teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


Re: ライフワークバランス

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月28日(月)04時31分7秒
返信・引用
  > No.5856[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> うちも同じようなものです。まあなかなか難しい問題ですね。

なかなか大変ですね。私は次の日曜日が来るまで13日連続勤務です。
若いころとは違って週に1日は休めないとかなりつらいです。

 
 

Re: ライフワークバランス

 投稿者:狸屋  投稿日:2019年 1月27日(日)18時19分42秒
返信・引用
  > No.5851[元記事へ]

うちも同じようなものです。まあなかなか難しい問題ですね。
 

Re: 小栗城の南の城郭あと?

 投稿者:さとう@吉川  投稿日:2019年 1月27日(日)13時15分47秒
返信・引用
  > No.5853[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> 初めまして。
はじめまして。お返事ありがとうございます。

> ご指摘の城館ですが、これは御殿城と呼ばれていたものです。
御殿城という名前なのですね。
協和町の町史あたりに資料がありそうなので探してみます^^

河川史が専門なので、中世の流路を推測するのに古城は有効な手段なのです。
ご教示ありがとうございました!!
 

まいまいが・・・

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月27日(日)04時07分12秒
返信・引用
  元乃木坂の深川麻衣が朝ドラに出てることに気が付いた。
このところずっと姿を見ることがなかったのだが、ちゃんと役者になってくれていたのでちょっと安心。これからも頑張ってほしいものだ。
ちなみに松井玲奈も出てる。
 

Re: 小栗城の南の城郭あと?

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月27日(日)04時06分1秒
返信・引用 編集済
  > No.5852[元記事へ]

さとう@吉川さんへのお返事です。

初めまして。
ご指摘の城館ですが、これは御殿城と呼ばれていたものです。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/kyouwa.htm

おそらく小栗城を築く前の小栗氏の居館であったものと推定されているものですが、迅速地図にも明確に堀が描かれていることから、戦国期の改修も考えられる城館です。

ただし、高度成長期の耕地整理によって遺構は完全湮滅してしまっているので、実際にどのようなものであったのかは想像を働かせてみるかもわかりません。
茨城県の『重要遺跡報告書』では復元図が紹介されています。

けっこう立派な城館であったと思われます。

 

小栗城の南の城郭あと?

 投稿者:さとう@吉川  投稿日:2019年 1月27日(日)00時14分34秒
返信・引用 編集済
  余湖様。いつも楽しくHP拝見しております。
資料にみあたらない城郭のようなものを発見したのですが、ご教示いただければ幸いです。場所は協和町の小栗城の南、小貝川の東側です。折のある堀跡と土塁が航空写真で見えます。迅速図にも土塁と堀が書かれているので恐らく城だと思いますが。
(北斗養豚 さんのある場所です。地理院の空中写真、USA-R511-No2 が一番よく判ります。写真コマの左上に写っています)。10~15haほどありますので、かなり大きい城郭だと思いますが、資料にないのでなにか違う施設かもしれませんが(笑

小貝川の旧河道と小貝川にはさまれた小貝川の氾濫原につくられた中世の方形館を、戦国時代に拡大したもののように思えます。方形館の真ん中に盛土してあり、おそらく神社があったものと思われます。付近には古墳と思われるものもあります。

茨城県筑西市小栗8391付近

どうぞ宜しくご教示お願いいたします。

余談ですが、美浦村の「五角形の館 中世城郭ではないかもしれない」はご推察のとおりで、これは戦前にあった木原送信所のあとです^^
http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/sosinjo.html

https://www.facebook.com/tadaaki.sato.75

 

ライフワークバランス

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月26日(土)04時02分46秒
返信・引用
  私が属している組織のトップは「ライフワークバランスを重視し、各職場ではライフワークバランスを取れるような取り組みをするように」と通達している。
ところがこの週末は土日とも、わが職場は全員フル出勤である。
矛盾しているよなあ・・・・・。
 

引っ越し

 投稿者:横尾  投稿日:2019年 1月25日(金)21時36分58秒
返信・引用
  写真投稿が3Gに達し、GOOブログからYHOOブログに変えました。山城めぐり(YAHOO)としています。今後ともよろしくお願いします。

https://blogs.yahoo.co.jp/yokoo_3158

 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:安房国  投稿日:2019年 1月24日(木)22時42分52秒
返信・引用
  > No.5835[元記事へ]

香音さんへのお返事です。

初めまして香音さん。私も今は鴨川市民ですが、知らないことだらけです。前原陣屋も
知りませんでした。wikiに「元岩槻藩取締出張所」と書いてあって今日、知りました。

私は余湖さんのHPを始めとするネットで調べてから根拠になる文献などを国立国会
図書館などの公開デジタルアーカイブなどで確認することが多いです。まぁ これもネット
ですが、図書館内でしか見られないものも多いので実際に東京まで行くこともあります。

鴨川市に関することなら鴨川市史が一番詳しいかもしれませんね。市立図書館にも
ありますし。あと郷土資料館は市民は無料ですし、気軽に質問に答えてくれますよ。
その他、歴史講座なども時間が合えば参加してます。29日にも鴨川の歴史を学ぼう
の第3回があります。

安房地域は城跡も含め、まだまだ認知されてない埋蔵文化財が多いと思うので
これからもお互い地元同士よろしくお願いします!
 

Re: センター試験日本史Bの問題について

 投稿者:ひづめ  投稿日:2019年 1月24日(木)10時22分25秒
返信・引用
  > No.5845[元記事へ]

ややこしい地域のややこしい時代を試験問題に選んだなかなかチャレンジャーな出題者ですが、試験問題としては不適切ですね。
「分裂」もそうですし、鎌倉を追われて古河へ移ったのかということもそうとも言えないみたいですし。
話題としては面白いですが、受験生にとっては笑い話ではすみませんね。
 

Re: 先日は

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月24日(木)03時52分13秒
返信・引用
  > No.5846[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

こちらこそ、先日はありがとうございました。それにしても未知の城館がまだあるものなのですね。以前ほど城めぐりができていないので、山城歩きの体力がずいぶん衰えてしまっていると感じてしまいました。

センター試験の件ですが、職場の日本史専門の人とも話題になったのですが、やはり「この表現はよくないねえ」と言っていました。
まあ、あまりこだわるほどのことではないのかもしれませんが。

 

先日は

 投稿者:50storm  投稿日:2019年 1月23日(水)16時31分19秒
返信・引用
  ありがとうございました。また、皆さんで回りたいです。
日本史bの問題について一言。
事情を知っている人間からすると、この記述はふさわしくないと思います。二択だとしたら○でしょうが。
こういう表現迷いますよね。
 

センター試験日本史Bの問題について

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月23日(水)04時07分21秒
返信・引用 編集済
  先日、センター試験の日本史Bの問題を見ていて「ん?」って思うことがあった。それは次の問題である。

