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茨城県・久米城

 投稿者:koizumi  投稿日:2017年 6月26日(月)20時57分52秒
返信・引用
  初めまして、常陸太田市(級金砂郷村)の久米城に行ってきました。案内板がいたるところに設置され、城跡が整備されています。久米城跡訪問用の駐車場もあり縄張り図と訪問者の感想ノートがあります。久米城跡保存会の皆さんで整備されたのでしょうか。感謝です。私も360度写真をアップしておきました。Google検索の久米城跡で写真をクリックすると出てきます。  
 

続図説茨城の城郭!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月23日(金)20時53分21秒
返信・引用
  続図説茨城の城郭が間もなく刊行されます。あと1月くらいで店頭に並ぶと思います。
前回取り上げられなかった209城を図面付きで紹介しています!

図説茨城の城郭の改訂版も同時刊行です。こちらも古本で数万円の価格になっていたりしてご迷惑をおかけしましたが、手に入れやすくなります。私もいくつか図面を描き直しました。

よろしかったらぜひどうぞ!
 

Re: ダメな使用例

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月23日(金)20時48分46秒
返信・引用 編集済
  > No.5044[元記事へ]

HP運用の同胞さんへのお返事です。

書き込み、ありがとうございます。どのホームぺージの方なのかは分かりませんが・・・・。

近江の例のホームページは最低のクソページです。

ただ、私のページからリンクしてあるおかげで、かなりのアクセス数を稼いでいるものと思われます。別に宣伝しているわけではなく、このクソページを皆さんに認知していただきたいからです。

近江では、最近も、現地で配布している三雲城のパンフレットに、私の鳥瞰図が無断で加工され使用されているのを教えていただきました。

引用元さえ明記してあれば使用していいと言っているのに、あえて自分で作ったもののように使うという神経が信じられません。このところ近江人に対する私の信用はがた落ちです。さすが近江商人というべきなのでしょうか。

それだけ私のページがメジャーなものである証拠とも言えそうですが、だいたいの人は一目見て、私の鳥瞰図であることが分かると思います。

それを自分の作品のように使用することの虚しさというか下衆根性に気付いてほしいものです。
 

ダメな使用例

 投稿者:HP運用の同胞  投稿日:2017年 6月22日(木)20時08分43秒
返信・引用 編集済
  お世話になります。
余湖さんと同じように城のホームページを運用している者です。

余湖さんの図面を無断転用したダメな使用例
”歴史散歩・・・戦国山城探訪 云々” の、おふざけ野郎ですが、
『近江の城郭探訪』という名前に変えているようですよ。
URLは一緒ですけどね。
私も危うくフォローしちゃう所でした。

余計なお世話でした
 

Re: 青森の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月22日(木)04時15分10秒
返信・引用
  > No.5042[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

追加の情報、ありがとうございます。尻八館も、いつかは行ってみたいと思っている城なので、その際には参考にしたいと思います。

いつになるやら分かりませんが・・・・・。
 

Re: 青森の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 6月20日(火)23時44分51秒
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  > No.5041[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> 尻八館は、いろいろと噂には聞いていましたが、なかなか困難なお城だったんですね。その情報は初めて知りました。
>


あれからネットで再度尻八館について見てみた所、通り過ぎた貯水池の駐車場の奥に案内板があり、その脇から城に行けることが分りました。こちらが大手のようです。私が登ったのは最近使われていなかったルートだったようです。

これなら濡れずに行けます。

弁解すると、あの日、緑化事業とやらで貯水池の周りで地区の老若男女が集い植栽をしていて、そこらじゅうに車が駐車していました。普段なら殆ど人はおらず、容易に駐車場や案内板を見つけられたのに、あの日は車の陰に隠れてしまったようです。

余湖さんがもし行かれるようでしたら、大手から登ってください。
 

Re: 青森の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月20日(火)04時18分59秒
返信・引用
  > No.5040[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

お久しぶりです。青森にいらっしゃったのですね!

情報ありがとうございます。青森は、私が一番、城を訪れていない県なんです。何しろ遠いものですから・・・。

尻八館は、いろいろと噂には聞いていましたが、なかなか困難なお城だったんですね。その情報は初めて知りました。

城址公園になっているお城も、その後整備されていないと、とんでもないヤブ城になったりします。半端に木を切ったままにしておくと、雑草が繁茂してどうしようもなくなってしまったりするんですよね。城址公園の維持というのは、なかなか難しいものがあるようです。

いつの日になるか分かりませんが、時間があれば、青森のお城もゆっくりと回ってみたいものです。

それではまたです。

 

青森の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 6月19日(月)20時17分22秒
返信・引用
  今朝、下北から帰ってきました。

今回は恐山や三内丸山遺跡がメインディッシュで、城は+αだったのですが、尻八館・七戸城、坂本館、大池館、田名部館、斗南陣屋、蠣崎城、順法寺城に行ってきました。

見応えがあったのは尻八館。技巧的ではないものの、しっかり造り込まれた城です。
ただ、辿り着くまでが難儀しました。主郭まで自然歩道が整備されている筈でしたが、障害者施設や県の研修農園を通り貯水池迄来ても案内板等なし。仕方なく先に進むと100mほどで「尻八城自然歩道」の看板。その先に軽なら1台とめられるスペースがあったのでそこで車を下り、勇躍歩道を進むこと10メートル。なんと幅3~4メートル、水深20cmのせせらぎ。向う岸には道らしきものがあるものの、橋もなければ飛び石も無し。思案の末、せせらぎに足を入れ進むと、今度は草叢で道が消えていました。目をこらしてかすかに残る踏み跡を追い、せせらぎ沿いに少し進むとまた「尻八城自然歩道」の看板。ここからの山道は概ね支障なくようやく城まで行けました。

こんなに難儀したのは久し振りです。

それと、下北半島南側の蠣崎城。南郭が公園化されていて、国道沿いにも標柱などあるのですが、これも途中から車の轍以外は草、草、草。普段なら此処で車を下りるのですが、東京に帰る時間が迫っており、意を決し車で登りました。下車後も、公園までの歩道が見事に草、草、草。多分暫く誰も来なかったのでしょうね。この城、南郭の他にも七戸城みたいに独立した郭が複数あるのですが、タイムアウト(というか公園化されていてこの草叢ですから、それ以外となると多分立ち入りすら難しかったと思います)。ただ、黄昏どき城跡からのむつ湾の眺めは趣きありました。

それではまた。
 

NGT48

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月18日(日)09時51分42秒
返信・引用 編集済
  NGT48の人気が出ているようだ。

いったいどんな曲を歌っているのだろうかと思ってちょっと探してみた。

https://www.youtube.com/watch?v=n-iXRXpfVTs

どこかで聞いたようなメロディだけど、なかなかいい曲である。

それよりも、新潟駅前の様子や萬代橋、日本海タワーなど、背景を見ているうちに妙に懐かしくなって胸が熱くなってきた。

故郷とはずいぶんと隔絶してしまってはいるが、故郷につながっているものを見ると、やはり特別な思いになってしまうものなのらしい。

新潟を通った日々のことを思うと、なんだか切ないような思いになってしまうのである。

何度も繰り返し見てしまった・・・・・。
 

Re: 群馬県・矢田城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月18日(日)09時49分8秒
返信・引用
  > No.5036[元記事へ]

谷村さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。

高崎辺りの歴史については、あまり詳しくないので、現地案内板や城郭体系などに頼りっぱなしです。

資料館には機会があったら寄ってみたいと思います。
 

Re: 苗木城址2。

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月18日(日)09時47分4秒
返信・引用
  > No.5035[元記事へ]

てつを。さんへのお返事です。

景色がよいですね。
 

群馬県・矢田城

 投稿者:谷村  投稿日:2017年 6月17日(土)22時11分25秒
返信・引用
  初めまして。

ちょうど今日、聞いてきたばかりの話があるので書き込みました。
“小林氏”なのですが、

群馬にいた“小林氏”と、
藩主の鷹司松平氏が連れてきた
鷹司家の家司であった“小林氏”が、
両方いたそうなんです。
区別するために、
鷹司家の家司だった“小林家”は
西(京都出身の意味) とつけたりしていたんだとか。

上記は、吉井郷土資料館の方にご説明いただきました。
土日も開館していますので、よろしければどうぞ。
 

苗木城址2。

 投稿者:てつを。  投稿日:2017年 6月15日(木)12時10分1秒
返信・引用
  眺め良し。怖い。  

苗木城址1。

 投稿者:てつを。  投稿日:2017年 6月15日(木)12時08分55秒
返信・引用
  風雲たけし城か?古~!  

