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Re: 河内の城他

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月29日(月)04時40分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5010[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

河内のお城ですか、これだけのお城を回るのにはかなりの体力を使ったことでしょう。お疲れさまでした。

赤坂城については、どうにもしっくりこないことがあって、以前文章にまとめたことがあります。

http://yogokun.my.coocan.jp/akasakachihaya.htm

結局、根拠となるのは太平記の記述くらいしかないのですが、よくよく考えてみると、太平記も軍記物ですから、その記述がどの程度まであてになるのか怪しいものです。

上赤坂城では、発掘の結果、南北朝期の遺構も出ているようで、実際に楠木正成の時代にも使用されたのかな、とも思ったりしています。

ただ、楠木一族は、その後の楠木正儀の時代の南北合一まで、あの辺りで勢力を張っていたと思うので、楠木正成に限らず、かなりの期間にわたって赤坂城を利用している要素はあったのだろうと思っています。

二条城ですか、何のかんの言っても、とても見どころの多いお城ですよね。明治以降もいろいろ使われていたのか、門の中までいじられていたようですね。

川越城の本丸御殿が、一時期小学校として使用されていたため、天井にバレーボールをぶつけた跡をいくつか残しているのと同じようなものでしょうか。

それではまたです。
 
 

河内の城他

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 5月29日(月)00時39分30秒
返信・引用 編集済
  先日関西に行き、金剛山麓の諸城に行ってきました。元々著名ではありますが、千早赤坂城は普請としては見るべきものが無く、戦前の楠公顕彰の中で遺構も壊されているものと思いわざわざ行くほども無いと考えていました。

ただ、最近太平記を読んで所謂所堅固の城なら、顕彰施設で破壊されても地形自体は余り変わらないかと思い直し行ってきました。

金剛山麓までレンタカーで進み、下赤坂城→千早城→楠館→浄心寺城→上赤坂城→猫路山城→坊領山城(国見山城)→しょうぶ塞と回ってきました。

余湖さんも記されているように、太平記の記述を踏まえれば正成が最初に籠ったのは下赤坂城でしょう。

一方、その後南朝方の平野将監が籠った赤坂城は、太平記の「三方は岸高くして屏風を立てたるが如し」という記述に鑑みて、上赤坂城を指していると思いました。勿論今の遺構は戦国時代に普請されたものでしょう。

また、後方尾根の猫路山城は北側の尾根上の堀切からみて、戦国期の上赤坂城の後背地を押えるためのものと思われます。

問題は坊領山城で、見た感じ山岳寺院ではないかと思います。中世城郭事典の縄張図では城郭らしく見えるのですが、いざ現地に立つとあちこち切岸が緩やかで軍事拠点としての緊張感がイマイチ無いように思います。勿論、緊急避難的に南朝方の兵が逃げ込み立て籠もるといった、一時的な城郭転用はあったと思いますが。

最後、下山時猫路山城に戻る途中、側道を右に入りしょうぶ塞に行ってきました。地山に近い状況で尾根がダラダラ続き、これが南北朝期の城の実相なのでしょうね。ただ、薄暮迫る中、散々歩き回って足が痛くなったので、途中で引き返し尾根の先端までは行きませんでした。

翌日は二条城の東大手門修復記念公開に行ってきました。前日修理中の現場見学会に行ったのですが、その時は中に入れなかったので再度訪ねました。天井や筋交い、仕切壁やガラス戸など明治以降、大分内装は手が加えられていました。

それではまた。

 

Re: 並榎城発掘調査について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月22日(月)20時43分5秒
返信・引用
  > No.5005[元記事へ]

Mr.縄文人さんへのお返事です。

かみつけの国博物館の清水様から、返信が来ました。

やはりというか、想像していた通り、発掘の成果からは城主やその動向に関するものは発見されていないとのことです。

並榎氏に関する資料は極めて少なく、近世に編纂された『和田記』によれば、もともと和田氏の家臣であり、その後、和田氏が武田氏に属するようになると、そのまま武田家臣団に編入されたということのようです。

並榎氏は、そうした情勢の中で、長野氏との境界線を守備する立場であったようですね。

したがって、現在確認できる資料(一次史料は存在していませんが)からすると、武田氏と共に長野氏と戦った、というのが事実のようです。
 

Re: 今井城(青梅市)について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月22日(月)04時27分11秒
返信・引用
  > No.5007[元記事へ]

ひぽぽ陸奥守さんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。この階段のことは気が付きませんでした。確かに、ヤブに覆われていたため、見過ごしてしまったのかもしれません。

草刈りがされたということですと、今井城も地元の方によって整備されていくのかもしれないですね。期待したいところです。

それではまたです。
 

今井城(青梅市)について

 投稿者:ひぽぽ陸奥守  投稿日:2017年 5月22日(月)01時14分15秒
返信・引用
  いつも拝見して参考にしております。

本日、東京都青梅市の今井城を訪れたところ記載以外の登城口を見つけました。
地図上の外郭跡と書かれた場所からちょうど南側の崖に階段があり、直下の今井柳田自治会館から外郭部へ上がることができます。
道路から階段までの道も綺麗に刈り込まれていて歩きやすかったです。
以前に訪れた際は草ボーボーでしたので自治会のさじ加減によって現れる道かもしれません。
 

Re: 並榎城発掘調査について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月20日(土)20時36分42秒
返信・引用
  > No.5005[元記事へ]

Mr.縄文人さんへのお返事です。

重ねてのご指摘、ありがとうございます。かみつけの国博物館にメールを送ってみました。返事が楽しみです。

私が興味を持ったのは「和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっている」という部分です。

通常、発掘調査によって、ここまでのことが判明するというのは、まずないことだと思うので、どのような調査結果が出たのか、とても関心があるのです。

それではまたです。
 

並榎城発掘調査について

 投稿者:Mr.縄文人  投稿日:2017年 5月19日(金)14時51分32秒
返信・引用
  私は,地権者が地権者用の発掘調査報告会で説明を受け,その内容をお伺いしたものです。しかし,個人で発掘調査などするはずも無いですが,調査報告書はどこにもありません。ここからは推測ですが,調査結果の公表に同意しなかった地権者がいたのではないでしょうか。個人が所有する財産に関わる問題ですから関係者内へは説明されても,広く公表されていないのでは無いかと思います。ですから私の口からこれ以上申し上げることは出来ません。

かみつけの里博物館の副館長の清水豊さんは,並榎城に関しても詳しいですから,お知りになりたければメールで問い合わせてみたらいかがかと思います。
Eメール:kamitsuke-museum@city.takasaki.gunma.jp
 

