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尾去館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月24日(水)03時55分2秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

鹿角にしか見られないような典型的な群郭式城郭である。

常泉寺のある台地の上のさらに台地部分を堀切で区画し、3×2の6つの郭を配置したものである。

堀切は深く、構造的にも面白いのだが、なんともヤブがひどい。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi03.htm#osari
 
 

上山館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月24日(水)03時53分10秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

鹿角の城郭にしては比較的規模が小さいもので、群郭式の構造でもない。

すぐ北側には、遺構が失われた茶臼館があり、その前線の砦のようなものだったのではないかと想像される。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi03.htm
 

高瀬館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月23日(火)04時41分10秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

秋元氏系の高瀬氏の居城。

独立性の高い3つの館によって構成されている。

こちらも広域農道からアクセスするとすぐに城内に入れるのだが、夏場ではヤブがひどすぎる。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi02.htm#takaya
 

高屋館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月23日(火)04時39分38秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

秋元氏系高屋氏の居城である。

城のすぐ背後に広域農道が付けられているので、簡単にアクセスできるようになっている。

地形なりに堀切で区画した数郭から成る。

鹿角の城らしく、深い堀切を見ることができる。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi02.htm#takaya
 

十二所城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月23日(火)04時37分37秒
返信・引用
  秋田県大館市のお城。

鹿角の城と共通する群郭式の城郭である。

鹿角勢力と対立した浅利氏系十二所氏の居城であったと考えられる。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/oodatesi02.htm
 

毛馬内館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月23日(火)04時36分30秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

柏崎館のすぐ北側にある。

奈良氏系毛馬内氏の本拠地であったと考えられる。

大規模な堀によって区画された数郭により構成されているのだが、主郭は野球場となっている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi02.htm#kemauti
 

柏崎館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月23日(火)04時34分57秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

しかし、中世城郭ではなく、近世に入ってから築かれた城である。

そのため、鹿角の群郭式城郭とは異なった様相を見せている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi02.htm#kasiwazaki
 

大湯館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月23日(火)04時33分55秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

奈良氏系大湯氏の本拠地がここであったと考えられる。

鹿角に多い群郭式城郭の1つであり、堀の規模が大きい。

案内板も充実している。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi02.htm#ooyu
 

鹿倉館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月23日(火)04時32分31秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

九戸の乱で大湯氏が籠城した城である。もちろん、豊臣方の軍勢に攻撃され、落城してしまった。

ということで、だいぶ規模の大きな城を期待していたのだが、思ったほどの城ではなかった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi02.htm
 

Re: 暑中お見舞い申し上げます

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)19時46分18秒
返信・引用 編集済
  > No.6138[元記事へ]

秋田城介さんへのお返事です。

こんにちは、今回は秋田城介さんのページにかなり助けられました。「秋田の中世を歩く」がなければ、これほど効率的に秋田の城郭を回れなかったと思います。改めて感謝しております。

鹿角は全国にもまれに見るほどの大規模城郭の密集地帯だと感じました。本来ならば1つ1つじっくり見ていきたかったところなのですが、何しろ、遠隔地で時間も限られてしまっているということもあり、かなりピンポイント的な回り方になってしまいました。そのため、鳥瞰図もかなりテキトーなものばかりです。

夏場だったので、ヤブも半端じゃなかったです。先週の海の日の三連休で訪れたのですが、ところどころ雨にも降られてしまい、なかなか厳しかったです。

畝状竪堀群のある城もたくさん見たのですが、ヤブに覆われてよく分かりませんでした。せっかくの遺構なのにもったいない!

でも田代城と西馬音内城はとても素晴らしかったです。

長嶺館のことは、まったく意識していませんでした。次の機会に訪れてみたいものですが、次に秋田に行けるのはおそらく何年も後のことになろうかと思います。

秋田の城の紹介はこの後も続きます。今後ともよろしくお願いいたします。
 

暑中お見舞い申し上げます

 投稿者:秋田城介  投稿日:2019年 7月22日(月)10時18分49秒
返信・引用
  何やら秋田の城を紹介していただき、まことにありがとうございます。それも、誰も行こうとしない鹿角や由利の城など・・・・・・。この暑い時期、私などは山城には入ろうとも思いませんが、まことに頭が下がる思いです。またコンデイションのいい時期にお出かけ下さい。もっといい遺構が見られると思います。鹿角だと長嶺館がケッコウ面白い城です。では。  

小枝指館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)04時31分14秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

規模の大きな城郭が密集する鹿角市の中でも、7つの郭を持ち通称七つ館という名称を持つほどの規模を誇っている。

この地域の城主の多くが秋田安東氏に加担し、南部氏と対立したため、九戸の乱で九戸氏とともに滅んでいるが、小枝指氏は、珍しく南部氏に協力して、天正19年以降も存続を許された一族であった。

主郭付近はかなり槌を削り取られている最中であり、今後、どうなってしまうのか心配である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi01.htm#koezasi
 

新斗米館・小平館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)04時27分50秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

それなりの規模の城郭が乱立する鹿角市の中でも、特に城郭群が密集しているのがこの場所である。100mほどの距離で数城が平行に存在している。

奈良氏系の新斗米氏らの城郭であった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi01.htm#sintome

 

高市館・万谷野館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)04時24分21秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

高市の八幡神社のあるところが城址である。単郭ながらも、幅の広い堀切を残している。

台地先端部には万谷野館がある。現在ではほとんど削られてしまっているが、台地を断ち切る巨大な堀切があったようだ。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi01.htm#takaiti
 

柴内館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)04時22分36秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

連郭式に4つの郭が配置されている。郭の間を区画する堀切は驚くほど大きなものであったりする。ただ、南館は削られてほぼ消滅している。

安保氏系柴内氏の居城である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi01.htm#sibauti
 

花輪館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)04時20分44秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

大規模な城郭の多い鹿角市の城郭群の中でも、目立って大きな城郭である。

安保氏系花輪氏の居城で、近世以降も使用されていた城郭である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi01.htm#hanawa
 

玉内館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)04時18分57秒
返信・引用
  これも鹿角市のお城。

台地上に、さらに台地があり、それを群郭式に区画するという、全国的に見ても珍しい形式の城である。といっても鹿角にはありがちな形状である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi01.htm#tamauti
 

大里館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月22日(月)04時17分28秒
返信・引用
  秋田県鹿角市のお城

鹿角市は全国でも珍しいほどの城郭密集地帯である。それも、結構規模の大きな遺構を残している城がたくさんある。

大里館は、安保氏系大里氏の居城で、この地域に多い群郭式城郭の1つである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/akita/kadunosi01.htm
 

Re: 愛知県 豊田市 挙母 衣城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月18日(木)04時08分40秒
返信・引用
  > No.6129[元記事へ]

余語 賢二郎さんへのお返事です。

初めまして、同姓の方の書き込みは久しぶりです。確か、余語氏は、藤原利仁の系列の一族で、近畿から北陸の方にかけて、いらっしゃるのではなかったかと思われます。

一方、余湖は、近江佐々木氏の一族で、出自は余呉湖の辺りとなります。というわけで、同じヨゴなのですが、系統は別であったかと思われます。

織田家に仕えていた余語一族もいたのですね。愛知の城はそれほど詳しくないので、衣の城のことは分かりませんが、機会があれば行ってみたいです。

それではまたです。

 

愛知県 豊田市 挙母 衣城

 投稿者:余語 賢二郎  投稿日:2019年 7月17日(水)08時13分20秒
返信・引用
  こんにちは、私の家のルーツは、織田信長公の配下で衣の城を預かっていた、余語久三郎正勝です。重要文化財で、豊田市の長興寺に正勝が寄進した、あの信長公の肖像画で知られています。今残っている衣の城は桜城とも言われている江戸時代の内藤家時代の城ですが、正勝が預かっていた城は、信長公の施策の楽市楽座の一環の市場で物流拠点を管理して、織田政権を経済面で支えていました。長くなりました。又機会が有りましたらお便りします。ごきげんよう??  