告知

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月15日(木)04時06分10秒
返信・引用
  好評だった『図説 茨城の城郭』に続く続編、『続 図説茨城の城郭』が、刊行に向けての大詰め作業をしている最中です。

前回紹介しきれなかった200ほどの城郭を図面付きで紹介しています。

『改訂版 図説 茨城の城郭』と合わせて、8月刊行予定です!
 

Re: 埴原城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月15日(木)04時03分36秒
返信・引用
  > No.5031[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。
埴原城もいいお城ですよね。ただ、城域が広大なので、隅々まで見るのは大変です。

林大城、桐原城など、松本周辺の小笠原系の城郭は、どれも見どころが多く、達成感のあるお城です。

こちらではクマは大丈夫でしたか?
 

埴原城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 6月14日(水)18時35分46秒
返信・引用
  久しぶりに埴原城へ登ってきました。宮坂氏の縄張り図を見て、まだ西小屋とある北尾根や本丸下の南尾根、溝とある(余湖さんの縄張り図では曲輪4)曲輪からの二本の支尾根、いずれも未踏査でしたので今回じっくり歩いてきました。木々はすべて伐採されており、よく見ることができました。
縄張り図は宮坂氏の「信濃の山城と館4」一部より
写真は縄張り図の西小屋とある北尾根入り口の大堀切

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 地元民も真っ青(笑)

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月14日(水)04時41分57秒
返信・引用
  > No.5029[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です.

らんまる殿、ご無沙汰しております。先日は久しぶりに思い切って長野の山城に挑んできました。
この時期は、歩いていても汗をかかず、風も涼しくて、山城散策にはいい気候なのだな、ということを知りました

>しかし出浦城の林道をあそこまで軽乗用で登るとは凄い!しかも新車で?(笑)ジムニーだと突き当りまで行けますが、それでもビビりますよ。

時間短縮ということもあるのですが、山登りが嫌いなので、極力車で登りたいと思っております。
出浦城は、宮坂さんの本の通りに林道を通ってみたのですが、バンパーをだいぶ痛めてしまいました。宮坂さんがどんな車に乗っているのか知らないのですが、そうとう危ないところまでも車で行っているのかなあと感じました。でも、おかげで楽に登れました。

> 八間長者城(塩崎城)へのショートカットも勉強になりました。あのルートは思いつかなかったなあ。地元民も真っ青です・・(汗)

塩崎城は、林道から20m降るだけで主郭まで到達できたので、うまくいった例ですね。おかげで、上の方にある遺構のようなものを見ることもできました(^^)/。
林道が荒れた路面だったらやめておこうとおもったのですが、幸い、舗装されたちゃんとした道でした。

> 小生も山登りはしたくないので、城址の近くに通じる林道を探してます。最近はゲートに施錠してシャットアウトしているところが多くなり車を捨てて歩かざるを得ない事態が増えています。
> 先日も佐久の余地峠に行きましたが車両通行止め。整備された林道を歩くという情けない事態。

そういうこともありますよねえ。
青木村の黒丸城に行ったときなど「主郭のすぐ背後に林道があるじゃん」と思って林道からアクセスしようと思ったのですが、林道の入口に車止めがしてあって進入できませんでした。結局、車で不安なく走れる林道を延々歩くことになったのですが、下から登った方が早かったです(xx)

ところで。佐野山城に訪れた時に、入り口に見たことあるような松本ナンバーの車が停まっていました。デイビスさんに会えるのでは! と思いながら登っていったのですが、残念ながら会えませんでした。

それではまたです。
 

地元民も真っ青(笑)

 投稿者:らんまる  投稿日:2017年 6月13日(火)07時52分26秒
返信・引用
  長野市・千曲市の山城探訪お疲れ様でしたあ~。

さすがに全国区の方々はいかに労せずして城跡に辿り着くかを心得ていらっしゃるものだと感心しました。しかし出浦城の林道をあそこまで軽乗用で登るとは凄い!しかも新車で?(笑)ジムニーだと突き当りまで行けますが、それでもビビりますよ。

八間長者城(塩崎城)へのショートカットも勉強になりました。あのルートは思いつかなかったなあ。地元民も真っ青です・・(汗)
小生も山登りはしたくないので、城址の近くに通じる林道を探してます。最近はゲートに施錠してシャットアウトしているところが多くなり車を捨てて歩かざるを得ない事態が増えています。
先日も佐久の余地峠に行きましたが車両通行止め。整備された林道を歩くという情けない事態。

またこちら方面にお越しの際はお声掛けくださいまし。
ご多忙なご様子なので、お体にお気をつけてお過ごしください!
 

Re: 岩村城址。

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月13日(火)04時40分37秒
返信・引用
  てつを。さんへのお返事です。

岩村城ですか。だいぶ以前に訪れました。懐かしいです。

女城主としては、もともとはこちらの方が有名ですね。

主郭真下辺りまで車で行けるので、けっこう楽だった記憶があります。
 

岩村城址。

 投稿者:てつを。  投稿日:2017年 6月12日(月)13時32分53秒
返信・引用
  岩村城址です。結構登ります。ここも女城主だったみたいです。女城主っていう美味しい日本酒もありますよ。  

明徳寺館・堂城山砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時37分45秒
返信・引用
  千曲市のお城。

平地の居館と詰めの城のセットである。明徳寺には、しっかりとした土塁が残っている。

堂城山砦も小規模ながら、要害としての要素は十分に備えている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#meitokuji
 

入山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時36分18秒
返信・引用
  こちらも千曲市のお城。

小規模な山城であるが、何本も掘られた堀切は規模も大きく、見どころとなっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#iriyama
 

冠着山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時35分8秒
返信・引用
  千曲市のお城。

姨捨山とも呼ばれる、比高850mもある高い山に築かれている。

といっても、物見として利用された程度でだったと思われ、たいした遺構はない。しかし、景色は抜群である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#kamuriki
 

佐野山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時33分36秒
返信・引用
  これも千曲市のお城

地図にも記載されている不動の滝のすぐ上の山である。滝とセットで訪れることのできるお城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#sano
 

小坂城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時32分40秒
返信・引用
  千曲市のお城である。

主郭周辺の石垣もさることながら、背後の小坂山に続く尾根に構築された6重の堀切は圧巻である。

訪れて後悔しない城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm
 

孤落城・三水城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)08時33分3秒
返信・引用
  出浦城の南方にあり、村上支配地域の南の入口を抑える城である。

しかし、急峻な尾根上に築かれているので大変だ! 今回訪れた長野の山城で、いちばんきつかったのがこの山城であった。

山麓には村上氏の先祖が配流された際に月を眺めていたという十六夜観月殿がある。
http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/sakakimati02.htm#koraku
 

出浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)08時30分49秒
返信・引用
  長野県坂城町のお城。見るからに急峻で高い山上に築かれている。

こんな高い山、絶対に登りたくないのだが、昨年大河ドラマで出浦昌相を見てから、訪れてみたくなってしまった。

しかも林道を使えば車でけっこう上の方まで行けるらしい。それならそんなに厳しくない。

というわけで行ってきた。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/sakakimati02.htm
 

鞍骨城郭群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)07時40分49秒
返信・引用
  長野市と千曲市とにまたがる山城群である。

以前から行ってみたかったのだが、だいぶ山奥にあるうえにクマも出るとのことで二の足踏んでいた。

しかし、直前に、尼巌城をわりと苦労せずに登れたこともあって、「これなら鞍骨城も割と簡単に行けるに違いない!」と思って、立ち寄ってみることにした。

コースは、唐崎山城 → 明聖霊神砦 → 天城城 → 鞍骨城 → 鷲尾城

ほぼ半日のコースである。鞍骨城の壮大さ、鷲尾城の石垣に感動した!

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi03.htm
 

塩崎新城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)06時58分57秒
返信・引用
  塩崎城の近くにある。高速のトンネルの真上からのアクセス道を通れば、5分で主郭まで行けるお気楽城郭である。

しかし、この城だけ案内表示も何もない。どうしてかと思いつつ訪れてみると、とにかくヤブだらけ! 遺構がよく分からない。

どうも、地元ではまったく相手にされていないお城のようである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#sin
 

塩崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)06時56分48秒
返信・引用
  長野市のお城

けっこういい城だと聞いていたので、いつかは行ってみたいと思っていた。

ネットで調べてみると、山麓の長谷寺から登るように書いてある。しかし、地形図をみると城のすぐ真上近くまで林道が来ているではないか!

ということで、林道からいきなり主郭を目指してみた。そのおかげで、上にある出城も見ることができたのであった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#siozaki
 

尼巌城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)06時54分13秒
返信・引用
  長野県長野市のお城

松代城辺りからものすごく目立った山容で見えている山である。真田幸隆に攻め落とされた城ということで、いつかは行きたいと思っていた。

だが、あの山容、山嫌いの私としては二の足を踏むのが当然である。しかし、比較的上の方から登れるルートもあるらしいということを知って、思い切って行ってみた。所要時間は30分ほどで、たいしてきつくもなかった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm
 

Re: 平瀬城に熊?

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月 9日(金)04時30分53秒
返信・引用
  赤いRVR@松本さんへのお返事です。

赤いRVRさん、ご無沙汰しております。このハンドルネームには記憶がありますので、以前にも情報をいただいたことがあろうかと思います。

情報ありがとうございます。
松本周辺にはクマはいないのですね。それを聞いてちょっと安心です。平瀬城の支城の情報をいただきながらも、「クマのいそうなところには行きたくないなあ」と二の足踏んでしまっていたので、このお言葉は心強いです。

ただ、クマの生息域が広がっている可能性もなきにしもあらずですので、用心に越したことはないですね。茨城県も、以前はクマが生息していないと言われていたのが、近年では、県北でのクマの目撃情報が出てきていますから、なかなか油断がなりません。

長野県には本当にいい山城が多いですね。先日も久しぶりに長野の山城を訪れたのですが、とても素晴らしい城が多くて感動しました。

そして、気候が快適で、山を歩いてもほとんど汗をかかず、爽快な気分で山歩きができてとても良かったです。この時期の長野の山城は散策するのにちょうどよいのだなあと感じました。

その内容は今週末には公開したいと思っております。

それではまたです。
 

平瀬城に熊?

 投稿者:赤いRVR@松本  投稿日:2017年 6月 8日(木)23時27分34秒
返信・引用
  こんばんは。以前お邪魔をしたことがあるような気がするのですが、信州松本在住の赤いRVRと申します。久しぶりにここを覗いてみたら、平瀬城(南支城)で熊を見たとのこと、実は私、この春までその南にあるアルプス公園内の博物館に勤務しておりまして、園内の動物園職員から、その周辺一帯では熊はいないと聞いています。なのでもしかするとカモシカの見間違いかな、という気もします。もちろん注意するに越したことはありませんが。私もよく登る城ですが、あまり気にしたことはないですね。南支城には見事な堀切がありますので、ぜひ登ってみてください。ちなみに、その公園内にも御殿山城という山城があります、ただ、おそらくは地滑り地形に手を加えた程度のような気はしますが。またたまに覗かせていただきます。あと、余湖くんの城郭図はわかりやすいので、県外の城を見るときには、参考にさせていただいています。今後ともよろしくお願いします。  

Re: 平瀬城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月31日(水)04時32分9秒
返信・引用
  > No.5012[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

平瀬城は、私も訪れたことがあるのですが、宮坂氏の図を見て、本城以外にも、出城がいくつもあるのを知りました。特に、最初に登っていく途中の右手の斜面の上が怪しく思われたのですが、そこにも出城があるようですね。

それにしても、平瀬城にクマがいたのですか! かなり市街地に近いお城だと思うのですが、やはり長野はクマの遭遇率が高いのですね。

昨年はブナが豊作だったため、出産が多く、今年独り立ちするクマが増えているというニュースをやっていましたが、ちょっと気を付けた方がよさそうですね。

 

平瀬城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 5月30日(火)19時31分20秒
返信・引用
  「信濃の山城と館4」の平瀬城の俯瞰図を見ますと、平瀬本城の西北を基点にした、南尾根に大規模な遺構が描かれており、これを確かめるために登りましたところ、俯瞰図通り、遺構を見つけることができました。なぜ、宮坂氏はこれを縄張り図にしないのか不思議です。
 これによって、平瀬城は本城・南平瀬城・北平瀬城と、とてつもない大規模な山城であると分かりました。ただし、南平瀬城で熊と遭遇しました。相手は40m下の斜面に居て、木に隠れるようにした行動をとったため、襲ってくる気配はないと思いましたが、熊スプレーを構えながら下山しました。また北平瀬城でも熊の糞を見つけており、登城は冬にした方が安全です。
写真1 俯瞰図(北の尾根に遺構があります。) 写真2 平瀬本城 写真3 南平瀬城

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 河内の城他

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月29日(月)04時40分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5010[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

河内のお城ですか、これだけのお城を回るのにはかなりの体力を使ったことでしょう。お疲れさまでした。

赤坂城については、どうにもしっくりこないことがあって、以前文章にまとめたことがあります。

http://yogokun.my.coocan.jp/akasakachihaya.htm

結局、根拠となるのは太平記の記述くらいしかないのですが、よくよく考えてみると、太平記も軍記物ですから、その記述がどの程度まであてになるのか怪しいものです。

上赤坂城では、発掘の結果、南北朝期の遺構も出ているようで、実際に楠木正成の時代にも使用されたのかな、とも思ったりしています。

ただ、楠木一族は、その後の楠木正儀の時代の南北合一まで、あの辺りで勢力を張っていたと思うので、楠木正成に限らず、かなりの期間にわたって赤坂城を利用している要素はあったのだろうと思っています。

二条城ですか、何のかんの言っても、とても見どころの多いお城ですよね。明治以降もいろいろ使われていたのか、門の中までいじられていたようですね。

川越城の本丸御殿が、一時期小学校として使用されていたため、天井にバレーボールをぶつけた跡をいくつか残しているのと同じようなものでしょうか。

それではまたです。
 

河内の城他

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 5月29日(月)00時39分30秒
返信・引用 編集済
  先日関西に行き、金剛山麓の諸城に行ってきました。元々著名ではありますが、千早赤坂城は普請としては見るべきものが無く、戦前の楠公顕彰の中で遺構も壊されているものと思いわざわざ行くほども無いと考えていました。

