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Re: 小見川城1560?

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月20日(月)03時51分54秒
返信・引用
  > No.6676[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

> 城跡のアイコンとも言えるのは「堀跡」でしょうか?雄大な空堀や鋭い堀切、竪堀群に障子掘りと…
> 堀跡フェチが高じて空堀のヴィネットを作りました。ジオラマの一部分を小さく切り取ったものと理解してください。
> 舞台は永禄の下総への正木氏による侵攻で自分の城跡探訪の端緒となった小見川城跡の僅かに残った空堀と土橋です。
> ミニチュアとはいえ自分で空堀を作ってみると思うところが沢山あり勉強になり楽しかったですね。
> フィギュアの塗装の甘さと遮蔽物の竹束が門松に見える等(笑)不満点はありますが「まぁいいか」が模型作りのコツ。
> 石垣と天守のある有名な城は模型化されてますが、土の城は皆無では…と思っていたところ調べると有りますねぇ。
> http://joukaku-fukugen.com/
> パートナー産業さんのシリーズです。値は張りますが面白いですね~中山城や諏訪原城とか出たら作ってみたい!
> と考え現在、近所の城跡を再現してみようか検討中であります。城跡巡りでは場所にもよりますが人との遭遇は皆無。
> それでもこのご時世、無暗に出歩くのは気が咎めるという御仁は城郭模型にチャレンジするのも楽しいと思いますよ。
>

ヴィネットとはジオラマのことなのでしょうか?

お城のジオラマを作るというのはとても楽しいものですよね。ただ。場所を取ると思うので、作った後の保管が大変だと思いますが、頑張ってみてください。
 
 

Re: 復元的整備

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月20日(月)03時49分56秒
返信・引用
  > No.6675[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 文化庁が「復元」に関して部分的緩和方針を出したようですが
> 痛し痒しの問題ですな。
>
> どこも地域が衰退しているので、シンボルを求めたい気持ちもわからんではないです
> 一方では「復元的整備」後、資料が見つかったらどうするつもりじゃろうとかね。
> そもそも改変・改築されている可能性もあるので、廃城時と築城時とはちがって
> いるとかね。
>

復元整備といっても、完全に100%復元されているかどうかは分からないですからね。ある程度の許容性があった方が、地元の人の希望にも応えられるのではないかと思います。
 

小見川城1560?

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月19日(日)22時56分6秒
返信・引用
  城跡のアイコンとも言えるのは「堀跡」でしょうか?雄大な空堀や鋭い堀切、竪堀群に障子掘りと…
堀跡フェチが高じて空堀のヴィネットを作りました。ジオラマの一部分を小さく切り取ったものと理解してください。
舞台は永禄の下総への正木氏による侵攻で自分の城跡探訪の端緒となった小見川城跡の僅かに残った空堀と土橋です。
ミニチュアとはいえ自分で空堀を作ってみると思うところが沢山あり勉強になり楽しかったですね。
フィギュアの塗装の甘さと遮蔽物の竹束が門松に見える等(笑)不満点はありますが「まぁいいか」が模型作りのコツ。
石垣と天守のある有名な城は模型化されてますが、土の城は皆無では…と思っていたところ調べると有りますねぇ。
http://joukaku-fukugen.com/
パートナー産業さんのシリーズです。値は張りますが面白いですね~中山城や諏訪原城とか出たら作ってみたい!
と考え現在、近所の城跡を再現してみようか検討中であります。城跡巡りでは場所にもよりますが人との遭遇は皆無。
それでもこのご時世、無暗に出歩くのは気が咎めるという御仁は城郭模型にチャレンジするのも楽しいと思いますよ。
 

復元的整備

 投稿者:狸屋  投稿日:2020年 4月19日(日)17時57分27秒
返信・引用
  文化庁が「復元」に関して部分的緩和方針を出したようですが
痛し痒しの問題ですな。

どこも地域が衰退しているので、シンボルを求めたい気持ちもわからんではないです
一方では「復元的整備」後、資料が見つかったらどうするつもりじゃろうとかね。
そもそも改変・改築されている可能性もあるので、廃城時と築城時とはちがって
いるとかね。


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58202690X10C20A4CR8000/
 

Re: 緊急事態宣言

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月18日(土)06時53分29秒
返信・引用
  > No.6673[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

そうですね。地元なら大丈夫かなあ。

しかし、県内の城郭はすべて回っているので、新規開拓というのは無理な状況ですね。

本日は天気も悪そうだし、ひたすら巣ごもりしているしかないですね。
 

Re: 緊急事態宣言

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2020年 4月17日(金)22時04分48秒
返信・引用
  > No.6672[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

本当、出ちゃいますよね、つい愚痴・・。

自分も「車中泊」での城巡りなんで、人と接しない自信はあるんですが、同じようにやっぱ駄目なの?って思います。

当分の間は、自宅の裏山の「倉ヶ崎城」で足慣らしをしながら体力を維持し、自宅で援軍のない「籠城戦」に耐えるつもりです(苦笑)


 

緊急事態宣言

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月17日(金)07時08分57秒
返信・引用 編集済
  緊急事態宣言、全国に拡大かあ・・・。

これでますますどこにも遠征できなくなったなあ。山城に行って誰にも会わない自信があるのになあ。

首相夫人が、大分まで団体で行っているくらいだから、地方の山城に行くくらい、認めてほしいような気がする・・・・・。
 

宇喜多秀家

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月14日(火)04時07分51秒
返信・引用 編集済
  宇喜多秀家のことを考えるとき、秀吉の死の場面に臨んで、彼がいったいどのような思いであったろうかと、いつも思ってしまう。おそらく、他の大名とは異なる特別な思いがあったはずである。

自分の死を目前にして、幼い秀頼のことをただひたすらに懇願する秀吉。これと同じ場面を秀家は、17年前に体験していたのである。

その時、将来を懇願された幼い子供は自分自身であった。

宇喜多直家が病死したのは天正9年、その時、嫡子であった秀家は、わずか9歳であった。

権謀術数の限りを尽くして、1代で50万石の戦国大名となった直家も病魔には勝てなかった。死を前にした直家は、幼い八郎(秀家)の将来が心配でならなかったに違いない。

9歳の大名の所領など、たちどころに奪われてしまうに違いない、実際、自分はあの手この手を使って、敵味方の所領を奪ってきた。

そんな生き方をしてきたにもかかわらず、直家は、秀吉に幼い八郎のことを託した。

「安心してくだされ。八郎は、天下に名の轟く程の武将に育て上げましょう」くらいのことは言ったに違いない。そして、それを聞いた直家は感激しながら死んでいったと思う。

その場面を幼い八郎は近くで見ていたはずである。

そして、その言葉の通り、秀吉は八郎を自分の猶子として立派に育て上げた。宇喜多氏の所領に寸土も手を付けることはなく、秀家を備前・美作・備中57万石の大名として成長させた。わずか20代にして、豊臣家の五大老にするほどの厚遇を見せた。

秀家は秀吉に感謝の念を抱いていたに違いない。

時は巡り、秀吉が死の場面に至り、そして自分が、あの時の秀吉の立場に置かれた。幼い秀頼のことを託された秀家は、命に代えても秀頼を守り抜こうと誓ったに違いないのである。

この時の秀家の気持ちを思うと、なんとも熱いものがこみあげてくる。秀家は誰よりも秀頼に対して守りたいという思いを抱いたのではないだろうか。実際、関ケ原の西軍で、最も奮戦したのが宇喜多隊だったのである。

しかし、結局は西軍は敗れてしまい、秀家はやがて捕らえられ、八丈島に流されることになる。八丈島の流人第1号である。

八丈島で秀家は長く生きた。彼の人生の大半は八丈島で費やされることになる。82歳という高齢で没した時、関ケ原で相見えた大名たちはみな没していた。

豊臣時代の大名の誰よりも、彼は長生きしたのである。
 

お福

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月13日(月)05時08分41秒
返信・引用 編集済
  お福は宇喜多直家の妻であり、宇喜多秀家の母である。

この女性にも昔から興味があった。しかし、史料に乏しく、詳しいことはよく分からない。しかし、とても魅力的な女性であったことは間違いないと思う。

彼女は美作の豪族の家に生まれ、10歳ほどで三浦貞勝の妻となっている。おそらくこれは政略結婚のようなもので、10歳で実質的な妻ということはなかったであろう。

しかし、貞勝との間の結婚生活は10年近くも続き、その間には娘も生まれている。

彼女が20歳前の時、近隣の豪族後藤氏によって三浦貞勝は殺され、城は攻め落とされてしまう。彼女は娘を連れて城を脱出し、かろうじて生き延びた。

その後、宇喜多直家の庇護を受け、いつの間にか直家の妻となっている。その間にどういういきさつがあったのか、小説のネタになりそうな部分であるが、詳細は不明である。

そして、直家との間に生まれたのが、後に豊臣政権で五大老の1人となる秀家であった。

謀略好きの直家は時勢を見るのに敏感であり、自分が属していた毛利家よりも、織田家の方が将来性があることを見抜く。そして、ひそかに毛利を裏切って織田方の羽柴秀吉に内通する。

