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前橋市(旧富士見村)のマイナー城館

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時45分39秒
返信・引用
  前橋(旧富士見村分)の城館です。
こちらもほとんどまともな遺構がない・・・。
田島城の土塁に石積みが大量に見られたのが、印象的なぐらいである。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/maebasihujimi.htm
 
 

桐生市(旧新里村)のマイナー城館

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時44分11秒
返信・引用
  桐生市(旧新里村)のマイナー城館です。
谷津館は、それなりによく残っていたが、後はまともな遺構が残っていない・・・・。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kiryuusiniisato.htm
 

桐生市のマイナー城館

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時42分12秒
返信・引用
  群馬県桐生市のマイナー城館です。
素晴らしい遺構の城は1つもなかった・・・。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kiryuusi03.htm
 

Re: 鳥瞰図お借りします。

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 6日(土)04時46分0秒
返信・引用
  > No.4671[元記事へ]

masakimamaさんへのお返事です。

初めまして。わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。活用できそうであれば、ご利用ください。

> 次の福井にお越しの折には、海岸のほうに南北朝の時の南軍最後の城高須城などもマイナーですがありますよ。(縁あって好きな場所です)

福井の城はまだあまり回っていないので、機会があれば、また行ってみたいものです。南北朝時代のお城など、よくご存じですね。

一乗谷の上の山城は、すでにご訪問すみでしょうか? 壮大な山城で、見ごたえ抜群ですよね。

それではまたです。
 

鳥瞰図お借りします。

 投稿者:masakimama  投稿日:2016年 8月 5日(金)23時05分7秒
返信・引用
  子供が、夏休みの宿題で郷土新聞を作らないといけないため、成願寺城と波着寺の鳥瞰図を新聞に貼り付けさせていただきます。(ちなみに、成願寺山の写真には我が家がばっちり写っていて笑えました)あと、成願寺山の古墳ですが、山の上の円墳は時代の古いもの山裾のほうの前方後円墳は中期以降のものだそうです。
次の福井にお越しの折には、海岸のほうに南北朝の時の南軍最後の城高須城などもマイナーですがありますよ。(縁あって好きな場所です)
 

亀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時34分11秒
返信・引用
  これも国東市のお城。

当地の豪族田原氏の居城である。

大規模な山城ではないが、コンパクトにまとまっており、馬出状の郭には櫓台の張り出しが見られる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kunisakisi01.htm#kame
 

富来城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時32分38秒
返信・引用
  これも国東市のお城。

国東半島の先端の方にあり、港を抑える海城であった。

織豊期城郭にしては、あまりぱっとしない気もするが、それでも、天守台のような高まりや石垣、井戸などが残っている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kunisakisi01.htm#tomiku
 

安岐城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時30分57秒
返信・引用
  大分県国東市のお城。

近世城郭らしく重厚な土塁や堀跡が残っている。城内は市街地化が進んでいるのだが、それでも各所に遺構をみることができる。

大分空港から車で5分という至近距離にあるので、早めに空港に着いた場合にちょっと立ち寄ることもできる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kunisakisi01.htm
 

玖珠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時28分40秒
返信・引用
  大分県玖珠町のお城。

玖珠町のどこから見ても目立つ伐株山に築かれている。伐株山は、非常に急峻で高い山であるが、幸いなことに山上まで車道が通っている。他の山城とは違い、ここには訪れている人が何人もいた。

もともと山岳寺院があったところで、寺院遺構と思われる土塁が散在している。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kusumati.htm#kusu
 

光岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時26分17秒
返信・引用
  宇佐市のお城。県指定史跡になっているので、案内表示がしっかりしている。車で山の上まで行けるので楽ちんなお城である。

単郭ながら横堀をしっかりと巡らせており、ヤブがなく見通しがよいというのもよい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi02.htm#mituoka
 

高森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時24分54秒
返信・引用
  大分県宇佐市のお城。

駅館川に臨む河岸段丘上に築かれたお城であるが、なかなか変わった構造をしている。黒田氏の築城だというが、黒田氏ってこんな城郭も造っていたのだろうか。

城址の中央を道路が分断しているのだが、遺構は結構残っている。しかし、ヤブである・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi02.htm#
 

佐野鞍懸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時21分4秒
返信・引用
  これも豊後高田市のお城。

豊後高田の山間の地に築かれた小規模城郭であるが、見どころいっぱいのお城である。

何しろ総石垣造りの山城なのだ!

ただ、登城道が残っていない・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/bungotakadasi01.htm#sano
 

豊後高田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時19分23秒
返信・引用
  豊後高田市にあるお城であるが、ここに近世城郭が残されているとは知らなかった。

一部残る石垣も立派なものであるし、ほぼ残っている外堀などは、まさに近世城郭の大規模なものである。

意外と見どころの多い城郭なのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/bungotakadasi01.htm
 

大友氏上原館!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時17分5秒
返信・引用
  大友氏の居館である。
といってもただの平地城館ではなく、台地縁部に築かれており、重厚な土塁が残っている。

市街地の真っ只中にあるのだが、見学者用の駐車場がしっかり用意してくれてあるのがうれしい。

大友二階崩れの変は、この館で起きた事件であったという。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm#uehara
 

小岳城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)21時43分10秒
返信・引用
  これも大分市のお城。

それほど有名な城郭ではないが、立派な模擬天守が建っているとのことで、ぜひとも行ってみたかった。かなり急峻な山城であるが、山頂近くまで車で行けるのもありがたい。

この模擬天守、どうやら個人のお宅のようである。天守のような家を建てるというのは男のロマンであるが、それを実現している人がいるのはうらやましい限りである。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm#odake
 

鏡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)21時40分6秒
返信・引用
  大分市のお城。
鶴賀城の対岸にあり、恒久的な城郭というよりは、戸次川合戦の際に、豊臣軍が軍議を開いたところ、というのが正しい成り立ちのようである。

そのためか、あまり明確な遺構は存在していない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm#kagami
 

鶴賀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)21時38分33秒
返信・引用
  大分市のお城。

戸次川古戦場の南側にそびえる山上に築かれた城である。戸次川の合戦は、この城を包囲攻撃中の島津軍を無理に攻撃しようとしたことから起こった。

城に向かう途中に、長宗我部信親の墓所がある。

急峻な山城であるが、山頂近くまで車で行けるので楽ちんであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm
 

小牟礼城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時46分39秒
返信・引用
  大分県豊後大野市のお城。

2つの川の織り成す断崖上という要害地形に築かれたお城である。

最高所に神社がまつられているため、そこまでは夏場でも行けるが、途中からはドヤブにやってしまっており、細部まで見るのは難しかった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/bungooonosi01.htm
 

山本切寄!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時28分14秒
返信・引用
  これも宇佐市のお城。

切寄という名称から、一種の陣城であったのではないかと思われる。構造的にも遺構規模の上からもなかなか面白い構造であった。

歴史が一切不明な城郭であるが、どの戦乱の際に築かれたものなのか、今後調べてみたい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#yamamoto
 

副城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時24分56秒
返信・引用
  これも宇佐市のお城。

平成の森公園の北側に延びる山稜上に築かれている。

それほど大規模な城郭ではないが、2段の横堀や連続竪堀などが良好な状態で残されている。ヤブがない状態で遺構を視認できるのはなかなか楽しい。石組みの井戸もある。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#soe
 

龍王陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時22分58秒
返信・引用
  龍王城の北側山麓にあるが、中世城館ではなく、近世になってから松平氏によって営まれた陣屋である。

陣屋の周囲には石垣が残されているが、内部は猛烈なヤブで探索はできない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#ryuuoujin
 

龍王城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時21分48秒
返信・引用
  これも宇佐市のお城。

比高200mの急峻な龍王山に築かれているが、中腹まで車で登っていけるので、実際には真夏でも登れる山城であった。

しかし、主郭から西側はヤブ状態でハチも飛んでいた。ちょっと注意した方がよい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#ryuuou
 

佐田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月30日(土)22時54分51秒
返信・引用
  大分県宇佐市のお城。
すばらしくいいお城だとウモ殿から聞いていたので、夏場にも関わらず行ってきた。