ただ、最近太平記を読んで所謂所堅固の城なら、顕彰施設で破壊されても地形自体は余り変わらないかと思い直し行ってきました。

金剛山麓までレンタカーで進み、下赤坂城→千早城→楠館→浄心寺城→上赤坂城→猫路山城→坊領山城(国見山城)→しょうぶ塞と回ってきました。

余湖さんも記されているように、太平記の記述を踏まえれば正成が最初に籠ったのは下赤坂城でしょう。

一方、その後南朝方の平野将監が籠った赤坂城は、太平記の「三方は岸高くして屏風を立てたるが如し」という記述に鑑みて、上赤坂城を指していると思いました。勿論今の遺構は戦国時代に普請されたものでしょう。

また、後方尾根の猫路山城は北側の尾根上の堀切からみて、戦国期の上赤坂城の後背地を押えるためのものと思われます。

問題は坊領山城で、見た感じ山岳寺院ではないかと思います。中世城郭事典の縄張図では城郭らしく見えるのですが、いざ現地に立つとあちこち切岸が緩やかで軍事拠点としての緊張感がイマイチ無いように思います。勿論、緊急避難的に南朝方の兵が逃げ込み立て籠もるといった、一時的な城郭転用はあったと思いますが。

最後、下山時猫路山城に戻る途中、側道を右に入りしょうぶ塞に行ってきました。地山に近い状況で尾根がダラダラ続き、これが南北朝期の城の実相なのでしょうね。ただ、薄暮迫る中、散々歩き回って足が痛くなったので、途中で引き返し尾根の先端までは行きませんでした。

翌日は二条城の東大手門修復記念公開に行ってきました。前日修理中の現場見学会に行ったのですが、その時は中に入れなかったので再度訪ねました。天井や筋交い、仕切壁やガラス戸など明治以降、大分内装は手が加えられていました。

それではまた。

 

Re: 並榎城発掘調査について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月22日(月)20時43分5秒
返信・引用
  > No.5005[元記事へ]

Mr.縄文人さんへのお返事です。

かみつけの国博物館の清水様から、返信が来ました。

やはりというか、想像していた通り、発掘の成果からは城主やその動向に関するものは発見されていないとのことです。

並榎氏に関する資料は極めて少なく、近世に編纂された『和田記』によれば、もともと和田氏の家臣であり、その後、和田氏が武田氏に属するようになると、そのまま武田家臣団に編入されたということのようです。

並榎氏は、そうした情勢の中で、長野氏との境界線を守備する立場であったようですね。

したがって、現在確認できる資料(一次史料は存在していませんが)からすると、武田氏と共に長野氏と戦った、というのが事実のようです。
 

Re: 今井城(青梅市)について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月22日(月)04時27分11秒
返信・引用
  > No.5007[元記事へ]

ひぽぽ陸奥守さんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。この階段のことは気が付きませんでした。確かに、ヤブに覆われていたため、見過ごしてしまったのかもしれません。

草刈りがされたということですと、今井城も地元の方によって整備されていくのかもしれないですね。期待したいところです。

それではまたです。
 

今井城(青梅市)について

 投稿者:ひぽぽ陸奥守  投稿日:2017年 5月22日(月)01時14分15秒
返信・引用
  いつも拝見して参考にしております。

本日、東京都青梅市の今井城を訪れたところ記載以外の登城口を見つけました。
地図上の外郭跡と書かれた場所からちょうど南側の崖に階段があり、直下の今井柳田自治会館から外郭部へ上がることができます。
道路から階段までの道も綺麗に刈り込まれていて歩きやすかったです。
以前に訪れた際は草ボーボーでしたので自治会のさじ加減によって現れる道かもしれません。
 

Re: 並榎城発掘調査について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月20日(土)20時36分42秒
返信・引用
  > No.5005[元記事へ]

Mr.縄文人さんへのお返事です。

重ねてのご指摘、ありがとうございます。かみつけの国博物館にメールを送ってみました。返事が楽しみです。

私が興味を持ったのは「和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっている」という部分です。

通常、発掘調査によって、ここまでのことが判明するというのは、まずないことだと思うので、どのような調査結果が出たのか、とても関心があるのです。

それではまたです。
 

並榎城発掘調査について

 投稿者:Mr.縄文人  投稿日:2017年 5月19日(金)14時51分32秒
返信・引用
  私は,地権者が地権者用の発掘調査報告会で説明を受け,その内容をお伺いしたものです。しかし,個人で発掘調査などするはずも無いですが,調査報告書はどこにもありません。ここからは推測ですが,調査結果の公表に同意しなかった地権者がいたのではないでしょうか。個人が所有する財産に関わる問題ですから関係者内へは説明されても,広く公表されていないのでは無いかと思います。ですから私の口からこれ以上申し上げることは出来ません。

かみつけの里博物館の副館長の清水豊さんは,並榎城に関しても詳しいですから,お知りになりたければメールで問い合わせてみたらいかがかと思います。
Eメール:kamitsuke-museum@city.takasaki.gunma.jp
 

Re: 並榎城(高崎市上並榎町)について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月19日(金)05時24分54秒
返信・引用
  > No.5002[元記事へ]

Mr>縄文人さんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。天竜護国寺については、気が付きませんでした。となると、並榎城は、そうとうに広大な城郭だったんですね。三ノ丸の土塁もなかなか見事なものですね。

>和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっているようです。

この点、とても興味があります。もう少し、根拠が明確に分かるように示していただければ、私のページの記事も修正できるので、もしよろしかったら、この点について、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか。

それではまたです。
 

写真を添付し忘れました。

 投稿者:Mr.縄文人  投稿日:2017年 5月18日(木)14時26分15秒
返信・引用
  三の丸の西の端です。  

並榎城(高崎市上並榎町)について

 投稿者:Mr>縄文人  投稿日:2017年 5月18日(木)14時02分3秒
返信・引用
  並榎城の北に天竜護国寺と言うお寺があります。この天竜護国寺は,貞観六(864)年天台3代座主(ざす)円仁慈覚大師(じかくだいし)を開山としています。当時は関東一の大伽藍(だいがらん)をほこり,境内には僧坊300余りがあったとのことです。

その後,たび重なる兵火で焼失し,今は創建当時のおもかげはありませんが,天竜護国寺は,東西を堀に囲まれ,南は烏川に囲まれ,堀と土塁と僧兵に守られた広大な境内を持っていたようです。その天竜護国寺の境内の南の端を並榎城として流用したものです。

現在でも東の堀(西の堀は県道を越えて北まで行かないと当時の姿は感じられません。)は,当時の姿を想像させてくれます。また,崖下の西の農地や烏川の公園は,最近までアシが生い茂る湿地でした。三の丸の一部に,当時の土塁と思われるものが残っております。

「長野業政家臣録」をURLに載せた人は,明かに間違っているところがあります。「下並榎砦」は,昔の下並榎(現在の並榎)の常仙寺の事で「並榎城(上並榎城)」とは別なものです。

城主についてですが,誰か知りませんが,和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっているようです。
 

Re: 楽厳寺城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月18日(木)04時51分55秒
返信・引用
  > No.5000[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。