秀吉の中国攻めが軌道に乗ってくるのは、備前美作50万石の太守であった宇喜多直家が裏切ってくれたからこそである。

しかし、その時には、直家は病魔に侵されており、余命いくばくもない状態であった。息子の秀家はまだ幼い。

直家は、秀家を秀吉に託す。秀家の秀の字は、秀吉からもらったものであった。

そして直家は病没する。秀吉は直家との約束を守り、秀家を養子として育てる。そしてお福は羽柴秀吉の側室となった。

三浦貞勝、宇喜多直家との結婚を経て、結局、お福の方は天下人の妻となる。ものすごい転変ぶりである。

いったい彼女はどのような女性であったのか。秀吉にも見出されていることから、そうとう魅力的な女性であったことは間違いないのであろうが、詳しいことはよく分からない。
 

Re: 緊急事態宣言

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月10日(金)03時42分22秒
返信・引用 編集済
  > No.6668[元記事へ]

マリンブルーさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。

おっしゃるように、近所の城址公園程度であったなら、訪問も問題ないようですね。

しかし、首都圏から出るとなると、批判を浴びそうなので、悩ましい限りです。

普段、城巡りのための遠征をしようと思っても、思うように時間が取れないため、計画が立てられずにもどかしいことが多いのですが、今回は、時間が取れたとしても行動制限されてしまっています。

近所の散歩と、人にほとんど合わないような山城めぐりはOKみたいになってくれるとありがたいですが・・・・だめでしょうね(xx)

ちなみに、先日、愛媛の城巡りをした際に、人と会ったのは、市街地にある平城1ヶ所だけでした。
 

緊急事態宣言

 投稿者:マリンブルー  投稿日:2020年 4月 9日(木)05時47分1秒
返信・引用
  ものすごく、お久しぶりに投稿させていただきます。

私の住む千葉県も緊急事態宣言の対象となりました。県知事の会見によると、家族での食事、運動のための外出、散歩は、どうぞなさってください、とのことですので、近所の城址公園を散策するくらいは何の問題もないと拡大解釈しています。

泊りでの城攻め、他県への移動は自粛するしかないですかね。私は、猪突猛進で、思い立ったら、仕事も放り投げて城攻めに行ってしまうタイプで、よく「城は逃げないよ」と言われます。今は我慢して、少しでも早く事態の収束を願っています。

運動のための城址公園散策はいいだろうと思います。食事は、外食せずに弁当持参で。
 

Re: 熊城山麓遺構について

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 9日(木)05時12分53秒
返信・引用 編集済
  > No.6666[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

そうなんです。せっかく時間が取れるのだから、本当なら、地方の山城に行きたいです。

どうせ誰とも接触しないし、伝染すことも伝染されることもないと思うのですが・・・。

それにしても、遠征中は車中泊ですか。これは私にはちょっと真似できないですね。
 

Re: 熊城山麓遺構について

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2020年 4月 8日(水)22時32分52秒
返信・引用
  > No.6665[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。



> ところで、いよいよ緊急事態宣言が発出されましたね。
>
> 首都圏以外の、人に出会わないような山城に行く計画を立てていたのですが、この宣言が出ている間は、やはり山城にも行けないのでしょうかねえ。
>
> 山城に行っても、人に会うことはほとんどないのですが・・・。
>
> 悩ましいところです。
>
>
本当に悩ましいところです。

こんな状況の中で怖いのは新型コロナよりも人の口ですかね、ややもすると「魔女狩り」の様に責め立てられる様なご時世ですから・・・。

今回、悩みましたが思い切って長野から山梨、また長野へと3日間山城歩きをしました。
確かに山城に行くとそんなに人と会うこともないのですが、下界に降りると食事もしますし買い物もしますので結構細かい部分に気を遣いましたね。

自分の山城歩きはいつも移動は車、宿泊は車中泊ですので、今回も極力人の集まるところへは行かないようにしました。

今、「コロナ疎開問題」とやらも取り沙汰されるようになってますから、現地の方々の目も気になってきますね。

そっと静かに行くしかないですかね。
難しい問題です・・・・。

 

Re: 熊城山麓遺構について

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 8日(水)03時47分24秒
返信・引用 編集済
  > No.6664[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。

情報、ありがとうございます。

熊城の山麓のあれ、やはり石切り場でしたか。城郭校で配下と思いましたが、あまりにも見事なので、いわゆる城郭類似遺構といったやつですね。

留池の上方は貴重ですね。信玄の時代に氷を作っていたとは意外です。富士の氷室というのは聞いたことがあるのですが、甲府にもあったんですね。

ところで、いよいよ緊急事態宣言が発出されましたね。

首都圏以外の、人に出会わないような山城に行く計画を立てていたのですが、この宣言が出ている間は、やはり山城にも行けないのでしょうかねえ。

山城に行っても、人に会うことはほとんどないのですが・・・。

悩ましいところです。

 

熊城山麓遺構について

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2020年 4月 7日(火)10時56分7秒
返信・引用
  こんにちは、ご無沙汰しております。

約30年振りに甲府の「要害山城」に登りました。
余湖さんのHPに「熊城」について記載されておりましたので記事を道標に尾根伝いにそちらの方にも足を伸ばしてみたんですが、石積みや畝状竪堀、大堀切等の遺構のすばらしさもさることながら熊城山麓までの余りの険しさに「二度目はないな」と感じた次第です(苦笑)

さて、熊城山麓遺構についてですが山麓に降りたところ地元の方がいらっしゃったので色々と話を伺うことが出来ました。
山麓遺構は城跡というよりも石切場?と感じたもんですから地元のお父さんに聞いてみたところやはり昔の石切場があったところで加工がしやすい良質の石が産出され、墓石などの材料とされ
明治時代まで採掘していたとのことでした。

あと、段々に積まれた石積みは石切場で働く人たちの住居跡?と聞いたところ、畑の「土止め」の為だそうです。
「土止め」の石積みは険しい斜面を養蚕の桑畑として利用するためのものだったそうで、古いものだと信玄公の時代からのものもあるらしいのですが斜面の上の方の古い石積みはすでに埋まっていて、残った石積みのある所は桑の栽培はやめて水田や畑として利用しているとのことでした。

すると地元のお父さんが、「面白いものがあるからついてきて」と石切場の入り口近くまで戻った所まで案内してくれて、沢を挟んだ対岸にある石垣について説明してくれました。
信玄公時代からある氷をつくる「溜め池」の石垣だそうでその上には出来た氷を保管するための屋敷があったとのことでした。

熊城の麓の根小屋地区にはその昔飯島一族が居住し水源を守っていたとのことで、そのお父さんの家系も土着した武田家の武士だそうで600年程前からこの地に住んでいると言ってました。

写真1枚目:熊城山麓石切場跡
写真2枚目:根小屋地区階段状の石積み
写真3枚目:根小屋地区製氷場の石垣

 

Re: 余湖図お借りします

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 7日(火)03時50分7秒
返信・引用
  > No.6662[元記事へ]

徒然@城廻りさんへのお返事です。

了解しました。ご丁寧に連絡いただき、ありがとうございます。

出典がこのホームページであることを明記してありますので、ご使用に問題はありません。

今後ともよろしくお願いします。

 

余湖図お借りします

 投稿者:徒然@城廻り  投稿日:2020年 4月 7日(火)02時17分58秒
返信・引用
  お世話になります 徒然@城廻りと申します。

千葉の鷺山城の時にもお借りしましたが再びコレクションの中から今井城図を拙Blog用にお借りします。

宜しくお願いします。

https://kdx220k.blogspot.com/

 

Re: 飯高天神砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 5日(日)06時18分58秒
返信・引用
  > No.6658[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

情報、ありがとうございました。おかげさまで、今まで知らなかった城を訪れることができました。

確かに、誰でも普通に訪れるような神社ですから、今まで知られていなかったということはなかったのでしょうね。でも、気が付きませんでした。

『千葉県所在…』掲載されていましたか。こちらも気が付きませんでしたね・・・。

私はそれを所持していないので、ネットで千葉情報マップを見たのですが、こちらには掲載されていませんでした。

いずれにせよ、完全に独立した別の山稜にあるので、飯高城そのものに含めてしまうよりは、出城とすべきものですね。

昨日は千葉県にも外出自粛要請が出ていましたが、人のいないような屋外の場所に早朝に行くのならば大丈夫かなと思い、朝6時に訪れました。

実際、誰とも会うことはありませんでした。

既にすべて回ったはずの千葉県内において、未知の城郭と出会えるのは、とてもワクワクしますね。

それではまたです。
 

Re: 長野 小川村 布留山城

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 5日(日)06時17分6秒
返信・引用
  > No.6657[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

宮坂さんの見落とした遺構を見つけましたか、さすがですね。

長野もずいぶん回ったのですが、小川村はまだ訪れていない数少ない村です。

今年中には行ってみたいと思っています。
 

Re: 飯高天神砦!

