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Re: 俯瞰図

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月23日(日)20時01分19秒
返信・引用
  matsumonさんへのお返事です。

初めまして。参考にしていただいてありがとうございます。

福岡の城はまだまだ訪問数が少ないのですが、時間を見つけて、もっと回りたいと思っています。

私の住んでいる成田からはLCCで福岡便があるので、わりと便利なのですが、いまひとつ休みが思うように取れません。

でもまた九州には行こうと思っていますので、その時はそちら様のブログも参考にさせていただきます。
 
 

俯瞰図

 投稿者:matsumon  投稿日:2016年10月23日(日)11時59分54秒
返信・引用
  俯瞰図がとてもきれいに描かれていて、
城を理解する際にとても勉強になりますね

いつも城を訪れる際にはお世話になっております^^

http://fukuokatravel.blog.fc2.com/

 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月17日(月)22時05分26秒
返信・引用
  > No.4743[元記事へ]

通りすがりさんへのお返事です。

> トップページがとてもチカチカして見づらいです

かれこれもう20年ほども輝き続けていますよ。
 

(無題)

 投稿者:通りすがり  投稿日:2016年10月17日(月)18時52分44秒
返信・引用
  トップページがとてもチカチカして見づらいです   

Re: 加賀の城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月12日(水)04時47分27秒
返信・引用
  > No.4741[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

備前守殿、こんにちは。加賀に行かれていたのですね。北陸のお城はそれほど回っていないので、うらやましい限りです。

クマの親子に遭遇されたとのこと、今年はクマの出没が本当に多いようですからお気を付けください。

それにしても、城址公園としてよく整備された城が、その後手入れされることなく、荒れてしまっているという例は各地にありますね。

松根城など、私が訪れたのは10年ほど前の真夏だったのですが、よく整備されており、夏でも十分遺構が分かるお城でした。でも、近年のネット情報など見ると、すっかり荒れてしまったようで残念です。

鳥越城も、木造部分は腐食しつつありますか? 木造の運命というべきものなので劣化は致し方のないところでしょうが、今後、建て替えの予算措置がなされるのかどうかが気になるところですね。

今度は京都ですか。京都の城も、まだあまり訪れていないので、私もそのうち行ってみたいところです。

それではお気をつけて!
 

加賀の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2016年10月12日(水)00時26分48秒
返信・引用 編集済
  3連休の前半、加賀の城に行ってきました。色々雨に祟られた2日間でしたが、割と車で行ける城が多く助かりました。雨降りの山登り、藪漕ぎは大変ですから。


ご教示戴いた通り末盛城は、熊による入山禁止措置も解除され滞りなく行けました。唯、矢鱈各曲輪の規模は大きいものの、普請は抑えられておりよくこれで奥村永福は持ち堪えたものと思いました。


金沢城では復元された橋口門等の他、石川門、三十間長屋に加え鶴丸倉庫も内部公開していたので、それを見てきました。玉泉院丸の庭園や石垣も復元修復され公開中です。現在は尾山神社に面した鼠多聞の復元に向けた発掘調査が行われていました。

2日目に行った松根城。余湖さんが行かれた頃と異なり、かなりあちこち放置による草の繁茂、丸太階段や柵の腐食が進んでいました。

切山城は宮野町からアプローチする林道が、北陸自動車道を跨ぐ橋の向こう側に柵が置かれ、地元民以外入山禁止の表示があり断念しました。熊の出没による入山禁止とのことですが、柵自体は置かれているだけで熊でも容易に突破出来るものです。最近、石川県が城の説明板を城の脇に設置したそうです。宮野町から行けないですが桐山の集落から登ることが出来るのでしょう。。

鳥越城は綺麗に整備され見易くはなっています。ただ、復元建物については白木のままなので腐食が進んでおり、その内建建造物の差し替えが必要かもしれません。それと車で登っている途中、熊の親子に遭遇しました。野生の熊は初めてだったので流石にびっくりしたものの、こちらは車の中だったので大過なく、先方もあっという間に藪に消えていきました。

次回は京都です。周山城・嵐山城・将軍山城等を回ります。
 

Re: 郷原城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月11日(火)21時48分15秒
返信・引用
  > No.4739[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

こんにちは。郷原城ですか。岩櫃城の東側の中腹を守る砦ですね。私も潜龍院跡から向かいました。小規模な砦という印象を受けました。

それにしても真田丸の影響で、岩櫃城辺りも盛り上がっていることでしょうね。OPの映像に出てくる峩々たる山容は、まさに岩櫃山そのものですからね。

鳥瞰図のご使用、了解しました。出典がこのホームページであることさえ明記してあればご使用は自由なので、よろしかったら、ご活用ください。


ところで、まだ先の話なのですが、今年も12月に「ヤブレンジャー山城の日」を開催したいと思っています。どこか行ってみたいところがありましたら教えてください。

今年は連休なので、できれば泊りで行ってみたいなどと思っております。

それではまたです。
 

郷原城

 投稿者:横尾  投稿日:2016年10月10日(月)22時47分8秒
返信・引用
  岩櫃山の南側麓に郷原城があると知り、先日登って見てきました綺麗に整備されていて感激です。
1枚目 岩櫃山、こちらから攻めます。
2枚目 潜竜院跡(真田昌幸がここに武田勝頼を迎えようとした館跡
3枚目 郷原城(私のブログにルート案内図があります。)

越後の津川城に登ってきました、恐縮ですが縄張り図を引用させていただきます。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi/

 