楽厳寺城、なかなか、面白い構造のお城ですよね。近くにある堀ノ内城も面白かったです。

ただ、いずれも、廃墟になった貸別荘群がやたらとヤブに埋もれているのが、なんとも異様な雰囲気でした。

対岸の霧久保城も面白いお城でしたし、小諸のお城は、なかなか興味深いですね。
 

楽厳寺城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 5月17日(水)20時09分23秒
返信・引用
  「戦国武田の城」という中田正光氏の著書を手に入れ、楽厳寺城の縄張り図を見たところ、薫風山荘周辺、山荘の北尾根、さらに奥の尾根、釈尊寺(布引観音)の東尾根と三つの尾根に大規模な遺構があり、先日登ってきました。
写真1は薫風山荘の北尾根の遺構、東の曲輪(楽厳寺城とある)北尾根の縄張り
写真2は薫風山荘の北尾根からさらに奥の尾根の遺構と左手の堀之内城

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

ありがとうございました

 投稿者:元紀州人  投稿日:2017年 5月16日(火)13時02分19秒
返信・引用
  早速の対応を頂きましたこと、余湖さんに敬意を表します。
通りすがりでしたさん、ありがとうございました。
 

Re: 大変失礼をしました

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月16日(火)04時39分22秒
返信・引用 編集済
  > No.4997[元記事へ]

元紀州人さん、通りすがりでしたさんへのお返事です。

了解しました。100廃城リストのことですね。気が付きませんでした。

リストの内容は「秀吉の紀州攻め直前、湯川氏によって攻め落とされた玉置氏の城」というように修正しました。

おそらく、この城を推薦してくださった方のコメントを、そのままコピペしていたものだと思われます。

ご指摘、ありがとうございました。
 

大変失礼をしました

 投稿者:元紀州人  投稿日:2017年 5月15日(月)16時49分33秒
返信・引用
  「通りすがりでした」さんのお話の通り、日本100廃城選定リストの手取城のコメント欄に『湯川氏の城』とあることです。
余湖さんの記述でなく、引用元のものかもしれません。だとすれば大変失礼をしましたこと、お詫びいたします。
 

Re: 手取城記述誤り

 投稿者:通りすがりでした  投稿日:2017年 5月15日(月)08時00分25秒
返信・引用
  日本100廃城選定リストの手取城のコメント欄に『湯川氏の城』って書いてあるので、真意はともかくその事だと思います。  

Re: 手取城記述誤り

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月14日(日)21時01分33秒
返信・引用
  > No.4994[元記事へ]

元紀州人さんへのお返事です。

質問の意味がよく分かりません。私のページの手取城の項目では「湯川氏の居城」といった記述は全くしていません。

かつて関与した『廃城をゆく』の手取城のページも見てみましたが、やはり「湯川氏の居城」という記述は見られません。

どなたか他のページと勘違いしているのではないでしょうか?
 

手取城記述誤り

 投稿者:元紀州人  投稿日:2017年 5月14日(日)16時50分33秒
返信・引用
  <廃城>の記事に、紀州 手取城について、湯川氏の居城との記述がありますが
誤りですので訂正をお願いします。
 

Re: 鎌倉街道

 投稿者:ハルカゼ  投稿日:2017年 5月 9日(火)20時43分0秒
返信・引用
  > No.4975[元記事へ]

有難う御座いました。焦らず少しづつ歩いて調査していくよていです。
今後ともよろしくご教示宜しくお願いいたします。


50stormさんへのお返事です。

> 50stormです。
>
>
> 鎌倉街道下道は、著名なのは、利根町の研究があります。また、真壁にも鎌倉街道の研究があります。
>
>
> 茨城県が出している「歴史の道鎌倉街道」で、中世の道について触れています。
>
>
> 重要なことは、鎌倉街道といわれている場所周辺には、城郭遺跡が多数残っています。
>
>
>
> ハルカゼさんへのお返事です。
>
> > 初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
 

Re: 鎌倉街道

 投稿者:ハルカゼ  投稿日:2017年 5月 9日(火)20時37分16秒
返信・引用
  > No.4975[元記事へ]

50stormさんへのお返事です。

> 50stormです。
>
>
> 鎌倉街道下道は、著名なのは、利根町の研究があります。また、真壁にも鎌倉街道の研究があります。
>
>
> 茨城県が出している「歴史の道鎌倉街道」で、中世の道について触れています。
>
>
> 重要なことは、鎌倉街道といわれている場所周辺には、城郭遺跡が多数残っています。
>
>
>
> ハルカゼさんへのお返事です。
>
> > 初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
 

Re: 「小野崎城址」碑の写真を拝借しました

 投稿者:sybrma  投稿日:2017年 5月 8日(月)13時43分30秒
返信・引用
  > No.4990[元記事へ]

ご返事、ありがとうございました。
小野崎城について、アオさんのページ(『北緯36度付近の中世城郭』の「小野崎城」)をご紹介くださいまして、重ねて御礼申し上げます。早速、拝見させていただきました(リンクもさせていただきました。)
ネットの世界が大きく広がっていることを、あらためて教えられた思いです。
本当にありがとうございました。
 

Re: 「小野崎城址」碑の写真を拝借しました

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 8日(月)05時19分32秒
返信・引用
  > No.4989[元記事へ]

sybrmaさんへのお返事です。

連絡いただき、ありがとうございます。私のページの図や写真等は、引用元がこちらのページであることを明記してあればご使用は自由です。よろしかったらご活用ください。

リンクもフリーです。

小野崎城についてですが、私の仲間で地元にご在住のアオさんのページにもっと詳しいことが載っていると思います。よろしかったらご覧になってください。

http://yaminabe36.tuzigiri.com/ibaraki2015/zuiryu.htm
 

「小野崎城址」碑の写真を拝借しました

 投稿者:sybrma  投稿日:2017年 5月 7日(日)22時47分56秒
返信・引用
  小生のホームページ『小さな資料室』の「「小野崎城址」碑」のページに、「小野崎城址」碑の写真を転載させていただきましたので、ご報告申し上げます。
なお同時に、このホームページへもリンクを貼らせていただきましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

http://www.geocities.jp/sybrma/550onozakijoushi.hi.html

 

石花城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時52分16秒
返信・引用
  佐渡市のお城。

海府地方22ヶ村を支配した石花氏の居城である。

比高50mの断崖上に築かれた城郭であったが、耕地整理が行われてしまったために、旧状は分かりにくくなってしまっている。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/sotokaihu.htm
 

五十里城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時37分10秒
返信・引用
  佐渡市のお城。

沢根城の近くにあり、その名も「城之下」という地名が残っている。またgooglemapには「城ヶ丘公園」が掲載されており、場所が分かりやすい城の1つである。

ただし、公園となっているのは城の麓であり、城そのものは公園化されていない。城址には儒学塾であった励風館が残されている。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/sawane.htm#ikari
 

沢根城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時35分25秒
返信・引用
  佐渡市のお城。

沢根本間氏の本拠地であり、海に臨む断崖はまさに天然の要害である。

沢根本間氏は上杉氏に内通し、上杉景勝による佐渡攻めの際には、上杉氏を手引きし、後には上杉家臣となった。

また、沢根は、『甲陽軍鑑』が執筆された地でもある。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/sawane.htm
 

栗野江城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)18時10分37秒
返信・引用
  これも佐渡市のお城。沼沢地に突き出した微高地に形成されたもので、堀切によって4郭ほどを連郭子規に配置した城郭であったと思われるが、すべて民家の敷地内となっているため、詳細はよく分からない。

かつてあった城址標柱も現在ではなくなってしまった。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/kurinoe.htm
 

栗野江山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)17時59分36秒
返信・引用
  これも佐渡市のお城。「城ヶ平」と呼ばれている山城で、地元では「城ヶ平」と言った方が通りがよい。

城内には佐渡一亥義民殿が設置されていて、そのためか、城址公園としてよく整備されており、駐車場もある。佐渡の城址で、整備されている数少ない城の1つである。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/kurinoeyama.htm
 

坊ヶ浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)17時21分0秒
返信・引用
  新潟県佐渡市のお城。10数年ぶりに帰省してきたので、お城も少しだけ回ってみた。

小規模な山城であるが、ここを訪問したのはなんと、中学生の時以来であった。懐かしい!