Re: 岩櫃城発掘調査報告会

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月16日(火)04時41分9秒
返信・引用 編集済
  > No.6127[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

遠征から帰還しました。

岩櫃城、数年前の『真田丸』のオープニングに登場してから、いろいろと注目されていますね。あのお城の竪堀群は、とてもすごいものだと感じました。

発掘するといろいろと分かることがありますね。さすが、真田氏の本城の1つだっただけあって、いろいろな施設があったものと思われます。情報、ありがとうございます。


 

岩櫃城発掘調査報告会

 投稿者:あんけん  投稿日:2019年 7月13日(土)19時09分58秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
全国で城館の発掘がされてて今日も伊勢原の丸山城の北西2.5kmの場所で未知の城館の可能性の有る堀が発見され現地説明会が催されたみたいですが、自分は近場で「発掘された関東の遺跡2019」に行って群馬県最大規模の山城である岩櫃城他の発表を聞いて来ました。

余湖様が調べられた範囲はほぼそのままで、県内でも類を見ない細かい竪堀が廻らされてる事、本丸北側など遺構が広がってて、柳沢城の南にも遺構が有るなど広範囲の城郭だったことが判明していたそうです。(画像1枚目)

まず空堀は尽く薬研堀で、城の北側の志摩小屋と呼ばれる曲輪群では幅2.5m~5m、深さ1.1m~2.8mの規模で、城下町エリアでは幅5.5m~20m、深さ6~10m以上の規模だそうで、時期不明ながら城を築き直してて横堀を埋めて二段の連なる曲輪にされてたり、破城と思われる堀を破壊して埋めた跡が発見されてます。(画像2枚目)

本丸南側虎口や志摩小屋、出裏渕などでは石積みも確認されてます。(画像3枚目)掘立柱建物も複数確認され、本丸では他に金属加工場と思われる建物跡が見つかり、炉や鍛造剥片の固まり、鉄砲玉、鉄鏃、小札、鉄滓などがが検出されてます。

この地方では突出する量のかわらけや土器製品が出土するも県内で類例は少なく、長野・山梨県に良く見られる種のもので、威信材と呼ばれる高級な焼き物は見つからないそうです。

これらの成果を踏まえて整備されると良いのですが・・・。
 

Re: 伊那谷の城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月12日(金)04時18分49秒
返信・引用 編集済
  > No.6125[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。

あの地域のお城はネットで検索してみても、らんまるさん以外には紹介している人はなく、参考にさせていただきました。ありがとうございます。

関氏の歴史はなかなか興味深いですね。短編小説があったとは知りませんでした。確かに小説ネタになりそうな一族です。ただ、「上田城を築く際に石垣のための石を大量に運ばせたために民心が離反した」など、どうも真実とは思われない伝承もあるようです。居城の変遷についても混乱があると思います。関氏の城館群の中で、居城にふさわしいのは矢草城だと思いました。

権現城については、訪れる人は必ず熊谷さんに挨拶して許可を取ってからにしてほしいです。ネットの情報を見て、無許可で進入してしまう人が増えてくると、所有者が困ってしまい「立入禁止」にしてしまうというケースがこれまでにありました。

自分が紹介してしまったからかなあと、複雑な思いになってしまいます。権現城の場合は、どうやっても熊谷家の敷地を通らないと行けないので、必ず許可を得てほしいと思います。

機会があれば、またらんまるさんとご一緒したいと思っています。その際はよろしくお願いします。

それではまたです。

 

伊那谷の城

 投稿者:らんまる  投稿日:2019年 7月11日(木)20時57分1秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。
伊那谷の城シリーズ、懐かしく拝見させていただきました。

関氏関連の山城は小生としてもとても思い入れの強い城館で、特に権現城はシリーズの最終目的でありながら土砂災害の為に通行止めで断念し二年後にリベンジした曰く付きの城でしたが、熊谷家のご夫妻には暖かく歓迎してもらったのを最近のように思い出しました。
「犬坊狂乱」という短編小説を読まなければ関一族とその城に興味など持たなかったと思えば、キッカケなどどこにでもあるものだと改めて知らされました。

大鹿村周辺もご紹介いただきありがとうございますw

午前中は豊丘村、午後は大鹿村とかなりハードな日帰りの城巡りは後にも先にもこの時が最後で、信濃先方衆もタフだったなあーと思い出し笑いをしておりました。

こちらへお越しの際は、お声がけいただけると嬉しいのですが・・(笑)
 

Re: 今年も夏が巡ってきました

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月 9日(火)04時15分48秒
返信・引用 編集済
  > No.6122[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

1年たつのは本当に早いものですね。

おっしゃるように今年は涼しくてびっくりしています。

ただし雨が多くてなかなか出かけられません。海の日の三連休は、かつては恒例のヤブレンジャー夏合宿の予定日だったので、今年も出かけようと思っているのですが、天気がどうなるのかちょっと心配です。
 

Re: 水戸城二の丸隅櫓

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月 9日(火)04時13分16秒
返信・引用
  > No.6121[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

大手門、本当に大きなものなのですね。水戸城というと、近世城郭としては地味な印象がありますが、さすがに御三家の居城だけあって、壮大な構えを持っていたのだと感じます。

御三階櫓はパネルだけですか。本当はこちらを復元してほしいものですが、残念です。あの御三階櫓も、見た目は小さく見えますが、実際はかなり大きなものだったようですね。

 

今年も夏が巡ってきました

 投稿者:ひづめ  投稿日:2019年 7月 8日(月)22時19分11秒
返信・引用
  暑い夏がまた巡ってきましたねと、毎年ご挨拶するる時期ですが、今年は梅雨らしい日が続き涼しいです。  

Re: 水戸城二の丸隅櫓

 投稿者:あんけん  投稿日:2019年 7月 8日(月)12時37分8秒
返信・引用 編集済
  > No.6120[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。
こんにちは、あんけんです。

小学校敷地内通行中、御三階付近に児童しか見られない屋根付き解説壁が見えたので聞いてみましたが、既存施設(恐らく隣の方)の了承はほぼ無理みたいで、金沢大学の様に移転しない限りは跡地見学すら難しいみたいです。