シベールの日曜日

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月10日(月)20時57分9秒
返信・引用 編集済
  マリエンバートのことを調べているうちに、こういう映画がyoutubeにアップされているのを見た。

30年前に、世界名画劇場で何となく見ていたのに、ラストに衝撃を受けて、しばらくショックから立ち直れなかった映画である。これもやはり50年位前のフランス映画。

戦争で傷つき記憶喪失になった青年と、親に捨てられた孤独な女の子との心の触れ合いを描いた作品である。今だったらロリコンものと呼ばれるかもしれないが、二人が公園で幸せそうに遊んでいる姿がずっと心に残っていた。白黒ですが、映像がとてもきれいでした。

でもああいう最後はないよなあ。フランス映画って悲劇的な結末のものが多いような気がする。ロシア映画の「誓いの休暇」とともに、若かりしころの自分の心をひどく傷つけた作品である。

ところで、ネット上に上がっていたのは、字幕なしのフランス語原語バージョンであった。ストーリーを覚えていたので、なんとなく理解はできたが、まったく言葉の分からない映画を見るのは、やはりきついものである。

https://www.youtube.com/watch?v=-6lEvmumQT4
 

去年マリエンバートで

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月10日(月)20時42分2秒
返信・引用 編集済
  今日はわりとのんびり過ごしていたのでネットでいろいろと見ていた。そのうちに表題の映画がアップされているのを見つけた。

この映画、50年も前の映画であるが、昔見て、内容が全く理解できなかったので、再度チャレンジして、今度こそ内容を掌握してみようと試みることにした。
しかし、結局のところ、やはり分からなかった。

この映画は、私の知っているうちでもっとも難解な映画である。哲学的な映画なのだろうか。時間のある人は見て(というか解読)してみてください。

http://say-move.org/comeplay.php?comeid=524227

1年前、人妻に恋して殺害された男の亡霊が、今年、その女の前に現れて、語り掛けているのかなあ、というのが私の解釈です。
 

大門城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)09時49分53秒
返信・引用
  佐賀クリークのお城。周辺は圃場整備されているが、城址部分だけは手を入れられておらず、旧状がほとんどそこまま維持されているようである。

少弐氏家臣実松氏の居城であったと想定されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisi02.htm#daima
 

莞牟田環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)09時48分41秒
返信・引用
  莞牟田地区にある環濠集落。だいぶ改変されているが、かつては横武城同様、多数の島によって構成されていた。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisi02.htm#kanmuta
 

本告城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)09時47分50秒
返信・引用
  佐賀クリークの城館群の中でも、最も歴史が古いもので、平安時代末期に本告氏によって築かれたと伝わる。

やはり圃場整備によって改変されてしまっている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisi02.htm#motooi
 

野田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)09時46分31秒
返信・引用
  これも佐賀クリークのお城だが、圃場整理が行われたため、こちらもかなり改変されている。

こちらには珍しく城主伝承が残されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisi02.htm#noda
 

柳郷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)09時45分12秒
返信・引用
  これも佐賀クリークのお城。

圃場整理が行われたようで、かなり形状が経変されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisi02.htm#yanagisato
 

上六丁館!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)09時44分13秒
返信・引用
  横武城のすぐ近くにあり、クリークがよく残されている。

その南西側には下六丁環濠おがあり、こちらにもクリークがよく残っている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisi02.htm#rokutyou
 

横武城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)09時42分5秒
返信・引用
  佐賀クリークを代表する城郭の1つで、横武クリーク公園として整備されており、訪れやすい。

大小20以上の島からなる城郭である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisi02.htm
 

大石環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)08時41分7秒
返信・引用
  これも佐賀クリークを利用した環濠集落。

堀が幅広で、各部分も城郭的にまとまっている。堀には蓮が一面に植えられていた。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisg.htm#ooisi
 

姉陣所!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)08時40分6秒
返信・引用
  永禄12年に大友宗麟が佐賀を攻撃した際に利用された陣所。やはり佐賀クリークを利用したものである。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisg.htm#ane
 

余江館!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)08時39分14秒
返信・引用
  こちらも佐賀クリークを利用した館。二重の堀がよく残る。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisg.htm#yoe
 

柴尾館!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)08時38分30秒
返信・引用
  佐賀クリークを利用した館である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisg.htm#sibao
 

下直鳥環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)08時37分5秒
返信・引用
  佐賀クリークを利用した環濠集落。村の城といった感じであろうか。

天然のクリークがあるおかげで、何もしなくてもそのまま環濠集落となる地形である。この地域ではこのような環濠集落を現在も見ることができ、貴重である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisg.htm#simonaotori

 

直鳥城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年10月 1日(土)08時34分41秒
返信・引用
  佐賀クリークを利用した城郭で、旧状がよく残されており、クリーク公園となっている。

城域は広大だが、のんびり散策するのによいところである。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/kanzakisg.htm#naotori
 

渕川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月30日(金)22時16分51秒
返信・引用
  佐賀市のお城。

佐賀平野特有のクリークを利用した平城である。

水堀が縦横に巡らされているが、城の中心がどこであったのか分かりにくい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/sagasi02.htm
 

蓮池城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月30日(金)22時15分3秒
返信・引用
  佐賀県佐賀市のお城。

肥前小田氏の居城である。小田氏と言えば常陸の名族で親しみのある名前だが、肥前に一族がいたとは、意外なことであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/sagasi02.htm
 

男島城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月29日(木)21時56分21秒
返信・引用
  須古城の西側を監視する出城である。

こちらも島状のコンパクトな丘陵を利用したものである。

台地に登る入口には大石を配列した枡形状遺構がある。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/siraisimati.htm#ojima
 

