teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


同心円状石垣

 投稿者:田中 秀昭  投稿日:2018年 2月23日(金)12時58分8秒
返信・引用
  余湖様のおっしゃる通り、完全に合致する石垣はないような気がします。
私も縄張りと石垣を中心に、全国の様々な300城余りの城を見ましたが、思い当たる節がありません。江戸城には百回以上行っていますが、なんとなく石室と富士見多聞櫓の辺りに違和感を感じていました(具体的に説明できません)。
本丸富士見櫓の近くで、蓮池濠のこの石垣のある反対側には西ノ丸のお局門と屋敷。
白河小峰城半同心円の鷹の目の様に、敵を威嚇する目的ではありません。

しかも、真ん中が窪んでいるというのは、裏込め石がなく、すぐに土塁ではないか?

一昨年の「乾通り一般公開」の時に見つけて、ずっと調べていましたが思い当たりません。
様々なサイトに問い合わせたり、国会図書館・日本公文書館にも通っています。
近々公文書館に行く予定ですので、範囲を広げて探してみます。
もし他の城で似たような石垣が見つかれば、参考になりますのでご一報頂ければ、幸いです。
これからも余湖さんの全国の城の縄張り図を参考にさせて頂きます。
日本のお城、奥が深いですよね。
 
 

Re: この石垣と同じ石垣を捜索中

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月23日(金)04時31分38秒
返信・引用
  > No.5380[元記事へ]

田中 秀昭さんへのお返事です。

石垣だけでは、確実にどこかというのは、難しいですね。何かヒントはないのでしょうか? あるいはどういう経緯でこの石垣の所在を調べることになったとか。

丸く円を描くような石積み方法は、まさに白河小峰城のものと一致しますが、小峰城の石垣は、もっと隙間のない積み方であったと思います。さらに、小峰城の場合は、こんなに周囲に樹木は茂っていないので違うと思われます。

雰囲気的には松山城の石垣に似ているような気がしますが、あくまでも印象的なものですので、はっきりとしたことは分かりません。


 

この石垣と同じ石垣を捜索中

 投稿者:田中 秀昭  投稿日:2018年 2月21日(水)21時47分14秒
返信・引用
  余湖様へ
初めまして、不束ながらお城のご案内を少しだけ始めております。
いつも余湖さんの縄張り図を見ながら、お城の構造を勉強しております。
出来栄えや収録されている、お城の数には、ただただ圧倒されております。
これからも、お城のご案内に出掛ける前には、必ず参考にさせて頂きますので
どうぞ宜しくお願い致します(コピペは行っておりません)。
さて、添付写真のような石垣を、何処かで見た記憶はございませんでしょうか?
(江戸城蓮池濠、松の大廊下の辺りで富士見多聞から20mほど富士見櫓寄り)
比較的に似ているのが「白河小峰城の鷹の目積み」になるかと思いますが
明らかに違います。
ご教示願えれば、幸いです。

https://www.facebook.com/hideaki.tanaka.1420

 

Re: 竜貝城・奥野城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月20日(火)21時30分25秒
返信・引用 編集済
  > No.5376[元記事へ]

近江兄弟さんへのお返事です。
こんばんは、あんけんと申します。
> これはびっくりしました。どこで調べられました?
昨年歴史民俗資料館のスタンプラリーに釣られて赴き、稲敷の遺跡分布図を入手してました。
> 地元では長者屋敷というのは聞いたことがないですが、
残念ながら分布図によると調査後隠滅とあるので、報告書を読みたいものですが、いせきぴあという県内の資料・報告書を一括に収集してる施設に稲敷市の資料は全く来ておらず、また市としても遺跡の詳細は防犯の理由で情報公開しない方針のようです。
> 文がよく読み取れなくて恐縮ですが、奥野城は実在が判明しているのですか?正直自分も伝説の類だと思っていたのですが……。
公式にはこちらは城館跡とはされてません。ですが両方の話がごっちゃになりそうなのでその伝承の場所を挙げただけでした。
竜貝の地ですが、龍ヶ崎との市境に近く東西に並ぶ城跡の空白地域ではありますが、城跡はどこなのでしょうね。
 

Re: 奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時45分32秒
返信・引用
  いばらきデジタルマップを見る限り、平地の城館ではなくかつて存在していた古墳を利用していたとも考えられます。  

連コメ申し訳ないです

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時35分33秒
返信・引用
  いばらきデジタルマップ確認しました。けっこう色んな遺跡があるものですね。

長者屋敷跡は下根本になるので竜貝城とは違うかなあ、という感想ですがどうなんでしょうね。
市史・町史を見ればなにかわかるかもしれませんが大合併などあったのでどうなっているか……
昔のことで記憶があやふやですが「新利根町史」は主要な寺院を触れた程度の内容のうす~いものだったような気がします。
 

Re: 竜貝城・奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月20日(火)15時23分59秒
返信・引用
  これはびっくりしました。どこで調べられました?

地元では長者屋敷というのは聞いたことがないですが、別府という地名は確かにあります(あの辺りは小字の区分が細かくてどこがどこまでなのか曖昧なところがありますが……)

文がよく読み取れなくて恐縮ですが、奥野城は実在が判明しているのですか?正直自分も伝説の類だと思っていたのですが……。

しかし別府曽根遺跡も竜貝遺跡もはじめて知りました。あまり近辺の人も知らないのではないかと思います。そもそも神明神社自体、あのあたりを頻繁に通る自分も存在を知りませんでした……貴重な情報感謝します。
 

竜貝城・奥野城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月20日(火)07時05分23秒
返信・引用 編集済
  おはようございます、あんけんです。
ちょっと割り込み失礼して、昨夜それぞれの場所を調べてみました。
竜貝城の可能性のある「小字竜貝」が神向寺城の西約1kmの
35°55'22.2"N 140°15'11.4"E
周辺から北西方向の台地上で、、称蓮社寝釈迦堂があり、いばらきデジタルまっぷには「竜貝遺跡」という複合遺跡としてポイントされてます。ただ中世は竜貝遺跡の時代には入ってません。この東350mくらいの神明神社周辺は長者屋敷跡という城館跡としてポイントされてます。すぐ西の別府台遺跡からは中世の遺物が出てるようです。
その城主の奥方の館跡がその南の水田の中にあり、下別府曽根遺跡とされる細長い住宅地の北西隅にある写真の塚が
35°55'01.6"N 140°14'57.1"E
で、周囲は微高地で明治迅速図だと周りは畑なのに、ここだけ「草」と表記されてます。

長者屋敷跡と竜貝城が同一かは判りませんが・・・。
 

Re: 奥野城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月20日(火)04時10分9秒
返信・引用
  > No.5373[元記事へ]

近江兄弟さんへのお返事です。

たびたびの情報、ありがとうございます。

写真からではどの場所かは分からないのですが、写真を見る限りでは、山ではなく、平地の城館であったということでよいのですね?

 

奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月19日(月)18時18分10秒
返信・引用
  送れてはいましたね。
これでわかるかは微妙ですが……
 

Re: 奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月19日(月)18時15分27秒
返信・引用
  小字「竜貝」は、現在阿弥陀寺寝釈迦堂のあたりから流通経済大学フットボールフィールドあたりまでのごく狭い範囲です(役場に行けば詳細な区分わかると思いますが……)。
私は城についてはまったく素人なので遺構などはわかりませんが、山の上ですので可能性は大いにあると思います。寝釈迦堂との関係は不明です。

座標わからなかったとのこと、残念です。スクリーンショットを送りたいのですが容量不足らしく送れないようで……いちおう試してみてはいます。

Googleearthのストリートビューでいちおう見られる道なので探せるっちゃ探せるかもしれません。祠がある田んぼが近くにないので……
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月19日(月)05時00分7秒
返信・引用
  > No.5369[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

東松山市の高坂館でしたか。あそこは古墳を利用した中世城館であったかと思われる場所ですね。


 

Re: 奥野城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月19日(月)04時59分25秒
返信・引用
  > No.5368[元記事へ]

