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左沢楯山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)22時13分52秒
返信・引用
  山形県大江町のお城。国指定の史跡となっている。

中腹に楯山公園があり、そこまで車で行けるので、意外と訪れやすい。

ここには「日本一公園」と書かれた登りがたくさん立てられていた、いったい何が日本一なのであろうか。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/ooemati01.htm
 
 

白鳥城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)21時49分48秒
返信・引用
  これも村山市のお城。

名称からして美しそうだが、地元の方に愛されている城址らしく、よく整備されており、駐車場も造られている。

ただ、この駐車場まで行く途中の道が、けっこう厳しい道であった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/murayamasi01.htm#siratori
 

楯岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)21時48分19秒
返信・引用
  これも村山市のお城。

3つの峰からなる広大な城域を使用した大規模な山城である。

城内はハイキングコースとなっており、登城口もあちこちにあるらしい。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/murayamasi01.htm#tateoka
 

飯田楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)21時46分56秒
返信・引用
  山麓近くにある羽黒山神社が目印で、駐車場もある。

神社までは問題なく上がれるのであるが、そのすぐ先の二重堀切がヤブだらけで、夏場ではそこから先には進めない。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/murayamasi01.htm#iida
 

土生田楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)21時45分32秒
返信・引用
  山形県村山市のお城。

南側の深山神社から登城道が付けられているので、夏場でも上がっていくことはできるが、登城道以外はかなりのヤブである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/murayamasi01.htm
 

延沢城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)21時04分32秒
返信・引用
  山形県尾花沢氏のお城。国指定の史跡である。

幅広の登城道をゆっくりと登っていくとやがて城域内に到達する。虎口を抜けると本丸まで枡形が連続する構造となっている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/oabanazawa01.htm

 

次年子楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)20時27分29秒
返信・引用
  これも大石田町のお城。かなり山奥の集落にある。

図を見ていただければわかる通り、かなり技巧的な城郭である。はっきりとした歴史は不明であるが、戦国期の陣城の一種だったのではないだろうか。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/ooisidamati01.htm#jinego
 

駒籠楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)20時26分5秒
返信・引用
  こちらも大石田町のお城。

鷹巣楯の近くにある。最上川に臨む微高地に築かれた城で、2郭構造のものである。外郭の堀はかなり大きい。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/ooisidamati01.htm#komagome
 

鷹巣楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)20時24分51秒
返信・引用
  山形県大石田町のお城。

川に臨む微高地に築かれた城である。単郭ながら方200mほどもあり、堀の規模も大きい。

最上氏初期の居館の1つであったと言われている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/ooisidamati01.htm
 

鳥越楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)19時27分11秒
返信・引用
  新庄の鳥越八幡宮の上の山が城址である。かなり多数の曲輪を盛った城郭であるが、全体にヤブがひどくてよく分からない。

直前に訪れた安食楯とは対照的に見通しの悪い城郭である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/sinjousi02.htm
 

安食楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)19時25分35秒
返信・引用
  山形県新庄市のお城。

小規模ながら比高20mほどと登りやすく、三段の横堀や馬出しなどの構造が見られる。

ヤブが少ないので、これらの構造物を見通しよくみることが可能である。こんなお城は珍しい!

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/sinjousi02.htm#ajiki
 

堀の畑楯・曾楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)17時24分7秒
返信・引用
  両方とも最上町に残る平城遺構である。

いずれも単郭のものではあるが、それぞれ堀の一部が残されている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mogamimati01.htm#so
 

志茂の手楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)17時23分1秒
返信・引用
  やはり小国城の西方にあり、小国城主の一族によって築城され維持された城郭である。

この城の構造上の異常さは、東半分と西半分とでまったく構造が異なっていることである。このことをどう見るべきなのか。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mogamimati01.htm#simo
 

太郎田楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)17時20分53秒
返信・引用
  こちらも小国城の西方にある。小規模ながら、多段の横堀を巡らせた城郭である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mogamimati01.htm#tarou
 

判兵衛楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)17時20分1秒
返信・引用
  小国城の西方にある。単純な構造ながらしっかりとした造りをしており、小国城の前衛のための出城であったと思われる。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mogamimati01.htm#hanbee
 

要外楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)17時18分46秒
返信・引用
  小国城の南方にある平城である。最初、小国城の居館がこれかと思ったのだが、そういうわけではなさそうである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mogamimati01.htm#yougai
 

小国城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)17時17分24秒
返信・引用
  こちらは山形県最上町の小国城である。

鶴岡の小国城ほどではないが、山頂から山麓まで多数の郭を造成し、全山要塞化を図っている。

最上郡の攻撃によって落城した。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mogamimati01.htm
 

白須賀元楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)15時07分57秒
返信・引用
  山形県大蔵村のお城。

最上川を前面に控えた要害地形にあり、かつて最上勢力の北方を守備する境目の城であった。

現在は保育園の敷地となっている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/ookuramura02.htm
 

安部楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)14時56分2秒
返信・引用
  これも戸沢村のお城。

歴史等は不明だが、深い堀を巡らせた馬出しを持つことからして、かなり設計の新しい城郭のように思われる。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/tozawamura01.htm#abe
 

堂坂楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)14時54分9秒
返信・引用
  川を挟んで、古口楯のすぐ向かい側にある。城内を突っ切るようにして林道が通っているので、城内まで車で進入することができる。

二重堀切が残っているのだが、ヤブがひどくてよく分からない。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/tozawamura01.htm#douzaka
 

古口楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)14時52分43秒
返信・引用
  山形県戸沢村のお城。

二重の堀切で区画された連郭式の城館である。1郭の堀切は現在も鋭さを保っている。

比高20mほどなので、すぐに登れるのだgだ、城内はシダが繁茂している。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/tozawamura01.htm
 

熊野楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)14時18分29秒
返信・引用
  鮭川村にあるが、鮭延氏ではなく、南方の清水城の清水氏に属した城館であると伝承される。

1郭の熊野神社まで車道が付いているので車でもアクセスできるのだが、けっこう荒れた道である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/sakegawamura01.htm#kumano
 

庭月館群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)14時16分58秒
返信・引用 編集済
  鮭延城の支城として築かれた館群である。

鮭川に臨む台地に沿って、八幡楯、庭月楯、小十郎楯、玄蕃楯と4つの城館が並んでいる。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/sakegawamura01.htm#niwatuki
 