Re: 並榎城(高崎市上並榎町)について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月19日(金)05時24分54秒
返信・引用
  > No.5002[元記事へ]

Mr>縄文人さんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。天竜護国寺については、気が付きませんでした。となると、並榎城は、そうとうに広大な城郭だったんですね。三ノ丸の土塁もなかなか見事なものですね。

>和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっているようです。

この点、とても興味があります。もう少し、根拠が明確に分かるように示していただければ、私のページの記事も修正できるので、もしよろしかったら、この点について、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか。

それではまたです。
 

写真を添付し忘れました。

 投稿者:Mr.縄文人  投稿日:2017年 5月18日(木)14時26分15秒
返信・引用
  三の丸の西の端です。  

並榎城(高崎市上並榎町)について

 投稿者:Mr>縄文人  投稿日:2017年 5月18日(木)14時02分3秒
返信・引用
  並榎城の北に天竜護国寺と言うお寺があります。この天竜護国寺は,貞観六(864)年天台3代座主(ざす)円仁慈覚大師(じかくだいし)を開山としています。当時は関東一の大伽藍(だいがらん)をほこり,境内には僧坊300余りがあったとのことです。

その後,たび重なる兵火で焼失し,今は創建当時のおもかげはありませんが,天竜護国寺は,東西を堀に囲まれ,南は烏川に囲まれ,堀と土塁と僧兵に守られた広大な境内を持っていたようです。その天竜護国寺の境内の南の端を並榎城として流用したものです。

現在でも東の堀(西の堀は県道を越えて北まで行かないと当時の姿は感じられません。)は,当時の姿を想像させてくれます。また,崖下の西の農地や烏川の公園は,最近までアシが生い茂る湿地でした。三の丸の一部に,当時の土塁と思われるものが残っております。

「長野業政家臣録」をURLに載せた人は,明かに間違っているところがあります。「下並榎砦」は,昔の下並榎(現在の並榎)の常仙寺の事で「並榎城(上並榎城)」とは別なものです。

城主についてですが,誰か知りませんが,和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっているようです。
 

Re: 楽厳寺城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月18日(木)04時51分55秒
返信・引用
  > No.5000[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。

楽厳寺城、なかなか、面白い構造のお城ですよね。近くにある堀ノ内城も面白かったです。

ただ、いずれも、廃墟になった貸別荘群がやたらとヤブに埋もれているのが、なんとも異様な雰囲気でした。

対岸の霧久保城も面白いお城でしたし、小諸のお城は、なかなか興味深いですね。
 

楽厳寺城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 5月17日(水)20時09分23秒
返信・引用
  「戦国武田の城」という中田正光氏の著書を手に入れ、楽厳寺城の縄張り図を見たところ、薫風山荘周辺、山荘の北尾根、さらに奥の尾根、釈尊寺(布引観音)の東尾根と三つの尾根に大規模な遺構があり、先日登ってきました。
写真1は薫風山荘の北尾根の遺構、東の曲輪(楽厳寺城とある)北尾根の縄張り
写真2は薫風山荘の北尾根からさらに奥の尾根の遺構と左手の堀之内城

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

ありがとうございました

 投稿者:元紀州人  投稿日:2017年 5月16日(火)13時02分19秒
返信・引用
  早速の対応を頂きましたこと、余湖さんに敬意を表します。
通りすがりでしたさん、ありがとうございました。
 

Re: 大変失礼をしました

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月16日(火)04時39分22秒
返信・引用 編集済
  > No.4997[元記事へ]

元紀州人さん、通りすがりでしたさんへのお返事です。

了解しました。100廃城リストのことですね。気が付きませんでした。

リストの内容は「秀吉の紀州攻め直前、湯川氏によって攻め落とされた玉置氏の城」というように修正しました。

おそらく、この城を推薦してくださった方のコメントを、そのままコピペしていたものだと思われます。

ご指摘、ありがとうございました。
 

大変失礼をしました

 投稿者:元紀州人  投稿日:2017年 5月15日(月)16時49分33秒
返信・引用
  「通りすがりでした」さんのお話の通り、日本100廃城選定リストの手取城のコメント欄に『湯川氏の城』とあることです。
余湖さんの記述でなく、引用元のものかもしれません。だとすれば大変失礼をしましたこと、お詫びいたします。
 

Re: 手取城記述誤り

 投稿者:通りすがりでした  投稿日:2017年 5月15日(月)08時00分25秒
返信・引用
  日本100廃城選定リストの手取城のコメント欄に『湯川氏の城』って書いてあるので、真意はともかくその事だと思います。  

Re: 手取城記述誤り

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月14日(日)21時01分33秒
返信・引用
  > No.4994[元記事へ]

元紀州人さんへのお返事です。

質問の意味がよく分かりません。私のページの手取城の項目では「湯川氏の居城」といった記述は全くしていません。

かつて関与した『廃城をゆく』の手取城のページも見てみましたが、やはり「湯川氏の居城」という記述は見られません。

どなたか他のページと勘違いしているのではないでしょうか?
 

手取城記述誤り

 投稿者:元紀州人  投稿日:2017年 5月14日(日)16時50分33秒
返信・引用
  <廃城>の記事に、紀州 手取城について、湯川氏の居城との記述がありますが
誤りですので訂正をお願いします。
 

Re: 鎌倉街道

 投稿者:ハルカゼ  投稿日:2017年 5月 9日(火)20時43分0秒
返信・引用
  > No.4975[元記事へ]

有難う御座いました。焦らず少しづつ歩いて調査していくよていです。
今後ともよろしくご教示宜しくお願いいたします。


50stormさんへのお返事です。

> 50stormです。
>
>
> 鎌倉街道下道は、著名なのは、利根町の研究があります。また、真壁にも鎌倉街道の研究があります。
>
>
> 茨城県が出している「歴史の道鎌倉街道」で、中世の道について触れています。
>
>
> 重要なことは、鎌倉街道といわれている場所周辺には、城郭遺跡が多数残っています。
>
>
>
> ハルカゼさんへのお返事です。
>
> > 初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
 

Re: 鎌倉街道

 投稿者:ハルカゼ  投稿日:2017年 5月 9日(火)20時37分16秒
返信・引用
  > No.4975[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