一方大手門は着々と工事が進んでいて規模は櫓よりも大きいですから防護ネット越しでも迫力が感じられます。門横の土塁を越える仮設通路より、ネットの隙間からもパチリ。大扉も見えますし、練塀もすぐ目の前で見られます。
 

Re: 水戸城二の丸隅櫓

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月 8日(月)04時04分26秒
返信・引用
  > No.6119[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

隅櫓の工事、進んでいるのですね、これは完成が楽しみです。

できれば御三階櫓も、復元してほしいものです。


 

水戸城二の丸隅櫓

 投稿者:あんけん  投稿日:2019年 7月 8日(月)00時30分44秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
水戸城の二の丸隅櫓の復元工事現場説明会へ行って来ました。個人的にとても気になっていた二重部分の向きですが、本丸隅櫓の古写真からそれと向きを揃えた完成予想図と違って東西の向きになってます。

主に紀州の檜と筑波の石を使ってるそうですが、基礎と柱の間に欅の土台を組んでます。続く長塀は鉄筋コンクリート製で、大手門裏や二の丸南面は工事が進んでますが大手門との間はまだまだでした。

https://www.youtube.com/watch?v=3028oDEKZo4

 

K国への素材輸出規制について思うこと

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 7月 6日(土)19時22分51秒
返信・引用 編集済
  このところ、K国への輸出規制に関するニュースが話題になっているが、ふと思うことがある。

日本政府は「経済報復ではなく、安全保障に関する疑念があるから」というように一貫して主張している。自由貿易に反する行為ととられないための予防線かと思われるが、私はこうも思っている。

おそらくK国は瀬取りによって、国連の制裁で輸入規制を受けている北の国に、密輸出を行っていると思う。少し前にK国籍と思われる船が、北の国の船に横付けして、ホースで何かを送り込んでいる映像がネットでも流出していた。

フッ化水素などの化学物質は、北の国が核兵器を製造する際に、実際利用されているのではないだろうか。テロ国家に武器などの輸出を制限する措置は昔から取られていることであり、当然の措置である。安全保障上の理由から、輸出制限が行われるのは必然というべきことである。

瀬取りの件もそうだが、日本政府はおとなしい対応をしており、表立ってそのことを究明してはいない。というか、日本は根本的に大人しい国なので、よほどの理由がなければ、このような措置を表明しないと思う。

おそらくK国の多くの国民は、K国が北の国に密輸出をしていることを知らされていない。不都合な真実は隠さなければならない。それゆえK国の政府も、「日本の制裁だ」と過剰反応をすることで、国民の目をそらせようとしているように思える。

瀬取の事実は、日本以外にも監視を行っている多くの国が知っているのではないだろうか。それなのに、なぜかK国を泳がせているように見えてしまう。

K国への告発はいつどのように行われるのであろうか。それが今、一番気になっていることである。

マスコミも「日本政府の措置は無謀な行為である」と素人でもできる単純な主張を繰り返すよりも、その根底にある現実が何であるのかを掘り下げて、調べてみるべきなのではないかと思う。膝蓋腱反射のような批判意見しか繰り返せないようでは、マスコミはいずれネット情報に負け、存在意義を問われてしまうのではないだろうか。
 

Re: 祝6500城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月29日(土)04時49分52秒
返信・引用 編集済
  > No.6116[元記事へ]

軍曹さんへのお返事です。

お久しぶりです。気が付いたら6500城になっていたわけですが、よくもまあ、こんなに描いたものだと思います。まだまだ行きたい城があるので、おそらく7000城は突破するのではないかと思っています。

女部田城は、もともとは登ってみる気持ちはなかったのですが、『さいたまの城』に「沢伝いに行けばアクセスできる」というように書いてあったので、試しに行ってみたら、本当に道らしきものがあり、到達することができました。

おっしゃる通り、郭の削平だけがきちんとされていたのが印象的でした。


ただ、途中で、2匹の蛇(マムシ?)と、1匹のイノシシとに遭遇したので、あまり安心して行ける城ではなさそうです。

鷹谷砦は、妙な城だと思いました。堀切が数本あるのは確認できるのですが、郭の削平はしっかりとしておらず、居住性はほとんど想定できないような城でした。伝承の通り、物見のために造られた簡素な砦といった性質だったのでしょう。

あのプレートは軍曹さんたちが作ったものでしたか。今では地面に落ちていました。こんな感じでした。

それではまたです。
 

祝6500城

 投稿者:軍曹  投稿日:2019年 6月28日(金)12時25分5秒
返信・引用
  6500城となるともう人間業ではないですね。おめでとうございます。
秩父の城を訪れたようで懐かしく拝見しました。
女部田城は郭の削平がとても綺麗で驚きましたが、
あそこまでの道のりは心細い限りで一度は途中で引き返しています。
鷹谷砦のマジック書きのプレートは僕とたかしさんが付けたものです。
そうですか、落っこちてましたか(笑)
 

『廃城をゆく ベスト100城』発売!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月26日(水)20時40分47秒
返信・引用 編集済
  イカロス出版から廃城をゆくシリーズ「ベスト100城」が発売されました!

全国のベスト100廃城を縄張り図付きで紹介しています。

今回はサイズもA5判となっているので、手に持ってお城巡りをしやすくなっています。

この本を片手に全国の廃城巡りをしてみてはいかがでしょうか?

アマゾンなどでも購入できます。

 

Re: 6500城、突破ですね!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月25日(火)04時21分10秒
返信・引用 編集済
  > No.6113[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

鳥瞰図、お役に立てるようでしたら、ご使用ください。

職場が変わったおかげで、これまでに比べて土日出勤が少なくなったので、また、少しは出かけられるようになってきました。

以前のような体力や気力はありませんが、少しずつでも活動を続けていってみたいと思っています。

それではまたです。

 

Re: 6500城、突破ですね!

 投稿者:ひづめ  投稿日:2019年 6月24日(月)08時12分29秒
返信・引用
  > No.6112[元記事へ]

余湖さん

みなさまにお城入門の様なお話しをするときは、縄張図よりも鳥瞰図の方がイメージを掴んでもらいやすいので、余湖さんの図をお借りする事が多いです。どんなタイプのお城でも、より取り見取りなので重宝しています。千葉および茨城全城制覇のことと、余湖図6500城以上全城ネット公開していることを紹介すると「おお!」という声がでます。いっときよりも少し動きやすくなっている様なので、第2期余湖さんパワーに期待しています。
 

Re: 6500城、突破ですね!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月24日(月)04時21分11秒
返信・引用
  > No.6111[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

こんにちは。7000城は目指さない、と言っていたのですが、いつの間にか6500城を越えてしまいましたね。このままでは7000城は達成してしまいそうです。

まあ、数をノルマにするのはもうたくさんなので、のんびりとお城巡りを続けて、それでそれなりの数になるのならいいかなと思っています。

全国的に見てみると、まだあまり回っていない地域もありますので、その辺りを夏ごろに回ってみたいなと思ってます。

それではまたです。

 

6500城、突破ですね!