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月 4日(土)23時09分32秒
返信・引用
  > No.6656[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

早速、見に行っていただきありがとうございます。
自分の紹介した場所が立派な縄張り図になるのは嬉しいですね。たまたま上った天神社ですが堀切を見た時のざわざわした感じは当たりでした。

千葉県所在…をよく見ると飯高城の城域に含んで線を引いていますね。やはり飯高城の一部として認識されていた様です。
しかし飯高城や周辺の城跡を解説をした書籍等には存在を指摘されておらず、認識はされていたが忘れられた場所だった感がありますね。

せっかく飯高檀林周辺の遊歩道に含まれているので城跡としての解説もあると散策する人の楽しみになるのでは?と残念に思います。

それなりの規模を持つ城跡周辺を散策していて怪しい地形を見つけたり、地図で妙見社を発見するとワクワクしてしまいます。
コロナに感染するなら城跡初心者の通過儀礼である新発見病に感染してやる!と思いつつ楽しんでおります(笑
 

長野 小川村 布留山城

 投稿者:横尾  投稿日:2020年 4月 4日(土)23時02分52秒
返信・引用
  大日方氏の関係で布留山城に登ってきました。宮坂氏の縄張り図にない西尾根を見つけましたので報告します。
一枚目 古山神社の麓にある説明版
二枚目 二の丸子の曲輪から、西尾根が下っています。
三枚目 西尾根

http://yamasiro749.blog.fc2.com/

 

飯高天神砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)11時23分53秒
返信・引用
  K23さんに教えていただいた飯高城の東側の天神砦に早速行ってみた。

K23さんのご指摘の通り、明らかに城址であった。これだけのものが、どうして遺跡地図から漏れてしまったものか。

コンパクトにまとまっており、飯高城の東方を監視するための出城であったと考えられる。

http://mizuki.my.coocan.jp/yogokun/youkaitibasi1.htm#tenjin
 

港山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)09時02分40秒
返信・引用
  これも松山市のお城。

その名の通り、港を見下ろす山に築かれた海城である。

城内には遊歩道が付けられているが、雨がひどくなってきたため、駆け足で回ることしかできなかった。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/matuyamasi04.htm#minato
 

花見山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)09時01分18秒
返信・引用
  これも松山市のお城。

堀江進池の隣の独立台地にある。

低い台地であり、切岸以外に目立った遺構もないが、それなりの歴史を有している城である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/matuyamasi04.htm#hanami
 

新張城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時59分3秒
返信・引用
  愛媛県松山市のお城。

平城であるが、一部には水堀や土塁が残されている。

かつてはよく残されていたというが、大雨の際の土砂崩れで、崩落した山の土砂が大量に流れ込んでしまい、堀を埋めてしまったのだという。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/matuyamasi04.htm
 

幻城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時57分5秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

幻城とは、なんと幻想的な名称なのだろう。土砂降りの中、訪れたので、山そのものが霞んでおり、まさに幻のような状態であった。

地形図を見て、一番簡単にアクセスできそうな林道で向かったのだが、これが酷い悪路であった。何度も引き返そうと思いつつ我慢して運転しつつ、何とか下城の方だけは訪れることができた。

もっといい舗装路もあったのかもしれない。ちゃんと調べてから行くべき城である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#naborosi
 

獅子ヶ鼻城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時54分14秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

小規模な城郭であるが、堀気rはしっかりと構築されている。

城址のすぐ下まで車でアクセスできるので、これもお手軽城郭である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#sisi
 

杉尾山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時51分45秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

郭が小さい割には大規模な畝状竪堀を巡らせているという点で、異様な城郭であると言える。

この地域の城としては異質なもので、秀吉の四国攻めの際に小早川勢によって築かれたものではないかと考えられる。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#sugio
 

福岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時49分25秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

八幡神社のある山稜が城址である。

比高は30mほどだが、独立山のため、遠くからでも目立って見える。

遺構としては見るべき程の物はない。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#hukuoka
 

文台城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時47分57秒
返信・引用
  愛媛県西条市のお城。

かなり長期間にわたって使用された山城で、近年、案内板が設置され遊歩道も付けられている。

規模は大きくないが、堀切や切岸などは現在も往時の雰囲気のまま残されている。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm
 

岡崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時45分40秒
返信・引用
  これも新居浜市のお城。

鉾前神社のある独立山稜が城址である。神社の周囲が特に急峻な地形になっている。

遺構はよく残っているが、山の背後が削り取られていて、縁部によると危険である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/niihamasi01.htm
 

金子城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時44分24秒
返信・引用
  愛媛県新居浜市のお城。

秀吉の四国攻めでも抵抗した金子氏の居城である。

公園化されていて上まで車でアクセスできるのだが、遺構はほとんどなくなってしまっている。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/niihamasi01.htm#kaneko
 

川之江陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時43分13秒
返信・引用
  これも四国中央市のお城。

一柳氏の陣屋であった。

市街地化で陣屋の遺構は失われてしまっているが、近くの八幡神社に陣屋の櫓門が残されている。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/sikokutyuuou01.htm#jinya
 

畠山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時42分2秒
返信・引用
  愛媛県四国中央市のお城。

高さは高くないが、急峻な独立山稜に築かれている。

かつては海に面した海城だったようで、城内には塩釜神社が祭られている。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/sikokutyuuou01.htm
 

吉山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時40分21秒
返信・引用
  これも東温市のお城。

志津川霊園の背後にそびえる城山に築かれている。

ここも城まで車でアクセスできるが、けっこう悪路である。

遺構はしっかりとしたものが見られる。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/touonsi01.htm#yosiyama
 

塩ヶ森城・鳥屋ヶ森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時37分32秒
返信・引用
  これも東温市のお城。

ふるさと公園となっているので、山頂近くまで車でアクセスできるので、高所のわりには簡単に訪れることができる。

しかし、遺構はほとんどない。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/touonsi01.htm#sio
 

花山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時36分21秒
返信・引用
  これも東温市のお城。

山稜先端部に築かれており、城内まで車でアクセスできる。

小規模ながら堀切や切岸はしっかりとしている。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/touonsi01.htm#hanayama
 

庄司城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時35分15秒
返信・引用
  愛媛県東温市のお城。

大除城の支城の1つであったという。

小規模な独立丘陵に築かれているので、簡単に登ることができる。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/touonsi01.htm
 

大除城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時34分11秒
返信・引用
  愛媛県久万高原町のお城。

山の斜面が削り取られており、かなり遠くからでも視認できる特徴的な山城である。

石垣をふんだんに用いた拠点的城郭であったようだ。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/kumakougen01.htm
 

八黒城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時11分15秒
返信・引用
  これも大洲市のお城。

河辺川に臨む山稜に築かれた小規模な砦と言った趣の城である。

背後の土塁は大きく、そこに城址碑が建てられていた。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/oozusi03.htm#yaguro
 

橘城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時10分11秒
返信・引用
  これも大洲市のお城。

周囲が切り立った崖の先端部にある八幡神社が城址となっている。

遺構はそれなりに残っているのだが、この神社まで到達するのが、なかなか大変であった。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/oozusi03.htm#tatibana
 

堀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時08分55秒
返信・引用 編集済
  これも大洲市のお城。

これまた細い道を延々と走って行った先にある。

河辺川がぐるりと周囲を蛇行して削っている山稜上に築かれており、見るからに要害地形である。

これも山頂まで車で行けるので楽であった。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/oozusi03.htm#hori
 

新谷陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時06分35秒
返信・引用
  これも大洲市のお城。

大洲藩から分地された加藤氏の陣屋の跡である。

明確な遺構は乏しいが、陣屋建造物が麟鳳閣として残されている。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/oozusi03.htm#niiya
 

祖母井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時05分15秒
返信・引用
  これも大洲市のお城。

比高120mの山城であるが、城のすぐ真下まで林道を通ってアクセスすることができる。

現在も鋭い城塁が残されており、一部にはしっかりとした石積みが見られる。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/oozusi03.htm#ubagai
 

大陰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時03分17秒
返信・引用
  これも大洲市のお城。

主郭背後の土塁と堀切がとても大きい。その他にも郭と思われるようなスペースはあるのだが、どこまで上位機なのか分かりにくい。

土塁には鉢巻き石垣も見られる。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/oozusi03.htm#ookage
 

滝山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)04時01分51秒
返信・引用
  滝山城と言えば、東京にある技巧的な城郭が有名だが、こちらは愛媛県大洲市の城である。

城まで3カ所から林道が通っているが、一番まともな樫谷集落からの道がナビの地図に載っていなかったため、ナビが迷走して苦労することになった。

遺構はそれなりに見どころがある。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/oozusi03.htm