> 50stormです。
>
>
> 鎌倉街道下道は、著名なのは、利根町の研究があります。また、真壁にも鎌倉街道の研究があります。
>
>
> 茨城県が出している「歴史の道鎌倉街道」で、中世の道について触れています。
>
>
> 重要なことは、鎌倉街道といわれている場所周辺には、城郭遺跡が多数残っています。
>
>
>
> ハルカゼさんへのお返事です。
>
> > 初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
 

Re: 「小野崎城址」碑の写真を拝借しました

 投稿者:sybrma  投稿日:2017年 5月 8日(月)13時43分30秒
返信・引用
  > No.4990[元記事へ]

ご返事、ありがとうございました。
小野崎城について、アオさんのページ(『北緯36度付近の中世城郭』の「小野崎城」)をご紹介くださいまして、重ねて御礼申し上げます。早速、拝見させていただきました(リンクもさせていただきました。)
ネットの世界が大きく広がっていることを、あらためて教えられた思いです。
本当にありがとうございました。
 

Re: 「小野崎城址」碑の写真を拝借しました

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 8日(月)05時19分32秒
返信・引用
  > No.4989[元記事へ]

sybrmaさんへのお返事です。

連絡いただき、ありがとうございます。私のページの図や写真等は、引用元がこちらのページであることを明記してあればご使用は自由です。よろしかったらご活用ください。

リンクもフリーです。

小野崎城についてですが、私の仲間で地元にご在住のアオさんのページにもっと詳しいことが載っていると思います。よろしかったらご覧になってください。

http://yaminabe36.tuzigiri.com/ibaraki2015/zuiryu.htm
 

「小野崎城址」碑の写真を拝借しました

 投稿者:sybrma  投稿日:2017年 5月 7日(日)22時47分56秒
返信・引用
  小生のホームページ『小さな資料室』の「「小野崎城址」碑」のページに、「小野崎城址」碑の写真を転載させていただきましたので、ご報告申し上げます。
なお同時に、このホームページへもリンクを貼らせていただきましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/sybrma/550onozakijoushi.hi.html

 

石花城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時52分16秒
返信・引用
  佐渡市のお城。

海府地方22ヶ村を支配した石花氏の居城である。

比高50mの断崖上に築かれた城郭であったが、耕地整理が行われてしまったために、旧状は分かりにくくなってしまっている。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/sotokaihu.htm
 

五十里城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時37分10秒
返信・引用
  佐渡市のお城。

沢根城の近くにあり、その名も「城之下」という地名が残っている。またgooglemapには「城ヶ丘公園」が掲載されており、場所が分かりやすい城の1つである。

ただし、公園となっているのは城の麓であり、城そのものは公園化されていない。城址には儒学塾であった励風館が残されている。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/sawane.htm#ikari
 

沢根城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時35分25秒
返信・引用
  佐渡市のお城。

沢根本間氏の本拠地であり、海に臨む断崖はまさに天然の要害である。

沢根本間氏は上杉氏に内通し、上杉景勝による佐渡攻めの際には、上杉氏を手引きし、後には上杉家臣となった。

また、沢根は、『甲陽軍鑑』が執筆された地でもある。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/sawane.htm
 

栗野江城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時10分37秒
返信・引用
  これも佐渡市のお城。沼沢地に突き出した微高地に形成されたもので、堀切によって4郭ほどを連郭子規に配置した城郭であったと思われるが、すべて民家の敷地内となっているため、詳細はよく分からない。

かつてあった城址標柱も現在ではなくなってしまった。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/kurinoe.htm
 

栗野江山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)17時59分36秒
返信・引用
  これも佐渡市のお城。「城ヶ平」と呼ばれている山城で、地元では「城ヶ平」と言った方が通りがよい。

城内には佐渡一亥義民殿が設置されていて、そのためか、城址公園としてよく整備されており、駐車場もある。佐渡の城址で、整備されている数少ない城の1つである。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/kurinoeyama.htm
 

坊ヶ浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)17時21分0秒
返信・引用
  新潟県佐渡市のお城。10数年ぶりに帰省してきたので、お城も少しだけ回ってみた。

小規模な山城であるが、ここを訪問したのはなんと、中学生の時以来であった。懐かしい!

山頂近くまで林道があるので、楽に登れる。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/bougahura.htm
 

Re: 秩父の城Ⅱ

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)17時19分24秒
返信・引用
  > No.4981[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

秩父のお城廻りですか、私が秩父を回っていたのは、もう10年以上前のことなので、なんとも懐かしく感じられます。今の時期はまだ山桜などが咲いているのではないでしょうか。

金尾山城でも私の鳥瞰図が無断使用されていましたか? 出典さえ明記してあれば使用は自由としているのに、どうしてそれだけのことができないのか不思議です。ごくごく簡単なマナーだと思うのですが、どうしてそんな簡単なマナーも守れないのでしょうか。

人の描いた絵を、自分の作品のように紹介するという神経も私にはまったく分かりません。

天神山城は、建設当初はけっこうにぎわっており、中にはお土産屋さんもあったということですが、今となっては悲しい末路となってしまっていますね。それでもまだ建っていたというのは、ちょっと安心します・

横瀬根小屋城はそんなに駐車場に苦労しましたか。もう記憶が薄れてしまっているのですが、なんとなく私も苦労したような記憶があります。

長者屋敷城は、未訪問ですので、いずれは行ってみたいです。

それではまたです。
 

秩父の城Ⅱ

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 5月 4日(木)12時10分2秒
返信・引用 編集済
  GW前半、秩父に行ってきました。少し暑い日でしたが風が爽やかで、登城路が整備されている城に行くには絶好のシーズンです。

今回は、金尾山城、天神山城、千馬山城、横尾根小屋城、長者屋敷城です。

金尾山城は全山、ツツジだらけ。この時期のみ環境整備協力金を徴収されるのですが、その徴収のため地元の自治会だったかが設置したテントに、あの見慣れたタッチの図が掲出さていました。しかも今回は説明文も。勿論、引用表示ないから、知らない人が見たら地元の有志や教育委員会が作ったと思うでしょうね。残念です。それにしても最近何か、余湖図ハンターみたいになっています。それだけ余湖さんの図の使い勝手が良いといったらそれまでですが。

天神山城は何方かのブログでも紹介されていましたが、白鳥神社から登城路が整備されています。でも城内は結構草が繁茂していました。あの二重櫓風展望台も「立って」いました。羽衣石城の初代天守風建物は間に合いませんでしたが、こちらは何とか見ることが出来ました。でも、屋根は落ち床は抜け、扉も開いていましたが、流石に身の危険を感じ中には入らず。中腹の居館跡へのルートは未整備なので、テキトーな所から降りていきましたが、あれは一見の価値あり。