そして、予想にたがわぬいいお城だったので感動した。

本城が素晴らしいだけではなく、あちこちに派生した尾根にもすべて出城が構築されている。

だが、やはり、夏場に回るにはかなりきつかったのであった・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm
 

Re: 門毛城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月30日(土)22時52分12秒
返信・引用
  > No.4651[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

なるほど、山越えのルートもあったのですか。それならば納得です。

門毛城は、茂木方面からの山越えルートを抑えるための、防塁のような城郭であったと考えられるのではないかと思います。

ご教唆、ありがとうございます。
 

門毛城

 投稿者:50storm  投稿日:2016年 7月30日(土)19時06分29秒
返信・引用
  余湖さま

地図を見て思ったのですが、門毛城は、雨巻山からの尾根伝いにあり、山尾根からの道があったと思います。山尾根沿いを進むと、茂木城まで進むことが出来ます。また、芳賀富士には、中世板碑が残っていて、中世由来と考えられています。
十分可能性が高い話と思います。
 

Re: 門毛付随史料

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月30日(土)10時48分23秒
返信・引用
  > No.4649[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

ご無沙汰しています。また、情報、ありがとうございます。

あの場所は古代から重要な街道に面しているのですね。参考になります。

ただ、ちょっと疑問なのは、門毛城の構造が、下の街道を抑えるためというよりは、北側の山道への防塁のようになっていることなんです。北側の山の方向にも街道が通っていたのでしょうか?

岩瀬町史に掲載されている資料というのも気になります。近所に岩瀬町史を置いてあるところがないので、どこかに見に行きたいと思っています。

それではまたです。
 

門毛付随史料

 投稿者:50storm  投稿日:2016年 7月29日(金)22時24分14秒
返信・引用
  こんばんは。ご無沙汰しています。鎌倉街道と中世の道で、桜川市の城館は鎌倉街道と密接に関わりがあることが指摘されました。門毛城は、常陸と下野を結ぶ古代からの官道ルート沿いにあり、古代からの交通の要衝だったのでしょう。
中世もその構造は変わらなかったと思います。近くに多田氏の五輪塔(推定鎌倉時代)もあり、何だかの関わりがあるのかもしれません。
 

Re: 青春18切符

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月28日(木)04時13分52秒
返信・引用
  > No.4647[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

備前守長政殿、ご無沙汰しております。毎日暑くて、お城めぐりにはつらい時期ですね。

御所巡りですか、これはまた渋い趣味ですね。それにしても篠川御所も、稲村御所も、けっこうヤブの部分があったりし、夏場ではきつそうですが、大丈夫だったでしょうか。

青春18きっぷですか。懐かしいですね。私も若いころは18きっぷを使って、各地のお城を回っていたもんです。しかし、近年は、料金よりも時間の方が重要なので、あまり使わなくなってしまいました。のんびりした旅をするのも、いいものなのですが・・・。

代わりに時間があれば使っているのはLCCです。空港が近くにあることと、時間が短縮できるのが最大のメリットです。

先日、久しぶりにまとまった休みが取れたので、九州に行ってきました。飛行機だと本当に早いです。

それではまたです。

 

青春18切符

 投稿者:備前守長政    投稿日:2016年 7月26日(火)00時04分7秒
返信・引用 編集済
  毎日暑いですね。如何お過ごしでしょうか。


土曜日、青春18切符を使って須賀川界隈に行ってきました。夏ですから山城は避け、前から一度行ってみたかった、篠川御所と稲村御所を軸にその周辺を見てきました。

もともと足利政権のファジーさというかいい加減さが面白くて、他にも結構あちこちの遺跡を見て回っています(鞆の浦や朽木氏館、一乗谷、平島公方館、古河御所、堀越御所などなど)。今回もその一環として訪ねました。


遺構としてはかなりシンプルで取り立ててどうというものではないです。ただ、戦国期に城として使われ改変されている篠川御所(というか篠川城)と違い、稲村御所の場合は公方の居所で終わってしまった可能性があり、そうなるとあの遺構(堀と土橋)は15世紀前半のものとなるので、それはそれで貴重なものと言えましょう。

でも、御所跡には何ら標柱や説明板も無く、埋もれてしまっているのは至極残念です。バスの時間が合わずタクシーを使ったのですが、運転手さんも何しに行くんだ?みたいな感じでしたから、地元でも殆ど顧慮されていないのでしょう。


それにしても余湖さんは草叢も気にせず図面書きに山城に行かれている由。パワフルですね。あやかりたいです。私なんか平場をチョイと歩くだけでへばってしまいました。

それでは。
 

Re: 門毛の史料

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月23日(土)04時40分7秒
返信・引用
  > No.4645[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、こんにちは。再度のご教示、ありがとうございます。

『岩瀬町史』については、昔見たかもしれないのですが、現在、手元にコピーなどがなく、詳細がわかりません。時間のある時に、茨城のどこかの図書館に行って、確かめてみたいと思います。

それにしても、門毛城は、変わったお城なのではないかと感じています。上沢さんは、あれを「居館」「居城」のようなものに思われるでしょうか?

私はどちらかというと、臨時の築城によるもので、それも目的は、北側に続く山道を抑える関所機能を重視したもの、といったイメージに感じました。

南側のあいまいな地形や、同比高にある北西側の台地の未加工さは、むしろ築城途中で放棄されたもの、という印象を受けてしまうのです。

つまり何らかの戦時に緊急に取り立てられ、そのまま放棄されてしまった城のように思えてしまうので、そのあたりを何か史料で確認できないかなと思ったため、門毛が出てくる史料というのが気になってしまったのです。

それではまたです。
 

門毛の史料

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 7月22日(金)18時29分7秒
返信・引用
  岩瀬町史の史料編に掲載されています。
いま、手元の書き写しノートが見当たらず、詳しくご説明できません。
本の真ん中あたりだったかな…。後ろの方だったか記憶があやふやです。

岩瀬町史 史料編 をご覧ください。
「門毛由来…」こんな感じの史料でした。


また、門毛城の江戸時代の村落図を元に作成した簡単な縄張りは、岩瀬町史のうしろのほうにあります。これはたぶん、余湖さまは確認されていると思います。
こちらは私のページにも掲載してあります。


あと、洞源寺さんは、本宅吉田家のすぐ上の尾根上にありますが、一応、昔の砦跡というような伝承も残っているようです。一応ってことなので、かなりあやふやな伝承です。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/

 

Re: 門毛おつかれさまです。

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月22日(金)04時47分12秒
返信・引用
  上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、こんにちは。重ねての情報提供、ありがとうございます。

> あのあたりは土豪が6、7家くらいいて、戦時にはみんなで門毛城に篭ったと思われます。古文書で門毛の由来が書れた史料がありますが、そこに周辺の旧家の名字があります。
> 阿保家も、吉田家も、室町家も、そのうちの一家です。

なるほど、どのように推定できますか。1つ質問があるのですが、門毛城の由来が書いてある古文書がどこに載っているのか教えていただけないでしょうか。門毛城の歴史について、確実なところを知りたいのです。よろしくお願いします。

それではまたです。
 

Re: 門毛おつかれさまです。

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 7月21日(木)19時31分12秒
返信・引用
  > No.4642[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。
こんにちは。上沢光綱です。

> それにしても、図面描き初心者とおっしゃっていましたが、上沢さんの図を片手に実際に訪れてみて、描きにくい所まで、きちんと描かれているのに感銘しました。すばらしい才能ですね。

●ありがとうございます。あれを描くのに3回も行ってますんで、時間をかければ何とか図面にできます。というレベルです。角度や長さに不安ありです。しかし疲れました。



> 私は、ヤブで戦意喪失したこともあり、けっこうテキトーな図になってしまいました。それに、あのお城は、遺構が不明瞭になってしまっている箇所も多く、どういう風に描いたらいいのか、かなり悩んでしまいました。
> 南側部分に明確な区画がないのがとても気になります。堀を埋めてしまったんでしょうか?
> ただ、地元の古老に伺った話では「昔から堀などはなかった」ということだったので、そもそも未完成の城だったのかも? と思ったりもしています。