山頂近くまで林道があるので、楽に登れる。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1577/bougahura.htm
 

Re: 秩父の城Ⅱ

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 6日(土)17時19分24秒
返信・引用
  > No.4981[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

秩父のお城廻りですか、私が秩父を回っていたのは、もう10年以上前のことなので、なんとも懐かしく感じられます。今の時期はまだ山桜などが咲いているのではないでしょうか。

金尾山城でも私の鳥瞰図が無断使用されていましたか? 出典さえ明記してあれば使用は自由としているのに、どうしてそれだけのことができないのか不思議です。ごくごく簡単なマナーだと思うのですが、どうしてそんな簡単なマナーも守れないのでしょうか。

人の描いた絵を、自分の作品のように紹介するという神経も私にはまったく分かりません。

天神山城は、建設当初はけっこうにぎわっており、中にはお土産屋さんもあったということですが、今となっては悲しい末路となってしまっていますね。それでもまだ建っていたというのは、ちょっと安心します・

横瀬根小屋城はそんなに駐車場に苦労しましたか。もう記憶が薄れてしまっているのですが、なんとなく私も苦労したような記憶があります。

長者屋敷城は、未訪問ですので、いずれは行ってみたいです。

それではまたです。
 

秩父の城Ⅱ

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 5月 4日(木)12時10分2秒
返信・引用 編集済
  GW前半、秩父に行ってきました。少し暑い日でしたが風が爽やかで、登城路が整備されている城に行くには絶好のシーズンです。

今回は、金尾山城、天神山城、千馬山城、横尾根小屋城、長者屋敷城です。

金尾山城は全山、ツツジだらけ。この時期のみ環境整備協力金を徴収されるのですが、その徴収のため地元の自治会だったかが設置したテントに、あの見慣れたタッチの図が掲出さていました。しかも今回は説明文も。勿論、引用表示ないから、知らない人が見たら地元の有志や教育委員会が作ったと思うでしょうね。残念です。それにしても最近何か、余湖図ハンターみたいになっています。それだけ余湖さんの図の使い勝手が良いといったらそれまでですが。

天神山城は何方かのブログでも紹介されていましたが、白鳥神社から登城路が整備されています。でも城内は結構草が繁茂していました。あの二重櫓風展望台も「立って」いました。羽衣石城の初代天守風建物は間に合いませんでしたが、こちらは何とか見ることが出来ました。でも、屋根は落ち床は抜け、扉も開いていましたが、流石に身の危険を感じ中には入らず。中腹の居館跡へのルートは未整備なので、テキトーな所から降りていきましたが、あれは一見の価値あり。

千馬山城は、南東斜面の階段状曲輪群が一番の見所ですが、余湖さんが行かれた頃より、竹・笹が茂り、しかも雪かなんかで押しつぶされたせいで、折れ曲がって横になっているので、かなり難儀しました。

横尾根小屋城は、今は登城ルートの案内表示板が北と西の入口にあるので困りません。でも、車を停める場所が無いので、それを探すのに30分くらいかかりました。ホント細い道だらけで停める所がなく、何とか1箇所だけ見つけましたが、これほど難儀したのは、初めてでした。

長者屋敷城は、小ぶりですがよく纏まった城、と言う印象です。昭和電工の工場を突っ切って、その先の琴平神社脇に駐車場があります。札所なので尾根までは階段が整備されています。

それでは。
 

Re: 茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月 1日(月)04時49分21秒
返信・引用 編集済
  > No.4979[元記事へ]

ぬかさんさんへのお返事です。

追加情報、ありがとうございます。5か年計画ですか、壮大な計画ですね。いずれにせよ、ヤブのない三階城はまったくイメージが湧かないので、ぜひ行ってみたいです。

『続図説 茨城の城郭』は『改訂版図説 茨城の城郭』と2冊同時に8月発売予定です。前回よりも多く、150城以上を、図面付きで紹介しています。いずれも3000円くらいの価格になりそうです。

前作も一部図面を描き直したりしました。よろしければご覧になってください。

それではまたです。
 

Re: 茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:ぬかさん  投稿日:2017年 4月30日(日)11時07分55秒
返信・引用
  > No.4978[元記事へ]

 余湖さん、お返事ありがとうございます。
 要害城は,鉾田市に買い取られず,まだ藪の中です。
 整備されない分,遺構は残されることにはなりますが・・・。
 要害城(ゆうがいじょう)は、訛って「ゆうげいじろ」と聞かされてきました。
 この城は,自分の家の伝承では,次男が守り,高野城は,三男が守ったと言い伝えられています。
 ちなみに三階城は,長男が守ったと言い伝えられています。
 次男にあたる家は,まだ残っています。三男にあたる家はわかりません。
 ちなみに三階城(さんかいじょう)は訛って「さんげいじろ」と家では伝えられています。
 そうすると正式には「さんがいじろ」なのかもしれません。

 三階城は,縄張り図の範囲分、今の段階では、まだ草が生えていないので全部入って見ることができます。
 夏刊行予定の『続図説 茨城の城郭』楽しみです。必ず買いたいと思います。

 三階城は,公園にするために5か年計画で整備が行われるので,定期的に除草は行われるはずです。
 それでは、またですね。
 

Re: 茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月30日(日)05時45分7秒
返信・引用 編集済
  > No.4977[元記事へ]

ぬかさんさんへのお返事です。

お久しぶりです。三階城の情報、ありがとうございます。三階城にはもう10数年訪れておらず、しかも、ヤブの印象しかありませんので、整備されるとは耳寄りな情報です。

ぜひ、ヤブにならないうちに訪れてみたいものです。

とはいえ、連休中に訪れることができるかどうかは分かりません。ちなみに今日もこれからお仕事です(xx)

三階城の近くに要害城というお城もあり、まずまずの遺構を残しているのですが、こちらもひといヤブでした。

要害城は、この夏刊行予定の『続図説 茨城の城郭』に掲載される予定です。

それではまたです。
 

茨城県三階城潜入可能!