千馬山城は、南東斜面の階段状曲輪群が一番の見所ですが、余湖さんが行かれた頃より、竹・笹が茂り、しかも雪かなんかで押しつぶされたせいで、折れ曲がって横になっているので、かなり難儀しました。

横尾根小屋城は、今は登城ルートの案内表示板が北と西の入口にあるので困りません。でも、車を停める場所が無いので、それを探すのに30分くらいかかりました。ホント細い道だらけで停める所がなく、何とか1箇所だけ見つけましたが、これほど難儀したのは、初めてでした。

長者屋敷城は、小ぶりですがよく纏まった城、と言う印象です。昭和電工の工場を突っ切って、その先の琴平神社脇に駐車場があります。札所なので尾根までは階段が整備されています。

それでは。
 

Re: 茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 1日(月)04時49分21秒
返信・引用 編集済
  > No.4979[元記事へ]

ぬかさんさんへのお返事です。

追加情報、ありがとうございます。5か年計画ですか、壮大な計画ですね。いずれにせよ、ヤブのない三階城はまったくイメージが湧かないので、ぜひ行ってみたいです。

『続図説 茨城の城郭』は『改訂版図説 茨城の城郭』と2冊同時に8月発売予定です。前回よりも多く、150城以上を、図面付きで紹介しています。いずれも3000円くらいの価格になりそうです。

前作も一部図面を描き直したりしました。よろしければご覧になってください。

それではまたです。
 

Re: 茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:ぬかさん  投稿日:2017年 4月30日(日)11時07分55秒
返信・引用
  > No.4978[元記事へ]

 余湖さん、お返事ありがとうございます。
 要害城は,鉾田市に買い取られず,まだ藪の中です。
 整備されない分,遺構は残されることにはなりますが・・・。
 要害城(ゆうがいじょう)は、訛って「ゆうげいじろ」と聞かされてきました。
 この城は,自分の家の伝承では,次男が守り,高野城は,三男が守ったと言い伝えられています。
 ちなみに三階城は,長男が守ったと言い伝えられています。
 次男にあたる家は,まだ残っています。三男にあたる家はわかりません。
 ちなみに三階城(さんかいじょう)は訛って「さんげいじろ」と家では伝えられています。
 そうすると正式には「さんがいじろ」なのかもしれません。

 三階城は,縄張り図の範囲分、今の段階では、まだ草が生えていないので全部入って見ることができます。
 夏刊行予定の『続図説 茨城の城郭』楽しみです。必ず買いたいと思います。

 三階城は,公園にするために5か年計画で整備が行われるので,定期的に除草は行われるはずです。
 それでは、またですね。
 

Re: 茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月30日(日)05時45分7秒
返信・引用 編集済
  > No.4977[元記事へ]

ぬかさんさんへのお返事です。

お久しぶりです。三階城の情報、ありがとうございます。三階城にはもう10数年訪れておらず、しかも、ヤブの印象しかありませんので、整備されるとは耳寄りな情報です。

ぜひ、ヤブにならないうちに訪れてみたいものです。

とはいえ、連休中に訪れることができるかどうかは分かりません。ちなみに今日もこれからお仕事です(xx)

三階城の近くに要害城というお城もあり、まずまずの遺構を残しているのですが、こちらもひといヤブでした。

要害城は、この夏刊行予定の『続図説 茨城の城郭』に掲載される予定です。

それではまたです。
 

茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:ぬかさん  投稿日:2017年 4月29日(土)14時01分26秒
返信・引用
  かなり以前に投稿したことがあるヌカさんです。額賀大炊助の子孫です。余湖さんお久ぶりです。自分の苗字と代々伝わってきた少ない伝承のみですが,小さい頃から、家の真正面にある三階城を見ながら育ってきました。実は,鉾田市にある三階城ですが,鉾田市が個人から2800万円ぐらいで買い取り,5か年計画で整備をするそうです。新聞にも掲載されました。公園になるみたいです。鹿島城みたいにならないといいのですが・・・。今年の3月中に業者が入って笹藪を撤去し,30年ぶりに本丸まで行けます。4月16日に家の子供を連れて見てきました。すみません。写真は撮っていません。特に立ち入り禁止の看板がないので、マナーを守って見ることができると思います。間違いなく、ゴールデンウィークの時など、見ることができるのでどうでしょうか。  

大阪にある島津塚について

 投稿者:不如帰  投稿日:2017年 4月27日(木)16時10分29秒
返信・引用
  調べています、ご存じの方教えて下さい。宜しく。  

Re: 鎌倉街道

 投稿者:50storm  投稿日:2017年 4月25日(火)18時35分54秒
返信・引用
  > No.4963[元記事へ]

50stormです。


鎌倉街道下道は、著名なのは、利根町の研究があります。また、真壁にも鎌倉街道の研究があります。


茨城県が出している「歴史の道鎌倉街道」で、中世の道について触れています。


重要なことは、鎌倉街道といわれている場所周辺には、城郭遺跡が多数残っています。



ハルカゼさんへのお返事です。

> 初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
 

Re: 三島根小屋城の破壊危機

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月14日(金)04時33分56秒
返信・引用
  > No.4972[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

三島根小屋城がそのようなことになっていたとは知りませんでした。

あの辺り、街道沿いにけっこうな数の城址がありますから、もしかすると、ひっかかっている城跡はほかにもあるかもしれませんね。
 

三島根小屋城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 4月13日(木)19時58分13秒
返信・引用
  昨日、報告いたしましたように、あと数百メートルで上信自動車道の建設工事のため、三島根小屋城の館と思われる曲輪が破壊されてしまいます。遺跡の地下を通すように計画変更できないか、群馬県教育委員会文化財保護課に提案を私はしておりますが、賛同される方は同保護課にメールしてください。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

三島根小屋城の破壊危機

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 4月12日(水)20時46分26秒
返信・引用
  先日、群馬県東吾妻町の三島根小屋城に登ってきました。この方面に上信越道建設予定になっているようで、根小屋城の東側曲輪部が道路建設予定地になっています。東吾妻町文化財課に問い合わせたところ以下の回答が来ています。
お世話になります。東吾妻町で文化財を担当している吉田と申します。