●南側のダラダラ部分は不明瞭ですね。堀の形跡が見当たりません。江戸時代の図面を見てもすでに無さそうなので、早くから耕地化してしまった場所だと思います。低い丘ですから、畑地になってしまったんでしょう。
前のお宅の場所が居館跡と思われます。地名を室町というので。門毛には室町越前守という人物もいました。門毛城は、室町屋敷ともいいます。
あのあたりは土豪が6、7家くらいいて、戦時にはみんなで門毛城に篭ったと思われます。古文書で門毛の由来が書れた史料がありますが、そこに周辺の旧家の名字があります。
阿保家も、吉田家も、室町家も、そのうちの一家です。

本気で戦闘を考慮した城ではなく、街道をおさえる城と思われます。西側のゆるい尾根の先は、なんで遺構が無いの?ってくらい無防備ですよね。こちらもならしてしまった可能性もあります。
南は激戦区ですし、北へ行けば益子、北東へ行けば茂木ですから要所ですよね。私は小さい城が好きなので、とっても楽しめました。

長文失礼いたしました。
また何かありましたら、書き込みさせていただきます。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/

 

Re: 門毛おつかれさまです。

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月20日(水)22時30分5秒
返信・引用
  > No.4641[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、こんにちは。上沢さんの情報のおかげで、門毛城の実態を知ることができて、感謝しております。

それにしても、図面描き初心者とおっしゃっていましたが、上沢さんの図を片手に実際に訪れてみて、描きにくい所まで、きちんと描かれているのに感銘しました。すばらしい才能ですね。

私は、ヤブで戦意喪失したこともあり、けっこうテキトーな図になってしまいました。それに、あのお城は、遺構が不明瞭になってしまっている箇所も多く、どういう風に描いたらいいのか、かなり悩んでしまいました。

南側部分に明確な区画がないのがとても気になります。堀を埋めてしまったんでしょうか?
ただ、地元の古老に伺った話では「昔から堀などはなかった」ということだったので、そもそも未完成の城だったのかも? と思ったりもしています。

今後とも面白い情報がありましたらお知らせください。

それではまたです。
 

門毛おつかれさまです。

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 7月20日(水)19時45分34秒
返信・引用
  お仕事忙しい中、お疲れ様でした。
やはり夏場の山は藪がひどいですよね。

門毛城。
余湖さまの図、見ました。すばらしい。
いまは私も仕事が忙しくて図面描きはストップしていますが、来月からまたやりはじめようと思います。
平らな城を。

ではまた。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/

 

門毛城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月18日(月)20時47分17秒
返信・引用
  茨城県桜川市の門毛城。
久しぶりに城に行く時間ができたので図面を描きに行ってきた。しかし、ヤブがひどくて夏場の図面柿は難しい。

かつての『茨城県遺跡地図』が近くの洞泉寺に城址のマークを付けていたため、ずっと城のある位置を勘違いしており、遺構は残っていないものと思っていた。

しかし、実際にはちゃんとした遺構が残されていることを「下野国騒乱記」の記事を見て知ることができた。茨城のお城を訪ねたのは本当に久しぶりである。

http://yogokun.my.coocan.jp/ibaraki/sakuragawasi01.htm#kadoke
 

Re: 7月のご挨拶

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月10日(日)06時48分4秒
返信・引用
  > No.4638[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

お久しぶりです。こちらは相変わらず、お城めぐりの時間がなかなか取れません。

しかし、昨年までよりは、かなり自由が利くようになったので、少しずつ、再開していきたいと思っています。

この掲示板で教えていただいた桜川市の門毛城のことは気になっているので、近いうちに図面を描きに行こうと計画中です。

手持ちの遺跡地図の位置がずれていたため、今まで、ちゃんとした遺構があることに気が付いていなかったんですね~。

それではまたです。
 

7月のご挨拶

 投稿者:ひづめ  投稿日:2016年 7月 8日(金)11時34分42秒
返信・引用
  余湖さん

今年も7月が巡ってきました。あいかわらずお忙しそうですが、それでもお城の時間が多少なりとも取れるようになっているようで、私としても心強いです。これからもよろしく。

ひづめ

http://yablog.blog6.fc2.com

 

報告

 投稿者:棟治  投稿日:2016年 6月20日(月)14時03分52秒
返信・引用
  >上州の歴史について調べてらっしゃるのですね。私もこのところ、時間を作れた時には、上州に出かけています。
>私のページの鳥瞰図等は、出典さえ明記してあればご使用は自由ですので、よろしかったらご活用ください。

早速のご快諾ありがとうございます。
実は余湖先生は面識があると思われますが、「初心氏」のブログを整理して乗せております。
少しづつ形ができてまいりました。お時間とれましたら見に来てください。
お忙しいでしょうから気が向いたらで結構かと思います。

ありがとうございました。

http://minowa1059.wiki.fc2.com/

 

Re: 鷺山城鳥瞰図お借りしました

 投稿者:まさ@徒然  投稿日:2016年 6月13日(月)12時55分58秒
返信・引用
  余湖さん
まさ@徒然です、使用承諾有難う御座います。

> 佐倉城・本佐倉城を回ったのは、もう6年前のことでしたか。ずいぶんと時間が経ったことに驚かされます。

はやいですね~

> あの後、みなさんとご一緒したりする機会はなかったのですが、よろしければまた、どこかのお城をご案内したいと思っております。

本佐倉城では、荒上の堀ナド個人ではなかなか見られないところまで案内してていただいて内容のの濃いオフ会でした。 佐倉城もまた然りです。
また、機会がありましたら 是非ご一緒させて下さい。

http://kdx220k.blogspot.jp/?m=0

 

Re: 鳥瞰図お借りします

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 6月12日(日)05時58分41秒
返信・引用
  > No.4633[元記事へ]

棟治さんへのお返事です。

初めまして。

> そこで、この鳥瞰図と説明文をお借りしたく書き込みさせて頂きました。
> 出元を表示して、がんばってサイトを作っていきたいと思います。
>

上州の歴史について調べてらっしゃるのですね。私もこのところ、時間を作れた時には、上州に出かけています。

私のページの鳥瞰図等は、出典さえ明記してあればご使用は自由ですので、よろしかったらご活用ください。

ただ、箕輪城の鳥瞰図は、かなり初期の頃のもので、10数年前のものです。そのうち、再訪して描き直してみたいと思っております。

それではまたです。
 

Re: 鷺山城鳥瞰図お借りしました

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 6月12日(日)05時55分26秒
返信・引用 編集済
  > No.4632[元記事へ]

まさ@徒然さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。

佐倉城・本佐倉城を回ったのは、もう6年前のことでしたか。ずいぶんと時間が経ったことに驚かされます。

あの後、みなさんとご一緒したりする機会はなかったのですが、よろしければまた、どこかのお城をご案内したいと思っております。

私のページの鳥瞰図等は、出典さえ明記してあればご使用は自由ですので、よろしかったらご活用ください。

それではまたです。
 

鳥瞰図お借りします

 投稿者:棟治  投稿日:2016年 6月11日(土)22時17分6秒
返信・引用
  余湖先生始めまして

わたしは通称棟治と申しまして、箕輪城と上州の戦国史について学んでいるものです。
お城の情報を検索していると、しばしば余湖先生のページに当たります。
城の縄張りと呼ばれるものの中で、先生の鳥瞰図(絵図)が素人の私にも分かりやすいです。

そこで、この鳥瞰図と説明文をお借りしたく書き込みさせて頂きました。
出元を表示して、がんばってサイトを作っていきたいと思います。
長文にて失礼いたしました。ありがとうございます。
 

鷺山城鳥瞰図お借りしました

 投稿者:まさ@徒然  投稿日:2016年 6月11日(土)02時30分41秒
返信・引用
  余湖さん こんにちは

大人数だったので覚えていらっしゃらないとは思いますが、佐倉城、本佐倉城を廻る某オフ会(2010年)に参加した まさ@徒然 と申します。

先日、成田空港へ行った時に近くの城を4ヶ所ほど寄りました。
その中でも鷺山城の鳥瞰図を私の拙いBlogに使用させていただきました。

事後報告で恐縮ですが宜しくお願いします。

http://kdx220k.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html

 