鮭延城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)13時16分32秒
返信・引用
  これも真室川町のお城。

鮭延氏の居城で大規模な平山城であった。後に戸沢氏が本拠とし、新庄城へ移転するまで居城としていた。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mamurogawamati01.htm#sakenobu
 

差首鍋楯!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)13時15分14秒
返信・引用
  山形県真室川町のお城。

鮭川を望む断崖という要害地形にある。なかなか技巧的な虎口を持っているようだが、立ち入り禁止の札があって、主郭までは行けなかった。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mamurogawamati01.htm
 

大楯

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)12時06分37秒
返信・引用
  これも遊佐町の城館。

やはりお平安から鎌倉時代にかけての居館跡である。建造物が集中した一部が史跡公園として保存されている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/yuzamati01.htm#ootate
 

北目館

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)12時05分17秒
返信・引用
  山形県遊佐町の城館

小規模な城館で、堀の一部が残っているだけである。「鎌倉時代の地頭の居館」であるという記録があることから、かなり古い時代の城館であったようである。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/yuzamati01.htm
 

山楯城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)11時56分44秒
返信・引用
  これも酒田市のお城。

山楯城址公園として主郭は整備され、車でアクセスもできる。

尾根上から山麓まで多数の段郭を形成した大規模な城郭である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/sakatasi02.htm#yamatate
 

砂越城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)11時54分54秒
返信・引用
  山形県酒田市のお城。

平城であるが、本丸の土塁や堀が残り、砂越城本丸公園となっている。

本来は枡形や外郭部などをゆうする大規模な城郭であったようだ。城主の砂越氏は、南方の大宝寺氏と構想を繰り広げ、何度も落城させられている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/sakatasi02.htm
 

横山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)09時52分49秒
返信・引用
  三川町のお城。

大宝寺氏が砂越氏に備えて築いた城館で、城将は押切備前守であった。

市街地化のため、土塁と堀1本だけが残っている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/mikawamati01.htm
 

平形城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)09時34分45秒
返信・引用
  これも鶴岡市のお城。

鎌倉時代から続く古い城館であるという。羽越本線の線路によって分断され、圃場整備でかなり破壊されているが、土塁と案内板がある。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/turuokasi02.htm#hiragata
 

大浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)09時33分42秒
返信・引用
  鶴岡市のお城。

戦国期にこの地域の勢力者であった大宝寺(武藤)氏の居城であり、何度も攻防戦の舞台となっている。

大山公園や神社となっており、地元の人の散策コースとなっている。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/turuokasi02.htm#ooura
 

高館山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)09時32分2秒
返信・引用
  鶴岡の市街を見下ろす高館山に築かれている。テレビ塔がいくつも建てられているので、遠くからでもよく分かる。

高所の山であるが、山頂はかなり広くなっている。山頂まで車で行くことができるお気楽城郭でもある。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/turuokasi02.htm#takadate
 

小国城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)09時30分0秒
返信・引用
  南出羽には3カ所の小国城があるが、これは鶴岡市の小国城。国指定の史跡となっている。越後との国境を守備する境目の城である。

比高230mもある山城であるが、遊歩道が整備されており、夏場でも歩ける。

あちこちに枡形が設置され、技巧的な山城である。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/turuokasi02.htm#oguni
 

蝦夷館!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)09時28分2秒
返信・引用
  これも鶴岡市のお城。

蝦夷館と呼ばれ、古代蝦夷の城館であったと想像される。主郭の周囲には横堀が廻らされている。

こちらも公園となっていて訪れやすい。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/turuokasi02.htm#ezo
 

丸岡城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月23日(日)09時24分28秒
返信・引用
  山形県鶴岡市のお城。

丸岡城といえば、越前の丸岡城が有名であるが、越前丸岡とも関連があるらしい。

単郭の平城であるが、よく整備されてきれいに残されている。

加藤忠広配流の地でもある。

http://yogoazusa.my.coocan.jp/yamagata/turuokasi02.htm
 

Re: (無題)

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月22日(土)06時32分14秒
返信・引用
  > No.5063[元記事へ]

阿笠さんへのお返事です。

いろいろと情報ありがとうございます。千葉県制覇ですか、それはすごいですね。
 

Re: 馬加城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月22日(土)06時31分32秒
返信・引用
  > No.5059[元記事へ]

逆上りさんへのお返事です。

> 馬加城には石碑や、新たに土塁が見つかったらしいです。

土塁が見つかったとは意外です。今度行ってみたいです。
 

(無題)

 投稿者:阿笠  投稿日:2017年 7月21日(金)19時06分16秒
返信・引用
  余湖さん。いつも藪になってしまった城や、整備されている城まで頑張って下さい。千葉県制覇しました。体に気をつけてください。  

川之江城

 投稿者:阿笠  投稿日:2017年 7月21日(金)18時36分2秒
返信・引用
  川之江城の石垣のことは、一応櫓門の石垣は、模擬ですが近くにある1メートル足らずの低い石垣は、遺構ですよ。  

松本城

 投稿者:阿笠  投稿日:2017年 7月21日(金)18時23分6秒
返信・引用
  松本城の総構や、三の丸の少し残ったお堀もいいですよ。  

馬加城

 投稿者:逆上り  投稿日:2017年 7月21日(金)14時43分53秒
返信・引用
  馬加城には石碑や、新たに土塁が見つかったらしいです。  

Re: 楽しみです。

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月21日(金)05時00分50秒
返信・引用
  > No.5057[元記事へ]

みよさんさんへのお返事です。

お久しぶりです。3日で50城はかなりの強行軍でした。雨に降られた日もあるし、夏場でヤブがひどいところもありました。

特に二色根城はどうしようもないドヤブで苦労しました。しかし、事前にネットで見た情報では、ヤブの少ないきれいな城址だったんですよね。おそらく、一度木を切って整備してそのままにしたために、救いようのないヤブ状態になってしまったのでしょう。

頑張って鳥瞰図を作成しているところです。公開できるのはもう少し先になりそうですが、頑張ります!


 

楽しみです。

 投稿者:みよさん  投稿日:2017年 7月20日(木)20時28分28秒
返信・引用
  とても、とても久しぶりに書き込みます。

往復も含め、三連休で50あまりとは、凄まじい行程!

