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西勝寺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)06時47分20秒
返信・引用
  これも南砺市のお城。

桑山城に向かう林道の途中にあるので、桑山城の入口を監視するための番所だったのではないかと思われる。

鋭い堀切など、一通りの遺構を有している。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/nantosi02.htm#saishouji
 
 

桑山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)06時46分7秒
返信・引用
  これも南砺市のお城。

地図にも掲載されている桑山に築かれている。山頂近くまで林道が付けられているが未舗装なので運転には注意。熊にも注意!

横矢の張り出しを伴った堀が残されている。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/nantosi02.htm#
 

柴田屋館!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)06時11分46秒
返信・引用
  これも南砺市のお城。

柴田の日吉社が館跡であるが、神社の建立のためにだいぶ改変されてしまっているようだ。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/nantosi01.htm#sibataya
 

才川城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)06時10分6秒
返信・引用
  これも南砺市のお城。

比高30mの台地を加工し、二重堀切で区画した城郭である。

すぐに台地上に登ることができるが、一面のヤブである・・・。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/nantosi01.htm#saikawa
 

上見城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)06時08分44秒
返信・引用
  これも南砺市のお城。

台地上に土塁で囲まれた2つの郭があり、井戸などもよく残されている。

比高20mなので、すぐに登れる。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/nantosi01.htm#uwami
 

宗守城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)06時07分27秒
返信・引用
  これも南砺市のお城。

宗守の神明社が城址であるが、現状では規模が非常に小さい。

かつてはもっと大きな城域を有していたようだ。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/nantosi01.htm#munemori
 

井波城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)06時06分4秒
返信・引用
  富山県南砺市のお城。

井波八幡宮が城址である。平城ではあるが大規模な土塁や水堀などが残されている。

一向宗が築いた城であったという。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/nantosi01.htm
 

隠尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)04時07分1秒
返信・引用
  これも砺波市のお城。

その名称の通り隠れ里のような場所にある。

廃村となった集落に入り込むと、城の案内板が見えてくる。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/tonamisi02.htm
 

小倉の土居!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)04時05分48秒
返信・引用
  富山県礪波市のお城。

水田中に墓地になった土塁だけが残っている。

http://mizuki.my.coocan.jp/toyama/tonamisi02.htm#ogura
 

Re: 西尾城二之丸丑寅櫓完成記念講演会

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 8月 2日(日)04時04分39秒
返信・引用
  > No.6739[元記事へ]

ハムスターさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。新たに櫓も復元されたようで、時間が取れたら行ってみたいですね。
 

西尾城二之丸丑寅櫓完成記念講演会

 投稿者:ハムスター  投稿日:2020年 7月30日(木)23時28分37秒
返信・引用
  西尾城二之丸丑寅櫓完成記念講演会

日時 9月5日(土) 午後1時開演
場所 西尾市文化会館小ホール(西尾市山下町泡原30)
第1部 講演会
「建築学からみた西尾城」/三浦正幸氏(広島大学名誉教授)
「縄張りからみた西尾城」/中井均氏(滋賀県立大学教授)
第2部 お城鼎談
三浦正幸氏、中井均氏、クリス・グレン氏(ラジオDJ/城郭愛好家)
定員 100人(申込多数時は抽選)
入場無料。資料代500円
申込 8月18日(必着)までに、往復はがき(往信面…氏名、電話番号 返信面…郵便番号、住所、氏名)で西尾市文化財課「西尾城講演」係(〒445・0847西尾市亀沢町480)へ。
ハガキは一枚につき一人
問合せ
西尾市教育委員会文化財課(0563 56・6660/岩瀬文庫内)
 

Re: 宮城川崎の山城

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月15日(水)20時38分52秒
返信・引用
  > No.6736[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

初めまして。ページ拝見しました。写真も図もきれいでいいですね(^^)

何よりも地元愛が感じられるのが素晴らしいと思います。

私のページからリンクを貼らせてもらいました。お友達のリンクの全国版・他地域のところです。

宮城の城はまだまだ回っていないので、今度訪れる時に、参考にさせていただきたいと思います。

http://yogokun.my.coocan.jp/rink.htm

それではまたです。
 

すいません

 投稿者:初心者  投稿日:2020年 7月15日(水)16時08分6秒
返信・引用
  すいません。URLを入れる前に投稿されてしまいました。
HPは
http://kawasaki-rekisi.jimdofree.com/

http://kawasaki-rekisi.jimdofree.com/

 

宮城川崎の山城

 投稿者:初心者  投稿日:2020年 7月15日(水)16時03分43秒
返信・引用
  はじめまして。数年前より余湖くんのホームページを拝見して、縄張り図をたよりに東北の山城を見て廻っています。まだまだ城マニアの初心者ですが、宮城・山形・岩手はホームページのベスト10は登城しました。秋田・青森も少しずつ。関東も出張の時にいくつか。
そして自分も地元の山城を紹介したいと思い、ホームページを作ってみました。
つたないHPですが、もっと川崎町の宝「城跡」を皆さんに知っていただきたいです。
ホームページは下記になります。ご意見いただけたら幸いです。
 

Re: 暑くはないですが、、、

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 8日(水)20時56分9秒
返信・引用
  > No.6734[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。お元気にお過ごしでしょうか。

このところ、涼しいのはいいのですが、大雨の被害が全国的にひどいですね。「数十年に一度の」と言っていますが、毎年のように言われると、「数十年」の重みがまったく感じられません。

これも温暖化の影響なのでしょうか。

早く梅雨が明けてくれることを祈っています。
 

暑くはないですが、、、

 投稿者:ひづめ  投稿日:2020年 7月 8日(水)07時27分54秒
返信・引用
  この時期は暑さが堪えるのが恒例ですが、今年は雨風激しい代わりに気温は抑えられ例年と違います。
梅雨明けが待ち遠しいですが、暑さが来るのはいやですね。
くれぐれもご自愛ください。
 

塩野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 4日(土)14時24分58秒
返信・引用
  これも御代田町のお城。

一見ただの畑だが、よく見ると堀や城塁が残されている。

平城であるが、複数郭を有した城館であったようだ。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/miyotamati01.htm#siono
 

針木沢城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 4日(土)14時24分3秒
返信・引用
  これも御代田町のお城。

馬瀬口城のすぐ西方にある。明瞭な遺構はあまり見られないが、十石城や1郭周囲の土手は天然切岸状態の要害となっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/miyotamati01.htm#harikizawa
 

馬瀬口城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 4日(土)14時22分45秒
返信・引用
  これも御代田町のお城。

周囲を切り立った崖に囲まれた台地全体が城址ということであるが、本当に城であるのかどうか、疑問もある。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/miyotamati01.htm#maseguti
 

戸谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 4日(土)14時21分44秒
返信・引用
  これも御代田町のお城。

小田井城の西方にあり、その支城であったと言われる。

3郭構造の城だが、堀の多くは埋め立てられてしまっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/miyotamati01.htm#toya
 

小田井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 4日(土)14時20分38秒
返信・引用
  長野県御代田町のお城。

地方豪族の居館に似合わない巨大城郭である。側面部は小諸城のような寝食崖となっていて登攀不可能。

巨大な二重堀に丸馬出しの原初的形状が見られることから武田氏の改修が考えられるが、天正壬午の乱で北条氏も使用していたという。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/miyotamati01.htm
 

備前屋敷館!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 3日(金)04時12分24秒
返信・引用
  これも軽井沢町のお城。

堀を巡らせた単郭の豪族館といった趣の城であるが、別荘となっているので立ち入ることはできない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/karuizawamati01.htm#bizen
 

油井中屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 3日(金)04時11分10秒
返信・引用
  これも軽井沢町のお城。