Re: 月輪城について

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 6月 3日(金)04時24分57秒
返信・引用
  > No.4628[元記事へ]

ssnkさんへのお返事です。

いろいろとご説明いただいてありがとうございます。月輪城のことは、私はよく分からなかったので、回答いただいて、とても助かります。感謝しております。

なかなか面白い考察ですね。本来1つであった月輪館が、北上川の開削によって分断したのではないかというのは、卓見のような気がします。そんなこともあるんですね。

機会があれば、ぜひ、現地を訪れてみて、想像してみたいものです。

それではまたです。
 

Re: 上桜城の図をお借りします

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 6月 3日(金)04時22分12秒
返信・引用
  > No.4627[元記事へ]

つねまるさんへのお返事です。

わざわざ連絡いただき、ありがとうございます。私のページの鳥瞰図等は、引用元がこのHPであることさえ明記してあれば、ご使用は自由です。よろしければご活用ください。

また、引用元さえ明記してあれば、いちいち断わらなくても大丈夫ですので、どんどん使ってください。

上桜城、上の方まで車で行けたので、楽に訪れることのできるお城でした。四国の城は、まだまだ訪れた数が少ないので、時間があればまた行ってみたいところです。
 

Re: 沢村城の神社名違ってます

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 6月 3日(金)04時18分34秒
返信・引用 編集済
  > No.4626[元記事へ]

作州浪人生さんへのお返事です。

ご指摘ありがとうございます。さっそく修正させていただきました。

それにしても沢村城の記述は古く、もう10数年前のものでした。あれからずいぶん経ったなあと思うと感慨ひとしおです。

ネットで確認しようと、埋もれた古城を見たら、埋もれた古城も温泉神社になっている! というわけでウモ殿、そちらも間違っておられますよ。

ちなみに埋もれた古城の写真に写っている人物は私ですね。

あの時一緒に訪れたtakeパンは、今どうしているのかなあ?
 

月輪城について

 投稿者:ssnk  投稿日:2016年 6月 2日(木)23時10分29秒
返信・引用
  余湖様、はじめまして。ssnkと申します。
大学入学時に城巡りに目覚めてからここ9年、貴HPの城館図には大変お世話になっております。
この場で御礼申し上げます。本当に有難うございます。

さて、今回書き込ませていただきましたのは、下記の月輪様の書き込みを拝見したからです。
私、宮城山形を中心に城館を訪問しております。登米市方面はあまり手をつけられておりませんが、件の月輪城には心当たりがありますので書き込ませていただきます。

結論から申し上げますと、月輪館は2つあります。
貴HP掲載の登米市中田町浅水所在の「月ノ輪館」と、登米市豊里町加々巻所在の「月輪館」です。

月輪様は小高い山と表現されておりますがは実際は微高地程度かと思います。ストリートビューや航空写真から見るに現況はほぼ住宅で斜面とかつて堀だったと思われる水田が往時を偲ばせる程度に見えます。市指定史跡のようですが、恐らく合併前の豊里町から継続しているものでしょう。

また近くの寺とは北方に位置する香林寺を指しているものと思われます。本寺院の山門は県指定史跡で月輪館の東門を移築したものとされています。また香林寺は月輪氏の菩提寺のようです。

城が焼け落ちたというのは月輪六郎七郎兄弟が迫合戦で討死した際に落城したことを指すものでしょうか。

ここから余談、と申しますか私の妄想を垂れ流します。
件の月輪館の東には旧北上川が流れていますが、これは江戸時代初期に開削されたもので戦国期には当地を流れておりません。現在「旧」を冠されているのは後年再度流路変更されたためです。
そして現在、川を挟んで東側、石巻市桃生町倉埣には小山があり、宮城県遺跡地図によると「如来山館」という城館のようです。

あまりに近い場所にある上、往時に旧北上川が存在しなかったということ。また周囲は複数の河川に囲まれており往時は氾濫原、沼沢地であったろうこと。などから妄想し、2つの高地はつながっており1つの城跡だったのではないかと想像してしまいます。少なくともなんらかの連携はあったものかと。

当地の城郭研究者として有名な紫桃正隆氏の著作「仙台領内古城・館」において、鹿島台町(現大崎市)所在の小台城と南郷町木間塚(現美里町)所在の十王山城?は現在流路を変えられた鳴瀬川で分断されているが、かつては一つの城だったのではないか。と記述されていたように記憶しています。(うろおぼえです。)事実なら城のあった丘陵を分断して河川を開削するという苛烈な工事が行われた訳です。

同様の工事が当地でも行われ、月輪館・如来山館の所在した丘陵を分断して旧北上川が開削されたのではないか、と想像してしまいます。

現在香林寺山門として残る東門の威容も、両城をあわせた規模の城館であれば相応しい物に思えます。

とまあ資料の裏付けもなく、現地も見ていない状態でインターネット上の情報と自分の記憶をパッチワークした推論ですので、ご笑覧下さい。

長々とお目汚し失礼しました。

Google map 月輪館所在地(https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92987-0358+%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E7%99%BB%E7%B1%B3%E5%B8%82%E8%B1%8A%E9%87%8C%E7%94%BA%E5%8A%A0%E3%80%85%E5%B7%BB/@38.590137,141.2622174,2383m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x5f8906f688e9804b:0x3e0e9b2a2e95a9e2!8m2!3d38.5909141!4d141.2637358

宮城県遺跡地図(http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/map/index.html#zoom=17&lat=38.58982&lon=141.26886&layers=BTTTTT
※左欄の「遺跡」にチェックを入れると範囲が表示されます
 

上桜城の図をお借りします

 投稿者:つねまる  投稿日:2016年 6月 2日(木)21時31分6秒
返信・引用
  余湖様、こんばんは。つねまると申します。
徳島県の吉野川沿いに三好氏等を巡る旅をぼちぼちと致しました。
つきましては、ブログに上桜城の図をお借りしたくご挨拶申し上げます。
ルールは厳守致しますので、よろしくお願い申し上げます。

山城初心者ですので、先輩方の残して下さる情報や体験談がとてもありがたいです。

ご挨拶にお邪魔して気がついたのですが、こちらの掲示板に以前弊記事(三日市場城の件)が出ており驚きました。横から騒いだだけですので、恥ずかしいです。
当該城につきましては、この後起きた地震による被害が大きかったとのことです。心が痛みます。

http://rekitabi4.blog.fc2.com/

 

沢村城の神社名違ってます

 投稿者:作州浪人生  投稿日:2016年 6月 2日(木)19時33分42秒
返信・引用
  http://www65.tok2.com/home2/yogokun/sawamuray.htm

今日、栃木の上記沢村城を訪れたのですが、記事で温泉神社となっているのは誤りで湯泉神社です。温泉神社は東に600mほどにある地元の小さな社で、その裏山はただの里山で城跡はなにもありません。行ってきたばかりなので確実です(笑)

Google Mapが必要もないのに温泉神社を登録しているせいで謝った記述だとこれからも被害がでると思いますよ。

http://www65.tok2.com/home2/yogokun/sawamuray.htm

 

Re: 月輪城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月31日(火)04時32分14秒
返信・引用
  > No.4624[元記事へ]

月輪さんへのお返事です。

> 月輪城跡の調査してください?宮城登米市豊里町旧北上川沿いの小高い山のような場所にあったと代々先祖から伝えられています?そこには今は佐々木家となっているが昔は月輪だった記録が残されています?近くのお寺の門が月輪城の門を使ったものである事と火事で城が焼け落ちた事しかわかりません?

