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ついに6000城め!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)20時57分9秒
返信・引用 編集済
  記念すべき余湖図6000城目は、大町市の木舟城である。

実はこの城は以前、宮坂氏の図面を見て以来、余湖図6000城目にふさわしい城郭であると思い、ひそかに狙っていた。

詳しくは木舟城のページを見てみれば一目瞭然であるが、歴史もよく分からないほとんど無名の城郭であるにも関わらず、信州の山城で最大の郭面積を有し、他では見られない着目すべき構造も各所に見られる。すごい山城である。

歴史的に無名、と書いたが、どうみても巨大な軍事拠点である。歴史の闇の中に埋もれてしまってはいるが、かなりの軍事的緊張感のさなかに、大規模勢力によって築かれた城であると思う。伝承等が残っていないのは、一時的にしか使用されなかった陣城であった可能性が高い、と言える。

あまり知られていないこの山城には、実は大きな歴史的意義が隠されているのではないだろうか。まだよく知られていない軍事的緊張感がいつのことと見るべきなのか、そういう意味では城の構造のみならず、いろいろと想像を掻き立ててくれる謎の巨大城郭である。

ねっ、6000城目にふさわしい城郭だって思うでしょ!

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/oomatisi02.htm

ところで・・・やっと目標としていた6000城を達成して、ほっとしている。これまではひたすらノルマを達成するために城巡りをしていたようなものであった。

これでノルマからは解放された。これからもちまちまと城めぐりは続けていくと思うが、数をこなすためにあくせくするような日々とはこれでおさらばである・・・はずである。
 
 

5999城め!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)19時44分59秒
返信・引用 編集済
  5999城めは、安曇野市の塔ノ原城である。こちらも急峻な山に築かれた山城であるが、こちらは、城と同じ高さまで車でアクセスできるので、簡単に訪問できるお手軽城郭である。

ヤブの所もあるが、1郭周辺は草刈りがされていてよく分かる。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/azuminosi03.htm#tounohara

さあ、いよいよ次が6000城目である。6000城目はどの城であろうか。

 

5998城め!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)19時01分50秒
返信・引用
  いよいよ6000城へのカウントダウンである。5998城目は安曇野市の岩原城。急峻な山に築かれたダイナミックな山城である。

遺構は素晴らしいのだが、肝心の見どころの1郭先の三重堀切の所が立入禁止となっている。残念!

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/azuminosi03.htm#
 

長尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)17時58分49秒
返信・引用
  これも安曇野市の城館。

リンゴ畑となっているため、遺構のほとんどは失われてしまったようだ。場所もわかりにくい。

しかし、リンゴ畑で作業をなさっている皆さんとの会話は楽しかった。「フジ」というリンゴの成り方が、まさに藤の花のようであることも初めて知ったのであった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/azuminosi02.htm#nagao
 

吉野の堀屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)17時57分30秒
返信・引用
  これも安曇野市の城館。

小規模ながら西側の土塁と堀がよく残っている。とはいえ規模は小さく、城館というよりも近世の屋敷跡というべきなのかもしれない。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/azuminosi02.htm#yosinobori
 

鳥羽館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)17時56分37秒
返信・引用
  これも安曇野市の城館。

残存状況はよくないが、北西側には土塁や水堀がしっかりと残っている。小笠原氏に仕えた丸山氏の居館である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/azuminosi02.htm#toba
 

飯田砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)17時55分33秒
返信・引用
  これも安曇野市の城館。

飯田砦という名称で地図にも掲載されているのだが、実際には居館のような遺構である。

周囲の土塁はよく残っているのだが、内部はヤブがひどい。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/azuminosi02.htm#iida
 

真々部氏館!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)17時54分29秒
返信・引用
  長野県安曇野市の城館。

金龍寺の背後にわずかに土塁が残っている。というわけでほとんど遺構はないのだが、安曇野市はそのような城館にもしっかりと標柱を立てておいてくれている。ありがたいことである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/azuminosi02.htm
 

Re: 駿府城中村期天守台

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年10月21日(日)07時54分3秒
返信・引用
  > No.5703[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

家康期(2回目)の天守台の発掘作業中、さらに深く掘ったら出てきたそうです。
>
 

Re: 駿府城中村期天守台

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月21日(日)06時56分20秒
返信・引用
  > No.5702[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

現在発掘復元中の天守台は、家康によって築かれたものとずっと思っていたのですが、中村一氏によるものであったとは意外でした。

 

駿府城中村期天守台

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年10月20日(土)18時23分24秒
返信・引用
  説明会があったので行ってきました。33m×37mだそうで、右端の人の大きさに比べて写真の
緑線に囲まれた範囲の大きさがご理解できると思います。
天守台一面に天守が立っていたニュアンスで新聞等に書かれているようですが、如何に
徳川氏との最前線とはいえ、豊臣氏との親族でもなく、大老でもない中村氏にそこまでの
天守を立てさせたとは思えず、大和郡山のように天守台というより天守郭のような構造で
さらに一回り小さい天守台・天守を立てたのではないかと思われます。
 

Re: はじめて投稿します【一乗谷城イベントについて】

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月18日(木)04時22分19秒
返信・引用 編集済
  > No.5700[元記事へ]

いしかわさんへのお返事です。

これはすごい企画ですね! 居館部ではなく、山城の方ですよね。あの大規模な山城で初心者が縄張り図を描くというイベントとはすごすぎです。あの山に登るだけでも大変なことだというのに、初心者があそこで縄張り図を描くとは、頼もしい限りです。

私が訪れた時には、雪がちらちらと舞うような季節だったのですが、肌を指す風の冷たさに打たれながら、遺構のすばらしさに感銘を受けたことを記憶しております。

ただ、ヤブになっているところや、急斜面などもありますので、お子さんが怪我などしないよう、十分に注意していただきたいものです。

それではまたです。

 

はじめて投稿します【一乗谷城イベントについて】

 投稿者:いしかわ  投稿日:2018年10月17日(水)09時05分0秒
返信・引用
  いつも楽しく拝見させていただいております。
この度、下記のとおり一乗谷城の縄張り図を描くイベントを開催いたしますので、
この場を借りて告知させていただきます。
初心者向けですが、縄張り図について一般の方々に知っていただく機会になればいいなと思い企画しました。

★キッズミュージアム 「縄張り図を描こう!」★彡 【要申込】

朝倉氏が築いた一乗谷城の縄張り図を描く講座です。
縄張り図とは、山城の仕組みや成り立ちを示した見取り図のことです。縄張り図を実際に描いてみると、戦国時代に生きた人々がどのように山城を作ったのか、その苦労と工夫が見えてきます。
初めての形でも、学芸員が丁寧に教えます。

【日 時】 平成30年11月4日(日)9:30~15:30

【集合場所】
一乗谷朝倉氏遺跡資料館
(資料館に集合後、徒歩で一乗谷城跡へ移動します)

