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最初ヶ峰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時49分26秒
返信・引用
  これも紀の川市のお城。

何が最初にあった場所なのかよく分からないが、南北朝時代に合戦が行われた舞台であるという。つまり陣城であるというわけだ。

車道が山頂真下まで付いているので、意外と簡単にアクセスできる山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm#saisho
 
 

猿岡山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時48分11秒
返信・引用
  これも紀の川市のお城。

かの有名な粉河寺のすぐ東南にある。粉河寺を訪れたついでに立ち寄ってみるのもよいだろう。

公園化によってかなり遺構は破壊されていると思われるが、それでも藤堂高虎が築いた城であることを思えば、一見の価値はある。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm#saruoka
 

飯盛山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時46分47秒
返信・引用
  飯盛山城という名称の山城は全国各地にあるが、これは紀の川市の飯盛山城。今城山城からさらに細い山道を奥に進んでいった先にある。たいした遺構もなく、細い山道を延々と走らなければならないので、本来ならこんな山城、行きたくはないのであるが、ここには見事な模擬天守が存在している。

それが今回ここをターゲットにした大きな理由である。それにしてもこのような山の中になぜに立派な模擬天守を建てたものなのか。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm#iimori
 

今城山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)13時44分24秒
返信・引用
  和歌山県紀の川市のお城。山深いところにあり、狭い林道を通っていく。

高野山勢力の城ということで、皮張城と構造は似ているが、規模はだいぶ大きい。しかし、それほど防御力がなさそうなのは共通している。

あちこちに石垣を使用していたようだ。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kinokaawsi02.htm
 

皮張東城・西城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)08時35分21秒
返信・引用
  和歌山県かつらぎ町のお城。

比高140mほどの山稜に築かれているが、山頂近くまで車道が付けられているので、楽にアクセスできる。

尾根状に東城・西城と2つの城郭が構築されている。高野山勢力の城ということであるが、遺構規模は小さく、防御力はあまりなかったであろう。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/katuragimati01.htm
 

岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)08時12分16秒
返信・引用
  和歌山県九度山町のお城。

紀の川の段丘上に築かれた城郭であるが、畑となっておりよく分からなくなってしまっている。この城の辺りは小説『紀の川』の舞台となったところであるという。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/kudoyamamati01.htm
 

銭坂城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)07時57分25秒
返信・引用
  これも橋本市のお城。

山田川の南側の段丘上に築かれている。かつては相応の規模の城郭であったと思われるが、現状ではわずかに土塁と堀が見られるのみである。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/hasimotosi02.htm#zenisaka
 

長藪城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)07時56分8秒
返信・引用 編集済
  これも橋本市のお城。

広大な尾根上に展開する城域の広い山城であり、西の城、東の城、出城などにより構成されている。

尾根までは山道も続いているが、城内はヤブのひどいところもあり、夏場では探索しづらい。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/hasimotosi02.htm
 

岩倉城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月22日(日)07時54分29秒
返信・引用
  和歌山県橋本市のお城。

比高40mほどの尾根に築かれた単郭の城である。

尾根上に公園があり、アクセスしやすく見えるのだが、城まではけっこうなヤブを通過しなければならない。

http://yogokun.my.coocan.jp/wakayama/hasimotosi02.htm#iwakura
 

Re: 今年も暑い暑い夏の日

 投稿者:ひづめ  投稿日:2018年 7月 9日(月)11時12分40秒
返信・引用
  > No.5542[元記事へ]

>私が1人で茨城県内を回っていたころは「こんなにバカなことをしているのは自分くらいなのではないか」と思っていたものでしたが、今ではみなさん、それ以上の活躍をしていますね。

 その不安感とも違う、落ち着きのなさというか、そういう感覚は最先端を行く人だけが感じることのできるものだと思います。いまや、余湖さんの足跡を多くの人が辿っています。

>あと数年すれば時間は取れるようになりそうですが、その頃には体力もすっかり衰えてしまっているかも。

 私などは体力が落ちた余湖さんとちょうどいいかも知れません。ああでも、その時には自分の体力も落ちているのか?
 なにはともあれ、元気でサバイバルして、その日を待ちましょう。
 

Re: 今年も暑い暑い夏の日

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月 8日(日)19時28分7秒
返信・引用
  > No.5541[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。暑いのも暑いですが、西日本では水害で大変なことになっていますね。今年は西日本方面に出張するのは難しいかもしれません。

茨城城郭会も各方面で活躍していますね。今後が楽しみです。私が1人で茨城県内を回っていたころは「こんなにバカなことをしているのは自分くらいなのではないか」と思っていたものでしたが、今ではみなさん、それ以上の活躍をしていますね。

私の方は相変わらず、お城巡りに行ける時間があまり取れません。昔は毎週どこかに出かけていたのですが、今では年に何度も行けていないという状態です。せめてカレンダー通りに休めるようになれば、かなりの時間が取れるのですが、城めぐりに最適な冬場が特に忙しくなってしまうことが多くて悔しい思いをしています。あと数年すれば時間は取れるようになりそうですが、その頃には体力もすっかり衰えてしまっているかも。

ひづめさんも、お元気にお過ごしください。

 

今年も暑い暑い夏の日

 投稿者:ひづめ  投稿日:2018年 7月 8日(日)12時39分39秒
返信・引用
  また今年も、暑い暑い夏のこの日が戻ってきましたね。

昨年の『続・図説 茨城の城郭』刊行以降、いろいろな変化も始まっています。
もう少ししたら余湖さんも動きやすくなるのではないでしょうか。
一番大変だった時期は過ぎつつあり、さすがに20年前の様には戻れないかもしれませんが、またみんなでお城歩きが出来る日も近いのではないかと楽しみにしています。
 

Re: とおりすがりにでも

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 7月 3日(火)04時20分14秒
返信・引用
  > No.5539[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。静岡は今、香川元太郎に熱いんですね。香川さんの原画は見てみたい気がします。

興味のある方は行ってみてください。

 

とおりすがりにでも

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 7月 1日(日)22時59分4秒
返信・引用
  藤枝市の郷土博物館では、7月29日まで「駿河田中城と香川元太郎城郭原画展<東日本編>」
近隣の島田博物館は、9月2日まで「島田の城と香川元太郎城郭原画展<西日本編>」を
やってます。諏訪原・田中城のお越しの際に覗いていただければ幸いです。
 

Re: 北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月30日(土)04時08分1秒
返信・引用
  > No.5537[元記事へ]

おおよしきりさんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。堂坂砦についてはよく分からないということもあり、ブログを拝見したのですが、城なのかどうかよく分かりませんでした。ただ、宮坂さんの本にも堂坂砦は掲載されていませんね。

甲斐北部には天正壬午の乱関係の遺跡が多数存在していると思われますが、すべてがそれに関連付けられるというのもどうかなと感じています。確かに大勢力が伯仲した時期ですから、相応の陣城群が形成されたとは思うのですが、基幹的にはそれほど長期間であったというわけでもなく、なんでもかんでも天正壬午の乱でくくられるべきものなのかなあと思ってしまうのです。

それではまたです。
 

Re: 北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:おおよしきり  投稿日:2018年 6月29日(金)16時18分12秒
返信・引用
  > No.5536[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

ご覧いただきありがとうございます
上蔵原の塁が残ったのは、近年まで中村家当主の方が
上蔵原に住んでおられたせいもあると思います。



私が歩きまわってる山梨峡北地域は、武田家滅亡から天正壬午の乱で、
多くの兵が集結し、その為、急造の砦が多く作られたのだと思います。
一般には知られていないが、これ土塁跡かなぁ・・と思う場所を見ることが多いです。

例えば、大渡烽火台の東の尾根筋にそれらしき物もありますし、
谷戸城の北にある八雲神社の山、大滝神社南の山もそうです。

見易いのは能見城の東、堂坂砦の南にある今は御崎神社の山です
場所から云っても、天正壬午に関係しそうですが、
なにぶん素人ゆえ、これが土塁跡という確信が持てずにおります。

記事を貼りますので、ご教授いただければ幸いです

http://shikispace.blog134.fc2.com/blog-entry-384.html

 

Re: 北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月29日(金)04時13分33秒
返信・引用
  > No.5535[元記事へ]

おおよしきりさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。ブログ拝見しました。

上蔵原の塁に関しては、やはり城郭遺構というよりは、集落あるいは宅地の境界土塁といった感じですね。あの地域にはこうしたものが、けっこうあったのかなと感じています。

それではまたです。

 

北杜市 上蔵原の塁

 投稿者:おおよしきり  投稿日:2018年 6月28日(木)11時08分46秒
返信・引用
  余湖さん、はじめまして
山梨、峡北地方の寺社建築や古道を調べてブログに書いておりまして、
城館跡を撮影するときにはいつもお世話になっております。

感謝の気持ちといってはなんですが、山梨県北杜市の上蔵原の塁を撮影しましたので、
ご覧になってください。
記事中にあるグーグルマイマップ「山梨峡北地域の古道」には塁の範囲も書きました

http://shikispace.blog134.fc2.com/blog-entry-501.html

 

Re: 水戸城跡

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月24日(日)11時54分59秒
返信・引用
  > No.5533[元記事へ]

砂菱潜之さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。水戸城は完全い市街地化してしまっていますから、こうした発掘調査の報告会には興味津々です。

残念ながら、来週は土日ともに仕事関連で私は行けそうにありませんが、お時間のある方は、行ってみたらいかがでしょうか。
 

水戸城跡

 投稿者:砂菱潜之  投稿日:2018年 6月23日(土)06時54分56秒
返信・引用
  御無沙汰しております。

現在、茨城県教育財団が発掘調査をしている、
水戸城跡の現地説明会が、来月1日に開催されます。

メインの曲輪からは外れた地点で、
近世には附家老の中山備前守が屋敷としていた場所です。
近代には監獄、刑務所となっていたため、
明治以降の攪乱が多く、城跡という雰囲気は少ないですが、
上級武家の居宅跡の調査例は珍しいと思われます。

興味のある方は奮って御参加ください。

http://www.ibaraki-maibun.org/01joho/0100.htm#news20180722

 

Re: 神成城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月23日(土)04時17分46秒
返信・引用
  > No.5530[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

神成城ですか、懐かしいですね。あの時は笹薮だらけという印象でしたが、きれいに整備されたとは嬉しい限りです。機会があれば訪れてみたいものです。
 

Re: 千葉城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月23日(土)04時16分47秒
返信・引用 編集済
  > No.5527[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

猪鼻城については、市街地化が進んでいるため、旧態については分からないことが多いです。かなり大きな城郭であったと仮定するならその可能性もあるでしょう。

セッテエについても意味が分かっていません。いろいろと想像してみる余地はあるかと思います。
 

神成城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 6月22日(金)23時28分26秒
返信・引用
  いつかご一緒した神成城は笹薮だらけでしたが、今日、久しぶりに登ってきましたが、郷土史跡保存会の方々の尽力で、一切の笹薮が消えており、本丸、二の丸、三の丸と見事に復元されています。
写真1が三の丸
写真2が二の丸
写真3が本丸

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

本佐倉

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月22日(金)20時04分30秒
返信・引用
  セッテイ山のことなんですけど、土塁の高さや、大きさから考えて、奴隷か人質を閉じ込めていた場所とは考えられないですか?

 

追伸

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月22日(金)19時57分44秒
返信・引用
  追伸です。
確か、近くの川の川沿いに砦跡か何かの公園があった
んですが、一応土手のような物がありました。
 

千葉城

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月22日(金)19時53分29秒
返信・引用
  6回目の千葉城に行ってきたんですが、県立中央図書館や市民会館の方は城址なんでしょうか?
あと、大きな入り口の横に千葉氏の誰かの名前が入った神社かお寺があったような気がするのですが、
館跡というのは考えられないでしょうか。
 

Re: 米子城に関して

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月17日(日)20時12分48秒
返信・引用
  > No.5523[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

米子城の規模と歴史的位置づけからしたら、総構えがあったとしても不思議ではありませんね。
 

Re: 伊予三島

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月17日(日)20時12分17秒
返信・引用
  > No.5522[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

川之江城は公園化されているせいか、確かにあまり明確な遺構は少なかったような気がします。石垣も当時のものもどうかよく分かりませんね。
 

地図のずれについて

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2018年 6月15日(金)22時53分41秒
返信・引用
  >余湖さんへ
確かにそのとおりで、また、信じていた場所が実は違っていた、などということもあると思います。
ただ、気づいて指摘したら秋田県は対応してくれたので、遺跡保存のためにも気づいた人が指摘することに価値がないというように感じています。

責め立てたるつもりではなく、文化遺産を守るのに微力ながら協力していこう、という意味で「ぶつける」(訂正をお願いする、の意味)でやってみたいと思っています。

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-1099.html

 