 投稿者:ぬかさん  投稿日:2017年 4月29日(土)14時01分26秒
返信・引用
  かなり以前に投稿したことがあるヌカさんです。額賀大炊助の子孫です。余湖さんお久ぶりです。自分の苗字と代々伝わってきた少ない伝承のみですが,小さい頃から、家の真正面にある三階城を見ながら育ってきました。実は,鉾田市にある三階城ですが,鉾田市が個人から2800万円ぐらいで買い取り,5か年計画で整備をするそうです。新聞にも掲載されました。公園になるみたいです。鹿島城みたいにならないといいのですが・・・。今年の3月中に業者が入って笹藪を撤去し,30年ぶりに本丸まで行けます。4月16日に家の子供を連れて見てきました。すみません。写真は撮っていません。特に立ち入り禁止の看板がないので、マナーを守って見ることができると思います。間違いなく、ゴールデンウィークの時など、見ることができるのでどうでしょうか。  

大阪にある島津塚について

 投稿者:不如帰  投稿日:2017年 4月27日(木)16時10分29秒
返信・引用
  調べています、ご存じの方教えて下さい。宜しく。  

Re: 鎌倉街道

 投稿者:50storm  投稿日:2017年 4月25日(火)18時35分54秒
返信・引用
  > No.4963[元記事へ]

50stormです。


鎌倉街道下道は、著名なのは、利根町の研究があります。また、真壁にも鎌倉街道の研究があります。


茨城県が出している「歴史の道鎌倉街道」で、中世の道について触れています。


重要なことは、鎌倉街道といわれている場所周辺には、城郭遺跡が多数残っています。



ハルカゼさんへのお返事です。

> 初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
 

Re: 三島根小屋城の破壊危機

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月14日(金)04時33分56秒
返信・引用
  > No.4972[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

三島根小屋城がそのようなことになっていたとは知りませんでした。

あの辺り、街道沿いにけっこうな数の城址がありますから、もしかすると、ひっかかっている城跡はほかにもあるかもしれませんね。
 

三島根小屋城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 4月13日(木)19時58分13秒
返信・引用
  昨日、報告いたしましたように、あと数百メートルで上信自動車道の建設工事のため、三島根小屋城の館と思われる曲輪が破壊されてしまいます。遺跡の地下を通すように計画変更できないか、群馬県教育委員会文化財保護課に提案を私はしておりますが、賛同される方は同保護課にメールしてください。

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

三島根小屋城の破壊危機

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 4月12日(水)20時46分26秒
返信・引用
  先日、群馬県東吾妻町の三島根小屋城に登ってきました。この方面に上信越道建設予定になっているようで、根小屋城の東側曲輪部が道路建設予定地になっています。東吾妻町文化財課に問い合わせたところ以下の回答が来ています。
お世話になります。東吾妻町で文化財を担当している吉田と申します。

 お問い合わせの件ですが、根小屋城はご指摘の通り上信自動車道建設の線形上に位置しており、今後は埋蔵文化財調査
を行った上で記録保存をし、後生にその記録を残していくこととなります。実際には線形が決まった後に町へ話が来まし
たため迂回等の計画については非常に難しい状況となっています。町としては少なくともしっかり発掘調査によって記録
保存をして記録という形にはなりますが後生に伝えていくことが必要と考えています。
 計画内容等については町の事業ではないことからお答えすることは難しいのですが、工事内容であれば上信自動車道建
設事務所に、遺跡の取り扱いについては群馬県教育委員会文化財保護課へ問い合わせをして頂ければと思います。

 ご満足のいく回答にはなっていないかもしれませんがご回答申し上げます。
写真1 道路建設が目前まで来ています。
写真2 諏訪神社の上が曲輪です。
写真3 曲輪を西から見ています。
 

Re: 松山城二の丸

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 9日(日)19時46分36秒
返信・引用
  > No.4970[元記事へ]

松木 充さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。

鹿嶋城のことは、後でちょっと調べてみたいと思います。瀬戸内の海賊城については、ほとんど訪れたことがないので、機会があれば行ってみたいと思っていたところです。

松山空港まではLCCで手軽に出かけられる時代なので、機会があれば、ぜひまた訪れてみたいものだと思っています。

それではまた、なにか情報がありましたら、お知らせください。
 

Re: 松山城二の丸

 投稿者:松木 充  投稿日:2017年 4月 8日(土)23時43分27秒
返信・引用
  > No.4969[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

余湖さん、ありがとうございます。
愛媛県のおすすめの城ですが、余湖さんの方が出身者の私の十倍ぐらい愛媛県の城跡を訪ねておられます。本当に思いつきませんが、強いて言えば松山市北条の鹿島にある鹿島城でしょうか。多分余湖さんのコレクションにはなかったと思いますので。

海賊城に分類されると思いますが、島の城だけに規模が小さく、遺構は石積みと二段ばかりの削平地、一郭の旗立岩ぐらいでしょうか。ただ、海の交通を監視する目的があったと思われ、頂上の一郭にある展望台からの眺めは絶景です。惠良城の海版といった感じでしょうか。潮の流れがよく見えます。「城郭放浪記」さんが紹介しておられます。私も、地元だけにつぶさに知っている城跡ですが、とてもよく紹介されていました。

訪れる機会がおありでしたら、野生の鹿に少しご注意下さい。私も、登っていく途中で、ふてぶてしく道端に座っている雄の鹿を見かけました。全然逃げません。春は発情して気が短いようですが、その他の季節は刺激しなければ大丈夫です。ただ、島のあちこちにいて、餌をねだるなど、なかなか図々しい鹿です。囲いの中にいる鹿は、よく人に馴れています。

島を一周する遊歩道もあります。周囲1キロから2キロぐらいで、散歩に良いぐらいな距離です。

あと二、三あると訪ね甲斐があるのですが、これぐらいですかねー。ともあれ、長くなりましたので、このへんで失礼します。
 

Re: 松山城二の丸

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 8日(土)09時38分32秒
返信・引用
  > No.4967[元記事へ]

松木 充さんへのお返事です。

お元気になられたようで幸いです。また、新年度が始まりましたが、お互いにマイペースで取り組んでいきましょう。

松山城の二ノ丸庭園の整備、進んでいるようですね。城というとどうしても天守などの建造物が注目されがちですが、御殿や庭園などを忠実に整備していくというのも、大事なことなのではないかと思っています。

最近では名古屋城の御殿復元が進んでいるようで、天守の再建計画ともども、また訪れてみたいなあなどと思っております。

愛媛にもまだまだ未踏のお城がたくさんあります。お勧めの城などありましたら教えていただけると幸いです。

それではまたです。
 

誤字

 投稿者:松木 充  投稿日:2017年 4月 7日(金)17時56分12秒
返信・引用
  すみません。直前の投稿で変換ミスがありました。
誤:登城予定だった前日は天で…
正:登城予定だった前日は雨で…

「天」では意味不明ですよねー。失礼しました。
 

松山城二の丸

 投稿者:松木 充  投稿日:2017年 4月 7日(金)17時53分27秒
返信・引用
  最近は九州の城巡りをなさったのですね。九州は私も1月末に所用でちょっと行きましたが、地名を見るだけでも興味深いです。

ところで、先日はお気遣いいただき、ありがとうございました。3月28日(火)に松山城を訪れました。登城予定だった前日は天で、予定外でしたが翌日ちょっと時間が取れました。天守には入りませんでしたが、二の丸から本丸までは登りました。

二の丸に入ると、かつての二の丸御殿の間取りをコンクリートの仕切りで再現した、四角い池が連なった流水園があり、別の建物の間取りを同様に再現したところには、ミカンやデコポンの木が植えられていました。こちらは、遠目には分譲墓地のように見えましたが…。木や石や池を配した庭園も再現されており、奥には山肌から地下水が流れ出る滝が三箇所もあり、なかなか風情がありました。二の丸御殿も復元できないかとも思いますが、費用の点で、松山市もそれどころではないのかもしれません。

二の丸を入念に見た後、本丸まで登りました。天気が良く、風も爽やかでしたが、年のせいか、体調のせいかけっこうきつくなり、途中で松山の町を眺めながら一息入れました。かなり汗をかきましたが、気分は爽快、食べ物の味もわからないほどだった体調もこの日を境に回復しました。

以下、最初の写真は庭園です。次は二の丸を登城道から見下ろしたもの、最後は本丸です。写真を撮った場所で時間切れ、ケータイカメラの電池切れでした。
 

Re: 大分県宇佐市 山本切寄 について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 6日(木)04時23分43秒
返信・引用 編集済
  > No.4964[元記事へ]

源次左衛門尉さんへのお返事です。

情報ありがとうございます。大友氏関連の城郭では出先機関として使用された城郭のことを切寄と呼んでいるのですね。このことは初めて知りました。城郭用語でいうところの「仕寄」と似ていますね。陣城のようなものでしょうか。
大友氏が出先機関に「切寄」名称を使用していたことの根拠となる史料などがありましたら、教えていただけると大変助かります。


『大分県の城郭』という本には、私が紹介したあの城郭が「山本切寄」という名称になっているようで、その北側には城郭はなく、南側に山本砦という城郭があるみたいです。この本が間違っているということですね。
ちなみに『城郭体系』にはこの城郭は掲載されていませんね。発見されたのが新しかったのでしょうか。

該当の城郭が山本切寄ではなく、北側に本当の山本切寄がある、というのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか? また、北側にある山本切寄というのは、どのような遺構を備えた城郭なのでしょうか?