屋敷と言っているが、実際には堂々たる城郭である。

並行する2つの台地に2つの城址が埋もれている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/karuizawamati01.htm#aburai
 

城山見晴台!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 2日(木)04時06分38秒
返信・引用
  長野県軽井沢町のお城。

碓氷峠城の近くにある。城山と言われているが、見晴台になった際に改変されてしまったのか、城郭遺構らしきものは見られない。

しかし、眺望はとても良い。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/karuizawamati01.htm
 

碓氷峠城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 7月 1日(水)04時20分54秒
返信・引用
  群馬県安中市(旧松井田町)のお城。

碓氷峠を通る中山道を抑えるための番所として築かれた城だったと思われる。

堀や土塁などは明確に残されているのだが、防御力は弱い。

城内は墓域として使用されていたようで、あちこちに転がっている墓石が薄ら寒い気持ちにさせる。

http://yogochan.my.coocan.jp/gunma/annakamatuida03.htm
 

Re: 多古城

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月22日(月)04時31分50秒
返信・引用 編集済
  > No.6723[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

多古城の堀の大きさにはびっくりしますよね。おそらく享徳の大乱の頃の遺構なのだと思われますが、その時代の城にあんな箱堀があったというのが意外な感じです。

あそこは以前は竹ヤブが密集していて、堀底に降りると昼間でも薄暗くて不気味だったんです。ゴミもたくさん捨てられていたし・・・。本当に保存活用会の皆さんに感謝です(^^)
写真を見ると、先週からさらに草を刈ってくれたようですね。

保存活用会の皆さんとも行き会われたんですね。私も先週お目にかかりましたが、本当に多古町の活性化のために努力されていて素晴らしいです。

それではまたです。
 

多古城

 投稿者:k23  投稿日:2020年 6月21日(日)22時55分9秒
返信・引用
  本日、多古の並木城と多古城を見学して来ました。ほぼ原型をとどめている並木城が本来の目的でしたが多古城の空堀も予想以上のものでした。

偶然に保存活用会の方々と会って楽しいひと時を過ごせました。もちろん余湖さん来訪時の話題もでてきました。

多古城のきっちりエッジのでた箱彫りが意外にも良かったです。一部しか残存していないのが残念でなりません。

しかし、ライトアップとかしたらかなり栄えるのでは?とか平らなのでテント貼って一晩過ごしたいとか妄想してしまいました。

いずれにせよ保存活用会の皆さんの努力に感謝ですね。
 

水戸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月20日(土)16時41分20秒
返信・引用
  久しぶりに水戸城にも訪れてみた。

水戸城では大手門や土塀が復元され、二ノ丸隅櫓も復元中である、ということで早くいってみたかったのだが、コロナによる県外移動自粛のため出かけられないでいた。

昨日それがやっと解除されたので、足慣らしにちょっと水戸まで行ってきた。

久しぶりに見る水戸城は・・・やっぱりでかい! 台地を分断する大堀切は超弩級である。石垣こそはないが、その規模は御三家の居城にふさわしいものである。

http://otakeya.in.coocan.jp/info02/mito.htm
 

安川城・国井堀切!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月20日(土)16時38分32秒
返信・引用
  水戸市のお城。

安川城(国井城)は茨城県遺跡地図に掲載されていなかったため、場所を特定できないでいたが、現在は立派な案内板が設置されているようで、訪れてみた。本当はもっと早く来てみたかったのだが、コロナのために遅くなってしまった。

ただし遺構は昭和18年に破壊されてしまったとのことで、遺構らしきものはほとんど見られない。

安川城の南側600mほどのところに堀切があるという掲示板での情報を得て、こちらも見てきた。確かにしっかりとした堀切が残されている。

台地のネック部を街道に垂直になるように掘り切っていることから、稲敷の街道閉塞堀切のようなものである。安川城の遠堀のようなものであったろうか。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/mito.htm#yasukawa
 

Re: 久しぶりに書き込みます

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月14日(日)18時55分48秒
返信・引用
  > No.6717[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

ツイッターは10年前には登録していたのですが、まったく使っていませんでした。というのも1回あたりの文字数制限が厳しいから。

でも、これはこれなりに面白いのかなと思っています。

HPはHPの良さがあり、情報をきちんと発信していくには、HPの方が有効だと考えています。

今後は両方を併用していこうかな、と。

コロナ患者がまた増えつつありますが、気を付けてお過ごしください。
 

多古の城の御城印

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月14日(日)18時52分48秒
返信・引用
  道の駅多古では、多古城、並木城、志摩状の御城印が買える。

売店の前には、それを記念する幟が立てられていた(^^)/
 

南並木城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月14日(日)18時50分27秒
返信・引用
  これも多古町のお城。

保存活用会の皆さんのおかげで、ヤブが刈られ堀底がよく見える状態になっている。今後、案内板の設置や巡回コースなどの案内も付けられていく予定である。

改めて見てみると、南並木城の堀はかなり規模が大きい。

http://mizuki.my.coocan.jp/yogokun/minaminamiki.htm
 

久しぶりに書き込みます

 投稿者:みよさん  投稿日:2020年 6月14日(日)18時28分22秒
返信・引用
  こんにちは。
新型コロナの猛威には驚くばかりです。

ツイッター、始められたのですね。SNSでの交流が主流となってきた昨今、よりたくさんの方々との出会いが生まれそうで、これからのご活躍、楽しみです。
以前、この掲示板で、HPは時代遅れかというようなことも口にされたことがあったように記憶しています。HPサービスの問題もあり、ツイッターに活躍の場を移され、HPやブログを閉鎖される方もおられるとも聞きます。
運営等大変とは思いますが、古くからお世話になり、スマホもない私としては、このページをこれからも続けていただけますようお願いするばかりです。

では、お仕事もお城巡りも、この状況では大変と思いますが、お身体に気をつけてご活躍ください。

 

多古城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月14日(日)17時57分4秒
返信・引用
  千葉県多古町のお城。

破壊が進み、わずかに残る堀跡もヤブに埋もれてしまっていたが、2020年、多古城郭保存活用会が発足し、ヤブが払われ、案内板も設置されていた。保存活用会の方の案内で、本日見学してきた。

近くの道の駅多古では、多古の城郭の御城印も発売されている。

今、多古町の城郭が熱い!

http://yogokun.my.coocan.jp/tako.htm
 

Re: ご無沙汰しております。

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2020年 6月 9日(火)06時21分10秒
返信・引用
  ひづめさんへのお返事です。
一度お会いしてからもう4年近く経つんですね。なかなか県南の方の城郭には行く機会がないのですが、いつかご一緒できたらいいな、と思ってます。
@kasutenさんはひづめさんだったんですね!プロフィールに霞ヶ浦とあったのでもしかしたら、と思ってました。
これからもよろしくお願いいたします。
 

Re: ご無沙汰しております。

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2020年 6月 9日(火)06時12分21秒
返信・引用
  ありがとうございます。
頑張ります。
また城巡りご一緒できたら嬉しいです。
 

Re: ご無沙汰しております。

 投稿者:ひづめ  投稿日:2020年 6月 8日(月)20時58分50秒
返信・引用
  > No.6711[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さん

横入りで失礼します。
2016年の『佐竹時代の城と寺』展示会場でニアミスしているのですが直接お話をしたことはありませんね。余湖さん、あおさんたちと同じ茨城城郭研究会事務局のひづめです。先日はTwitter(@kasuten)をフォローしていただきありがとうございました。プロフィールから城好きな眼鏡小僧さんに違いないと思いフォローさせていただきました。これからもよろしくお願いします。
 

Re: ご無沙汰しております。

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月 7日(日)07時16分41秒
返信・引用
  > No.6711[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