【対 象】
小・中学生 定員20名(保護者を含む)
※小学生は保護者同伴でお願いします。

【服装・持ち物】
山歩きの服装で来てください。(リュックサック、水筒、昼食、タオルなど)

【参加費】
無料

【申込方法】
電話、FAX、窓口またはメールにて、以下の事項をお伝えいただき、お申込みください。
(1)参加者氏名(よみがな)・年齢・学年
(2)保護者氏名(よみがな)・年齢
(3)住所
(4)連絡先(自宅電話番号と携帯電話番号)

http://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/030_event/detail.php?id=255

 

Re: 安房入部

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月16日(火)05時11分48秒
返信・引用
  > No.5698[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

里見義実に関しては、諸説ありますが、決定的なものは史料不足のために出ていないという感じがします。

もっとも真実が分からないからこそ、いろいろな想像を加える余地があり、それが1つのロマンとなっているとも言えそうですが・・・。

 

安房入部

 投稿者:安房国  投稿日:2018年10月15日(月)23時22分6秒
返信・引用
  早速のお返事ありがとうございます。

安房に入部したのは嘉吉元年(1441年)とばかり思っていたのですが、現在の説では否定されているんですか? 勉強不足で知りませんでした。まだまだ、謎が多そうなので調べ甲斐がありそうですね。
今年12月に稲村城の見学会があるので、岡田晃司先生にいろいろ聞いてみようかと思います。
また、ご報告します。
 

Re: 稲村城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月15日(月)04時15分42秒
返信・引用 編集済
  > No.5696[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

お久しぶりです。十村=稲村というのは、千葉城郭研究会の方からご示唆をいただいたのですが、実は私もあまりしっくりしてはいません。十村は普通に読んだら「とむら」ですし、稲村はあくまでも「いなむら」であると思うのです。なんとなくこじつけのようにも思われてしまうのです。

『鎌倉大草紙』の諸本に「中村」というものがあるとのことですが、これについては、諸本の新旧がどうなっているのかがポイントだと思います。この辺りは私は詳しいことはよく分からないのですが、写本なので写していく過程において、ある時点で「十村」あるいは「中村」と書き替えられた可能性があると思います。新旧が分かるのであれば、古い写本にある方が正しいものということになります。

それよりも『鎌倉大草紙』には、里見義実が安房に入部したのは結城合戦の直後、という旧来の説の通りになっています。現在の説ではこれは否定されていると思いますが、これも実際の所はどうであったのか、悩ましいところです。

それではまたです。
 

稲村城

 投稿者:安房国  投稿日:2018年10月14日(日)23時44分23秒
返信・引用
  お久しぶりです。余湖さんの膨大なデータがネットで見られなくなる可能性もあるとのこと。
万が一のことを考え、今、必死に学ばせていただいています。

余湖さんにとっては今更と思われるかもしれませんが「論考らしきもののお部屋」の
「鎌倉大草紙について」の中で「十村の城」についてちょっとご意見を伺いたくて書き込み
しました。

私も当初「十村(とむらorとうむら)=稲村(とうむら)で問題ないのではと考えていました。
しかし、この「十村の城」が出てくる年は康正2年(1456年)であり、稲村城が築城された
と伝わる1486年~1491年(ウィキ)より30年以上も前です。
もう一つの問題は鎌倉大草紙の写本の中に「十村」ではなく「中村」と書かれているもの
があることです。私がネットで調べた限りでは早稲田大学、国学院大学、東京教育大学が
所蔵し公開している写本では確かに「十村」と書かれています。しかし国立国会図書館の
写本では「中村の城」と書かれています。そして、安房郡には南北朝時代から江戸時代
にかけて「中村」という場所が確かに存在していました。しかも、安房に散在する
鎌倉府の御料所のひとつで、それらの所領は足利氏の直臣・被官らに預けられたり
給付されたりして経営を委ねられていたとのことです。(千野原靖方著「戦国大名里見氏」
より)
しかし、また問題があり、この「中村」に隣接するのは稲村城ではなく平安末期の
安西氏の平松城です。そして、余湖さんも言われるように遺構というようなものが
ほとんど見られない城です。なにより平松城だったらわざわざ「中村の城」と書かず
に「平松城」と書くはずです。
というわけで、結局わからないのですがまずは「中村」なのか「十村」なのかを
引き続き確認していきたいと思います。

余湖さんは、その後どのように考えていますか?
 

Re: 人災天災のなか近江の城巡り

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 9日(火)04時04分24秒
返信・引用 編集済
  > No.5694[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

近江に行かれたのですね。塩害で電車がめちゃくちゃになっている中、大変でしたね。近江の城は、私もまだまだ未訪問の所が多いので、興味深く拝見しました。今度訪れる際に参考にしたいと思います。

私のホームページのうち、アドレス変更を余儀なくされているのは、ジオシティを使用している7つのサーバーで、正確な数は分かりませんが数千城分です。今のところ再構築する気分にはなっていないのですが、そのうちやる気が出てきたらぼちぼちやろうとは思っています。そういう作業に対して、昔ほど意欲的な気分にはなれず、ただひたすら面倒くさい気分です。

将来的に個人のホームページはどうなってしまうんでしょうか? 消滅していかざるをえないのでしょうか。そうしたことを考えると、気が重くなってしまいます。

それではまたです。
 

人災天災のなか近江の城巡り

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年10月 8日(月)18時42分40秒
返信・引用 編集済
  土日と近江に行きました。例の通り夜行バスでしたが、金曜日総武快速が止まり、京成も駄目。総武緩行線が辛うじて動いている状況で、バスの時間気にしながら行きました。一旦家に戻り仕度をし、バスの出る西船橋を目指したら、今度は緩行線が大久保での人身事故とやらでダイヤ乱れ。いつ止まるかヒヤヒヤものでした。あの日は武蔵野線や東武も乱れ、千葉鉄道受難の日でした。

土曜日は高島市界隈を目指したのですが、終日曇天との天気予報が外れ雨模様。しかも朽木の西山城を登っていたら、土砂降り!先週の台風24号の影響なのでしょう、夥しい倒木にも阻まれ断念しました。
それでも、3時過ぎに晴れたので、清水山城だけは見られました。礎石建物跡、畝状阻塞等、中々見応えのある城でした。

日曜日は日野市界隈、メインは鎌掛城。こちらも石積井戸、峻険な切岸、土塁囲みの池?遺構、麓の館遺構等、見処一杯の城でした。
それにしても不思議なのは、これだけ凄い遺構があるのに、山屋敷に簡単な表示があるだけ(しかも河川改修工事で古い道先案内表示はあてにならない)で、鎌掛城については何も出ていないこと。音羽城、佐久良城には立派な説明板やパンフが備え付けられているのに。史跡指定もなく、所有者の了解が得られないのでしょうか。
登城路も未整備です。しかも知られている3ルートの内、一番安全らしい北東側のルートは、侵入路が松茸が取れる山の入口にもなっていて、立入禁止。
私は山屋敷から、伝大手道の案内板のある所から取り付き、若干岩登りがありますが、尾根を上がりました。
帰りは途中で行きに来たルートを見失い、少し南側を川の流れの音を頼りに下り、滝谷川の上流に出て反対側の滝谷林道に渡り、屏風岩を右手に見ながら下りました。結果的に3ルートの内、2つを使い最適なルートで行き帰り出来たようです。