杵島城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月29日(木)21時54分54秒
返信・引用
  須古城の西側にある須古城の出城。

城内は神社となっているが、周囲は切岸状の土手に囲まれている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/siraisimati.htm#kinesima
 

須古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月29日(木)21時53分35秒
返信・引用
  佐賀県白石町のお城

須古竜造寺氏の居城であり、拠点城郭にふさわしい城である。

山麓の小学校は居館跡で、こちらにも石垣や水堀が残る。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/siraisimati.htm
 

武雄城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月28日(水)21時12分36秒
返信・引用
  その名の通り佐賀県武雄市のお城。

現在の武雄高等学校がそのまんま城址である。御船山という非常に目立っている山をそのまま背後の城塁として利用した城郭である。

しかし、高校の増勢によって遺構はほぼ消滅している。かつての本丸の一角と思われるところにかろうじて城址碑が残されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/takeosi.htm#takeo
 

住吉城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月28日(水)21時11分12秒
返信・引用
  住吉城という名称の城は各地にあるが、これは佐賀県武雄市のお城。
単郭の居館から発展した城郭であるが、周囲の堀などは実によく残されており、見どころもある。

この地域の勢力者であった後藤氏の居城というだけあって、まずまずの規模の城郭である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/takeosi.htm
 

宮村館!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月27日(火)21時48分53秒
返信・引用
  佐世保市のお城。

南北朝時代に宇都宮氏によって築かれた。

城自体は小規模だが、分不相応に巨大な土塁がある。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi02.htm#miyamura
 

針尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月27日(火)21時47分21秒
返信・引用
  佐世保市のお城。
針尾入江に面する台地上に築かれた一種の海城。

単郭ではあるが、しっかりした土塁と二重堀に囲まれている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi02.htm#hario
 

井出平城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月27日(火)21時45分38秒
返信・引用
  佐世保市のお城。
広田城と同様、この地域に進出してきた平戸松浦氏が、拠点城郭として築いた城である。

しかし、大村・有馬らの連合軍に攻められて、落城している。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi02.htm
 

広田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月26日(月)21時49分59秒
返信・引用
  これも佐世保市内の城であるが、平戸松浦氏が拠点城郭として築いたものだけあって、まずまず見どころがあるお城である。

城内まではしっかりとした遊歩道が付けられているのだが、城内は全く整備されておらず、けっこうなヤブ状態である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi01.htm#hirota
 

佐世保城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月26日(月)21時48分37秒
返信・引用
  佐世保市にある佐世保城であるが、かといって、佐世保を代表するような大城郭ではない。ただし、要害性の高い丘陵上にあるため、眺望はとても良い場所のようだ。

ここも車を停めるのに苦労する。行けるところまで車で行っても、停められる場所が全くないので、そのまま引き返さざるを得なくなる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi01.htm#sasebo
 

鼻繰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月26日(月)21時46分32秒
返信・引用
  これも佐世保市のお城。市街地にあるが、保立公園となっているので分かりやすい。こちらは登り口脇の公民館に車を停めることができる。

しかし、陸軍の施設が置かれていたために、城の表面部分がすっかり削り取られてしまっており、城郭遺構はほとんど見られない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi01.htm#hanaguri
 

大智庵城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月26日(月)21時45分3秒
返信・引用
  佐世保市街地にあり、佐世保松浦氏の拠点城郭であった。・・・というにしては小規模なお城である。

城址は城址公園となっているのだが、たいして遺構はのこされていない。城域の南半分は団地造成で削られてしまったようだ。

市街地の中にあるため、ここも車を停めるのに苦労した。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi01.htm#daitian
 

武辺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月26日(月)21時42分27秒
返信・引用
  これも佐世保市のお城。
やはり松浦一族の居城である。まずまずの規模を有する城郭であるが、整備されておらず、ヤブの個所が多い。

また、案内も何もなく、入り口が分かりにくい。そして車を停める場所もなく、訪問には苦労する城である。

登り始めてすぐに目に入ってくる畝状竪堀が特徴となっている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi01.htm#takebe
 

直谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月26日(月)21時40分15秒
返信・引用
  長崎県佐世保市のお城。
佐世保は諸勢力の拮抗した地域だったため、あちこちに城郭を残しているが、中でも最も要害性の高いのが直谷城である。

天然の砂岩が屹立する山に築かれているため、きわめて防御性の高い城郭となっている。佐世保市内に多数ある城郭の中でも最も見どころがある。

松浦氏の支族の城郭としては意外なほどの大城郭である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi01.htm
 

梶谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月25日(日)20時49分15秒
返信・引用
  長崎県松浦市のお城。

伊万里湾を抑える山上にあり、古くから松浦党の本拠地となっていた城郭である。

大規模ではないが、朝鮮の駅の頃に改修を受けたらしく、石垣による枡形など、近世城郭的な要素も見られる城である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/matuurasi01.htm
 

伊万里城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月25日(日)20時08分10秒
返信・引用
  佐賀県伊万里市のお城。

伊万里と言えば、焼き物で有名であるが、ここにも城址はある。伊万里氏の拠点であり、後に竜造寺氏によって攻め落とされた。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/imarisi.htm
 

獅子ヶ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月25日(日)19時48分50秒
返信・引用
  佐賀県唐津市のお城。
いい城だとうわさに聞いていたが、なるほど、要害性といい、遺構と言い、訪れて満足できる城郭であった!

