teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:27/6471 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

子供の頃の歴史認識

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 2月 7日(金)04時22分10秒
  通報 返信・引用 編集済
  『国盗り物語』のことをずっと書いているのだが、ここまでなぜ『国盗り物語』にこだわるかといえば、これによって私の歴史認識が形成されたからである。

幼いころ、歴史の勉強などはしていなかったから、歴史に関する知識は、大河ドラマを見ている印象からくる断片的なものしかなかった。

記憶も断片的にしかなかったのだが『天と地と』を親と一緒に見ていて、私はこう思いこんでいた。

日本を、武田信玄と上杉謙信とが2分して戦っていたんだなあ、と。

だって、上杉と武田が戦っている場面ばかりだったから、この2人が日本を二つに分けて抗争を展開していたのだと思い込んでしまったのである。

その頃、家に「信長と秀吉と家康」というタイトルの歴史書が置いてあった。当時はそれを読めるほどの読解力がなかったが、親からそうした武将がいるという話は何となく聞いていたので、私は上杉VS武田の時代の後は、織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の3人が日本を3つに分けて戦っていた時代があった、と考えていた。

子供の頃の知識なんて、テレビの受け売りだから、そんなものである。

同じころ『水戸黄門』を見ていたため、水戸黄門は日本で一番偉い人物なのかと思い込んでいた。だって、みんな黄門様にひれ伏すんだもん。

だから、ある時、江戸城に登城するシーンで、黄門様が将軍にひれ伏しているシーンを見て愕然としたものだ。もっと上がいたのか!

愕然とする私を見て、親は言った。「そりゃ、将軍の方が上だよ」

どうやら将軍様というのが一番偉かったらしいということが分かった。

だから、『一心多助』というドラマで、将軍に堂々と意見する大久保彦左衛門を見て、「この人と水戸黄門とどっちが偉いのだろう」と考え込んだりした。

さらに同じ頃『樅の木は残った』を見ていて、原田甲斐は、日本の政治を動かしている大人物、というように思いこんでいた。

話は戻る。『国盗り物語』を見て私が衝撃に思ったこととは、「信長と秀吉と家康とは、敵対していたんじゃなくて、同じ仲間だったのか!」ということであった。そのことを『国盗り物語』によって初めて知ったのである。

しかも、時々、武田信玄や上杉謙信の話題も出てくる。こいつらも同じ時期に生きていたのか!

武田と上杉とが日本を二分していたわけではなく、この2人がやっていたのが地方の争いに過ぎなかったのにも驚いた。

みんな戦国時代の人物だったのかあ!

同じ頃、小学校の授業でも、初めて歴史というものを学んだ。教科書には、日本地図に戦国時代の勢力図が描かれていて、戦国武将の名前が書かれていた。

「武田信玄と上杉謙信は、この程度の勢力だったのかあ、意外に小さく、日本を2分していなかったんだな」とか、
「信長と家康は書いてあるけど、秀吉は信長の家臣だから書いてないんだな」とか思った。

その中で、長宗我部元親という名前が目についた。長宗我部! こんな変わった名前の武将がいたんだあ、と名前を見て衝撃を受けた。四国は長宗我部かあ。

九州は、竜造寺隆信と大友宗麟と島津貴久の3人が3分していた。3人とも、なんだか格好よさそうな名前だなあ。特に竜造寺隆信って名前が一番カッコイイ。

島津貴久は、大人になってからちょっと疑問に感じた。竜造寺隆信と大友宗麟と同時代だったら、島津義久じゃなかったのかな。でも小学生の私は「九州南部は島津貴久」と心に刻んでいた。

『国盗り物語』のことを書いていたら、子供の頃のそんな話を思い出してしまったので、なんとなく書いてみた。

『国盗り物語』にものすごくこだわってしまっているようだが、これだけ決定的に自分の知識を刷り込まれてしまったのだから、そう思ってしまうのも仕方のないところである。

私の意識は『国盗り物語』からなかなか抜け出すことができないのである。
 
 
》記事一覧表示

新着順:27/6471 《前のページ | 次のページ》
/6471