 お問い合わせの件ですが、根小屋城はご指摘の通り上信自動車道建設の線形上に位置しており、今後は埋蔵文化財調査
を行った上で記録保存をし、後生にその記録を残していくこととなります。実際には線形が決まった後に町へ話が来まし
たため迂回等の計画については非常に難しい状況となっています。町としては少なくともしっかり発掘調査によって記録
保存をして記録という形にはなりますが後生に伝えていくことが必要と考えています。
 計画内容等については町の事業ではないことからお答えすることは難しいのですが、工事内容であれば上信自動車道建
設事務所に、遺跡の取り扱いについては群馬県教育委員会文化財保護課へ問い合わせをして頂ければと思います。

 ご満足のいく回答にはなっていないかもしれませんがご回答申し上げます。
写真1 道路建設が目前まで来ています。
写真2 諏訪神社の上が曲輪です。
写真3 曲輪を西から見ています。
 

Re: 松山城二の丸

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 9日(日)19時46分36秒
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  > No.4970[元記事へ]

松木 充さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。

鹿嶋城のことは、後でちょっと調べてみたいと思います。瀬戸内の海賊城については、ほとんど訪れたことがないので、機会があれば行ってみたいと思っていたところです。

松山空港まではLCCで手軽に出かけられる時代なので、機会があれば、ぜひまた訪れてみたいものだと思っています。

それではまた、なにか情報がありましたら、お知らせください。
 

Re: 松山城二の丸

 投稿者:松木 充  投稿日:2017年 4月 8日(土)23時43分27秒
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  > No.4969[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

余湖さん、ありがとうございます。
愛媛県のおすすめの城ですが、余湖さんの方が出身者の私の十倍ぐらい愛媛県の城跡を訪ねておられます。本当に思いつきませんが、強いて言えば松山市北条の鹿島にある鹿島城でしょうか。多分余湖さんのコレクションにはなかったと思いますので。

海賊城に分類されると思いますが、島の城だけに規模が小さく、遺構は石積みと二段ばかりの削平地、一郭の旗立岩ぐらいでしょうか。ただ、海の交通を監視する目的があったと思われ、頂上の一郭にある展望台からの眺めは絶景です。惠良城の海版といった感じでしょうか。潮の流れがよく見えます。「城郭放浪記」さんが紹介しておられます。私も、地元だけにつぶさに知っている城跡ですが、とてもよく紹介されていました。

訪れる機会がおありでしたら、野生の鹿に少しご注意下さい。私も、登っていく途中で、ふてぶてしく道端に座っている雄の鹿を見かけました。全然逃げません。春は発情して気が短いようですが、その他の季節は刺激しなければ大丈夫です。ただ、島のあちこちにいて、餌をねだるなど、なかなか図々しい鹿です。囲いの中にいる鹿は、よく人に馴れています。

島を一周する遊歩道もあります。周囲1キロから2キロぐらいで、散歩に良いぐらいな距離です。

あと二、三あると訪ね甲斐があるのですが、これぐらいですかねー。ともあれ、長くなりましたので、このへんで失礼します。
 

Re: 松山城二の丸

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 8日(土)09時38分32秒
返信・引用
  > No.4967[元記事へ]

松木 充さんへのお返事です。

お元気になられたようで幸いです。また、新年度が始まりましたが、お互いにマイペースで取り組んでいきましょう。

松山城の二ノ丸庭園の整備、進んでいるようですね。城というとどうしても天守などの建造物が注目されがちですが、御殿や庭園などを忠実に整備していくというのも、大事なことなのではないかと思っています。

最近では名古屋城の御殿復元が進んでいるようで、天守の再建計画ともども、また訪れてみたいなあなどと思っております。

愛媛にもまだまだ未踏のお城がたくさんあります。お勧めの城などありましたら教えていただけると幸いです。

それではまたです。
 

誤字

 投稿者:松木 充  投稿日:2017年 4月 7日(金)17時56分12秒
返信・引用
  すみません。直前の投稿で変換ミスがありました。
誤:登城予定だった前日は天で…
正:登城予定だった前日は雨で…

「天」では意味不明ですよねー。失礼しました。
 

松山城二の丸

 投稿者:松木 充  投稿日:2017年 4月 7日(金)17時53分27秒
返信・引用
  最近は九州の城巡りをなさったのですね。九州は私も1月末に所用でちょっと行きましたが、地名を見るだけでも興味深いです。

ところで、先日はお気遣いいただき、ありがとうございました。3月28日(火)に松山城を訪れました。登城予定だった前日は天で、予定外でしたが翌日ちょっと時間が取れました。天守には入りませんでしたが、二の丸から本丸までは登りました。

二の丸に入ると、かつての二の丸御殿の間取りをコンクリートの仕切りで再現した、四角い池が連なった流水園があり、別の建物の間取りを同様に再現したところには、ミカンやデコポンの木が植えられていました。こちらは、遠目には分譲墓地のように見えましたが…。木や石や池を配した庭園も再現されており、奥には山肌から地下水が流れ出る滝が三箇所もあり、なかなか風情がありました。二の丸御殿も復元できないかとも思いますが、費用の点で、松山市もそれどころではないのかもしれません。

二の丸を入念に見た後、本丸まで登りました。天気が良く、風も爽やかでしたが、年のせいか、体調のせいかけっこうきつくなり、途中で松山の町を眺めながら一息入れました。かなり汗をかきましたが、気分は爽快、食べ物の味もわからないほどだった体調もこの日を境に回復しました。

以下、最初の写真は庭園です。次は二の丸を登城道から見下ろしたもの、最後は本丸です。写真を撮った場所で時間切れ、ケータイカメラの電池切れでした。
 

Re: 大分県宇佐市 山本切寄 について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 6日(木)04時23分43秒
返信・引用 編集済
  > No.4964[元記事へ]

源次左衛門尉さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。大友氏関連の城郭では出先機関として使用された城郭のことを切寄と呼んでいるのですね。このことは初めて知りました。城郭用語でいうところの「仕寄」と似ていますね。陣城のようなものでしょうか。
大友氏が出先機関に「切寄」名称を使用していたことの根拠となる史料などがありましたら、教えていただけると大変助かります。


『大分県の城郭』という本には、私が紹介したあの城郭が「山本切寄」という名称になっているようで、その北側には城郭はなく、南側に山本砦という城郭があるみたいです。この本が間違っているということですね。
ちなみに『城郭体系』にはこの城郭は掲載されていませんね。発見されたのが新しかったのでしょうか。

該当の城郭が山本切寄ではなく、北側に本当の山本切寄がある、というのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか? また、北側にある山本切寄というのは、どのような遺構を備えた城郭なのでしょうか?