 

Re: ようこそ愛媛へ

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 3日(金)03時58分40秒
返信・引用
  > No.6630[元記事へ]

城郭放浪記さんへのお返事です。

こちらこそ、ご無沙汰しております。

愛媛の城館を回るにあたっては、城郭放浪記さんにずいぶんお世話になりました。

感謝いたします。

愛媛の城もなかなか面白かったのですが、運転をためらうような山道が多かったので、けっこうしんどかったです。

私の地元から四国へはLCCを使って行けるので、できればまた訪れたいものだと思っております。

それではまたです。



 

ようこそ愛媛へ

 投稿者:城郭放浪記  投稿日:2020年 4月 2日(木)23時24分19秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。
愛媛県のマイナー城館をたくさん巡られたようで、ご紹介いただきありがとうございます。
西日本にはまだまだたくさん良い城がありますので、ときどきお越しいただきご紹介していただければと思います。
 

立花城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 2日(木)03時40分14秒
返信・引用 編集済
  姫県砥部町のお城。

大規模ではないが、それなりに技巧的な面も見られる山城である。

大除城の大野氏の一族の居城であった。

子供が書いたと思われる「ここはみんなのきちです」という案内板が何ともほほえましい。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/tobemati01.htm
 

Re: 飯高天神砦?

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月 1日(水)19時08分33秒
返信・引用
  > No.6623[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> 飯高城の西側ではなく、東側に天神社があるようですが、こちらのことですね?

その通り東側です!我ながらボケてますね…
 

伊福城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 1日(水)04時02分4秒
返信・引用
  これも伊予市のお城。

比高300mのものすごく急峻な山に築かれているが、城のすぐ背後まで車道が通っているので、意外にもアクセスは簡単である。

2つの二重堀切など、それなりに見どころのある遺構がある。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/iyosi01.htm#ihuku
 

拝高城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 1日(水)03時59分57秒
返信・引用
  これも伊予市のお城。

単郭の城だが、背後の堀切は大きい。

内部が共同墓地になっているため、車でアクセスもできるのだが、途中に架かっている橋は、軽自動車でなければ、通過できないほど狭い。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/iyosi01.htm#haitaka
 

根中城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 1日(水)03時58分26秒
返信・引用 編集済
  これも伊予市のお城。

松森城に向かう途中の林道からすぐに登って行ける。

位置からしても松森城と関連した城郭であったと考えられる。

一城別郭とでもいうべき、2つの城から形成されている。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/iyosi01.htm#nenaka
 

松森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 1日(水)03時56分55秒
返信・引用
  愛媛県伊予市のお城。

城址公園となって、城のすぐ近くまで車でアクセスできる。

コンパクトな城だが、それなりの意匠はそろっている。

天正年間に長宗我部軍に攻撃されて落城した城である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/iyosi01.htm
 

Re: 飯高天神砦?

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 1日(水)03時55分26秒
返信・引用
  > No.6620[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

> 遅ればせながらま7000城達成おめでとうございます。

ありがとうございます。ちまちまと続けていたホームページですが、やっとここまで到達したという感じです。

>
> 先日、飯高城(檀林)に散歩にいったのですが、北駐車場から近い飯高城の西側に天神社のある高台があります。
> たまたまそこに上ったのですが、どうも飯高城の見張り用砦と考えて良さそうな遺構がありました。

飯高城の西側ではなく、東側に天神社があるようですが、こちらのことですね?

図を見た限りでは、出城のように見えますね。飯高城の周囲には他にも2つの出城があるので、可能性は否定できません。

近いうちに見に行きたいと思います。

 

Re: 駿府城小天守台ほか

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 1日(水)03時52分47秒
返信・引用
  > No.6619[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 余湖さんへのお返事です。
>
> あくまでも仮説のレベルに過ぎませんが、天正期天守が家康の創建となると、米子城の天守が
> 小藩・あるいは池田家の家老の支城になっても解体しなかった理由が浮かび上がります。
>
>
> 米子城天守の三段の石垣は、単に建築的な構造物だけではなく、本丸・天守曲輪を
> 連想させるデザイン的要素ではなかったのか。そのデザインの原型は駿府城にあったのでは
> ないかということです。
> http://whitecats.dip.jp/up/download/1585651421/attach/1585651421.jpg
> http://whitecats.dip.jp/up/download/1585651535/attach/1585651535.jpg
> (パスワード、両者とも半角でShiro yahoo地図をphotoshopで加工しました)
>
> 米子城本丸部を反時計回りに45度(青線:天守台1段目石垣部 赤線:小天守 緑線:大天守)に
> 駿府城の位置と重ねると、青線部が天正期天守台、赤線が小天守台とかなり重なります。
>
> つまり米子城天守は天正期駿府城の天守あるいは、小天守の用材を拝領して
> デザイン的にも類似した物が建てられたのではないかということです。

米子城の天守・小天守と駿府城の天守・小天守が類似した構造のものであったとjは気が付きませんでしたね。

中村氏が家康創建の天守を真似したということでしょうか。
 

飯高天神砦?

 投稿者:k23  投稿日:2020年 3月31日(火)21時06分43秒
返信・引用
  ③の画像です。  

飯高天神砦?

 投稿者:k23  投稿日:2020年 3月31日(火)21時05分44秒
返信・引用
  遅ればせながらま7000城達成おめでとうございます。

先日、飯高城(檀林)に散歩にいったのですが、北駐車場から近い飯高城の西側に天神社のある高台があります。
たまたまそこに上ったのですが、どうも飯高城の見張り用砦と考えて良さそうな遺構がありました。
形状としては香取市にある大方城を小さくしたような地形で下手で恥ずかしいのですが簡単なイラストにしてみました。
①は一番大きく目立つ土塁です天神社の境内となります。
②は堀切らしい遺構です。小さいですがそれらしいと思えます。
③は堀切の先から降りられる公園ですが郭のように思えます。
その他に天神社階段の右側に小さな腰郭のようなものもあります。
「千葉県所在…」や「東総の城郭と居館跡」をみてもはっきりした記述がないため自信がありません。
仮に城郭遺構だとしても飯高城の一部として地域の方や先輩方には認識されていたのであろうとは思っていますが…
画像だけでは判定は難しいかもしれませんが余湖さんはどう思われますか?
 

Re: 駿府城小天守台ほか

 投稿者:狸屋  投稿日:2020年 3月31日(火)19時55分25秒
返信・引用
  > No.6604[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

あくまでも仮説のレベルに過ぎませんが、天正期天守が家康の創建となると、米子城の天守が
小藩・あるいは池田家の家老の支城になっても解体しなかった理由が浮かび上がります。


米子城天守の三段の石垣は、単に建築的な構造物だけではなく、本丸・天守曲輪を
連想させるデザイン的要素ではなかったのか。そのデザインの原型は駿府城にあったのでは
ないかということです。
http://whitecats.dip.jp/up/download/1585651421/attach/1585651421.jpg
http://whitecats.dip.jp/up/download/1585651535/attach/1585651535.jpg
(パスワード、両者とも半角でShiro yahoo地図をphotoshopで加工しました)

米子城本丸部を反時計回りに45度(青線:天守台1段目石垣部 赤線:小天守 緑線:大天守)に
駿府城の位置と重ねると、青線部が天正期天守台、赤線が小天守台とかなり重なります。

つまり米子城天守は天正期駿府城の天守あるいは、小天守の用材を拝領して
デザイン的にも類似した物が建てられたのではないかということです。
 

Re: 悪役という[イメージ]

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月31日(火)04時54分37秒
返信・引用
  > No.6617[元記事へ]

あまり油城さんへのお返事です。

歴史というものは、基本的に勝者の立場から書かれているので、勝者に敵対した勢力などは、後世の歴史では悪役であった、ということになります。

だから、おっしゃるように、後世の歴史で悪役として描かれているからと言って、必ずしも本当に悪人であったかどうかは、分かりません。

明智光秀などは、近年では、それほど悪人のようには言われないようになっていますし、かつて悪人と言われた人が評価され直しているということも増えているかと思います。

今川義元などは、かつてはただのやられ役としか描かれていない場合が多かったものですが、近年ではそれなりの武将として描かれることが多いようです。

今川義元も明智光秀も、その最期があまりかっこよくないので、その辺が低評価の原因なのかもしれません。
 

悪役という[イメージ]

 投稿者: あまり油城  投稿日:2020年 3月30日(月)22時49分39秒
返信・引用
  初めまして。以前別の名前で投稿させてもらってたあまり油城と申します。
ふと思ったのですが、明智光秀や今川義元等の[織田視点から見た悪役]のイメージが現代社会に刷り込まれ過ぎている気がします。(実際そうだと思います。)
日本史で主に[悪役]とされている人物は、本当に全て悪役だったのか、と考えてしまいます。
本当に皆悪なのかな、と私は思います。
 