近江兄弟さんへのお返事です。

稲敷市の城館の情報、ありがとうございます。この城については、把握していないのですが、「龍貝」といった地名が残っていることからすると、城館が存在した可能性はかなり高いと思われます。ただし、耕作化によって消滅してしまっているのではないかと思われます。

googlemapの検索でこの位置情報を入れてみたのですが、場所は特定できませんでした。後でよく調べて、戦後直後の航空写真でも見てみたいと思います。

 

(無題)

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月18日(日)22時08分54秒
返信・引用
  すみません、東松山市の高坂館跡でした。余湖さんが図では4基古墳として描かれてる、
一番上が1号墳
その南の城山稲荷は土塁
右端の古墳Cが2号墳
下の古墳Bが5号墳
で、前回最初の画像が古墳Bの東の堀の部分で、残りが高済寺の西側での土塁と堀でした。南北朝以前は発掘現場の様な堀で構え、戦国期に西側のような防御になったと推定されてます。
当日配布資料には過去の発掘図も合わせたものが載ってて、余湖さんのイラストの様に折れの有る堀のラインが推定されてます。
 

奥野城

 投稿者:近江兄弟  投稿日:2018年 2月18日(日)18時26分20秒
返信・引用
  ずっと前、稲敷市上根本にある竜貝城についてお話した者です。
竜貝城のことはなにもわかっていないようです(いちおうあの辺の小字を竜貝といいます)が、地元の古老によると竜貝城城主の奥方の館が近くにあったようで、通称を奥野城と言ったようだという話をしました。

奥野城のあったあたりは田んぼとなっているのですが、数十年前?に神主を呼んで慰霊を行った際には神主いわく「霊がいっぱい出てきた」と言っていたようなので、戦で奥方も殺されてしまったのかもしれません(もっとも古老の意見としては「もっともらしいことを言えばいいと思ってる」とのことでしたが)。

奥野城とされる場所には祠がたっていますが、どうやら慰霊の際に建てたもののようなので特に遺構はないと思います。というか城ではなくただの館だったのでしょう。

GoogleMAPは詳しくないのですが、座標を貼れば理解できますでしょうか?いちおう記しておきます。

35.9168653、140.2494052
 

Re: 高坂館

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時15分4秒
返信・引用
  > No.5363[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

この古墳がどこにあるのか分からないのですが、お話からすると、古代の集落跡のようですね。古代の集落と言っても、土塁や堀、虎口などがあるものもありますから、一種の城郭と言っていいものだと思います。機会があれば、ちょっと立ち寄ってみたいものです。



 

Re: 山崎陣屋

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時13分5秒
返信・引用
  > No.5362[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

山崎陣屋のことはよく分からないのですが、基本的に車で回っているので、バスを使うことはないと思います。

関西地方に行った際には訪れてみたいと思います。
 

Re: 新地城(蓑首城)について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時08分10秒
返信・引用
  > No.5361[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

新地城が整備されているのですね。3.11の大震災以降、福島には訪れていないので、なんだかとても懐かしい気分です。

新地城は以前も割合綺麗に整備されていましたが、一部はヤブのままでした。さらに見やすくなっているとはうれしい限りです。近くまで立ち寄る機会があったら、ぜひ訪れてみたいと思います。

 

Re: 雨引山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月18日(日)17時06分10秒
返信・引用
  > No.5360[元記事へ]

くりやさんへのお返事です。

こちらこそ、先日はありがとうございました。watanabeさんもくりやさんも、想像していた通り図が緻密で素晴らしかったです。

ぜひ、またご一緒させていただきたいと思いますので、その説はよろしくお願いいたします。

 

高坂館

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 2月17日(土)23時56分31秒
返信・引用 編集済
  こんばんは、あんけんです。
またまた発掘ネタで済みません、と言っても現地説明会には自分も行けなかったのですが。

古墳C(高坂2号墳)の南で複合遺跡の発掘があり、古墳跡等に混ざって東西方向の堀跡が出てます。ただ場所が限定されてて虎口跡は見つかってないそうです。当日は他に西の間もなく消滅させる円墳や高済寺、更に東側の水路も周って説明があったそうで、そのためかどうかは不明ですが寺の西側の堀も土塁も奇麗になってました。加賀爪氏歴代の墓所は古墳改造のようですが、城山稲荷の場所は古墳ではなかったようで、稲荷そのものも土塁上から境内側に移設されてます。ストリートビューで見て頂くと分かりますが、山門も周りが開けてめちゃくちゃ浮いて見えてしまいます。
 

山崎陣屋

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 2月14日(水)23時29分52秒
返信・引用
  東京方面から公共交通機関で行くには、JR三ノ宮駅下の神姫バス山崎行きが至極便利。
絵図等が展示したあると図書館は、日曜開館が原則でも休日と重なる場合閉館。

城もさりとても因幡街道と美作街道との分岐点になっている商店街があと十年も
すれば更地になる可能性もあります。
 

新地城(蓑首城)について

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2018年 2月13日(火)20時44分4秒
返信・引用
  いつも困るたびに鳥瞰図をお借りさせてもらってありがとうございます。
で、今回は新地城の紹介でお借りしたのですが、新地城の北側の堀の杉林ががっつりと伐採されていたのでご連絡しました。

何のための伐採かは不明ですが、西館~北屋形~東館の北側の堀が見やすくなっていました。

以上です。
写真掲載URL=http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-974.html

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

Re: 雨引山城!

 投稿者:くりや  投稿日:2018年 2月13日(火)13時22分28秒
返信・引用
  > No.5355[元記事へ]

一昨日はいろいろとありがとうござました。
皆様とお会いでき楽しい一日を過ごすことができました。
茨城県については、歴史背景や地理関係が不案内で皆様から多くのことを学ばせていただきました。
機会がありましたらまたよろしくお願いいたします。
 

Re: 2.11城ツアー

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月12日(月)20時48分54秒
返信・引用
  > No.5357[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

昨日はお疲れさまでした!

その若さで山城めぐりを始めているとは、実に将来楽しみですね。この調子なら数十年後には、茨城の城郭のオーソリティになっているかもしれませんね。

昨日は途中で帰ってしまいすみませんでした。西明寺城にも行かれたのですね。あそこも栃木の山城でもベストの部類ですので、結構楽しめたのではないでしょうか。

学校ともども、趣味の方も、これからもまた頑張ってください。
 

Re: RE;雨引山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月12日(月)20時46分38秒
返信・引用
  > No.5356[元記事へ]

栃木県の中世城郭さんへのお返事です。

昨日はこちらこそ、ありがとうございました! watanabeさんには、一度お目にかかりたいと思っていましたので、大変、うれしかったです。

予想通り、生で見た渡辺さんの図は、かなりの迫力がありました。図の精緻さではまったくかなわないなあと思いました。

ホームページの件、まったくもって同感です。本を出すからホームページ閉鎖しろなんて言われたら、私だって100パーセント断ります。言っていることが意味わからないというか、頭悪いとしか思われません。『図説 茨城』では、むしろ「ホームページで宣伝してください」と言われていましたから。

この間お話ししたプロジェクト、ぜひ私たちも協力させていただきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いします!

 

2.11城ツアー

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 2月12日(月)19時06分17秒
返信・引用
  こんばんは。
昨日は、お城ツアーに誘ってくださって
ありがとうございました。
雨引山の頂上のお城の遺構が
かっこよかったです!
また、西明寺城の食い違い虎口の形
凄く気に入りました。
どの城もまた行きたいです。
 

RE;雨引山城!

 投稿者:栃木県の中世城郭  投稿日:2018年 2月12日(月)19時00分46秒
返信・引用
  昨日はお世話になりました。MASAKIです。
あら!もうアップされたんですね。はやっつ!
そのスピーディさと正確さに圧倒されます。
これだけ書かれちゃうと、2時間も早駆けした私たちはなんだったろう、と思ってしまいます。

昨日は、今まで電脳上でしか会話してない皆さんに直接お会いでき、本当に良かったです。
また、余湖さんやウモさんに、私のホームページ閉鎖事件の件で共感頂き、涙が出そうになりました(マジです)。
やっぱり、ホームページを運営している人でないと、この激しい怒りと痛みはわかって頂けませんよね。
そういう意味では、本当に貴重な一日となりました。
これを機に、今後共よろしくお願いします。
 

雨引山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月11日(日)22時06分44秒
返信・引用
  雨引山に城があるという話を聞いて、久しぶりのオフ会に参加してきた。山城を登るのは久しぶりだったのだが、意外と立派な城であり、まずまず満足である。

ここで栃木の皆さんとも出会うことができた。以前から一度お目にかかりたいと思っていた皆さんである。今日はありがとうございました!