 投稿者:みよさん  投稿日:2019年 6月23日(日)22時47分5秒
返信・引用
  余湖さん、こんばんは。お元気そうで嬉しいです。

去年、6000城のお祝いを申し上げ、その際、これからは気持ちのんびりなさるとお返事くださったように記憶していますが、なかなかのハイペース、びっくりしています。
7000城も、現実的な目標となってきたのではないでしょうか。
どうぞ、木舟城のように思い入れのある山城をまた見つけ出し、この掲示板で紹介してくださいね。


 

根岸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月22日(土)22時38分2秒
返信・引用
  埼玉県秩父市のお城。

札所である岩井堂の奥にあり、ハイキングコースとなっている。

岩井堂までは人が訪れるようだが、城址まで来る人はそうそういないであろう。

地元では長者屋敷と呼ばれている。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/titibusi02.htm#megisi
 

鷹谷砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月22日(土)22時19分10秒
返信・引用
  埼玉県小鹿野町のお城。

急峻な尾根上に数本の堀切を掘って区画したものである。

それなりの城郭遺構はあるが、削平はしっかりとしておらず、いかにも急造された砦といった印象のものである。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/oganomati02.htm#takaya
 

女部田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月22日(土)21時57分33秒
返信・引用
  埼玉県秩父市のお城。

合角ダムの背後にそびえる比高180mの急峻な山稜に築かれている。

城の周囲には岩盤が取り巻かれているので、背後の尾根筋まで行って尾根沿いに城に向かって行った。

ここではイノシシと2匹の蛇に遭遇した。ちょっと気を付けた方がよい。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/titibuyosida02.htm
 

仲山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月22日(土)21時37分18秒
返信・引用
  埼玉県長瀞町のお城。

小規模ながら、あちこちに案内板が出ており、地元ではよく認識されているようだ。

中腹の峠まで車で行けるが、これは車を傷めてしまうことになるのでお勧めしない。

http://yogokun.my.coocan.jp/saitama/nagatoromati02.htm
 

最近気に入っている歌

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月20日(木)21時41分30秒
返信・引用 編集済
  それは日向坂の NO WAR in the Future

ベタな歌詞だけど、まあそうだよなって思わせてくれる。憎しみの前に笑顔を見せられることって大事だと思う。A国やB国やC国の指導者に聞かせてやりたい。

https://www.youtube.com/watch?v=0Pg8H3W-X3E

日向坂は、キュンキュンやドレミファよりも、こうした路線で行ってほしかった。

日向坂は、ひらがな時代から結構好きだったのだが、特に斎藤京子と佐々木美玲がいい。

シングルリリースされる曲では小坂菜緒が連続してセンターを務めているが、佐々木美玲がセンターに収まっている曲はとても見栄えがいい。アイドルの数は多いが、佐々木美玲ほど整った顔立ちの子は珍しいと思う。

齋藤京子は歌も踊りも一番うまいのに、天然なところが面白い。いつも泳いでるあの視線についつい見入ってしまう。
 

溝口下ノ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月19日(水)04時38分9秒
返信・引用
  これも伊那市のお城。

美和湖に臨む断崖上という要害地形に築かれている。

中央構造線公園となっており、城というよりは、中央構造線が見られる場所として有名なようである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/inahasemura01.htm#simo
 

溝口上ノ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月19日(水)04時36分46秒
返信・引用 編集済
  これも伊那市のお城。

規模はそれほどでもないが、北条時行が籠城したり、宗良親王が葬られたりと、歴史的には有名な城であるらしい。

そのため案内板が充実している。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/inahasemura01.htm#kami
 

艮城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月19日(水)04時35分29秒
返信・引用
  これも伊那市のお城。

単郭ながらも枡形を備えていたり、なかなか技巧的で見どころのある城である。

穴城というべきか、低い地勢にあって山林化しているので、見つけにくい場所にある。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/inahasemura01.htm
 

熊野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月19日(水)04時33分15秒
返信・引用
  長野県伊那市のお城。

比高50mほどの独立丘に築かれ、城址公園のようになっている。

山の斜面には一面にツツジが植えられており、花が咲いている季節には全山ツツジで埋め尽くされそうである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/inahasemura01.htm#kumano
 

天狗森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月18日(火)03時55分51秒
返信・引用 編集済
  これも大鹿村のお城。

やはり尾根街道沿いにあり、急峻な山稜を利用して築かれた城郭である。大島城とは違い、林道から登らずにすぐにアクセスできる。

ここからさらに山中に進んだところに、やはり宗良親王関連の駿木城もあったらしいが、崩落のため通行禁止となっていたため行けなかった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/oosikamura01.htm#tengu
 

大島城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月18日(火)03時53分48秒
返信・引用
  これも大鹿村のお城。

堀田城とは林道で接続している。かつての山街道を抑える城郭であったものだろう。

小規模ながら鋭い山稜上に築かれている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/oosikamura01.htm#oosima
 

堀田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月18日(火)03時52分50秒
返信・引用
  これも大鹿村のお城。

かなりの高所にある山城である。これも南北朝時代に宗良親王によって取り立てられたもので、宗良親王の家臣の堀田氏の居城となった。

入口に案内表示があり、城内には案内板も設置されていた。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/oosikamura01.htm#hotta
 

松平城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月18日(火)03時51分19秒
返信・引用
  これも大鹿村のお城。

比高20mの山稜先端にある松平神社が城址ということになっている。

大河原城の北方を抑える香坂氏関連の城ということであるが、あまり城址らしくない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/oosikamura01.htm#matudaira
 

大河原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月18日(火)03時49分56秒
返信・引用
  長野県大鹿村のお城。

南北朝時代に宗良親王が拠点とした城郭であり、そのため立派な石碑が建てられている。

崖縁の要害上にあるが、崩落が進み、やがて消滅してしまいそうな運命にある。

それにしても大鹿村って隠里のような村である。松川からここまで来るまでの道が非常にけわしかった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/oosikamura01.htm
 

北の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月17日(月)04時58分11秒
返信・引用
  これも豊丘村のお城。

天竜川を挟んですぐ北側には大島城が存在しているが、大島城からは南の位置にある。

ということから、大島城とは関連のない城郭であったことが分かる。

天竜川に臨む河岸段丘を利用した城郭で、一部に堀が残されている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/toyookamura01.htm
 

中の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月17日(月)04時56分58秒
返信・引用
  これも豊丘村のお城。

上の城の下に位置している。台地縁部を利用した城郭である。

手前の堀跡は水田として残されており、それなりの雰囲気はある。

内部は2軒のお宅の敷地となっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/toyookamura01.htm#naka

 

上の城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月17日(月)04時55分54秒
返信・引用
  これも豊丘村のお城。

本城の南側の台地の先端部にある。ここにも城址標柱が立てられていたのであるが、すっかり文字がよめなくなっていた。

城内は一軒の民家の敷地となっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/toyookamura01.htm#ue
 

本城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月17日(月)04時54分37秒
返信・引用
  これも豊丘村のお城。