初めまして。月輪城について、私にできることがあれば調査してみたいと思います。上記の説明だけではよく分からないので、以下のことを教えてください。

1 登米市には、月輪館というのが北上川沿いの台地上にありますが、これとは別のものなのでしょうか。
2 佐々木家がもとは月輪だったとは、どういうことなのでしょうか。
3 それはどのような記録・史料にでてくるのでしょうか。
4 火事で城が焼け落ちた伝承というのをもう少し詳しく教えてください。
5 正確な位置(これが一番大事)はどのあたりでしょうか。googlemapか国土地理院の地図で示していただけるとありがたいです。

宮城の城も、また回りたいと思っているのですが、なかなか行ける時間が取れません。したがって、訪問できるのは、いつのことになるか、ちょっと分からないのですが、機会があれば、調べてみたいと思います。
 

月輪城

 投稿者:月輪  投稿日:2016年 5月29日(日)22時30分46秒
返信・引用
  月輪城跡の調査してください?宮城登米市豊里町旧北上川沿いの小高い山のような場所にあったと代々先祖から伝えられています?そこには今は佐々木家となっているが昔は月輪だった記録が残されています?近くのお寺の門が月輪城の門を使ったものである事と火事で城が焼け落ちた事しかわかりません?  

Re: お城の地図

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月25日(水)04時26分55秒
返信・引用
  > No.4622[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

地図のリンク、よろしくお願いします。
佐野市の仙賀城というのも、これまで知られていなかったお城だと思うのですが、やはり位置がよく分かりません。こちらにも付けていただけると助かります。

図面、お上手ですね。見た限りでは、とてもよくお描きになっていると思います。

私はあれこれあって、当分はお城には出かけられそうもないのですが、時間があれば、門毛城の確認にぜひ行ってみたいと思っています。

夏場になってしまうと厳しいかな・・・・。

それではまたです。
 

お城の地図

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 5月24日(火)22時12分3秒
返信・引用
  余湖さま、こんばんは。
地図の件、教えていただいてありがとうございました!休みの日にすこしづつ編集したいと思います。

もう夏なので無理に山に行かず、平らなところでゆっくりやろうと思います。平らなほうが図面は簡単にできそうですので楽しみです。
ではまた。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/

 

Re: 地図の表示

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月23日(月)03時58分50秒
返信・引用
  > No.4620[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、こんにちは。

さっそく地図にリンクを付けていただいたのですね。ありがとうございます。

googlemapで、その場所をピンポイントでリンクするためには、城のある位置で右クリックして「この場所へ」を押します。すると赤井印と番地表示が出ますので、その状態で、アドレスをコピーしてリンクに張り付ければ、ピンポイントでリンクできます。

ぜひお試しください。

それではまたです。
 

地図の表示

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 5月22日(日)21時50分24秒
返信・引用
  余湖さま、こんばんは。

アドバイスありがとうございます。そうですよね、城の場所が分かりやすい方がいいですよね。

これまで、地図の表示の仕方が分かりませんでしたが、ようやく地図にリンクさせることはできました。
ただ、ここ!と表示するポイントが付きません。この指示が無いとよくわかりませんね。
どうやったら表示できるのか、もうちょっと調べてみます。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/

 

Re: 撤退する勇気?

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月22日(日)18時48分39秒
返信・引用
  > No.4618[元記事へ]

ジャンさんへのお返事です。

松井田城は広大なので、全域を見るにはかなりの気合が必要だと思います。

見るだけなら1日あればなんとかなると思いますが、描きはじめたら、とっても大変だと思います。

でも、見どころの多いお城なので、頑張って見てみてください。
 

撤退する勇気?

 投稿者:ジャン  投稿日:2016年 5月22日(日)17時37分6秒
返信・引用
  お世話になります。
上州松井田城についてですが。私は断念しました。
あの山城は広範囲ですよね。分け入るのはある程度の装備が必要でしょうか?
何だか自然に還っていそうに見えるのですが。せめて安中郭までは行きたいものです。

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/

 

Re: 門毛城 図面完成

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月22日(日)13時50分33秒
返信・引用
  > No.4616[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、こんにちは、図面入りのページが増えてきて、充実していますね。
これからますます楽しみです。

ただ1つだけ、要望するとするなら、城址の位置情報を分かりやすく入れてほしいです。
googlemapや国土地理院地図などのリンクがあると、一番わかりやすいと思います。

なんといっても、どこにあるのかという情報が最も必要不可欠なもので、これがうまく添付されていないと、実際に訪れようと思っても、参考にならないこともあります。

よろしければ、お願いします(^^)/
 

門毛城 図面完成

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 5月21日(土)23時34分16秒
返信・引用
  余湖さま、こんにちは。
上沢光綱です。

そのとおりです!その場所で間違いありません。
今日、門毛に行きまして調査、家にて図面完成いたしました。さっそくサイトにアップしましたので、お時間のある時にご覧ください。

あと、最近少し図面を描いていますので、よろしければ他の城図面もご覧ください。サイト内にあります。ではまた。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/sirochousa

 

Re: かどげ

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月21日(土)17時20分22秒
返信・引用 編集済
  > No.4614[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、こんにちは、門毛城の図面は完成しましたか?

門毛城の位置は分かりました。ここですね。
https://www.google.co.jp/maps/dir//36.4031723,140.1325777/@36.4024957,140.1321384,874m/data=!3m1!1e3

茨城の遺跡デジタルマップでの位置です。私は場所を勘違いしていたみたいです。私の手持ちの『平成2年度版 茨城県遺跡地図』では、城の位置は例の寺院の場所になっていて、それで勘違いしてしまったのです。

やはり夏場は厳しそうですが、ホームページの情報を正しい情報に直したいので、休みが取れた時に、一度行ってみたいと思います。

 

かどげ

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 5月20日(金)18時48分45秒
返信・引用
  余湖さま、こんにちは。

門毛城、面白いです。南のほうは改変がありますが、それ以外はなかなか明瞭に残っています。小勢力でも頑張っていたんだなという印象を受けました。

例によって土塁をぶちぬいて林道にしている所はあります。
5月中なら藪も虫もたいしたことありません。夏は…。どうでしょう…。大変そうなので、私は5月中に終了させるよう計画しておりました。ただ、藪は薄いと思います。
おそらく熊も出ないし、気を付けるのは猪です。猪が地面を掘った跡が多いので。

道路から畑に上がって、すぐ入ったところに城があるので簡単に入れます。
洞源寺さんの南方向?南東方向?の山林です。もし場所が分からなかったらお教えします。地図を添付する技術が無いのですみません。

次回行って、なんとか図面を終了させます。余湖さまのようなプロ図面を描けるよう頑張ります。まだ方向感覚がオンチなので、まだまだですが。またお邪魔します。ではまた。
 

Re: 門毛城(茨城県桜川市)

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月20日(金)04時33分53秒
返信・引用
  > No.4611[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、お久しぶりです。情報ありがとうございます。

門毛城、ちゃんと遺構があったのですね! 知りませんでした。

しかも図面を見る限り、なかなか面白そうなお城です。図面もずいぶんきれいに描いていらっしゃいますね。これ、ぜひ、図面を描きに行きたいものです。

とはいいながら、なかなか出かけられる時がないのですが・・・・。

写真を見ると、けっこうなヤブのようですが、これから夏にかけてにシーズンでも行けそうな感じでしょうか?
 

