたか。姫松館はおっしゃる通り、非常に面白い城ですね。あの地域では異形の城という感じがします。私が訪れたのも夏場だったので、今一つ分かりにくかったのですが、ぜひとも冬場に訪れてみたいものです。

鶴丸館も千石館も、規模も大きく見どころのある城郭でしたが、ヤブになってしまっていましたか。城址公園はまめに整備していないと、すぐにヤブになってしまうようです。公園化したはいいけど、放っておかれて荒れてしまっている城址公園が各地にあります。木を切ってしまうとヤブが生じてしまいますから、城址公園の整備というのも難しいものなのでしょう。

それではまたです。
 

宮城の城

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 6月 4日(月)06時28分17秒
返信・引用
  男の隠れ家の件は、「気前良くタダで使用許諾してくれるなんて奇特な人いる訳無い」って疑心暗鬼になったんじゃないですか。あの業界は知的財産権の固まりみたいなものですから。

ところで今朝、仙台から帰って来ました。今回は、余湖さんの図と解説にそそられ、仙台市泉区と大崎・栗駒界隈の城を見てきました。「余湖図」には大変お世話になり、ありがとうございます。

中でも姫松館は白眉ですね。あの辺りは、岩切城、長命館、松森城等余り技巧的ではない城が多い中、なんか突然変異的な感じです。

それにしても、公園化されていて、城直下まで車で行けるのは大変ありがたいのですが、草の繁茂が半端なく、難儀しました。鶴丸館の連続畝堀も、微かな草の丈の差で辛うじて認識出来るレベル。千石館は胸の辺りまで丈が伸びて藪漕ぎしてきました。樹木を切り公園か化してもこれでは人が寄り付かず、更に荒れるという悪循環になります。財政難だから仕方ないのでしょうか?残念です。

それではまた。梅雨も近いので、藪漕ぎは暫くお休みです。
 

Re: 石井要害発掘

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月 2日(土)20時37分39秒
返信・引用
  > No.5516[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

この城については知らなかったのですが、山城ブームなのか、こういうのもニュースになる時代になったのですね。それもネットで動画まで見られるとは画期的です。

横田大膳の城だったのかどうかは分からないのですが、円形の城郭というと、まるでチャシのようなイメージだったんですね。

 

石井要害発掘

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 6月 2日(土)14時13分30秒
返信・引用
  http://yonagobunka.net/system/site/upload/live/12551/atc_1522851322.pdf
http://www.nnn.co.jp/news/180601/20180601071.html

私の地元なのでお耳汚しで恐縮ですし、世間的に全くといっていいほど知られていませんが
ご拝聴のほどを。
比較的に山が小さいために、高低差を利用した円郭式城郭ですが、私が幼少期の頃団地建設で
神社を残してあらかた破壊されました。ところで昔死んだ祖父から横田内膳の居城だったのでは
ないかと聞いたことがあります。伯耆時代の横田内膳の居城は特定されていませんが、
比較的有名な江尾や打吹城には別の城主が入っていたと明記されています。
確かに米子城との地理関係を見ると、駿河時代の居城であった田中城と駿府城との位置関係を
見ると、ひと山超えた所にあり、円郭式の構造、詰めの城と言われた宝石山(七尾城)から
二つの街道を見渡すことができるので、さもありなんと思うところがあります。
 

男の隠れ家7月号「全国山城紀行」

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月 1日(金)20時28分47秒
返信・引用 編集済
  男の隠れ家7月号「全国山城紀行」という本が発売された。
「鳥瞰図を提供してほしい」と言われたので快く引き受けたということがあって、本日献本が送られてきた。
自分の鳥瞰図が載っているのかなと思って見てみたのだが、あれっ、自分の描いた鳥瞰図は載っていない。
どういうこと?
でもちゃんと「各城の鳥瞰図の出典元 余湖くんのホームページ」と書いてある。
そうしてよく見てみると掲載されている鳥瞰図の構図になんだかなじみを感じる・・・。
掲載されていたのは、私の鳥瞰図を下書きにして別の人がなぞって描いた鳥瞰図だったのであった。
そのまま載せてくれてよかったのに、ずいぶんと手間のかかることをしたものだなあ。
そのまま使ってはいけないと思っていたのであろうか。引用元が明記してあれば、自由に使ってくれてかまわないんだけど・・・・。

そういえば、『廃城を行く』も初期のころは、私たちが描いた図を基にして、出版社と契約したデザイナーがなぞった図面が掲載されていたものだ。こちらは城に詳しくない人が描いたらしく、けっこういい加減な図であったりした。出版社にもいろいろと込み入った事情があるのであろうか。

それはともかく、せっかく献本を送ってくれたので紹介しておきます。
よろしかったら書店でご覧になってみてください。
 

Re: 丹波の城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月22日(火)04時21分2秒
返信・引用 編集済
  > No.5513[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

こんにちは、丹波のお城巡り、お疲れさまでした。

そうですね。2年後には丹波や美濃のあちこちのお城に「明智光秀」の幟が建つでしょうね。真田丸の際は群馬のマイナーな山城にまで「真田丸」の幟が建っていて驚いたものです。

八木城は見どころの多い城ですよね。主郭周辺の石垣はとても見ごたえがあります。奥の城の方にも行かれたのでしょうか?