米子城に関して

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 6月15日(金)21時15分36秒
返信・引用
  最近、古地図を眺めています。

 米子城の外堀は加茂川を流用したように書かれていますが、ちょっと疑問があります。
 比較的古い地図では、寺町と外堀の間にもう一本あります。途中で区切れていますが
その延長線上は、江戸中期に河川変更をした加茂川の変更前の河川跡にあたります。
 また町の東側も川と川を結ぶ堀(今はないです)があるので、総構を構築しようと
していたのではないかと思われます。
 

伊予三島

 投稿者:阿笠  投稿日:2018年 6月15日(金)19時18分37秒
返信・引用
  松尾城に行って来ました。

ついでに轟城にも行きたかったのですが行けませんでした。
川之江城ってあんまり遺構が無いようなきがしました。
まだ小学生で、余り遠く行けないのもありますが。
 

Re: 情報提供をお願いします

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月15日(金)04時05分19秒
返信・引用
  > No.5520[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

まほろんにはかなりお世話になりましたが、地形図通りの場所に行ってみたのに、何もなかったことが確かにいくつかありました。

パッと思い出すのは棚倉町で1カ所、いわき市で数カ所ありました。

もっとも、地形図に落とす際のミスは、他の都道府県の資料でもあるので、一概にまほろんだけがだめだとは思っていません。

書籍などでも微妙にずれているものがありますね。
 

情報提供をお願いします

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2018年 6月13日(水)21時58分26秒
返信・引用
  まずは余湖さんにすいませんの一言を。
余湖さん、掲示板汚しすいません。

福島県の公式遺跡情報を発信しているはずの、通称「まほろん」の間違い情報が散見されていて、「せっかくいってきたのに、あとでよく確認したら違っていた・・・」という事態があります。
ですが、過去、まほろんに間違いを指摘したメールをしたのですが対応は全くなし。
なので、福島県庁の「県民提案」に書いてみようと思います。

数が少ないと「そのうちに・・・」みたいな対応になりそうなので、【間違い・疑わしい】城館の名称・市町村を私のブログ(リンク先)にコメントいただけると、ある程度数がまとまったらぶつけてみたいと思います。

賛同してくれる方がいれば、情報提供お願いします。

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-1099.html

 

Re: 宮城の城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月 5日(火)04時22分57秒
返信・引用
  > No.5518[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

男の隠れ家の対応はよく分かりません。以前にも何度か鳥瞰図を提供したことはあるのですが、その時は普通に使ってくれていました。とはいえ出典元は明記してあるので、その点では問題はないのかなあと思っています。

ただ、あの表記だと、私が描いたわけではない鳥瞰図が、私が作成したものと受け取られてしまうことになるのですが、それはそれでいいのだろうかと逆に思ってしまったりします。

宮城に行かれましたか。姫松館はおっしゃる通り、非常に面白い城ですね。あの地域では異形の城という感じがします。私が訪れたのも夏場だったので、今一つ分かりにくかったのですが、ぜひとも冬場に訪れてみたいものです。

鶴丸館も千石館も、規模も大きく見どころのある城郭でしたが、ヤブになってしまっていましたか。城址公園はまめに整備していないと、すぐにヤブになってしまうようです。公園化したはいいけど、放っておかれて荒れてしまっている城址公園が各地にあります。木を切ってしまうとヤブが生じてしまいますから、城址公園の整備というのも難しいものなのでしょう。

それではまたです。
 

宮城の城

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 6月 4日(月)06時28分17秒
返信・引用
  男の隠れ家の件は、「気前良くタダで使用許諾してくれるなんて奇特な人いる訳無い」って疑心暗鬼になったんじゃないですか。あの業界は知的財産権の固まりみたいなものですから。

ところで今朝、仙台から帰って来ました。今回は、余湖さんの図と解説にそそられ、仙台市泉区と大崎・栗駒界隈の城を見てきました。「余湖図」には大変お世話になり、ありがとうございます。

中でも姫松館は白眉ですね。あの辺りは、岩切城、長命館、松森城等余り技巧的ではない城が多い中、なんか突然変異的な感じです。

それにしても、公園化されていて、城直下まで車で行けるのは大変ありがたいのですが、草の繁茂が半端なく、難儀しました。鶴丸館の連続畝堀も、微かな草の丈の差で辛うじて認識出来るレベル。千石館は胸の辺りまで丈が伸びて藪漕ぎしてきました。樹木を切り公園か化してもこれでは人が寄り付かず、更に荒れるという悪循環になります。財政難だから仕方ないのでしょうか?残念です。

それではまた。梅雨も近いので、藪漕ぎは暫くお休みです。
 

Re: 石井要害発掘

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月 2日(土)20時37分39秒
返信・引用
  > No.5516[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

この城については知らなかったのですが、山城ブームなのか、こういうのもニュースになる時代になったのですね。それもネットで動画まで見られるとは画期的です。

横田大膳の城だったのかどうかは分からないのですが、円形の城郭というと、まるでチャシのようなイメージだったんですね。

 

石井要害発掘

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 6月 2日(土)14時13分30秒
返信・引用
  http://yonagobunka.net/system/site/upload/live/12551/atc_1522851322.pdf
http://www.nnn.co.jp/news/180601/20180601071.html

私の地元なのでお耳汚しで恐縮ですし、世間的に全くといっていいほど知られていませんが
ご拝聴のほどを。
比較的に山が小さいために、高低差を利用した円郭式城郭ですが、私が幼少期の頃団地建設で
神社を残してあらかた破壊されました。ところで昔死んだ祖父から横田内膳の居城だったのでは
ないかと聞いたことがあります。伯耆時代の横田内膳の居城は特定されていませんが、
比較的有名な江尾や打吹城には別の城主が入っていたと明記されています。
確かに米子城との地理関係を見ると、駿河時代の居城であった田中城と駿府城との位置関係を
見ると、ひと山超えた所にあり、円郭式の構造、詰めの城と言われた宝石山(七尾城)から
二つの街道を見渡すことができるので、さもありなんと思うところがあります。
 