どんなお城が、どんなふうに紹介されるのか楽しみにしています。

暑くなりましたので、ヤブには充分お気をつけください。
 

Re: 松本城の記事に感動

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月17日(月)20時05分14秒
返信・引用 編集済
  > No.5055[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です。

らんまる殿、こんばんは、ご無沙汰しております。松本城の記事、私のつたない文章をお読みいただいてありがとうございます。

松本城の記事は、城の説明でもなんでもなく、私の母親の歴史を紹介した話になっています。このような文章を掲載するというのはいかがなものかとも思ったのですが、松本城と聞けば、今でも母と一緒にした唯一の旅行を思い出してしまうので、うっかり書いてしまったという次第です。

同様に、姫路城や松江城のページにも私の個人的な思い出が書かれていますが、こんなのは他人が読んでもしょうがない文章ですよね。でも、松江城の文章は、悲しい文章で、自分で読み返しても泣けてしまいます。

「大垣城と私」面白そうですね。ぜひ読んでみたいものです。あの地域には、郡上八幡城や墨俣城など、大垣城の外観を模した天守がいくつかあり、地元ではよほど愛されているのだと感じます。


さて、この三連休、久しぶりに山形に行ってきました。50城ほどを回ったので、いずれ山形の城郭を大量にこのページで紹介することになろうかと思います。

秋口になってきたら、宮坂さんの本を手に、また信州へも行ってみたいものです。

それでは、また、毎日暑いのでご自愛ください。
 

松本城の記事に感動

 投稿者:らんまる  投稿日:2017年 7月17日(月)17時01分49秒
返信・引用
  井川城の記事でも掲載しようかと思い、深志城についてのSNSを閲覧していたら貴殿の「松本城」の記事があり、「なんかいつもと違う構成だなあー」なんて思って最後まで読みました。

なかなか自分の生い立ちや家族の生い立ちを掲載するのは勇気がいるものですが、母への愛情が短い文章の中に限りなく溢れていて、久々に心が現れるような想いでした。
私も小学四年生ぐらいで突然近世城郭のスイッチが入りましたが、残念な事に松本城にも地元の上田城にも何の魅力も感じなくて、何故か心惹かれたのは再建された大垣城でした・・(笑)
しかも、そこを初めて訪れたのは何と一昨年・・・(爆)

いつか、小生も「大垣城と私」を書いてみたいと思いますが、いつになるやら・・・(汗)

熱い夏が続きますが、お体ご自愛ください!
 

Re: また今年も暑い7月がやってきました

 投稿者:ひづめ  投稿日:2017年 7月11日(火)08時36分59秒
返信・引用
  > No.5053[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> あの頃は元気だった石崎さんも、今では鬼籍の人となってしまいましたね。人はいなくなっても、彼の残したハナユリは健在しているのですね。
> 本も同様だと思います。いつかわれわれがいなくなっても、『図説茨城の城郭』『続図説茨城の城郭』の2冊は残っていくのではないかなと思っています。

人の持ち時間の中に、お城に大きなエネルギーを注げる期間があるとしても、8人のそういう時期が重ならなければこの本は出来ませんでした。それも2回も。そう考えると実に不思議なご縁を感じます。
そして、これらの本は私たちの存在を越えて残っていく本になって欲しいですね。
石崎さんのご実家近くの浜へ降りてはまゆりを見てきました。去年よりも見事でした。

http://yablog.blog6.fc2.com

 

Re: また今年も暑い7月がやってきました

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月11日(火)04時51分9秒
返信・引用 編集済
  > No.5052[元記事へ]

ひづめさんへのお返事です。

暑い季節になりましたね。

『続図説茨城の城郭』の編集作業、お疲れさまでした。いよいよ刊行まで一か月を切りましたね。

今回はあまり貢献できなくて申し訳ありませんでした。前の本を出した時のような時間が取れなくなってしまったのも、環境が随分と変わってしまったためですが、それも歳月によるものでしょうか。今回は青木さんや若い二人が、かなりの数の城をカバーしてくれたおかげで、あれだけの城数の掲載にこぎつけることができたのかなあと思っております。

あの頃は元気だった石崎さんも、今では鬼籍の人となってしまいましたね。人はいなくなっても、彼の残したハナユリは健在しているのですね。

本も同様だと思います。いつかわれわれがいなくなっても、『図説茨城の城郭』『続図説茨城の城郭』の2冊は残っていくのではないかなと思っています。

それではまたです。
 

また今年も暑い7月がやってきました

 投稿者:ひづめ  投稿日:2017年 7月10日(月)08時37分19秒
返信・引用
  先週末に夏のごあいさつをしようと思っていたのですが、気付くと週が明けていました。
『続・図説 茨城の城郭』については、時期的にお忙しい中での編集作業になってしまい、11年前に最初の本を作った時に比べてやりきった感が小さいだろうなと想像されます。それでも、出来上がってみれば全体の1割を担当しているのですから、やはり余湖さんの存在感は健在です。
今日はこれから鉾田の海岸へハマユリ(スカシユリ)を見に行ってきます。石﨑勝三郎さんが子供の頃の風景を復活させたくて一人で植え始めたことがきっかけで、いまは地域の活動へと広がって根付き始めたものです。

http://yablog.blog6.fc2.com/

 

ありがとうございます

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 7月 4日(火)09時35分37秒
返信・引用
  鳥瞰図をコピーするのは失礼に当たるかもしれないので、画像URLへのリンクとさせて頂きました。

この冬は、大子要害山と、鎌倉山、城山などを散策する予定です。
その際には記事を参考にさせて頂きます。

貴HPを弊HPのリンク集に入れさせて頂きました。

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

Re: リンクのご報告

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 7月 4日(火)04時26分28秒
返信・引用
  > No.5049[元記事へ]

大子山岳会 益子さんへのお返事です。

初めまして。ホームぺージ、拝見させていただきました。女倉山のような低山なども、散策されるのですね。

引用元がこのホームページであると書いてありましたので、鳥瞰図等の使用はOKです。

よろしければ、ご活用ください。
 

リンクのご報告

 投稿者:大子山岳会 益子  投稿日:2017年 7月 3日(月)16時42分4秒
返信・引用
  こんにちは。
時々記事を拝見させていただいています。
当山岳会のホームページに画像と記事をリンクさせていただきました。
ありがとうございました。
まずはご報告と感謝。

http://park16.wakwak.com/~marsie/

 