この周辺には北の城、中の城、上の城などといった支城を思わせる小規模な城郭が多いが、その中心にあり、まさに本城であったと思われる城郭である。

是えらの城郭群の中では規模も大きく、大規模な堀切や横堀などが見られる。また、これらの支城群の中で、ここにだけ案内板が設置されていた。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/toyookamura01.htm#honjou
 

田村城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月17日(月)04時52分46秒
返信・引用
  これも豊丘村のお城。

洞岩寺の背後の山稜が城山と呼ばれ、城址であったことが分かる。寺院も「城」と呼ばれており、寝小屋と城山とがセットになった城郭であることが分かる。

ところが、城山は墓地分譲地としてすっかり整備されてしまっていた。やがて城らしい雰囲気は失われてしまいそうである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/toyookamura01.htm#tamura
 

伴野古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月17日(月)04時51分10秒
返信・引用
  これも豊丘村のお城。

この地の勢力者であった伴野氏の居城と言われているところである。

豊丘村の城としては珍しく城址碑や案内板も設置されているのだが、城内は猛烈なヤブである・・・。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/toyookamura01.htm#tomono
 

南城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月17日(月)04時49分56秒
返信・引用
  長野県豊岡村のお城。

豊丘村には城址が比較的多く残されているが、その中でも最大級のものである。

でありながら、城の歴史等は不明である。

おそらく伴野氏の戦国期の本城として築かれながら、武田氏の侵攻に撚り、最終的に未完成のまま放置された城郭ではなかったろうか。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/toyookamura01.htm#minami
 

阿島城原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)20時24分54秒
返信・引用
  これも喬木村のお城。

広大な台地上を区画した大規模な城郭であったと思われる。

しかし、現状では遺構は失われてしまっており、旧状を想像するのはやや難しい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/takaginagano01.htm
 

小川松下城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)20時23分20秒
返信・引用
  長野県喬木村のお城。

真浄寺の北側の山稜に築かれている。

大きく2つの郭があり、幅の広い堀切によって区画されている。

2郭は馬蹄形をしていて、外側に堀切や虎口、土橋を配している。

知久氏に属した小川羽生氏の居城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/takaginagano01.htm#ogawa
 

原ノ城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)18時28分8秒
返信・引用
  これも飯田市のお城。

飯沼城の近くにあり、飯沼氏に関連した城郭であったかと想定されている。

規模は非常に大きいものであるが、1郭を除いて遺構らしきものは市街地化によって失われている。

それでも道路がかつての堀跡ではなかったかと想像できる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasi03.htm#hara
 

飯沼城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)18時26分46秒
返信・引用
  これも飯田市のお城。

飯沼氏の居城と想定されている城郭であり、諏訪神社が主郭となっている。

かつては大規模な複数郭城郭であったようだが、諏訪神社の境内を除いて市街地化によって遺構は失われてしまっている。しかし、神社背後の土塁や周囲の堀は大規模である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasi03.htm#iinuma
 

上郷の古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)18時25分19秒
返信・引用
  長野県飯田市のお城。

台地縁部を利用したもので、市街地のために遺構はほとんど残されていない。

それでも城郭らしい雰囲気を感じ取ることはできる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasi03.htm
 

氏乗城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)17時23分29秒
返信・引用
  長野県喬木村のお城。

遠山氏との最前線に位置する知久家臣の羽生市の居城である。

1郭には神社が祭られているので、ここまでは参道を通って登って行くことができる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/takaginagano01.htm#ujinori
 

程野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)17時01分11秒
返信・引用
  長野県飯田市のお城。

遠山領と知久領との境界の程野地区にあり、遠山氏がこの地に進出してきた際の拠点となった城郭ではないかと想像されている。

城山の比高はそれほど高いものではないが、斜面が実に急峻である。直登する場合は注意を要する。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasi03.htm#hodono
 

中根城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)16時32分39秒
返信・引用
  これも飯田市(旧南信濃村)のお城。

比高100mの山上に築かれているが、山上近くまで林道が通っているので、すぐに到達することができる。

木沢地区の支配を任されていた遠山景道の居城と言われているが、けっこうなヤブの中に埋もれてしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasiminamisinano.htm
 

高平館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)16時28分52秒
返信・引用
  これも飯田市(旧南信濃村)のお城。

遠山氏の本拠地であった和田城のすぐ近くにあり、背後に山稜を抱いた城館出るという立地は和田城と共通する。

中心部にある約私道は。集会所として利用されている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasiminamisinano.htm#takadaira
 

十原館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)16時27分43秒
返信・引用
  これも飯田市(旧南信濃村)のお城。

遠山川を挟んで長山城と向かい合う位置にある。

館は集落よりも低い位置にあり、一種の穴城と呼ばれる構造である。

中心部にはその名も「城神社」が鎮座している。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasiminamisinano.htm#tohara
 

長山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)16時26分25秒
返信・引用
  長野県飯田市(旧南信濃村)のお城。

遠山川に臨む急峻な山稜上に築かれており、川の側からの要害性は高い。

やがて和田城に移って行くことになる遠山景広の初期の居城であったと言われている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasiminamisinano.htm#nagayama
 

満島城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)14時31分59秒
返信・引用
  長野県天龍村のお城。

和田城の遠山氏の領域の南端の抑えの城であった。

山稜の先端部が主郭であったと思われるのだが、民家の敷地となっていて、探索はできない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tenryuumura01.htm
 

新野の城山!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)13時09分49秒
返信・引用
  これも阿南町のお城。

新野にある城山であるが、あまり城郭らしい感じのものではない。

それでも城山というのだから関氏関連の城郭であったものだろう。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ananmati02.htm#niinohatiman
 

新野八幡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)13時08分49秒
返信・引用
  これも阿南町のお城。

関春仲の叔父にあたる春光の居城。

といっても寺院になっているので、城郭遺構は特にみられない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ananmati02.htm#niinohatiman
 

権現城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)13時07分10秒
返信・引用
  これも阿南町のお城。

関氏の最終的な古城である。

関氏の家老であった熊谷氏のご子孫が現在もこの城を守っている。そういうわけで、ここを訪れる際には熊谷の許可を得てください。

背後の山稜には関氏の墓石と八幡神社がある。

またその後ろにある堀切は非常に大きく掘られている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ananmati02.htm#gongen
 

上田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)13時05分23秒
返信・引用
  これも阿南町のお城。

矢草城から新たに居城として築かれた関氏の城郭であったという。

しかし、居城とするには手狭な城郭であるにすぎない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ananmati02.htm#ueda
 

八幡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)13時04分9秒
返信・引用
  これも阿南町のお城。

かなり山中に引っ込んだところにあり、緊急時の避難所として築かれた城であったと思われる。

全体に加工度は低いが、1郭の堀切には石積みが見られる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ananmati02.htm#hatiman
 

矢草城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)13時03分0秒
返信・引用
  長野県阿南町のお城。