男の隠れ家7月号「全国山城紀行」

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 6月 1日(金)20時28分47秒
返信・引用 編集済
  男の隠れ家7月号「全国山城紀行」という本が発売された。
「鳥瞰図を提供してほしい」と言われたので快く引き受けたということがあって、本日献本が送られてきた。
自分の鳥瞰図が載っているのかなと思って見てみたのだが、あれっ、自分の描いた鳥瞰図は載っていない。
どういうこと?
でもちゃんと「各城の鳥瞰図の出典元 余湖くんのホームページ」と書いてある。
そうしてよく見てみると掲載されている鳥瞰図の構図になんだかなじみを感じる・・・。
掲載されていたのは、私の鳥瞰図を下書きにして別の人がなぞって描いた鳥瞰図だったのであった。
そのまま載せてくれてよかったのに、ずいぶんと手間のかかることをしたものだなあ。
そのまま使ってはいけないと思っていたのであろうか。引用元が明記してあれば、自由に使ってくれてかまわないんだけど・・・・。

そういえば、『廃城を行く』も初期のころは、私たちが描いた図を基にして、出版社と契約したデザイナーがなぞった図面が掲載されていたものだ。こちらは城に詳しくない人が描いたらしく、けっこういい加減な図であったりした。出版社にもいろいろと込み入った事情があるのであろうか。

それはともかく、せっかく献本を送ってくれたので紹介しておきます。
よろしかったら書店でご覧になってみてください。
 

Re: 丹波の城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月22日(火)04時21分2秒
返信・引用 編集済
  > No.5513[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

こんにちは、丹波のお城巡り、お疲れさまでした。

そうですね。2年後には丹波や美濃のあちこちのお城に「明智光秀」の幟が建つでしょうね。真田丸の際は群馬のマイナーな山城にまで「真田丸」の幟が建っていて驚いたものです。

八木城は見どころの多い城ですよね。主郭周辺の石垣はとても見ごたえがあります。奥の城の方にも行かれたのでしょうか?

飛雲閣も行かれたのですね。あそこは普段非公開ですから、見られたのはラッキーだと思います。私もかつて訪れた時、垣根越しにちょっと見えたので、覗こうとしたところ、お寺の人に注意されてしまいました。

それではまたです。

 

丹波の城

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 5月20日(日)22時56分17秒
返信・引用
  昨日今日と丹波の城を見に行きました。八木城、須知城、山家城・山家陣屋等に加え、福知山城、園部陣屋を40年振りに再訪しました。

丹波は良く造り込まれた見応えのある城が多く、楽しい城巡りができますが、特に八木城はその中でも白眉だと思います。

また、光秀縁の城が多く、再来年辺りはアチコチ幟が立つのでしょうね。福知山市内はすでにアチコチ大河光秀決定の報が張り出されていました。

それと、西本願寺の飛雲閣の屋根葺き替え工事見学会にも行きました。聚楽第説は否定されていますが、京都新城説が最近唱えられています。原則非公開なのですが、偶々抽選に当たったので、笑路城等に行くつもりだったのですが、予定変更しました。
ついでに、豊国神社裏山の阿弥陀ヶ峰城にも行ったのですが、あれ城ですかね?切岸など皆無で、陣城が精々といった処です。

それではまた。

 

Re: 「英雄たちの選択」

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月19日(土)04時27分33秒
返信・引用
  > No.5510[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。テレビはそれほど見ないので(特にBSは)残念ながら、その番組は見てはいません。しかし、なかなか面白そうな番組ですね。

「航空レーザーを用いて吉田郡山城の周辺の地形を測量した結果、今まで確認されていなかった尼子軍の山城群の全貌が明らかになった」という点には非常に興味を惹かれました。

通常、そうした城址というのは、足でもって山を歩いて発見するというのがこれまでの手法でしたが、航空レーダーで発見できるというのはすごいテクノロジーですね。そのようなテクノロジーがあれば、まだ未踏の山城も発見できるのかもしれませんね。

全国にはまだまだ未知の山城がいくつも埋もれていると思います。たとえば茨城県でも、われわれの仲間が近年になっていくつも未知の山城を発見しています。

鴨川の打墨城なども、城として認識されるようになったのは数年前からだと思います。これについては新聞で「新発見の山城」として紹介される何年も前に小高春雄氏が、『安房の城』という著作で紹介していました。

私は山歩きが嫌いなので、テクノロジーによって山城を発見できるのだったら、ぜひとも活用してみたいものです。

それではまたです。
 

Re: 丹生城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月19日(土)04時19分53秒
返信・引用
  > No.5509[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

ご無沙汰しています。丹生城ですか。懐かしいですねえ。何年か前の山城の日にご一緒させていただいた城であったと思います。

城のある尾根に沿ってかなり多数の曲輪が展開していましたが、その時は末端の方まですべては確認していなかったように思います。

また、大手道の方には延々と長い切通しの通路があって、なかなか面白い遺構だと感じたのを覚えています。

そういえば、丹生城の向かって東側には、畝堀が多数残されていた丹生東城というのもありましたが、今ではすっかり湮滅してしまったのでしょうね。

富岡市にはけっこういい遺構を残している城がいくつもありますね。

それではまたです。
 

「英雄たちの選択」

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 5月18日(金)15時40分17秒
返信・引用
  お久しぶりです。
昨夜のNHK BS「英雄たちの選択」は見られたでしょうか?
「真相!戦国山城合戦!知将・毛利元就の決断」
http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-05-17/10/13231/2473138/
と題して、元就が尼子軍3万の軍勢を防いだ郡山合戦を航空レーザー
を用いて吉田郡山城の周辺の地形を測量した結果、今まで確認されて
いなかった尼子軍の山城群の全貌が明らかになったようです。
日本全国、確認されていない山城ってまだまだあるのでしょうね。
 

丹生城

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 5月17日(木)23時11分52秒
返信・引用
  17日に富岡市にある丹生城に久しぶりに登ってきました。本丸・西の丸の南側斜面にある遺構はたくさんあることは知っていましたが、今回徹底的に見て回りました。東側の麓にある金乗寺の境内脇道に縄張り図があり、二つ南西尾根が描かれていますが、それでも描かれていない曲輪群を見つけました。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: ご無沙汰しています。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月10日(木)04時15分18秒
返信・引用
  > No.5507[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。ネット環境をスマホに統一したのですか? 確かに両方あると料金がけっこうかかるので、かなり負担が大きくなりますが、私はスマホではホームページの作成・維持ができないので、当面はパソコン接続もやめることはできないですね。
ただ、最近は格安スマホも出回っているので、スマホの方を安い契約にできないかどうかと思ったりしています。

花倉城周辺の道はけっこう分かりにくいですね。ところが、城の入り口近くまでgoogleのストリートビューが通っているので、事前にそれを見て予習しました。googleの車ってかなり細い道にも入り込んでいたりするので驚きです。