飛雲閣も行かれたのですね。あそこは普段非公開ですから、見られたのはラッキーだと思います。私もかつて訪れた時、垣根越しにちょっと見えたので、覗こうとしたところ、お寺の人に注意されてしまいました。

それではまたです。

 

丹波の城

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 5月20日(日)22時56分17秒
返信・引用
  昨日今日と丹波の城を見に行きました。八木城、須知城、山家城・山家陣屋等に加え、福知山城、園部陣屋を40年振りに再訪しました。

丹波は良く造り込まれた見応えのある城が多く、楽しい城巡りができますが、特に八木城はその中でも白眉だと思います。

また、光秀縁の城が多く、再来年辺りはアチコチ幟が立つのでしょうね。福知山市内はすでにアチコチ大河光秀決定の報が張り出されていました。

それと、西本願寺の飛雲閣の屋根葺き替え工事見学会にも行きました。聚楽第説は否定されていますが、京都新城説が最近唱えられています。原則非公開なのですが、偶々抽選に当たったので、笑路城等に行くつもりだったのですが、予定変更しました。
ついでに、豊国神社裏山の阿弥陀ヶ峰城にも行ったのですが、あれ城ですかね?切岸など皆無で、陣城が精々といった処です。

それではまた。

 

Re: 「英雄たちの選択」

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月19日(土)04時27分33秒
返信・引用
  > No.5510[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。テレビはそれほど見ないので(特にBSは)残念ながら、その番組は見てはいません。しかし、なかなか面白そうな番組ですね。

「航空レーザーを用いて吉田郡山城の周辺の地形を測量した結果、今まで確認されていなかった尼子軍の山城群の全貌が明らかになった」という点には非常に興味を惹かれました。

通常、そうした城址というのは、足でもって山を歩いて発見するというのがこれまでの手法でしたが、航空レーダーで発見できるというのはすごいテクノロジーですね。そのようなテクノロジーがあれば、まだ未踏の山城も発見できるのかもしれませんね。

全国にはまだまだ未知の山城がいくつも埋もれていると思います。たとえば茨城県でも、われわれの仲間が近年になっていくつも未知の山城を発見しています。

鴨川の打墨城なども、城として認識されるようになったのは数年前からだと思います。これについては新聞で「新発見の山城」として紹介される何年も前に小高春雄氏が、『安房の城』という著作で紹介していました。

私は山歩きが嫌いなので、テクノロジーによって山城を発見できるのだったら、ぜひとも活用してみたいものです。

それではまたです。
 

Re: 丹生城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月19日(土)04時19分53秒
返信・引用
  > No.5509[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

ご無沙汰しています。丹生城ですか。懐かしいですねえ。何年か前の山城の日にご一緒させていただいた城であったと思います。

城のある尾根に沿ってかなり多数の曲輪が展開していましたが、その時は末端の方まですべては確認していなかったように思います。

また、大手道の方には延々と長い切通しの通路があって、なかなか面白い遺構だと感じたのを覚えています。

そういえば、丹生城の向かって東側には、畝堀が多数残されていた丹生東城というのもありましたが、今ではすっかり湮滅してしまったのでしょうね。

富岡市にはけっこういい遺構を残している城がいくつもありますね。

それではまたです。
 

「英雄たちの選択」

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 5月18日(金)15時40分17秒
返信・引用
  お久しぶりです。
昨夜のNHK BS「英雄たちの選択」は見られたでしょうか?
「真相!戦国山城合戦!知将・毛利元就の決断」
http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-05-17/10/13231/2473138/
と題して、元就が尼子軍3万の軍勢を防いだ郡山合戦を航空レーザー
を用いて吉田郡山城の周辺の地形を測量した結果、今まで確認されて
いなかった尼子軍の山城群の全貌が明らかになったようです。
日本全国、確認されていない山城ってまだまだあるのでしょうね。
 

丹生城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 5月17日(木)23時11分52秒
返信・引用
  17日に富岡市にある丹生城に久しぶりに登ってきました。本丸・西の丸の南側斜面にある遺構はたくさんあることは知っていましたが、今回徹底的に見て回りました。東側の麓にある金乗寺の境内脇道に縄張り図があり、二つ南西尾根が描かれていますが、それでも描かれていない曲輪群を見つけました。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: ご無沙汰しています。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月10日(木)04時15分18秒
返信・引用
  > No.5507[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。ネット環境をスマホに統一したのですか? 確かに両方あると料金がけっこうかかるので、かなり負担が大きくなりますが、私はスマホではホームページの作成・維持ができないので、当面はパソコン接続もやめることはできないですね。
ただ、最近は格安スマホも出回っているので、スマホの方を安い契約にできないかどうかと思ったりしています。