Re: 茨城県・久米城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月27日(火)04時27分33秒
返信・引用
  > No.5047[元記事へ]

koizumiさんへのお返事です。

久米城は、もう何年も訪れていないのですが、かなりきれいになったようですね。昔訪れた際には、主郭のヤブがひどく、まったく立ち入れない状態だったのですが、今は整備されていると聞いています。駐車場までできているとは驚きです。

それというのも、地元の方の熱意のおかげでしょう。頭が下がります。

縄張図は、『図説 茨城の城郭』のものでしょうか。

それではまたです。
 

茨城県・久米城

 投稿者:koizumi  投稿日:2017年 6月26日(月)20時57分52秒
返信・引用
  初めまして、常陸太田市(級金砂郷村)の久米城に行ってきました。案内板がいたるところに設置され、城跡が整備されています。久米城跡訪問用の駐車場もあり縄張り図と訪問者の感想ノートがあります。久米城跡保存会の皆さんで整備されたのでしょうか。感謝です。私も360度写真をアップしておきました。Google検索の久米城跡で写真をクリックすると出てきます。  

続図説茨城の城郭!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月23日(金)20時53分21秒
返信・引用
  続図説茨城の城郭が間もなく刊行されます。あと1月くらいで店頭に並ぶと思います。
前回取り上げられなかった209城を図面付きで紹介しています!

図説茨城の城郭の改訂版も同時刊行です。こちらも古本で数万円の価格になっていたりしてご迷惑をおかけしましたが、手に入れやすくなります。私もいくつか図面を描き直しました。

よろしかったらぜひどうぞ!
 

Re: ダメな使用例

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月23日(金)20時48分46秒
返信・引用 編集済
  > No.5044[元記事へ]

HP運用の同胞さんへのお返事です。

書き込み、ありがとうございます。どのホームぺージの方なのかは分かりませんが・・・・。

近江の例のホームページは最低のクソページです。

ただ、私のページからリンクしてあるおかげで、かなりのアクセス数を稼いでいるものと思われます。別に宣伝しているわけではなく、このクソページを皆さんに認知していただきたいからです。

近江では、最近も、現地で配布している三雲城のパンフレットに、私の鳥瞰図が無断で加工され使用されているのを教えていただきました。

引用元さえ明記してあれば使用していいと言っているのに、あえて自分で作ったもののように使うという神経が信じられません。このところ近江人に対する私の信用はがた落ちです。さすが近江商人というべきなのでしょうか。

それだけ私のページがメジャーなものである証拠とも言えそうですが、だいたいの人は一目見て、私の鳥瞰図であることが分かると思います。

それを自分の作品のように使用することの虚しさというか下衆根性に気付いてほしいものです。
 

ダメな使用例

 投稿者:HP運用の同胞  投稿日:2017年 6月22日(木)20時08分43秒
返信・引用 編集済
  お世話になります。
余湖さんと同じように城のホームページを運用している者です。

余湖さんの図面を無断転用したダメな使用例
”歴史散歩・・・戦国山城探訪 云々” の、おふざけ野郎ですが、
『近江の城郭探訪』という名前に変えているようですよ。
URLは一緒ですけどね。
私も危うくフォローしちゃう所でした。

余計なお世話でした
 

Re: 青森の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月22日(木)04時15分10秒
返信・引用
  > No.5042[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

追加の情報、ありがとうございます。尻八館も、いつかは行ってみたいと思っている城なので、その際には参考にしたいと思います。

いつになるやら分かりませんが・・・・・。
 

Re: 青森の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 6月20日(火)23時44分51秒
返信・引用
  > No.5041[元記事へ]

余湖さんへのお返事です。

> 尻八館は、いろいろと噂には聞いていましたが、なかなか困難なお城だったんですね。その情報は初めて知りました。
>


あれからネットで再度尻八館について見てみた所、通り過ぎた貯水池の駐車場の奥に案内板があり、その脇から城に行けることが分りました。こちらが大手のようです。私が登ったのは最近使われていなかったルートだったようです。

これなら濡れずに行けます。

弁解すると、あの日、緑化事業とやらで貯水池の周りで地区の老若男女が集い植栽をしていて、そこらじゅうに車が駐車していました。普段なら殆ど人はおらず、容易に駐車場や案内板を見つけられたのに、あの日は車の陰に隠れてしまったようです。

余湖さんがもし行かれるようでしたら、大手から登ってください。
 

Re: 青森の城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月20日(火)04時18分59秒
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  > No.5040[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

お久しぶりです。青森にいらっしゃったのですね!

情報ありがとうございます。青森は、私が一番、城を訪れていない県なんです。何しろ遠いものですから・・・。

尻八館は、いろいろと噂には聞いていましたが、なかなか困難なお城だったんですね。その情報は初めて知りました。

城址公園になっているお城も、その後整備されていないと、とんでもないヤブ城になったりします。半端に木を切ったままにしておくと、雑草が繁茂してどうしようもなくなってしまったりするんですよね。城址公園の維持というのは、なかなか難しいものがあるようです。

いつの日になるか分かりませんが、時間があれば、青森のお城もゆっくりと回ってみたいものです。

それではまたです。

 

青森の城

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 6月19日(月)20時17分22秒
返信・引用
  今朝、下北から帰ってきました。

今回は恐山や三内丸山遺跡がメインディッシュで、城は+αだったのですが、尻八館・七戸城、坂本館、大池館、田名部館、斗南陣屋、蠣崎城、順法寺城に行ってきました。

見応えがあったのは尻八館。技巧的ではないものの、しっかり造り込まれた城です。
ただ、辿り着くまでが難儀しました。主郭まで自然歩道が整備されている筈でしたが、障害者施設や県の研修農園を通り貯水池迄来ても案内板等なし。仕方なく先に進むと100mほどで「尻八城自然歩道」の看板。その先に軽なら1台とめられるスペースがあったのでそこで車を下り、勇躍歩道を進むこと10メートル。なんと幅3~4メートル、水深20cmのせせらぎ。向う岸には道らしきものがあるものの、橋もなければ飛び石も無し。思案の末、せせらぎに足を入れ進むと、今度は草叢で道が消えていました。目をこらしてかすかに残る踏み跡を追い、せせらぎ沿いに少し進むとまた「尻八城自然歩道」の看板。ここからの山道は概ね支障なくようやく城まで行けました。