Re: 素晴らしい資料! 使わせていただきたいです。

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月29日(日)04時46分10秒
返信・引用
  > No.6614[元記事へ]

たらい舟さんへのお返事です。

佐渡の戦国時代を描いた小説ですか。まだ誰もチャレンジしていない分野ですね。

歴史小説には興味があるので、後でゆっくり読ませていただきます。

それではまたです。
 

Re: 熊本県城廻

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月29日(日)04時45分5秒
返信・引用
  > No.6613[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

そうでしたか。熊本城も少しずつ復興しているのですね。完全復旧までは、まだかなり時間がかかるのでしょうが、何とか復活してほしいものです。復旧が進んできたら、私も行ってみたいと思います。

佐敷東城、古麓城の情報、ありがとうございます。次に熊本に行く際には、ぜひ立ち寄ってみたいと思います。

私は愛媛まで、ちょっと遠征に行ってきました。LCCの国内線は、まずまずの込み具合でした。国内線はそれほど影響は受けてなさそうに感じました。

それにしても愛媛に行っている間、毎日雨に降られました。こんなに毎日雨だったのは初めてです。それでもけっこう回ってしまいましたが。

愛媛は山の中の集落が多く、細い一本道を延々と走って行かなければならない場面が多かったため、移動に時間がかかりますね。

それではまたです。
 

素晴らしい資料! 使わせていただきたいです。

 投稿者:たらい舟  投稿日:2020年 3月27日(金)06時54分18秒
返信・引用
  はじめて書かせていただきます。たらい舟と申します。

佐渡ヶ島を舞台に、「佐渡ヶ島から始まる戦国乱世」という題で、戦国時代の小説を書かせていただいております。母が羽茂出身で、縁があったもので。
浅学なため、西三川城等の色々な資料を集めている最中、このサイトを読ませていただきました。素晴らしい資料でとても驚きました。

当方素人につき、高尚な物書きではありませんが、資料として使わせていただきたいと思っております。つきましては、使用許可をいただければ幸いです。

https://ncode.syosetu.com/n1637gb/

 

Re: 熊本県城廻

 投稿者:備前守長政  投稿日:2020年 3月27日(金)06時47分23秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。


> 情報、ありがとうございます。これらの城については未見です。熊本にもまた行きたいと思っているので、今度訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみたいところです。
>
> ところで、熊本城には行かれましたか? 復興がどの程度進んでいるのか、気になっています。



熊本城、夜行きました。佐敷東の城に夢中になって、古麓城に行く時間が足りなくなり(古麓城は翌朝に回しました)、夕方中途半端に時間が出来たので、乗ったことなかった800系新幹線に体験乗車、熊本駅に行きました。そうなると、折角来たので市電に乗って熊本城へ。

天守は外観修理終ったようで、ライトアップしていました。惜しむらくは、メインストリートの行幸坂が封鎖されているので、チラ見しか出来ませんでした。北西側からなら或は見られたかも知れません。レンタカー会社の人によると、4月には天守近くまで行ける歩道が開通するそうです。

因みに佐敷東の城ですが、旅館をやっている方のサイトで紹介されている登城路について、入口が見つけられず、城郭放浪記さんが使われたルート、芦北高校裏手のさくら公園駐車場まで車で行き、そこから舗装路を歩きました。
実はこの道、基地局まで続いており、車をとめるスペースもあります。その先に半ば落ち葉に埋もれた階段があり、そこを登りきり左手の尾根を更に登って下りてまた登ると、連続堀切に行きつきます。

古麓城は、八代城の建物が移築されている春光寺の奥に駐車場があり、そこから稲荷神社を経由し奥の院を目指すと、途中右手に連続堀切が目に飛び込んできます。

ご参考まで。
 

Re: 熊本県城廻

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月26日(木)03時56分0秒
返信・引用 編集済
  > No.6611[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

熊本に行かれましたか。おっしゃるように、お城巡りは外歩きで、しかもほとんど人に合わなかったりするので、コロナウイルスの影響はまったくなさそうですね。

LCCは基本的にはキャンセル不能になっていることが多いですね。とりあえずお金を払ってしまったら行くしかない、といったところです。

コロナでは、これまでになかったような対応をせざるを得ない場面が多くて、いったいこの先どうなっていくのか、戸惑っているところです。

> その他、佐敷東の城、古麓城、陣内館が良かったです。

情報、ありがとうございます。これらの城については未見です。熊本にもまた行きたいと思っているので、今度訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみたいところです。

ところで、熊本城には行かれましたか? 復興がどの程度進んでいるのか、気になっています。

 

熊本県城廻

 投稿者:備前守長政  投稿日:2020年 3月25日(水)15時55分28秒
返信・引用
  ご無沙汰しています。世情不安の中、いかがお過ごしですか?

城廻は、専門家会議の3つの指針と真逆、開放空間、まず人は居ない、一人歩きで至近会話無しで、対新型コロナウィルス最適の趣味だと思うのですが、いかがでしょう。

さて私、3連休熊本県に行ってきました。ジェットスターのキャンセルが、窓口が繋がらず断念、意を決して行ってきました。
成田空港第三ターミナルビルは、国際線は閑散していましたが、国内線は何時もと変わらぬ混雑でした。

今回は古代から中近世まで熊本県内幅広に見ました。

余湖さんの図があるところでは、クク智城、菊池城、隈府城、佐敷城、八代城などが見応えありました。

その他、佐敷東の城、古麓城、陣内館が良かったです。

佐敷東の城や古麓城は、山上は大した普請無いものの、縁辺部支尾根の連続堀切が見事でした。

陣内館の堀、土塁は規模大きくしかも見易くなっています。最近館南側に立派な舗装道路が出来て楽に行けます。

それではまた。

 

宇喜多直家

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月25日(水)04時29分48秒
返信・引用 編集済
  宇喜多直家は名前だけ登場しており、実際に役者が演じるということはなかったように記憶している。

ただ、宇喜多直家の降伏を認めた際に、秀吉が信長にこっぴどく怒られた場面だけは印象に残っている。

最終的には信長も、宇喜多直家の帰属を認めたために、秀吉の中国侵攻は見違えるようにはかどって行くことになる。

宇喜多直家という人物は一般的に評判が悪い。というのも、陰険な人物だと言われており、斎藤道三、松永弾正と共に戦国3悪人とまで呼ばれることもある。

しかし、私は昔からこの人物には興味があった。

幼いころに実力者であった祖父を殺され、頭の弱い父と共に、一寸の所領も持たずに不遇な少年時代を過ごし、徒手空拳で備前美作50万石の大名に成り上がった人物である。並大抵の武将ではなかったと思うのである。

彼の評判の悪さは、暗殺が多かったということによるものだと思う。戦で戦って勝つというよりも、敵を調略して暗殺することで自分の勢力を広げていった人物である。

だから陰険な悪人というように呼ばれているのである。しかし、これはどうだろうか?

確かに直家が暗殺を多くしていたというのは事実であるが、単純に人を殺害した人数で換算すれば、戦国武将の中では最も人を殺していない人物であるともいえるのである。

一例を挙げると、武田信玄と上杉景勝が激突した川中島の合戦では数千人が1日で戦死したと言われている。これは非常に数が多い例だが、合戦をすれば何百人という人間が死んでしまうのが当然である。

それに比べて、直家の戦略では、敵の大将1人を暗殺してしまえば、目的を達成できるのである。だから、直家はあまり合戦をしていない。最も人を殺害していない戦国武将、というのはそれゆえである。

思うに、幼少時代から青年期にかけての苦労した思いから、彼はあまり人を(特に身内の)死なすのが嫌な性格だったのではないだろうか。多くの人を殺すよりは、敵の大将1人を殺害するだけで済むのであれば、その方が人的被害が少なくてすむ。

ある意味では、彼こそが最もヒューマニズムに溢れていた人物ではなかったかとも思うのである。

直家といえば、妻のお福も有名である。これについてはまた後で書いてみたい。
 

山中鹿之介

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月24日(火)04時03分56秒
返信・引用
  山中鹿之介は、誰が演じていたのかも覚えていない。

子供の頃、それがどんな人物かもわからなかったのだが、登場してきたときに、祖父が「これが山中鹿之介か」と言っていたので、山中鹿之介がかなり有名な人物であるらしいことだけが理解できた。

「我に七難八苦を与えたまえ」という有名な言葉を言っていたかどうかも覚えていない。

ただ、上月城に籠城した鹿之介たちを「見捨てよ」と信長に命じられて苦悩する秀吉のシーンだけが今もよく覚えている。

光秀だけでなく、秀吉も、信長の下で苦悩するシーンがよく描かれていたのであった。
 

帰蝶2

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月23日(月)05時24分55秒
返信・引用
  帰蝶と言えば、斎藤道三の娘であり、織田信長の正室となった人として有名であるが、今回の『麒麟』では、ちょっと新しい解釈でも描かれている。