「鎌倉公方は、古河公方と堀越公方に分裂した」

これが〇か×かという問題で、正解は〇である。しかし、この「分裂」という表現に疑問を感じる。

鎌倉公方は、鎌倉を追われて古河公方となった。そしてその古河公方に対抗するために室町幕府が送り込んだのが堀越公方であり、両者は違った系統に属する存在である。こういうのを「分裂」と表現できるのだろうか。おそらく、そうした経緯をよく知っている受験生ほど、迷ってしまうのではないかと思う。これだけ多くの人が受験する問題なのであるから、問題文の表現については万全を期すべきものである。

鎌倉公方としての権力が2つの系統に分かれていった、という意味での「分裂」なのかもしれないのだが、そうしたら小弓公方はどうなってしまうのだろうか・・・なんて考えてしまうのだが、まあ考えすぎってことなんだろうなあ・・・。
 

西塩子館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時15分20秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
西塩子の羽黒鹿嶋神社のある台地が館跡である。
山頂部の1郭はとても小さなもので、物見台といった程度のものであった。
ところが、その南側に堀切を有しており、城館であったことは間違いないようである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#nisisiogo
 

川ノ辺城出丸!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時13分0秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
越郷砦から南側を見てみると、いかにも城塁としか見えないような土手が見えている。
ちょっと行ってみようということで立ち寄ってみた。
すぐ南側にある川ノ辺館の出丸という伝承があるとのことである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#demaru
 

越郷砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時10分45秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
地元では物見台と呼ばれているらしい。
物見台とは思えないほど奥まった山にある。以外にも折れを伴った堀切があり、ちょっと技巧的であった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#kosugou
 

南館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時09分43秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
地元でも全く知られていないが、「小屋峰」の地名から五十嵐さんが発見したそうだ。
以外にもそれなりに普請された山城であった。
これは、間違いなく城郭である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#minami
 

烏渡呂城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時08分23秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
昔、何かの史料を見ていて「烏渡呂城」というのが出てきて、「これ、どこの城のこと?」と思ったものである。
名称も奇妙である。「烏渡呂城」・・・うとろ? ウットロ、ウットロ♪と歌いだしたくなってしまう。

「烏渡呂」と「泥部」の音の類似から五十嵐さんが当たりを付けてくれたものである。ただし、明確に城郭と呼べるような遺構はなかった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#hirasawa
 

平沢館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時05分37秒
返信・引用
  これも常陸大宮市の城館。
平沢氏の居館跡で史料にも登場してくるという。
廃城後は泉福寺という寺院となっていたとのことで、遺構そのものは寺院跡と呼ぶべきものであった。
古い時代の居館であったものだろうか。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#hirasawa
 

石沢小屋場城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時03分45秒
返信・引用
  五十嵐さんの案内で久しぶりのヤブレンジャーツアーということで、茨木の新規発見城郭を巡ってきた。ご案内ありがとうございます。

石沢小屋場城は、常陸大宮市石沢にある城館である。簡素な構造ながら堀切によって区画された2郭構造の陣城であったようだ。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm
 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時01分49秒
返信・引用
  > No.5835[元記事へ]

香音さんへのお返事です。

花房陣屋は、明治になってからの陣屋ということもあって、あまり知られてはおらず、遺構も湮滅してしまっているので、認知されづらい陣屋であると思います。

城郭のことを知るために私が利用しているのは、主に『日本城郭体系』と『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』の2冊です。

その他には小高春雄さんの地域ごとの城郭シリーズがとても詳しいです。こちらは図書館にあるかどうかはわかりません。

陣屋に関しては、かつて報告書が作成されており、ネットでも見ることができます。花房陣屋の記述についてもこれが一番詳しいのではないでしょうか。

http://www.echiba.org/pdf/kiyo/kiyo_028.pdf

前原陣屋のことは知りませんでした。花房陣屋の項目を見ても、その別名であるとは書いてないようです。googlemapの誤記の可能性もあると思われます。

 

花房陣屋について

 投稿者:香音  投稿日:2019年 1月21日(月)13時47分37秒
返信・引用
  はじめまして!
1月18日の夜に、市内で大きな火災がありまして、鎮火に時間がかかっていたので、場所を調べようとGoogleマップで検索をかけてみたのです。
その時に、私の住んでいる場所の裏手に当たる稲荷神社が、Googleマップでは「前原陣屋跡」と記載されていました。

「ここは、史跡なのか?!」と生まれも育ちもこの場所なのに何も知らず、びっくりしてネットを検索して、こちらと複数、陣屋跡について書かれているところを見つけました。
「花房陣屋」となっているところが多く、いろいろと文献によるのかもしれませんが

花房陣屋と前原陣屋は別物となっているところもありまして・・・

過去コメントに「曾呂村」のことなども書いてあり、鴨川市民として知らない歴史を学ぶことができました。
花房陣屋、前原陣屋について、新しい情報、説などご存知の方があればと思ってコメントをしてみました。

市内の方がコメントしていらっしゃるように見受けられましたので、図書館などで調べられるのであれば、どのような書籍を検索したらよいかと思いまして・・・

心当たりのある方、お教え願えればと思いますm(__)m よろしくお願いいたします。
 

ゆうげん山

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2019年 1月15日(火)12時13分25秒
返信・引用
  余湖さん、青木さんこんにちは。
早速の返答ありがとうございました。

「続、茨城の城郭」今拝見させていただいております。

同日にもう2城行ったので報告いたします。

「内大野要害」の頂上にあった秋葉神社は撤去されていて、
これからは参道は荒れたままになる可能性が大です。

「左貫竜蓋城」に至る神社の入口は見つかりました。
「逆木神社」という木額が鳥居に掲げてありました。

これからもよろしくお願いいたします。益子

http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/index.html

 

Re: ゆうげん山

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月15日(火)06時27分36秒
返信・引用
  > No.5832[元記事へ]

あおれんじゃあさんへのお返事です。

情報ありがとうございます。すでに踏査済の物件だったのですね。
佐竹氏の要害という伝承があるということになると、いつの時代のものなのか、気になるところです。

 

Re: ゆうげん山

 投稿者:あおれんじゃあ  投稿日:2019年 1月14日(月)20時23分57秒
返信・引用
  > No.5824[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

ご無沙汰、あおれんじゃあです。
この物件ですが、伝承は地元の人、皆知ってました。

肝心の遺構ですが、結構曖昧ですが、遺構は高圧鉄塔から西に派生する尾根に平場、腰曲輪のような場所があり、これらは人工的なものと考えてよいと思います。
これが城郭遺構なのかもしれません。城なら超シンプルなものです。

南東の高見山付近まで行きましたが、尾根筋のピークは曲輪の可能性はありますが、堀切はありませんでした。細尾根に土橋状の場所がありましたが、自然地形かもしれません。
もっとも背後は深い山、この方面から攻撃される心配は少ないのかもしれません。
それより、背後は逃走路のような感じです。ここを行けば、あの外大野のSさん宅まで行けそうです。
 