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/sakuragawasi02.htm
 

Re: はじめまして

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 2月11日(日)22時05分6秒
返信・引用
  > No.5353[元記事へ]

むぎさんへのお返事です。

初めまして。城ブームなのか、日本100名城を回っているという方が増えているようですが、メジャーな城を回り切ってしまうと、自然と中世城郭に目が向いてくるようですね。中世城郭は身近なところにたくさんあるので、頑張って回ってみてください。

逆井城のページを拝見しましたが、物見櫓の中に立ち入れるようになっているのですね。東日本大震災の後、しばらくは安全上の理由から立ち入れなくなっていたのですが、または入れるようになったのは喜ばしい限りです。

それではまたです。

 

はじめまして

 投稿者:むぎ  投稿日:2018年 2月10日(土)05時47分56秒
返信・引用
  はじめまして。
「むぎの城さんぽ」というブログを書いている者です。
最初は日本百名城を巡っていたのですが山城の魅力にとりつかれてしまい
それ以来こちらを参考に私でも行ける山城かどうか判断材料にさせていただいてます。
また、山で迷子にならないよう鳥瞰図も参考にさせていただいています。
これからも画像や鳥瞰図を参考に山城攻めをしていきたいと思っています。
宜しくお願い致します。

http://blog.goo.ne.jp/mugiide

 

Re: 城好きな眼鏡小僧さんへ

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 2月 5日(月)18時34分53秒
返信・引用
  > No.5351[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。
2月の城ツアー行きます!
藤井城についてですが、
3月25日あたりがあいているのですが
どうでしょうか。
部活の予定が出ていないので
なんともいえないのですが…。
よろしくお願いします。
 

城好きな眼鏡小僧さんへ

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 2月 4日(日)09時06分3秒
返信・引用
  お世話になっております。
50stormです。藤井城の件、今度一緒に探しませんか?
貴殿の予定だと土日休日がメインになるかなと思います。3月くらいに一緒に探しましょう。

なお、2月11日ツアーを考えています。一緒に行きませんか?
 

(無題)

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 2月 3日(土)16時40分57秒
返信・引用 編集済
  ありがとうございます。
もし見つけたときには
この掲示板に位置画像付きで
書き込ませていただきます。
 

Re: 水戸市の御局屋敷について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月30日(火)04時46分23秒
返信・引用
  > No.5348[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

御贔屓にしていただいて、ありがとうございます。

御局屋敷についてですが、『城郭体系』の一覧には掲載されているものの、『茨城県遺跡地図』では見つけることができず、場所の特定ができずにいる物件です。『遺跡地図』にも漏れはありますから、実際には何か残っているのに未掲載というケースもあり得ます。

「堀ノ内」地名が残っているとのことですので、堀ノ内の地名があり、遺構らしきものがあるとすれば、ほぼ間違いないのではないかと思います。


 

水戸市の御局屋敷について

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2018年 1月29日(月)19時12分50秒
返信・引用 編集済
  ご無沙汰しています。
12月2日はありがとうございました。
いつもお城へ行ったり調査するときに
このサイトを使用させていただいています。
そういえば、水戸市のページを見たときに明確な位置が書いてなかったのですが、
藤井町に有ると言われている御局屋敷はまだ見つかっていないのですか?
どうもそれに近い地形を見つけたのですが…。
 

Re: 泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:比企下総  投稿日:2018年 1月28日(日)12時35分50秒
返信・引用
  > No.5346[元記事へ]

ご回答いただきまして、ありがとうございます。
そうでしたか。しかし個人では無く
まさか自治体がこのような事をしてしまうとは信じられません。
とても残念です。
 

Re: 泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月28日(日)07時44分36秒
返信・引用
  > No.5345[元記事へ]

比企下総さんへのお返事です。

お久しぶりです。『図説茨城』ご愛読いただきありがとうございます。

また、泉頭城について、お知らせいただいてありがとうございます。
さっそく、ネットで現在の案内板を探してみてみました。

みたところ、私の鳥瞰図とほぼ同じといっていいものですね。私が描いたものではないので、私の図をそのまま下敷きにして描いたもののように見えます。
しかし、特に「使わせてください」などとは言われておりません。

私の図は出典さえ明記してあればご使用は自由とうたっていますし、参考にしていただいても全くかまわないのですが、一言「余湖くんのホームページを参考にした」と書いていただければうれしかったです。

出典を明記してあれば自由に使っても構わないと言っているのに、あえて自分のオリジナルのようにしている人が時々いて、とても悲しくなってしまいます。



 

泉頭城の鳥瞰図

 投稿者:比企下総  投稿日:2018年 1月27日(土)09時17分53秒
返信・引用
  ご無沙汰しております、比企下総と申します
(2度目の書き込みで失礼いたします)。
ホームページ、及び茨城の城郭、続・茨城の城郭、いつも参考にさせていただいてます。

ところで、Twitterのフォロワーさんに、
静岡県泉頭城の案内板の鳥瞰図が
余湖さんのものと酷似していると教えて頂きました。
こちらは、余湖さんご本人が書かれたものなのでしょうか?
 

Re: 諏訪山北の要害

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月18日(木)05時03分38秒
返信・引用
  > No.5342[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

諏訪山北城の情報、ありがとうございます。横尾さんの情報を読んでみて、ますます行ってみたくなりました。

現在、城めぐりのシーズン真っただ中とはいえ、仕事の方が忙しく、今の所、まったく城めぐりに出る時間が取れません。

時間が取れたら、ぜひとも行ってみたいです。

重ねての情報、ありがとうございました。

 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月18日(木)05時01分58秒
返信・引用
  > No.5341[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

水戸城の復元計画、面白そうですね。なにしろ茨城でもっとも有名な城郭だと思うので、完成した暁には茨城を象徴する城址になる可能性がありますね。

栃木の宇都宮城も、かつてはほとんど湮滅状態にあったのが、復元されてなかなか立派になっており、市民の憩いの場となっています。あんな感じになったらいいなと思っております。

櫓台の礎石がなかったというのが不思議です。取り払われてしまっていたということなのでしょうが、土塁の上に復元する櫓というのはなかなか難しそうですね。

重ねての情報、ありがとうございます。

 

諏訪山北の要害

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月17日(水)22時14分37秒
返信・引用
  諏訪山城の北尾根に「栃木県の中世城郭」との菅臨さんが、新発見の山城があるとの情報をお知らせしましたが、実際、私も登って見てきました。縄張りの中に大岩を利用した本丸には感動しました。これほどの山城が未登録であるのは残念に思い、鹿沼市文化財課に連絡いたしましたところ回答が来ました。
「本市では、諏訪山城跡をはじめ、城館跡を「周知の埋蔵文化財包蔵地」として、文化財保護法に基づき保護しております。
ご指摘の諏訪山城跡の北尾根の遺構につきましては、当方でも平成29年4月に踏査を行い、その存在を確認しましたが、「周知の埋蔵文化財包蔵地」への追加登録は未了であります。現在、資料を整え、追加登録の準備を行っているところであり、早急に登録し、文化財保護法に基づく保護策を講じたいと考えております。
城館跡の保存整備は、ご指摘のとおり史跡として指定することが重要です。
史跡指定は、「土地所有者による同意・申請⇒教育委員会へ諮問⇒文化財保護審議会の調査・答申⇒教育委員会が指定・告示」の手続きが必要となります。諏訪山城跡につきましては、現時点では、土地所有者からの同意や申請をいただいておらず、史跡として指定する予定はありません。」以上です。(北の要害は私のブログで北諏訪山城として報告いたしております。)

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

(無題)