大築城を訪れたのはかなり昔なので、詳細はもう忘れてしまいました。

それでは丹波路、気を付けて行ってきてください。

 

ご無沙汰しています。

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 5月 9日(水)18時56分10秒
返信・引用 編集済
  PCのネット契約を解約しスマホに一本化しました。PCと違い書き込みしにくく、つい億劫になってご無沙汰しました。

その間、藤枝や伏見、埼玉北西部の城を巡って来ました。藤枝の花倉城では登る坂を間違え、茶畑で立ち往生。都幾川の大築城は目印の住吉神社を看過、あじさい公園のずっと先の林道にも案内板があり、そこから登った処、途中で道が崩落、直登するも、大回り。

これだけネットで情報があるのに、情けない話です。

次は丹波路、懲りずに行って来ます。
 

赤木南城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時59分29秒
返信・引用
  同じく松本氏のお城。

北城同様、赤木山の台地を守るための城郭である。しかし、こちらもかなり破壊が進んでいる。松本市にはこのような小規模な城館を保護しようとする気持ちはないのであろうか。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/matumotosi03.htm#minami
 

赤木北城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時57分55秒
返信・引用
  長野県松本市のお城。

単郭ながらしっかりと堀を巡らせた城であったのだが、現在、堀にはゴミや土砂が投げ込まれ、城内は荒れ地と廃アパートとなっていて、心寒くなってしまうような状態である。

城址としてはすでに認識されていないようだ。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/matumotosi03.htm
 

重ね城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時42分21秒
返信・引用
  これも朝日村のお城。

武居城のはるか奥の山に築かれている。武居城まで行くと、重ね城の案内も付けられていたので、ついでに訪れてみることにした。

武居城からの比高は140mほど、30分ほど歩いて到達することができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/asahimurang.htm#kasane
 

武居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時40分55秒
返信・引用
  長野県旭村のお城。

大規模な二重堀切や、横堀に掘られた畝状竪堀など、なかなか見どころの多い山城である。比高も70mほどなのですぐに登れる。

ところが、正規の登城道があることを知らずに、大手口と思われる方向から直答してみたら、笹薮の海を潜っていくことになってしまった。

城を訪れる際には、ちゃんと下調べをしていった方がよい・・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/asahimurang.htm
 

南熊井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)08時01分15秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

北熊井城ほどの規模はなく、単郭の単純な構造であるが、周囲の堀はよく残されている。

また、北側には「南熊井城址」と書かれた大きな看板が立てられており、ちゃんと城址として認識されていることがうれしいのであった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#minami
 

上田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時59分32秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

しかし、こちらは比高30mほどなので、すぐに登れる。山城とはかくありたいものである。

山麓には公民館があり駐車場もあって車を停めるのにも安心である。ミニ妙義山城のような山城であるが、山麓には上田館と呼ばれる遺跡もある。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#ueda
 

飯縄城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時58分15秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

地域的な特性もあるのであろうか、妙義山譲渡は似た構造のお城である。

山麓の慈光院が居館のようで、ここから山に登って行く。今度は正真正銘、登城道が残っていないので、急斜面を直登していった。連続して急斜面直登はきつい・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#iiduna
 

妙義山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時56分38秒
返信・引用
  これも塩尻市のお城。

釡井庵の上にそびえる急峻な山に築かれている。遺構はなかなか素晴らしい。

釡井庵の所からちゃんとした登城道が付けられていたのだが、それに気が付かずに、急斜面直登をしてしまった。疲れる・・・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm#myougi

 

奈良井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 6日(日)07時55分6秒
返信・引用
  塩尻市のお城。

奈良井宿の真上にそびえている番所のような城館である。単郭だが、遺構はよく残されている。

城もさることながら、奈良井宿の雰囲気が素晴らしい! まるでタイムスリップして江戸時代に戻ってきたかのような街並みがそのまま残されている。
こういう街を歩いてみるのもいいものである。
http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/siojiri02.htm
 

山吹山狼煙台!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時36分26秒
返信・引用
  これも木曽町のお城。

山吹トンネルの上にそびえる山稜上に、模擬天守状の展望台を備えた狼煙台がある。かなり遠くからでも見える施設である。

ところで、この近くには巴という地名もある。木曽義仲の愛妾、巴・山吹はこの地の出身であったのだろうか。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/kisohiyosi.htm
 

火燃山狼煙台!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時22分13秒
返信・引用
  これも木曽町のお城。

関山公園の背後の山稜に築かれている。公園から延々と山道を通ってアクセスできる。

遺構はそれなりのものだが、城址周辺になると急に笹薮が深くなるので、なんだかわかりにくくなってしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/kisohukusima01.htm#hitomosi
 

福島関所!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時20分41秒
返信・引用
  これも木曽町にある施設。

かつての門や柵、番所などが復元されており、駐車場も完備しているため、訪れやすい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/kisohukusima01.htm#seki
 

福島城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)22時19分37秒
返信・引用
  木曽町のお城

木曽氏の詰の城である。比高300mもある急峻な山城だが、幸いかなり上の方まで林道が通っているので、これを使用して紅葉ヶ丘までいけば、比較的楽にアクセスできる。

曲輪はどれも小さいが、堀切によってしっかりと区画している。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/kisohukusima01.htm
 

王滝城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)20時57分22秒
返信・引用
  長野県王滝村のお城。

王滝村は隠里のような場所にある。しかし、御岳湖といい、はるか遠くに見える御岳山といい、実に眺望と自然に恵まれた村である。

この湖に突き出した岬が城址ということである。ただし先端部はダム造成による水位上昇で沈んでしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/outaki.htm
 

上松城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)20時24分20秒
返信・引用
  長野県上松町のお城。

けっこう高い山の上にあるが、テレビ局の中継アンテナが建てられている関係で、山頂まで林道が通っている。しかし、この林道、距離が長く運転が付かれる道なのであった。

たいした以降もなく、わざわざ行くまでもなかったかもしれない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/agematumati.htm
 

和村城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)19時46分22秒
返信・引用
  これも大桑町のお城。

木曽川に臨む断崖上に築かれている。

規模は小さいが、ヤブもなく訪れやすい。また、城塁には数種類の山桜が色とりどりに咲き乱れており、とてもきれいであった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ookuwamura.htm#wamura
 

須原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)19時45分13秒
返信・引用
  長野県大桑町のお城。