それにしても、色々なサービスの中止。事業者にも言い分はあるのでしょうが、何か振り回されているようで嫌ですね。余湖さんのHPが見続けられると良いのですが。

それではまた。
 

Re: 土屋山城守高久伝説

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 8日(月)08時26分37秒
返信・引用
  > No.5692[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

> 番外編です。下仁田町史」に掲載されていますが、田野で武田勝頼の嫡男信勝は自害することなく土屋山城守が南牧村へ連れて隠れ住んだという伝説が残っています。下仁田町史に書かれている、史跡を回って見ました。https://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi/e/ec3ec19216922609b8792a6b6455f878
>
> 記事は①から⑤まであります。

ご無沙汰しております。相変わらず活発なお城巡りをされているようで何よりです。
 

土屋山城守高久伝説

 投稿者:横尾  投稿日:2018年10月 7日(日)20時59分17秒
返信・引用
  番外編です。下仁田町史」に掲載されていますが、田野で武田勝頼の嫡男信勝は自害することなく土屋山城守が南牧村へ連れて隠れ住んだという伝説が残っています。下仁田町史に書かれている、史跡を回って見ました。https://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi/e/ec3ec19216922609b8792a6b6455f878

記事は①から⑤まであります。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 7日(日)06時27分58秒
返信・引用 編集済
  > No.5690[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> うちの界隈も停電が2日以上続きました。
> どうも、コンピュータ管理になったからかもしれませんが、インフラの復旧力は
> この10年で確実に落ちている気がします。

インフラもそうですが、いろんな面で、技術力が落ちているような気がします。
大手企業の品質偽装などもありますし、日本企業そのものの力が落ちているのでしょう。



 

(無題)

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年10月 6日(土)11時56分19秒
返信・引用
  うちの界隈も停電が2日以上続きました。
どうも、コンピュータ管理になったからかもしれませんが、インフラの復旧力は
この10年で確実に落ちている気がします。
 

京成電鉄

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 6日(土)04時51分22秒
返信・引用 編集済
  京成電鉄が、ほぼ丸一日、運休状態だった。こんなの前代未聞である。そのため、家にたどり着くまで、かなり大変だった。

台風による塩害のため・・・ってことだが、どうにも腑に落ちない。なぜ、京成だけ? 台風はこれまでにも何度も来たのに、今回はどうしてこんな悲惨なことになったのか?

ニュースでもやっていたが、成田空港までたどり着けなくなり、飛行機で帰国できなくなった外国人がたくさんいたようだ。毎日使っている日本人にとっても状況がよく分からないのだから、外国人が不審な気分になってしまうのは致し方ないところであろう。

台風による関西空港の閉鎖、北海道の地震による千歳空港の閉鎖、成田空港と東京を結ぶ主要路線の不通・・・・・
こんなニュースを見ていたら「日本の空港は危ない」「日本に旅行するのは非常に危険」と、海外の人々は思うことになると思う。しかも、どのケースにしても、単純に天災のため、というよりも、災害に対する備えの甘さという要素が加わった結果だと思う。

技術大国日本の威信はどこへいってしまったのか。

そして、今日も仕事であるが、今日はちゃんと動いてくれるのであろうか。


 

Re: HPに関して

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 6日(土)04時42分51秒
返信・引用
  > No.5687[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> 仕事の関係上、HPの作り方を教えることがあります。
> 個人の調べごとや企業の案内をデータベース的に展観していくのはHPが有効ですが、
> 今のように、散発的・断片的に個々人の情報発信においては、即時性という視点からも
> SNSにシフトした感があります。
>
> ただ、HPを作成している企業は、RubyやJavascript・SQLを扱う必要があり
> webの外注や技量のある社員に任せることで対応しているようですが、個人で
> ドメインを取得し、セキュリティ管理までとなると難しいでしょうね。
>
>

その通りです。だから、全くやる気が出ないのです。

 

HPに関して

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年10月 5日(金)19時52分58秒
返信・引用
  仕事の関係上、HPの作り方を教えることがあります。
個人の調べごとや企業の案内をデータベース的に展観していくのはHPが有効ですが、
今のように、散発的・断片的に個々人の情報発信においては、即時性という視点からも
SNSにシフトした感があります。

ただ、HPを作成している企業は、RubyやJavascript・SQLを扱う必要があり
webの外注や技量のある社員に任せることで対応しているようですが、個人で
ドメインを取得し、セキュリティ管理までとなると難しいでしょうね。

 

Re: サイトを移転致しました

 投稿者:ワタナベ  投稿日:2018年10月 5日(金)18時38分11秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。

早速ご対応頂きありがとうございました。ウチのサイトはせいぜい数百ファイル程度なのでなんとかなりましたが、余湖さんのところはコンテンツ数が膨大なので大変そうですね(汗

これだけの情報量が失われるのは、まさにネット界の損失(!)だと思いますので、何かうまい方法が見つかることをお祈りしております。
 

Re: サイトを移転致しました

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 5日(金)04時16分33秒
返信・引用
  > No.5684[元記事へ]

ワタナベさんへのお返事です。

ご無沙汰しております。連絡ありがとうございます。早速リンクを張り直しておきました。

おっしゃる通りですね。村上城に関して、貴サイトほど充実したコンテンツを持っているものは、世の中に存在しませんし、ジオシティの廃止のまま失われていたら、世間は貴重なサイトを失ってしまうところであったでしょう。

それにしても対応が早いですね。私の方はまだ何にも手を付けていません。・・・というか、なんか、作業をする気が起きてきません。だんだん面倒くさくなってきてしまいました。

それではまたです。

 

サイトを移転致しました

 投稿者:ワタナベ  投稿日:2018年10月 5日(金)00時06分58秒
返信・引用
  余湖さんこんばんは。相互リンクさせていただいております「ビジュアル再現 村上城」のワタナベです。

話題の「geocities」の終了に伴いまして(!)、弊サイトを新URLに移転致しました。つきましては大変お手数をおかけしますが、「リンク集」と「村上城」のページから貼っていただいていたリンクを、以下URLにご変更願えれば幸いです。

https://vr-murakamicastle.jp


体系的に情報を伝えるには、やはり伝統的なウェブサイトが一番だとワタシも思います。時代の流れとは思うのですが、ネット全般で情報の断片化がかえって進んでしまっているような印象を受けます。個人運営への負荷は今後も高まっていきそうですが、気力の続く限りなんとか続けていきたいと思っています。。。

https://vr-murakamicastle.jp

 

Re: 残念ですね

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 3日(水)04時08分32秒
返信・引用
  > No.5682[元記事へ]