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 1月17日(水)19時49分21秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
こちらにお金の使い方や完成後の隅櫓への新設動線予定等詳しく載ってます。動線の片方が御三階跡の傍を通るのは何かの伏線かとも勘ぐってしまいたくなります。(よくよく考えたら駅前ですし、隅櫓で注目を浴びれば・・?)
http://www.city.mito.lg.jp/001373/001374/0/rekisi/kihonkeikakuwosakuteisimasita_d/fil/ootemontouseibikihonkeika.pdf
未だ基礎も完成してませんが、大手櫓門自体は国体前の完成を目指してるので、恐らく木材の加工等は他所で着々と進んでるものでしょう。先の一枚目の画像の様にちょうど門の幅で30㎝くらい道路建設のために削られ、礎石は残っておらず、白線で表した旧跡地も推定であるそうですが四つ角が判明したので、今後工事は急ピッチで進むことと思われます。

また二の丸の北の入口、南の入口もそれぞれ近場に復興されてますが、規模は小さくなってます。また二中の横の彰考館跡には小規模ながら二の丸展示館も建てられ、各学校の出入り口や塀も城郭風にする等、たしかに観光客を強く意識してる感はありますね。

最後に展示されてた鯱瓦の画像です。
 

Re: 水戸城大手門脇瓦塀

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月17日(水)04時38分22秒
返信・引用
  > No.5339[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

水戸城がこんなことになっているとは知りませんでした。お城ブームのおりから、水戸城も観光資源にと思っているのでしょうか。

何しろ近世城郭ですから、発掘すれば遺物も遺構もいろいろと検出されそうですね。

隅櫓まで復活とは、驚きです。完成した暁にはぜひ訪れてみたいです。

情報、ありがとうございました。

 

水戸城大手門脇瓦塀

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 1月17日(水)00時14分35秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
水戸城大手門と二の丸隅櫓、塀の復元が進んでますが(櫓門自体の竣工は来年度前半だそうです)、門南側でも瓦塀が2カ所見つかって、16日と17日の午後から現地見学&説明会があり、以降は見られなくなるとの事で無理して行って来ました。
塀は櫓門の前後に2カ所設けられ、その規模はそれぞれ基部で幅2mを超え、高さは推定5mだそうで、瓦と粘土質の土で積み上げられてますが、火災の痕跡が無い事から明和の大火の後の復興時のものではないかとの事でした。また櫓門の横は排水のための石組みの水路も発見されてます。
また古写真には見えない鯱瓦の一部も出ており、復元門にも装備される事が確定しました。

現状枡形は通行止めで、北側土塁上にそれを超える仮設通路が出来ておりこちらは当分の間見学し易くなってます。
 

山城ガイド!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月15日(月)21時24分9秒
返信・引用
  学研から山城ガイドという本が出版されました。

私も何城か執筆しています。

よろしかったらご覧になってみてください。




 

Re: 謹賀新年

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 7日(日)18時53分32秒
返信・引用
  > No.5336[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

明けましておめでとうございます。昨年は多忙なわりには、かなり各地の城を訪れることができました。できれば今年も行きたいものです。

山陰ですか、いいですねえ。しかし、関東地方からだとかなり遠いです。

それではまた!
 

謹賀新年

 投稿者:みよさん  投稿日:2018年 1月 7日(日)18時29分53秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます!

昨年はお仕事との両立の中、ものすごい勢いでの更新、驚きの気持ちで拝見しておりました。いつか山陰にお越しくださること、楽しみにしております。
今年も、充実したお城めぐり&更新をお祈りいたします。

 

Re: 謹賀新年

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 6日(土)08時35分24秒
返信・引用
  > No.5333[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

明けましておめでとうございます。こちらこそ、本年もよろしくお願いします。

昨年はいろいろとお世話になりました。2月の件もよろしくお願いします。

 

Re: 諏訪山北城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 6日(土)08時34分17秒
返信・引用
  > No.5331[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。諏訪山城の北にも城郭があるということは以前に聞いていたので宇sが、まだ訪れていません。機会があったら行ってみたいと思います。

 

謹賀新年

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 1月 5日(金)21時25分28秒
返信・引用
  余湖さん。あけましておめでとうございます。

今年も何卒よろしくお願いします。
 

訂正

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 5日(金)20時28分13秒
返信・引用
  「栃木県の中世城郭」というサイトです。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

諏訪山北城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 5日(金)20時23分42秒
返信・引用
  「栃木県の中世の城郭」というサイトで諏訪山城の北尾根に新発見の山城があると報告されています。この規模は諏訪山城に匹敵するほどの山城です。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 大塚城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 3日(水)06時49分44秒
返信・引用
  > No.5329[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

大塚城ですか、懐かしいですね。私が訪れたのはもう10年以上前になります。夏の暑いときだったので、ヤブがまだしんどかった記憶があります。

北側に9つも曲輪がありましたか。さすがにそこまで行ってみませんでした。今度訪れることがありましたら、確認してみたいと思います。

このところ、栃木によくいらっしゃっているようですね。栃木にもなかなか面白い城がいくつもあります。

それではまたです。
 

大塚城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 1月 2日(火)20時51分23秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
諏訪山城へ行ってきました。規模が大きく、なかなかの山城で満足できました。最高部に北側の壁があり、本丸はその城壁の南側でしょうか?
 大塚城は余湖さんの俯瞰図を参考にして回りましたが、北尾根は曲輪が九つもあり、大きな堀切も二か所ありました。大塚城は一時期、佐野氏が治めており、これを皆川氏が攻めています。皆川氏を意識するのであれば、南側を堅固にしなくてはと思いますが実際は北を意識しています。。
 写真1北尾根の第一大堀切  写真2このような曲輪が九つ、北側にはみんな土塁 写真3 第二大堀切

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)22時54分13秒
返信・引用
  > No.5326[元記事へ]

Pさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。昨年はお疲れさまでした。今年はまた何か、一緒にできることがあるといいですね。

P殿も、私同様、休日を仕事にとられることが多いようですので、まずは体調に気を付けてお過ごしください。なかなか城めぐりをする時間が取れないのはつらいですが、お互い頑張りましょう。

また、機会があればぜひご一緒しましょうね。


 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)22時52分3秒
返信・引用
  > No.5325[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。昨年は本当にいろいろとお世話になりました。2冊の本が刊行できたのは日詰さんの尽力がかなり大きかったと思っています。

例のもの、確かに受け取りました。受け取るのはだいぶ気が進まなかったのですが、その分の埋め合わせはいずれしたいと思っています。

それでは、本年もよろしくお願いいたします。
 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:  投稿日:2018年 1月 1日(月)21時56分35秒
返信・引用
  > No.5324[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろとお世話になりました。

今年もよろしくお願いします。




> このページをみてくださっているみなさん、あけましておめでとうございます。
> 本年もよろしくお願いいたします。
>
> 思えばこのページを始めて22年目になります。知らないうちに、ずいぶん長く続けてきたものです。
>
> 最近はtwitterやインスタなどが主流のようで「いまだにホームページやってんの?」と言われることもあり、自分は古いのかなあと思うこともあるこの頃です。でも、情報を探すにはホームページが一番使いやすいと思っています。
>
> そんなわけで、まだしばらくはこのホームページを続けていきたいと思っているところです。
>
>
 

Re: 謹賀新年!

 投稿者:ひづめ  投稿日:2018年 1月 1日(月)14時42分29秒
返信・引用
  > No.5324[元記事へ]

食いすぎには注意して元気で続けてください。
とにかく余湖さんのページは(控えめに言っても)お城ファンの宝ですから。
今年もよろしくお願いします。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

謹賀新年!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 1月 1日(月)09時13分9秒
返信・引用
  このページをみてくださっているみなさん、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

思えばこのページを始めて22年目になります。知らないうちに、ずいぶん長く続けてきたものです。

最近はtwitterやインスタなどが主流のようで「いまだにホームページやってんの?」と言われることもあり、自分は古いのかなあと思うこともあるこの頃です。でも、情報を探すにはホームページが一番使いやすいと思っています。

そんなわけで、まだしばらくはこのホームページを続けていきたいと思っているところです。

 

阿伎留城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時44分15秒
返信・引用
  これもあきる野市のお城だが、やはりただの神社のようだ。伊奈城よりはそれらしい雰囲気があることはあるのだが・・・・。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm#akiru

さて、これが今年最後の更新である。今年は思いのほか、城巡りができた。このところまとまった休みがとりにくいのだが、来年はどうなるかな?
 