こんなに難儀したのは久し振りです。

それと、下北半島南側の蠣崎城。南郭が公園化されていて、国道沿いにも標柱などあるのですが、これも途中から車の轍以外は草、草、草。普段なら此処で車を下りるのですが、東京に帰る時間が迫っており、意を決し車で登りました。下車後も、公園までの歩道が見事に草、草、草。多分暫く誰も来なかったのでしょうね。この城、南郭の他にも七戸城みたいに独立した郭が複数あるのですが、タイムアウト(というか公園化されていてこの草叢ですから、それ以外となると多分立ち入りすら難しかったと思います)。ただ、黄昏どき城跡からのむつ湾の眺めは趣きありました。

それではまた。
 

NGT48

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月18日(日)09時51分42秒
返信・引用 編集済
  NGT48の人気が出ているようだ。

いったいどんな曲を歌っているのだろうかと思ってちょっと探してみた。

https://www.youtube.com/watch?v=n-iXRXpfVTs

どこかで聞いたようなメロディだけど、なかなかいい曲である。

それよりも、新潟駅前の様子や萬代橋、日本海タワーなど、背景を見ているうちに妙に懐かしくなって胸が熱くなってきた。

故郷とはずいぶんと隔絶してしまってはいるが、故郷につながっているものを見ると、やはり特別な思いになってしまうものなのらしい。

新潟を通った日々のことを思うと、なんだか切ないような思いになってしまうのである。

何度も繰り返し見てしまった・・・・・。
 

Re: 群馬県・矢田城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月18日(日)09時49分8秒
返信・引用
  > No.5036[元記事へ]

谷村さんへのお返事です。

情報、ありがとうございます。

高崎辺りの歴史については、あまり詳しくないので、現地案内板や城郭体系などに頼りっぱなしです。

資料館には機会があったら寄ってみたいと思います。
 

Re: 苗木城址2。

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月18日(日)09時47分4秒
返信・引用
  > No.5035[元記事へ]

てつを。さんへのお返事です。

景色がよいですね。
 

群馬県・矢田城

 投稿者:谷村  投稿日:2017年 6月17日(土)22時11分25秒
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  初めまして。

ちょうど今日、聞いてきたばかりの話があるので書き込みました。
“小林氏”なのですが、

群馬にいた“小林氏”と、
藩主の鷹司松平氏が連れてきた
鷹司家の家司であった“小林氏”が、
両方いたそうなんです。
区別するために、
鷹司家の家司だった“小林家”は
西(京都出身の意味) とつけたりしていたんだとか。

上記は、吉井郷土資料館の方にご説明いただきました。
土日も開館していますので、よろしければどうぞ。
 

苗木城址2。

 投稿者:てつを。  投稿日:2017年 6月15日(木)12時10分1秒
返信・引用
  眺め良し。怖い。  

苗木城址1。

 投稿者:てつを。  投稿日:2017年 6月15日(木)12時08分55秒
返信・引用
  風雲たけし城か?古~!  

告知

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月15日(木)04時06分10秒
返信・引用
  好評だった『図説 茨城の城郭』に続く続編、『続 図説茨城の城郭』が、刊行に向けての大詰め作業をしている最中です。

前回紹介しきれなかった200ほどの城郭を図面付きで紹介しています。

『改訂版 図説 茨城の城郭』と合わせて、8月刊行予定です!
 

Re: 埴原城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月15日(木)04時03分36秒
返信・引用
  > No.5031[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。
埴原城もいいお城ですよね。ただ、城域が広大なので、隅々まで見るのは大変です。

林大城、桐原城など、松本周辺の小笠原系の城郭は、どれも見どころが多く、達成感のあるお城です。

こちらではクマは大丈夫でしたか?
 

埴原城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 6月14日(水)18時35分46秒
返信・引用
  久しぶりに埴原城へ登ってきました。宮坂氏の縄張り図を見て、まだ西小屋とある北尾根や本丸下の南尾根、溝とある(余湖さんの縄張り図では曲輪4)曲輪からの二本の支尾根、いずれも未踏査でしたので今回じっくり歩いてきました。木々はすべて伐採されており、よく見ることができました。
縄張り図は宮坂氏の「信濃の山城と館4」一部より
写真は縄張り図の西小屋とある北尾根入り口の大堀切

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 地元民も真っ青(笑)

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月14日(水)04時41分57秒
返信・引用
  > No.5029[元記事へ]

らんまるさんへのお返事です.

らんまる殿、ご無沙汰しております。先日は久しぶりに思い切って長野の山城に挑んできました。
この時期は、歩いていても汗をかかず、風も涼しくて、山城散策にはいい気候なのだな、ということを知りました

>しかし出浦城の林道をあそこまで軽乗用で登るとは凄い!しかも新車で?(笑)ジムニーだと突き当りまで行けますが、それでもビビりますよ。

時間短縮ということもあるのですが、山登りが嫌いなので、極力車で登りたいと思っております。
出浦城は、宮坂さんの本の通りに林道を通ってみたのですが、バンパーをだいぶ痛めてしまいました。宮坂さんがどんな車に乗っているのか知らないのですが、そうとう危ないところまでも車で行っているのかなあと感じました。でも、おかげで楽に登れました。

> 八間長者城(塩崎城)へのショートカットも勉強になりました。あのルートは思いつかなかったなあ。地元民も真っ青です・・(汗)

塩崎城は、林道から20m降るだけで主郭まで到達できたので、うまくいった例ですね。おかげで、上の方にある遺構のようなものを見ることもできました(^^)/。
林道が荒れた路面だったらやめておこうとおもったのですが、幸い、舗装されたちゃんとした道でした。

> 小生も山登りはしたくないので、城址の近くに通じる林道を探してます。最近はゲートに施錠してシャットアウトしているところが多くなり車を捨てて歩かざるを得ない事態が増えています。
> 先日も佐久の余地峠に行きましたが車両通行止め。整備された林道を歩くという情けない事態。

そういうこともありますよねえ。
青木村の黒丸城に行ったときなど「主郭のすぐ背後に林道があるじゃん」と思って林道からアクセスしようと思ったのですが、林道の入口に車止めがしてあって進入できませんでした。結局、車で不安なく走れる林道を延々歩くことになったのですが、下から登った方が早かったです(xx)

ところで。佐野山城に訪れた時に、入り口に見たことあるような松本ナンバーの車が停まっていました。デイビスさんに会えるのでは! と思いながら登っていったのですが、残念ながら会えませんでした。

それではまたです。
 

地元民も真っ青(笑)