軍曹さんへのお返事です。

おっしゃる通り、個人ホームページはそのうちなくなってしまうんじゃないかと思ってしまいますね。

ツイッターやインスタがいくらはやっても、体系的な情報を得ようと思った時、そうしたSNSでは、情報を得にくいと思います。

「渋谷で宴会なう」とかいった個人的情報がネットであふれていますが、ゴミみたいなものが増えているだけのような気がしています。ただし、電車が事故で止まった時など、検索すると、現場の情報がアップされていたりして、功罪両方あるとは思いますが・・・・。

個人ホームページが、こんなに虐げられていいのだろうかと思っている昨今です。

私のページで掲載されている城館のうち、おそらく3000城ほどはジオシティを利用して作られています。それらのページを構築しなおすのにはいったいどのくらいの手間がかかることやら・・・・。

考えれば考えるほど、テンションは落ちて行ってしまいますね。



 

残念ですね

 投稿者:軍曹  投稿日:2018年10月 2日(火)12時11分31秒
返信・引用
  ジオシティーズの閉鎖、残念です。
僕はニフティですが、そのうち同じ道となるかも。

旅先で調べ事をするときにホームページは欠かせないですがね。
少数切り捨ての昨今の風潮には怒りすら感じます。
 

Re: 「Yahoo!ジオシティーズ」が2019年3月末でサービス終了

 投稿者:余湖  投稿日:2018年10月 2日(火)04時18分43秒
返信・引用
  > No.5680[元記事へ]

城と古戦場さんへのお返事です。

ご無沙汰しております。

ついに来たか、という感じですね。この手の無料サービスは次々と停止されつつあったので、いつかはこういう日が来るとは思っていましたが、とうとう来てしまいました。

私もジオシティで、7つほどのサーバーを使っているので、どうしようかなあ、と考えています。

おっしゃる通り、ホームページを運営している人間にとって「もはやこういうことをやっているのは時代遅れなのか」と思ってしまうことが多いですね。

しかし、情報を得ようと思ったら、ホームページを見るのが一番、便利だと思うのですが・・・・。

今後のホームページの運営をどうしようかなあ、と思ってしまう次第ですね。

 

「Yahoo!ジオシティーズ」が2019年3月末でサービス終了

 投稿者:城と古戦場  投稿日:2018年10月 1日(月)21時19分34秒
返信・引用
  ご無沙汰しています。

「Yahoo!ジオシティーズ」が2019年3月末でサービス終了とのことです。

うちのサイトも初期からヤフーさんのサーバーを使わせて貰っていました。
もう、他のサーバーに移行して、リンクを貼りなおして、、、という気力はありません。

ホームページというコンテンツは、もう時代遅れなのかな?
 

森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)10時15分1秒
返信・引用 編集済
  これも舞鶴市のお城。

小規模な山城であるが、斜面に掘られた20本もの畝状竪堀が特徴的である。舞鶴の城には畝状竪堀が定番なのであろうか。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/maidurusi02.htm#mori


これで余湖図は5990城を越えた。次の遠征で目標の6000城を達成することはもはや間違いないところである。
 

宇谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)10時13分12秒
返信・引用 編集済
  京都府舞鶴市のお城。

3連郭の山城であり、これだけではどうっていうことのない城であるが、なんといっても必見なのは、斜面上に掘られた畝状竪堀!

京都の城郭の中では最大級の畝状竪堀である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/maidurusi02.htm
 

入谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)09時39分44秒
返信・引用
  これも京丹後市のお城。

4重堀切があり、城塁も鋭いなど、見どころはあるのだが、何しろヤブがひどい。

ちゃんとした登城道はないが、東側の清水谷公園から登って行ける。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutangosi01.htm#iritani
 

今井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)09時37分26秒
返信・引用
  これも京丹後市のお城。

国指定の史跡である。といっても国指定の史跡となっているのは古墳であり、古墳の発掘調査の際に堀切や櫓・柵の柱穴が検出されて、戦国期に城として使用されていたことが分かったらしい。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutangosi01.htm#imai
 

京極陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)09時36分13秒
返信・引用
  これも京丹後市のお城。

京極氏1万3千石の陣屋である。吉原山城の山麓にあるが、山城を廃して平地の居館として築いたものである。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutangosi01.htm#jinya
 

吉原山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)09時30分44秒
返信・引用
  これも京丹後市のお城。

丹後最大の山城というだけあって、規模も大きく遺構の鋭さも一級品である。

車で城内まで登って行けるというのもありがたいところである。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutangosi01.htm#yosiwara
 

大森城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)09時29分33秒
返信・引用
  京都府京丹後市のお城。

コンパクトながら現在でも非常に鋭い遺構が残されている。

二重堀切の規模も大きい。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutangosi01.htm
 

新庄城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)07時29分40秒
返信・引用
  これも福知山市のお城。

粟島神社の背後が城址である。

遺構規模が大きく、単なる豪族の居城ではなく、大きな軍事的緊張感の中で成立した城なのではないかと想像する。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/hukutiyamasi02.htm#sinjo
 

笹尾向段城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)07時28分29秒
返信・引用
  これも福知山市のお城。

円応寺の背後の山稜が城址である。

ヤブ化しているが、それなりに充実した遺構が見られる。特に2郭3郭の構造が特徴的である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/hukutiyamasi02.htm#sasao

 

中村城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)07時26分55秒
返信・引用
  京都府福知山市のお城。

塩見氏の居城で、小規模ながら、堀切・横堀といった構造がしっかりとまとまっている。

神社があるので、簡単に登城できる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/hukutiyamasi02.htm
 

嶋間城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)06時30分53秒
返信・引用
  これも綾部市のお城。

比高15mほどの、あまり要害性の高くない台地に築かれている。

地元の豪族であった大槻氏の居城であったと伝えられる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/ayabesi01.htm#simama
 

有岡若宮城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月24日(月)06時29分56秒
返信・引用
  京都府綾部市のお城。

前方後円墳の上に立てられた秋葉社を中心に展開する城郭で、いかにも陣城といった体のものである。規模は小さい。

北側斜面に畝城竪堀があるのが見どころと言える。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/ayabesi01.htm
 

井尻城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)22時40分22秒
返信・引用
  これも京丹波町のお城。

井尻地区には南北に3つの城が並行して存在している。

いずれも谷垣氏の城であったと思湧得るのだが、それぞれ異なった設計の城郭となっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutanbamati01.htm#ijiri
 

上野山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)22時39分10秒
返信・引用
  これも京丹波町のお城。

大円寺墓地の背後の山稜が城址である。

規模はそれほど大きくはないが、よく残っている。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutanbamati01.htm#ueno
 

須知城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)22時38分5秒
返信・引用
  京都府京丹波町のお城。

比高180mの山に築かれているが、登山道が整備されており、意外ときつくない。

この城の1郭の高石垣は見事である。とにかくこれを見るだけでも訪れる価値がある城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyoutanbamati01.htm
 

