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新城かも?

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2019年 2月18日(月)09時24分42秒
返信・引用
  余湖さん、おはようございます。
大子町、月居山から見下ろす袋田の正面の山です。
遺構らしきものが見られましたので報告いたします。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/GPSmap/gsimap2.htm?lat=36.753753&lon=140.382478&zoom=16&url=kuji/fuku_i.kml

http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/index.html

 
 

Re: 益子城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月17日(日)17時55分24秒
返信・引用
  > No.5901[元記事へ]

Yamada Taroさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。
益子城を訪れたのはもうずいぶん前のことで、夏場でちゃんと図面を描ける状態ではなかったことと、小学校の敷地になって改変が進んでいたのとで、あまりまともな記事が書けていなくて恐縮です。

さっきgooglemapを見てみたら、おっしゃる通り、校舎が新しくなり配置も変わっていました。これでますます破壊が進んでしまったのではないかと思います。

現在はgoolemapでも「益子城」という表示がなされていますね。益子城のことがだいぶ世間でも認識されるようになってきたということなのでしょうか。遺構はあまりよく分かりませんが・・・・。

それではまたです。

 

益子城

 投稿者:Yamada Taro  投稿日:2019年 2月17日(日)15時02分59秒
返信・引用
  いつも参考にさせてもらってありがとうございます。
本日、当サイトを参考に益子城に行ってきました。
益子小学校が新設されていて、プールと校舎が逆転していました。
フェアレディーZに乗って出かけたので、駐車場が無く帰りましたが、
次回はバイクで登城しようと思います。
 

駿府城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時38分29秒
返信・引用
  言わずと知れた駿府城であるが、本丸天守台が発掘中であるということで、再訪してきた。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokasi.htm
 

二つ山南砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時25分17秒
返信・引用
  これも藤枝市のお城。

北砦のすぐ南側にあり、「二ツ山」のもう一つの方の砦であったと考えられている。
熊野権現の祭られている山稜である。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hujiedasi02.htm#kita
 

二ツ山北砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時24分19秒
返信・引用
  これも藤枝市のお城。

天正9年、徳川家康が田中城を攻撃した際に「二山に陣取る」という記述が『家忠日記』に見られ、その際の陣城であったと考えられている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hujiedasi02.htm#kita
 

八幡山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時22分56秒
返信・引用
  静岡県藤枝市のお城。

独立丘陵にある青山八幡宮が城址である。

小規模ながら堀切や土塁、虎口など、城郭のセットが確認できる。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/hujiedasi02.htm
 

石脇城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時21分35秒
返信・引用
  静岡県焼津市のお城。

小規模な山城であるが、周囲の土手は急峻である。

今川義忠死後の家督相続争いの際に、伊勢新九郎が居城としていた城ということで、由緒正しき山城である。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/yaidusi01.htm#isiwaki
 

徳願寺!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時20分24秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。

徳願寺そのものが地勢の高い「平城」という地名の所にあり、城郭であった。

山上には山城もあるが、そちらは時間の関係で訪れることはできなかった。

ここのアヒルが人になついていて可愛いのであった。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokasurugaku.htm#tokuganji
 

有東砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時17分26秒
返信・引用 編集済
  これも静岡市のお城。

八幡山城のすぐ南側にある。

1郭は城郭らしい雰囲気を残している。やたらと「花火禁止」の立て札が置いてあるのが目立っている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokasurugaku.htm#utou
 

八幡山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時16分33秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。

静岡駅近くの独立山稜に築かれている。

たいした遺構はないが、太田道灌や伊勢新九郎が陣を置いた場所ということで、歴史的には由緒のある城址である。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokasurugaku.htm
 

尾沢渡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時14分43秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。

黒俣川に臨む急峻な山上に築かれている。

二重堀切や馬出状の郭を配置するなど、武田氏による陣城と考えられている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokaaoiku02.htm
 

Re: 講演会の件

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月16日(土)04時13分23秒
返信・引用
  > No.5890[元記事へ]

引田克治さんへのお返事です。

了解しました。
 

講演会の件

 投稿者:引田克治  投稿日:2019年 2月15日(金)14時09分17秒
返信・引用
  常陸佐竹研究会の引田です。3月2日(土)の講演会の件ですが,パソコンとプロジェクター スクリーンは用意しますが,講演用のUSBメモリーは持参していただくようお願いします。
 

萩多和城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月15日(金)04時29分3秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。といっても本川根町の近くであり、かなりの山中にある。
藁科川がヘアピンカーブを描いている地形に築かれた城である。
1郭まで車道があるのだが、途中どうしても民家の庭先を通らねばならず、気が引けてしまう。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokaaoiku.htm#hagitawa
 

安倍本城・久住砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月15日(金)04時27分21秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。

南北朝時代に築かれた狩野氏の拠点である。
ハイキングコースとなっているということだったが、比高350mほどもあり、片道1時間半もかかるという。
最も短時間で回れる増善寺からのコースを使用したが、これがなかなか大変であった。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokaaoiku.htm#abe
 

愛宕山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月15日(金)04時25分47秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。

市街地の真ん中の独立山稜に築かれている。
神社となっているということであまり期待していなかったのだが、立派な山城であった。それも公園として整備されている。
近くの雲龍寺には寿桂尼の墓所があった。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokaaoiku.htm#atago
 

賤機山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月15日(金)04時24分19秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。

今川氏館の詰の城であったと思われる山城である。
ネットの情報では、徒歩1時間かかるとあったが、15分で登れるルートを発見して登ってみた。
今川氏の詰の城としては、思ったほどの城ではなかった。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokaaoiku.htm
 

庵原城・・・

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月14日(木)04時47分28秒
返信・引用
  これも静岡市のお城。

今川家臣庵原氏の居城であるが、高速道路が城内を分断しており、遺構はほぼ隠滅状態である。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokasimizuku.htm#ihara
 

常円寺城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月14日(木)04時46分10秒
返信・引用
  静岡県静岡市のお城。

今川家臣由比氏の居城である。城円寺という寺院になっているが、台地そのものの要害性が高い。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/sizuokasimizuku.htm
 

一色城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月14日(木)03時57分23秒
返信・引用
  静岡県長泉町のお城。

長久保城のすぐ東側にあり、長久保城の出城であったと推測される。
後には徳川家康家臣牧野氏の支城となった。
2郭構造ながら重厚な土塁や堀が残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/nagaizumimati02.htm
 

柏木屋敷!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月14日(木)03時55分49秒
返信・引用
  これも裾野市のお城。

