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竹中半兵衛

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 1月31日(金)04時13分42秒
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  竹中半兵衛は、秀吉の軍師と言われている人物であるが、『国盗り物語』では、特別軍師としては扱われていなかったと思う。秀吉の良き相談相手といったイメージであった。

米倉斉加年の演じる半兵衛は、妙に力が抜けていて、現実を達観した仙人のような人物像であった。

しかし、それがいかにも頼もしく、思いやりのある善人として描かれていた。

黒田官兵衛が荒木村重の城に拉致されてしまった際、信長は「官兵衛が村重に同調して裏切った」と思い込んで怒り、「長浜城に預けてある官兵衛の嫡子を殺せ」と秀吉に命じる。

秀吉の下には、官兵衛の嫡子松壽丸が人質として預けられていた。松壽丸を殺害したくない秀吉は苦悩する。そして半兵衛に相談する。

その時の半兵衛の姿が印象的で忘れられない。

「長浜へは私が行こう・・・。私が亡き後、官兵衛殿は藤吉郎殿にとって最もよき相談相手になる人物。官兵衛殿の気持ちが離れてしまうようなことをしてはなりますまい」

「松壽丸を助けるのか!」

「罪は私がかぶります・・・」

信長の命令に逆らうことは、よくて追放、悪ければ死罪になりかねない行為である。それを知ったうえで、半兵衛は自ら罪をかぶって、松壽丸を殺害しないことにしたのである。

この辺りの下りは原作の『国盗り物語』にはなく、『播磨灘物語』に描かれているエピソードであることを後に知った。

あの恐ろしい信長の命令に逆らって、半兵衛が自らの身を顧みずに松壽丸の命を救う・・・なんて立派な人物なのだろうと思った。

それにしても秀吉はちょっとずるい。半兵衛に相談すれば、半兵衛がそのように行動するであろうことを見越していて相談したのであろう。

その後、自らの居城で松壽丸を薫陶して育てる半兵衛の姿が描かれていた。ナレーションでは「半兵衛は己のもつすべての知略をこの幼い子供に伝達した」とあった。松壽丸を馬に乗せて夕陽に向かって走る半兵衛。そして三木城攻めの陣中で、半兵衛は病没する。

伊丹城が没落した後、そこからボロボロになった官兵衛が救出された。官兵衛に面会した信長は、めずらしく「勘兵衛よ、許せ」と後悔した。

「お許しください。実は、官兵衛の息子は、半兵衛がひそかにかくまっておりました」という秀吉の言葉に安堵した信長は「官兵衛といい、半兵衛といい、猿めは、いい家臣を持ったものだ」とつぶやくのである。

半兵衛が天才的な軍師のような人物であったのかどうかは知らない。しかし、聡明で思いやりのある立派な人物であったことはこのエピソードから感じたものだ。あの米倉斉加年の力の抜けたような半兵衛の姿は決して忘れられない。

後に『関ケ原』を読んだときに、松壽丸(後の黒田長政)の行動を見て「秀吉に助けられたくせに、何で家康の味方をするんだ。半兵衛から教えられた知略を豊臣家没落のために使うのか!」と憤慨したものである。

近年になって、三木城の付け城群を回った際に半兵衛の墓に詣でることができた。「これがあの半兵衛の墓か」と思って、手を合わせた。感慨深かった。

竹中半兵衛もそんな意味で、私にとって印象深い人物なのであった。
 
 
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