宍人城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)21時29分31秒
返信・引用
  これも南丹市のお城。

明智光秀の丹波侵攻の先導を務めた小畠氏の居城。そのため小畠氏は近世まで城を維持していたと考えられる。遺構的に見事な城郭である。

谷戸部を挟んで北側には独立性の高い出城が存在しているが、その正体は、明智勢、あるいは元和年間に園部城を築城している間、ここに入城していた小出氏のいずれかによるものだと思われる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/nantansi.htm#sisiudo
 

大戸城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)21時27分24秒
返信・引用
  これも南丹市のお城。

地元の豪族塩貝氏の居城であった。

それほど大規模ではないが、山稜は鋭く、攻めにくい城である。山麓の居館とセットになった山城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/nantansi.htm#ooto
 

八木城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)21時25分40秒
返信・引用
  京都府南丹市のお城。

同名の城郭は兵庫にもあるが、こちらは丹波内藤氏の居城であった拠点城郭である。

拠点城郭だけに古い時代から史料によく表れてくる。もっとも有名な城主は、キリシタン大名であった内藤如安である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/nantansi.htm
 

猪倉城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)19時24分12秒
返信・引用
  これも亀岡市のお城。

比高30mほどだが、周囲に獣除けの柵が巡らされており、進入できる場所が限られている。

地元豪族の居城にしては、けっこう技巧的な城郭である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kameokasi02.htm#inokura
 

神尾山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)19時22分56秒
返信・引用
  これも亀岡市のお城。

比高240mの高い山に築かれているのだが、かなり上の方まで車で行けるのがうれしい。

大規模な山城で、その時代時代で有力者によって使用されてきた城郭である。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kameokasi02.htm#kamio
 

笑路城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)19時21分19秒
返信・引用
  京都府亀岡市のお城。

3期にわたって改修され、石垣造りの櫓台を備えた織豊期の城郭と言われる。

しかし、現状では櫓台はほとんど崩壊してしまっており、原形をとどめていない。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kameokasi02.htm
 

物集女城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)11時28分9秒
返信・引用
  京都府向日市のお城。

宅地開発が進む地域になりながら、奇跡的に現在も水堀を残している。

物集女氏の居城であった。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/mukousi01.htm
 

船岡山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)11時00分8秒
返信・引用
  京都市北区のお城。

応仁の乱の際の西軍の本陣となったことでよく知られているが、現在は公園化のため、遺構的には分かりにくい城である。

西軍の陣地が置かれたため、この辺り一帯を現在でも西陣と呼んでいる。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyotokitaku.htm
 

御土居!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)10時38分54秒
返信・引用
  京都市の城郭遺構。

かつて秀吉が、洛中全体を土塁で囲むという大工事を行ったが、その名残が何カ所か残っている。

今回8カ所の残存遺構を見ることができた。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyotoodoi.htm
 

勝軍山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)09時47分51秒
返信・引用
  京都市のお城。

歴史にも何度も登場し、大規模な遺構を残している山城である。一度は訪れるべき山城!

中腹に狸谷山不動尊があるため、けっこう上の方まで車で行けるのもうれしい。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyotosisakyouku.htm
 

山科本願寺!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月23日(日)09時45分11秒
返信・引用
  京都市山科区のお城。

石山本願寺に移転する前、山科区に総構えを持った本願寺の寺内町が存在していた。

遺構の多くは失われているのだが、現在でも部分的に、遺構が残されている。

http://yogochan.my.coocan.jp/kyoto/kyotoyamasina01.htm
 

情報ありがとうございます。

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月21日(金)00時01分45秒
返信・引用
  あんけんさん、はじめまして。情報ありがとうございます。

中里4丁目の方形館の件、私も良く一紋龍史進さんの城逢人のホームページは拝見するのですが、見落としていました。雰囲気がある場所のようなので一度下宿強清水遺跡と併せて現地を確認したいと考えています。(住宅地が気掛かりですが・・)在地土豪の屋敷と推察されておられますが、やはり滝の城との関連も気になります。

東久留米市の川岸遺跡、私も気になって東京都遺跡地図情報ネットワークを調べてみましたら城館が外されていました。ちなみに東久留米市のホームページでは平成27年調査で「近世の館の可能性」となっていました。ちなみに私が先日閲覧したホームページはこの東京都遺跡地図情報ネットワークの古い?版であったようです。(最新版では練馬区の栗山・右馬頭屋敷も城館が外されていました、又、調布市下石原遺跡も気になります。)

一つ、この東京都遺跡遺跡情報ネットワークを見ていて気になったのですが、中世、近世の遺構で「溝」が検出され城館となっている遺跡があるのですが、この「溝」は空堀という事なのでしょうか?
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月20日(木)04時59分40秒
返信・引用
  > No.5650[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。機会があれば調べてみようと思います。

 

(無題)

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 9月17日(月)21時42分38秒
返信・引用
  こんばんは、あんけんです。
中里4丁目の方ですが市史には掲載されてるようです。東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスでは方形土塁遺構が清瀬市№47遺跡として登録されてて鎧、太刀金具、弓が出土となってます。
現在民家となってるため画像はありませんが、廃城をゆくにも執筆されてる一紋龍史進さんの城逢人で11年前に調べられてます。
http://www.geocities.jp/sisin9monryu/tokyo.kitatama.html

二番目の下宿強清水遺跡は中世の溝が出た事以外基本先土器~縄文時代の遺跡として扱われてるみたいですね。特に発掘報告書が出てるかもわかりませんでした。

東久留米市の川岸遺跡は80×120mの集落・城館とされてましたが、先の東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスでは縄文中期以前の遺構と近世の井戸とだけ書かれてます。図書館でこの報告書があれば詳しく判るかもしれません。
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA7103498X

>狸屋様
他所のサイト事ですから繰り返したくはありませんが、天守の向きと大手前の堀を同一方向に揃えて小天守を大手側に張り出すのは狸屋様の仰る「向きがおかしい」ので誤りだと思います。
 

Re: 返信ありがとうございます。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月15日(土)04時33分13秒
返信・引用 編集済
  > No.5648[元記事へ]

かつさんへのお返事です。

ネットでの情報でしたか。すると、発見されたのはかなり最近のことなのかもしれませんね。宅地開発などにより発見されたのでしょうか。いずれにせよ都内なので、すぐに破壊されてしまいそうですね。

近世に限らず、水堀を巡らせた城館というものは、かなりの数あったようですが、近年ではヤブ蚊の発生源となってしまうので、近所から嫌われて水を抜いたり埋めてしまった例が多いですね。われわれの環郭からすると「もったいない」となってしまうところですが、地元の人にとっては、ヤブ蚊のいない生活の方が大事なのでしょう。

・・・ニュースを見てたら「今週末は3連休ですね」と嬉しそうに言っていたが、土日も仕事だ~♪
 

返信ありがとうございます。

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月14日(金)23時54分28秒
返信・引用
  余湖さん