新規城館のレポート、拝見しました。なかなか興味深かったです。

新規発見で、まだ未見の城館が増えてきましたので、県外に移動可能となったら、少し回ってみたいと思っています。

これからも頑張ってください。

それではまたです。
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2020年 6月 6日(土)21時17分3秒
返信・引用
  Twitterでフォロー、リプ、いいねをして下さりありがとうございました。
これからも頑張ります、よろしくお願いいたします。
 

Re: ご無沙汰しております。

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月 6日(土)18時43分24秒
返信・引用
  > No.6709[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

なるほど「城郭@右京太夫」でしたか。眼鏡小僧さんらしいですね。

私の方からもフォローさせていただきました。

本日の調査結果、楽しみにしています!
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2020年 6月 6日(土)10時01分16秒
返信・引用
  Twitterは「城郭@右京太夫」という垢名で運営してます。

調査の結果はまた後ほど書きますのでよろしくお願いいたします。
 

Re: ご無沙汰しております。

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月 6日(土)03時44分27秒
返信・引用 編集済
  > No.6707[元記事へ]

城好きな眼鏡小僧さんへのお返事です。

> 城里町の孫根仲丸城、錫高野城の内など何か所かの位置が分かりました。
> 明日現地調査予定です。

ご無沙汰しております。見つかりましたか! 私も調査に行きたいところなのですが、まだ県境をまたげない状況なので行けません。

詳細が分かったら、後で教えてくださいね!

twitterのアカウント、わかりませんでした。こちらも後で教えてください。
 

ご無沙汰しております。

 投稿者:城好きな眼鏡小僧  投稿日:2020年 6月 5日(金)22時17分58秒
返信・引用
  こんばんは。
城里町の孫根仲丸城、錫高野城の内など何か所かの位置が分かりました。
明日現地調査予定です。

あと、Twitter開設しました。フォローさせていただきました。
 

Re: 二条山館

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月 5日(金)19時33分12秒
返信・引用
  > No.6705[元記事へ]

マリンブルーさんへのお返事です。

追加情報、ありがとうございます。私は現地にいた方に声をかけているので(2002年頃のことですが)、あるいは許可をしていると認識されているのかもしれないです。

削除要請が来ましたら、「私有地なので無断立入厳禁です」ということを明記することで、なんとか掲載許可いただけないかお願いしてみるつもりです。

城址は基本的には私有地ですから、見学の際はいろいろと配慮が必要です。中世城郭ブームのため、予想外にたくさんの人が訪れたり、態度の悪い人がいたりすると、所有者の怒りを買ってしまうこともあるかと思います。

これはみんなで気を付けなければいけないことですね。
 

Re: 二条山館

 投稿者:マリンブルー  投稿日:2020年 6月 5日(金)05時20分58秒
返信・引用
  > No.6704[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

ツィッター投稿も拝見させていただきました、フォローさせていただいています。

昨日、自分が確認した限りでは、ネットで、二条山館を検索して、ヒットしたサイトで、検索上位に来たサイトにコメントしてくださったようです。

コメントが確認できたサイトは、私を含めて二件でした。

もしかすると、余湖さんのサイトにも、連絡があるかと思ったので、ご報告させていただきました。

動画サイトに、動画も投稿されていますし、Googleマップにも、戦国時代の館跡として載っていますので、以前よりも、見学される方が増えてしまったのでしょうか。

今後、地権者さまの方で、立ち入れないような対応をお取りになるかもしれません。現状、特に連絡を求められているわけでもないので、静観しますが、私有地との境目の判断も難しく、今後も注意したいと思います。

ありがとうございました。




 

Re: 二条山館

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月 5日(金)03時31分56秒
返信・引用
  > No.6703[元記事へ]

マリンブルーさんへのお返事です。

こんにちは。そんなことになってしまっていましたか。かつては自由に入れたのですが、残念です。いろんな人が訪れるようになると、中にはマナーの悪い人もいたのかもしれません。

二条山館は二重の横堀を持つ構造から、佐竹氏の陣城ではないかとも考えられる城で、なかなか見どころもあるのですが、これからは気楽に訪れることはできなくなりそうですね。

情報ありがとうございました。
 

二条山館

 投稿者:マリンブルー  投稿日:2020年 6月 4日(木)10時02分57秒
返信・引用
  茨城県石岡市の二条山館ですが、城跡のある丘陵が、私有地で立ち入り禁止のようです。

私のサイトに、「勝手に入られては困る、画像、情報を削除してほしい」旨、コメントがありました。

ご報告いたします。

私のサイトでは、記事を非公開にしました。
 

Re: (無題)

 投稿者:大阪人  投稿日:2020年 6月 4日(木)07時56分12秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。

こちらこそありがとうございます(^o^)
ベスト100城も一緒に近所の本屋さんで予約してきます。

いつもお供してお城見学しています♪
インスタグラムに、載せてます★笑
#家族でお城

7も楽しみにしています。

ありがとうございました!
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 6月 4日(木)03時52分58秒
返信・引用
  > No.6700[元記事へ]

大阪人さんへのお返事です。

初めまして。『廃城をゆく』ご購入いただいてありがとうございます。少しでも城巡りのお役に立てば幸いです。

旦那さんのために本を買ってあげるなんて、素敵な奥さんですね(^^)/。城巡りのお供も、ぜひご一緒してあげてくださいね。

昨年出た『廃城をゆくベスト100城』は、大きさがコンパクトで、すべての城に縄張り図が付いていますので、お城巡りのお供にはとても便利になっているかと思います。

今年中には『廃城をゆく7』も出る予定なので、よろしければお願いします。

それではまたです。
 

(無題)

 投稿者:大阪人  投稿日:2020年 6月 3日(水)20時36分49秒
返信・引用
  はじめまして

城好き夫の誕生日プレゼントに
廃城をゆくを4以降まとめて買う予定です(^o^)★
(3までは家にあります)

縄張り図を持って山城へよく行くのですが、
この状況なのでなかなか行けず…
でもこの本で楽しめます!
素敵な本をありがとうございます。
 

Re: 城ラマ

 投稿者:k23  投稿日:2020年 5月31日(日)23時01分26秒
返信・引用
  > No.6698[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

ありがとうございます。もちろんイメージしやすい縄張り図あっての模型です。

地元のこじんまりとした砦跡や単郭の城は好きです。下総のマイナーな戦国史の片隅で乱世を生き抜こうとした人々の証のような…

もちろん全体をイメージしやすく、立体化する場合には作りやすいモチーフでもあります。それでは機会がありましたらまた!
 

Re: 城ラマ

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 5月30日(土)21時04分58秒
返信・引用
  > No.6697[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

おおっ! これリアルによくできているじゃないですか!

イメージ通りです。こんな立体模型を作れるというのも才能ですね~。

飯高天神砦のような無名な城館が模型化されるとは、感無量ですねえ。
 

城ラマ

 投稿者:k23  投稿日:2020年 5月30日(土)19時52分30秒
返信・引用
  余湖さんの書いた飯高天神砦の縄張り図を模型化してみました。縄張り図の立体化ということで正確なミニチュアではなく
イメージモデルと言った所でしょうか?一応1/2000相当で横にならんでいるのは同スケールの戦艦金剛です(笑
現役時代をイメージして建物や推測で土塁を追加しました。食い違い虎口は悩んだ末に平虎口にしてしまいました。
こうして立体にしてみると2郭にも堀切が欲しいですね。今回は現状を優先して追加はしませんでしたが…
高低差や全長は地理院地図を参考にしましたが、本来の地形と縄張り図、見た目のイメージの辻褄あわせに悩みました。
 

Re: 茨城町沼前館

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 5月23日(土)03時41分55秒
返信・引用
  > No.6695[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。情報、ありがとうございます。