伊奈城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時42分7秒
返信・引用
  これもあきる野市のお城。

伊奈城と呼ばれているが、ここを城郭としている理由がよく分からない。ただの神社ではないだろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm#ina
 

法林寺館

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時41分4秒
返信・引用
  東京都あきる野市のお城。

法林寺の北東部に土塁がしっかりと残っており、城郭遺構ではないかと言われている。
寺院が武装化した際の名残なのであろうか。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/akirunosi02.htm
 

廿里砦

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時39分51秒
返信・引用
  これも八王子市のお城。廿里と書いて「ととり」と読む。

しかし、遺構らしきものはない。ただの神社の敷地なのではないだろうか。永禄12年に武田方を迎え撃った「戸取の山に拠点を構え」とある砦のことだというが、「ととりの砦」が本当にこの山であるという根拠がよく分からない。それが出てくるのも『関八州古戦録」だけなので、宛てになる話なのかどうかも不明。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi04.htm#totori
 

中山勘解由屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月31日(日)17時36分20秒
返信・引用
  東京都八王子市のお城。

滝山城の近くにある。北条氏照家臣の中山勘解由の屋敷跡である。遺構らしきものはほとんどないが、館的な雰囲気は残っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/hatioujisi04.htm
 

ラストアイドル

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月30日(土)06時47分41秒
返信・引用 編集済
  という番組をテレビ朝日でやっている。たまたまテレビを付けていて何回か見たのだが、これがけっこう感動する番組なのである。

5000人の候補者の中から選ばれたグループのメンバー7人。それに対して毎週挑戦者が登場してきて、メンバーの誰かとパフォーマンスで勝負し、メンバーが負ければ、その場でメンバーの入れ替わりが行われるという前代未聞のシステム。最終的にメンバーとして生き残った7人がラストアイドルとして「バンドワゴン」という曲でデビューできる、といった内容である。

私が注目するようになったのは、暫定センターだった間島和奏という子を見てから。それほどかわいくないし、顔がでかくてあごが出ていたりして、どうしてこんな子がセンターに選ばれているのだろうと最初は疑問に思っていた。

しかし、挑戦者との戦いを続けている中で、この子には妙に惹き付けらる魅力があることを知った。間島が歌った後はみんな笑顔になっている(歌は下手だけど)。そしてこの子を応援したくなってしまう。こういう宝石の原石みたいな子を選抜するプロの目ってすごいな、と思った。そしてこの子は最後までメンバーとして勝ち残るに違いない、と思っていた。

ところがその間島ですらも挑戦者に敗れて、メンバーから去っていってしまう。間島が去っていった時、他のメンバーたちは納得できていない様子で「これって本当に現実なの?」とささやきあっていた。自分も「間島をクビにするのか!」と愕然したものだが、代わりに入ってきた阿部は、アイドルの資質が十分にある子であり、チャート的には間島を上回っていた。でも、間島には他の子たちにはない、飛び抜けた何かがある。

結局、結成当初から最後まで負けずに生き残ったのは吉崎と安田の2人だけだった。しかし、これは理解できる気がする。吉崎のビジュアルに挑むのは無謀にもほどがあると思うし、一見しっかりとした顔立ちをしているのに天然ボケな安田のキャラは、グループに欠かせない存在なのだろう。
ちなみに吉崎綾はこんな子
https://www.youtube.com/watch?v=Egc4Ps551A4

長月が去っていった回は、ネットが大炎上する事態となった。そりゃそうだ。どう見ても長月の方がアイドルらしい子であったし、この回で挑戦者を撰んだ以外の審査員はみんな長月を選択していた。「この決定には大反対だ」と発言している審査員もいた。

結局、負けて去っていった人たちもセカンドグループとして結成されるという救済措置が取られることになったのだが、これまたうまい戦略である。だって、負けて去っていった人をこそ、人は応援したくなるものなのである。いなくなって初めてその人の魅力に気づくってこともあるだろう。間島にはまってしまったのも、彼女が去っていってしまったからだと思う。

番組のダイジェスト版はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=p_x_4RQVF0o

デビュー曲のバンドワゴンってこんな曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=az4tehn1uaU


ちなみに、このグループ、来年はもしかするとAKBや乃木坂を越えて注目されるグループになる可能性がある。

っていうのも、ラストアイドルと4つのセカンドグループを来年は5人のプロデューサーがそれぞれプロデュースし勝負するということになっているのだが、その5人というのが、小室哲哉、つんく、指原莉乃、織田哲郎、秋元康という豪華な顔ぶれなのである。これまでのアイドル史を彩ってきた人たちが、それぞれをどんなグループに育てていくのであろう。

派生グループの中で私が注目しているのは、もちろん「someday somewhere」である。だって、間島和奏を見たいんだもん!
「何度転んでも立ち上がる」「挫折するほど強くなれる」っていう彼女たちの心情を表現した歌詞もいいし、足の不自由な間島をみんながいたわるような振付もいい。
https://www.youtube.com/watch?v=AVpOngV5YUo

来年も目が離せない番組だ。昔のアサヤンを思い出す。そういえば、モーニング娘ももともとはオーディションで敗れた子たちを集めたグループだったよなあ。

それにしても、間島和奏がセンターで歌うバンドワゴンが忘れられない。間島和奏がこのグループのセンターであってほしかった。

 

小野路城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時17分22秒
返信・引用
  これも町田市のお城。この辺りの城郭としては、もっともよく遺構が残されているといえるであろう。

ハイキングコースとなっており、あちこちから登城道持ちけられており散策しやすい。城域はかなり広大なのだが、それぞれの遺構規模は小さく、やはり臨時的築城の要素が強いものである。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm
 

小野路関屋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時15分50秒
返信・引用
  これも町田市のお城。

布田道と呼ばれる旧道の上に、二重堀を持った城郭が残されている。と言っても遺構らしきものは北側の二重堀切だけであり、きわめて簡素な城郭である。小野路城と関連誌が城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm#sekiya
 

成瀬城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月28日(木)05時14分17秒
返信・引用
  東京都町田市のお城。

周辺は宅地化が激しいが、それでも主郭部分が城址公園として残されている。遺構らしきものはまったく見られないが、完全湮滅ではなく公園化されているだけでもありがたいというべきなのかもしれない。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/matidasi02.htm#naruse
 

天神山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月27日(水)20時42分38秒
返信・引用
  東京都三鷹市のお城。

深大寺場以外に三鷹周辺にこのような城址公園があるとは知らなかった。

都会に残る中世城郭であるが、割合よく保存されている。ただし、削平は甘く加工度も低く、いかにも陣城といった雰囲気を感じさせる。

北条氏と扇谷上杉氏との深大寺場をめぐる攻防戦に関連して取り立てられた陣城であったと推定される。

http://yogokun.my.coocan.jp/tokyo/mitakasi01.htm
 

Re: 布袋岡城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月22日(金)23時09分24秒
返信・引用 編集済
  > No.5312[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは、ご無沙汰しております。

布袋岡城に行って来られましたか。東側に城門ができているとは意外です。私が訪れた時にはそのようなものはなかったような記憶があります。城跡として認識が深まり、これから整備されていくのでしょうか。

おっしゃる通り、布袋岡城はかなり規模の大きな城郭で、面積も遺構もなかなかのもので、一見して大勢力の駐屯を意識したものだという印象を受けます。同時に陣城のような感じもします。

近くの諏訪山城ともども、皆川氏と宇都宮氏との対峙によって築かれた陣城の1つであると思われます。もちろん背後には北条氏も絡んでいたことでしょう。今度はぜひ諏訪山城にも行ってみてください。

それではまたです。

 

布袋岡城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年12月21日(木)21時06分11秒
返信・引用
  余湖さんの縄張り図を見て、鹿沼市(旧都賀町)深沢にある布袋岡城に行ってきました。
規模が大きく、素晴らしい山城ですね。シイタケ栽培をしている東側の畑から、城門で入るようになっていますから、その上にも大きな曲輪が階段状に作られていますので、地方豪族の山城ではなく、北条氏の手が入っていたのではないでしょうか。この山城はお勧めです。
写真1 本丸、奥の瘤から詰め丸へ行けます。
写真2 本丸東下の腰曲輪の南虎口から大きく建て掘りが下り、これを通路として二の丸に繋いでいます。大兵力の移動がスムースであったと思われます。
写真3 本丸東城壁を見上げています。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 伊奈氏屋敷跡