というのも、現在、山本切寄として紹介している城郭が、いかにも陣城的な様相のものなので、こちらも出先機関としてはふさわしいものであると感じられるからです。

以上、分かりましたら、よろしくお願いします。

 

Re: 鎌倉街道

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 6日(木)04時15分42秒
返信・引用
  > No.4963[元記事へ]

ハルカゼさんへのお返事です。

街道のことは私も詳しくは把握してはいません。どなたか、詳しいことの分かる資料をご存知の方がいらっしゃったら教えてあげてください。
 

大分県宇佐市 山本切寄 について

 投稿者:源次左衛門尉  投稿日:2017年 4月 5日(水)19時48分29秒
返信・引用 編集済
  初めて投稿いたします

まず、「切寄」という名称ですが、旧大友氏領独特の名称で、常設の「城」そのものを指す用語です。
大友時代末期、大友氏の支配地域の出先機関として地域の城郭が認定されて「切寄」と呼称されるようになったものです。
切寄には大友氏より目付けが派遣されていました。

また、記事となっております遺構は「山本城」と呼称される遺構でして、「山本切寄」は谷を挟んで北に存在します。

山本切寄には大友方の土豪、渡辺氏が拠っており、妙見城の支城機能があったと思われます。渡辺氏は豊前国人一揆の際黒田氏に敗れ、城地は召し上げとなりました。
ご認識の通り山本城は黒田系城郭の特徴がありますが、築城時期は不明で、国人一揆や山本切寄との関係は明確ではありません。
ただ慶長年間の記録に「旧山本城」という記載があります。これが山本切寄を指すとすれば、どこかに「新山本城」がなくてはなりませんが、それがこの山本城なのかも知れません。この山本の地は交通の要衝であったと言いますので、黒田氏が地域支配のため山本切寄に代わって作ったのが山本城なのかも知れません。
 

鎌倉街道

 投稿者:ハルカゼ  投稿日:2017年 4月 5日(水)15時39分42秒
返信・引用
  初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。  

小江城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時03分46秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

小規模な城郭であるが、堀切はしっかりと残っていた。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#oe
 

古田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時03分11秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

ネットでの情報がなく、あまり期待していなかったのだが、けっこうすごい城郭であった。

みなさんもこの鳥瞰図を見たら行きたくなることと思う。ただし、アクセスがけっこう大変である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#huruta
 

平古場城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時01分56秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

主郭の周囲にはしっかりと腰曲輪が巡らされている。また、北側の山麓近くには横堀が掘られており、小技が利いている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#hirakoba
 

岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時00分32秒
返信・引用
  こちらは諫早市の岡城。

一見登りにくそうな山だが、南端部分から登っていくことができる。

1郭を区画する大堀切は見事で、側面部には大きな竪堀も並行している。1郭には内枡形もあり、意外に技巧的な城郭であった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#oka
 

囲城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)07時58分55秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

「囲」という文字そのもののような形状をした城郭であり、主郭周囲の横堀がきれいに残されており、見ていてとても気持ちがいい。

しかし、ここまでくる道路が細くて不安になったのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm
 

小野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時08分41秒
返信・引用 編集済
  これも諫早市のお城。

小野小学校の背後の山稜が城址である。城のすぐ脇に墓地があるため、そこまで車で登っていくことができるので楽々訪問できる。

しかし、城内は一面の竹やぶとなっているため、意外に手厳しい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#ono
 

金尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時07分14秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

小規模な城郭だが、住宅街の中にしては奇跡的に残っているといっていいだろう。「「

城の案内板はあちこちに出ているのだが、道が細くて車を停めるのに苦労してしまう。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#kaneo
 

久山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時03分59秒
返信・引用 編集済
  これも諫早市のお城。

市街地のどこからでも目立つ城山に築かれており、城山公園として整備されているので、すぐに登ることができる。

わりあい古いタイプの山城であり、城主伝承なども残されていない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#kuyama
 

真崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時02分27秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

大村市との境界近くにあり、すぐ西側には大村氏の伊賀峰城がある。これと対抗するための、諫早西郷氏の境目の城であったと考えられる。

山上の郭の周囲にはぐるりと横堀が巡らされている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#masaki
 

平松城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時00分42秒
返信・引用
  長崎県諫早市のお城。

南側の延びた2つの山稜上にそれぞれ城郭遺構が残されている。

北側の尾根基部からアクセスできる通路があるので、簡単に訪問できる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm
 

松岳城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時43分5秒
返信・引用
  これも東彼杵町のお城。

妙法寺背後の比高200mもある番神山の背後の山稜に築かれている。

有馬氏や後藤氏との攻防戦に名前が出てくる城郭であるが、予想に反して、山上はほとんど自然地形のままであった。それなのになぜか北端部分にのみ、石垣造りの立派な櫓台があったりする。

ショックだったのは、地形図にも載っていない車道が山頂近くまで付けられていたということ。それを知らずに下から石段をひたすら登っていったのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/higasisonogi01.htm#matutake
 

城の尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時40分49秒
返信・引用
  これも東彼杵町のお城。

比高30mほどの山稜に築かれており、その構造は何となく小峰城と似ている。

この城にも石垣づくりの帯曲輪が何段にも見られるのであるが、このうちのどこまでが城郭遺構と認めるべきものなのだろうか。長崎にはこういう構造物が多すぎるのである。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/higasisonogi01.htm#jounoo
 

小峰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時38分38秒
返信・引用
  長崎県東彼杵町のお城。

比高30mほどの山稜に築かれたもので、主郭を中心にして、堀切や腰曲輪、城塁には石垣も構築されている。

下方には石垣造りの帯曲輪が何段も構成されているが、このうちのどこまでが城郭遺構なのであろうか。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/higasisonogi01.htm
 

岩松城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時44分50秒
返信・引用
  これも大村市のお城。

長崎自動車道に削られ比高30mほどの台地先端部が城址であるという。

遺構はあまり明確ではないが、中岳合戦で、大村氏から有馬氏に寝返り、大村氏敗北のきっかけをつくった鈴田氏の居城であったという。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#nakatake
 

中岳城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時38分25秒
返信・引用
  これも大村市のお城。

中岳合戦の際に陣城となった城郭である。主郭は神社となっており、堀切や石垣などが残されている。

城の案内はないが、古戦場の案内や碑などが建てられている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#nakatake
 

岸高城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時37分8秒
返信・引用
  これも大村市のお城。

規模は大きくないが、切岸や腰曲輪の造成がしっかりとしており、なかなかの要害である。案内板もちゃんと立てられている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#kisitaka
 