Re: 講演会のお願いの件

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)18時26分49秒
返信・引用 編集済
  > No.5830[元記事へ]

引田克治さんへのお返事です。

了解しました。前回と同じ話でよろしいのですね?
私の話は図を示しながらということになりますので、プロジェクターとパソコンの用意をお願い致します。

 

講演会のお願いの件

 投稿者:引田克治  投稿日:2019年 1月14日(月)17時15分4秒
返信・引用
  3月2日 是非とも予定を空けておいて下さい。よろしくお願いします。3月2日(土)午後1時から総会を開催しますので,先生の講演は2時前ぐらいになるかと思います。
場所は,まいづる(茨城県常陸太田市山下町3889)です。
 

Re: 播磨の城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)11時13分9秒
返信・引用
  > No.5826[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

今年もよろしくお願いいたします。私は出張でしばらく沖縄に行ってきまして、先ほど帰宅したところです。あちらはとても暖かく、歩いていて汗をかきました。

また、兵庫に行って来られたのですね。
三木城付け城群、なかなか面白いですよね。確かに高城大塚城は独特だと感じました。陣城というよりは、本当にただの陣といった趣です。それであれだけ折れを入れているのですから、なんとも味わい深いです。

私が思い入れがあったのは、竹中半兵衛陣でした。昔の大河ドラマ『国盗り物語』の中で、三木城の陣中で黒田官兵衛の息子の始末を任される半兵衛の姿がとても印象的だったのです。

「官兵衛殿は秀吉殿にとって必要な人、もしもの時は私がすべて責任を負いましょう。」と淡々と話す半兵衛(米倉斉加年)の姿は幼心にも、ひしひしたるものを感じさせました。
「あれはこの場所だったのか~」などと思って非常に感慨深く感じたものです。

たつのの城山城群については、詳しいことは分からないのですが、なかなか面白そうですね。播磨まで行ける機会はなかなかないのですが、時間が取れれば行ってみたいと思います。

それではまたです。




 

Re: 講演会のお願い

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)11時00分17秒
返信・引用
  > No.5825[元記事へ]

引田克治さんへのお返事です。

パルティホールでは大変お世話になりました。
さて、3月2日ですが、今から予定を入れておけば開けておくことは大丈夫だと思います。
同じような話でよろしければ、お話させていただくのは可能であると思っております。
また、後で詳しいことを打ち合わせさせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

Re: ゆうげん山

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)10時58分38秒
返信・引用
  > No.5824[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。こうした情報はとてもありがたいです。
「ゆうげん山」(要害の転でしょうか)といった名称があり、佐竹氏の砦があったという伝承までもあるのでしたら、城郭である可能性は極めて高いのではないかと思われます。
いつになるか分かりませんが、ぜひ、訪れてみたいとも思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

播磨の城

 投稿者:備前守長政  投稿日:2019年 1月13日(日)21時12分4秒
返信・引用
  昨日今日と播磨に行ってきました。

昨日は三木城と三木城攻めの付城群。余湖図のお世話になりました。ありがとうございます。
それにしても、ある程度網羅的に見ようとすると1日では難しいですね。結局南東側と北側の付城は見られませんでした。
見た中ではやはり法界寺山の上付城から、朝日ヶ丘土塁を経て高木大塚付城迄が一番見ごたえありました。
中でも高木大塚城は、突然変異かと思うくらい他の付城とは変わっていて、幕末の稜堡式城郭かと見紛うような縄張ですね。

今日は、たつの市の城山城群。技巧的では無いので、あっさり見終わるかと思ったら、豈図らんや、略1日居ました(8時半に麓から兵糧道を登り、縦走し祇園嶽城を見て搦手道を下り麓に着いたのが16時半)。
途中、播磨の城を研究されている方の一団に遭い、色々教えて頂きました。
室町から戦国の遺構、古代山城の痕跡などアチコチ見所があり(しかも点在)、楽しめましたが、流石に疲れました。

それではまた。今年も宜しくお願いします。
 

講演会のお願い

 投稿者:引田克治  投稿日:2019年 1月13日(日)14時29分23秒
返信・引用
  先月22日に常陸太田市パルティホールで講演していただきました常陸佐竹研究会の事務局 引田です。その節は大変お世話になりました。講演を聴いた方々からは『とても分かりやすく面白かった』との評価をたくさんいただいております。
そして、また聴きたいとの要望も多いことから,3月2日(土)の当会の定期総会においての記念講演をお願いしたく依頼したいのですが,先生のご都合はいかがでしょうか?
 

ゆうげん山

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2019年 1月11日(金)15時30分51秒
返信・引用
  こんにちは。
城郭のイラスト、記事の掲載に関していつもお世話になっています。

大子町下野宮の長崎地区に「ゆうげん山」と呼ばれる山があります。
佐竹時代に砦があり、侍が数人常駐していたことは地区では有名です。
送電線の鉄塔が建ってしまい、祠などもなくなっていました。

いってみましたが、私の目では何もわかりませんでした。
ただ、比較的楽な登り口は見つけル事ができました。

もし、こちらにおいでの時、時間が合ったら確認をお願いします。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/index.html

 

Re: 淀城に今着きました

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月10日(木)03時53分40秒
返信・引用
  > No.5822[元記事へ]

逆井さんへのお返事です。

伏見城、天守の保存が決まったとの話は聞いていましたが、再び公園として開園したとは喜ばしい限りです。
天守は昭和40年代の復興ブームて建てられたものですから、現代の耐震基準に合っていないということでしたら、立ち入れなくなるのも時勢柄仕方のないところだと思います。
ただ、そういう天守は他にも全国各地にあると思うのですが・・・。

淀城は、本丸の石垣以外にはほとんど見るところがなかったように記憶していますが、それでも本丸だけでも残されているだけ、まあましかなと思っています。歴史的には著名な城なので、もう少し整備されるとうれしいところですね。
 

淀城に今着きました

 投稿者:逆井  投稿日:2019年 1月 9日(水)20時29分53秒
返信・引用
  本丸の方から石垣登って天守台に潜入してみました
中には礎石が何個か残っていました
天守地階はあまり大きくない感じでした
競馬場の方にも歩いてみましたが遺構は特にありませんでした。
中には石段がありました。
中学受験終わったらまたゆっくり見に行きます。
 

伏見城について

 投稿者:逆井  投稿日:2019年 1月 9日(水)19時47分55秒
返信・引用
  伏見城は桃山総合運動公園として開園しました
天守には耐震基準などが原因で入れないようです。
 

Re: あけましておめでとうございます

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月 9日(水)04時07分45秒
返信・引用
  > No.5819[元記事へ]

みよさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨年は目標としていた余湖図6000城を達成したので、もうノルマに捕らわれることはやめて、のんびりとお城巡りを楽しもうと思っています。その気持ちは変わりません。