中世柏木氏の居館である。
公園として整備され、単郭の平城ながら、土塁や堀がよく残されている。
場所がちょっと分かりにくい。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/susonosi02.htm#kasiwagi
 

深良の陣山!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月14日(木)03時54分25秒
返信・引用
  これも裾野市のお城。

寺院の背後に陣山と呼ばれる低い山がそびえている。
上がってみると、それなりに陣城らしい雰囲気の遺構が残されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/susonosi02.htm#jinyama
 

大畑城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月14日(木)03時53分10秒
返信・引用
  静岡県裾野市のお城。

大日堂の上の山に、小規模ながら、そこそこ技巧的な城郭が残されている。

しかしヤブである。

http://yogokun.my.coocan.jp/sizuoka/susonosi02.htm
 

Re: 講演会の件

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月 5日(火)03時46分18秒
返信・引用
  > No.5878[元記事へ]

引田克治さんへのお返事です。

了解しました。よろしくお願いいたします。
なお懇親会は5時くらいまででしたら参加可能です。
 

講演会の件

 投稿者:引田克治  投稿日:2019年 2月 4日(月)23時32分46秒
返信・引用
  引田です。パソコンとプロジェクターは用意します。なおスクリーンは会場の白壁を利用することで打ち合わせしてきました。  

Re: 講演会の件

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月 4日(月)03時49分27秒
返信・引用 編集済
  > No.5876[元記事へ]

引田克治さんへのお返事です。

了解しました。当日は車で、一人で行きます。
パソコンとプロジェクターの用意、お願いいたします。
資料は昨年の発表の前に送信してあったと思いますが、同じものを使用しますので、それをそのままご用意していただければと思っていますので、よろしくお願いいたします。

 

講演会の件

 投稿者:引田克治  投稿日:2019年 2月 4日(月)02時40分20秒
返信・引用
  常陸佐竹研究会の引田です。3月2日の講演会よろしくお願いします。当日は午後1時から総会を行ない,その後に先生の記念講演を行なっていただきます。開始時間は午後1時40分ぐらいからです。持ち時間は1時間10分ぐらいでお願いできればと思います。
ところで先生は当日常陸太田への交通機関は何を利用されるのでしょうか? 列車でしょうか?自家用車でしょうか? 同行されてくる方はいるのでしょうか?
それから,先生の記念講演の後に当会の会員達と一緒に懇親会を同会場で予定していますので,是非とも参加願います。
 

Re: 菅原城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月 3日(日)18時07分30秒
返信・引用
  > No.5874[元記事へ]

むぎさんへのお返事です。

我々は南側から登ったので、北側の登城路は気が付かなかったのですが、居館が北側にあるのですから、大手口が北側であっても不思議はないですね。

地形図を見ると、確かに西側に尾根が長く延びているので、横尾さんの言っている曲輪群というのは、西側の尾根続きを抑えるためのものだったのではないかと推測されます。

 

菅原城

 投稿者:むぎ  投稿日:2019年 2月 3日(日)06時11分7秒
返信・引用
  私が大手道だと思って登っていた場所は横尾さんのおっしゃっている西尾根の郭だったのでしょうか?
大堀切までであれば大手(北側)側から登ると這うように登らず行くことが出来ます。
もし、お時間があったら「むぎの城さんぽ・菅原城」でご覧いただけたらと思います。

http://blog.goo.ne.jp/mugiide

 

Re: 菅原城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月 3日(日)05時48分47秒
返信・引用
  > No.5871[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

ご無沙汰しています。

菅原城ですか、何年前だったか、ご一緒しましたよね。懐かしいです。

近くに立ち寄る機会があれば、また訪れてみたいです。

 

Re: 烏山リュウガイ城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月 3日(日)05時47分45秒
返信・引用
  > No.5870[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

烏山リュウガイ城ですか? 行ったことがあるかどうか記憶にないのですが、まだであったなら、そのうち行ってみたいです。

難題山城は半日かけてのんびりと登城した記憶があります。茨城では屈指の山城でしたね。

 

菅原城

 投稿者:横尾  投稿日:2019年 2月 2日(土)19時53分21秒
返信・引用
  本日、菅原城へ久しぶりに登ってきました。宮坂氏の縄張り図にない西尾根を発見してきました。余湖さんの俯瞰図では、曲輪9から大堀切を(かなり深く、誰もが戻ってしまうようです。)曲輪9からすかして見ると、曲輪らしきものが見えたため、越えて見ますと、驚くほどの西尾根の遺構が縄張りされていました。機会があれば出かけて見てください。
1枚目 曲輪9
2枚目 大堀切
3枚目 大堀切の上にある西曲輪を下ると、大きな曲輪があります。この先の西尾根にも遺構があり、縄張り図を大幅に書き加える必要があります。

https://blogs.yahoo.co.jp/yokoo_3158

 

烏山リュウガイ城

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2019年 2月 1日(金)14時04分54秒
返信・引用
  余湖さんこんにちは。

「栃木の中世城郭」の記事を見て那須烏山に行ってきました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/GPSmap/gsimap2.htm?lat=36.663809&lon=140.185383&zoom=17&url=totigi/karasu_i.kml

それから、難台山城と観音平遺構群です。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/GPSmap/gsimap2.htm?lat=36.301700&lon=140.223695&zoom=17&url=ibaraki/nandai_i.kml

http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/index.html

 

Re: 追加情報とお願い

 投稿者:50storm  投稿日:2019年 2月 1日(金)08時01分10秒
返信・引用
  余湖さんへ。実は、南東へいく道が正規ルートで、我々が降りてきた道は、サブルートでした。
どちらも途中で合流するので、間違いではないとのことです。
野口城の件、よろしくお願いします。
>
>
 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月 1日(金)04時07分46秒
返信・引用
  > No.5866[元記事へ]

香音さんへのお返事です。

千葉県内にも陣屋はかなりの数あったのですが、そのほとんどが埋もれてしまっており、地元でも認知されていない場合もけっこうあります。このように関心を抱いてくださる人がいるのは、とても喜ばしいことだと思います。

おっしゃるように、地元の学芸員さんに聞くのが一番よく分かるかもしれません。餅は餅屋ってことですね。

もし花房陣屋の旧態等、何かわかったことがありましたら、教えていただけるとありがたいです。基本的に形態が分かったものは鳥瞰図にすることにしていますので。

前原陣屋についてはまったく分かりませんね。私はgooglemapの誤記の可能性もあるのではないかと思っています。他地域でそういうケースもありますので。

それではまたです。
 

Re: 追加情報とお願い

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 2月 1日(金)04時03分14秒
返信・引用
  > No.5863[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