木曽氏の古い時代の居館があった定勝寺の背後にそびえる山上に築かれている。

堀などはだいぶ埋まってしまっているようだが、それでも遺構はよく残されている方である。

城内には鉄塔が建てられており、東側の道路脇から、この鉄塔の取り付け通路を通って登って行くのがよい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ookuwamura.htm
 

三留野愛宕山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)18時46分16秒
返信・引用
  これも南木曽町のお城。

比高300m近い山上に築かれている。かつてここに愛宕神社が祭られており、祭礼の際にはみんなで神輿を担いで登ったということであるが、現在では神社もなく訪れる人もいない。

コンパクトながら郭方向の尾根をしっかりと掘り切っており、そこそこ見どころはある。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nagisomati02.htm
 

本後丸山砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)17時47分46秒
返信・引用
  これも南木曽町のお城。

神明砦のすぐ北方に位置している。山上には平場はあるが、堀切などは存在していない。きわめて簡素な砦である。

地元では城郭であると認識されていたので、砦があったことには間違いないのだろうが、たいしたものではない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nagisomati01.htm#hongou
 

神明砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)17時46分4秒
返信・引用
  これも南木曽町のお城。

妻籠の南畝hにある大妻籠の集落の上にそびえる山稜に築かれていた。

地元では確かに城郭であるという伝承はあるようだが、ヤブがひどくて下の方の郭しか歩けなかった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nagisomati01.htm#sinmei
 

賽の神土塁!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)17時44分44秒
返信・引用
  これも南木曽町の遺構。城であったかどうかははっきりしない。

妻籠城のすぐ東側にあり、旧中山道を抑えるような形状で土塁が山の斜面に延びている。

かつてこの場所に関所があったのかどうかは知らないのだが、関所的な施設の付属物であったというように想定される。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nagisomati01.htm#sainokami
 

妻籠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 5月 5日(土)17時43分27秒
返信・引用
  長野県南木曽氏のお城。

近年観光地として外国人にも人気のある妻籠宿の北側にあるお城である。

刊行を意識してか、整備されているが、連休中とはいえ、誰に会うこともなかった。

登り口には朽ち果てたしろやま茶屋がある。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nagisomati01.htm
 

謙信一夜城と王子台砦

 投稿者:右兵衛佐  投稿日:2018年 5月 1日(火)19時27分16秒
返信・引用
  そういうことだったんですね。とても参考になります。ありがとうございました。
 

Re: 謙信一夜城と王子台砦

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月30日(月)21時07分26秒
返信・引用 編集済
  > No.5480[元記事へ]

右兵衛佐さんへのお返事です。

実は私も詳細が分かっているわけではなく、また記事を書いたのもかなり昔のことなので記憶があいまいになってしまっているのですが、私のページで「王子台砦」としているものは、『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』に記載されている忍台城のことです。

忍台城は、謙信一夜城から500mほど離れたところにあったようですが、現在では湮滅状態になっています。これを「忍台城」ではなく、王子台砦として紹介したのは、何かの文献によってだったと思いますが、今では分からなくなってしまいました。

千葉の城址を回り始めたころ、よく片手にしていた『房総の古城址めぐり』という本には、「王子台城は謙信一夜城とも呼ばれている」こと、その近くに「忍堤」と呼ばれる付属施設があったことなどが記述されています。

そうなると、謙信一夜城の付属施設として忍堤(忍台城)というものが存在しており、合わせて王子台砦と呼ばれていた、ということになるのかもしれません。

もっともこれについては、ちゃんと調べているわけではないので、実際にどうであったのかは、はっきりしません。


 

Re: 浦山城の西側遺構新発見

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月30日(月)21時04分12秒
返信・引用
  > No.5479[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

浦山城のことはまったく知りませんでした。埼玉はあまりきちんと回っていないので、まだ訪れていない城館も多いのです。少し時間をつくって、また埼玉の方も訪れてみたいものです。圏央道がつながったので、成田からのアクセスも欠航しやすくなっています。

 

Re: 中山勘解由屋敷の位置

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月30日(月)21時02分41秒
返信・引用
  > No.5478[元記事へ]

赤いRVR@松本さんへのお返事です。

中山勘解由屋敷は、滝山城と近いので、ついでにちょっと立ち寄ることができますね。城館というよりは、名称の通り、屋敷といったイメージです。

鳥瞰図の使用、了解しました。出典元が「余湖くんのホームページ」であることさえ明記してあっれば、自由に使用してかまいませんので、ご活用ください。

 

謙信一夜城と王子台砦

 投稿者:右兵衛佐  投稿日:2018年 4月30日(月)17時17分12秒
返信・引用
  お久しぶりです。以前お世話になった遠藤です。右兵衛佐に任官しました!
今回は余湖さんに質問があり書きこみました。臼井城攻めの際、謙信が築いた一夜城、多くのサイトではこの一夜城のことを王子台砦といっていますが、余湖さんのページでは一夜城と王子台砦は別としています。これはどちらが正しいのでしょうか?「王子台砦」が二つあるということですか?それと、一夜城とは別の王子台砦の場所がわかるようであれば教えてください。お手数をおかけし申し訳ありませんが、回答よろしくお願いします。
 

浦山城の西側遺構新発見

 投稿者:横尾  投稿日:2018年 4月28日(土)20時26分39秒
返信・引用
  埼玉県皆野町金沢にある浦山城ですが、西にアジサイ園があり、これをよく見ていくと大きな曲輪であると思われます。アジサイ園の上の斜面には腰曲輪があり、石垣も見られ、その石垣に沿って深い壕道が伸びています。この壕道を林道が寸断していますが、林道の上が気になり歩いて見たところ。ここにも大きな曲輪があり、中央部には土塁と虎口があって、おそらく浦山新城(仮に)の本丸と二の丸ではないかと思います。東側には腰曲輪、南には段曲輪があります。この遺構に壕道が繋がっていたと思います。この遺構があると皆野町教育委員会に連絡いたしましたところ、4/9日に調査し確認できたため、今後専門家を連れて再調査するとの回答がきました。写真1が石垣 写真2が壕道 写真3がこの上に大きな曲輪があります。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

中山勘解由屋敷の位置

 投稿者:赤いRVR@松本  投稿日:2018年 4月27日(金)21時47分19秒
返信・引用
  こんばんは。先日滝山城と併せて中山勘解由屋敷にも行ってきました。その後、googlemapの位置情報を訂正しておきました。城跡の位置情報が最近増えてきているのですが、載せるなら載せるで、正しい位置を示してほしいですよね。その他にも、信州を中心に、城跡の位置と写真、口コミを載せる地道な活動を続けています。また、図は利用させていただいています。今後ともよろしくお願いします。  