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月18日(月)04時37分47秒
返信・引用
  > No.5310[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

初めまして! 情報ありがとうございます。

伊奈氏屋敷ですか、10数年前に訪れたきりですので、なんだか懐かしいです。

私が訪れた時には、所有者の方が遺跡指定に反発していたのか、立ち入り禁止の立て札があちこちに立っていて、気分的に訪れにくい城址でしたが、和解が成立したようで何よりです。

発掘調査が行われていたとは知りませんでしたが、できれば行ってみたかったなと感じました。土日も仕事が入ることが多いので、なかなか出かけられないのですが・・・・。

伊奈氏陣屋では確か畝堀も発見されていると思うので、陣屋以前の城郭構造物がどのようなものであったのか、興味が惹かれるところです。

それではまたです。


 

伊奈氏屋敷跡

 投稿者:あんけん  投稿日:2017年12月17日(日)17時15分51秒
返信・引用
  はじめまして、いつも城跡訪問時に参考にさせて頂いており、大変参考になってます。

昨日伊奈氏陣屋で二の丸の現地説明会がありましたので行き、その後の周回ツアーも参加しました。同日開催の蓮田市新井堀の内遺跡とハシゴの方も多くいた様です。

住民の方々との和解もなったのか、史跡指定反対の看板はもうありません。また散策路を倉屋敷北部の掘底に設けて見学もし易くなっており、来年2月にも再度散策路整備予定だそうです。

案内板と石碑の背後が二の丸ですが、後ろの盛り土は近年トラックで運び込まれた土と地元の方が仰ってましたが、今回の発掘でそれが証明され曲輪の真ん中は平らな場所だった事が判ったそうです。ただ場所が南端過ぎるのか陣屋を築いた時代の地面が浅く、その下に旧城郭であった痕跡は見つかっておりません。
1郭と2郭との間の切り通しの通路ですが右の土塁の更に右、東側に掘跡があるので曲がり角を挟んで堀が繋がり、ここが陣屋前の城郭時の虎口と通路であったのではないでしょうか。

表門は絵図で東側だった事が判明してるため標柱は抜かれ、新しい解説板だけがあります。ツアーでは旧表門跡も周りました。

頭殿神社のある曲輪は城内側に土塁が残っており、また陣屋跡との間の折れのある空堀の規模から、もしかしたら搦手の詰めの丸的な場所かもしれないとの事でした。

長文で失礼しました。
 

Re: 鴨沢要害!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月12日(火)04時34分49秒
返信・引用
  > No.5308[元記事へ]

yamaさんへのお返事です。

茨城大学では、たいした話はしていません。自己紹介程度のものでした。

北条早雲は近年では井原市出身であるという説が根付いてきているようですね。昔はただの素浪人と言われていましたが、足利幕府に仕えた有力氏族の伊勢氏の出身で、名称も伊勢盛時とか伊勢宗瑞とか呼ばれることの方が多いようです。

神奈川には、彼の築いた城郭というのがいくつか残されています。鴨沢要害は、その1つになるわけですが、いかにも陣城といった程度の普請で、それほどちゃんとした城郭ではないです。

それではまたです。

 

Re: 鴨沢要害!

 投稿者:yama  投稿日:2017年12月10日(日)18時01分42秒
返信・引用
  > No.5301[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

茨城大学のセミナーに、聞き手ではなく、話し手として参加されたのですね。
すごいですね。日頃の研究と訪城の成果ですね。

北条早雲の話があったので、また食いついてしまいます。
先日、津山森家の改易された森衆利の墓を紹介しましたが、この墓がある井原市は
北条早雲の出身地という説が有力です。名は伊勢盛時、室町幕府の足利氏の有力家臣の伊勢氏の一族です。・・・私も知りませんでした。学生の時に習ったときは出自不明の浪人だったのですが、そのころよりも研究がすすんでいるようです。さらに本人は「北条」を名乗ってないとか。
井原市も「北条早雲」をアピールしているようですが、まだあまり知られてないみたいです。

ついでに井原市のことを紹介すると
・津山藩改易のあと、先代藩主が存命だったので、2万石で森家としては存続、西江原藩。そのあと、赤穂藩に移り、西江原は御三卿一橋家の領地になった。
・那須の与一が、源平合戦の功で井原市あたりの荘園をもらったので、那須の与一の墓もあるとか。

けっこう売りにできる観光資源があるみたいですが、宣伝が上手でないようです。

かくいう私も森衆利の墓はたどりつけましたが、ほかの史跡はどこかわからずじまいでした。


> 神奈川県中井町のお城。
>
> 伊勢宗瑞(北条早雲)が相模進出を意図して築いた城で、いかにも陣城的な雰囲気を感じさせる城郭である。
>
> しかし、早雲の城とは言え、世間からはすっかり忘れ去られているようで、城内には案内板も何もなく、ほぼヤブ状態である。
>
> http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/nakaimati01.htm

http://mahoroba.city.ibara.okayama.jp/detail_j.php?offset=27&rows=83&whstr=&taisho=jin&whstr3=&nameJ=&key_wJ=&mokujiJ=&ageJ=&pageJ=

 

Re: 兵庫中部の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月10日(日)08時04分24秒
返信・引用
  > No.5306[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

兵庫に行かれましたか。私も先月行ったばかりです。タイムリーですね。

岩男城の石垣は見事でしたね。ただ、主要部の狭さにはびっくりしました。天守台があり瓦まで散乱しているから、ちゃんと天守もあった城だと思うのに、あれでは物見の砦レベルの狭さです。3000石程度の領主だとあんなものなのでしょうか。それでもあれほど石垣を詰めるというのも意外です。石垣はおっしゃるように、山麓へも見せるためのものでしょうね。

秀吉本陣は、国指定史跡だけあってそこそこ整備されており案内もしっかりしていますが、遺構はそれほど大規模なものではなかったですね。ただ、三木城の側の斜面は急崖になっており、自然地形にかなり頼ったものだったのだろうと思いました。

他の付城は回りませんでしたか? 付城群は、比較的近場にたくさんあって、しかも道路から数分で到達できるものがけっこうあるので、短時間でたくさん回ることも可能です。とくに高木大塚城は、平城ながら非常によく残っていて、お勧めです。

法界寺上付城もなかなか技巧的です。

野間城、長水城、篠の丸城、山崎城は、行ったことがありません。また機会があれば、この情報を基に訪れてみたいものです。

それではまたです。

 

兵庫中部の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年12月 9日(土)14時57分51秒
返信・引用
  先日兵庫に行ってきました。見て来たのは岩屋城、野間城、三木平井山の上付け城、長水城、篠の丸城、山崎城などです。ただ、最近寄る年波か山登りのスピードが落ちたせいか、それぞれ結構時間がかかり、中道子城と龍野鶏籠山城には行けませんでした。

岩屋城は石垣が立派で、城域自体はそれ程広くないけれど、石塁と重層建築物で勢威を見せ付ける狙いがあったのでしょう。

それに対し野間城にも石垣があるのですが、こちらは土留め、石積です。前者が織豊系、後者が在地系といったところでしょうか。その辺りの違いは興味深いものがあります。

余湖さんも行かれた、三木平井山の上付け城は黄昏迫る中、駆け足で回りました。周回コースから外れた最高所までは間に合わず、暗闇迫る中途中で戻りました。おまけに三木市内は交通量が多いのに道が狭かったり踏切があって車の流れが悪く他の付け城や三木城には行けませんでした。

翌日行った長水城は、本丸の高石垣がウリの城ですが、正直なところ石の加工度が高く、反織豊勢力の持ち城で落城、その後入封した木下氏が山崎城を築きこの一帯を治めたことを考えると、城ではなく寺と民家が出来た時のものではないかと思います。解説板では積み直していると記していますが、そもそも城があったときには無かったではないでしょうか。
加えて、尾根上の一部郭には民家を通らないといけないのですが、ご不在のようでしかもネットで通れないようになっていたので断念しました。登りが結構きつかったことと相俟って、消化不良のモヤモヤを抱えて降りてきました。