ふと気が付けばそれ以後も、まあまあ余湖図の数は増えています。
だけど7000城は絶対にノルマにはしません。
しないんじゃないかな。
多分、しないと思う。
ま、ちょっとだけ覚悟はしておくか・・・。
 

あけましておめでとうございます

 投稿者:みよさん  投稿日:2019年 1月 8日(火)21時45分52秒
返信・引用
  遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
今年もこちらにはお世話になると思います。
よろしくお願いいたします。

昨年は、6000城達成、常陸太田での講演等、大変なご活躍でしたね。
6000城達成の折、これからは気持ちのんびりなさると書いておられましたが、今年はどのあたりを歩かれるのでしょうか。
どうぞ、お身体に気をつけて、楽しく余湖図を増やしていただけると、私としても嬉しく思います。
 

Re: 茨城城郭研究会のページ

 投稿者:ひづめ  投稿日:2019年 1月 7日(月)23時26分10秒
返信・引用
  > No.5817[元記事へ]

余湖さん

茨城城郭研究会ホームページのご案内をありがとうございます。
この掲示板をご覧のみなさま、URLは、
 http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/ibajo/index.html
としてください。
 

茨城城郭研究会のページ

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月 7日(月)20時35分28秒
返信・引用
  茨城城郭研究会のページができましたので紹介しておきます。
茨城の城郭関連の催しもの等は、ここを見れば分かります。

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/ibajo/ci_cheng_cheng_guo_yan_jiu_hui/2019_01_07.html
 

十村の城について

 投稿者:右兵衛佐  投稿日:2018年12月30日(日)10時07分19秒
返信・引用
  安房国さんへのお返事です。

早速調べられたんですね。「十露」を当てたものとは知りませんでした。また何か情報がありましたらよろしくお願いします。「十村の城」の特定が前期里見氏の謎を紐解く鍵になるかもしれませんね!
 

大峰城鳥観図の件で

 投稿者:るな&旦  投稿日:2018年12月29日(土)19時07分44秒
返信・引用
  使用承諾ありがとうございます。
しかも書き直して頂き感謝致します。
改良版と差し替えさせて頂きましたので
ご報告をm(__)m

また宜しくお願い致します。

https://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/65621769.html

 

Re: 十村の城について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月28日(金)05時06分43秒
返信・引用
  > No.5810[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

そうでしたか。やはり探し当てるのは、そんなに簡単ではないようですね。
「十露盤」から充てただけだとすれば、根拠としてちょっと厳しいかもしれません。
それにしても、素早い対応、安房国さんの熱意が感じられて、とても素晴らしいことだと思います。
今後とも、いろいろと調査してみてください。また、何かわかりましたら、こちらで教えていただけると嬉しいです。

それではまたです。

 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月28日(金)05時01分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5809[元記事へ]

かず@川崎さんへのお返事です。

先日、見学会の前に、いらっしゃるかなと思って探してみたのですが、欠席だということはすぐに分かりました。

シンポの方では、知っている人も何人か来てくださったようなのですが、参加人数が600人と多かったもので、探し当てることはできませんでした。

太田城での発表の趣旨は、以下のページで公開しています。

http://otakeya.in.coocan.jp/info02/hitatiootaj.htm

機会があれば、またご一緒しましょう。


 

Re: おはようございます。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月28日(金)05時00分2秒
返信・引用
  > No.5808[元記事へ]

るな&旦さんへのお返事です。

お久しぶりです。長野に行かれたのですね。やはり、山城は長野が一番だと思います♪
大峰城始め、川中島合戦合戦関係のお城を巡ってみるのも楽しいです。
大峰城は、昔は蝶の博物館として開館していたのですが、現状ではそちらも廃城になってしまったのが残念です。

鳥瞰図の使用、了解しました。出典さえ示してあればご利用は自由なので、よろしかったらどんどん使ってくださいね。
ただ、改めて大峰城の鳥瞰図を見てみたら、ずいぶん昔に描いたものなので、漏れがだいぶありました。そのためざっと描き直しておきました。

それではまたです。
 

すいません

 投稿者:安房国  投稿日:2018年12月27日(木)21時46分57秒
返信・引用
  「余湖さん」へのお返事で「さん」が抜けてました。  

Re: 十村の城について

 投稿者:安房国  投稿日:2018年12月27日(木)21時45分42秒
返信・引用
  > No.5799[元記事へ]

右兵衛佐さん、余湖へのお返事です。

「十村」=「曾呂村」の件についてです。
残念ながら、今のところ「十村」=「曾呂村」の証拠は見つかっていません。
平凡社の日本歴史地名体系12巻「千葉県の地名」1181ページに「曾呂村」があり、
里見義康知行宛行状(岡崎家文書)に「曾呂之郷」と書かれてあるのが天正19年(1591)
で、慶長2年(1597)にも安房国検地高目録に「曾呂村」とあります。

鴨川市の古文書サークルのメンバー5名(私以外すべて鴨川市生まれの60代後半から
70代)に聞いてみたろ、聞いたことがないとのこと。指導の先生(郷土資料館で地域の
古文書解読をされている)も、見たことがないとのことでした。証言者の磯貝氏は
既に亡くなられているそうで確かめようもないのですが、恐らく「十露盤」(そろばん)
の「十露」が当て字で使われたものを見たのではないかと推測されてました。

個人的には「十村の城」=「山之城」であって欲しいので、これかららも引き続き注目
していきたいと思います。
では!


> 余湖さん、お久しぶりです。
> 急に話に割って入ってしまってすいませんが、「十村の城」とは鴨川市の山之城のことだそうです。府馬清の「久留里城物語」によれば、
> 「十村」は「ソロムラ」と読み、むかしの「曽呂村」のことで、明治の頃までは十村と書かれていたそうです。つまり、旧曽呂村内にあった山之城が「十村の城」だということです。府馬清氏は鴨川市金束の食品販売業者磯貝幹一氏から聞いたといいます。その後正木氏に与えられたという訳なのでしょう。
> 古本なので今は新説が出されているかもしれませんが、紹介してみました。
> 長文申し訳ありません。
> 少しでも参考になれば幸いです。
 

(無題)

 投稿者:かず@川崎  投稿日:2018年12月27日(木)07時45分2秒
返信・引用
  先日はシンポのご案内ありがとうございました。
子供関連で時間が掛かってしまい結局行けませんでしたが、常陸太田については格別な想いがありますのでまたありましたら改めて行きたく思います。m(_ _)m
 

おはようございます。

 投稿者:るな&旦  投稿日:2018年12月27日(木)07時03分17秒
返信・引用
  10月に長野市大峰城に行ってきました。模擬天守は噂通りの廃城感。
でも小規模ながら良い山城ですね。
ブログ更新のため余湖さんの鳥瞰図をお借り致しますm(__)m
宜しくお願い致します。

https://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/65621769.html

 