Re: 山城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月20日(金)04時30分26秒
返信・引用
  > No.4610[元記事へ]

トリノさんへのお返事です。

> 山城って何ですか

山にある城です。
 

門毛城(茨城県桜川市)

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 5月19日(木)21時30分38秒
返信・引用 編集済
  おひさしぶりです。ほんとにご無沙汰、申し訳ありません。
上沢光綱です。

余湖さまのサイトで、栃木県の城跡ちょくちょく拝見しております。


最近、城の図面を描きはじめました。とても難しいですね。
今月は何度か茨城県の門毛城に行っております。

門毛城はネット上では洞源寺さんだという情報が多いですが、実際の城跡は違う山にあります。
かなり遺構は残っており、とても見ごたえがあります。
図面を描いている途中ですが、私の感が悪くてまだ終わりません。3回目行きます。

私のサイトにアップしました。
下手ですが、もしよろしければご覧くださいませ。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/

 

山城

 投稿者:トリノ  投稿日:2016年 5月19日(木)18時48分16秒
返信・引用
  山城って何ですか  

旧白沢村のお城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月15日(日)11時52分33秒
返信・引用
  沼田市(旧白沢村)には小規模な城館が10ほどあったようであるが、ネット上を探しても、この地域の城館の情報を見つけることができなかった。

それなら、ちょっと行ってみようということで、ざっと回ってきた。10ほどのうち、ちゃんと城郭遺構が確認できたのは3城だけであったが、それでも、どこもそれなりの雰囲気は持っていた。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/numatasirasawa.htm
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月15日(日)07時27分47秒
返信・引用
  > No.4607[元記事へ]

ジャンさんへのお返事です。

了解しました。あのお城は土塁がとても大きいですよね。

出典を明記していただければ、いちいち報告していただかなくても大丈夫ですよ。
 

(無題)

 投稿者:ジャン  投稿日:2016年 5月14日(土)14時10分43秒
返信・引用
  お世話になります。
伊勢崎の天幕城に行ってきました。また鳥瞰図をお借り致します。
大蛇のようなブッ太い土塁でした。ダダっ広い駐車場にはくるま1台いなかったので、7月の蓮の時期にならないと誰も訪れないのかも。

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/

 

Re: ご無沙汰です

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月 8日(日)21時03分44秒
返信・引用 編集済
  > No.4605[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

長政殿、お久しぶりです。相変わらず活発に活動されているようで何よりです。
私の方は職場などが変わったということもありまして、まだまだ四苦八苦しているところです。

一条ヶ谷に行かれましたか? 30年ぶりでは復元の進展ぶりにかなり驚かれたのではないでしょうか。現在は、けっこうな観光スポットとなっているようです。

上の山城もなかなかいいですよね。畝状竪堀もたくさんあって圧巻です。ただ、登るのにけっこう時間がかかるので、時間の余裕のある時でないと訪れられません。

国吉城もいいお城でした。ただ、山麓近くに猿の大群がいたので、早朝などに一人で訪れるとけっこうおっかなびっくりですね。

熊本城の被害はかなり大きいようで、見学できるようになるのには何年もかかるでしょうね。10年単位でかかるとなると、おっしゃるように寿命との闘いかもしれません。そんなことを考えざるを得ない年になってきたのだなあと改めて思ってしまいました。

それではまたです。
 

ご無沙汰です

 投稿者:備前守長政    投稿日:2016年 5月 7日(土)09時09分45秒
返信・引用
  ご無沙汰している間、サイトの維持管理で色々大変だったようですね。余湖図消滅の危機は回避されたようで何よりです。

GW後半、一乗谷城と城下遺構&国吉城界隈を回ってきました。低気圧の影響は軽微で何よりでした。

一乗谷は30年ぶりです。前回は、すでに消滅した一乗谷館から直接アクセスできるルートを通り千畳敷まで登ったのですが、今と違い藪がひどく、壊れかかった小さな看板が辛うじて城跡であることを告知していました。今回再訪してあの藪の背後にこれだけの遺構が眠っていたのか、と正直驚きました。特に畝状竪堀が、普通は急な斜面に普請されるのに、この城では急崖の下の緩斜面(と言うかほぼ平地)にあることが驚きでした。公刊されている縄張図ではこの辺りの高低差を表すのは難しく、こういうときは鳥瞰図の出番なのでしょうね。

国吉城は整備されガイダンス施設も整い見やすい城です。石積みの残闕、二の丸の食違い小口、連続郭群の小口と登城路など見所一杯でした。
また、周辺の出城、付城も遺構がよく残り、それぞえ特色ある縄張を残しています。特に岩出山砦の茀土居や狩野山付城の螺旋状横堀、中山の付城の小口脇の櫓台状の土塁など印象に残っています。国吉城と比べ、まったくと言っていいほど整備はされていないものの、草の繁茂も少なく見やすくなっていて助かりました。

処で、最近金沢城の石川門や三十間長屋が休日などを中心に開放されている由。最近あちこちで櫓レベルでも内部見学が可能になって嬉しい限りです。我々が城を見始めた昭和40年代から50年代始め頃は、丸亀城や宇和島城の天守すら開放されていなかったのと比べ、隔世の感ありです。年配の方がボランティアでガイドを兼ね管理に携わることが出来るようになったことが背景にあるように思います。

それと熊本城は相当痛めつけられたみたいですね。復元された建物群を見に行くのを先延ばし、先延ばししていたので残念です。特に多聞櫓群や宇土櫓続櫓が倒壊は傷ましい限りです。元に戻すには数十年かかると言う意見もあり、そうなるとこちとらの寿命と競争になるかも知れません。
 

Re: 天神山城模擬天守

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月 6日(金)04時12分1秒
返信・引用
  > No.4603[元記事へ]

籾蔵さんへのお返事です。

天神山城、せっかく造ったのに、地元の人同士で仲たがいを起こしてしまったのですか?
もったいない話ですね。

wikiを見ると、すでに撤去されたように書かれていますが、ネットの情報ではまだ現存しているように書いてあるものもあります。

実際の所、どうなっているのでしょうか?
 

天神山城模擬天守

 投稿者:籾蔵  投稿日:2016年 5月 4日(水)22時45分44秒
返信・引用
  天神山城の模擬天守廃墟(非現存)に関して、とある書籍に情報が掲載されていましたので報告いたします。
余湖さんのページには、86年頃には閉鎖されていたとありますが、1981年には殆ど廃墟と化していたそうです。その原因は、天守の建設に関わった地元の有志間で、仲間割れがおきて、不仲になってしまったことが原因だそうです。1970年に再建された模擬天守は、長くて10年位しか存続しなかったそうで…
一瞬だけ再興された天神山城も再び廃城になってしまった…これも戦国城郭みたいな短さです。
 

Re: 転載について

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月 4日(水)22時35分44秒
返信・引用
  > No.4601[元記事へ]

如月君さんへのお返事です。

わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。
本ホームページに掲載している図や写真、記事は、出展元がこのページであることさえ明記してあれば誤使用は自由です。

お役に立てそうなものがありましたら、ご活用ください。
 

転載について

 投稿者:如月君  投稿日:2016年 5月 4日(水)15時02分27秒
返信・引用
  前略
先般、画像転載につきましてお伺いした如月君(HanCock)です。
以前、ご了解いただいたのですが改めて。
今回、大変申し訳ないのですが当方のブログに登城記を書く予定なのですがその際余湖様のHPの画像(小諸城及び上田城)を使用させて頂きたくお願い申し上げます。その際、余湖様のHPからの転載許可許諾の事明記いたしますので。
ご検討のうえ、お返事いただければ思います。ご参考までに当方のブログのリンクを付けておきますので。
ご了解いただきました後ブログを書いてアップいたしますので。
(その際は、再度ご連絡いたします。)
ご検討の程、よろしくお願いいたします。

http://blog.livedoor.jp/f100hancock/

 

谷山砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月 1日(日)21時10分57秒
返信・引用
  同じく桐生市のお城。仁田山城と尾根続きにあり、実際、仁田山城を攻められた城主が、ここに逃げて籠城したこともあるらしい。
「たにやま」ではなく「やつやま」と呼ばれている。
急峻な山城であるが、北側の鍾乳洞公園から登ればすぐ下まで車で行ける。

http://yogokun.my.coocan.jp/gunma/kiryuusi02.htm#yatuyama
 

仁田山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月 1日(日)21時08分15秒
返信・引用
  群馬県桐生市のお城。
比高240mの急峻な山上に築かれた城である。この登りはけっこう足に来た!
山上には堀切によって区画されたそこそこの規模の城郭がある。
それよりも、この山上に鐘が設置されているのに驚いた。

http://yogokun.my.coocan.jp/gunma/kiryuusi02.htm
 

三ヶ郷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 5月 1日(日)21時06分38秒
返信・引用
  群馬県みどり市のお城。
渡良瀬鉄道中野駅の北側にそびえている。
最初、正確な位置が分からなくて、何度も間違えてしまった。
しかし、そのおかげで山奥に群生する山つつじを見ることができた。
分かってみれば、わりと訪れやすい山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/gunma/oomamamati.htm#sangago
 

Re: 初めまして

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月24日(日)21時00分53秒
返信・引用
  > No.4596[元記事へ]

マリンブルーさんへのお返事です。

初めまして!

わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。私のページの鳥瞰図等は、出典が「余湖くんのホームページ」であることさえ明記してあればご使用は自由です。お役に立てるものがありましたらご自由にご活用ください。

大井城に行かれましたか? おっしゃるように、先端から無理やりに降りようとしたらひどい目に遭ったのを思い出します。今も変わらずなんですね。あの頃は今よりも図面がさらにテキトーだったので、できればそのうち描き直しに行ってみたいものですが、このところまた、なかなかお城に行けなくなってしまいました。

それではまたです。
 

初めまして

 投稿者:マリンブルー  投稿日:2016年 4月24日(日)07時56分5秒
返信・引用
  わたくし、千葉県、茨城県を中心に、城廻をしておりますマリンブルーと申します。

いつも、余湖さまのホームページ、参考にさせていただいております。ありがとうございます。

じぶんは、ブログで、千葉県、茨城県などのほうんした城跡を紹介しているのですが、画像などだけで、うまく説明するのが難しく、鳥瞰図を使わせていただきたいと考えております。

よろしくお願いいたします。

最近、館山市の大井城跡に行ってきまして、余湖さまと同じく、近道をしようとして、ひどい目にあいました(笑)
 

ありがとうございます

 投稿者:松木 充  投稿日:2016年 4月21日(木)23時53分33秒
返信・引用
  余湖様、お付き合い下さり、わざわざのご返事ありがとうございました。

そうですね。あまり細かいところにこだわると、せっかくの史跡を楽しめません。
案内板を設置して、史跡解説をしてくれている親切に感謝しなければなりませんね。

「赤橋殿、異郷の地でさぞやご無念…。安らかにお眠り下され」などと墓石に声をかけながら、
それを紹介してくれた人には感謝を忘れておりました。不覚…。

また何か面白そうなものがあったら、ご紹介させて下さい。
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月21日(木)04時36分39秒
返信・引用
  ジャンさんへのお返事です。

了解しました。わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。

私のページの鳥瞰図等は、出典がこのページであることを明記してあればご使用な自由なので、よろしかったらご活用ください。
 

Re: 惠良城付近鎌大師

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月21日(木)04時35分38秒
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  > No.4590[元記事へ]

松木 充さんへのお返事です。

鎌大師ですか、私は行ったことがありませんが、なかなか面白そうなお寺ですね。愛媛にもまた機会があれば行きたいところなのですが、なかなか時間が取れなくてままなりません。

南北朝時代という名称のことですが、こうした名称というのは時代の区分を切るための便宜的なものなので、それほどこだわらなくてもよいのではないかなと思っています。

たとえば、安土桃山時代の始まりは、信長が安土城を築いた時点ではありませんし、「桃山時代」といっても、実際の政治の中心地は大坂だったのではないでしょうか。

また、家康が江戸に入部した時をもって江戸時代というわけでもありません。鎌倉時代に至っては、どこがその始まりなのか、近年ではいくつも説が出て論争になっていたりします。

室町時代になっていても、まだ南朝は存在していますから、南北統一を以て南北朝時代の終わりとするなら、その終焉は足利義満の時代ということになってしまいます。

こだわりだすときりがないところですが、こだわるのが面白かったりしますので、人それぞれなのかなと思っていたりします。
 

(無題)

 投稿者:ジャン  投稿日:2016年 4月20日(水)06時25分57秒
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  お世話になります。
京王線と多摩モノの乗り換え最中にふと思い立ち、高幡不動の裏山を廻りました。UPはまだ先になりますが、鳥瞰図をお借り致します。
何だか最近は遺構があまり明確でなくて、訪城が楽チンなところへ「行ってきた」というだけの倒錯した自己満足で終わってしまうのです。

http://funayama-shika-3.blog.so-net.ne.jp/

 

続・鎌大師

 投稿者:松木 充  投稿日:2016年 4月19日(火)14時18分34秒
返信・引用
  先ほどの鎌大師のお堂の部分の画像です。

さらに案内板への突っ込みですが、「南北朝」とは、一般的には足利尊氏が北朝を立ててからの対立時代を言うのではないかな、とかいろいろ考えさせられます。もちろん、大覚寺統と持明院統の対立は鎌倉時代に遡るのでしょうが…。松山市教育委員会、がんばれー!

ともあれ、城巡りができない憂さ晴らしの写真にお付き合いいただきました…。
 

惠良城付近鎌大師

 投稿者:松木 充  投稿日:2016年 4月19日(火)14時07分20秒
返信・引用
  熊本・大分では犠牲者・負傷者も多くおられ、熊本城の惨状も目を覆うばかりです。一日も早い地震の終息と救助活動の進展をお祈りします。

こんなタイミングで投稿も気が引けますが、3月末に愛媛県に帰省し、余湖さんが景観をおほめ下さった惠良城付近の鎌大師を訪ねました。この庵は、惠良山の隣の腰折山のふもとにあり、お遍路さんの休憩所もあります。埼玉に戻ってから風邪をこじらせていた都合で、投稿が遅れました。

この鎌大師に、惠良城で戦死した赤橋重時主従の十八人塚。写真を撮ってきました。塚に掘った横穴に墓石や地蔵がありました。赤橋氏と言えば、多分後醍醐天皇に呼応して蜂起した土居氏・得能氏を討つために来襲した長門探題北条時直の一族かと思いますが、異郷で二度までも敗れて戦死とは、気の毒な限り。地元の人も、哀れと思って葬ったのでしょう。

案内板、塚全貌、塚横穴内部の画像です。
案内板への突っ込みですが、赤橋重時が戦死した建武の頃は、鎌倉末期というのかな、とおぼろげな疑問がありますが…。
 

Re: 地震

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月15日(金)04時45分32秒
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  > No.4587[元記事へ]

籾蔵さんへのお返事です。

そうでしたか。そのような状況になっているのですね。

城もさることながら、たくさんの民家が倒壊し、亡くなっている人もいるという報道を見ました。

被災された方に心からお悔やみ申し上げます。
 

続報

 投稿者:籾蔵  投稿日:2016年 4月14日(木)22時55分59秒
返信・引用
  先ほどの内容から続報です。どうやら、百間石垣が崩れてしまっているそうです。これで、復旧工事が当分の間続くことは確定しました。それにら、これは堀から見たあくまでも外から見た被害なので、本丸や二の丸などの城址内部の石垣、櫓などにも被害がおきているかもしれません。 、  

地震

 投稿者:籾蔵  投稿日:2016年 4月14日(木)21時39分54秒
返信・引用
  たった今熊本市で地震がありました。
熊本市の震度は7と、なんと東日本大震災での最大震度と同じなのです。
熊本城への被害が出ていないかが心配です。場合によっては、小峰城のように長期間復旧工事が行われる場合がありますし…
 

Re: 執筆された書籍を拝見しました。

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月14日(木)04時48分3秒
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  > No.4585[元記事へ]

最近茨城の城跡巡りにはまった人さんへのお返事です。

初めまして。

『図説茨城の城郭』をご覧になっていただき、ありがとうございます。この本は現在は品切れとなっているかと思いますが、近日中に改訂版が出る予定となっております。さらに『続図説茨城の城郭』も作成中ですが、こちらはいつ出るのかまだ分かりません。

機会がありましたらご一緒しましょう。時々、ヤブレンジャーツアーのお知らせをすることもありますので、そういう時に参加していただければ、ご一緒できるかと思います。ただ、この4月から職場が変わったばかりですので、落ち着くまでは、お城めぐりはちょっと難しい状況です。

ご提示の写真は、写真だけからでは、ただの段差としか見えません。何かの城郭推定地なのでしょうか。畑の土手などは、往々にして城塁と紛らわしいものもあるので要注意です。城郭関連地名や伝承がある場所でしたら、何らかの可能性があるかもしれません。