返信ありがとうございます。今回、この3城館の情報はヤフーの検索エンジンで「東久留米市の遺跡」、「清瀬市の遺跡」と検索すると出て来たホームページで見つけたもので「トップに戻る」をクリックしても「アクセスできません」となってしまいどこの団体のホームページかはっきりしないのです。ちなみに清瀬市中里の遺跡については遺跡概要の所にはっきりと「城館」となっていました。東久留米と清瀬市旭が丘については城館?となっていました。もしかしたら近年、宅地開発や再開発に伴う発掘調査で検出された遺構なのかも知れません。

ちなみに今回、この3城館を見つけたきっかけはこの地域で数少ない城館伝承の地元の「保谷館」の事を調べていて見つけました。ここも東伏見稲荷神社境内で遺構が無いので伝承の域を出ないのですが、隣接の地域が国指定史跡の「下野谷遺跡」を含む一大遺跡エリアで中世の遺構も発掘されていて、かつ、城館を設地するにはむしろこちらの方が理想的でありますので、もしかしたらまだ未知の城館の発見を期待したい所であります。

又、庄屋屋敷の件もありがとうございます。よく確かに土塁や水堀を備えた元庄屋、名主屋敷は城郭さながらですね。中世に城館を構えた小豪族が地元に帰農し、そのままの形態を維持しながら現在も子孫の方が住んでいる、、特に水堀のメンテナンスは大変だろうな、というのはあるのですが、そんなお屋敷はなんだか素敵だと思います。
 

Re: 清瀬市と東久留米市の遺跡について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月14日(金)05時00分38秒
返信・引用 編集済
  > No.5645[元記事へ]

かつさんへのお返事です。

はじめまして。

東京都の城館については、東京都教育委員会の編集した『東京都の中世城館』という本を頼りにしているのですが、清瀬市も東久留米市も登録された城館はない、となっているので、詳細は分かりません。

どなたかご存知の方らいらっしゃいましたら、情報お願いします。

また、近世の遺構=陣屋とは限らないと思います。庄屋屋敷の跡といったものも、城郭遺構を残す場合があると思います。



 

間違えてしましました。

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月13日(木)23時18分40秒
返信・引用
  下の書き込み途中で申し訳ありません。

清瀬市の遺跡ですが、1.2ともに滝の城に関連した城館と見て良いのでしょうか?2は清戸番に関連した城館と見る事はできますが、1は下宿内山遺跡から関越道を挟んでちょうど反対側あたるので関連性が気になります。

3.東久留米市川岸遺跡、浅間町2丁目、井戸検出、遺跡の概要に近世の館?とありました。位置は黒目川と落合川の分岐点の南側になります。このような近世の館と言いますと陣屋という事になるのでしょうか?

ちなみに今回見たのは東京都の遺跡一覧のホームページでした。一度現地を確認したいと思っているのですが、もしこれらの遺跡御存知の方いらっしゃいましたら教えて頂けると幸いです。
 

清瀬市と東久留米市の遺跡について

 投稿者:かつ  投稿日:2018年 9月13日(木)23時05分3秒
返信・引用
  初めて投稿させて頂きます。城郭不毛の多摩地区北部在住の者ですが、最近、近隣の市で発掘調査の結果何か所かで城館の遺構が検出されているようです。そのうち気になる三か所についてお伺いしたいとおもいます。

1.清瀬市中里4丁目、方形土塁検出、位置的には所沢市の滝の城の南西台地辺縁部になります。
2.清瀬市旭が丘6丁目、井戸検出、遺跡の形態は城館?とあり、位置的には余湖さんの滝の城のページにあるした「下宿内山遺跡」に南西隣接したJR貨物新座ターミナル地内になります。

 

Re: 獅子ヶ城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月12日(水)04時21分55秒
返信・引用 編集済
  > No.5643[元記事へ]

y.kobaさんへのお返事です。

初めまして、佐高のOBですか、今も佐渡にお住まいなのですね。私はほとんど帰省しなくなりましたが、たまに無性に望郷の念がこみあげてくることがあります。

中国地方まで車で行かれたのですか? 運転がなかなか大変だったでしょう? 私は遠方に行く際にはLCCを利用することが多いです。九州や四国など、時期によっては片道5000円ほどで行けるので重宝しています。

それではまたです。

 

獅子ヶ城

 投稿者:y.koba  投稿日:2018年 9月11日(火)09時22分50秒
返信・引用
  獅子ヶ城の検索にヒットし、余湖さんのサイトにお邪魔しています。
私も、佐渡高校OBです。観光は神社仏閣が中心ですが、余湖さんほどではありませんが・・・。
今年は6月に、姫路城・岡山城・広島城・岩国城と山陽・山陰地方を回ってきました。
佐渡から中国地方まで車で行くのはかなり遠かったけれど、楽しい旅でした。
来年は、四国を回ろうと思っています。
 

米子城

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 9月10日(月)07時46分7秒
返信・引用
  あんけん様

大手側から見ると小天守が大天守より迫って見えるのはあながち
間違いないと思えます。

35°25'30.9"N 133°19'30.0"E

多くの書籍で見られる米子城の縄張り図は、鳥取県立博物館にある
「伯耆国米子平図」が元になっていると考えられます。



 

Re: 米子城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 6日(木)04時10分36秒
返信・引用
  > No.5640[元記事へ]

あんけんさんへのお返事です。

鳥瞰図は、近世の古図に基づいて作成したものだと思うのですが、それが実際の地形とずれがあったのかと思われます。

そのうち気が向いたら(というかちゃんとした図面が手に入ったら)描き直してみたいと思います。
 

Re: 米子城

 投稿者:あんけん  投稿日:2018年 9月 5日(水)17時25分31秒
返信・引用
  > No.5633[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

こんにちは、あんけんです。
狸屋さんが疑問に感じられてるのは大手前の堀が東西を向いてるからではないでしょうか?構成としては自分もほぼ正しいと思ってますが、方角表示の北が右ではなくやや右下を指すとベターなのでしょうね。自分の持ってる古めの資料でも古絵図のまま大手が北向きになってるものがありますが、実際は北東を向いてると思います。ここの様に縄張りの作りが場所によって斜めってる城は作図が難しいですね。

他所の例を持ち出すのは良くないと思いますが、CGで再現されてる方で小天守が大天守よりも大手門側に出ちゃってたりしますが、山裾部で都合がついてまとまっちゃってしまったのでしょう。

ところで昨年発見された新しい天守の古写真の続報が全く出て来ないのが大変気になってます。テレビでも扱ってたのでガセ画像ではないと思うのですが・・・。
 

Re: 三浦半島城巡り

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 5日(水)04時08分33秒
返信・引用
  > No.5638[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

三浦半島ですか、なんだかとても懐かしいです。というのも、私が初めて千葉城郭研究会の行事に参加したのが、三浦半島で行われた合宿の時だったからです。もうかれこれ20年近くも前のことになるでしょうか。