そうでしたか。それなりの遺構を残しており、山麓からもそんなに遠くないのですから、なんらかの伝承があってしかるべきかと思いました。

われわれが降りてきた道がかつての尾根道だったのですね。ちょっと気になっているのは、われわれが降りてきた道と並行して南東側にもう1本、城へと続く道があったのですが、そちらではないということですよね。

野口城の件、了解しました。今度の日曜日には少し時間が取れそうなので描いてみます。

それではまたです。

 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:香音  投稿日:2019年 1月31日(木)23時00分1秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。
早々にお返事をいただいたようで、ありがとうございました(*^^*)
謎が多く、調べる価値はありそうです!
家の裏の神社には、教育勅語も飾られているので、何か歴史がわかるかもしれません。
郷土資料館の学芸員さんにも訪ねに行ってみたいと思っています。
貴重なご意見、ありがとうございました!
> 香音さんへのお返事です。
>
> 花房陣屋は、明治になってからの陣屋ということもあって、あまり知られてはおらず、遺構も湮滅してしまっているので、認知されづらい陣屋であると思います。
>
> 城郭のことを知るために私が利用しているのは、主に『日本城郭体系』と『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』の2冊です。
>
> その他には小高春雄さんの地域ごとの城郭シリーズがとても詳しいです。こちらは図書館にあるかどうかはわかりません。
>
> 陣屋に関しては、かつて報告書が作成されており、ネットでも見ることができます。花房陣屋の記述についてもこれが一番詳しいのではないでしょうか。
>
> http://www.echiba.org/pdf/kiyo/kiyo_028.pdf
>
> 前原陣屋のことは知りませんでした。花房陣屋の項目を見ても、その別名であるとは書いてないようです。googlemapの誤記の可能性もあると思われます。
>
>
 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:香音  投稿日:2019年 1月31日(木)22時57分56秒
返信・引用
  余湖さんへのお返事です。
早々にお返事をいただいたようで、ありがとうございました?
謎が多く、調べる価値はありそうです??
家の裏の神社には、教育勅語も飾られているので、何か歴史がわかるかもしれません。
郷土資料館の学芸員さんにも訪ねに行ってみたいと思っています。
貴重なご意見、ありがとうございました??
> 香音さんへのお返事です。
>
> 花房陣屋は、明治になってからの陣屋ということもあって、あまり知られてはおらず、遺構も湮滅してしまっているので、認知されづらい陣屋であると思います。
>
> 城郭のことを知るために私が利用しているのは、主に『日本城郭体系』と『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』の2冊です。
>
> その他には小高春雄さんの地域ごとの城郭シリーズがとても詳しいです。こちらは図書館にあるかどうかはわかりません。
>
> 陣屋に関しては、かつて報告書が作成されており、ネットでも見ることができます。花房陣屋の記述についてもこれが一番詳しいのではないでしょうか。
>
> http://www.echiba.org/pdf/kiyo/kiyo_028.pdf
>
> 前原陣屋のことは知りませんでした。花房陣屋の項目を見ても、その別名であるとは書いてないようです。googlemapの誤記の可能性もあると思われます。
>
>
 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:香音  投稿日:2019年 1月31日(木)22時50分58秒
返信・引用
  安房国さんへのお返事です。

ご丁寧な返信をありがとうございました。

1月29日の房日新聞に安房の国の偉人について記事が載っていました。タイムリーなことに、花房藩のことと西尾氏についてでした。花房陣屋とGoogleマップにある前原陣屋についてはありませんでしたが、研究会の方にきけそうなので、聞いてみたいと思います。
続きの安房の偉人の記事も楽しみです?
> 香音さんへのお返事です。
>
> 初めまして香音さん。私も今は鴨川市民ですが、知らないことだらけです。前原陣屋も
> 知りませんでした。wikiに「元岩槻藩取締出張所」と書いてあって今日、知りました。
>
> 私は余湖さんのHPを始めとするネットで調べてから根拠になる文献などを国立国会
> 図書館などの公開デジタルアーカイブなどで確認することが多いです。まぁ これもネット
> ですが、図書館内でしか見られないものも多いので実際に東京まで行くこともあります。
>
> 鴨川市に関することなら鴨川市史が一番詳しいかもしれませんね。市立図書館にも
> ありますし。あと郷土資料館は市民は無料ですし、気軽に質問に答えてくれますよ。
> その他、歴史講座なども時間が合えば参加してます。29日にも鴨川の歴史を学ぼう
> の第3回があります。
>
> 安房地域は城跡も含め、まだまだ認知されてない埋蔵文化財が多いと思うので
> これからもお互い地元同士よろしくお願いします!
>
 

追加情報とお願い

 投稿者:50storm  投稿日:2019年 1月31日(木)18時16分44秒
返信・引用
  余湖さん。お世話になっております。
先日の秋田南館、市の教育委員会と登りました。
現地の人から、聞き取りができ、城跡の認識がありました。我々が帰ってきた道は、昔からの街道だそうです。昔は秋田から千田へ抜ける唯一の道だったとのことです。そうなると、この城は、街道を城内に入れる関所城のようです。

お願いは、野口城の鳥瞰図(北側もふくめたもの)をつくってもらいたいなとおもっています。市史研究で使うからです。何卒よろしくお願いします。
 

Re: 尼崎城の天守

 投稿者:狸屋  投稿日:2019年 1月31日(木)06時11分22秒
返信・引用
  > No.5860[元記事へ]

追記です

そこの資料館にある本丸部の模型、城下町模型も一見の価値があるように
思うので、多少距離はありますがお勧めします。
 

Re: 尼崎城の天守

 投稿者:狸屋  投稿日:2019年 1月31日(木)06時05分9秒
返信・引用
  > No.5860[元記事へ]

いわゆる「三の丸」に相当する場所に作られますね。
本丸には小学校と旧制の高等女学校の建物を活用した文化財の収蔵館が
あるので、本丸に天守を作るのは難しかったのでしょう。


忍城の御三階と逆バージョンでしょうか。

通称尼崎港線の跡地とかあるので、どの時代にも重要な位置だったのでしょう
 

Re: 尼崎城の天守

 投稿者:TAFUO5  投稿日:2019年 1月29日(火)16時41分36秒
返信・引用
  > No.5859[元記事へ]