この地域に勢力を延ばしていた関氏の居城の1つである。
関氏の城郭の中では最も規模が大きく、堀切には石垣も見られる。

かつて用いられていた井戸というのも残されている。

こうした城館群を築くのに民衆を酷使したために、関氏は民衆から離反されたと言われている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/ananmati02.htm
 

月瀬城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)08時03分4秒
返信・引用
  これも根羽村のお城。

一心寺が城址ということになっている。寺院は古くから存在していたようなので、武装寺院の一種なのかもしれない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nebamura01.htm#tukise
 

根羽女城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)07時56分48秒
返信・引用
  これも根羽村のお城。

根羽の中心部を見下ろす比高150mの山稜に築かれている。

雨が降ってきたのでどうしようかと迷ったのだが、山上まで神社の参道があるようなので登ってみることにした。

しかし、帰りは道を間違え、山中を彷徨することになってしまった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nebamura01.htm#me
 

根羽砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)07時50分14秒
返信・引用
  長野県根羽村のお城。

武田信玄によって築かれたのではないかと言われている。小規模ながらきちんと造成されているが、武田氏にしては技巧的なところがない。

近くに、信玄塚があるので、信玄と何らかの関係があったのかは間違いないのかもしれない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/nebamura01.htm
 

滝之澤城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)06時15分57秒
返信・引用
  長野県平谷村のお城。

天正10年、織田軍の侵攻に際して、下条氏信が迎え撃った激戦地であるという。

現地には大きな案内板が立てられている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/hirayamura01.htm
 

麦種城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月16日(日)05時33分7秒
返信・引用
  長野県飯田市のお城。

南北に細長い台地に築かれた城郭である。遺構はほとんど残っていないが、土塁らしきものが残存する。

久米ヶ城の出城の1つと想定されているものである。

この近くに模擬天守風の民家を見つけたのがうれしかったりする。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/iidasi03.htm#mugitane
 

観音寺山城

 投稿者:霄漢  投稿日:2019年 6月 9日(日)08時41分0秒
返信・引用
  竹田駅で看板があるとすれば、竹田城の北千畳の鞍部を経て東のピークが観音寺山城です。
「国史跡「竹田城跡 公式ホームページ 史跡竹田城跡保存活用計画  第3章 竹田城跡の概要」
「和田山町教育委員会 史跡竹田城」等
土田観音寺山城は、北6kmの土田にある城で竹田駅からは遠いと思います駅であれば和田山駅の方が最寄です。
現状の竹田城は中を自由に歩く事が出来ないので20年近く行っていないので、観音寺山城の看板の現物を見ていませんが。
 

Re: 竹田城付近の城?

 投稿者:タフオ  投稿日:2019年 6月 6日(木)07時03分26秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。
土田観音山城ですか
わざわざありがとうございます
 

Re: 竹田城付近の城?

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 6月 6日(木)04時16分53秒
返信・引用
  > No.6063[元記事へ]

タフオさんへのお返事です。

観音寺城という名称の城は全国各地に存在します。観音山といった名称の山が各地に所在するので、そこに城が築かれれば似たような名称になるのでしょう。

朝来市では土田観音山城というのがヒットします。これのことではないでしょうか。

https://ameblo.jp/inaba-houki-castle/entry-12301996110.html
https://ameblo.jp/inaba-houki-castle/entry-12301996110.html
 

竹田城付近の城?

 投稿者:タフオ  投稿日:2019年 6月 5日(水)23時29分57秒
返信・引用
  数年前の話ですが、竹田城から竹田駅に歩いて向かう途中、城の看板が見えました。
調べてみると、その城は観音寺城と出てきましたが、滋賀県の方の観音寺城の方が有名すぎて、詳しい情報がほとんどの出てきません。
どなたか詳しくお知りでしたら教えてもらってもよろしいですか?
 

Re: 佐賀の城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月27日(月)04時35分55秒
返信・引用
  > No.6061[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

今日は本当に暑かったですね。今週はこれからも暑い日が続きそうです。

佐賀の城ですか。勝尾城も岸嶽城も見どころの多い城ですよね。岸嶽城は、あれほどの高所の城ですが、けっこう上の方まで車で行けたので、思ったよりはアクセスしやすい城でした。

あと、佐賀の城だと、名護屋城関連の陣城群や、佐賀独特のクリークを利用した平城群などが見どころですよね。

LCCのおかげで九州の城は訪れやすくなってきているので、私も時間が取れれば、また九州の城を訪れたいところです。連休の跡なので、けっこう経済的な料金で行けたのではないでしょうか。

ホームページについては、個人で運営する環境が次第に厳しくなっているとはいえ、何とか継続できています。まだまだ当分は運営していくことになるんだろなあ・・・。

それではまたです。
 

佐賀の城

 投稿者:備前守長政  投稿日:2019年 5月26日(日)18時23分43秒
返信・引用
  季節を先取りしたような酷暑。如何お過ごしですか?

今、佐賀から福岡空港に向かう途中です。行ってきたのは、勝尾城、岸嶽城など。かなりへばりました。特に岸嶽城は遺構が広範囲にわたり、最後は朦朧としながら下りて来ました。でもどちらも見応えありました。

SNSは確かに日進月歩。ホームページについて、批判的な意見があることは承知しています。でも、やはり余湖さんのホームページ、参考になります。大変でしょうが、続けて頂けると助かります。

それではまた。取り敢えず暑くなり湿度も上がるので、秋まで泊まりがけの城廻は中断です。
 

リンク先の整理

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月26日(日)05時56分46秒
返信・引用 編集済
  リンクのページを確認してみて、リンク先が消滅してしまったページを整理することにした。
久しぶりに見てみると、いつの間にかアクセスできなくなってしまったページがけっこうあった。
特にgeocityの廃止に従って消滅してしまったページがいくつもある。google検索してみても発見できなくなったページについては削除することにした。移転もしなかったのかなあ。

昔からリンクしていたページが、知らないうちになくなってしまっているのを発見した時には、ちょっと寂しい気分になる。

ネット上での付き合いは、日常の生活で交わることがないので、消滅してしまったページの管理人たちがどういった状況なのかは全く分からない。

もしかすると、お亡くなりになっている方がいるのかもしれず、プロバイダとの契約が打ち切られて消滅したページもあるのかもしれない。

なんてことを考えると、自分のページも、いつか自分がいなくなったら、突然消滅してしまうこともあるんだろうなあ、と考えたりする。本とちがって、データベースのあるサーバーとの契約が打ち切られてしまったら、そこにあったものは消滅してしまう。geocityにあったたくさんのページも、そんな風にして消滅してしまっている。管理人が新たにデータを移転しなければ、それっきりである。

よく「ネット上に出回ったデータは完全に消すことができない」ということ言われる。確かに一面そうなのだが、紙媒体と違って、ネット上のデータは一瞬で消滅してしまうこともある、ともいえるのではないだろうか。

geocityについては、私も5つのアカウントをフルに活用していたため移転には手間がかかったが、それでも頑張ってすべて移行した。しかし、それだけの手間暇をかける気力がなくなった人も相当数いたのではないだろうか。