これまで、帰蝶が最初に嫁いだのが織田信長というように言われていたが、『麒麟』では、最初に嫁いだのが土岐頼純であり、土岐頼純が夭折した後に、織田信長に嫁ぐということになっている。

これは、土岐頼純に斎藤道三の娘が嫁いだという新史料が発見されたことによるものらしいのだが、しかし、その娘の名前は記されていない。

普通に考えると、帰蝶とは別の娘がいて、土岐頼純に嫁いだのはそちらであるというように解釈する方が自然なように思えるのだが、土岐頼純が死んだタイミングと、織田信長の輿入れとのタイミング、そして、道三には他に娘がいたかどうかわからなかったということから、そのような解釈になっているのだと想像する。

しかし、高貴な人に嫁いだ女性は、その人が死亡した後は出家するのがありがちなパターンなように思う。

それとも、そのような娘まで、政略的に利用するのが、道三らしいということなのだろうか。
 

テセウスの船

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月23日(月)04時06分54秒
返信・引用 編集済
  というドラマを見ていた。

どういうものか、昔からループ物のストーリーというのに感動してしまうことが多かった。

あれも一種のループ物であり「やられた」という気分になった。

タイムスリップものと言えば、パラレルワールドになっているものが多いのだが、常に過去と未来がつながっており、過去の変更によりそのまま、未来も変わってしまう、というところがテセウスの船であったのだろう。

最初、あんなに嫌っていた父親と、最後は強い絆ができるあたり、胸が熱くなりますね。
 

Re: 駿府城小天守台ほか

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月18日(水)20時26分55秒
返信・引用
  > No.6605[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

見ました。これはひどいですね。

鳥瞰図も文章も写真も、まるごとパクリです。よくもまあ、こんな恥ずかしいブログを書けるものです。よほど頭のおかしい人なんじゃないかと思います。

「英雄気取りの書きなぐりブログが、無断コピーや中傷、誹謗がどれだけ他人を傷つけているか、自分の身に降りかからないとわからないようです」と言っているとのことですが、これは、まさに自分がやっていることですね。よくもまあ、そんなことが言えたものです。非常識にもほどがあります。

私のページはかなりメジャーで多くの人が見ているので、その中にはいろいろな人がいるということなのでしょうが、こういうブログを見ていると、とても悲しくなります。

というか、こういうことをしていて虚しくならないのかが不思議です。常識ということすら、まったく理解できない人なんでしょうね。

哀れです。
 

Re: 駿府城小天守台ほか

 投稿者:あんけん  投稿日:2020年 3月18日(水)07時55分28秒
返信・引用
  > No.6604[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> さて、私は別のHNでブログなどをやってはいません。このページだけです。
>
> 私のことをかたっているようなブログがあるのでしょうか?

おはようございます。
ちょっと調べ事でこんなページが見つかって・・・。
https://masubuti.exblog.jp/11722858/
画像含め余湖図コレクションの写しなのはここに来てれば分かりますが、知らなければby momotaro-sakuraで書かれた様にしか見えません。

念のため初期のページを見たら
「英雄気取りの書きなぐりブログが、無断コピーや中傷、誹謗がどれだけ他人を傷つけているか、自分の身に降りかからないとわからないようです
非合法、合法含めてリアル制裁を加えることもできないわけではないのですが、ブログの過ちはブログでケジメをつけさせます」
とか書いて犯人捜しみたいなことしてるので、まさか無断登用ではないのか?と疑問に感じてました・・・。
 

Re: 駿府城小天守台ほか

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月18日(水)04時08分20秒
返信・引用 編集済
  > No.6603[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。駿府城の天守台については、発掘が進んでおり、いろいろなことが分かってきているようですね。

あの小天守台も家康期のものでしたか。豊臣家の支援を受けて、という解釈はとても興味深いものですね。これからも、いろいろと発見がありそうで楽しみです。

さて、私は別のHNでブログなどをやってはいません。このページだけです。

私のことをかたっているようなブログがあるのでしょうか?

 

駿府城小天守台ほか

 投稿者:あんけん  投稿日:2020年 3月18日(水)00時18分18秒
返信・引用
  こんばんは、ギリギリと言っても良いタイミングで自粛を免れた駿府城の現地説明会ですが、静岡方面の記事が続きそうで余湖様も行かれたかとちょっと書き込むのを待ってしまってました。

今さらですが、昨年と情報が大きく変わってる事もあるので書くことにします。
まず天守下門は掘り下げられ、直径60cmの柱穴や寛永12年に崩れ落ちた際の木材が見られるようになってました。(画像1枚目)

画像2枚目は解り難いのですが、手前の石列が慶長期の本丸北側の多聞櫓台の基礎で、奥の石列が慶長の再築城時に本丸地下になって破壊を免れた天正期の本丸北面の石垣で、赤いパイロンから右のピンクのローピングが家康が建てた天正期の小天守台です。

そうなんです、去年は家康転封後の中村氏期との説明でしたが、大天守の規模や家忠日記に於ける天正16年に天守の材木手伝普請、翌年の小天守手伝普請の記述などから説明会ではズバリ秀吉から人的・技術的支援を受けて豊臣政権No.2の家康が築いた連結式天守台と言ってしまってました。

画像3枚目はパイロンが小天守台南西隅で左上に石垣が延び、左に曲がるところからが大天守で、その下からは天正期の井戸や今川氏期の薬研堀状の溝が出てます。

家康自身が築き、それを完全に破壊して本丸を築き直したその心情は言わずもがなとの事でしたが、家康単独でこの規模の天守台は無理だっただろうとのお話でした。いずれにせよ小天守台の遺構としては現時点で唯一の古い時代のもので大変貴重な大発見である事は間違い無い事実であり、今後の公開方法には熟慮して頂きたいですね。

ところで余湖様は別のHNでブログとか書かれてますか?
 

明智光春

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月17日(火)04時56分15秒
返信・引用 編集済
  明津光春は近年では明智秀満と表現されていることが多いが、かつては「琵琶湖渡りの明智秀春」として知られていたものである。

秀春は明智光安の息子で、光秀の下で成長していく若者として描かれていた。

演じていたのは三ツ木清隆である。三ツ木といえば、何といっても「光速エスパー」である。幼いころは、数あるヒーローの中でも、光速エスパーのデザインが最もかっこいいと思っていた。もっともデザインだけであり、ストーリーは今いちであったような気がするが。

そんなわけで、光速エスパーが出ているだけでもうれしかった。それに三ツ木にはとてもさわやかな印象があったので、見ていてすがすがしくなるような人物であった。

お槇の方と共に光秀を支えていくのが光春という設定になっていた。

ただ、琵琶湖の湖水渡りのシーンはなかったなあ。

また、同じ時期であったろうか、三ツ木は『白獅子仮面』をいう時代物ヒーローを演じていた。

ヒーローなのに全然かっこよくないヒーローで、見た目はダークヒーローとしか思えないデザインであった。こんなにかっこよくないヒーローというのは後にも先にもなく、そういう意味では独創的であったともいえる。

この時期、どういうわけか時代劇特撮が流行っていて、『快傑ライオン丸』『変身忍者嵐』『白獅子仮面』の3本が同時に放送されていた。

ただ、この中で『白獅子仮面』だけが人気がなかったのは明らかで、他の2本が1年続いたのに対して、『白獅子』は1クールで打ち切りになってしまった。

ラスト、白獅子仮面は敵の首領と戦ってお星さまになってしまう。これは「死ぬ」というたとえ話ではなく、本当に星になってしまうのである。前代未聞のラストであった。
 

松平広忠

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月16日(月)04時22分51秒
返信・引用 編集済
  松平広忠は誰が演じていたのかも覚えていないのだが、ドラマで描かれる場合は、たいがい岩松八弥によって暗殺されるシーンが描かれていたと思う。

広忠の死に関してはさまざまな説があるようだが、暗殺説が最もドラマチックであるから、ドラマではそういうことになるのだろう。

しかし、信長によって暗殺されたというのはいかがなものだろうか。あの時期の信長がそこまで謀略的な人物であったとはどうしても思えないのである。

信長と竹千代との関係も、好意的なものとして描かれている場合が多かった。家康は後には信長の無二の同盟者となるわけだから、人質時代にその人間関係がそれなりに構築されていたと考えてもいいだろう。少なくとも『国盗り』や『少年徳川家康』ではそんな風に描かれていたので、そう思い込んでしまうのも無理はない。

というようなことを考えてみても、信長が広忠を暗殺するというのはやりすぎなような気がしてしまう。

話は変わるが、光秀の夫人になる人物が初登場した。光秀は彼女と添い遂げることになるのだが、それにつけても思われるのは、お駒ちゃんとはいったい何だったのだろうということ。