花倉城周辺の道はけっこう分かりにくいですね。ところが、城の入り口近くまでgoogleのストリートビューが通っているので、事前にそれを見て予習しました。googleの車ってかなり細い道にも入り込んでいたりするので驚きです。

大築城を訪れたのはかなり昔なので、詳細はもう忘れてしまいました。

それでは丹波路、気を付けて行ってきてください。

 

ご無沙汰しています。

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 5月 9日(水)18時56分10秒
返信・引用 編集済
  PCのネット契約を解約しスマホに一本化しました。PCと違い書き込みしにくく、つい億劫になってご無沙汰しました。

その間、藤枝や伏見、埼玉北西部の城を巡って来ました。藤枝の花倉城では登る坂を間違え、茶畑で立ち往生。都幾川の大築城は目印の住吉神社を看過、あじさい公園のずっと先の林道にも案内板があり、そこから登った処、途中で道が崩落、直登するも、大回り。

これだけネットで情報があるのに、情けない話です。

次は丹波路、懲りずに行って来ます。
 

赤木南城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時59分29秒
返信・引用
  同じく松本氏のお城。

北城同様、赤木山の台地を守るための城郭である。しかし、こちらもかなり破壊が進んでいる。松本市にはこのような小規模な城館を保護しようとする気持ちはないのであろうか。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/matumotosi03.htm#minami
 

赤木北城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時57分55秒
返信・引用
  長野県松本市のお城。

単郭ながらしっかりと堀を巡らせた城であったのだが、現在、堀にはゴミや土砂が投げ込まれ、城内は荒れ地と廃アパートとなっていて、心寒くなってしまうような状態である。

城址としてはすでに認識されていないようだ。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/matumotosi03.htm
 

重ね城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時42分21秒
返信・引用
  これも朝日村のお城。

武居城のはるか奥の山に築かれている。武居城まで行くと、重ね城の案内も付けられていたので、ついでに訪れてみることにした。

武居城からの比高は140mほど、30分ほど歩いて到達することができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/asahimurang.htm#kasane
 

武居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時40分55秒
返信・引用
  長野県旭村のお城。

大規模な二重堀切や、横堀に掘られた畝状竪堀など、なかなか見どころの多い山城である。比高も70mほどなのですぐに登れる。

ところが、正規の登城道があることを知らずに、大手口と思われる方向から直答してみたら、笹薮の海を潜っていくことになってしまった。

城を訪れる際には、ちゃんと下調べをしていった方がよい・・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/asahimurang.htm
 

南熊井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時01分15秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

北熊井城ほどの規模はなく、単郭の単純な構造であるが、周囲の堀はよく残されている。

また、北側には「南熊井城址」と書かれた大きな看板が立てられており、ちゃんと城址として認識されていることがうれしいのであった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#minami
 

上田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時59分32秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

しかし、こちらは比高30mほどなので、すぐに登れる。山城とはかくありたいものである。

山麓には公民館があり駐車場もあって車を停めるのにも安心である。ミニ妙義山城のような山城であるが、山麓には上田館と呼ばれる遺跡もある。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#ueda
 

飯縄城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時58分15秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

地域的な特性もあるのであろうか、妙義山譲渡は似た構造のお城である。

山麓の慈光院が居館のようで、ここから山に登って行く。今度は正真正銘、登城道が残っていないので、急斜面を直登していった。連続して急斜面直登はきつい・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#iiduna
 

妙義山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時56分38秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

釡井庵の上にそびえる急峻な山に築かれている。遺構はなかなか素晴らしい。

釡井庵の所からちゃんとした登城道が付けられていたのだが、それに気が付かずに、急斜面直登をしてしまった。疲れる・・・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#myougi

 

奈良井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時55分6秒
返信・引用
  塩尻市のお城。

奈良井宿の真上にそびえている番所のような城館である。単郭だが、遺構はよく残されている。

城もさることながら、奈良井宿の雰囲気が素晴らしい! まるでタイムスリップして江戸時代に戻ってきたかのような街並みがそのまま残されている。
こういう街を歩いてみるのもいいものである。
http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm
 

山吹山狼煙台!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時36分26秒
返信・引用
  これも木曽町のお城。

山吹トンネルの上にそびえる山稜上に、模擬天守状の展望台を備えた狼煙台がある。かなり遠くからでも見える施設である。

ところで、この近くには巴という地名もある。木曽義仲の愛妾、巴・山吹はこの地の出身であったのだろうか。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/kisohiyosi.htm
 

火燃山狼煙台!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時22分13秒
返信・引用
  これも木曽町のお城。

関山公園の背後の山稜に築かれている。公園から延々と山道を通ってアクセスできる。

遺構はそれなりのものだが、城址周辺になると急に笹薮が深くなるので、なんだかわかりにくくなってしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/kisohukusima01.htm#hitomosi
 

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