思えば、これまで何度も、サーバーの終了に伴って、ホームページのデータを移転してきた。特に@niftyのホームページサービスが終了になった際には「もうやめるしかない」と思ったこともあった。

これからずっと先も、このようなホームページを維持していくことができるのかどうか、なんとも言えない。未来を見通すことはできないよなあ。

ふと思ったのだが、個人ホームページサービスが衰退しつつあるのは、スマホの普及と関係があるのではないだろうか。スマホではSNSの使用は勝手がよさそうだが、普通のホームページを作成するのはかなり難しい。

ホームページを作成するためには普通のPCを用いてデータをつくり、FTP転送を行う必要がある。プロバイダとの契約も必要になるだろう。昔は当たり前のことだったのだが、スマホだけを使っている人にとってはけっこうハードルが高いことなのかもしれない。

そうなると、ホームページのあり方そのものも、検討していかざるを得ないのだろうか。よく分からないのだが。



 

Re: 自分は時代遅れか

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月22日(水)04時30分52秒
返信・引用 編集済
  > No.6058[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

23年間も続けているので、かなりの量になっています。特に余湖図に関しては、すでに6400城以上掲載していますから、これからこの量を越える図を持つページを個人で作成するのは、かなり難しいでしょうね。

継続することそのものが困難なようで、昔からやっている城のホームページで、現在でも定期的に更新されているものは、数えるほどしかありません。

特にgeocityがなくなったのは痛かったようで、リンク先のホームページのうちかなりの数のものが消滅しています。

今、悩みなのが、新たに余湖図を描くためには、泊りがけで遠征せざるを得ないことで、日帰りで行けるような城は、ほとんど描いてしまっていることです。まとまった休みがないと新規の城に訪れることができないんですよね。でも、その時間を作ることがけっこう難しかったりします。


 

Re: 自分は時代遅れか

 投稿者:ひづめ  投稿日:2019年 5月21日(火)07時38分36秒
返信・引用
  > No.6055[元記事へ]

> この世から、個人のホームページがなくなってしまったら、城の情報を的確に得るのに苦労してしまうのではないかと思う。

 『続・図説 茨城の城郭』の推薦文で高橋修先生からは、まさにそういう評価と励ましをいただきましたね。

> そういう意味で、「自分は世の中のお城好きの役に立つことをやっている」というのがモチーフとなっており、それで23年以上もホームページを運営しているのである。
> ちなみに、私にとって使えるお城のページの1番の要素は「位置情報がしっかりとしている」ということである。

 シンプルなパターンで続けてくれているので使い勝手がいいですし、変わらないことが価値あることです。

> そうした意味も含めて、自分は相も変わらずホームページを更新し続けているのである。自分が生きている限りは、これを続けていくことになるんだろうなあ。でも、時代遅れだと言われてしまうと、テンションがさがってしまうのであった・・・・。

 余湖さんのページが歴史の中に埋もれてしまって過去の人になっているならば、「時代遅れ」を甘んじて受けても良いでしょうけど、いまだにどこにも代わりがないデータベースです。余湖さんを超えるページが現れてくれたら、私も乗り換えてしまうかもしれませんけどね。
 

Re: 自分は時代遅れか

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月21日(火)04時36分34秒
返信・引用
  > No.6056[元記事へ]

ねこあたまさんへのお返事です。

自分がどこかの地域の城を訪問する際に、SNSを参考にすることはありません。有効な情報はやはりそれなりのホームページを参考にしています。

自分の意見の発信と、有用な情報の蓄積とは、やはり異なっているものなのでしょう。

米子城に限らず、明確な証拠がない場合は、いろいろな説が出るものだと思います。特に米子城の場合は、天守が2つあったので、いろいろと想像を巡らせると面白いのではないでしょうか。

 

Re: 自分は時代遅れか

 投稿者:ねこあたま  投稿日:2019年 5月20日(月)18時14分46秒
返信・引用
  > No.6055[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

単発的に情報を発信するというのであれば、SNSで十分でしょう。
ただデータベース的に知りたい私にとって、貴HPは極めて有意に感じるんですね。
未だに学校でHPの作り方とかをやっているとか、検定があるぐらいですから
階層的に、情報を入手したい人は必ずいるんだと思います。

更新するのは相当ご苦労があると思うんです。色々とおありでしょうが
無理のない範囲で。



それはそうとして、「伯耆米子城」(中井均編 ハーベスト出版)、歴史群像の2018年8月号で
各先生方が多様な見解を出されているのは、吉川氏・中村氏のおのおのの基本計画が、大きく
異なるにも拘わらず、次の城主に継承した継ぎ接ぎだらけの様相だからでしょうか。
それが、米子城の一つの面白さなんでしょう。
 

自分は時代遅れか

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月20日(月)04時51分37秒
返信・引用 編集済
  私は相変わらずホームページを更新し続けている。
しかし、このことに関して「まだホームページなんかやっているんだ? もう時代遅れだよ。今はTwitter、facebook、インスタの時代だよ」と言われることがある。

確かに、個人作成のホームページは衰退する一方のようで、天下のyahooまでもがgoecityを廃止してしまったのは、大きな転換点であったと思う。これによってかなりの数のホームページが失われてしまったのではないだろうか。個人でホームページを運営すること自体が、かなりの負担な時代になりつつある。

実は、Twitter、facebook、インスタのいずれも、だいぶ前からアカウントは持っている。しかし、ほとんど使っていない。

というのも「ホームページは時代遅れだよ」ということが私には理解できないのである。

なぜなら、ネット上で城のことを調べようとすると、依然として、それなりに作られているホームページの情報が一番役に立つからである。

この世から、個人のホームページがなくなってしまったら、城の情報を的確に得るのに苦労してしまうのではないかと思う。

そういう意味で、「自分は世の中のお城好きの役に立つことをやっている」というのがモチーフとなっており、それで23年以上もホームページを運営しているのである。

ちなみに、私にとって使えるお城のページの1番の要素は「位置情報がしっかりとしている」ということである。

どんなに内容が優れていたり、素晴らしい図面が掲載されていたとしても、どこにあるのか分からないような内容では、まったく役に立たない。遺構は自分の目で確かめられるし、図面も自分で書けばいい。だけど、場所が分からなくてはどうしようもないのである。

その次に重要なのはアクセス方法が掲載されているかどうかである。有名なお城ならともかく、ほとんどの中世城郭はろくに道もついていなかったり、むやみに歩き回れない私有地であったりする。車をどこに停められるかについても、重要なポイントである。ほとんどの城を車で回っているので、停められるところがなかったらどうしようもない。

苦労してヤブ漕ぎ直登して城址に到達したら、きちんとしたいい道が付けられていた、なんてことはざらにある。

一番悔しいのは、かなり時間をかけて直登して登ったところで、きれいな車道と遭遇した時である。こういう時は「ちゃんと調べておけばよかった」と切ない気持ちになってしまうのだが、意外とネットでそういう情報が得られない場合があったりする。

地図を見て「車で行けるいい道がある!」と期待していったら、輪留めがしてあって一般車両が通行できないケースもある。そういう事情も事前にわかっていたら、現場でがっかりせずに済むのである。