あれではまったくの当て馬である。美濃への帰国途中に寄り添い合って眠るシーンなど、あんなことがあってはお駒ちゃんは自分に好意があるものと思ってしまうのは当然である。

女心に無頓着な光秀、という人物像を描こうとしているのかもしれないのだが、女心もつかめないような人物が、人心を掌握するのは無理であろう。

お駒ちゃんが可哀想だと思ってしまったのであった。

 

Re: 私のサイトについて

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月16日(月)04時12分54秒
返信・引用
  > No.6599[元記事へ]

ゴロピカリさんへのお返事です。

ご対応ありがとうございます。些細なことかもしれませんが、そのようなことに気を遣うのは大切なことだと思います。
 

私のサイトについて

 投稿者:ゴロピカリ  投稿日:2020年 3月15日(日)18時40分47秒
返信・引用
  >その縄張図の近くに、引用元あるいは著作者を示すべきだ
仰るとおりと思いましたので、縄張図や航空写真については変更しました。
文章については少しづつになりますが、「・・・によれば」というものを書き込んでいこうと思います。ご指摘ありがとうございます。

http://www9.wind.ne.jp/fujin/index01.htm

 

ホーエスシュロス

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月15日(日)06時24分1秒
返信・引用
  昨日は寒かったなあ。雨も降っていたし。

ということで、特にやることもなかったので、昔行った城を思い出しながら、鳥瞰図を描いていた。

ホーエスシュロスはドイツの南端フュッセンにある司教の城である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hussen.htm
 

Re: 参考資料

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月14日(土)18時35分58秒
返信・引用 編集済
  > No.6596[元記事へ]

ゴロピカリさんへのお返事です。

うまく説明できていないようですみません。

参考資料のページの隅に一カ所だけ引用元を書くのではなく、少なくともその縄張図の近くに、引用元あるいは著作者を示すべきだというように思っています。

私自身、引用元を明記してあればご使用は自由としているのですが、それは誰が描いた図か分かるようにページを構成してほしいという意味です。

どこかのページの端に一カ所だけ明記してあるから、あとは何も書かないで自由に転載していいだろうと言われたら不愉快に感じますし、「使用違反です」と通告しています。

実際、私の図を引用してくださっているHPやブログはかなりありますが、みなさん、私の言うところの意図をよく理解して使ってくださっています。

そんなに大変な手間のかかることではないと思います。

その辺をご理解いただきたいところです。
 

参考資料

 投稿者:ゴロピカリ  投稿日:2020年 3月14日(土)09時49分53秒
返信・引用 編集済
  おはようございます。
はい、縄張図は山崎氏の群馬県古城塁址の研究を借用しています。
他の文献(こちらのサイトのURLも)を含めて、最初からメニューページの下欄に紹介していましたが少々見にくかったようですね。書きなおしました。

http://www9.wind.ne.jp/fujin/index01.htm

 

Re: はじめまして

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月14日(土)06時02分24秒
返信・引用 編集済
  > No.6594[元記事へ]

ゴロピカリさんへのお返事です。

初めまして、よろしくお願いします。

群馬もなかなかいいお城が多いので、回っていて楽しくなりますよね。今後とも頑張ってください。

ただ、縄張り図を掲載する際は、著者名か書籍名を表示するのが最低限のエチケットだと思います。あの図は山崎一さんのものだと思いますが、『群馬古城累址』からの引用でしょうか。

本来ならば直接掲載許可をもらうべきなのでしょうが、少なくとも必ずそのようにしたほうがよいと思います。作成者は快く思わないでしょう。

私も作者名を出さずに無断引用されると、とても不愉快な気分になります。私の場合は、作者名さえ明記してあれば、自由に使ってもいいのですが。

それではまたです。
 

はじめまして

 投稿者:ゴロピカリ  投稿日:2020年 3月13日(金)17時52分16秒
返信・引用
  群馬県に住むゴロピカリと申します。
ゴロピカリとは、かつて群馬県で開発され売られていたお米の銘柄です。群馬県は雷が多いので、そこから名づけられました。

さて私も中世の城跡巡りが好きで、数は少ないですが私のサイトでも紹介しています。サイト立上る時には、こちらのサイトも参考にさせていただきました。
この場を借りましてお礼申し上げます。
ありがとうございます。

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/siro/main.htm

http://www9.wind.ne.jp/fujin/index01.htm

 

お槇の方

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月13日(金)04時35分51秒
返信・引用 編集済
  お槇の方は、光秀の正室であり、これまた笑顔のとても素敵な女性であった。

だってだって、演じていたのが中野良子だったんだもん!

中野良子といえば、超絶面白時代劇『天下御免』でヒロインの紅さんを演じていた人であった。『天下御免』は時代劇の最高傑作と呼べる作品で、『国盗り』の2年前にNHKで放送されていた。

子供でも分かるほど面白い内容であったし、今思っても、とても斬新な話であった。NHKが1本もビデオを残していないのが残念でならない。

『天下御免』の紅さんは、自分の気持ちにちっとも気づかない主人公を陰で見守りながら支える女性で、目がキラキラとしていた。声も素敵なんである。

その姿態のまんま、お槇の方を演じていた。

流浪時代の光秀はとても貧乏で、お槇に苦労ばかり掛けていた。それでもしっかりと支え続けていたのが彼女であった。

帰蝶の松坂慶子や、深芳野の三田佳子などと比べてみると、最近ではすっかり見かけなくなってしまった中野良子であるが、あの時代、間違いなく日本を代表するすてきな女優さんであったと思う。
 

帰蝶

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月12日(木)04時48分48秒
返信・引用 編集済
  帰蝶を演じていたのは松坂慶子であった。

松坂慶子と言えば、現在ではだいぶ恰幅のいいおばちゃんというイメージだが、当時は20代であり、とてもきれいな人という印象であった。『国盗り』全体の中でもヒロインというべき存在だった。

信長のところに輿入れする際に、道三は帰蝶に懐剣を渡す。

「帰蝶はきっと婿殿が嫌になるであろう。その時は、この剣を持って婿殿を刺すがよい」と言うと帰蝶は

「この剣は、父上に向ける刃となるかもしれませぬ」と答えて遣り込める。「してやられた」と思う道三。

「いやいや、何よりの引き出物であった」と答える道三は娘の成長ぶりに驚かされる。

その後、道三と信長が初めて対面する場面が描かれる。会見場に向かう途中の信長の様子を垣間見た道三は「まるで狂人だな」と思うのだが、長槍、鉄砲を揃えている信長を見て「こいつはただものではない」と感じる。

会見で正装をして現れた信長は道三を圧倒する。「であるか」とだけ述べた信長であるが、道三はその後、信長のことを気に入ってしまうのである。

この会見のシーンはものすごく印象的だったのだが『麒麟』ではどのように描かれるのだろう。おそらくパターンを変えてくるのであろうが、ちょっと楽しみである。

話がずれてしまったが、その後の帰蝶。実際の帰蝶は、その後の史料に現れることがなく、実際どうなったのか分からない。ただ、信長の子を産んでいないようだから、実際にはそれほど厚遇されず、早いうちに死去してしまったのかもしれない。

『国盗り』では信長の他の側室は登場しておらず、最後まで帰蝶がヒロインであった。

信長が光秀や秀吉に切れてしまったとき、いつもなだめるのは帰蝶の役であった。

光秀から丹波近江の所領を取り上げた際も、帰蝶がたしなめたのだが、信長は、「なあに光秀のことだ。あいつは必ず手柄を立てるに違いない」と安穏に答える。実際のところ、これが引き金となって本能寺の変が起きてしまうのだが。

最終回、本能寺の焼け跡から、帰蝶の遺体が運び出されるシーンがあった。

焼け跡から運び出されたというのに、白い装束には少しの汚れもなく、それを見た家族みんなが「そんなばかな」とつぶやいていた。

彼女の遺体に「姫!」といって光秀が嘆きながら取りすがった時、帰蝶の遺体の目がピクピクと動いていた。

これには家族一同大笑いであった。「死体があんなにピクピク動くわけがない」と祖父が笑言っていた。私もとんだ大根役者と思ってしまったものであった。

というわけで、帰蝶の最も印象的なシーンは、死んだ後にピクピク動くシーンなのであった。どうしてNHKはその場面をちゃんと取り直さなかったのだろうか。あるいは確信犯だったのか。

ちなみに信長に輿入れした後の帰蝶は、「濃姫」「お濃」と呼ばれていた。
 

お万阿

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月11日(水)04時19分50秒
返信・引用 編集済
  再び『国盗り物語』ネタである。

初期の『国盗り物語』で印象的な人物の1人にお万阿がいた。これは完全に『国盗り』オリジナルのキャラクターであったと思う。

当時、女優にはあまり興味がなかったので、誰が演じているかも意識していなかったのだが、池内淳子という方であったかと思う。

お万阿は京の油屋奈良屋の女主人であり、松波庄九郎(後の道三)にほれ込んでしまう人物である。

昔見ていたころは、お万阿を惚れさせて奈良屋に乗り込み切り盛りしていく庄九郎の姿を見ていて「すごい人物だ」と思っていたものだったが、後に大人になってから見直した時には「これって、結局、女をだまして踏み台にしているだけじゃん」とも思ってしまったものである。