一方、その次に行った篠の丸城は横堀や畝状阻塞、方形居館風な縄張の主郭など随所に見るべきものがありました。でも、丁度この頃は城のある山で紅葉祭りが催され、駐車場は満車。とめる場所を探すのに苦慮しました(こういうとき、軽自動車は割りと隙間を見つけてとめられるので重宝します)。嫌な予感がしたのです、「紅葉祭り臨時駐車場はこちら」みたいな立て看を見たとき。
麓の山崎城ですが、今回他にも大名陣屋(三草、小野、安志)に行ったのですが、碑等があるばかりで、唯一紙屋門の辺りに藩政時代の雰囲気が出ていました。

いよいよ師走。今月は週末忘年会が続き、夜行バスでの遠出が出来ません。年明けまた関西を中心に回ろうかと思っています。その節は余湖さんの図面も参考にさせていただきます。

少し早いですが、良いお年をお迎え下さい。
 

土曜アカデミー終了!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月 2日(土)23時35分45秒
返信・引用
  茨城大学でのセミナーに参加しました。

私は本来出席できない予定だったので、たいしてお話をすることはできませんでしたが、それでもとても楽しい1日を過ごすことができました。

ヤブレンジャーの仲間たちが集まったのも久しぶりです。

高橋先生をはじめとする茨城大学の皆さん、そしてヤブレンジャーの仲間たち、ありがとうございました!
 

茨城の城のセミナー!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年12月 1日(金)22時03分13秒
返信・引用
  明日、茨城大学で、茨城の城についてのセミナーがあります。

私も行ってみようかと思っています。

http://www.lib.ibaraki.ac.jp/news/index.php?id=202
 

Re: ついてなかった鎌倉

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月30日(木)04時22分53秒
返信・引用
  > No.5302[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

それは残念でしたね。それにしても観光地である鎌倉で、日曜が休館日であるとは、まったく意外です。だいたいそのような施設は月曜休館が多いものと認識していましたが、鎌倉では違うのですね。

昨今はさまざまな施設でライフワークバランスが取りざたされているので、近年に何らかの変革があったのかもしれません。

鎌倉の城址の情報、ありがとうございます。

鎌倉の城址は私はまったく分かりません。神奈川は市街地化が進んでおり、城址が立入不可になっているところが少なくありませんね。なかなか難しいところです。

それではまたです。

 

ついてなかった鎌倉

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月29日(水)23時40分34秒
返信・引用
  先週の祝日、幻の寺、永福寺の発掘成果の展示が、鎌倉市教委が運営する歴史文化交流館であったので行ってきました。平等院、無量光院と並ぶ比翼の浄土建築の遺跡で、予てより注目していました。
でも何と休館。

よく確かめずに行った私が悪いのは重々承知しているのですが、歴史文化財の観光で成り立っている鎌倉市で、公的展示施設が日祭日休みとは努々思わず、がっくり。
オマケに少し離れた金沢街道沿いの永福寺跡の野外展示公園も閉まっていました。何でも大雨注意報でたので休園とのこと。ただこの日の天気予報では午前のみ雨で午後は晴れでした。事実、私が赴いた昼頃、お天道様が顔を出してすっかり小春日和。

わざわざ来たのに、すっかり鎌倉が嫌いになりました。

それでも、時間が空いたので杉本城と住吉城に行ってきました。

杉本城は鎌倉の地形図を見ると東からの侵入を阻む絶好のロケーションにあり、誰が見ても城を造りたくなる場所です。残念ながら杉本寺の境内までしか行けませんが、雰囲気は十分味わえました。後でネットの地図などを見ると、裏の二階堂方面から階段道が城の北直直下まで来ている様です。でも、私有地で入れないのかもしれません。

住吉城は、海沿いの小坪道を扼する絶好のポジション。ただ此処も山上はマンション等が建っており立ち入り不可。でも、この付近は余りに急崖で頂は物見にこそなっても、東からの侵入者に即応することは無理。寧ろ正覚寺やその背後の住吉神社辺りのひな壇に兵が屯していたと思います。住吉神社背後に現存する隧道が、鎌倉~戦国時代まで遡れる代物だとこの問題はクリアになりますが、流石に違うでしょう。

鎌倉市の観光地らしからぬ運営で、城を見に行く時間が出来たとは皮肉な話です。
 

鴨沢要害!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月26日(日)08時49分20秒
返信・引用
  神奈川県中井町のお城。

伊勢宗瑞(北条早雲)が相模進出を意図して築いた城で、いかにも陣城的な雰囲気を感じさせる城郭である。

しかし、早雲の城とは言え、世間からはすっかり忘れ去られているようで、城内には案内板も何もなく、ほぼヤブ状態である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/nakaimati01.htm
 

足柄山城塞群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月26日(日)06時36分38秒
返信・引用
  箱根周辺のお城。

浜居場城など、足柄峠周辺の尾根道に点在する砦群を歩いてみた。

遺構的にはどれもたいしたことはないのであるが、浜居場城には城掟が残されているので、一度は来てみたかったのである。

現在、ハイキングコースが付けられているのだが、基本的にハイキングコースは城内を通らないようになっているので、砦を訪れたい人は要注意である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/kanagawa/minamiasigarasi.htm#asigara
 

Re: 三日月陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月25日(土)07時06分52秒
返信・引用
  > No.5297[元記事へ]

yamaさんへのお返事です。

津山藩改易に関する情報、ありがとうございます。森家も由緒ある大名ですから、細々とでも存続していた一族がいたというのはうれしいことですね。

『斬り抜ける』はあくまでもフィクションですので、実際の改易話とはまったく関係がありませんが、とても懐かしかったので書いてみたという次第です。

それではまたです。


 

Re: 三日月陣屋!

 投稿者:yama  投稿日:2017年11月23日(木)23時49分42秒
返信・引用
  > No.5284[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

こんにちは。いつも創作活動に精力的な方と感服しております。

津山藩改易という言葉を聞いて、「斬り抜ける」は知らなかったのですが、改易された本人の
森衆利を思い出しました。墓は岡山県井原市にあります。

井原市のサイトでは関衆利となっています。関家は森家の一族のようです。
津山藩森家改易後も森2家、関1家が小大名として幕末まで残ったようです。

http://mahoroba.city.ibara.okayama.jp/detail_j.php?offset=27&rows=83&whstr=&taisho=jin&whstr3=&nameJ=&key_wJ=&mokujiJ=&ageJ=&pageJ=

 

Re: 雨引山城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月22日(水)04時21分23秒
返信・引用 編集済
  > No.5295[元記事へ]

栃木県の中世城郭さんへのお返事です。

こちらこそ、ご無沙汰しております。

情報ありがとうございます。

雨引山に城郭遺構があるとの情報はだいぶ以前に聞いていたのですが、なかなか行けずにいました。やはりちゃんと城郭が存在していたのですね!
雨引山については遺跡地図にも記載されておらず、まったく未知の城郭扱いなんですよね。

横堀がしっかりと廻らされているなど、なかなかしっかりと造られているように見えます。私も機会があれば行ってみたいです。

栃木も茨城も、このところ、すっかりご無沙汰しているのですが、そのうちまたでかけてみたいものです。

それではまたです。

 

雨引山城

 投稿者:栃木県の中世城郭  投稿日:2017年11月21日(火)19時55分21秒
返信・引用 編集済
  ご無沙汰しております。栃木県の中世城郭です。
本日、真壁城と真壁城の移築城門・黒門を見に行こうと、久しぶりに茨城へ女房と出かけました。
黒門の移築先、雨引観音様の場所をPCで確認していると、観音様の裏山の雨引山が城跡っぽいという、山登りブロガーの記事にぶち当たりました。
本日、期待もせず登ってみたところ、これがとてもりっぱな城跡でした。
山頂で出会った地元のご老人もご存知なく、地元の伝承等は無いようです。
すでにご存知かもしれませんが、茨城の城郭1,2や城郭大系にも掲載されていないので、恥ずかしながら一応投稿してみました。
縄張り図道具の持ち合わせもなく、記憶イメージで書いた図面も載せておきます。
 

Re: 三江線と安芸高田の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月21日(火)04時25分11秒
返信・引用 編集済
  > No.5293[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