余湖さんへのお返事です

やっぱり外見復元ですか    公開されるのが楽しみです

ありがとうございました
 

Re: 尼崎城の天守

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月29日(火)04時05分59秒
返信・引用 編集済
  > No.5858[元記事へ]

TAFUO5さんへのお返事です。

尼崎城の天守については、少なくとも外観は古写真に基づいて正確に再現されているので、外観復元天守と呼んでもよいものではないかと思っています。

ただ、模擬天守の定義というのは決定したものがあるわけでもなく、人によってさまざまなので、「本来の場所に建っていない」「内部がコンクリートになっている」という点を挙げて模擬天守とする人もいるかもしれません。私はその定義はちょっと厳しいかなと思います。

人によっては、外観が本来のものと微妙に異なっていることから、名古屋城・熊本城・福山城の天守なども模擬天守ではないかという人もいますが、そこまで正確ではなくても、おおむね合っていれば復元天守でよいのかな、と。

天守・模擬天守等の定義について、私のページは1996年から取り組んでいるので、ネット上においてはかなりパイオニアであると思っています。

私自身の模擬天守の定義は
「本来天守がなかった城、あるいは城址以外の場所に建てた天守」
「本来の天守とは外観がかなり異なっている天守」
「本来天守は存在したが、その形状が不明で、まったくの想像に基づいて建てられた天守」
のいずれかに該当するものです。

ですから、大阪城の天守などは、人によっては復興天守とする人もいますが、私は「江戸期の天守台に豊臣期の天守を建て」「本来の天守とはかなり外観が異なっている」ことから模擬天守と呼んでいます。

復興・復元の度合いをどの程度認めるかによって、判断は変わってくるものなのでしょうね。
 

尼崎城の天守

 投稿者:TAFUO5  投稿日:2019年 1月28日(月)18時39分1秒
返信・引用
  尼崎城の天守が新しくできるみたいなんですが、あれって模擬天守に当たるんですか?
天守は有ったみたいなんですが...
もしかして場所が違うとかですかね
尼崎城は現存している遺構が全然無いので
 

Re: ライフワークバランス

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月28日(月)04時31分7秒
返信・引用
  > No.5856[元記事へ]

狸屋さんへのお返事です。

> うちも同じようなものです。まあなかなか難しい問題ですね。

なかなか大変ですね。私は次の日曜日が来るまで13日連続勤務です。
若いころとは違って週に1日は休めないとかなりつらいです。

 

Re: ライフワークバランス

 投稿者:狸屋  投稿日:2019年 1月27日(日)18時19分42秒
返信・引用
  > No.5851[元記事へ]

うちも同じようなものです。まあなかなか難しい問題ですね。
 

Re: 小栗城の南の城郭あと?

 投稿者:さとう@吉川  投稿日:2019年 1月27日(日)13時15分47秒
返信・引用
  > No.5853[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> 初めまして。
はじめまして。お返事ありがとうございます。

> ご指摘の城館ですが、これは御殿城と呼ばれていたものです。
御殿城という名前なのですね。
協和町の町史あたりに資料がありそうなので探してみます^^

河川史が専門なので、中世の流路を推測するのに古城は有効な手段なのです。
ご教示ありがとうございました!!
 

まいまいが・・・

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月27日(日)04時07分12秒
返信・引用
  元乃木坂の深川麻衣が朝ドラに出てることに気が付いた。
このところずっと姿を見ることがなかったのだが、ちゃんと役者になってくれていたのでちょっと安心。これからも頑張ってほしいものだ。
ちなみに松井玲奈も出てる。
 

Re: 小栗城の南の城郭あと?

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月27日(日)04時06分1秒
返信・引用 編集済
  > No.5852[元記事へ]

さとう@吉川さんへのお返事です。

初めまして。
ご指摘の城館ですが、これは御殿城と呼ばれていたものです。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/kyouwa.htm

おそらく小栗城を築く前の小栗氏の居館であったものと推定されているものですが、迅速地図にも明確に堀が描かれていることから、戦国期の改修も考えられる城館です。

ただし、高度成長期の耕地整理によって遺構は完全湮滅してしまっているので、実際にどのようなものであったのかは想像を働かせてみるかもわかりません。
茨城県の『重要遺跡報告書』では復元図が紹介されています。

けっこう立派な城館であったと思われます。

 

小栗城の南の城郭あと?

 投稿者:さとう@吉川  投稿日:2019年 1月27日(日)00時14分34秒
返信・引用 編集済
  余湖様。いつも楽しくHP拝見しております。
資料にみあたらない城郭のようなものを発見したのですが、ご教示いただければ幸いです。場所は協和町の小栗城の南、小貝川の東側です。折のある堀跡と土塁が航空写真で見えます。迅速図にも土塁と堀が書かれているので恐らく城だと思いますが。
(北斗養豚 さんのある場所です。地理院の空中写真、USA-R511-No2 が一番よく判ります。写真コマの左上に写っています)。10~15haほどありますので、かなり大きい城郭だと思いますが、資料にないのでなにか違う施設かもしれませんが(笑

小貝川の旧河道と小貝川にはさまれた小貝川の氾濫原につくられた中世の方形館を、戦国時代に拡大したもののように思えます。方形館の真ん中に盛土してあり、おそらく神社があったものと思われます。付近には古墳と思われるものもあります。

茨城県筑西市小栗8391付近

どうぞ宜しくご教示お願いいたします。

余談ですが、美浦村の「五角形の館 中世城郭ではないかもしれない」はご推察のとおりで、これは戦前にあった木原送信所のあとです^^
http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/sosinjo.html

https://www.facebook.com/tadaaki.sato.75

 

ライフワークバランス

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月26日(土)04時02分46秒
返信・引用
  私が属している組織のトップは「ライフワークバランスを重視し、各職場ではライフワークバランスを取れるような取り組みをするように」と通達している。
ところがこの週末は土日とも、わが職場は全員フル出勤である。
矛盾しているよなあ・・・・・。
 

引っ越し

 投稿者:横尾  投稿日:2019年 1月25日(金)21時36分58秒
返信・引用
  写真投稿が3Gに達し、GOOブログからYHOOブログに変えました。山城めぐり(YAHOO)としています。今後ともよろしくお願いします。

https://blogs.yahoo.co.jp/yokoo_3158

 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:安房国  投稿日:2019年 1月24日(木)22時42分52秒
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  > No.5835[元記事へ]

香音さんへのお返事です。

初めまして香音さん。私も今は鴨川市民ですが、知らないことだらけです。前原陣屋も
知りませんでした。wikiに「元岩槻藩取締出張所」と書いてあって今日、知りました。

私は余湖さんのHPを始めとするネットで調べてから根拠になる文献などを国立国会
図書館などの公開デジタルアーカイブなどで確認することが多いです。まぁ これもネット
ですが、図書館内でしか見られないものも多いので実際に東京まで行くこともあります。

鴨川市に関することなら鴨川市史が一番詳しいかもしれませんね。市立図書館にも
ありますし。あと郷土資料館は市民は無料ですし、気軽に質問に答えてくれますよ。
その他、歴史講座なども時間が合えば参加してます。29日にも鴨川の歴史を学ぼう
の第3回があります。

安房地域は城跡も含め、まだまだ認知されてない埋蔵文化財が多いと思うので
これからもお互い地元同士よろしくお願いします!
 

