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本能寺4

 投稿者:余湖  投稿日:2020年 1月21日(火)04時13分2秒
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  ここまで述べてきたとおり、明智光秀が本能寺の変を起こした理由は、彼自身がパワハラ上司の圧力に耐えきれなくなったからだと思う。周囲に陰謀をそそのかす連中がいたとしても、それに乗っかかるほどに彼の精神状態が病んでいたからであり、乱を起こした究極的な原因は光秀の心理状態そのものにある、というのが私がずっと思っていたことである。子供のころからこの見方は変わっていない。どんな説が出てきても、である。

ということで、この変の発生原因については、昔から迷うことなく思っていたのだが、発生原因以外に子供のころから疑問に思っていることが、いくつかある。

そのうちの1つが、秀吉の動向である。

秀吉は備中で毛利と対陣中であったが、変の発生当時、毛利との和睦交渉を進めている最中であった。だからこそ、変を知った直後、清水宗治を切腹させることで、和睦交渉を早急に締結することができ、明智勢との決戦のために都に赴くことができたのである。

これがどうもおかしい。

秀吉はなぜ、変の前から和睦交渉を進めていたのか?

今回、秀吉が信長に援軍要請を頼んだのは、名目上は「毛利の大軍に、自分の一手だけでは対抗することができないため上様に出御してほしい」ということであった。

実際には、秀吉一手だけでも決戦で勝てる可能性はあったのだろうが、毛利を自分の一手だけで駆逐することは、秀吉はなんとしてでも避けたかったはずである。

自分の一手だけで毛利を駆逐する・・・それはあまりにも功績が大きすぎる。信長のような猜疑心の深い上司の下にいた場合「これほどの大きな手柄は信長自身に立てさせたほうがよい」と考えるはずである。

秀吉一手で毛利を駆逐してしまった場合、信長は秀吉の実力に脅威を抱き、いずれ必要がなくなった場合には、秀吉を抹殺するかもしれない。秀吉が漢の劉邦のことを知っていたかどうかは知らないが、功績を立て過ぎた功臣の末路がどうなるかを、想像できる人物であったと思う。秀吉は信長の心理を読める人物であったと思うのである。

だからこそ、秀吉は信長の援軍を頼む必要があったし、毛利との決戦を前にして「上様の手を借りたい」と懇願してくる秀吉のことを、信長は心憎からず思っていたことであろう。

決戦に勝利した後は「上様が出てきてくださったからこそ、あの大毛利を破ることができました。すべて上様の御威光のおかげ」と口上しておけば、自身の保身のためになるのである。というか、そうしておかないと自分の将来が危うい。

つまるところ、秀吉は、毛利との決戦のために信長の出御を待っている立場であり、勝手に和睦など結べないはずである。

せっかく信長が出御してきたのに「もうすでに和睦が成立しております」と秀吉が言ったならば、信長は「自分がくる前に勝手なことをした」と秀吉に対して激怒するに違いない。

数年前、中国地方の攻略のために、秀吉が宇喜多直家を調略したことに対して、信長は「勝手なことをした」といって激怒し、秀吉は叱責されている。

『国盗り物語』においても、「宇喜多は滅ぼす予定だ。秀吉め、なぜわしに相談せずに勝手な判断をしたのだ」と信長が激怒して、秀吉が平伏するシーンが描かれており、とても印象に残っている。

だから上月城の山中鹿之助へ援軍を送る際には、信長に相談し、信長に「見殺しにせよ」と言われて、秀吉は泣く泣く鹿之助を見殺しにしてしまっている。

同じような過ちを秀吉は犯さないはずである。つまり、信長の到着前に勝手に和睦交渉などできないはずなのである。

なぜ、信長の到着前に秀吉は毛利との和睦交渉を始めていたのか。これが子供の時からずっと抱いてきた疑問の1つである。

実は秀吉は光秀と連携しており、本能寺の変が発生することを知っていたから、というように短絡的には考えていない。しかし、そこには何らかの事情があったものと思っている。

しかし、その事情とは一体何だったのであろうか。いくつか考えられることはあるのだが、いずれも自分自身が納得できるようなものではない。

そんなこともあって、本能寺の変の前に、なぜ秀吉が単独で毛利との和睦交渉を進めていたのかが、昔からずっと謎に思っているのである。

光秀がなぜ本能寺の変を起こしたのかという問題よりも、こちらの方を私はずっと疑問に感じていた。

秀吉に何があったのか?
 
 
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