常光院の西方の台地ですね。私が以前探した場所もまさにここだったのですが、遺構を見つけられませんでした。見落としてしまったのでしょうか。

茨城には未訪問で訪れてみたい城がいくつかあるのですが、県境をまたげないという状況の中でなかなか出かけられません。そうしているうちに真夏になってしまいそうですね。

はやく県境を越えて出かけられるようになりたいものです。

それではまたです。
 

茨城町沼前館

 投稿者:50storm  投稿日:2020年 5月22日(金)19時10分35秒
返信・引用
  お世話になっております。
茨城町で、余湖さんが見つけられなかった沼前館の場所がわかりました。

36.2587497、140.4644483

是非訪れて見てください。
 

紺碧の空

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 5月21日(木)20時43分37秒
返信・引用
  最近、朝ドラで「紺碧の空」のことをやっているので、なんとも懐かしくなった。
口ずさんでみたのだが、後半部分が歌えなくなってしまっていた! 学生時代はしょっちゅう歌っていたはずなのに・・・。
そこでyoutubeで見て聞いてやっと思い出した。
そうだ、こんなんだったなあ、昔はコンパの終わりに必ず肩を組んで歌っていたことを思い出して懐かしい気分になった。
 

Re: 国井城について

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 5月 5日(火)18時43分54秒
返信・引用
  > No.6692[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。そちらの職場は何かと大変だと思いますが、いかがお過ごしですか。

さっそく国井城、見に行ってくださってありがとうございます。

私も行ってみたいのですが、この状況で県外に出るのはまずいので、残念な思いをしています。

案内板のある場所、分かりましたか? わずかに土塁が残っているのですね。1947年の航空写真を見てみたのですが、土塁と堀はよく分かりませんでした。後でもう一度見てみたいと思います。

掲示板で教えていただいた堀と土塁というのは、地形図を見ると、まさに遠堀のあるような位置で、いわゆる街道閉塞堀切の一種であったかと思われます。

この部分で掘り切ると、南部にある七つ洞公園のある辺りが、ちょうど城郭的なまとまりになっているのですが、土塁はこの外側に付いているようですので、国井城の遠堀であったと見るのがよいでしょう。

国井城がどのような形状であったのか、できれば復元してみたいものですね。
 

国井城について

 投稿者:50storm  投稿日:2020年 5月 5日(火)15時27分28秒
返信・引用
  > No.6691[元記事へ]

ご無沙汰しています。お元気にお過ごしでしょうか。

上記の件について、勝手に調べてきました。

まず、国井城の看板場所

36.446033, 140.436331

ここにあります。

ここが1947年航空写真で土塁と堀のようなものが見られました。今では、99パーセント遺構は消滅しています。1パーセントですが、この看板の奥に土塁の残りが3m程度残っています。

また、堀状のものですが、西側に向かって広がっています。直ちに城跡かどうか判断は難しかったです。

このような回答で申し訳ありません。この遺跡は、軍民坂遺跡として古代から中世にかけての複合遺跡になっています。





余湖さんへのお返事です。

> 誰かさんへのお返事です。
>
> 私が見つけたのは以下のページです。
>
> https://ameblo.jp/kakitabetaine/entry-12529351803.html
>
> ここに掲載してある看板は平成30年に設置したもののようなので、最近のものですね。
>
> ただ、この記事には位置情報がないので看板のある場所は分かりません。いばらきデジタルマップも見たのですが、安川城もしくは国井城は掲載されていませんでした。
 

Re: 余湖さんへの返信

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 5月 4日(月)15時15分16秒
返信・引用
  > No.6690[元記事へ]

誰かさんへのお返事です。

私が見つけたのは以下のページです。

https://ameblo.jp/kakitabetaine/entry-12529351803.html

ここに掲載してある看板は平成30年に設置したもののようなので、最近のものですね。

ただ、この記事には位置情報がないので看板のある場所は分かりません。いばらきデジタルマップも見たのですが、安川城もしくは国井城は掲載されていませんでした。
 

余湖さんへの返信

 投稿者:誰か  投稿日:2020年 5月 4日(月)15時08分7秒
返信・引用
  案内板まであるなんてしりませんでした
今の地図はどうか分かりませんがちょっと前の地図にはのってましたよ鹿嶋神社

この場所には戦時中飛行場が作られたらしいのでほぼ遺構は残ってないと思いますが自分もまた機会があったら確認してみたいと思います
お返事ありがとうございました。
 

Re: 国井城(安井城?)

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 5月 4日(月)03時40分4秒
返信・引用
  > No.6688[元記事へ]

誰かさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。このような浄法があったらすぐにでも行ってみたいところなのですが、このような情勢なので、県外へのお出かけは控えています。だから、コロナが収まらない限り、出かけられません(xx)

国井城(あるいは安川城)については、『茨城県遺跡地図』に掲載されていなかったため、これまで場所を特定できていなかったのですが、『城郭体系』などには記載されていて、どこかに埋もれているんだろうなあと思っていました。

写真を見た限りでは、土塁と堀がありそうな雰囲気が見えていますね。この場所を航空写真で見てみたら、台地の東西に木が生えている部分が直線的に延びているようで、街道閉塞堀切に近いもののように思われます。

ネットで探してみたら、国井にある安川城について案内板も設置されているようで、地元ではちゃんと認識されている城址のようです。

『城郭体系』では「本丸の北200mのところに鹿嶋神社がある」とあるのですが、地図を見た限りでは鹿嶋神社は見当たらないですね。

茨城で未踏の城館がいくつか発見されているようなので、出かけてみたいのはやまやまなのですが、いつになるやら・・・ですね。

情報、ありがとうございました。
 

国井城(安井城?)

 投稿者:誰か  投稿日:2020年 5月 4日(月)02時01分20秒
返信・引用
  はじめまして
ここ最近はまったく情報を追ってないのでもし周知の話でしたら申し訳ありませんが
茨城の水戸の国井城の遺構らしきものをたまたま見かけたのでお知らせだけさせていただきますね
車で通りながら見ただけなので詳しくは分かりませんが低い土塁と薬研堀が確認出来ると思います
世間が落ち着いて機会がありましたらいらしてみて下さい。
?
https://goo.gl/maps/YUcLRtfVgQFvTBh99
 

日本の名城VR体感BOOK!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月29日(水)12時05分48秒
返信・引用 編集済
  表記の本の献本が送られてきたので紹介します。昨日双葉社より出版された本です。
名城をVR体感できるように構成されています。
お城識者の「行くべき城」アンケートに協力しました。
コロナのためお城に出かけられないマニアの皆さん、この本で、お城に行った気分になってみませんか?
 

Re: 殿内館

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月26日(日)04時07分7秒
返信・引用
  > No.6685[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

いえいえ、情報いただいて感謝しております。

殿内館も山倉城も、一度、テキトーに見たきりで、そのまんまにしていたものですが、再訪する機会を得たので、よかったと思っています。

千葉県内の城は20年以上前にざっと歩いて、それっきりになっているものが多いです。この時期、他県に行くのは憚られますが、同じ県内で、人にまったく合わないような時間帯でしたら、なんとか外出できそうなので、そういう場所に行くしかありません。

他県の城を回る計画を立てていたのですが、まだまだ無理そうですね。はやく収束してほしいいものです。
 

Re: 殿内館

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月25日(土)21時43分6秒
返信・引用
  > No.6684[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

自分の稚拙な質問でご足労させてしまい申し訳ありません。それでも丁寧に見て頂き、縄張り図も…恐縮です。

自分としても斜面の坂虎口風地形?が気になり、つい質問してしまいました。
周辺を歩き回った印象として台地上には関連付けできる地形が何もなかったので、この掲示板に書込む程では無いと思っていたのですが…
お墓の名前と家紋を見た時には小田原の役以降、帰農した千葉氏の子孫が現在も生活してるのだろうか?と想像できたのが収穫でした。
余湖さんのリポートを読んでいて分かりましたが確か?お墓に府馬の名前があったと思います。そう言うことか!と納得しました。