Re: 鳥瞰図

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月18日(水)04時29分25秒
返信・引用
  > No.5476[元記事へ]

岡田信之さんへのお返事です。

了解しました。私宛にメールを送っていただければ、返信に大きい図のファイルを添付して送ります。


 

鳥瞰図

 投稿者:岡田信之  投稿日:2018年 4月17日(火)09時32分34秒
返信・引用
  鳥瞰図等の使用ご承諾いただきありがとうございます。サイズの大きい図があれば助かります。余湖様のメールアドレス宛にメールを差し上げますので,メール添付で送っていただけるでしょうか?
よろしくお願いいたします。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~OKACHAN/okitsujo-p/okitsujo-p.html

 

Re: クソページ

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月17日(火)05時19分59秒
返信・引用
  > No.5474[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

おっしゃるとおり、自分でちゃんと歩いて調べてみればいいのになあと思います。人が調べたものを使うにしても、引用元を明記してあれば、マナーには反せずに済むと思うのに、世の中には常識の分からない人がけっこういます。人が描いたものを自分の作品として紹介しているという神経が理解できません。

引用元さえ明記してあれば自由に使っていいと、あれだけはっきりと書いているのに、それでも無視するというのはどういう神経なのでしょう。まともな常識のある社会人ならば、やらないことのはずです。

最近、『日本の天守閣』といった名前の本を本屋で見かけたのですが、その本はいわゆる城の天守だけではなく、模擬天守などもしっかりと紹介しているという豪華な本でした。

しかし、どうみても、これ、私が何十年もかかって収集した情報を使って構成しているように見えます。別に情報料を取ろうとは思いませんが、一言「下記のホームページを参考にしました」と書いておくのがマナーだと思います。その手の本は、参考文献はきちんと挙げているのですが、ホームページの情報などは使って無視してもかまわないと思っているのでしょう。そういう意味では、出版社であっても、そういう認識のないところもあるということです。

もっとも、多くの出版社は、そのようなコンプライアンスを守ってくれているのですが。

 

Re: クソページ

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 4月16日(月)23時40分39秒
返信・引用
  > No.5471[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

もう既に対応されてるみたいですが、他のページも見てみたら、複数の知っててお邪魔してるブログ等からも画像を使ってるのが判ったので、報告しておきました。地元の話でも足を運んで調べたりしないのでしょうかね・・・。
 

Re: 興津城鳥瞰図について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月15日(日)17時41分2秒
返信・引用
  > No.5472[元記事へ]

岡田信之さんへのお返事です。

了解しました。私のページの鳥瞰図等は、出典が「余湖くんのホームページ」であることさえ明記してあればご使用は自由です。よろしければご活用ください。

鳥瞰図は、ページに掲載しているものでよろしければそのままお使いください。もっと大きいサイズのものが入用でしたら、ご相談ください。

 

興津城鳥瞰図について

 投稿者:岡田信之  投稿日:2018年 4月15日(日)13時52分44秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。以前資料の利用許可のお願いをしました勝浦市のNPO法人GANAZO理事長の岡田信之です。
おかげさまで少しずつですが整備が進んでおります。子どもたちの冒険遊び場として第2郭を利用したいと考えておりまして,そちらの整備が中心になっております。

以前ご連絡したときに,鳥瞰図等のデータのご提供をいただけるというお話があったかと思います。差し支えなかったら,データのご提供をいただけますでしょうか?

興津城の解説図として活用させていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~OKACHAN/okitsujo-p/okitsujo-p.html

 

クソページ

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月15日(日)10時49分1秒
返信・引用 編集済
  > No.5470[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

お知らせくださいまして、ありがとうございます。

もちろん、このような使用は認めておりませんし、連絡も受けておりません。
このようなクソページを見るたびに、本当に悲しくなってしまいます。
見ると、れっきとした会社法人が運営しているホームページのようですが、無断使用のみならず無断改変も行っております。

もともと、引用元さえ明記してあれば快くお貸ししているものなのに、この使い方は完全に喧嘩を売っているとしか思えません。
これからこの会社に連絡してみようと思いますが、誠意のない対応をするようであれば、法的な対応を取らせていただこうかと考えています。少額訴訟でも60万円までは請求できますから、このようなクソページをつくる会社に法的コンプライアンスを理解させるために何らかのアクションを起こす必要があろうかと思います。


 

「松戸にあった城」

 投稿者:安房国  投稿日:2018年 4月15日(日)09時28分38秒
返信・引用
  先日(4月11日)松戸の聖徳大学の「戦国時代を読む『応仁記』の世界」という
体験講座に参加してきました。講師の清水眞澄先生は、プリントとプロジェクター
を使って講義されていました。
そのプロジェクターで一般個人のHPの「松戸にあった城」
http://www7b.biglobe.ne.jp/toho-corporation/linkmatsudo-matsudonoshiro.html
というページを表示しながら松戸の城を説明していたんですが、その中で明らかに余湖さんの
鳥瞰図が使われていました。余湖さんが承知されているなら問題ありませんが、HPの中では
余湖さんの名前が出てこなかったようなので気になりました。
 

Re: 見つけた城郭について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 8日(日)07時23分14秒
返信・引用
  > No.5468[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

50stormさん、こんにちは。いつも精力的な活動、感服してます。

50stormさんのおかげで、遺跡地図にも載っていない新規城郭を見ることができました。初原城だけは、城とは思えませんでしたが、城以外の遺構としてみれば、ある意味、中世城郭よりも興味深いです。

それにしても川崎さんってすごい人ですね。そんな古い時代に、よくマイナーな城跡なんかを調べられたものです。せっかく川崎さんが調べてくれたのに、『茨城県遺跡地図』にも掲載されていないっていうのは、茨城県の手抜きなような気がします。

これからもよろしくお願いします。



 

見つけた城郭について

 投稿者:50storm  投稿日:2018年 4月 7日(土)11時11分52秒
返信・引用
  余湖さんご無沙汰しています。

早速いろいろな城郭に行かれありがとうございます。

これらの城郭については、戦前から戦後にかけて茨城県北部を中心に城郭を歩いた川崎春二が残した資料を基に調査しています。

なかには、城かどうか現在となっては怪しいものもありますが、再発見の城郭として取り上げています。

これからも新規の城があるかもしれませんので、その際はまた報告させていただきます。
 

Re: 初原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 3日(火)04時25分40秒
返信・引用
  > No.5466[元記事へ]

あおれんじゃあさんへのお返事です。

お久しぶりです。これについては、城とは言い難いですね。では何なのかというと、おっしゃる通り悩ましいものです。

「土室」というのがあるのですね。言われてみれば、その上に小屋掛けすることが可能なようです。しかし、何のために・・・。不思議な遺構ですね。

 

Re: 初原城!