Re: センター試験日本史Bの問題について

 投稿者:ひづめ  投稿日:2019年 1月24日(木)10時22分25秒
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  > No.5845[元記事へ]

ややこしい地域のややこしい時代を試験問題に選んだなかなかチャレンジャーな出題者ですが、試験問題としては不適切ですね。
「分裂」もそうですし、鎌倉を追われて古河へ移ったのかということもそうとも言えないみたいですし。
話題としては面白いですが、受験生にとっては笑い話ではすみませんね。
 

Re: 先日は

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月24日(木)03時52分13秒
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  > No.5846[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

こちらこそ、先日はありがとうございました。それにしても未知の城館がまだあるものなのですね。以前ほど城めぐりができていないので、山城歩きの体力がずいぶん衰えてしまっていると感じてしまいました。

センター試験の件ですが、職場の日本史専門の人とも話題になったのですが、やはり「この表現はよくないねえ」と言っていました。
まあ、あまりこだわるほどのことではないのかもしれませんが。

 

先日は

 投稿者:50storm  投稿日:2019年 1月23日(水)16時31分19秒
返信・引用
  ありがとうございました。また、皆さんで回りたいです。
日本史bの問題について一言。
事情を知っている人間からすると、この記述はふさわしくないと思います。二択だとしたら○でしょうが。
こういう表現迷いますよね。
 

センター試験日本史Bの問題について

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月23日(水)04時07分21秒
返信・引用 編集済
  先日、センター試験の日本史Bの問題を見ていて「ん?」って思うことがあった。それは次の問題である。

「鎌倉公方は、古河公方と堀越公方に分裂した」

これが〇か×かという問題で、正解は〇である。しかし、この「分裂」という表現に疑問を感じる。

鎌倉公方は、鎌倉を追われて古河公方となった。そしてその古河公方に対抗するために室町幕府が送り込んだのが堀越公方であり、両者は違った系統に属する存在である。こういうのを「分裂」と表現できるのだろうか。おそらく、そうした経緯をよく知っている受験生ほど、迷ってしまうのではないかと思う。これだけ多くの人が受験する問題なのであるから、問題文の表現については万全を期すべきものである。

鎌倉公方としての権力が2つの系統に分かれていった、という意味での「分裂」なのかもしれないのだが、そうしたら小弓公方はどうなってしまうのだろうか・・・なんて考えてしまうのだが、まあ考えすぎってことなんだろうなあ・・・。
 

西塩子館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時15分20秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
西塩子の羽黒鹿嶋神社のある台地が館跡である。
山頂部の1郭はとても小さなもので、物見台といった程度のものであった。
ところが、その南側に堀切を有しており、城館であったことは間違いないようである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#nisisiogo
 

川ノ辺城出丸!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時13分0秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
越郷砦から南側を見てみると、いかにも城塁としか見えないような土手が見えている。
ちょっと行ってみようということで立ち寄ってみた。
すぐ南側にある川ノ辺館の出丸という伝承があるとのことである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#demaru
 

越郷砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時10分45秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
地元では物見台と呼ばれているらしい。
物見台とは思えないほど奥まった山にある。以外にも折れを伴った堀切があり、ちょっと技巧的であった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#kosugou
 

南館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時09分43秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
地元でも全く知られていないが、「小屋峰」の地名から五十嵐さんが発見したそうだ。
以外にもそれなりに普請された山城であった。
これは、間違いなく城郭である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#minami
 

烏渡呂城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時08分23秒
返信・引用
  これも常陸大宮市のお城。
昔、何かの史料を見ていて「烏渡呂城」というのが出てきて、「これ、どこの城のこと?」と思ったものである。
名称も奇妙である。「烏渡呂城」・・・うとろ? ウットロ、ウットロ♪と歌いだしたくなってしまう。

「烏渡呂」と「泥部」の音の類似から五十嵐さんが当たりを付けてくれたものである。ただし、明確に城郭と呼べるような遺構はなかった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#hirasawa
 

平沢館!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時05分37秒
返信・引用
  これも常陸大宮市の城館。
平沢氏の居館跡で史料にも登場してくるという。
廃城後は泉福寺という寺院となっていたとのことで、遺構そのものは寺院跡と呼ぶべきものであった。
古い時代の居館であったものだろうか。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm#hirasawa
 

石沢小屋場城!

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時03分45秒
返信・引用
  五十嵐さんの案内で久しぶりのヤブレンジャーツアーということで、茨木の新規発見城郭を巡ってきた。ご案内ありがとうございます。

石沢小屋場城は、常陸大宮市石沢にある城館である。簡素な構造ながら堀切によって区画された2郭構造の陣城であったようだ。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/ibaraki/hitatioomiyasi05.htm
 

Re: 花房陣屋について

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月21日(月)21時01分49秒
返信・引用
  > No.5835[元記事へ]

香音さんへのお返事です。

花房陣屋は、明治になってからの陣屋ということもあって、あまり知られてはおらず、遺構も湮滅してしまっているので、認知されづらい陣屋であると思います。

城郭のことを知るために私が利用しているのは、主に『日本城郭体系』と『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』の2冊です。

その他には小高春雄さんの地域ごとの城郭シリーズがとても詳しいです。こちらは図書館にあるかどうかはわかりません。

陣屋に関しては、かつて報告書が作成されており、ネットでも見ることができます。花房陣屋の記述についてもこれが一番詳しいのではないでしょうか。

http://www.echiba.org/pdf/kiyo/kiyo_028.pdf

前原陣屋のことは知りませんでした。花房陣屋の項目を見ても、その別名であるとは書いてないようです。googlemapの誤記の可能性もあると思われます。

 