広島のお城の情報、ありがとうございます。広島については、まだ実際に訪れている城の数はあまり多くなく、そのうち行ってみたいと思っていますので、参考になります。

それにしても、廃線まじかのローカル線がそれほど混んでいたとは驚きですね。普段からそんな風に乗ってくれる人がいれば廃線にはならないのでしょうが・・・・。

兵庫のお城、なかなか良かったです。やはりお勧めは八木城ですね。八木城にしても、八上城にしても、中道子山城にしても、朝のうちは雲海が出ており、早朝に登れば、城から雲海を見下ろすことができそうです。竹田城に行かなくても、但馬辺りでは雲海は当たり前のように見られるのですね。

改修後、初めて訪れた姫路城もよかったのですが、駐車場に入るのに30分待ち、天守に入るのには1時間待ちで、かなり混んでいました。団体ツアーで訪れている人たちは、ガイドに「天守に行くとバスに戻る時間に間に合いませんよ」とアナウンスされてしまう混雑ぶりです。姫路城をメインに回るツアーなのでしょうが、これでは姫路城まで来た意味がありませんね。

それではまたです。
 

三江線と安芸高田の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年11月21日(火)00時41分2秒
返信・引用
  先日、島根県と広島県に行って来ました。島根県は来春廃止が決まっている三江線に乗ること、広島県は安芸高田の城を巡ることが目的でした。

三江線、私みたいなモノ好きが休日は押し掛けると思いわざわざ平日休みを取っていったのに、何と超満員、乗車率200%。私みたいなモノ好きの単独行に加え、グループ客、敬老会に婦人会、ナントカ健康会などの団体客。とどめは旅行会社のバスツアーの一部に体験乗車が組み込まれていた。

全く目論見が外れました。

それでも、かの天空の城ならぬ天空の駅、宇都井駅で夕方下車、周囲を散策し2時間後の終電(といっても19時台)で広島方面に向かいました。流石に夜の電車に団体客はなく、モノ好きの単独行5人のみでした。ただ、平日19時台の鉄道に通勤通学客が皆無とは、三江線自体周辺住民のインフラとしては機能していない訳で、廃線も止むを得ないのかもしれません。

安芸高田の城は、五龍城、猿掛城、青山城に行きました。郡山城は昔行ったことがあるので今回はパスです。

五龍城は石積や二重堀切など見所が多く、人間の手が入り藪化しておらず歩きやすい城です。人頭大の石がかなり散乱していたので、往時は石垣が相当施されていたことでしょう。廃城を行く2でも紹介されていましたが、郡山城に次ぐ見所の多い城だと思います。

猿掛城は元就幼少期の城ということで、規模自体はそれ程大きくないものの有名ですよね。出丸~物見丸まで遺構が良く残り楽しめました。ただ、主郭から南の大堀切、物見丸に行こうとすると、色々な資料で紹介されている主郭から南東に下りる道は無くなっています。ただ、見下すと数メートル下には道らしきものが見えたので、何とか草木を掴み掴みしながら下りました。大堀切の先の畝状阻塞も必見です。

青山城は陣城ながら中心部は結構手が込んでいて、尼子勢の本気度が覗えます。ただ、城に行く道は未整備です。今回は、北東から尾根上を進みました。台地の北東突端脇に墓地に上がる舗装道があり30mほど上がると右に大日堂という仏堂に上がる階段が出てきます。そこを上がり仏堂正面右手約40m先が城の尾根の北東端です。そこを稜線に沿って登りました。5mも上がると杣道らしきものが残っていて、若干低木の枝が気になりますが藪化しておらず、遺構をよく見ることが出来ました。

それにしても「安芸高田お城発見」(安芸高田市歴史民俗博物館刊)は中々良く出来ていてこの地域の城を見る場合、必携の書だと思います。

来週は兵庫の城に行きます。少し時期がずれていれば、城跡でばったり、なんてこともあったかもしれませんね。早速余湖さんの図も参考にさせていただきます。

それではまた。
 

淡河城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時30分9秒
返信・引用
  神戸市北区のお城。

三木城攻城戦に関連して、淡河城も包囲され、いくつかの付城が築かれたという。

現在は主郭のみが残され、復元された櫓がそびえている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/koubesi01.htm
 

その他の付城群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時10分25秒
返信・引用
  法界寺付城の周囲には他にも国指定史跡の小規模な付城が何カ所も残っており、短時間でざっと見て回ることが可能である。

中でも高木大塚城は、市街地の真ん中にあり、折れを伴った複雑な土塁が見どころとなっており、おすすめである。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#ootuka
 

法界寺上ノ山付城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時08分52秒
返信・引用
  三木城付城群の1つ。数ある付城の中でも最も技巧的と言われているものである。

こちらも登城口の案内板のところにパンフレットが置いてあってとても親切である。しかし、土塁の規模などはそれほど大きなものではない。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#houkaiji
 

伝竹中半兵衛陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時06分57秒
返信・引用
  秀吉本陣のすぐ北側にあり、竹中半兵衛陣と伝承されているものらしい。しかし、実際には竹中半兵衛の陣などではない。

一番近くに接近できるルートは現在立入禁止となっているので、訪問には注意が必要である。

竹中半兵衛は実際にはたいした人物でなかったという説もあるが、そんなことはないと思う。そのことについても考えてみた。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm#takenaka
 

秀吉本陣!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月19日(日)08時04分44秒
返信・引用
  三木城付城郡のつ。三木城自体は現在では遺構をあまりよく残していないが、周囲には60カ所にも及ぶ付城と土塁群が残されており、一部は国指定の史跡となっている。

その中でも代表的なのが秀吉本陣である。案内板や駐車場、散策ルートも示したパンフレットなどもあり、とても親切である。三木城に訪れたら、ぜひ付城群も訪れてみたい。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/mikiisi02.htm
 

中道子山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月16日(木)04時38分13秒
返信・引用
  兵庫県加古川市のお城。

中道子とは変わった名称だが、かつてここに中道寺という寺院があったことにちなんだ名前である。

中腹まで舗装された車道が付けられており、終点には駐車場もあるのだが、輪留めがしてあって車で行けなくなっている。そのため車道を延々と歩かなければならないのがつらい。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kakogawasi01.htm
 

三日月陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時42分40秒
返信・引用
  兵庫県佐用町のお城。

津山藩改易の後に、森氏が1万石を拝領して築いた陣屋である。正面の門や櫓がよく残されており、なかなか雰囲気がよい。しかし、復元されているのはこれだけで、裏に回ってみるとなんだか張りぼてみたいだ。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kouduki.htm#mikaduki

ところで、津山藩改易という言葉を聞いて、かつての名作時代劇「斬り抜ける」を思い出してしまった。

「斬り抜ける」を知っている人は以下の動画を見て、懐かしい思いになりましょう!

https://www.youtube.com/watch?v=wgfs8gyMZiU

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2984541
 

山崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時38分33秒
返信・引用
  兵庫県宍粟市のお城。

池田氏6万石の居城だけあって、それなりの規模の城郭であったようだ。

埋門周囲の石垣が素晴らしく良く残っている。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/sisousi.htm#yamazaki
 

福本陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月14日(火)21時37分18秒
返信・引用
  兵庫県神河町のお城。

池田氏1万石の陣屋である。建造物は残っていないが、庭園が残っており、この雰囲気がなかなか良い!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/kamikawamati01.htm
 

朝倉城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時37分25秒
返信・引用
  これも養父市のお城。

朝倉氏と言えば越前の戦国大名として有名であるが、そのルーツは但馬国にあった。

但馬八鹿町朝倉が、朝倉氏発祥の地である。ということで、この朝倉城に立ち寄ってみた。

城は極めて小規模で、なんともかわいらしいお城なのであった。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm#asakura
 

八木土の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年11月13日(月)21時35分50秒
返信・引用
  八木城からさらに比高80mほど登ったところにある。

以前は、八木城の古城と言われていたようであるが、かなりしっかりと造り込まれており、現在では八木城と同時に存在し、詰めの城として意識されていた城郭であったと言われているようである。

八木城に訪れたら、ぜひこちらにも立ち寄ってみよう!

http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/yabusi01.htm#tuti
 

レンタル掲示板
/56