Re: お疲れ様でした。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月24日(月)06時17分27秒
返信・引用
  > No.5806[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

シンポジウム、お疲れさまでした。また、お声がけいただき、ありがとうございました。
翌日に久米城と山入城に行かれたのですか? 活動的ですね。

久米城の本丸は、以前は足の踏み入れようもないドヤブだったのですが、地元の皆さんの努力で、今は歩きやすい状態になっています。地元の皆さんには頭が下がります。あのV字渓谷は、すごいですよね。城内にあんな崖がある城も珍しいです。

山入城は、東側の尾根続きにも延々と遺構がありますので、よろしかったら歩いてみるとよろしかろうと思います。

ところで、私の発表用の資料が小さく印刷されていたので、見づらかったのではないかと思います。もし、私にメールをいただければ、パワポの資料をそのまま送信いたします。容量が8mbほどあるので、ちょっと重たいですが・・・・。

それではまた、機会がありましたら、どこかのお城でご一緒しましょう。
 

お疲れ様でした。

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2018年12月23日(日)19時50分17秒
返信・引用
  余湖さん、早朝から常陸太田城シンポジウム大変お疲れ様でした。

太田城の見学会は不覚にも体調不良でリタイヤという情けない状況になってしまいましたが、その後は体調も持ち直し、午後の基調講演は楽しく拝聴させていただきました。


常陸太田城は戦国期の遺構はほとんどは土中という状況ですが、そこは城好き、頭の中で形を描きながら興味深く説明を聞いておりました。
その上で城下から台地を見上げたときに改めて太田城の規模が理解できました。

今日は朝から基調講演の資料にありました久米城、山入城に攻め登りました。
久米城は地元の方々の整備が行き届き雄大な姿を余すことなく堪能することができました。(V字渓谷はさすがにビビりました。)
両城とも初めてのところで大変感動した次第です。
また、何かの機会にお会いできればと思います。
 

常陸太田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月23日(日)13時13分20秒
返信・引用
  昨日の太田城シンポジウムを受けて、常陸太田城のページを更新しました。昨日話した内容の概要をまとめてあります。

昨日はたくさんの方にお会いできてうれしかったです。また何かありましたらよろしくお願いいたします。

http://otakeya.in.coocan.jp/info02/hitatiootaj.htm
 

有りました

 投稿者:トド  投稿日:2018年12月19日(水)17時13分21秒
返信・引用
  小峰譲がありました。失礼いたしました。  

何処?

 投稿者:トド  投稿日:2018年12月19日(水)17時08分56秒
返信・引用
  小峰譲は何処に出ているのでしょうか?  

十村の城について

 投稿者:右兵衛佐  投稿日:2018年12月17日(月)23時59分37秒
返信・引用
  余湖さん、安房国さん、返信ありがとうございます。お役に立てて良かったです。山之城の今後の研究に期待ですね!この城は正木氏の居城であったという伝承だけでなく、里見氏の埋蔵金伝説もありますし、遺構は古風ながらも、かなり魅力的な城だと思います。  

Re: 十村の城について

 投稿者:安房国  投稿日:2018年12月17日(月)21時19分3秒
返信・引用
  > No.5799[元記事へ]

右兵衛佐さんへのお返事です。

十村=曽呂村という情報は私も知りませんでした。
明治くらいまで十村と書かれていたのならば、簡単に調べられると
思うので早速、地元の利を生かして確認してみます。
情報ありがとうございました。

 

Re: 十村の城について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月17日(月)04時10分51秒
返信・引用
  > No.5799[元記事へ]

右兵衛佐さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。
十村という名称の村が実際に存在していたとは知りませんでした。府馬清さんの本は愛読していたのですが、うっかりです。
実際に十村という村があったとすれば、『鎌倉大草子』に登場する十村の城というのも、そこである可能性が高くなりますね。これは研究者の皆さんにも知られていないことなのではないでしょうか。
となると、山之城というのは、これまで認識されていた以上に重要な城郭であったということになるかもしれませんね。

それではまたです。

 

十村の城について

 投稿者:右兵衛佐  投稿日:2018年12月16日(日)21時36分46秒
返信・引用
  余湖さん、お久しぶりです。
急に話に割って入ってしまってすいませんが、「十村の城」とは鴨川市の山之城のことだそうです。府馬清の「久留里城物語」によれば、
「十村」は「ソロムラ」と読み、むかしの「曽呂村」のことで、明治の頃までは十村と書かれていたそうです。つまり、旧曽呂村内にあった山之城が「十村の城」だということです。府馬清氏は鴨川市金束の食品販売業者磯貝幹一氏から聞いたといいます。その後正木氏に与えられたという訳なのでしょう。
古本なので今は新説が出されているかもしれませんが、紹介してみました。
長文申し訳ありません。
少しでも参考になれば幸いです。
 

Re: 稲村城現地学習

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月13日(木)04時37分56秒
返信・引用
  > No.5797[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

お久しぶりです。
稲村城の報告会に行って来られたのですね。稲村城については、主郭からはほとんど生活感のある遺物や柱穴が出ておらず、その規模からも里見氏の本拠とするには、なんとも判じがたいお城のように思えてしまいます。
稲村を「とうそん」と実際に呼んでいる例があることは知りませんでした。となると「十村」はやはり稲村城でよいということなのでしょうか。
里見義実の安房入部についても、今一つよく分かりません。当時の状況からすると、関東公方の権力を持って入部したと見るのが最もありそうなことかもしれませんが、その状況を知る根拠としている『鎌倉大草子』には、「結城合戦後に安房に逃れてきた」というように明記してあるのですから、その部分を無視してしまうのはどうかなとも思っています。
その辺りはまだまだ確定しているとは言い難いところなので、いろいろと想像を巡らせてみるのも面白いかと思います。