それではまたです。
 

執筆された書籍を拝見しました。

 投稿者:最近茨城の城跡巡りにはまった人  投稿日:2016年 4月13日(水)11時39分50秒
返信・引用
  こん@@は、最近茨城の城跡巡りにはまった人です。

余湖先生の執筆された「茨城の城郭」という本を図書館にて拝見致しました。
私が城跡巡りにはまったのが、先生の執筆された本なのです。

大変わかり易く、大変嬉しく思っています。

最近の城跡巡りと致しましては 筑西市の「下館城跡」桜川市の「峰城跡」「真壁城跡」。
この3つを巡り歩いて行きました。

この次は是非先生とお会いし、城跡巡りを致したいものです。

最後に、この段々は何かの跡なのでしょうかね?
私と致しましては開拓の跡だと思いますが、先生はいかがでしょうか。

宜しくお願い致します。
 

Re: 大堀山城について

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月12日(火)05時26分45秒
返信・引用 編集済
  > No.4583[元記事へ]

ベイダーさんへのお返事です。

城と館については、明確な仕切りというか、区別はありません。城郭関連用語にはそういうものがけっこうあります。

一般的な感覚としては、中小の豪族が居館としていたものが館、もっと戦略的な意味で築かれたものが城、といったところでしょうか。さらに言えば、純粋に戦略的な要素で築かれたもののうち、小規模なものが砦、となるかもしれません。

しかし、実際の所、同じ物件でも○○城、○○館と、併称されているものもありますし、一般的な定義に当てはまらないものもけっこうあります。

東北地域に行くと、城を示す一般的な名称が館であったりするので、そうとう巨大な戦略的城郭であっても○○館(だて)というものが数多くあります。館(たて)の語源も、もともとは「立て籠もる」という語句から来ていると思われるので、単に居所という意味ではありません。

だいたい、○○城とか、○○館といった名称も、後世のもので、往時の史料を見ると、単に「小屋」とか「要害」と示されているものが多く見られたりします。特に近世よりも前には、城のことを要害と呼んでいたケースが多かったのではないかと思います。

要するに、城と館とを明確に区別するすべはないので、それを呼ぶ人の感覚に左右されているケースが多いと思われます。城館という語句が存在していること自体が、両者の差異を曖昧模糊としているようです。

大堀山城については、単なる豪族の居館というよりは、戦略的見地から築かれたものである可能性が高いので、大堀山城といった方が、私のイメージには合致します。

しかし、平地城館であるので、館と呼びたくなる人もいるのかもしれません。館の場合、平地に築かれているもの、という要素を強く感じる人もいるのではないでしょうか。

結局のところ、確実にこれだという要素はないので、自分なりにどう解釈していくしかないと思われます。

城郭用語にはそういうものがけっこうあるので、あまり気にしてはいられません。たとえば、平城、平山城、山城の差異についても、明確な基準が存在しなかったりします。要は、自分がどういう観点から見るか、ということなのだと思います。
 

大堀山城について

 投稿者:ベイダー  投稿日:2016年 4月11日(月)21時07分10秒
返信・引用
  こんばんわ、中学生のベイダーです。先日川越市の大堀山城に友達3人(城に興味はない)と行きました。自転車で片道15キロあり結構疲れましたが、遺構がとても素晴らしかったです。
案内板には<大堀山館>と書いてありましたが、どうしてこれが館なのかわかりません。城と館の区別はどのようにされているのでしょうか?
 

『廃城をゆく4』!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月10日(日)08時56分47秒
返信・引用
  『廃城をゆく4』が刊行されました。全国の書店やネットショップなどで購入することができます。よろしかったらお願いします。

しかし、初期の頃と違って、企画段階でまったく参加させてもらっていないので、ただ、頼まれた原稿を書いただけである。だから、あまり達成感はないなあ。

http://otakeya.in.coocan.jp/info01/0haijo.htm
 

本ホームページにおける図等の2次使用について

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月10日(日)08時21分15秒
返信・引用 編集済
  みなさん御承知の通り、本ホームページの図などのコンテンツは、出典元がこのホームページであることさえ明記していれば、ご使用はまったく自由です。フリーに使っていただいて構いません。ただし、出典を明記しない使用は絶対にやめてください。

と言っているのに、それさえ守ってくれない人が後を絶ちません。そこで、著作権に関するページを独立させました。

出典を明記してあるご使用に関しては、これまで通り、まったくフリーですので、よろしくお願いします。

http://yogokun.my.coocan.jp/chosakuken.htm
 

Re: 祝5000城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月 9日(土)04時57分37秒
返信・引用 編集済
  > No.4579[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。相変わらずタフなお城めぐりをされている御様子、いつもながら精力的ですね(^^)

久しぶりに信州に訪れている間、らんまる殿のことを思い出しておりました。

目標の5000城は達成しましたが、これを達成するために粗製乱造の限りを尽くしてきたので、かなり反省しています。今後はもう少し丁寧にしたいなと思っております。らんまるさんは1000城ですか! 1000というのも、常識的に考えたらものすごい数字だと思いますよ。

ぜひ、また、信州でご一緒しましょう! 信州は本当にいい山城が多いので、今後も訪れたい地域なんです。

4月から職場が変わった関係で、落ち着くまでお城めぐりはできそうにないのですが、秋口にはぜひ、信州に訪れたいと思っております。

その際は、ぜひ、よろしくお願いします!
 

祝5000城!

 投稿者:らんまる  投稿日:2016年 4月 8日(金)07時39分8秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。
ウモ殿のtwitterで信濃に遠征されていたのはリアルタイムで存じ上げてありました。確か滑り台の動画もアップされていたようですが・・・(笑)

いずれの城も懐かしく拝見させていただきました。ようやく1000に届くか・・という小生にとって5000は夢のまた夢でございます。力なき国衆は信濃とその周辺を狭く深く深耕するので精一杯(笑)
このところイッキに気温が上昇しているので北信濃の掘り出し物探しに必死です。深い藪に閉ざされてしまう北信濃・小谷方面はGWまでが勝負でしょうネ。
お勧めの案件をまた捜しておきますので、秋口にでもご一緒しましょう!

http://ranmaru99.blog83.fc2.com/

 

Re: 西櫓

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月 5日(火)04時58分40秒
返信・引用
  > No.4576[元記事へ]

籾蔵さんへのお返事です。

復元工事といっても、いろいろなやり方があるのですね。とはいえ、文化財なので、文科省の基準になった方法で修復を行っているのではないかと思います。

先日訪れた際は、早朝のため内部には入れませんでした。私は中の雰囲気を見るだけで満足してしまう方なので、入れればそれで満足したりします。
 

Re: 文化財保護法に基づき前進したのか三日市場城破壊の件

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 4月 5日(火)04時56分25秒
返信・引用
  > No.4575[元記事へ]

マサムネさんへのお返事です。

この話、聞いています。問題を提起したのは確か、らんまるさんだったのではないかと思います。
何人かが動いてくれたおかげで、破壊が途中で止まったように記憶しています。

かなり知名度の高い城址ならともかく、あまり有名でない城址は、こんな風にして葉化されてしまうことも多いようで、まったく話題になることもなく消滅してしまった城址もあります。

何しろ日本に残る城址の数は数万と言われていますから、すべてを残していく、というのも難しいことなのではないかと思います。
 

西櫓

 投稿者:籾蔵  投稿日:2016年 4月 4日(月)13時01分33秒
返信・引用
  つい最近、やっと40年間非公開だった西櫓の内部公開が始まりましたが、なんと、一階床部分が新しい床に張り替えられており、旧来の床が見えなくなってしまっているのです。
それに、二階部分も、物置として使っているらしく、公開されてません。さらに階段部分にもかつて使用されてたと思われる棚や瓦がそのままのこっているのです。
いくら県宝とて、床張り替えかつ二階非公開という公開の仕方はあんまり過ぎませんか?史跡の保全といっても世界遺産姫路城や国宝松本城も床の張替え(しかも真新しい色)なんてしてませんし。
 

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