というのも、現在、山本切寄として紹介している城郭が、いかにも陣城的な様相のものなので、こちらも出先機関としてはふさわしいものであると感じられるからです。

以上、分かりましたら、よろしくお願いします。

 

Re: 鎌倉街道

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 6日(木)04時15分42秒
返信・引用
  > No.4963[元記事へ]

ハルカゼさんへのお返事です。

街道のことは私も詳しくは把握してはいません。どなたか、詳しいことの分かる資料をご存知の方がいらっしゃったら教えてあげてください。
 

大分県宇佐市 山本切寄 について

 投稿者:源次左衛門尉  投稿日:2017年 4月 5日(水)19時48分29秒
返信・引用 編集済
  初めて投稿いたします

まず、「切寄」という名称ですが、旧大友氏領独特の名称で、常設の「城」そのものを指す用語です。
大友時代末期、大友氏の支配地域の出先機関として地域の城郭が認定されて「切寄」と呼称されるようになったものです。
切寄には大友氏より目付けが派遣されていました。

また、記事となっております遺構は「山本城」と呼称される遺構でして、「山本切寄」は谷を挟んで北に存在します。

山本切寄には大友方の土豪、渡辺氏が拠っており、妙見城の支城機能があったと思われます。渡辺氏は豊前国人一揆の際黒田氏に敗れ、城地は召し上げとなりました。
ご認識の通り山本城は黒田系城郭の特徴がありますが、築城時期は不明で、国人一揆や山本切寄との関係は明確ではありません。
ただ慶長年間の記録に「旧山本城」という記載があります。これが山本切寄を指すとすれば、どこかに「新山本城」がなくてはなりませんが、それがこの山本城なのかも知れません。この山本の地は交通の要衝であったと言いますので、黒田氏が地域支配のため山本切寄に代わって作ったのが山本城なのかも知れません。
 

鎌倉街道

 投稿者:ハルカゼ  投稿日:2017年 4月 5日(水)15時39分42秒
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  初めての書き込みです。お城ではなく失礼します。鎌倉街道の下道を研究しております。茨城県の県西地区、昔の下総国の街道を調査していますがなかなか資料が見つかりません。どなたかご教示して頂ければ幸いです。よろしくお願いします。  

小江城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時03分46秒
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  これも諫早市のお城。

小規模な城郭であるが、堀切はしっかりと残っていた。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#oe
 

古田城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時03分11秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

ネットでの情報がなく、あまり期待していなかったのだが、けっこうすごい城郭であった。

みなさんもこの鳥瞰図を見たら行きたくなることと思う。ただし、アクセスがけっこう大変である。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#huruta
 

平古場城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時01分56秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

主郭の周囲にはしっかりと腰曲輪が巡らされている。また、北側の山麓近くには横堀が掘られており、小技が利いている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#hirakoba
 

岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時00分32秒
返信・引用
  こちらは諫早市の岡城。

一見登りにくそうな山だが、南端部分から登っていくことができる。

1郭を区画する大堀切は見事で、側面部には大きな竪堀も並行している。1郭には内枡形もあり、意外に技巧的な城郭であった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm#oka
 

囲城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 2日(日)07時58分55秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

「囲」という文字そのもののような形状をした城郭であり、主郭周囲の横堀がきれいに残されており、見ていてとても気持ちがいい。

しかし、ここまでくる道路が細くて不安になったのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi02.htm
 

小野城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時08分41秒
返信・引用 編集済
  これも諫早市のお城。

小野小学校の背後の山稜が城址である。城のすぐ脇に墓地があるため、そこまで車で登っていくことができるので楽々訪問できる。

しかし、城内は一面の竹やぶとなっているため、意外に手厳しい。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#ono
 

金尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時07分14秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

小規模な城郭だが、住宅街の中にしては奇跡的に残っているといっていいだろう。「「

城の案内板はあちこちに出ているのだが、道が細くて車を停めるのに苦労してしまう。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#kaneo
 

久山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時03分59秒
返信・引用 編集済
  これも諫早市のお城。

市街地のどこからでも目立つ城山に築かれており、城山公園として整備されているので、すぐに登ることができる。

わりあい古いタイプの山城であり、城主伝承なども残されていない。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#kuyama
 

真崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時02分27秒
返信・引用
  これも諫早市のお城。

大村市との境界近くにあり、すぐ西側には大村氏の伊賀峰城がある。これと対抗するための、諫早西郷氏の境目の城であったと考えられる。

山上の郭の周囲にはぐるりと横堀が巡らされている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm#masaki
 

平松城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時00分42秒
返信・引用
  長崎県諫早市のお城。

南側の延びた2つの山稜上にそれぞれ城郭遺構が残されている。

北側の尾根基部からアクセスできる通路があるので、簡単に訪問できる。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/isahayasi01.htm
 

松岳城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時43分5秒
返信・引用
  これも東彼杵町のお城。

妙法寺背後の比高200mもある番神山の背後の山稜に築かれている。

有馬氏や後藤氏との攻防戦に名前が出てくる城郭であるが、予想に反して、山上はほとんど自然地形のままであった。それなのになぜか北端部分にのみ、石垣造りの立派な櫓台があったりする。

ショックだったのは、地形図にも載っていない車道が山頂近くまで付けられていたということ。それを知らずに下から石段をひたすら登っていったのであった。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/higasisonogi01.htm#matutake
 

城の尾城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時40分49秒
返信・引用
  これも東彼杵町のお城。

比高30mほどの山稜に築かれており、その構造は何となく小峰城と似ている。

この城にも石垣づくりの帯曲輪が何段にも見られるのであるが、このうちのどこまでが城郭遺構と認めるべきものなのだろうか。長崎にはこういう構造物が多すぎるのである。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/higasisonogi01.htm#jounoo
 

小峰城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時38分38秒
返信・引用
  長崎県東彼杵町のお城。

比高30mほどの山稜に築かれたもので、主郭を中心にして、堀切や腰曲輪、城塁には石垣も構築されている。

下方には石垣造りの帯曲輪が何段も構成されているが、このうちのどこまでが城郭遺構なのであろうか。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/higasisonogi01.htm
 

岩松城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時44分50秒
返信・引用
  これも大村市のお城。

長崎自動車道に削られ比高30mほどの台地先端部が城址であるという。

遺構はあまり明確ではないが、中岳合戦で、大村氏から有馬氏に寝返り、大村氏敗北のきっかけをつくった鈴田氏の居城であったという。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#nakatake
 

中岳城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時38分25秒
返信・引用
  これも大村市のお城。

中岳合戦の際に陣城となった城郭である。主郭は神社となっており、堀切や石垣などが残されている。

城の案内はないが、古戦場の案内や碑などが建てられている。

http://otakeya.in.coocan.jp/siro/nagasaki/oomurasi02.htm#nakatake
 

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