ただ、訪れたのが台風16号の影響のさなか、風雨にさらされながらの登城であったのが残念であった・・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/saga/karatusi02.htm
 

Re: 観覧について

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月25日(日)17時30分8秒
返信・引用
  > No.4702[元記事へ]

田中さんへのお返事です。

田中さん、初めまして、余湖です。

リンク切れの件ですが、これは当方の問題です。該当のページはサーバーを移転したために、アドレスが変わっています。「余湖図」のコーナーからのリンクは修正したのですが、埼玉県のページからについては、未修正でした。

とりあえず、余湖図コレクションからのリンクならば見られますので、こちらからご覧になってください。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/sugiyamaran.htm
 

観覧について

 投稿者:田中  投稿日:2016年 9月25日(日)16時39分0秒
返信・引用
  初めまして、田中と申します。

何時もとても参考にさせて頂いてます。

不具合があり書き込みました。

例えば、埼玉県嵐山町の大蔵館は見れるのですが、杉山城が見れません。

これは、こちらの不具合でしょうか?

宜しくお願いします。
 

(無題)

 投稿者:狸屋  投稿日:2016年 9月15日(木)05時49分4秒
返信・引用
  すみません。

×京→ ○今日

でした。 
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月15日(木)04時46分44秒
返信・引用
  > No.4698[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 京の朝日新聞の文化欄に、学校とか公共施設が城内あるとき
> 改築の時期が来て、どうしましょうかという話がありました。


京都でもそのような問題が起きているのですね。どこのお城なのでしょう。

金沢城のように学校が城外に移転してくれるのが一番いいと思うのですが、なかなかそううまくはいかない場合もあるでしょうね。
 

(無題)

 投稿者:狸屋  投稿日:2016年 9月14日(水)20時37分21秒
返信・引用
  京の朝日新聞の文化欄に、学校とか公共施設が城内あるとき
改築の時期が来て、どうしましょうかという話がありました。

城内に残してほしい同窓会と、観光に役立てたい自治体の狭間で
金沢、赤穂、杵築と言った移転組、残留組の首里、問題先送りの鳥取が
登場しています。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12557467.html
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月12日(月)04時33分52秒
返信・引用 編集済
  > No.4696[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

赤井さんと同じ学校だったのですか。

「八岐大蛇の逆襲」は、マイナーですが、ビデオが販売されていて、当時はけっこうはまりました。米子の市街があれほど忠実に再現された映画というのも、他にはないでしょう。
 

(無題)

 投稿者:狸屋  投稿日:2016年 9月11日(日)21時02分28秒
返信・引用
  またマニアックな映画を・・・

監督さんは、小学・中学の先輩ですが、昔から絵がうまかった記憶があります。
 

Re: 米子城二の丸石垣

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月11日(日)08時31分55秒
返信・引用 編集済
  > No.4694[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

山麓の居館部も、遺跡の一部のはずですが、やはり山上にそびえる象徴的な石垣と比べると、どうしても、一般の認知度は低いのでしょうね。

そんな状況で、病院を切望する地元の声もあるでしょうから、一概に遺跡保護だけを訴えていくのは難しいのかもしれません。


話は変わりますが、30年以上前、『八岐大蛇の逆襲』という映画で、八岐大蛇が、米子城に立てこもって自衛隊と戦っていたのが印象的で、今でも米子城というと、その場面を思い出したりします。

ちなみにこの映画は、制作に庵野秀明がかかわったものでしたが(出演もしている)、シン・ゴジラが自衛隊と戦うシーンの萌芽はすでにこの時にできていたんじゃないかなと思っていたりします。

https://www.youtube.com/watch?v=8Vx884ZkFcA

さすがGAINAXの前身だけあって、特撮の作りこみが半端じゃない。それに比して、出演者がみんな素人というのもすごかったです。
 

米子城二の丸石垣

 投稿者:狸屋  投稿日:2016年 9月10日(土)10時07分42秒
返信・引用
  松江や高知と違って登城口から離れていることや、グランドの観客席の関係で道路から
見えないこと、さらに幅が100m前後なので、その価値が軽く見られている傾向があります。

しかし二の丸御殿を含む石垣の整備時期に関して、吉川氏説と中村氏説がありますが
後者であるとすると、藩主居館と天守の位置関係が近江八幡城と類似しており、あえて
中腹部に居館を作った意義が見える石垣ではないでしょうか。

病院等の施設によって二の丸石垣が見えなくなることは、米子城のあまり知られていない
意味合いを半減させるのではないかと思います。
 

米子城

 投稿者:狸屋  投稿日:2016年 9月10日(土)07時43分27秒
返信・引用
  余湖様

「見てごしない」は見てくださいと言う意味です。

鳥取は地元の進学校と言われる所を、30年後には移転をさせてでも整備計画を
進めるらしいのですが、米子はその逆を進めるというのですから、何ともはや。
 

Re: 米子城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月10日(土)06時22分3秒
返信・引用
  > No.4691[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 二の丸の石垣が病院のビルかなんかで見れなくなる前にどうぞ見てごしない。
>

あれだけのお城なのに、地元ではそれほど大切に思われていないんでしょうか。

「見てごしない」って、どういうことでしょう?
 