夏場はヤブがきついですから、ヤブには入りたくはないですが、遺構を見ていると、ついつい入ってしまうことがありますよね。いたし方ありません。

まだまだ暑さが続きますので、あまり無理をされないようにお城巡りを続けてください。

それではまたです。
 

三浦半島城巡り

 投稿者:備前守長政  投稿日:2018年 9月 4日(火)18時26分7秒
返信・引用
  御無沙汰しています。余湖図6千城愈々ですね。随分「余湖図」と余湖さんの訪問記にはお世話になりました。

さて、先日三浦半島に行ってきました。金沢文庫の企画展がメインで、ついでに三浦半島の見残した城を回りました。京浜急行のワンデーパスは中々使いでがあります。

夏ですから藪こぎは無し。公園化した城か、標柱のみの城を中心に、それ以外は望見に止めようと思ったのですが、いざ目の前にすると登って確認したくなります。もうこれは「性(さが)」でしょう。
余湖さんも、城を見れば描きたくなり、記録に残したくなる。これもやはり「性」では無いですか?

因みに藪こぎしたのは、浦賀城、沼浜城、太和田城。それに幼少期読んだ「神奈川の城」所収の鐙摺城、和田館等。本当は三崎城と新井城を再訪するつもりでしたが、藪こぎで時間切れ。又の機会にします。

それではまた。6千城までまずは御自愛の程、願いあげます。
 

Re: お久しぶりです

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 3日(月)03時48分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5636[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

いつもご覧いただいてありがとうございます。
6000城というのは生涯の目標として挙げていた数字なのですが、そのために、いろんな意味でこれまでかなり無茶をしてきたと思います。
城めぐりを楽しむというよりは、ノルマを達成するということの方が目的になってしまっていたというのが現実でした。

記念すべき6000城目をどこの城にするかは、だいたい目星を付けております。

6000城達成以降は、今よりも多少のんびりと城めぐりを楽しむ方向で行きたいなと思っています。ただし、行ってみたい城はまだまだたくさんあるので、実際どうなるのかは、そうなってみないと分かりませんが・・・。

実際にはあまり変わらないかも!?

それではまたです。
 

お久しぶりです

 投稿者:みよさん  投稿日:2018年 9月 2日(日)22時10分10秒
返信・引用
  お元気でご活躍の様子、何よりです。

6000城、毎月10城としても1年で120、50年かかりますね。背景が空色で、各地の模擬天守を紹介されていた頃から、まだ20年余りでしょうか。掲示板をのぞくたびに、ものすごい勢いで更新されているのを驚嘆しながら拝見しております。

私は方向音痴ですし遺構を見ても気づかないことも多いので、「余湖図」を見て、ああ、そうかと勉強させていただいてきたので、このホームページは大切な存在です。

余湖さんの「のんびり」がどのようなものなのかに興味も湧きますし、6000城達成を応援しながらご報告を楽しみにしております。



 

Re: まさに修験者の荒行

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 9月 1日(土)11時04分21秒
返信・引用
  > No.5634[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

こちらこそ、ご無沙汰しております。らんまる殿にはいつも励ましていただいて、ありがとうございます。

これだけホームページを運営していると、たまに「なんでこのようなことをやっているのか」疑問に感じて、むなしくなってしまうことがあります。人から褒められることなどほとんどないし、膨大なエネルギーを無駄使いしてしまったような気分になってしまうのです。そういう時に、ちょっとしたお言葉をいただけると、再び気持ちが高揚してきたりします。

6000城の目標は近いうちには達成できると思いますが、それから後は、ノルマにとらわれず、のんびりと城めぐりを楽しみたいと思っています。思えば、それが本来の城めぐりであったはずで、本来の姿にやっと戻れるかなと思うのです。

宮坂さんの本を全部持っているので、長野はこれからもちょくちょくお邪魔したいと思っております。

らんまる殿も、けっこう危険な山城を回っておられるようですが、事故に遭わないよう気を付けて城めぐりを続けてください。

それではまたです。
 

まさに修験者の荒行

 投稿者:らんまる  投稿日:2018年 8月31日(金)22時38分13秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。

6,000訪城ですか・・・そのレベルまで突き詰めるともはや苦行を乗り越えて悟りが開けるレベルで、地域密着型の小生など想像を絶する世界ですね。
しかも現役世代で仕事を持ちながら全国区行脚。さすがです、ギネス記録申請すれば認定でしょう。

「仕事優先なので、定年後に城巡りします」とかよく耳にします。

寿命なんて神のみぞ知るので、明日の命はわからない。運よく定年まで勤めたとしても、その時に足腰が丈夫であるとは限らないし、闘病生活を強いられて城巡りなど出来ないかもしれない。


余湖さんの6,000訪城は強い意志に裏付けされた奇跡だと思います。蓄積されたHPの記事と余湖図のおかげで小生を含めた全国の城好きがどのくらい助けられたか。感謝申し上げます。

小生は宮坂武男氏の「図解山城探訪」をデジタル化する事を目的に約1,200ぐらいの城址を探訪していますが、なかなかブログへの掲載は腰が引けてしまって滞りがちです。

6,000で一区切りしたら、是非とも「生き急ぐ」のをやめてくださいネ。
まだまだ我ら中世城郭ヲタクのアイドルでいてもらわないと困りますから・・・(笑)

http://ranmaru99.blog83.fc2.com/

 

Re: 米子城

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月29日(水)04時27分12秒
返信・引用
  > No.5632[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

そうですか。
 

米子城

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 8月28日(火)11時58分57秒
返信・引用
  内堀が北西から南東にむかって約45度の角度。
天守の三段の石垣の一番下の部分と、小天守の石垣を結ぶ線が
内堀にほぼ平行なので、小天守は旧市街地から正面に見える
形になります。

http://tomomori-kogyo.co.jp/yonago-jyo/yonago-gotoukogyo-CG.htm
 

Re: 雑談

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月28日(火)04時32分46秒
返信・引用 編集済
  > No.5630[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

米子城の本丸の向きが違っていますか? 航空写真で確認してみましたが、合っていると思うのですが。
 

雑談

 投稿者:狸屋  投稿日:2018年 8月27日(月)21時17分38秒
返信・引用
  余湖様

あと退職まで何年になりましたでしょうか?
多分私の方が若いと思いますが、ひょいひょい先を進まれていたので
体力や気力は感心していましたが、あまりご無理をせぬように。

※退職後でかまいませんから、米子城の本丸の向きがおかしいので
ご訂正のほどをお願いいたします。
 

余湖図6000城まで・・・・

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月27日(月)14時02分12秒
返信・引用 編集済
  これまで何十年もかけて描き続けてきた余湖図であるが、現在5940城を越えている。
自分としては、生涯での余湖図作成は6000城を目標と決めていたので、そろそろ終盤に近付いてきていることを感じる。自分の体力・気力から見て、7000城を目指すのはもう無理だと思う。