しかし、お万阿はそんなことに不満も思わず、「天下を取るために美濃に行かせてほしい」という庄九郎をそのまま美濃に行かせ、自分はただ都で、庄九郎が美濃の兵を率いて上洛してくるのを待つだけの人生を送ることになってしまうのである。

そう考えると、とても哀れな人物であったということになってしまいそうだが、お万阿本人はそんなことを少しも感じさせない明るい女性であった。あくまでも「自分が庄九郎の本当の女房」と思い込んでいる辺り、芯の強い女性であったのだろう。

彼女の存在は、かつて斎藤道三が油屋の出身であったという伝承が一般的に言われたことから生じた設定である。現在では、油屋だったのは道三本人ではなく、道三の父であったと言われるのが普通で、『麒麟がくる』でも、それを示すようなセリフがあった。

道三は長良河畔で討ち死にし、光秀が京に上って、そのことをお万阿に告げる。

お万阿は「私の旦那は、油屋の主人で、美濃にたびたび行っていた人でした。道三などという人物は知りませぬ」と答えて、光秀を驚かせる。

その後、お万阿がどうなったのか、登場することはもうないだろうと思とていた。

ところが、それから何年も経って、信長が上洛した後、京都でお万阿と光秀が邂逅するシーンが描かれていた。

お万阿は「昔の主人は、お万阿待ってろ、今に軍勢を率いて都に登ってくる、と言いながら、結局それを果たせませんでした。主人が言っていた上洛とは、いったいどのようなものやらと思って、今日の行事を見に来たのでございます」といったやり取りをするのだが、それが本当に感動的なシーンで、子供の私の心に深く刻み付けられた。

道三が果たせなかった夢を現実のものにした信長の姿を見たお万阿はいったいどのような思いであったろうか。その信長は道三の娘の婿である。

司馬遼太郎って、こんな感動的なシーンを描くことのできる人なんだ、ってそう思ったものである。

そんなわけで、お万阿は、『国盗り』に登場する架空の人物の中でも、ひときわ印象深い人物だったのであった。
 

カノッサの屈辱

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月10日(火)04時20分42秒
返信・引用 編集済
  という名前の番組をご存じであろうか。

1990年頃に、フジテレビで深夜にやっていた番組で、当時は楽しみにして見ていたものだ。

これもyoutubeで久々に見ることができて、とても懐かしく感じた。

とても斬新な番組で、当時のフジテレビのチャレンジ精神がよく分かる番組と言っていい。

毎回、とても身近なものの歴史を、世界史に例えて説明するという内容なのだが、わざとらしく教養番組風な造りをして、しかめつらしい顔をした仲谷教授がもっともらしく説明する。

大まじめにやっている部分が、笑いになって行くという、お笑い番組の変形である。今見ても斬新に感じる。

OPとEDの無駄に壮大なテーマもとても好きだった。

ビールの歴史
https://www.youtube.com/watch?v=NyrY49i0lN4

ドリンク剤の歴史
https://www.youtube.com/watch?v=AgL-6k3ym24&t=556s

あと、車三国志の講義なんかもあったなあ。3社の車が赤い色でヒットさせたことを「赤壁の戦いと称した」など、思わず吹き出してしまったものだ。
 

深芳野

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 9日(月)04時03分49秒
返信・引用 編集済
  昨日の『麒麟がくる』で、斎藤高政が、母深芳野に、自分の本当の父が土岐頼芸なのかどうかを聞きただそうとするシーンが描かれていた。

『国盗り物語』では、深芳野は、そのことに答えることができず、ただ肩を震わせて沈黙することで、それが真実であることを伝えていた。あくまでも深芳野は、はかなげな女性という描き方であった。

『麒麟』での深芳野は、そうではなく、もっと自分の意思で相手を翻弄する女性という描き方をするようだ。

高政は本当に、土岐頼芸の子供であったのかどうか。歴史小説では周知のこととなっているのだが、実際には、ちゃんとした史料には出てこないことであり、俗説ではないかと言われることの方が多いようだ。

となると、利政と高政とが対立することになる真の理由は、何だったのだろうか。

本編を見ている限り、尾張との関係を巡っての対立ということになりそうである。

いずれにしても、まもなく齋藤利政との抗争が描かれることになるのであろう。

第7話にして、やっと信長も登場してくることになったのだが、信長もこれまでとは違った描き方をしそうな感じである。

どのような信長像が演じられていくのか、楽しみにしている。
 

伊平城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 8日(日)06時30分28秒
返信・引用
  これも浜松市のお城。

井伊氏の一族であった伊平氏の居城。

城内はよく整備されており、散策ルートもしっかりと付けられている。

遺構も見ごたえがある。お勧めの城郭である!

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hamamatusi04.htm#ihira
 

刑部城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 8日(日)06時29分6秒
返信・引用
  これも浜松市のお城。

今川氏親が、斯波氏に対抗して、遠江支配の拠点として築いた城である。

ヤブが酷くて主郭まで到達できなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hamamatusi04.htm#osakabe
 

鯉山砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 8日(日)06時27分29秒
返信・引用
  これも浜松市のお城。

鯉山の山頂に築かれている。加工度は低いが、土塁や横堀、堀切などの形状はちゃんと分かる。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hamamatusi04.htm#koiyama
 

岡本氏館!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 8日(日)06時26分7秒
返信・引用
  これも浜松市のお城。

単郭の居館で、内部は墓地になっているが、周囲を巡る土塁はよく残っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hamamatusi04.htm#okamoto
 

日々沢城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 8日(日)06時25分10秒
返信・引用
  静岡県浜松市のお城。

台地縁にあり、土塁を残しているが、ヤブが酷いうえに民家に隣接していて、よく分からない。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hamamatusi04.htm
 

いとしの未来ちゃん

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 7日(土)19時03分4秒
返信・引用 編集済
  youtubeって本当にすごいなと思う。

今日、あれこれ見てて、「いとしの未来ちゃん」を発見して懐かしく見てしまった。1990年代にやっていた深夜ドラマである。

今思うと、かなり斬新なドラマだったと思う。

語り手は西暦2100年に暮らしている幼い姉妹。彼女たちは現在よりももっと古めかしい暮らしをしている。そして、未来ではすでに無くなってしまった近未来のアイテムなどのことを思い出しては語るのである。

要するに、ちょっと先の未来に現れそうなものに対しての文明批判のような番組だった。

これ、30年ぶりに見てみたのだが、当時はあまりなくて、現在では当たり前になっているものがいくつも取り上げられていた。

タワーマンション、電子マネー、多チャンネル化、バーチャルリアリティなどである。

ドラマそのものは前衛的すぎて、あまりはまれなかったのだが、幻想的なOPとガーデンズの歌うED「futures memoriy」がとても好きだった。

OP 語り手の少女たちが可愛くて好きだった。
https://www.youtube.com/watch?v=civYZ75fZjc&t=42s

ED(最終回のもの) 1:48から
https://www.youtube.com/watch?v=Bie6yFxo3Nc&list=PL92QOX2VrFJ2jCp2uHrzd4UxpB2p2I-na&index=33
 

新居関所!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 7日(土)06時17分1秒
返信・引用
  これも湖西市にある関所。

箱根の関所と並んで、東海道にある枢要な関所で、入鉄砲と出女の監視を中心に行っていた。

全国で唯一、関所番所の建造物が現存している。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/kosaisi01.htm#arai
 

境目城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 7日(土)06時15分0秒
返信・引用
  静岡県湖西市のお城。

今川氏真が、徳川家康の侵攻に備えて築かせた城である。

しかし、だいぶ削られてしまっているらしく、現状ではとても小規模な城でしかない。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/kosaisi01.htm#sakaime
 

岩櫃城・内出城

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 6日(金)19時40分44秒
返信・引用 編集済
  岩櫃城と内出城との情報と考察をメールで送ってくださった方。

お礼のメールを返信したのですが、何度やっても受信拒否ということで、送信できませんでした。

というわけで、この場を借りてお礼申し上げます。

情報、ありがとうございました。
 

志津城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 6日(金)04時42分2秒
返信・引用
  これも浜松市のお城。

斯波氏と今川氏の抗争の舞台の1つとなった城である。

井伊氏との関連もあるらしく、主郭には井伊氏の祖先と言われる藤原共資の碑が建てられている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hamamatusi03.htm#sidu
 

大久保陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 3月 6日(金)04時39分56秒
返信・引用
  これも浜松市のお城。

服部氏3500石の陣屋である。

現在は神社の境内となっているが、石垣がそのまま残っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hamamatusi03.htm#ookubo
 

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