それではまたです。
 

稲村城現地学習

 投稿者:安房国  投稿日:2018年12月12日(水)18時43分2秒
返信・引用
  お久ぶりです。安房前期里見氏の稲村城現地学習会に参加してきました。天候不良のため残念ながら午後からの現地見学はなく午前の座学だけでした。
講師の岡田先生に発掘調査で主郭に建築物の痕跡はなかったのか質問しました。礎石がひとつ見つかっただけで、それ以外に建築物の痕跡はなかったそうです。しかし、主郭の一部しか発掘調査していないので明確に建築物があったか、なかったかは断言できないそうです。あと、岩盤掘削の登城路、東西の水往来ですが、余湖さんの見立て通り、築城時代のものではない可能性が大きいそうです。理由はここから攻めてきた敵に対する防御施設がないこととが一つ。もう一つは、東水往来を登城する時、右側に広がる段々畑のような腰曲輪の一部が、この登城路の左側に同じ面で続いていることが確認されたからだそうです。個人的には余湖さんの言われているように石垣城になっていることが同時代ではない一番わかりやすい証拠と思いますが。ただ、この東西の水往来の入り口部分にそれぞれ井戸があり、そこの井戸から主郭に水を運んでいたという伝承があり、水往来の由来になったとか。
初代里見義実の安房入部についても、結城合戦に敗れての落ち武者伝説は否定していました。足利成氏の命により安房の上杉勢を駆逐するため計画的なものであったとのこと。入部時期や場所についても、独自に考えがあるようでしたが、まだ確信がもてないということで明確にはおっしゃりませんでした。
最後に鎌倉大草紙にでてくる「十村の城」ですが、「稲村院」とかいて「とうそんいん」と読むお寺が過去にこの地域にあったようです。ですから、「十村」は「稲村」を音読みしたようです。個人的にはこの「稲」と言われるこの地域は「とう」里見氏以前にはと呼ばれていたのではないかと考えています。里見氏が来てから「いな」「いなむら」と呼ばれることが多くなったのではないかと。理由は鎌倉執権北条氏を滅ぼした里見氏の祖である新田義貞に関係してくるのではないでしょうか。新田と言えば稲村ケ崎・・・その稲村(いなむら)の読みが関わっているのかなと思いました。
長くなり失礼しました。12月22日、是非行きたかったのですが勤務の都合で残念ながらいけません。これからもHP参考にさせていただきます。では!
 

Re: 常陸太田城シンポジウム

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月12日(水)04時08分47秒
返信・引用 編集済
  > No.5794[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

太田城の見学会の申し込みをしていただいて、ありがとうございます。当日は、私やヤブレンジャーのお仲間で、ご案内をする予定です。

太田城については、遺構はほとんど失われてしまっているのですが、地元にお住いの仲間と散策して、あちこちに痕跡が残っているということを確認しました。といっても、やはり街歩きが中心となり、充実した遺構というのもほとんどないのですが、何といっても戦国大名佐竹氏の本拠地ですから、そうとうな規模の城郭だったようです。

それでは、22日、お目にかかることを楽しみにしています。

 

Re: 参考にさせてもらっています。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月12日(水)04時06分1秒
返信・引用
  > No.5793[元記事へ]

佐々木宏さんへのお返事です。

初めまして。いつも参考にしてくださり、ありがとうございます。地元のお城や歴史を外国の方に伝えていくというのは、実に有意義な試みですね。那須氏の歴史はなかなか面白いですから、外国の方にも興味を持ってもらえるのではないでしょうか。

那須氏関連のお城も、烏山城をはじめとして、充実した遺構が残っていて面白いお城が多いですね。近年、那須の方に出かけることはほとんどなくなってしまったのですが、時間があれば、また行ってみたいものです。

それではまたです。
 

常陸太田城シンポジウム

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2018年12月11日(火)20時38分48秒
返信・引用
  余湖様

いつも楽しみにHPを拝見させてもらってます。
実は来る12月22日の「常陸太田城シンポジウム」の太田城見学会参加申し込みをさせていただきました。
自宅が栃木ということもありちょいちょいと茨城の城跡にも出没してます。
当日お目にかかれることを楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。


 

参考にさせてもらっています。

 投稿者:佐々木宏  投稿日:2018年12月11日(火)19時27分57秒
返信・引用
  すっごくいいサイトです。気に入ってます。私は今、那須烏山市に住んでいて、比較的歴史には興味がある方です。そして今同時に地域振興的意味合いで外国人を当地に迎えおもてなしをしようという発想で英会話レッスンがさかんにおこなわれていましてその課題として当地烏山の歴史、城郭などに言及する部分もあり、私としては基本歴史が好きなのであれこれ調べているとこちらのサイト、100%参考になりました。正直、発表に際しほとんどこちらの記事を使わせてもらいました。皆初めて聞くような感じでそうなのか??って感じでしたが、多くの人はそうそう地元のことに詳しいわけではということ、ひしと感じ歴史の大切さを又痛感させられる、ある意味本当にいいサイトであると私は思います。歴史ファンに限らず多くの人達にこちらのサイトが愛されることを願うものです。  

Re: 常陸太田城シンポジウム

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月 1日(土)05時22分28秒
返信・引用 編集済
  > No.5787[元記事へ]

ちなみに常陸佐竹研究会のホームページでもこの企画のチラシが掲載されております。

http://satake-study-gr.sakura.ne.jp/

私の肩書が「茨城城郭研究会会長」となっておりますが、私は会長ではありませぬ。この会はみんな対等の関係なので、会長などは設置していないのです。

さらにいうならば、この「茨城城郭研究会」の本当の名称は「常総戦隊ヤブレンジャー」です(^^)/

 

Re: リンク貼らせてもらいました

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月30日(金)04時19分53秒
返信・引用
  > No.5790[元記事へ]

OSATOさんへのお返事です。

初めまして。わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。
このページはリンクフリーですので、よろしければご自由にリンクしてください。
また、画像等も、出典がこのページあることを明記してあれば使用できますので、よろしければご活用ください。

小手森城は、歴史的には非常に著名ですが、城としてはそれほどの規模のものではなく「あれっ」と思ってしまう城ですよね。でもやはり、歴史的事件のあった城を訪れるのにはいろいろと思い入れのあるものです。
最近は福島の城に行く機会がなかったのですが、とても懐かしくなりました。
それではまたです。
 

リンク貼らせてもらいました

 投稿者:OSATO  投稿日:2018年11月29日(木)21時59分41秒
返信・引用
  始めまして、OSATOと申します。
先月山城巡りをしてきまして昨日その模様をブログに挙げたのですが、その際こちらのページを参考サイトとしてリンクを貼らせてもらいました。
山城への詳細な考察等、現地を訪ねる際にも参考にさせていただきました。
続きもありますので、その際はまたリンクさせていただきますので宜しくお願い致します。

https://blog.goo.ne.jp/osato512/e/5c32b4c098d2ebf1fd3f704dac375f45

 

Re: 常陸太田城シンポジウム

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月28日(水)18時54分52秒
返信・引用 編集済
  > No.5788[元記事へ]

かず@川崎さんへのお返事です。

おお! かず殿、お久しぶりです。お元気でしたか?