 投稿者:あおれんじゃあ  投稿日:2018年 4月 2日(月)22時22分32秒
返信・引用
  > No.5462[元記事へ]

ご無沙汰です。
小生もここ行きましたが、悩ましい物件です。
城かどうか判断できません。
地元にも城としての伝承はないようです。
植林による改変のようにも思えます。

例の穴ぽこ、あれは悩ましいですが、小生はあれは「土室(むろ)」というやつじゃないかと思います。斜面に造られるというし、屋根をかけ、土を載せればOKです。入口部もありますし。
でも近世のものじゃないかな?
ここと上郷古館がそっくりです。
ここも穴ぽこが斜面部にボコボコあります。
 

丸亀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時47分3秒
返信・引用 編集済
  高松空港へ戻る途中、思ったより時間があったので、久しぶりに丸亀城に拠ってみることにした。この城は、日本でも最も石垣のカッコイイ城郭であると思っている。

丸亀城は4回目の訪問であったが、今回は桜がきれいに咲き誇っており、いい写真が撮れたので、写真を追加しておいた。

天守もかつては公開日が限られていたのが、現在では年中無休で公開しているようで、4度目にして初めて内部に入ってみることができた。

http://www.geocities.co.jp/yogo139/sikoku/marugame.htm
 

宮田城出城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時44分32秒
返信・引用 編集済
  茨城県小美玉市のお城。

宮田城に出城があるとはこれまで知らなかったのであるが、『続図説茨城の城郭』に掲載されているのを見て、行ってみなければと思っていた。

単郭ながらきちんとした城郭であった。主郭内部に巨大な枡形を形成するなど、この辺りの城郭でまず見ることのできない遺構がある。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/ogawaiba.htm#dejou
 

北塩子湯殿山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時42分16秒
返信・引用
  茨城県常陸大宮市のお城。

これまた『遺跡地図』に掲載されておらず、50storm殿のページによって知ったものである。

小規模ながらも、一応ちゃんとした城郭であった。虎口もきちんと造られている。

この城の尾根のさらに奥に東金砂神社が祭られていたのが意外であった。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/hitatioomiyasi04.htm#yudono
 

初原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時40分16秒
返信・引用
  これも大子町のお城。

初原川に臨む台地に築かれている。こちらも『遺跡地図』に載っておらず、50storm殿のページによって知った。

他では見られないような特徴的な遺構が見られるのであるが・・・これは果たして城なのであろうか。人口構造物であるには違いないのだが、どうも城とするには違和感を感じる。

http://yogokun.my.coocan.jp/ibaraki/daigomatiaz03.htm#hatuhara
 

佐貫竜蓋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時38分1秒
返信・引用
  茨城県大子町のお城。

これまた『遺跡地図』に掲載されておらず、全く知らなかったのだが、50storm殿のページで知ったものである。地元で竜蓋と呼ばれているものらしい。

規模は小さく、遺構もささやかなものであるが、一応ちゃんとした山城である。

臨時的築城によるものだと思う。

http://yogokun.my.coocan.jp/ibaraki/daigomatiaz03.htm
 

藤井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 2日(月)20時35分30秒
返信・引用
  茨城県水戸市のお城。

『茨城県遺跡地図』にも掲載されていない幻の城であったが、アオ殿やP殿のページを見てその存在を知り、さっそく訪れてみることにした。

知られていないわりには遺構はしっかりとしており、なかなか見どころがある。

位置からして、那珂西城に対する付け城といった性格のものではなかろうか。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/mito.htm#hujii
 

野田土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 1日(日)15時38分18秒
返信・引用
  これも南国市のお城。

長宗我部一族の野田氏の居館。かなり破壊されているが、詰の北側土塁が残り、そこにやはり八幡神社が祭られ、城址碑も建てられている。

戦国期、野田氏は宿毛地方を与えられ、宿毛に移っていったため、野田城は廃城となった。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi03.htm#noda
 

田村土居城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 1日(日)15時36分28秒
返信・引用 編集済
  これも南国市のお城。千屋城のすぐ近くで、高知龍馬空港のすぐ北側である。

室町時代に土佐守護代とな多細川氏の居館。遺構の多くは失われているようだが、詰の東側の土塁は重厚で、その上に八幡神社が祭られている。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi03.htm#tamura
 

千屋城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 4月 1日(日)15時34分57秒
返信・引用
  高知県南国市のお城。

平城ではあるが、現在もその形状を確認することは可能である。土塁も部分的に残る。

当地の豪族千屋氏の居館であった。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/nangokusi03.htm#senya
 

須崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時56分17秒
返信・引用
  これも須崎市のお城。

須崎市にある須崎城なので、かなり大きな山城かと想像していたが、ささやかな規模のものであった。それでも遺構はそれなりにしっかりしている。

地図に載っている城山ではなく、その背後の別の尾根に遺構があるので間違えないようにしよう。
http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/susakisi02.htm#susaki
 

岡本城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時54分58秒
返信・引用
  高知県須崎市のお城。

ものすごく険しそうな山にあるので、登るときから戦々恐々。それでも主郭に神社があるため参道が付けられている。ただし、私は途中で道を見失ってしまった・・・。

畝状竪堀など、遺構はそれなりに充実しており、苦労して登る甲斐はある。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/susakisi02.htm
 

姫野々城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時53分27秒
返信・引用
  高知県津野町のお城。

よく整備された遊歩道が付けられていて散策しやすい。トイレや駐車場も設置されている。ただし、この遊歩道によっていくつかの遺構は破壊されてしまったようだ。

多数の堀切や畝状竪堀を見ることができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kouti/tunomati01.htm
 

Re: 万々城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 3月31日(土)19時51分38秒
返信・引用
  > No.5452[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

万々城の下にご子孫の方がお住まいでしたか。万々城に吉松氏が移ってきたという話の根拠がよく分からなかったものですから、半信半疑だったのですが、ご子孫がそこにお住まいになっているということからすると、信ぴょう性は高そうですね。

田辺城の天守のことはよく分かりません。

 

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