この調子では、今年中に6000城は達成できそうである。これは私にとっては非常に大きなことである。何でかというと・・・・6000城を越えたら、もうむやみな城めぐりはせずに、のんびりと楽しみながら城歩きすることができるようになるのではないかと思っているのである。

思えば、自分の城めぐりは、趣味的な楽しみというよりは、荒行苦行に近いものである。
城めぐりをする日は、早朝早くから暗くなるまで(時には暗くなってからも)かなり早いペースでひたすら城を探査し続けている。これを荒行と呼ばずして何と呼ぼう。自分で自分をいじめているのと一緒で、体力的に限界になるまで歩き続けている。

城めぐりを終えて帰宅してからもかなり精神的に疲れる作業が待っている。おそらく普通にお城巡りをしている人は、帰宅したら、写真を整理して「こんな城を回ったなあ」と思い出して懐かしむくらいなのではないだろうか。

私の場合、写真の整理は当然として、回った城すべてについて余湖図を描き、記事を書いてホームページを更新している。それもかなりの速度である。これも実はけっこうつらい。

「余湖図1枚描くのにどのくらいかかるのですか?」と時折聞かれる。複雑な城であるか単純な城であるかによって作成時間は全然違ってくるのであるが、平均すると1枚20~30分ほどで完成する。これも相当の速さではないだろうか。

しかし、そういう城めぐりにはほとほと疲れてしまったというのが事実である。

6000城を達成したら、後はのんびりと楽しみながら城めぐりをするようになりたいものだと思っている。

6000城目はどこのお城になるのであろうか・・・・。できれば、6000城記念にふさわしい城になることを期待している。

 

廃城をゆく6発売!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月24日(金)04時25分24秒
返信・引用 編集済
  『石垣の城を極める! 廃城をゆく6』が発売されました。
今回は石垣がテーマとなっています。
よろしかったらご覧になってください。
 

赤埴下城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時54分38秒
返信・引用
  これも宇陀市のお城。

赤羽氏の城郭である。単純だが分かりやすい山城だ。

赤羽氏の城としては上城の方が本城であったと思われるが、今回は訪れやすい下城だけの訪問となった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/udasi02.htm
 

五津城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時52分10秒
返信・引用
  奈良県宇陀市のお城。

山稜先端部に主郭を置き、その周囲に二重の横堀を巡らせ、その横堀が南側の両端に竪堀となって落ちて行って城域を形成しているという変わった形状の城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/udasi02.htm
 

芝村陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時26分13秒
返信・引用
  これも桜井市のお城。

織田有楽斎の4男長政が1万石を分地されて芝村範を成立させたのちに築いた陣屋である。

その名も織田小学校が陣屋の中心部で、石垣が残されている。また外堀の一部も残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/sakuraisi01.htm#sibamura
 

赤尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時24分42秒
返信・引用
  これも桜井市のお城。

南北朝時代に築かれ、戦国期には松永弾正の陣城として使用された城である。

二重堀切や二重横堀、鋭い城塁など、一通り見どころのある遺構がそろっている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/sakuraisi01.htm#akao
 

谷城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)16時23分19秒
返信・引用
  奈良県桜井市のお城。

若桜神社が城址で、神社周辺に堀や土塁がよく残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/sakuraisi01.htm
 

藤森環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時38分49秒
返信・引用
  奈良県大和高田市のお城。

これも堀がよく残されている環濠集落である。堀は直線的ではなく、あちこちに折れが見られ、いかにも城塁のような形状を見せている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamatotakadasi.htm
 

若槻環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時33分47秒
返信・引用
  これも大和郡山市のお城。

こちらの環濠はかなり埋められてしまっており、水路になってしまっている部分が多いが、史料にはよく登場する環濠らしく、案内板も設置されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamatokooriyamasi02.htm#wakatuki
 

稗田環濠!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時32分45秒
返信・引用
  奈良県大和郡山市のお城。

奈良の環濠集落の中でも、最も堀の残りがよい環濠集落である。水量が豊富な水堀が周囲を巡っており、そばを歩いていると、涼し気な気分になるのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/yamatokooriyamasi02.htm
 

新庄城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)15時14分17秒
返信・引用
  奈良県葛城市のお城。

屋敷山古墳を利用した城で、城というよりは桑山藩1万Ⅵ千石の陣屋であった。

なぜか立ち入り禁止になっていて、登ることはできなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/katuragisi02.htm
 

貝吹山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)14時54分58秒
返信・引用
  奈良県高取町のお城。

奈良を代表する山城の1つであり、多数の郭を造成した城である。城へはハイキングコースが通じているが、夏場では周辺部の探索は難しい。

越智氏・筒井氏・松永氏らが三つ巴で何度も攻防戦を繰り広げた城郭である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/takatorimati.htm#kaibukiyama
 

高安城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時57分8秒
返信・引用
  これも平群町のお城であるが、大阪府八尾市との境界に当たるので、大阪の城であるともいえる。

高安山の山頂に築かれた城であるが、城の真下まで車で行けるので、意外とアクセスが楽ちんな山城である。遺構もそれなりに充実しており、見どころがある。

松永弾正の信貴山城の出城として使用された城であったと思われる。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/hegurimati.htm#takayasu
 

下垣内城・西宮城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時55分35秒
返信・引用
  奈良県平群町のお城。

2つの城が並立して存在していたのだが、公園化されているために、いずれも遺構が失われてしまっている。

それよりも、ここの城主の島氏の子孫が島左近である。島左近の先祖の城というだけで、訪れてみる価値があるように思ってしまうのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/hegurimati.htm#simokaito
 

柳本陣屋!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時26分26秒
返信・引用
  天理市のお城。

織田有楽斎の所領が大和にあるとは知らなかった。ここは織田有楽斎の5男尚長が起こした1万石の陣屋である。

現在、遺構らしきものはほとんどないが、近所の民家に城門が移築されているらしい。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/tenrisi02.htm
 

福住中定城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)13時25分15秒
返信・引用
  これも天理市のお城。

単郭ながら、内枡形と馬出を組み合わせるなど、かなり技巧的な山城である。周囲を巡る横堀や鋭い城塁など、かなりしっかりと造られた城郭である。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/tenrisi02.htm
 

豊田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)12時59分10秒
返信・引用
  奈良県天理市のお城。

『戦国の城を極める! 廃城をゆく5』に取り上げられていたので、訪れてみたのであるが、とにかくヤブがひどくて道もわかりにくい。初心者は迷子になってしまいそうな山城である。

『廃城』がどうしてこのような難易度の高い城を取り上げたのか、理解に苦しむのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nara/tenrisi.htm#toyoda
 

栄山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年 8月20日(月)12時17分43秒
返信・引用
  これも五條市のお城。

比高100m以上の山稜に築かれているが、城址が緑地公園となっており、車でアクセスできるので実に楽チンな山城である。

しかし、たいした遺構は残っていない。

http://yogokun.my.coocan.jp/nara/gojousi01.htm#sakae
 

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