> ただし、民家だらけで、勝手に立ち入れない場所ばかりですが・・・・・・。
山倉城の方も散歩がてら確認しに行きました。確かに民家が多く詳細は分からないですね。改変も多いと思います。
自分も「1郭3郭間の道は堀切?」程度は予想していましたので余湖さんと同じ見解なのは嬉しいですね。
細かい部分までの目配りは流石です。余湖さんのリポートを参考に再度、山倉城の方も歩いてみようと思います。
もう少しマシな場所に運よく訪問できれば、懲りずに投稿したいと思いますのでお付き合いください。
 

Re: 殿内館

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月25日(土)11時18分19秒
返信・引用 編集済
  > No.6683[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

気になってしまったので、今朝5時に殿内館の西側台地部分に行ってみました。早朝で誰にも会わなかったので、このくらいのお出かけは許容範囲内でしょう。

ということで、一応図化してみたのですが、明確な遺構はありませんでした。したがって、本当に城館なのかどうかも怪しいところです。ただ、削平はされていたので、屋敷程度のものはあったのかもしれません。

http://yogokun.my.coocan.jp/tonouti.htm

今になって気が付いたのですが、k23さんの言われていた南側の坂虎口状の部分は、見忘れてしまっています。申し訳ない・・・。でもまあ、主体部がこんな具合ですから、斜面部分は遺構ではないと思います。

ついでに、すぐ隣の山倉城も再訪してみました。こちらはすべての郭が民家になっているので、勝手に立ち入れないところばかりなのですが、民家の脇に土塁が残存しているのを見つけました。櫓台のように見えました。

ただ、早朝5時半で、不審者扱いされるのも嫌なので、土塁の上までは確認していません。

http://yogokun.my.coocan.jp/yamakura.htm

『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』では、山倉交差点の西側を「殿内館」、東側を「山倉城」としています。

一方、『千葉情報マップ』では、交差点の西側を「山倉砦」、東側を「台城」としています。

どちらも山倉城、あるいは山倉砦と呼ばれているようで、実際の山倉城はどちらなのか迷ってしまいそうですが、東側部分の方が城郭的な雰囲気を残しているのは明らかです。

ただし、民家だらけで、勝手に立ち入れない場所ばかりですが・・・・・・。
 

Re: 殿内館

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月23日(木)21時03分54秒
返信・引用
  > No.6682[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。
> いずれも北西の台地部分も城域に入れています。
そうですね。どちらも斜面の遺構らしきものもギリギリ含んでいるようです。

> 時間があれば、北西の台地部分も、ちょっと確認しに行きたいところです。墓地になっている部分辺りが怪しそうですね。
墓地から少し西に行くとネットの地理院地図では最高所の部分にあたります。郭といわれればそうかな?程度のものでした。
ただし、経験豊富な人がみると下の坂虎口のような遺構と関連付けできるかもしれません。


> 県内で、誰にも会わないような時間であれば、これくらいの訪問は構わないかな・・・。
悩ましい所ですよね。坂虎口?は県道125号線や山倉郵便局付近から目視できます。お墓には観福寺脇の坂をあがって民家の間を通っていきました。
個人的には散歩の範囲で、このご時世でも迷惑はかけて無いと思っていますが…
いずれにしても「ぜひ見てほしい」と言うような遺構が展開してるワケではないので気が向きましたら散歩がてら行ってみてください。
 

Re: 殿内館

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月23日(木)04時06分16秒
返信・引用 編集済
  > No.6680[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。

千葉情報マップで見てみると、『千葉県所在・・・』で殿内館としているものを「山倉砦」、山倉城としているものを「台城」としていますね。

いずれも北西の台地部分も城域に入れています。

以前、訪れた際には、観福寺を訪れ、土塁状の地形があったので「ここが館か?」と思い、北西の台地の方には訪れていなかったようです。

ただ、造成した畑というものは、郭と切岸のように見えてしまうものなので、後世の改変部分との兼ね合いがどうなっているのかが難しいところです。坂虎口に見える部分というのも同様です。

時間があれば、北西の台地部分も、ちょっと確認しに行きたいところです。墓地になっている部分辺りが怪しそうですね。

県内で、誰にも会わないような時間であれば、これくらいの訪問は構わないかな・・・。
 

殿内館

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月21日(火)21時36分57秒
返信・引用
  観福寺北東の台地に→観福寺北西の台地にです。また方角間違えてます。すみません  

殿内館

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月21日(火)21時32分53秒
返信・引用
  > No.6678[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> ヴィネットとはジオラマのことなのでしょうか?

ジオラマの一部をミニマムに切り取った情景模型と言ったら良いでしょうか?切取り方の工夫も制作の楽しみだと思います。

ついでに質問です。
余湖さんが記事にされている旧山田町の「殿内館」なんですが、図の中心である観福寺北東の台地に画像のような地形があります。
湾曲した坂虎口のような地形は城郭の跡だと思われますか?二段ある平場が耕作地だとしてもそこに至る通路としては立派すぎる気がします。
画像上にあるお墓には九曜紋の相馬家の墓だけを祀った一角があり、他にも月星紋の墓がいくつかありまして相馬氏の子孫が現在でも
住んでいるのが良くわかります。城郭遺構としては民家も多く解りにくいですね。全体にそれらしい雰囲気はありますが…
 

信長と道三の対面

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月20日(月)04時34分24秒
返信・引用 編集済
  『麒麟』でも描かれていたが、信長と道三が、正徳寺で対面したことが『信長公記』にも描かれている。

『国盗り』の場合は、『信長公記』そのままの演出であったが、『麒麟』ではちょっと違っていた。

『信長公記』は明らかに信長寄りの記録であるから、信長の優位な面を描いている傾向があるのは否めないが、この対面は、周囲の人たちにとってもかなり印象的なものだったのだと思う。

ポイントになるのは、

・途中の信長の様子を見ようと道三が、民家に隠れて見ていると、信長が平素通りのたわけの姿でやってきたこと。
・弓、鉄砲500挺持っていたこと
・「あれは山城守です」と言われて、信長が「であるか」と答えたこと。
・対面の後、家臣が「やはりたわけでしたな」と言ったところ道三は、「無念だ。山城が子供は、たわけが門外に馬をつなぐことになるだろう」と言った。

といったところで、だいたいはこの『信長公記』の記録を基に小説・ドラマは構成されていると思う。

『信長公記』にちゃんと書いてあるので、おおむね信憑性があると考えてもよいものと思うが、内容的には信長ひいきの印象がある。

しかし、よく見てみると、対面の前から周囲に「信長はたわけだ」と何度も言われても、道三は、そのたびに「たわけではないだろう」と答えたとあるから、対面以前から、信長を評価する何らかの情報を道三は得ていたのだと思う。

弓、鉄砲500挺は、以前から議論になっているところだが、この表記で鉄砲は実際に何挺あったのだろう。弓と鉄砲を合わせて500挺だったのか、それぞれ500挺だったのか、弓と鉄砲の割合すら分からないのだが、仮に鉄砲が100挺だったとしても、この時期としては非常に多く持っていたということになるのだろうと思う。

この時の信長の軍勢を「7、800」と書いてあるのだから、それぞれ500ということはなかったであろう。

弓、鉄砲合わせて500、三間柄の朱槍500本とあり、それが合わせて7,800人というと計算が合わなくなってしまう。それぞれ数百ほどあったということを概算的に表現しているのであろう。

それにしても、三間柄の朱槍500本と共に、道三を刮目させたのはまさにこのことだったのではないかと思われる。

その後、道三が信長に好意を抱いたというのも事実だったのであろう。『麒麟』の通り、道三の軍勢が那古屋城に援軍に赴いたことも『信長公記』に描かれている。

村木砦の戦いについては、これまであまり注目されていなかったところである。桶狭間以前の信長の戦績など、ほとんど顧みられることはなかった。しかし『信長公記』には、「鉄砲、取りかへ取りかへ、放させられ」と書いてあるから、鉄砲の連続射撃を行っていたことは間違いないようである。『信長公記』で、最初に鉄砲の使用が効果的に用いられている描写はこの場面なので、この時代から信長が鉄砲を用いた戦闘を計画的に実施していたということになる。

「取りかへ取りかへ」とはどういう状態なのであろうか。長篠合戦の、鉄砲の交代発射は、すでにこのことから用いられていたということのように思われる。

次は信勝との戦い、道三の最期、といった展開になるのだろうか。思っていたよりも道三戦死以前の話が長く続いており、『国盗り』と同様、ゴールデンウィークの頃の道三戦死となりそうな予感である。

『国盗り』の時には「道三死なないでくれ!」と祈るような思いで見ていたのだが、今夏会はそのような思い入れはまったくないなあ。
 

Re: 小見川城1560?