 投稿者:らんまる  投稿日:2017年 6月13日(火)07時52分26秒
返信・引用
  長野市・千曲市の山城探訪お疲れ様でしたあ~。

さすがに全国区の方々はいかに労せずして城跡に辿り着くかを心得ていらっしゃるものだと感心しました。しかし出浦城の林道をあそこまで軽乗用で登るとは凄い!しかも新車で?(笑)ジムニーだと突き当りまで行けますが、それでもビビりますよ。

八間長者城(塩崎城)へのショートカットも勉強になりました。あのルートは思いつかなかったなあ。地元民も真っ青です・・(汗)
小生も山登りはしたくないので、城址の近くに通じる林道を探してます。最近はゲートに施錠してシャットアウトしているところが多くなり車を捨てて歩かざるを得ない事態が増えています。
先日も佐久の余地峠に行きましたが車両通行止め。整備された林道を歩くという情けない事態。

またこちら方面にお越しの際はお声掛けくださいまし。
ご多忙なご様子なので、お体にお気をつけてお過ごしください!
 

Re: 岩村城址。

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月13日(火)04時40分37秒
返信・引用
  てつを。さんへのお返事です。

岩村城ですか。だいぶ以前に訪れました。懐かしいです。

女城主としては、もともとはこちらの方が有名ですね。

主郭真下辺りまで車で行けるので、けっこう楽だった記憶があります。
 

岩村城址。

 投稿者:てつを。  投稿日:2017年 6月12日(月)13時32分53秒
返信・引用
  岩村城址です。結構登ります。ここも女城主だったみたいです。女城主っていう美味しい日本酒もありますよ。  

明徳寺館・堂城山砦!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時37分45秒
返信・引用
  千曲市のお城。

平地の居館と詰めの城のセットである。明徳寺には、しっかりとした土塁が残っている。

堂城山砦も小規模ながら、要害としての要素は十分に備えている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#meitokuji
 

入山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時36分18秒
返信・引用
  こちらも千曲市のお城。

小規模な山城であるが、何本も掘られた堀切は規模も大きく、見どころとなっている。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#iriyama
 

冠着山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時35分8秒
返信・引用
  千曲市のお城。

姨捨山とも呼ばれる、比高850mもある高い山に築かれている。

といっても、物見として利用された程度でだったと思われ、たいした遺構はない。しかし、景色は抜群である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#kamuriki
 

佐野山城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時33分36秒
返信・引用
  これも千曲市のお城

地図にも記載されている不動の滝のすぐ上の山である。滝とセットで訪れることのできるお城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm#sano
 

小坂城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)09時32分40秒
返信・引用
  千曲市のお城である。

主郭周辺の石垣もさることながら、背後の小坂山に続く尾根に構築された6重の堀切は圧巻である。

訪れて後悔しない城である。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi04.htm
 

孤落城・三水城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)08時33分3秒
返信・引用
  出浦城の南方にあり、村上支配地域の南の入口を抑える城である。

しかし、急峻な尾根上に築かれているので大変だ! 今回訪れた長野の山城で、いちばんきつかったのがこの山城であった。

山麓には村上氏の先祖が配流された際に月を眺めていたという十六夜観月殿がある。
http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/sakakimati02.htm#koraku
 

出浦城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)08時30分49秒
返信・引用
  長野県坂城町のお城。見るからに急峻で高い山上に築かれている。

こんな高い山、絶対に登りたくないのだが、昨年大河ドラマで出浦昌相を見てから、訪れてみたくなってしまった。

しかも林道を使えば車でけっこう上の方まで行けるらしい。それならそんなに厳しくない。

というわけで行ってきた。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/sakakimati02.htm
 

鞍骨城郭群!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)07時40分49秒
返信・引用
  長野市と千曲市とにまたがる山城群である。

以前から行ってみたかったのだが、だいぶ山奥にあるうえにクマも出るとのことで二の足踏んでいた。

しかし、直前に、尼巌城をわりと苦労せずに登れたこともあって、「これなら鞍骨城も割と簡単に行けるに違いない!」と思って、立ち寄ってみることにした。

コースは、唐崎山城 → 明聖霊神砦 → 天城城 → 鞍骨城 → 鷲尾城

ほぼ半日のコースである。鞍骨城の壮大さ、鷲尾城の石垣に感動した!

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/tikumasi03.htm
 

塩崎新城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)06時58分57秒
返信・引用
  塩崎城の近くにある。高速のトンネルの真上からのアクセス道を通れば、5分で主郭まで行けるお気楽城郭である。

しかし、この城だけ案内表示も何もない。どうしてかと思いつつ訪れてみると、とにかくヤブだらけ! 遺構がよく分からない。

どうも、地元ではまったく相手にされていないお城のようである。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#sin
 

塩崎城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)06時56分48秒
返信・引用
  長野市のお城

けっこういい城だと聞いていたので、いつかは行ってみたいと思っていた。

ネットで調べてみると、山麓の長谷寺から登るように書いてある。しかし、地形図をみると城のすぐ真上近くまで林道が来ているではないか!

ということで、林道からいきなり主郭を目指してみた。そのおかげで、上にある出城も見ることができたのであった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm#siozaki
 

尼巌城!

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月11日(日)06時54分13秒
返信・引用
  長野県長野市のお城

松代城辺りからものすごく目立った山容で見えている山である。真田幸隆に攻め落とされた城ということで、いつかは行きたいと思っていた。

だが、あの山容、山嫌いの私としては二の足を踏むのが当然である。しかし、比較的上の方から登れるルートもあるらしいということを知って、思い切って行ってみた。所要時間は30分ほどで、たいしてきつくもなかった。

http://yogochan.my.coocan.jp/nagano/naganosi04.htm
 

Re: 平瀬城に熊?

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 6月 9日(金)04時30分53秒
返信・引用
  赤いRVR@松本さんへのお返事です。

赤いRVRさん、ご無沙汰しております。このハンドルネームには記憶がありますので、以前にも情報をいただいたことがあろうかと思います。

情報ありがとうございます。
松本周辺にはクマはいないのですね。それを聞いてちょっと安心です。平瀬城の支城の情報をいただきながらも、「クマのいそうなところには行きたくないなあ」と二の足踏んでしまっていたので、このお言葉は心強いです。

ただ、クマの生息域が広がっている可能性もなきにしもあらずですので、用心に越したことはないですね。茨城県も、以前はクマが生息していないと言われていたのが、近年では、県北でのクマの目撃情報が出てきていますから、なかなか油断がなりません。

長野県には本当にいい山城が多いですね。先日も久しぶりに長野の山城を訪れたのですが、とても素晴らしい城が多くて感動しました。

そして、気候が快適で、山を歩いてもほとんど汗をかかず、爽快な気分で山歩きができてとても良かったです。この時期の長野の山城は散策するのにちょうどよいのだなあと感じました。

その内容は今週末には公開したいと思っております。

それではまたです。
 

平瀬城に熊?