今富城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時36分7秒
返信・引用
  戦国初期に大村氏の本拠地であったと言われる城である。

しかしさほどの要害ではなく、遺構も少ない。戦時中に高射砲陣地となっていたというので、かなり改変されているようだ。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#imatomi
 

坂口館

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時34分57秒
返信・引用
  大村市にあり、大村純忠史跡公園となっている。

城郭遺構は湮滅しているが、庭園の跡がよく残されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#sakaguti
 

伊賀峰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時33分52秒
返信・引用
  これも大村市のお城。諫早との境界近くにあり、東側1kmには真崎城がある。

大村氏の支配領域を抑える境目の城であったと想定される城である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#igamine
 

好武城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時32分31秒
返信・引用
  これも大村氏のお城。

平城ではあるが、石垣がよく残っている。大村湾が近く、かつては海城のような地形であったものだろうか。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#yositake
 

城の尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時31分10秒
返信・引用
  長崎県大村市のお城。

かなり山中に分け入ったところにある。伝承はないが、山頂の主郭を中心に、腰曲輪や竪堀、横堀などが良好に残されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm
 

片平城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)12時26分33秒
返信・引用
  これも川棚町のお城。

やはり風南城、河原城の近くにある。福浄寺とその背後の山稜が城域である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/kawadanamati01.htm#katahira
 

河原城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)12時25分34秒
返信・引用
  これも川棚町のお城。

風南城のすぐ近くにある。案内板も城址碑もあるのだが、城内は私有地の畑となっていて、立ち入り禁止となっているため、柵越しに遠望するしかない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/kawadanamati01.htm#kawahara
 

風南城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)12時23分24秒
返信・引用
  長崎県川棚町のお城。

永禄9年の後藤氏と大村氏の合戦に際して、大村純忠が築いた陣城である。

林道が通っており、山頂まで車で行くことが可能である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/kawadanamati01.htm
 

佐志方城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)11時21分4秒
返信・引用
  長崎県佐世保市のお城。

当地の豪族佐志方氏の居城である。

佐志方氏は、戦国期、大村氏、後藤氏、松浦氏と、次々と主を替えていった一族である。最後は大村氏と対峙していた。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/sasebosi02.htm#sasikata
 

小峰上館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)10時21分54秒
返信・引用
  これも西海市のお城。

やはり小佐々氏の支城であったと言われる。小佐々城の山麓にあるので、山麓居館であったものかもしれない。

民家を巡る石垣には挟間も付けられている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/saikaisi01.htm#komine
 

田平下館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)10時19分51秒
返信・引用
  長崎県西海市のお城。

海賊武将小佐々氏の支城の1つであったという。

石垣組の段が多数みられるが、どこまでが遺構であったものか分かりにくい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/saikaisi01.htm
 

四郎ヶ島台場!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時47分21秒
返信・引用
  これも長崎市の台場。

島そのものを要塞化した大胆なものである。

島の周囲を石垣で固めている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/nagasakisi01.htm#sirou
 

魚見岳台場!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時46分25秒
返信・引用
  長崎市にある台場。

石垣が非常によく残っており、国指定の史跡となっている。

遺構が充実しており一見の価値があるのだが、車を停めるのに苦労してしまう。近くに駐車場があればよいのに・・・・。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/nagasakisi01.htm#uomi
 

神浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時44分45秒
返信・引用
  これも長崎市のお城。

城址公園としてきれいに整備され、駐車場やトイレも設置されており、かなり訪れやすいお城である。

しかし整備され過ぎていて、逆に本来の遺構は分かりにくくなってしまっている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/nagasakisi01.htm#kamiura
 

平間城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時43分27秒
返信・引用
  これも長崎市のお城。

比高60mほどの独立山に築かれている。山頂部の主郭を中心にいくつもの腰曲輪を巡らせた構造である。

腰曲輪のヤブの中に埋もれていたアンパンマンの乗り物がなんとも哀愁を感じさせる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/nagasakisi01.htm#hirama
 

高浜城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時42分8秒
返信・引用
  これも長崎市のお城。

高浜ダムの北側にそびえる山稜が城址である。

南端部近くの低い尾根の部分から城内に登っていくことができる。小規模ながら堀切や腰曲輪をいくつも配置したお城である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/nagasakisi01.htm#takahama
 

俵石城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時40分41秒
返信・引用
  長崎県長崎市のお城。

非常に高い城山の山頂に築かれているが、さいわいなことにけっこう上の方まで車で上がっていくことができる。

山頂部はかなり広く、全周囲に横堀が廻らされている。また、横堀内部には石垣がしっかりと構築されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/nagasakisi01.htm
 

岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)06時59分42秒
返信・引用
  これも雲仙市のお城。

やはり神代城の支城の1つであり、天正12年の神代城の落城と共に、こちらも落城した。

大堀切や土塁など、浅井城と構造が似ている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/unzensi01.htm#oka
 

浅井城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)06時58分7秒
返信・引用
  これも雲仙市のお城。

小規模ながら、大きな堀切や土塁などが残っている。

神代城の支城の1つであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/unzensi01.htm#asai
 

結城城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)06時56分51秒
返信・引用
  これも雲仙市のお城。

結城城という名称も、金山城という別称にしても、どこかしらなじみのある名称であるが、こちらは肥前の結城城である。

小規模な城郭であるが、結城弥平治の居城ということもあってか、案内板が立てられ、地図にも掲載されている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/unzensi01.htm#yuuki
 

杉峰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)06時54分50秒
返信・引用
  これも雲仙市のお城。

南北朝時代に築かれた城で、西郷氏の本拠地であったという。

遺構は分かりにくくなってしまっている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/unzensi01.htm#sugimine
 

守山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)06時53分47秒
返信・引用
  これも雲仙市のお城。

こちらも城址公園となっており、国道沿いに目立つ案内板が出ているので、すぐにそれと分かる。

ただ、思ったよりも小規模であり、注意していないと、行き過ごしてしまう。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/unzensi01.htm#moriyama
 

山田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)06時51分59秒
返信・引用
  これも雲仙市のお城。

山田氏の居城であり、現在は山田城址公園となっている。よく整備されており、車でも上がれるので、とても訪れやすいお城である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/unzensi01.htm#yamada
 

神代城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)06時50分23秒
返信・引用
  長崎県雲仙市のお城。