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月20日(月)03時51分54秒
返信・引用
  > No.6676[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

> 城跡のアイコンとも言えるのは「堀跡」でしょうか?雄大な空堀や鋭い堀切、竪堀群に障子掘りと…
> 堀跡フェチが高じて空堀のヴィネットを作りました。ジオラマの一部分を小さく切り取ったものと理解してください。
> 舞台は永禄の下総への正木氏による侵攻で自分の城跡探訪の端緒となった小見川城跡の僅かに残った空堀と土橋です。
> ミニチュアとはいえ自分で空堀を作ってみると思うところが沢山あり勉強になり楽しかったですね。
> フィギュアの塗装の甘さと遮蔽物の竹束が門松に見える等(笑)不満点はありますが「まぁいいか」が模型作りのコツ。
> 石垣と天守のある有名な城は模型化されてますが、土の城は皆無では…と思っていたところ調べると有りますねぇ。
> http://joukaku-fukugen.com/
> パートナー産業さんのシリーズです。値は張りますが面白いですね~中山城や諏訪原城とか出たら作ってみたい!
> と考え現在、近所の城跡を再現してみようか検討中であります。城跡巡りでは場所にもよりますが人との遭遇は皆無。
> それでもこのご時世、無暗に出歩くのは気が咎めるという御仁は城郭模型にチャレンジするのも楽しいと思いますよ。
>

ヴィネットとはジオラマのことなのでしょうか?

お城のジオラマを作るというのはとても楽しいものですよね。ただ。場所を取ると思うので、作った後の保管が大変だと思いますが、頑張ってみてください。
 

Re: 復元的整備

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月20日(月)03時49分56秒
返信・引用
  > No.6675[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 文化庁が「復元」に関して部分的緩和方針を出したようですが
> 痛し痒しの問題ですな。
>
> どこも地域が衰退しているので、シンボルを求めたい気持ちもわからんではないです
> 一方では「復元的整備」後、資料が見つかったらどうするつもりじゃろうとかね。
> そもそも改変・改築されている可能性もあるので、廃城時と築城時とはちがって
> いるとかね。
>

復元整備といっても、完全に100%復元されているかどうかは分からないですからね。ある程度の許容性があった方が、地元の人の希望にも応えられるのではないかと思います。
 

小見川城1560?

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月19日(日)22時56分6秒
返信・引用
  城跡のアイコンとも言えるのは「堀跡」でしょうか?雄大な空堀や鋭い堀切、竪堀群に障子掘りと…
堀跡フェチが高じて空堀のヴィネットを作りました。ジオラマの一部分を小さく切り取ったものと理解してください。
舞台は永禄の下総への正木氏による侵攻で自分の城跡探訪の端緒となった小見川城跡の僅かに残った空堀と土橋です。
ミニチュアとはいえ自分で空堀を作ってみると思うところが沢山あり勉強になり楽しかったですね。
フィギュアの塗装の甘さと遮蔽物の竹束が門松に見える等(笑)不満点はありますが「まぁいいか」が模型作りのコツ。
石垣と天守のある有名な城は模型化されてますが、土の城は皆無では…と思っていたところ調べると有りますねぇ。
http://joukaku-fukugen.com/
パートナー産業さんのシリーズです。値は張りますが面白いですね~中山城や諏訪原城とか出たら作ってみたい!
と考え現在、近所の城跡を再現してみようか検討中であります。城跡巡りでは場所にもよりますが人との遭遇は皆無。
それでもこのご時世、無暗に出歩くのは気が咎めるという御仁は城郭模型にチャレンジするのも楽しいと思いますよ。
 

復元的整備

 投稿者:狸屋  投稿日:2020年 4月19日(日)17時57分27秒
返信・引用
  文化庁が「復元」に関して部分的緩和方針を出したようですが
痛し痒しの問題ですな。

どこも地域が衰退しているので、シンボルを求めたい気持ちもわからんではないです
一方では「復元的整備」後、資料が見つかったらどうするつもりじゃろうとかね。
そもそも改変・改築されている可能性もあるので、廃城時と築城時とはちがって
いるとかね。


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58202690X10C20A4CR8000/
 

Re: 緊急事態宣言

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月18日(土)06時53分29秒
返信・引用
  > No.6673[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

そうですね。地元なら大丈夫かなあ。

しかし、県内の城郭はすべて回っているので、新規開拓というのは無理な状況ですね。

本日は天気も悪そうだし、ひたすら巣ごもりしているしかないですね。
 

Re: 緊急事態宣言

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2020年 4月17日(金)22時04分48秒
返信・引用
  > No.6672[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

本当、出ちゃいますよね、つい愚痴・・。

自分も「車中泊」での城巡りなんで、人と接しない自信はあるんですが、同じようにやっぱ駄目なの?って思います。

当分の間は、自宅の裏山の「倉ヶ崎城」で足慣らしをしながら体力を維持し、自宅で援軍のない「籠城戦」に耐えるつもりです(苦笑)


 

緊急事態宣言

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月17日(金)07時08分57秒
返信・引用 編集済
  緊急事態宣言、全国に拡大かあ・・・。

これでますますどこにも遠征できなくなったなあ。山城に行って誰にも会わない自信があるのになあ。

首相夫人が、大分まで団体で行っているくらいだから、地方の山城に行くくらい、認めてほしいような気がする・・・・・。
 

宇喜多秀家

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月14日(火)04時07分51秒
返信・引用 編集済
  宇喜多秀家のことを考えるとき、秀吉の死の場面に臨んで、彼がいったいどのような思いであったろうかと、いつも思ってしまう。おそらく、他の大名とは異なる特別な思いがあったはずである。

自分の死を目前にして、幼い秀頼のことをただひたすらに懇願する秀吉。これと同じ場面を秀家は、17年前に体験していたのである。

その時、将来を懇願された幼い子供は自分自身であった。

宇喜多直家が病死したのは天正9年、その時、嫡子であった秀家は、わずか9歳であった。

権謀術数の限りを尽くして、1代で50万石の戦国大名となった直家も病魔には勝てなかった。死を前にした直家は、幼い八郎(秀家)の将来が心配でならなかったに違いない。

9歳の大名の所領など、たちどころに奪われてしまうに違いない、実際、自分はあの手この手を使って、敵味方の所領を奪ってきた。

そんな生き方をしてきたにもかかわらず、直家は、秀吉に幼い八郎のことを託した。

「安心してくだされ。八郎は、天下に名の轟く程の武将に育て上げましょう」くらいのことは言ったに違いない。そして、それを聞いた直家は感激しながら死んでいったと思う。

その場面を幼い八郎は近くで見ていたはずである。

そして、その言葉の通り、秀吉は八郎を自分の猶子として立派に育て上げた。宇喜多氏の所領に寸土も手を付けることはなく、秀家を備前・美作・備中57万石の大名として成長させた。わずか20代にして、豊臣家の五大老にするほどの厚遇を見せた。