 投稿者:赤いRVR@松本  投稿日:2017年 6月 8日(木)23時27分34秒
返信・引用
  こんばんは。以前お邪魔をしたことがあるような気がするのですが、信州松本在住の赤いRVRと申します。久しぶりにここを覗いてみたら、平瀬城(南支城)で熊を見たとのこと、実は私、この春までその南にあるアルプス公園内の博物館に勤務しておりまして、園内の動物園職員から、その周辺一帯では熊はいないと聞いています。なのでもしかするとカモシカの見間違いかな、という気もします。もちろん注意するに越したことはありませんが。私もよく登る城ですが、あまり気にしたことはないですね。南支城には見事な堀切がありますので、ぜひ登ってみてください。ちなみに、その公園内にも御殿山城という山城があります、ただ、おそらくは地滑り地形に手を加えた程度のような気はしますが。またたまに覗かせていただきます。あと、余湖くんの城郭図はわかりやすいので、県外の城を見るときには、参考にさせていただいています。今後ともよろしくお願いします。  

Re: 平瀬城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月31日(水)04時32分9秒
返信・引用
  > No.5012[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

平瀬城は、私も訪れたことがあるのですが、宮坂氏の図を見て、本城以外にも、出城がいくつもあるのを知りました。特に、最初に登っていく途中の右手の斜面の上が怪しく思われたのですが、そこにも出城があるようですね。

それにしても、平瀬城にクマがいたのですか! かなり市街地に近いお城だと思うのですが、やはり長野はクマの遭遇率が高いのですね。

昨年はブナが豊作だったため、出産が多く、今年独り立ちするクマが増えているというニュースをやっていましたが、ちょっと気を付けた方がよさそうですね。

 

平瀬城

 投稿者:横尾  投稿日:2017年 5月30日(火)19時31分20秒
返信・引用
  「信濃の山城と館4」の平瀬城の俯瞰図を見ますと、平瀬本城の西北を基点にした、南尾根に大規模な遺構が描かれており、これを確かめるために登りましたところ、俯瞰図通り、遺構を見つけることができました。なぜ、宮坂氏はこれを縄張り図にしないのか不思議です。
 これによって、平瀬城は本城・南平瀬城・北平瀬城と、とてつもない大規模な山城であると分かりました。ただし、南平瀬城で熊と遭遇しました。相手は40m下の斜面に居て、木に隠れるようにした行動をとったため、襲ってくる気配はないと思いましたが、熊スプレーを構えながら下山しました。また北平瀬城でも熊の糞を見つけており、登城は冬にした方が安全です。
写真1 俯瞰図(北の尾根に遺構があります。) 写真2 平瀬本城 写真3 南平瀬城

http://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi

 

Re: 河内の城他

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月29日(月)04時40分50秒
返信・引用 編集済
  > No.5010[元記事へ]

備前守長政  さんへのお返事です。

河内のお城ですか、これだけのお城を回るのにはかなりの体力を使ったことでしょう。お疲れさまでした。

赤坂城については、どうにもしっくりこないことがあって、以前文章にまとめたことがあります。

http://yogokun.my.coocan.jp/akasakachihaya.htm

結局、根拠となるのは太平記の記述くらいしかないのですが、よくよく考えてみると、太平記も軍記物ですから、その記述がどの程度まであてになるのか怪しいものです。

上赤坂城では、発掘の結果、南北朝期の遺構も出ているようで、実際に楠木正成の時代にも使用されたのかな、とも思ったりしています。

ただ、楠木一族は、その後の楠木正儀の時代の南北合一まで、あの辺りで勢力を張っていたと思うので、楠木正成に限らず、かなりの期間にわたって赤坂城を利用している要素はあったのだろうと思っています。

二条城ですか、何のかんの言っても、とても見どころの多いお城ですよね。明治以降もいろいろ使われていたのか、門の中までいじられていたようですね。

川越城の本丸御殿が、一時期小学校として使用されていたため、天井にバレーボールをぶつけた跡をいくつか残しているのと同じようなものでしょうか。

それではまたです。
 

河内の城他

 投稿者:備前守長政    投稿日:2017年 5月29日(月)00時39分30秒
返信・引用 編集済
  先日関西に行き、金剛山麓の諸城に行ってきました。元々著名ではありますが、千早赤坂城は普請としては見るべきものが無く、戦前の楠公顕彰の中で遺構も壊されているものと思いわざわざ行くほども無いと考えていました。

ただ、最近太平記を読んで所謂所堅固の城なら、顕彰施設で破壊されても地形自体は余り変わらないかと思い直し行ってきました。

金剛山麓までレンタカーで進み、下赤坂城→千早城→楠館→浄心寺城→上赤坂城→猫路山城→坊領山城(国見山城)→しょうぶ塞と回ってきました。

余湖さんも記されているように、太平記の記述を踏まえれば正成が最初に籠ったのは下赤坂城でしょう。

一方、その後南朝方の平野将監が籠った赤坂城は、太平記の「三方は岸高くして屏風を立てたるが如し」という記述に鑑みて、上赤坂城を指していると思いました。勿論今の遺構は戦国時代に普請されたものでしょう。

また、後方尾根の猫路山城は北側の尾根上の堀切からみて、戦国期の上赤坂城の後背地を押えるためのものと思われます。

問題は坊領山城で、見た感じ山岳寺院ではないかと思います。中世城郭事典の縄張図では城郭らしく見えるのですが、いざ現地に立つとあちこち切岸が緩やかで軍事拠点としての緊張感がイマイチ無いように思います。勿論、緊急避難的に南朝方の兵が逃げ込み立て籠もるといった、一時的な城郭転用はあったと思いますが。