花房陣屋について

 投稿者:香音  投稿日:2019年 1月21日(月)13時47分37秒
返信・引用
  はじめまして!
1月18日の夜に、市内で大きな火災がありまして、鎮火に時間がかかっていたので、場所を調べようとGoogleマップで検索をかけてみたのです。
その時に、私の住んでいる場所の裏手に当たる稲荷神社が、Googleマップでは「前原陣屋跡」と記載されていました。

「ここは、史跡なのか?!」と生まれも育ちもこの場所なのに何も知らず、びっくりしてネットを検索して、こちらと複数、陣屋跡について書かれているところを見つけました。
「花房陣屋」となっているところが多く、いろいろと文献によるのかもしれませんが

花房陣屋と前原陣屋は別物となっているところもありまして・・・

過去コメントに「曾呂村」のことなども書いてあり、鴨川市民として知らない歴史を学ぶことができました。
花房陣屋、前原陣屋について、新しい情報、説などご存知の方があればと思ってコメントをしてみました。

市内の方がコメントしていらっしゃるように見受けられましたので、図書館などで調べられるのであれば、どのような書籍を検索したらよいかと思いまして・・・

心当たりのある方、お教え願えればと思いますm(__)m よろしくお願いいたします。
 

ゆうげん山

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2019年 1月15日(火)12時13分25秒
返信・引用
  余湖さん、青木さんこんにちは。
早速の返答ありがとうございました。

「続、茨城の城郭」今拝見させていただいております。

同日にもう2城行ったので報告いたします。

「内大野要害」の頂上にあった秋葉神社は撤去されていて、
これからは参道は荒れたままになる可能性が大です。

「左貫竜蓋城」に至る神社の入口は見つかりました。
「逆木神社」という木額が鳥居に掲げてありました。

これからもよろしくお願いいたします。益子

http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/index.html

 

Re: ゆうげん山

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月15日(火)06時27分36秒
返信・引用
  > No.5832[元記事へ]

あおれんじゃあさんへのお返事です。

情報ありがとうございます。すでに踏査済の物件だったのですね。
佐竹氏の要害という伝承があるということになると、いつの時代のものなのか、気になるところです。

 

Re: ゆうげん山

 投稿者:あおれんじゃあ  投稿日:2019年 1月14日(月)20時23分57秒
返信・引用
  > No.5824[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

ご無沙汰、あおれんじゃあです。
この物件ですが、伝承は地元の人、皆知ってました。

肝心の遺構ですが、結構曖昧ですが、遺構は高圧鉄塔から西に派生する尾根に平場、腰曲輪のような場所があり、これらは人工的なものと考えてよいと思います。
これが城郭遺構なのかもしれません。城なら超シンプルなものです。

南東の高見山付近まで行きましたが、尾根筋のピークは曲輪の可能性はありますが、堀切はありませんでした。細尾根に土橋状の場所がありましたが、自然地形かもしれません。
もっとも背後は深い山、この方面から攻撃される心配は少ないのかもしれません。
それより、背後は逃走路のような感じです。ここを行けば、あの外大野のSさん宅まで行けそうです。
 

Re: 講演会のお願いの件

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)18時26分49秒
返信・引用 編集済
  > No.5830[元記事へ]

引田克治さんへのお返事です。

了解しました。前回と同じ話でよろしいのですね?
私の話は図を示しながらということになりますので、プロジェクターとパソコンの用意をお願い致します。

 

講演会のお願いの件

 投稿者:引田克治  投稿日:2019年 1月14日(月)17時15分4秒
返信・引用
  3月2日 是非とも予定を空けておいて下さい。よろしくお願いします。3月2日(土)午後1時から総会を開催しますので,先生の講演は2時前ぐらいになるかと思います。
場所は,まいづる(茨城県常陸太田市山下町3889)です。
 

Re: 播磨の城

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)11時13分9秒
返信・引用
  > No.5826[元記事へ]

備前守長政さんへのお返事です。

今年もよろしくお願いいたします。私は出張でしばらく沖縄に行ってきまして、先ほど帰宅したところです。あちらはとても暖かく、歩いていて汗をかきました。

また、兵庫に行って来られたのですね。
三木城付け城群、なかなか面白いですよね。確かに高城大塚城は独特だと感じました。陣城というよりは、本当にただの陣といった趣です。それであれだけ折れを入れているのですから、なんとも味わい深いです。

私が思い入れがあったのは、竹中半兵衛陣でした。昔の大河ドラマ『国盗り物語』の中で、三木城の陣中で黒田官兵衛の息子の始末を任される半兵衛の姿がとても印象的だったのです。

「官兵衛殿は秀吉殿にとって必要な人、もしもの時は私がすべて責任を負いましょう。」と淡々と話す半兵衛(米倉斉加年)の姿は幼心にも、ひしひしたるものを感じさせました。
「あれはこの場所だったのか~」などと思って非常に感慨深く感じたものです。

たつのの城山城群については、詳しいことは分からないのですが、なかなか面白そうですね。播磨まで行ける機会はなかなかないのですが、時間が取れれば行ってみたいと思います。

それではまたです。




 

Re: 講演会のお願い

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)11時00分17秒
返信・引用
  > No.5825[元記事へ]

引田克治さんへのお返事です。

パルティホールでは大変お世話になりました。
さて、3月2日ですが、今から予定を入れておけば開けておくことは大丈夫だと思います。
同じような話でよろしければ、お話させていただくのは可能であると思っております。
また、後で詳しいことを打ち合わせさせていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

Re: ゆうげん山

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月14日(月)10時58分38秒
返信・引用
  > No.5824[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。こうした情報はとてもありがたいです。
「ゆうげん山」(要害の転でしょうか)といった名称があり、佐竹氏の砦があったという伝承までもあるのでしたら、城郭である可能性は極めて高いのではないかと思われます。
いつになるか分かりませんが、ぜひ、訪れてみたいとも思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
 

播磨の城

 投稿者:備前守長政  投稿日:2019年 1月13日(日)21時12分4秒
返信・引用
  昨日今日と播磨に行ってきました。

昨日は三木城と三木城攻めの付城群。余湖図のお世話になりました。ありがとうございます。
それにしても、ある程度網羅的に見ようとすると1日では難しいですね。結局南東側と北側の付城は見られませんでした。
見た中ではやはり法界寺山の上付城から、朝日ヶ丘土塁を経て高木大塚付城迄が一番見ごたえありました。
中でも高木大塚城は、突然変異かと思うくらい他の付城とは変わっていて、幕末の稜堡式城郭かと見紛うような縄張ですね。