米子城

 投稿者:狸屋  投稿日:2016年 9月 9日(金)21時51分43秒
返信・引用
  二の丸の石垣が病院のビルかなんかで見れなくなる前にどうぞ見てごしない。


http://www.nnn.co.jp/news/160909/20160909001.html
 

Re: 教えてください

 投稿者:備前守長政    投稿日:2016年 9月 9日(金)00時21分39秒
返信・引用
  > No.4688[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

ありがとうございました。
 

Re: 戦国の城推定復元模型

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月 6日(火)22時23分31秒
返信・引用
  > No.4687[元記事へ]

田渕洋治さんへのお返事です。

初めまして。

模型で表現するというのはなかなかすごいことですが、これって販売しているんですね。
 

Re: 教えてください

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 9月 6日(火)22時22分48秒
返信・引用
  > No.4685[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

御無沙汰しています。

末森城に訪れようとしたのは、もう10年ほど前の8月でした。その直前にクマが出没して立ち入り禁止ということでしたので、おそらく現在は、禁止は解除されているものと思われます。

ただ、そうだったとしてももともとクマの出没する地域であるということと、今年はクマの出没が多くなっていることを考えれば、相応の用心をしていった方がよいのではないかと思います。

シンコジラ、話題になっていますね。自衛隊兵器のリアルな映像など心を奪われますが。、国の対応のドタバタが興味深そうですね。できれば行ってみたいものです。

私が今気になっている映画は「君の名は。」です。深海誠作品は「秒速5センチ」の頃からすごいなと思っていたのですが、最初のきっかけは20007年の「ef-a tale pf memories」でした。

このアニメはとにかく泣けました。アニメでこんなに泣けたのは初めてです。

そういえば、前橋にお勤めだったこともあったのですね。兎貝戸の標柱はそのころからあったのですか? 今も存続しているとなると、なんともいとおしいですね。

それではまたです。
 

戦国の城推定復元模型

 投稿者:田渕洋治  投稿日:2016年 9月 6日(火)21時55分49秒
返信・引用
  模型で立体的に縄張りの研究ができます。
http://auctions.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E5%BE%A9%E5%85%83%E6%A8%A1%E5%9E%8B&

http://auctions.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E5%BE%A9%E5%85%83%E6%A8%A1%E5%9E%8B&

 

Re: 兎貝戸砦!

 投稿者:備前守長政    投稿日:2016年 9月 5日(月)23時32分55秒
返信・引用
  > No.4679[元記事へ]

写真拝見しました。

もう10年程前、前橋在勤時行ったことがあります(当時は自転車で山崎さんの悉皆調査報告書
を元に市内回っていました)。あの時、すでに朽ちかけていた標柱が健気にもまだ立ている
とは・・・・。懐かしい限りです。
 

教えてください

 投稿者:備前守長政    投稿日:2016年 9月 5日(月)23時21分13秒
返信・引用 編集済
  迷走台風に翻弄されつつ気候は着実に秋に向かっています。

我がマリーンズの帰趨も決まりつつあり、そろそろ城巡りの準備を始めています。

とりあえず、遠出は来月北陸を考えているのですが、一つ教えて下さい。

余湖さんの能登末盛城のコメントで、熊出没により立入禁止となっているとの
ことですが、いつ頃行かれたのでしょうか?
最近のことであればまだ解除されていない公算が高く、計画の建て直しが必要と
思ったので。

宜しくお願いします。


処でシン・ゴジラ、御覧になりました?興行成績がよく、一体どんなものかと
久し振りに映画館に足を運んだのですが、これが結構面白かったです。
特に伊福部サウンドの不朽性、普遍性を再認識しました。
ただ、定番のお城破壊は無しでした。今回は東京、鎌倉なので対象となる城が
無かったので当然といえば当然なのですが。
 

Re: 大井田城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月24日(水)23時22分9秒
返信・引用
  > No.4682[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、ご無沙汰しています。お元気でしょうか?

大井田城、きれいに整備されたのですね。私が訪れたのはもう10年も前のことだったと思いますが、まだまだヤブの部分が多かったような気がします。とても懐かしい気分になりました。

新潟は地元のはずなんですが、まだあんまり新潟のお城は回っていません。機会があれば出かけたいものです。

横尾さんともこのところ、ご一緒できていませんが、また年末の山城の日には、どこかでご一緒させていただきたいものです。

それではまたです。
 

Re: 鳥瞰図をお借りしました

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月24日(水)23時19分54秒
返信・引用
  > No.4681[元記事へ]

如月比叡さんへのお返事です。

お久しぶりです。わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。引用元を明記しての使用ですので、まったく問題ありません。よろしければご活用ください。

小諸城は確かに、規模的にはわりと小規模なお城ですね。でもあの側面部の崖はすごかったです。下手な石垣なんかよりもよほど堅固なんじゃないかと思いました。

それではまたです。
 

大井田城

 投稿者:横尾  投稿日:2016年 8月24日(水)20時26分33秒
返信・引用
  新潟県十日町市にある大井田城は、きれいに整備されて見どころ十分です。
写真1枚目は麓から見上げています。
写真2枚目は中段の曲輪に入る虎口
写真3枚目は二の丸への虎口

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

鳥瞰図をお借りしました

 投稿者:如月比叡  投稿日:2016年 8月23日(火)22時31分6秒
返信・引用
  こんばんは。(何回かここに書き込みさせていただきました。)
先日、お願いさせていただきました小諸城・上田城の鳥瞰図をブログに使わせていただきたいとお願いしました件ですが本日、小諸城の鳥瞰図をお借りし下記URLの当方のブログに使わせていただきました。
(出典の件はご明記いたしました。)
お時間のあります時にご確認いただければと思います。

今後とも、よろしくお願いします。

とり急ぎ、ご連絡です。

http://blog.livedoor.jp/f100hancock/archives/9792028.html

 