そうした意味も含めて、自分は相も変わらずホームページを更新し続けているのである。自分が生きている限りは、これを続けていくことになるんだろうなあ。でも、時代遅れだと言われてしまうと、テンションがさがってしまうのであった・・・・。
 

Re: 比企郡小川町の城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月19日(日)21時40分23秒
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  > No.6052[元記事へ]

myzardさんへのお返事です。

初めまして。埼玉のなかなか見どころのある城郭を回ったのですね。いずれもけっこう遺構が残されていて、訪れる価値のある城郭であると思います。

私の図は、出典さえ明記してあれば、ホームページ等で使用してもかまわないことにしてあるので、よろしかったら、myzardさんのページに掲載されてもかまいません。

それではまたです。

 

Re: この連休中にやったこと

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月19日(日)21時38分8秒
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  > No.6051[元記事へ]

ねこあたまさんへのお返事です。

> SSDにすると、ときどき一瞬動かない状況がありますね(プチフリーズと言うらしいですが)
>

そうですか。私は今のところ、そのような現象は出ていないようです。

1台のパソコンが、windowsを読み込むまでに2分ほどかかり、かなり起動が遅くなってしまっていたのですが、起動OSをネットワーク上から探す設定になぜか変更されてしまっており、biosを設定し直すことで解決しました。今では電源を入れて15秒でデスクトップ画面が立ち上がります。

SSDはまだ新しいものですから、実際に何年間の耐久性があるのか、どんなトラブルが出るのかについては、これからぼちぼちわかってくるのではないかと思います。

 

比企郡小川町の城

 投稿者:myzard  投稿日:2019年 5月19日(日)18時15分4秒
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  昨日、埼玉県小川町の四つの城(青山城、中城、腰越城、高見城)を制覇してきました。登城するにあたり、余湖さんのHPがとても参考になりました。私のHPを作るにあたり、余湖さんの縄張り図を引用してはいませんが、一応礼儀として参考にさせていただいたことを報告させていただきます。

http://csn.tokyo/index%20oshiro13-02.html

 

Re: この連休中にやったこと

 投稿者:ねこあたま  投稿日:2019年 5月19日(日)11時53分47秒
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  > No.6043[元記事へ]

SSDにすると、ときどき一瞬動かない状況がありますね(プチフリーズと言うらしいですが)
 

windows10のアップデートがうまくいかないときの対処法

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月18日(土)06時25分54秒
返信・引用 編集済
  windowsには自動アップデート機能が付いている。放っておけば勝手にアップデートしてくれるので、特に自分で何かやる必要はない。

ところが、まれにアップデートに失敗してしまうことがある。それも何度もである。何度も何度もエラーメッセージが表示されてくると、なんとも鬱陶しい。

5月の修正集積プログラムも自動的にアップデートされたのだが、1台のパソコンでのみ、何度やっても失敗してしまっていた(ほかのパソコンではうまくいっていたんだけど)。自動アップデートなので、勝手にインストールし、失敗するというのを延々繰り返すのである。

windowsには、エラーを修復するツールが用意されているのだが、それをやっても状況は変わらない。・・・っていうか、windowsの修復ツールって、修復に成功したためしがないのだが、これって本当に役に立つことがあるのだろうか。

「こうなったら手動でやってみるか」と思い、ネットで該当のアップデートファイルを自分でダウンロードして、手動でインストールしてみた。

すると、普通にインストールが完了した。自動では何度やっても駄目だったのに、手動でやれば、何のことはない、普通にできたのである。

というわけで、自動アップデートに何度も失敗する方は、手動でやってみるという方法が有効な場合もあるようだ。

自動になるのは便利なのは間違いないのだが、やはり最後は人の手の方が確実なのでは、と思った次第。

AIが普及して、自動運転だとか、自動制御装置などといったものがどんどん普及しつつあるが、技術なんてしょせんは人が作り出したもの、最後は人間の手でやる方が確実なのではないのかなあ、なんて思ってしまう。

自動運転は確かに便利なのだが、自分で運転しなかったら、車の運転も楽しくないような気がするのである。


 

百舌古墳群の世界遺産登録について思うこと

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 5月15日(水)05時24分59秒
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  先日来、このニュースをやっている。
こうして日本の遺跡が世界遺産に登録されていくのは、喜ばしいことと思うが、それを喜ぶ世間の人の思惑を聞いていると、ちょっと違和感を感じてしまう。

インタビューを見ていると「町おこしになる」「関連グッズが売れる」といったように、観光資源としてたくさんの来客が来て地元が潤うことを期待している人が多いように思う。

しかし、観光資源として、それだけの恩恵を地元にもたらすことができるものかどうか、疑問に感じるのである。理由は2つ。

1つは、見学できないことである。天皇陵墓はすべて立入禁止なので、外側から堀を眺めることしかできない。ピラミッドなどと違い、高さはあまりないので、外側から見たら、池と森にしか見えないだろう。果たして観光客が満足できるような見方ができるのであろうか。

以前、世界遺産登録された軍艦島を訪れたことがあったのだが、せっかく上陸しても見学できる箇所はほとんどなく、欲求不満な気持ちになったことがあったし、また行きたいとはとても思えなかった。

仲哀天皇陵や仁徳天皇陵は戦国期には三好氏の城郭として利用されており、仲哀天皇陵には二重の横堀や竪堀、枡形、櫓台なども残されているらしく、城郭マニアの私としてはぜひ見たくなってしまうところであるのだが、全く立ち入ることができないので、本当にそんなものが存在しているのか確かめるすべもない。

2つは、周囲に住宅地が密集しすぎていることである。これは先日、現地の古墳利用城館を見学しようとして思ったことなのであるが、堀のすぐ脇まで住宅が密集しており、周辺の道路は狭く、車を停めて置けるところもない。土地勘のない人は、どこをどう歩いて行けばたどり着けるのかもよく分からないだろう。世界遺産を見学したいという人は、おそらく歴史を感じる雄大な遺構を見たいと思っているのではないか。しかし、実際に見られるのはほとんど込み入った都会の住宅と私有地ばかりである。
テレビでは「現在の民家と古代の遺跡が共存している姿が素晴らしい」とか言っていたが、要するに遺跡の周辺部まで都市化が進んでしまっただけのことであり、それが果たして見どころなのであろうか。私には二律背反している要素にしか思われない。

百舌古墳群は、遺跡としては貴重なものであり、素晴らしいものであるが、見学するには向いていない。
だから、これによって町おこしをしたり、観光資源として利用するのは、ちょっと難しいのではないかと思うのである。

話は変わるが、日本のこうした遺跡をユネスコが積極的に世界遺産登録しようとしている背景には、中国や韓国の戦争関連資料の登録に反発してユネスコ脱退を匂わせている日本に対する、おもねりがあるように感じてしまうのはうがちすぎであろうか。日本の分担金がなくなればユネスコの運営が難しくなることは間違いないからである。

そうした政治的な背景なども考えてしまうと、「世界遺産といってもなあ」などと感じてしまうのである。

 

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