今日は、たつの市の城山城群。技巧的では無いので、あっさり見終わるかと思ったら、豈図らんや、略1日居ました(8時半に麓から兵糧道を登り、縦走し祇園嶽城を見て搦手道を下り麓に着いたのが16時半)。
途中、播磨の城を研究されている方の一団に遭い、色々教えて頂きました。
室町から戦国の遺構、古代山城の痕跡などアチコチ見所があり(しかも点在)、楽しめましたが、流石に疲れました。

それではまた。今年も宜しくお願いします。
 

講演会のお願い

 投稿者:引田克治  投稿日:2019年 1月13日(日)14時29分23秒
返信・引用
  先月22日に常陸太田市パルティホールで講演していただきました常陸佐竹研究会の事務局 引田です。その節は大変お世話になりました。講演を聴いた方々からは『とても分かりやすく面白かった』との評価をたくさんいただいております。
そして、また聴きたいとの要望も多いことから,3月2日(土)の当会の定期総会においての記念講演をお願いしたく依頼したいのですが,先生のご都合はいかがでしょうか?
 

ゆうげん山

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2019年 1月11日(金)15時30分51秒
返信・引用
  こんにちは。
城郭のイラスト、記事の掲載に関していつもお世話になっています。

大子町下野宮の長崎地区に「ゆうげん山」と呼ばれる山があります。
佐竹時代に砦があり、侍が数人常駐していたことは地区では有名です。
送電線の鉄塔が建ってしまい、祠などもなくなっていました。

いってみましたが、私の目では何もわかりませんでした。
ただ、比較的楽な登り口は見つけル事ができました。

もし、こちらにおいでの時、時間が合ったら確認をお願いします。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~daigosangakukai/index.html

 

Re: 淀城に今着きました

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月10日(木)03時53分40秒
返信・引用
  > No.5822[元記事へ]

逆井さんへのお返事です。

伏見城、天守の保存が決まったとの話は聞いていましたが、再び公園として開園したとは喜ばしい限りです。
天守は昭和40年代の復興ブームて建てられたものですから、現代の耐震基準に合っていないということでしたら、立ち入れなくなるのも時勢柄仕方のないところだと思います。
ただ、そういう天守は他にも全国各地にあると思うのですが・・・。

淀城は、本丸の石垣以外にはほとんど見るところがなかったように記憶していますが、それでも本丸だけでも残されているだけ、まあましかなと思っています。歴史的には著名な城なので、もう少し整備されるとうれしいところですね。
 

淀城に今着きました

 投稿者:逆井  投稿日:2019年 1月 9日(水)20時29分53秒
返信・引用
  本丸の方から石垣登って天守台に潜入してみました
中には礎石が何個か残っていました
天守地階はあまり大きくない感じでした
競馬場の方にも歩いてみましたが遺構は特にありませんでした。
中には石段がありました。
中学受験終わったらまたゆっくり見に行きます。
 

伏見城について

 投稿者:逆井  投稿日:2019年 1月 9日(水)19時47分55秒
返信・引用
  伏見城は桃山総合運動公園として開園しました
天守には耐震基準などが原因で入れないようです。
 

Re: あけましておめでとうございます

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月 9日(水)04時07分45秒
返信・引用
  > No.5819[元記事へ]

みよさんへのお返事です。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨年は目標としていた余湖図6000城を達成したので、もうノルマに捕らわれることはやめて、のんびりとお城巡りを楽しもうと思っています。その気持ちは変わりません。

ふと気が付けばそれ以後も、まあまあ余湖図の数は増えています。
だけど7000城は絶対にノルマにはしません。
しないんじゃないかな。
多分、しないと思う。
ま、ちょっとだけ覚悟はしておくか・・・。
 

あけましておめでとうございます

 投稿者:みよさん  投稿日:2019年 1月 8日(火)21時45分52秒
返信・引用
  遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
今年もこちらにはお世話になると思います。
よろしくお願いいたします。

昨年は、6000城達成、常陸太田での講演等、大変なご活躍でしたね。
6000城達成の折、これからは気持ちのんびりなさると書いておられましたが、今年はどのあたりを歩かれるのでしょうか。
どうぞ、お身体に気をつけて、楽しく余湖図を増やしていただけると、私としても嬉しく思います。
 

Re: 茨城城郭研究会のページ

 投稿者:ひづめ  投稿日:2019年 1月 7日(月)23時26分10秒
返信・引用
  > No.5817[元記事へ]

余湖さん

茨城城郭研究会ホームページのご案内をありがとうございます。
この掲示板をご覧のみなさま、URLは、
 http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/ibajo/index.html
としてください。
 

茨城城郭研究会のページ

 投稿者:余湖  投稿日:2019年 1月 7日(月)20時35分28秒
返信・引用
  茨城城郭研究会のページができましたので紹介しておきます。
茨城の城郭関連の催しもの等は、ここを見れば分かります。

http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/ibajo/ci_cheng_cheng_guo_yan_jiu_hui/2019_01_07.html
 

十村の城について

 投稿者:右兵衛佐  投稿日:2018年12月30日(日)10時07分19秒
返信・引用
  安房国さんへのお返事です。

早速調べられたんですね。「十露」を当てたものとは知りませんでした。また何か情報がありましたらよろしくお願いします。「十村の城」の特定が前期里見氏の謎を紐解く鍵になるかもしれませんね!
 

大峰城鳥観図の件で

 投稿者:るな&旦  投稿日:2018年12月29日(土)19時07分44秒
返信・引用
  使用承諾ありがとうございます。
しかも書き直して頂き感謝致します。
改良版と差し替えさせて頂きましたので
ご報告をm(__)m

また宜しくお願い致します。

https://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/65621769.html

 

Re: 十村の城について

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月28日(金)05時06分43秒
返信・引用
  > No.5810[元記事へ]

安房国さんへのお返事です。

そうでしたか。やはり探し当てるのは、そんなに簡単ではないようですね。
「十露盤」から充てただけだとすれば、根拠としてちょっと厳しいかもしれません。
それにしても、素早い対応、安房国さんの熱意が感じられて、とても素晴らしいことだと思います。
今後とも、いろいろと調査してみてください。また、何かわかりましたら、こちらで教えていただけると嬉しいです。

それではまたです。

 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月28日(金)05時01分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5809[元記事へ]

かず@川崎さんへのお返事です。

先日、見学会の前に、いらっしゃるかなと思って探してみたのですが、欠席だということはすぐに分かりました。

シンポの方では、知っている人も何人か来てくださったようなのですが、参加人数が600人と多かったもので、探し当てることはできませんでした。

太田城での発表の趣旨は、以下のページで公開しています。

http://otakeya.in.coocan.jp/info02/hitatiootaj.htm

機会があれば、またご一緒しましょう。


 