原之城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月13日(土)20時20分15秒
返信・引用
  伊勢崎市のお城。
遺構は完全湮滅だが、発掘調査が行われており、旧状は明らかになっている。
折れや張り出しを持った古代集落である。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/isesakisi02.htm#gennojou
 

兎貝戸砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月13日(土)20時18分11秒
返信・引用
  これも前橋市のお城。
だいぶ破壊されてしまっているが、それでも旧状はわりとよく理解できる。
「うさぎ」というのは珍しい名称だが、以前石崎さんが、「うさぎ」は「防ぎ」で、防御施設のことなんだ、と教えてくれたなあ・・・・。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/maebasii05.htm#usagi
 

荒子砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月13日(土)20時16分30秒
返信・引用
  前橋市のお城。
平地にあり、公園となっているので、とても訪れやすい。
しかし、近代の工事による部分もあると思われるので、どこまでが旧状通りなのか、ちょっと分かりにくい。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/maebasii05.htm
 

訃報

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月13日(土)20時14分44秒
返信・引用
  中学・高校と同級生だった女子が、先日亡くなったという知らせが届いた。
ガンであったようだ。
とても明るくて元気な子だったなあ。
近年、自分の同級生の訃報が時々届くようになってきた。要するにそういう年齢になってきたということである。
自分も、だんだん終末の迎え方を考えなければならなくなってきたんだなあ、とふと思う今日この頃。
 

前橋市(旧宮城村)のマイナー城館

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時48分1秒
返信・引用
  同じく前橋市の旧宮城村分。
こちらもまともな遺構のある城館はほとんどない。

宿の平城は標柱もしっかり立っていて期待したのだが、ほとんどただの地山であった。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/maebasimiyagi.htm
 

前橋市(旧富士見村)のマイナー城館

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時45分39秒
返信・引用
  前橋(旧富士見村分)の城館です。
こちらもほとんどまともな遺構がない・・・。
田島城の土塁に石積みが大量に見られたのが、印象的なぐらいである。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/maebasihujimi.htm
 

桐生市(旧新里村)のマイナー城館

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時44分11秒
返信・引用
  桐生市(旧新里村)のマイナー城館です。
谷津館は、それなりによく残っていたが、後はまともな遺構が残っていない・・・・。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kiryuusiniisato.htm
 

桐生市のマイナー城館

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 8日(月)20時42分12秒
返信・引用
  群馬県桐生市のマイナー城館です。
素晴らしい遺構の城は1つもなかった・・・。

http://milky.geocities.jp/yogototigi/gunma/kiryuusi03.htm
 

Re: 鳥瞰図お借りします。

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 6日(土)04時46分0秒
返信・引用
  > No.4671[元記事へ]

masakimamaさんへのお返事です。

初めまして。わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。活用できそうであれば、ご利用ください。

> 次の福井にお越しの折には、海岸のほうに南北朝の時の南軍最後の城高須城などもマイナーですがありますよ。(縁あって好きな場所です)

福井の城はまだあまり回っていないので、機会があれば、また行ってみたいものです。南北朝時代のお城など、よくご存じですね。

一乗谷の上の山城は、すでにご訪問すみでしょうか? 壮大な山城で、見ごたえ抜群ですよね。

それではまたです。
 

鳥瞰図お借りします。

 投稿者:masakimama  投稿日:2016年 8月 5日(金)23時05分7秒
返信・引用
  子供が、夏休みの宿題で郷土新聞を作らないといけないため、成願寺城と波着寺の鳥瞰図を新聞に貼り付けさせていただきます。(ちなみに、成願寺山の写真には我が家がばっちり写っていて笑えました)あと、成願寺山の古墳ですが、山の上の円墳は時代の古いもの山裾のほうの前方後円墳は中期以降のものだそうです。
次の福井にお越しの折には、海岸のほうに南北朝の時の南軍最後の城高須城などもマイナーですがありますよ。(縁あって好きな場所です)
 

亀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時34分11秒
返信・引用
  これも国東市のお城。

当地の豪族田原氏の居城である。

大規模な山城ではないが、コンパクトにまとまっており、馬出状の郭には櫓台の張り出しが見られる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kunisakisi01.htm#kame
 

富来城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時32分38秒
返信・引用
  これも国東市のお城。

国東半島の先端の方にあり、港を抑える海城であった。

織豊期城郭にしては、あまりぱっとしない気もするが、それでも、天守台のような高まりや石垣、井戸などが残っている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kunisakisi01.htm#tomiku
 

安岐城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時30分57秒
返信・引用
  大分県国東市のお城。

近世城郭らしく重厚な土塁や堀跡が残っている。城内は市街地化が進んでいるのだが、それでも各所に遺構をみることができる。

大分空港から車で5分という至近距離にあるので、早めに空港に着いた場合にちょっと立ち寄ることもできる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kunisakisi01.htm
 

玖珠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時28分40秒
返信・引用
  大分県玖珠町のお城。

玖珠町のどこから見ても目立つ伐株山に築かれている。伐株山は、非常に急峻で高い山であるが、幸いなことに山上まで車道が通っている。他の山城とは違い、ここには訪れている人が何人もいた。

もともと山岳寺院があったところで、寺院遺構と思われる土塁が散在している。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/kusumati.htm#kusu
 

光岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時26分17秒
返信・引用
  宇佐市のお城。県指定史跡になっているので、案内表示がしっかりしている。車で山の上まで行けるので楽ちんなお城である。

単郭ながら横堀をしっかりと巡らせており、ヤブがなく見通しがよいというのもよい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi02.htm#mituoka
 

高森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時24分54秒
返信・引用
  大分県宇佐市のお城。

駅館川に臨む河岸段丘上に築かれたお城であるが、なかなか変わった構造をしている。黒田氏の築城だというが、黒田氏ってこんな城郭も造っていたのだろうか。

城址の中央を道路が分断しているのだが、遺構は結構残っている。しかし、ヤブである・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi02.htm#
 

佐野鞍懸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時21分4秒
返信・引用
  これも豊後高田市のお城。

豊後高田の山間の地に築かれた小規模城郭であるが、見どころいっぱいのお城である。

何しろ総石垣造りの山城なのだ!