秀家は秀吉に感謝の念を抱いていたに違いない。

時は巡り、秀吉が死の場面に至り、そして自分が、あの時の秀吉の立場に置かれた。幼い秀頼のことを託された秀家は、命に代えても秀頼を守り抜こうと誓ったに違いないのである。

この時の秀家の気持ちを思うと、なんとも熱いものがこみあげてくる。秀家は誰よりも秀頼に対して守りたいという思いを抱いたのではないだろうか。実際、関ケ原の西軍で、最も奮戦したのが宇喜多隊だったのである。

しかし、結局は西軍は敗れてしまい、秀家はやがて捕らえられ、八丈島に流されることになる。八丈島の流人第1号である。

八丈島で秀家は長く生きた。彼の人生の大半は八丈島で費やされることになる。82歳という高齢で没した時、関ケ原で相見えた大名たちはみな没していた。

豊臣時代の大名の誰よりも、彼は長生きしたのである。
 

お福

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月13日(月)05時08分41秒
返信・引用 編集済
  お福は宇喜多直家の妻であり、宇喜多秀家の母である。

この女性にも昔から興味があった。しかし、史料に乏しく、詳しいことはよく分からない。しかし、とても魅力的な女性であったことは間違いないと思う。

彼女は美作の豪族の家に生まれ、10歳ほどで三浦貞勝の妻となっている。おそらくこれは政略結婚のようなもので、10歳で実質的な妻ということはなかったであろう。

しかし、貞勝との間の結婚生活は10年近くも続き、その間には娘も生まれている。

彼女が20歳前の時、近隣の豪族後藤氏によって三浦貞勝は殺され、城は攻め落とされてしまう。彼女は娘を連れて城を脱出し、かろうじて生き延びた。

その後、宇喜多直家の庇護を受け、いつの間にか直家の妻となっている。その間にどういういきさつがあったのか、小説のネタになりそうな部分であるが、詳細は不明である。

そして、直家との間に生まれたのが、後に豊臣政権で五大老の1人となる秀家であった。

謀略好きの直家は時勢を見るのに敏感であり、自分が属していた毛利家よりも、織田家の方が将来性があることを見抜く。そして、ひそかに毛利を裏切って織田方の羽柴秀吉に内通する。

秀吉の中国攻めが軌道に乗ってくるのは、備前美作50万石の太守であった宇喜多直家が裏切ってくれたからこそである。

しかし、その時には、直家は病魔に侵されており、余命いくばくもない状態であった。息子の秀家はまだ幼い。

直家は、秀家を秀吉に託す。秀家の秀の字は、秀吉からもらったものであった。

そして直家は病没する。秀吉は直家との約束を守り、秀家を養子として育てる。そしてお福は羽柴秀吉の側室となった。

三浦貞勝、宇喜多直家との結婚を経て、結局、お福の方は天下人の妻となる。ものすごい転変ぶりである。

いったい彼女はどのような女性であったのか。秀吉にも見出されていることから、そうとう魅力的な女性であったことは間違いないのであろうが、詳しいことはよく分からない。
 

Re: 緊急事態宣言

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月10日(金)03時42分22秒
返信・引用 編集済
  > No.6668[元記事へ]

マリンブルーさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。

おっしゃるように、近所の城址公園程度であったなら、訪問も問題ないようですね。

しかし、首都圏から出るとなると、批判を浴びそうなので、悩ましい限りです。

普段、城巡りのための遠征をしようと思っても、思うように時間が取れないため、計画が立てられずにもどかしいことが多いのですが、今回は、時間が取れたとしても行動制限されてしまっています。

近所の散歩と、人にほとんど合わないような山城めぐりはOKみたいになってくれるとありがたいですが・・・・だめでしょうね(xx)

ちなみに、先日、愛媛の城巡りをした際に、人と会ったのは、市街地にある平城1ヶ所だけでした。
 

緊急事態宣言

 投稿者:マリンブルー  投稿日:2020年 4月 9日(木)05時47分1秒
返信・引用
  ものすごく、お久しぶりに投稿させていただきます。

私の住む千葉県も緊急事態宣言の対象となりました。県知事の会見によると、家族での食事、運動のための外出、散歩は、どうぞなさってください、とのことですので、近所の城址公園を散策するくらいは何の問題もないと拡大解釈しています。

泊りでの城攻め、他県への移動は自粛するしかないですかね。私は、猪突猛進で、思い立ったら、仕事も放り投げて城攻めに行ってしまうタイプで、よく「城は逃げないよ」と言われます。今は我慢して、少しでも早く事態の収束を願っています。

運動のための城址公園散策はいいだろうと思います。食事は、外食せずに弁当持参で。
 

Re: 熊城山麓遺構について

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 9日(木)05時12分53秒
返信・引用 編集済
  > No.6666[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

そうなんです。せっかく時間が取れるのだから、本当なら、地方の山城に行きたいです。

どうせ誰とも接触しないし、伝染すことも伝染されることもないと思うのですが・・・。

それにしても、遠征中は車中泊ですか。これは私にはちょっと真似できないですね。
 

Re: 熊城山麓遺構について

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2020年 4月 8日(水)22時32分52秒
返信・引用
  > No.6665[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。



> ところで、いよいよ緊急事態宣言が発出されましたね。
>
> 首都圏以外の、人に出会わないような山城に行く計画を立てていたのですが、この宣言が出ている間は、やはり山城にも行けないのでしょうかねえ。
>
> 山城に行っても、人に会うことはほとんどないのですが・・・。
>
> 悩ましいところです。
>
>
本当に悩ましいところです。

こんな状況の中で怖いのは新型コロナよりも人の口ですかね、ややもすると「魔女狩り」の様に責め立てられる様なご時世ですから・・・。

今回、悩みましたが思い切って長野から山梨、また長野へと3日間山城歩きをしました。
確かに山城に行くとそんなに人と会うこともないのですが、下界に降りると食事もしますし買い物もしますので結構細かい部分に気を遣いましたね。

自分の山城歩きはいつも移動は車、宿泊は車中泊ですので、今回も極力人の集まるところへは行かないようにしました。

今、「コロナ疎開問題」とやらも取り沙汰されるようになってますから、現地の方々の目も気になってきますね。

そっと静かに行くしかないですかね。
難しい問題です・・・・。

 

Re: 熊城山麓遺構について

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 8日(水)03時47分24秒
返信・引用 編集済
  > No.6664[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。

情報、ありがとうございます。

熊城の山麓のあれ、やはり石切り場でしたか。城郭校で配下と思いましたが、あまりにも見事なので、いわゆる城郭類似遺構といったやつですね。

留池の上方は貴重ですね。信玄の時代に氷を作っていたとは意外です。富士の氷室というのは聞いたことがあるのですが、甲府にもあったんですね。

ところで、いよいよ緊急事態宣言が発出されましたね。

首都圏以外の、人に出会わないような山城に行く計画を立てていたのですが、この宣言が出ている間は、やはり山城にも行けないのでしょうかねえ。

山城に行っても、人に会うことはほとんどないのですが・・・。

悩ましいところです。

 

熊城山麓遺構について

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2020年 4月 7日(火)10時56分7秒
返信・引用
  こんにちは、ご無沙汰しております。

約30年振りに甲府の「要害山城」に登りました。
余湖さんのHPに「熊城」について記載されておりましたので記事を道標に尾根伝いにそちらの方にも足を伸ばしてみたんですが、石積みや畝状竪堀、大堀切等の遺構のすばらしさもさることながら熊城山麓までの余りの険しさに「二度目はないな」と感じた次第です(苦笑)