最後、下山時猫路山城に戻る途中、側道を右に入りしょうぶ塞に行ってきました。地山に近い状況で尾根がダラダラ続き、これが南北朝期の城の実相なのでしょうね。ただ、薄暮迫る中、散々歩き回って足が痛くなったので、途中で引き返し尾根の先端までは行きませんでした。

翌日は二条城の東大手門修復記念公開に行ってきました。前日修理中の現場見学会に行ったのですが、その時は中に入れなかったので再度訪ねました。天井や筋交い、仕切壁やガラス戸など明治以降、大分内装は手が加えられていました。

それではまた。

 

Re: 並榎城発掘調査について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月22日(月)20時43分5秒
返信・引用
  > No.5005[元記事へ]

Mr.縄文人さんへのお返事です。

かみつけの国博物館の清水様から、返信が来ました。

やはりというか、想像していた通り、発掘の成果からは城主やその動向に関するものは発見されていないとのことです。

並榎氏に関する資料は極めて少なく、近世に編纂された『和田記』によれば、もともと和田氏の家臣であり、その後、和田氏が武田氏に属するようになると、そのまま武田家臣団に編入されたということのようです。

並榎氏は、そうした情勢の中で、長野氏との境界線を守備する立場であったようですね。

したがって、現在確認できる資料(一次史料は存在していませんが)からすると、武田氏と共に長野氏と戦った、というのが事実のようです。
 

Re: 今井城(青梅市)について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月22日(月)04時27分11秒
返信・引用
  > No.5007[元記事へ]

ひぽぽ陸奥守さんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。この階段のことは気が付きませんでした。確かに、ヤブに覆われていたため、見過ごしてしまったのかもしれません。

草刈りがされたということですと、今井城も地元の方によって整備されていくのかもしれないですね。期待したいところです。

それではまたです。
 

今井城(青梅市)について

 投稿者:ひぽぽ陸奥守  投稿日:2017年 5月22日(月)01時14分15秒
返信・引用
  いつも拝見して参考にしております。

本日、東京都青梅市の今井城を訪れたところ記載以外の登城口を見つけました。
地図上の外郭跡と書かれた場所からちょうど南側の崖に階段があり、直下の今井柳田自治会館から外郭部へ上がることができます。
道路から階段までの道も綺麗に刈り込まれていて歩きやすかったです。
以前に訪れた際は草ボーボーでしたので自治会のさじ加減によって現れる道かもしれません。
 

Re: 並榎城発掘調査について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月20日(土)20時36分42秒
返信・引用
  > No.5005[元記事へ]

Mr.縄文人さんへのお返事です。

重ねてのご指摘、ありがとうございます。かみつけの国博物館にメールを送ってみました。返事が楽しみです。

私が興味を持ったのは「和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっている」という部分です。

通常、発掘調査によって、ここまでのことが判明するというのは、まずないことだと思うので、どのような調査結果が出たのか、とても関心があるのです。

それではまたです。
 

並榎城発掘調査について

 投稿者:Mr.縄文人  投稿日:2017年 5月19日(金)14時51分32秒
返信・引用
  私は,地権者が地権者用の発掘調査報告会で説明を受け,その内容をお伺いしたものです。しかし,個人で発掘調査などするはずも無いですが,調査報告書はどこにもありません。ここからは推測ですが,調査結果の公表に同意しなかった地権者がいたのではないでしょうか。個人が所有する財産に関わる問題ですから関係者内へは説明されても,広く公表されていないのでは無いかと思います。ですから私の口からこれ以上申し上げることは出来ません。

かみつけの里博物館の副館長の清水豊さんは,並榎城に関しても詳しいですから,お知りになりたければメールで問い合わせてみたらいかがかと思います。
Eメール:kamitsuke-museum@city.takasaki.gunma.jp
 

Re: 並榎城(高崎市上並榎町)について

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月19日(金)05時24分54秒
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  > No.5002[元記事へ]

Mr>縄文人さんへのお返事です。

j情報、ありがとうございます。天竜護国寺については、気が付きませんでした。となると、並榎城は、そうとうに広大な城郭だったんですね。三ノ丸の土塁もなかなか見事なものですね。

>和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっているようです。

この点、とても興味があります。もう少し、根拠が明確に分かるように示していただければ、私のページの記事も修正できるので、もしよろしかったら、この点について、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか。

それではまたです。
 

写真を添付し忘れました。

 投稿者:Mr.縄文人  投稿日:2017年 5月18日(木)14時26分15秒
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  三の丸の西の端です。  

並榎城(高崎市上並榎町)について

 投稿者:Mr>縄文人  投稿日:2017年 5月18日(木)14時02分3秒
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  並榎城の北に天竜護国寺と言うお寺があります。この天竜護国寺は,貞観六(864)年天台3代座主(ざす)円仁慈覚大師(じかくだいし)を開山としています。当時は関東一の大伽藍(だいがらん)をほこり,境内には僧坊300余りがあったとのことです。

その後,たび重なる兵火で焼失し,今は創建当時のおもかげはありませんが,天竜護国寺は,東西を堀に囲まれ,南は烏川に囲まれ,堀と土塁と僧兵に守られた広大な境内を持っていたようです。その天竜護国寺の境内の南の端を並榎城として流用したものです。

現在でも東の堀(西の堀は県道を越えて北まで行かないと当時の姿は感じられません。)は,当時の姿を想像させてくれます。また,崖下の西の農地や烏川の公園は,最近までアシが生い茂る湿地でした。三の丸の一部に,当時の土塁と思われるものが残っております。

「長野業政家臣録」をURLに載せた人は,明かに間違っているところがあります。「下並榎砦」は,昔の下並榎(現在の並榎)の常仙寺の事で「並榎城(上並榎城)」とは別なものです。

城主についてですが,誰か知りませんが,和田氏側の城主では無く,最後まで長野一族と共に武田と戦い,壮絶な最期を遂げたと言うことが発掘調査から明らかになっているようです。
 

Re: 楽厳寺城

 投稿者:余湖  投稿日:2017年 5月18日(木)04時51分55秒
返信・引用
  > No.5000[元記事へ]

横尾さんへのお返事です。

横尾さん、こんにちは。

楽厳寺城、なかなか、面白い構造のお城ですよね。近くにある堀ノ内城も面白かったです。

ただ、いずれも、廃墟になった貸別荘群がやたらとヤブに埋もれているのが、なんとも異様な雰囲気でした。

対岸の霧久保城も面白いお城でしたし、小諸のお城は、なかなか興味深いですね。
 

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