ただ、登城道が残っていない・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/bungotakadasi01.htm#sano
 

豊後高田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時19分23秒
返信・引用
  豊後高田市にあるお城であるが、ここに近世城郭が残されているとは知らなかった。

一部残る石垣も立派なものであるし、ほぼ残っている外堀などは、まさに近世城郭の大規模なものである。

意外と見どころの多い城郭なのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/bungotakadasi01.htm
 

大友氏上原館!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 8月 2日(火)20時17分5秒
返信・引用
  大友氏の居館である。
といってもただの平地城館ではなく、台地縁部に築かれており、重厚な土塁が残っている。

市街地の真っ只中にあるのだが、見学者用の駐車場がしっかり用意してくれてあるのがうれしい。

大友二階崩れの変は、この館で起きた事件であったという。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm#uehara
 

小岳城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)21時43分10秒
返信・引用
  これも大分市のお城。

それほど有名な城郭ではないが、立派な模擬天守が建っているとのことで、ぜひとも行ってみたかった。かなり急峻な山城であるが、山頂近くまで車で行けるのもありがたい。

この模擬天守、どうやら個人のお宅のようである。天守のような家を建てるというのは男のロマンであるが、それを実現している人がいるのはうらやましい限りである。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm#odake
 

鏡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)21時40分6秒
返信・引用
  大分市のお城。
鶴賀城の対岸にあり、恒久的な城郭というよりは、戸次川合戦の際に、豊臣軍が軍議を開いたところ、というのが正しい成り立ちのようである。

そのためか、あまり明確な遺構は存在していない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm#kagami
 

鶴賀城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)21時38分33秒
返信・引用
  大分市のお城。

戸次川古戦場の南側にそびえる山上に築かれた城である。戸次川の合戦は、この城を包囲攻撃中の島津軍を無理に攻撃しようとしたことから起こった。

城に向かう途中に、長宗我部信親の墓所がある。

急峻な山城であるが、山頂近くまで車で行けるので楽ちんであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/ooitasi02.htm
 

小牟礼城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時46分39秒
返信・引用
  大分県豊後大野市のお城。

2つの川の織り成す断崖上という要害地形に築かれたお城である。

最高所に神社がまつられているため、そこまでは夏場でも行けるが、途中からはドヤブにやってしまっており、細部まで見るのは難しかった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/bungooonosi01.htm
 

山本切寄!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時28分14秒
返信・引用
  これも宇佐市のお城。

切寄という名称から、一種の陣城であったのではないかと思われる。構造的にも遺構規模の上からもなかなか面白い構造であった。

歴史が一切不明な城郭であるが、どの戦乱の際に築かれたものなのか、今後調べてみたい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#yamamoto
 

副城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時24分56秒
返信・引用
  これも宇佐市のお城。

平成の森公園の北側に延びる山稜上に築かれている。

それほど大規模な城郭ではないが、2段の横堀や連続竪堀などが良好な状態で残されている。ヤブがない状態で遺構を視認できるのはなかなか楽しい。石組みの井戸もある。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#soe
 

龍王陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時22分58秒
返信・引用
  龍王城の北側山麓にあるが、中世城館ではなく、近世になってから松平氏によって営まれた陣屋である。

陣屋の周囲には石垣が残されているが、内部は猛烈なヤブで探索はできない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#ryuuoujin
 

龍王城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月31日(日)10時21分48秒
返信・引用
  これも宇佐市のお城。

比高200mの急峻な龍王山に築かれているが、中腹まで車で登っていけるので、実際には真夏でも登れる山城であった。

しかし、主郭から西側はヤブ状態でハチも飛んでいた。ちょっと注意した方がよい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm#ryuuou
 

佐田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月30日(土)22時54分51秒
返信・引用
  大分県宇佐市のお城。
すばらしくいいお城だとウモ殿から聞いていたので、夏場にも関わらず行ってきた。

そして、予想にたがわぬいいお城だったので感動した。

本城が素晴らしいだけではなく、あちこちに派生した尾根にもすべて出城が構築されている。

だが、やはり、夏場に回るにはかなりきつかったのであった・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/ooita/usasi01.htm
 

Re: 門毛城

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月30日(土)22時52分12秒
返信・引用
  > No.4651[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

なるほど、山越えのルートもあったのですか。それならば納得です。

門毛城は、茂木方面からの山越えルートを抑えるための、防塁のような城郭であったと考えられるのではないかと思います。

ご教唆、ありがとうございます。
 

門毛城

 投稿者:50storm  投稿日:2016年 7月30日(土)19時06分29秒
返信・引用
  余湖さま

地図を見て思ったのですが、門毛城は、雨巻山からの尾根伝いにあり、山尾根からの道があったと思います。山尾根沿いを進むと、茂木城まで進むことが出来ます。また、芳賀富士には、中世板碑が残っていて、中世由来と考えられています。
十分可能性が高い話と思います。
 

Re: 門毛付随史料

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月30日(土)10時48分23秒
返信・引用
  > No.4649[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

ご無沙汰しています。また、情報、ありがとうございます。

あの場所は古代から重要な街道に面しているのですね。参考になります。

ただ、ちょっと疑問なのは、門毛城の構造が、下の街道を抑えるためというよりは、北側の山道への防塁のようになっていることなんです。北側の山の方向にも街道が通っていたのでしょうか?