さて、熊城山麓遺構についてですが山麓に降りたところ地元の方がいらっしゃったので色々と話を伺うことが出来ました。
山麓遺構は城跡というよりも石切場?と感じたもんですから地元のお父さんに聞いてみたところやはり昔の石切場があったところで加工がしやすい良質の石が産出され、墓石などの材料とされ
明治時代まで採掘していたとのことでした。

あと、段々に積まれた石積みは石切場で働く人たちの住居跡?と聞いたところ、畑の「土止め」の為だそうです。
「土止め」の石積みは険しい斜面を養蚕の桑畑として利用するためのものだったそうで、古いものだと信玄公の時代からのものもあるらしいのですが斜面の上の方の古い石積みはすでに埋まっていて、残った石積みのある所は桑の栽培はやめて水田や畑として利用しているとのことでした。

すると地元のお父さんが、「面白いものがあるからついてきて」と石切場の入り口近くまで戻った所まで案内してくれて、沢を挟んだ対岸にある石垣について説明してくれました。
信玄公時代からある氷をつくる「溜め池」の石垣だそうでその上には出来た氷を保管するための屋敷があったとのことでした。

熊城の麓の根小屋地区にはその昔飯島一族が居住し水源を守っていたとのことで、そのお父さんの家系も土着した武田家の武士だそうで600年程前からこの地に住んでいると言ってました。

写真1枚目:熊城山麓石切場跡
写真2枚目:根小屋地区階段状の石積み
写真3枚目:根小屋地区製氷場の石垣

 

Re: 余湖図お借りします

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 7日(火)03時50分7秒
返信・引用
  > No.6662[元記事へ]

徒然@城廻りさんへのお返事です。

了解しました。ご丁寧に連絡いただき、ありがとうございます。

出典がこのホームページであることを明記してありますので、ご使用に問題はありません。

今後ともよろしくお願いします。

 

余湖図お借りします

 投稿者:徒然@城廻り  投稿日:2020年 4月 7日(火)02時17分58秒
返信・引用
  お世話になります 徒然@城廻りと申します。

千葉の鷺山城の時にもお借りしましたが再びコレクションの中から今井城図を拙Blog用にお借りします。

宜しくお願いします。

https://kdx220k.blogspot.com/

 

Re: 飯高天神砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 5日(日)06時18分58秒
返信・引用
  > No.6658[元記事へ]

k23さんへのお返事です。

情報、ありがとうございました。おかげさまで、今まで知らなかった城を訪れることができました。

確かに、誰でも普通に訪れるような神社ですから、今まで知られていなかったということはなかったのでしょうね。でも、気が付きませんでした。

『千葉県所在…』掲載されていましたか。こちらも気が付きませんでしたね・・・。

私はそれを所持していないので、ネットで千葉情報マップを見たのですが、こちらには掲載されていませんでした。

いずれにせよ、完全に独立した別の山稜にあるので、飯高城そのものに含めてしまうよりは、出城とすべきものですね。

昨日は千葉県にも外出自粛要請が出ていましたが、人のいないような屋外の場所に早朝に行くのならば大丈夫かなと思い、朝6時に訪れました。

実際、誰とも会うことはありませんでした。

既にすべて回ったはずの千葉県内において、未知の城郭と出会えるのは、とてもワクワクしますね。

それではまたです。
 

Re: 長野 小川村 布留山城

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 5日(日)06時17分6秒
返信・引用
  > No.6657[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

宮坂さんの見落とした遺構を見つけましたか、さすがですね。

長野もずいぶん回ったのですが、小川村はまだ訪れていない数少ない村です。

今年中には行ってみたいと思っています。
 

Re: 飯高天神砦!

 投稿者:k23  投稿日:2020年 4月 4日(土)23時09分32秒
返信・引用
  > No.6656[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

早速、見に行っていただきありがとうございます。
自分の紹介した場所が立派な縄張り図になるのは嬉しいですね。たまたま上った天神社ですが堀切を見た時のざわざわした感じは当たりでした。

千葉県所在…をよく見ると飯高城の城域に含んで線を引いていますね。やはり飯高城の一部として認識されていた様です。
しかし飯高城や周辺の城跡を解説をした書籍等には存在を指摘されておらず、認識はされていたが忘れられた場所だった感がありますね。

せっかく飯高檀林周辺の遊歩道に含まれているので城跡としての解説もあると散策する人の楽しみになるのでは?と残念に思います。

それなりの規模を持つ城跡周辺を散策していて怪しい地形を見つけたり、地図で妙見社を発見するとワクワクしてしまいます。
コロナに感染するなら城跡初心者の通過儀礼である新発見病に感染してやる!と思いつつ楽しんでおります(笑
 

長野 小川村 布留山城

 投稿者:横尾  投稿日:2020年 4月 4日(土)23時02分52秒
返信・引用
  大日方氏の関係で布留山城に登ってきました。宮坂氏の縄張り図にない西尾根を見つけましたので報告します。
一枚目 古山神社の麓にある説明版
二枚目 二の丸子の曲輪から、西尾根が下っています。
三枚目 西尾根

http://yamasiro749.blog.fc2.com/

 

飯高天神砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)11時23分53秒
返信・引用
  K23さんに教えていただいた飯高城の東側の天神砦に早速行ってみた。

K23さんのご指摘の通り、明らかに城址であった。これだけのものが、どうして遺跡地図から漏れてしまったものか。

コンパクトにまとまっており、飯高城の東方を監視するための出城であったと考えられる。

http://mizuki.my.coocan.jp/yogokun/youkaitibasi1.htm#tenjin
 

港山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)09時02分40秒
返信・引用
  これも松山市のお城。

その名の通り、港を見下ろす山に築かれた海城である。

城内には遊歩道が付けられているが、雨がひどくなってきたため、駆け足で回ることしかできなかった。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/matuyamasi04.htm#minato
 

花見山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)09時01分18秒
返信・引用
  これも松山市のお城。

堀江進池の隣の独立台地にある。

低い台地であり、切岸以外に目立った遺構もないが、それなりの歴史を有している城である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/matuyamasi04.htm#hanami
 

新張城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時59分3秒
返信・引用
  愛媛県松山市のお城。

平城であるが、一部には水堀や土塁が残されている。

かつてはよく残されていたというが、大雨の際の土砂崩れで、崩落した山の土砂が大量に流れ込んでしまい、堀を埋めてしまったのだという。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/matuyamasi04.htm
 

幻城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時57分5秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

幻城とは、なんと幻想的な名称なのだろう。土砂降りの中、訪れたので、山そのものが霞んでおり、まさに幻のような状態であった。

地形図を見て、一番簡単にアクセスできそうな林道で向かったのだが、これが酷い悪路であった。何度も引き返そうと思いつつ我慢して運転しつつ、何とか下城の方だけは訪れることができた。

もっといい舗装路もあったのかもしれない。ちゃんと調べてから行くべき城である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#naborosi
 

獅子ヶ鼻城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時54分14秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

小規模な城郭であるが、堀気rはしっかりと構築されている。

城址のすぐ下まで車でアクセスできるので、これもお手軽城郭である。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#sisi
 

杉尾山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時51分45秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

郭が小さい割には大規模な畝状竪堀を巡らせているという点で、異様な城郭であると言える。

この地域の城としては異質なもので、秀吉の四国攻めの際に小早川勢によって築かれたものではないかと考えられる。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#sugio
 

福岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 4月 4日(土)08時49分25秒
返信・引用
  これも西条市のお城。

八幡神社のある山稜が城址である。

比高は30mほどだが、独立山のため、遠くからでも目立って見える。

遺構としては見るべき程の物はない。

http://mizuki.my.coocan.jp/ehime/saijousi03.htm#hukuoka
 

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