シンポジウムの方は申し込みは必要ありません。

見学会については、要項は以下の通りです。

◇開催日時
 12月22日(土)9時30分―11時
◇集合場所
常陸太田市民交流センター(パルティホール裏駐車場(常陸太田市中城町)
◇見学先
 太田城碑、太田小学校周辺、帰願寺
◇案内人
 茨城城郭研究会会員(おそらく余湖、五十嵐、青木)
◇募集人員
 30人
◇参加費
 100円(保険代・資料代)
◇参加申し込み先
 常陸佐竹研究会ホームページから申し込み

申し込みは以下のページからできるようです。

http://satake-study-gr.sakura.ne.jp/index.html

 

Re: 常陸太田城シンポジウム

 投稿者:かず@川崎  投稿日:2018年11月28日(水)14時50分21秒
返信・引用
  お久しぶりです。
このシンポの申し込みってあるんでしょうか?
見学会の集合場所は、、、
まだこれからでしたらすみません~
よろしくお願いします。
 

常陸太田城シンポジウム

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月26日(月)04時39分53秒
返信・引用 編集済
  常陸太田城についてのシンポジウムが開かれます。よろしかったら、いらっしゃってください。

◇開催日時
 12月22日(土)12時30分―16時40分

◇開催場所
 常陸太田市民交流センター(パルティホール)大ホール
 常陸太田市中城町、電話0294-73-1234

◇講演者
 高橋修氏(茨城大学人文社会科学部教授)
 テーマ「佐竹郷から太田へ ―中世前期佐竹氏の本領についてー

 佐々木倫朗氏(大正大学文学部教授)
 テーマ「佐竹の乱と太田城」

 余湖浩一氏(茨城城郭研究会)
 テーマ「太田城のすがた」

◇パネルディスカッション
 テーマ「佐竹遺産を活かす取り組みについて」

◇コーデネーター
 冨山章一氏(常陸佐竹研究会会長)
◇パネリスト
 和田忠彦氏(若宮八幡宮宮司)
 土田惣一氏(さたけの郷プロジェクト委員会委員長)
 片野勝利氏(ふるさとの祖歴を学ぶ会会長)
 岩間正典氏(国安げんき会会長)
 岩間昭氏(未来へつなぐ久米城跡保存会会長)

なお、午前中には太田城の見学会も行われます。
 

吾野リュウガイ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月25日(日)14時38分52秒
返信・引用
  これも飯能市のお城。

山頂のリュウガイ城、中腹の岡部屋敷ともに、そこそこ見どころはあるのであるが、登山道はなく、斜面はけっこうきつい。

なかなか上るのが大変な山である。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/hannousi01.htm#agano
 

本陣山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月25日(日)14時37分44秒
返信・引用
  これも飯能市のお城。

老人ホーム吾野園の東側の山稜が城址である。ところが、すぐ東側ではなく、さらにその東側が城址となっている。

そのため尾根を大きく回り込まないと行けず、それがけっこう面倒くさいのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/hannousi01.htm#honjin
 

名栗根古屋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月25日(日)14時35分14秒
返信・引用
  これも飯能市のお城。

諏訪神社の隣にそびえているいかにも急峻な山が城址である。

道はなく直登するしかないが、山の斜面には小さな石が多くて滑りやすい。

遺構もたいしたことはなく、労多くして・・・という城であった。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/hannousi01.htm#naguri
 

妻沢リュウガイ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月25日(日)14時33分36秒
返信・引用
  これも飯能市のお城。

原市場の妻沢地区の南側にそびえている急峻な山上に築かれている。

遺構はなかなかよく残されているのだが、登城道の途中が倒木だらけになっていて、どうにも歩きづらい山であった。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/hannousi01.htm#tumasawa
 

小瀬戸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月25日(日)14時32分1秒
返信・引用
  これも飯能市のお城。

小学校の背後の山稜に築かれた城である。小規模ながらしっかりとした堀切が掘られている。

先端部には金毘羅社が祭られていた。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/hannousi01.htm#kosedo
 

大河原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月25日(日)14時29分45秒
返信・引用
  埼玉県飯能市のお城。

山上の要害と中腹の屋敷とがセットになった城郭である。

ハイキングコースとなっているため道が整備されており、何人もの人が訪れていた。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/hannousi01.htm
 

Re: 美作の城巡り

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月25日(日)14時28分40秒
返信・引用
  備前守長政さんへのお返事です。

美作の城ですか、いいですね。中国地方はそれほど行っていないので、うらやましい限りです。

矢筈城は、私もいつかは行きたいと思っているのですが、大変そうなうえに時間もかかりそうなので、まだ未訪問です。それほど感動できる城ならば、ぜひ行ってみたいところですね。

神楽尾城、医王寺城も面白そうですね。機会がありましたら行ってみたいものです。

長野も平野部はまだ雪が降っていないようですから、12月も前半でしたら、二十端城はなんとか行けるのではないでしょうか。

この三連休は山城歩きに一番いい季節なので、年度当初から遠征の予定を入れていたのですが、1日目に用事を入れられてしまったので、遠征に行けなくなってしまいました。仕方がないので、昨日日帰りで行ける山城を歩いてきたので、この後、紹介したいと思います。

 

美作の城巡り

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年11月25日(日)08時55分25秒
返信・引用 編集済
  美作の城を見に行き、今朝帰って来ました。

行ったのは、津山城(再訪)、矢筈城、神楽尾城、医王山城、荒神山城等です。

津山城はもみじ祭期間中で夜も入れましたので、朝と夜、二度行きました。券売所で再入場希望を告げると、再入場券をくれます(桜祭期間中も夜入れますが、同じ仕組みだと思います)。

矢筈城は比高400米越えの峻険な山城ですが、ひたすら感動しました。余湖さんお勧めの二十端城もきっとこんな感じなのでしょう。
知和駅下りて徒歩5分の神社から登り、美作河井駅に下りるルートで行ったのですが、これがベストだと思います。丁度津山駅から知和駅に着く始発(といっても正午過ぎですが)で行くと、一回りし下りると、美作河井駅から津山方面に戻りの便があります。車だと山の上を往復し元の場所に戻るとなると、けっこう東西の郭群にアップダウンがあるので、時間と体力消耗すると思います。
それと落ち葉に難儀しました。一応登山路は整備されていますが、だいぶ埋まっていて滑りやすいです。登山口の杖を借りておけば良かったと後悔しましたが後の祭り。それでも落ちていた木を杖がわりに、慎重に下りました。峻険な坂なのでけっこう怖かったです。

神楽尾城は手軽に登れますが、二の郭下から上がり三の郭から下りると、けっこう離れた所に下り、車をとめた神楽尾公園迄の道案内も途中から無くなり、道も分かりにくいので、元のルートから下りる方が良いかも知れません。

医王山城は主郭の石積や南の郭の畝状阻塞、北尾根の堀切群など見処満載です。主郭からの眺めもサイコーでした。
荒神山城も横矢の効いた土塁や井戸遺構など見ごたえ有りました。最後、日が暮れてかなり慌てて下りましたが、登山路がしっかり整備されていますので大丈夫でした。

美作はまだ沢山おもしろそうな城があるので、また行きたいと思います。

処で例の二十端城、長野の雪便りが遅れているので、12月に行けないだろうか思案中です。矢筈城行けたので、二十端城も十分行けそうに思います。高い城は眺望が素晴らしいので、期待しています。

それでは、また。
 

Re: 長野で最も歩きがいのある山城!