神代氏の本拠地であり、規模の大きなお城である。海に面しており、港を抑える海城でもあった。

東側の麓には鍋島陣屋があり、こちらは建物も残されており、ぜひ訪れてみたい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/unzensi01.htm
 

東空閑城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)05時51分26秒
返信・引用
  これも島原市のお城。

やはり小規模だが、案内板がきちんと設置されているので分かりやすい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/simabarasi01.htm#higasikoga
 

寺中城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)05時50分32秒
返信・引用
  長崎県島原市のお城。

小規模だが堀切や石垣が残っている。

沖田畷の合戦に関連して登場してくるお城である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/simabarasi01.htm
 

Re: 南近江の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 3月29日(水)05時27分37秒
返信・引用
  > No.4892[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

三雲城のパンフレット、わざわざお送りいただき、ありがとうございます。

それにしても、見事に無断引用されていますなあ。まったくもって悲しくなってしまいます。ここまで大々的に使われるということは、とても役立つ図であることの証なのでしょうが、どうして無断引用をしてしまうのでしょうか。

一見して、いかにも私が描いたものであることが明らかなタッチのものですから、分かる人が見ればすぐに分かるでしょう。

おそらく編集協力の「近江中世城郭団体連絡協議会」というのがガンなのだと思われます。ネット上のものに関して著作権を無視すると堂々と宣言しているクソ団体です。

ただ、不可思議なのは、他にも鳥瞰図が掲載されていて、そには「木戸雅寿氏作図」ときちんと書かれていることです。

私の鳥瞰図だけ、あえて無断引用しようと意図しているようにも見えます。

今回は連絡先もちゃんと掲載されているので、後で連絡してみたいと思います。


 

Re: あ、あと夏は・・・

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 3月25日(土)03時14分31秒
返信・引用
  > No.4918[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

重ねての情報、ありがとうございます。6月まではなかなか休みが取れなさそうなので、山形に行けるのは秋口がよさそうですね。

先日宮城に訪れた際にも、「川崎ICから蔵王ICにかけては滑り止めが必要」という表示がでていました。

私はスタッドレスタイヤを持っていないので、雪国への訪問はちょっと気を遣います。

それではまた、どうもありがとうございました。
 

あ、あと夏は・・・

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 3月24日(金)21時23分27秒
返信・引用
  どこも藪が厳しいと思います。
ただし、程度の差はありますが、どこも地域のボランティアが草刈りに入っていたはずです。
その草刈りタイミングと合えばいいのですが・・・あくまでボランティアなのでいつやるのかはわかりません。
地域の宝なのだから、予算は無理としても、市町村が旗振りをして情報を出してくれると城好きが訪れると思うんですけどね。

なお、一般論ですが、山形の雪事情は以下のような感じです。
その年の気候次第ですが、雪が解ける2月下旬~GWあたりまでがベストシーズンですが、山形県は地域ごとに気候の違いが大きいです。
2月下旬くらいには、降雪量の少ない海沿いの庄内地方はだいぶ雪解けが進んでいますが、山深いところのお城や日当たりが悪いところは雪が残っています。
3月中旬くらいには内陸部中央の村山地方はだいぶ雪解けがすすんでいますが、山深い(以下同文)。
3月下旬、4月上旬ぐらいになると置賜・最上地方が里に近い日当たりのいい山城は入れるようになります。

秋は11月中旬~12月下旬が目安です。
雪は上に書いたのと逆の順番に降り積もります。

山形、
 

リンクがおかしいことに。。。

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 3月24日(金)21時08分11秒
返信・引用
  リンク先が変になっていました。
ただしくはこちらです。
すいませんm(_ _)m

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-232.html
 

Re: 山形の山城事情

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 3月24日(金)05時16分38秒
返信・引用 編集済
  > No.4915[元記事へ]

しろめぐらーさんへのお返事です。

情報、ありがとうございます! とても助かります。参考にさせていただきたいです。

1つ質問があるのですが、白鳥城というのは、天童城のことなのでしょうか?


いつになるのか分からないのですが、山形も訪れてみたいと思っております。

4月からの年度当初、なかなかまとまった休みがとりづらい状況が続いているので、訪れるとしても6月以降になろうかと思っております。

これらの山形のお城は、夏場でも訪問可能でしょうか?

それではまたです。
 

山形の山城事情

 投稿者:しろめぐらー  投稿日:2017年 3月23日(木)22時48分44秒
返信・引用
  整備されていない城ばっかりで、遺構はあるらしいけれども、直登・藪が多いです。

歩きやすい山城はこんなところです。

庄内地方
小国城
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-70.html

最上地方
小国城
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-category-33.html

村山地方
楯岡城
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-1.html

白鳥城
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-category-32.html

飯田楯
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-3.html

土生田楯
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-14.html

置賜地方
舘山城
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-345.html

鮎貝城
http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/blog-entry-42.html

・・・まだ、未訪問の城館が多く、お勧めできそうな城館はありそうですが、とりあえず、余湖さんが未紹介な、歩きやすい山城を書いてみました。

ぜひ、訪問してもらって、余湖さんの視点での感想を見てみたいです(^o^)ゞ

http://jcrsrchr.blog136.fc2.com/

 

原発付近の状況

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 3月23日(木)05時55分0秒
返信・引用 編集済
  丸森町の城を回った後、新地ICから常磐自動車道に乗って、そのまま帰ってきた。

途中、原発の近くを通るのだが、高速道路脇には放射線量を示す案内板が何か所にも建てられている。

最初は0.1μSv/hだったのだが、原発近くでは3.4μSv/hほどあった。

3,4μSv/hがどのくらい人体に影響があるのか分からないが、何もない土地の34倍の放射線量である。今でもこれでは、なかなか帰宅できなさそうである。

高速から民家が多数見えたが、明かりが全くついておらず人の気配がなかった。

原発さえなかったらとっくに復興しているはずなのに、実際には震災時とたいして変わっていないようだ。
 

陣林館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 3月23日(木)05時50分33秒
返信・引用
  これも丸森町のお城。

名称の通り、陣城であったと思われる。虎口にけっこう工夫が凝らされている。

http://yogokun.my.coocan.jp/miyagi/marumorimati03.htm#jin
 

小屋館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 3月23日(木)05時48分37秒
返信・引用
  これも丸森町のお城

城までけっこう歩かされるが、遺構はなかなか凝ったものである。

伝承はないらしいが、おそらく伊達政宗関連の陣城であろう。鉄砲使用を意識した塹壕が何段にも構成されている。

http://yogokun.my.coocan.jp/miyagi/marumorimati03.htm#koya
 

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