Re: おはようございます。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月28日(金)05時00分2秒
返信・引用
  > No.5808[元記事へ]

るな&旦さんへのお返事です。

お久しぶりです。長野に行かれたのですね。やはり、山城は長野が一番だと思います♪
大峰城始め、川中島合戦合戦関係のお城を巡ってみるのも楽しいです。
大峰城は、昔は蝶の博物館として開館していたのですが、現状ではそちらも廃城になってしまったのが残念です。

鳥瞰図の使用、了解しました。出典さえ示してあればご利用は自由なので、よろしかったらどんどん使ってくださいね。
ただ、改めて大峰城の鳥瞰図を見てみたら、ずいぶん昔に描いたものなので、漏れがだいぶありました。そのためざっと描き直しておきました。

それではまたです。
 

すいません

 投稿者:安房国  投稿日:2018年12月27日(木)21時46分57秒
返信・引用
  「余湖さん」へのお返事で「さん」が抜けてました。  

Re: 十村の城について

 投稿者:安房国  投稿日:2018年12月27日(木)21時45分42秒
返信・引用
  > No.5799[元記事へ]

右兵衛佐さん、余湖へのお返事です。

「十村」=「曾呂村」の件についてです。
残念ながら、今のところ「十村」=「曾呂村」の証拠は見つかっていません。
平凡社の日本歴史地名体系12巻「千葉県の地名」1181ページに「曾呂村」があり、
里見義康知行宛行状(岡崎家文書)に「曾呂之郷」と書かれてあるのが天正19年(1591)
で、慶長2年(1597)にも安房国検地高目録に「曾呂村」とあります。

鴨川市の古文書サークルのメンバー5名(私以外すべて鴨川市生まれの60代後半から
70代)に聞いてみたろ、聞いたことがないとのこと。指導の先生(郷土資料館で地域の
古文書解読をされている)も、見たことがないとのことでした。証言者の磯貝氏は
既に亡くなられているそうで確かめようもないのですが、恐らく「十露盤」(そろばん)
の「十露」が当て字で使われたものを見たのではないかと推測されてました。

個人的には「十村の城」=「山之城」であって欲しいので、これかららも引き続き注目
していきたいと思います。
では!


> 余湖さん、お久しぶりです。
> 急に話に割って入ってしまってすいませんが、「十村の城」とは鴨川市の山之城のことだそうです。府馬清の「久留里城物語」によれば、
> 「十村」は「ソロムラ」と読み、むかしの「曽呂村」のことで、明治の頃までは十村と書かれていたそうです。つまり、旧曽呂村内にあった山之城が「十村の城」だということです。府馬清氏は鴨川市金束の食品販売業者磯貝幹一氏から聞いたといいます。その後正木氏に与えられたという訳なのでしょう。
> 古本なので今は新説が出されているかもしれませんが、紹介してみました。
> 長文申し訳ありません。
> 少しでも参考になれば幸いです。
 

(無題)

 投稿者:かず@川崎  投稿日:2018年12月27日(木)07時45分2秒
返信・引用
  先日はシンポのご案内ありがとうございました。
子供関連で時間が掛かってしまい結局行けませんでしたが、常陸太田については格別な想いがありますのでまたありましたら改めて行きたく思います。m(_ _)m
 

おはようございます。

 投稿者:るな&旦  投稿日:2018年12月27日(木)07時03分17秒
返信・引用
  10月に長野市大峰城に行ってきました。模擬天守は噂通りの廃城感。
でも小規模ながら良い山城ですね。
ブログ更新のため余湖さんの鳥瞰図をお借り致しますm(__)m
宜しくお願い致します。

https://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/65621769.html

 

Re: お疲れ様でした。

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月24日(月)06時17分27秒
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  > No.5806[元記事へ]

吉之助(鈴木)さんへのお返事です。

シンポジウム、お疲れさまでした。また、お声がけいただき、ありがとうございました。
翌日に久米城と山入城に行かれたのですか? 活動的ですね。

久米城の本丸は、以前は足の踏み入れようもないドヤブだったのですが、地元の皆さんの努力で、今は歩きやすい状態になっています。地元の皆さんには頭が下がります。あのV字渓谷は、すごいですよね。城内にあんな崖がある城も珍しいです。

山入城は、東側の尾根続きにも延々と遺構がありますので、よろしかったら歩いてみるとよろしかろうと思います。

ところで、私の発表用の資料が小さく印刷されていたので、見づらかったのではないかと思います。もし、私にメールをいただければ、パワポの資料をそのまま送信いたします。容量が8mbほどあるので、ちょっと重たいですが・・・・。

それではまた、機会がありましたら、どこかのお城でご一緒しましょう。
 

お疲れ様でした。

 投稿者:吉之助(鈴木)  投稿日:2018年12月23日(日)19時50分17秒
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  余湖さん、早朝から常陸太田城シンポジウム大変お疲れ様でした。

太田城の見学会は不覚にも体調不良でリタイヤという情けない状況になってしまいましたが、その後は体調も持ち直し、午後の基調講演は楽しく拝聴させていただきました。


常陸太田城は戦国期の遺構はほとんどは土中という状況ですが、そこは城好き、頭の中で形を描きながら興味深く説明を聞いておりました。
その上で城下から台地を見上げたときに改めて太田城の規模が理解できました。

今日は朝から基調講演の資料にありました久米城、山入城に攻め登りました。
久米城は地元の方々の整備が行き届き雄大な姿を余すことなく堪能することができました。(V字渓谷はさすがにビビりました。)
両城とも初めてのところで大変感動した次第です。
また、何かの機会にお会いできればと思います。
 

常陸太田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2018年12月23日(日)13時13分20秒
返信・引用
  昨日の太田城シンポジウムを受けて、常陸太田城のページを更新しました。昨日話した内容の概要をまとめてあります。

昨日はたくさんの方にお会いできてうれしかったです。また何かありましたらよろしくお願いいたします。

http://otakeya.in.coocan.jp/info02/hitatiootaj.htm
 

有りました

 投稿者:トド  投稿日:2018年12月19日(水)17時13分21秒
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  小峰譲がありました。失礼いたしました。  

何処?

 投稿者:トド  投稿日:2018年12月19日(水)17時08分56秒
返信・引用
  小峰譲は何処に出ているのでしょうか?  

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