岩瀬町史に掲載されている資料というのも気になります。近所に岩瀬町史を置いてあるところがないので、どこかに見に行きたいと思っています。

それではまたです。
 

門毛付随史料

 投稿者:50storm  投稿日:2016年 7月29日(金)22時24分14秒
返信・引用
  こんばんは。ご無沙汰しています。鎌倉街道と中世の道で、桜川市の城館は鎌倉街道と密接に関わりがあることが指摘されました。門毛城は、常陸と下野を結ぶ古代からの官道ルート沿いにあり、古代からの交通の要衝だったのでしょう。
中世もその構造は変わらなかったと思います。近くに多田氏の五輪塔(推定鎌倉時代)もあり、何だかの関わりがあるのかもしれません。
 

Re: 青春18切符

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月28日(木)04時13分52秒
返信・引用
  > No.4647[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

備前守長政殿、ご無沙汰しております。毎日暑くて、お城めぐりにはつらい時期ですね。

御所巡りですか、これはまた渋い趣味ですね。それにしても篠川御所も、稲村御所も、けっこうヤブの部分があったりし、夏場ではきつそうですが、大丈夫だったでしょうか。

青春18きっぷですか。懐かしいですね。私も若いころは18きっぷを使って、各地のお城を回っていたもんです。しかし、近年は、料金よりも時間の方が重要なので、あまり使わなくなってしまいました。のんびりした旅をするのも、いいものなのですが・・・。

代わりに時間があれば使っているのはLCCです。空港が近くにあることと、時間が短縮できるのが最大のメリットです。

先日、久しぶりにまとまった休みが取れたので、九州に行ってきました。飛行機だと本当に早いです。

それではまたです。

 

青春18切符

 投稿者:備前守長政    投稿日:2016年 7月26日(火)00時04分7秒
返信・引用 編集済
  毎日暑いですね。如何お過ごしでしょうか。


土曜日、青春18切符を使って須賀川界隈に行ってきました。夏ですから山城は避け、前から一度行ってみたかった、篠川御所と稲村御所を軸にその周辺を見てきました。

もともと足利政権のファジーさというかいい加減さが面白くて、他にも結構あちこちの遺跡を見て回っています(鞆の浦や朽木氏館、一乗谷、平島公方館、古河御所、堀越御所などなど)。今回もその一環として訪ねました。


遺構としてはかなりシンプルで取り立ててどうというものではないです。ただ、戦国期に城として使われ改変されている篠川御所(というか篠川城)と違い、稲村御所の場合は公方の居所で終わってしまった可能性があり、そうなるとあの遺構(堀と土橋)は15世紀前半のものとなるので、それはそれで貴重なものと言えましょう。

でも、御所跡には何ら標柱や説明板も無く、埋もれてしまっているのは至極残念です。バスの時間が合わずタクシーを使ったのですが、運転手さんも何しに行くんだ?みたいな感じでしたから、地元でも殆ど顧慮されていないのでしょう。


それにしても余湖さんは草叢も気にせず図面書きに山城に行かれている由。パワフルですね。あやかりたいです。私なんか平場をチョイと歩くだけでへばってしまいました。

それでは。
 

Re: 門毛の史料

 投稿者:余湖  投稿日:2016年 7月23日(土)04時40分7秒
返信・引用
  > No.4645[元記事へ]

上沢光綱さんへのお返事です。

上沢さん、こんにちは。再度のご教示、ありがとうございます。

『岩瀬町史』については、昔見たかもしれないのですが、現在、手元にコピーなどがなく、詳細がわかりません。時間のある時に、茨城のどこかの図書館に行って、確かめてみたいと思います。

それにしても、門毛城は、変わったお城なのではないかと感じています。上沢さんは、あれを「居館」「居城」のようなものに思われるでしょうか?

私はどちらかというと、臨時の築城によるもので、それも目的は、北側に続く山道を抑える関所機能を重視したもの、といったイメージに感じました。

南側のあいまいな地形や、同比高にある北西側の台地の未加工さは、むしろ築城途中で放棄されたもの、という印象を受けてしまうのです。

つまり何らかの戦時に緊急に取り立てられ、そのまま放棄されてしまった城のように思えてしまうので、そのあたりを何か史料で確認できないかなと思ったため、門毛が出てくる史料というのが気になってしまったのです。

それではまたです。
 

門毛の史料

 投稿者:上沢光綱  投稿日:2016年 7月22日(金)18時29分7秒
返信・引用
  岩瀬町史の史料編に掲載されています。
いま、手元の書き写しノートが見当たらず、詳しくご説明できません。
本の真ん中あたりだったかな…。後ろの方だったか記憶があやふやです。

岩瀬町史 史料編 をご覧ください。
「門毛由来…」こんな感じの史料でした。


また、門毛城の江戸時代の村落図を元に作成した簡単な縄張りは、岩瀬町史のうしろのほうにあります。これはたぶん、余湖さまは確認されていると思います。
こちらは私のページにも掲載してあります。


あと、洞源寺さんは、本宅吉田家のすぐ上の尾根上にありますが、一応、昔の砦跡というような伝承も残っているようです。一応ってことなので、かなりあやふやな伝承です。

http://www.geocities.jp/shimotsuke1000goku/

 

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