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年11月12日(月)07時12分30秒
返信・引用
  >余湖さんへのお返事です。

ありがとうございます。

登りは尾根上を目指すだ
けですから直登する限りは迷いませんね。確かに、道に迷う時は大概下りでした。

最近、比高差のある山城に惹かれるものがあり、飛び付いてしまいたくなりました。

行かないという選択肢は無いのですが、寄る年波、用心にこしたことはないと、お訊ねしました。

それではまた。
 

Re: 長野で最も歩きがいのある山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)20時31分28秒
返信・引用
  > No.5776[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

これ、お勧めです。想像していたよりも歩きやすくて、比高500mあるといっても、途中で城の遺構を見ながらの登りであったので、精神的に疲れることもなく登りきりました。

二十端城の登りには基本的に道はありませんが、尾根筋をひたすら登って行くだけなので、先ず迷うことはないと思います。

ヤブになっているのも、登り口の最初のうちと、途中の数カ所のみなのでそれほどひどくはないです。

三の城の手前の斜面が一番きつかったですが、木や草に掴まって行けば、何とか登れます。

危険個所は、滝之入城のすぐ直前の岩場くらいでした。これは左側に回り込めば普通に登って行けました。

登りでこちらのコースを通って行ったというのもよかったと思います。山稜を登る際には、ただ高い方を目指すだけなので、先ず迷うことはないですからね。
逆に降りでこのルートを通ったら、あるいは違う尾根の方に降りていく可能性もあったかもしれません。

私は近年、山の中で迷いそうになってしまった時には、地図ロイドで自分の位置を確認したりするのですが、この城では地図ロイドのお世話になることもありませんでした。磁石のお世話にならずとも行けるかと思います。

半日ほどあれば充実した城歩きができるコースですので、よろしかったらぜひチャレンジしてみてください。

それではまたです。
 

Re: 長野で最も歩きがいのある山城!

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年11月11日(日)16時33分59秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。


すごくそそられますね。是非行きたいです。そこで教えて頂きたいのですが、二十端城、一の城の手前と三の城にかけては道がなく、藪を行ったり岩登りが必要だそうですが、道に迷うようなことは無かったですか?稜線を磁石頼りに登れますか?稀代の方向音痴なので少し気になります。

宜しくお願いします。

 

草間城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)09時08分1秒
返信・引用
  これも中野市のお城。

平地上の微高地に築かれた城で、宅地となってしまっており、遺構はよく分からない。

それでも入口に標柱が立てられているので、城址であることは確認できる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nakanosi02.htm#kusama
 

立ヶ花城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)09時06分44秒
返信・引用
  これも中野市のお城。

千曲川に臨む断崖上に築かれている。鉄塔が建てられているので場所は分かったのだが、そこまでどうしてもアクセスできない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nakanosi02.htm#tategahana
 

牛出館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)09時05分38秒
返信・引用
  これも中野市のお城。

台地縁部に築かれた城館であるが、宅地造成のために、北側の土塁が一部残っているだけである。これも非常に分かりにくい場所にあるのであるが、地元の方の案内で残存遺構を見ることができた。ありがとうございました!

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nakanosi02.htm#usiide
 

安源寺館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)09時04分25秒
返信・引用
  これも中野市のお城。

安源寺城と関連した城館であったと思われる。一面がリンゴ畑となっているが、わずかな土手と土塁の一部が残る。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nakanosi02.htm#yakata
 

安源寺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)09時03分21秒
返信・引用
  長野県中野市のお城。

山稜上に築かれた壮大な山城であるが、築城途中で放棄された城であるらしい。山の上まで車で行けるのでその点では楽チンである。

ところがその先のヤブがひどい。耕作が放棄された畑の跡というのは、とても足を踏み入れられるものではない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nozawaonsenmura01.htm#hirabayasi
 

平林館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)09時01分28秒
返信・引用
  これも野沢温泉村のお城。

西浦城を築く前の平林氏の居館である。国中平神社の境内となっているが、土塁は現在も明瞭に残されている。
http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nozawaonsenmura01.htm#hirabayasi
 

西浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)09時00分32秒
返信・引用
  長野県野沢温泉村のお城。

平林氏が戦国期に築城した城郭である。千曲川に臨む側は断崖で要害地形となっている。

1郭には城址標柱が立てられているのだが、全体にヤブである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nozawaonsenmura01.htm
 

犬飼館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時54分38秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

平地上に浮かぶ島のような土手の上が城館である。城内には八幡神社が祭られている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi04.htm#inukai
 

柏尾館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時53分52秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

単郭の居館であるが、現在でもしっかりとした土塁が残されている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi04.htm#kasio
 

上境城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時53分12秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

台地先端部にあり、大規模な堀切と切岸で守られた城郭であり、それなりに見どころがある。

北側からなら車でアクセスできるのであるが、この道が地図に載っておらず、西側からアクセスしてしまった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi04.htm#
 

今井館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時41分56秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

単郭の居館であり、学校が建てられていたということもあって、かなり破壊されている。

それでも堀の跡はそれなりに残されている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi03.htm#imai
 

顔戸館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時40分45秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

現状ではただの水田であまりぱっとしないが、本来は、かなりきちんとした城郭であったらしい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi03.htm#goudo
 

中条城・累城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時39分54秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

この人尾ずれた城郭の中では最も見どころのあるものであった。

中条城と塁状との間を区画する四重堀切は、堀切好きな人にはたまらないものである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi03.htm#tyujou
 

小佐原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時38分35秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

台地縁にかろうじて堀や土塁を残している。現状では小規模なものである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi03.htm
 

大川日蔭城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時19分2秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

長野には隠里のような集落があるのだが、大川地区もその1つである。この集落を守るための城であった。

ここでは地元の方に大根をいただいてしまった。遠慮したのだが、「とにかく持ってけ」とおっしゃる。どうもありがとうございました。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi02.htm#hikage
 

静間館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時16分34秒
返信・引用
  これも飯山市のお城。

『保元物語』や『平家物語』に登場する志津間氏の居館と言われている場所。古い時代の館である。

土塁が一部残されている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi02.htm#sizuma
 

蓮城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)08時13分53秒
返信・引用
  長野県飯山市のお城。

千曲川に臨む断崖の上に築かれた山城であり、1郭周囲の切岸など現在でも往時の貞享を保っている。

しかし、全山ヤブの中である・・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iiyamasi02.htm
 

戸草城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)07時28分5秒
返信・引用
  これも信濃町のお城。

木曽義仲の陣城と伝えられているところである。

そんな古い城館が残っているものか、と突っ込みたくなってしまうところであるが、実際に義仲がここを通って行った可能性が高く、ありうる話なのかなとも思われる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/sinanomati02.htm#tokusa
 

古海城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年11月11日(日)07時26分48秒
返信・引用
  これも信濃町のお城。

チャシのような独特な形状をしているので、実際に訪れてみたかった。

山頂まで誰かが道を付けてくれていた。ヤブを切り払って人ひとりがやっと通れるような道であるが、1年もすればまたヤブに埋もれてしまうに違いない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/sinanomati02.htm#hurumi
 

レンタル掲示板
/60